カルロ・アンチェロッティ
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| 名前 | ||||||
| 愛称 | カルレット | |||||
| ラテン文字 | Carlo Ancelotti | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1959年6月10日(53歳) | |||||
| 出身地 | レッジョーロ | |||||
| 身長 | 173cm | |||||
| 体重 | 80kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1976-1979 1979-1987 1987-1992 |
55 (13) 171 (12) 112 (10) |
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| 代表歴 | ||||||
| 1981-1991 | 26 (1) | |||||
| 監督歴 | ||||||
| 1995-1996 1996-1999 1999-2001 2001-2009 2009-2011 2011- |
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カルロ・アンチェロッティ(Carlo Ancelotti, 1959年6月10日 - )はイタリア、レッジョ・エミリア県レッジョーロ出身の元サッカー選手、現在はサッカー指導者。イタリア代表であった。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
目次 |
経歴 [編集]
選手時代 [編集]
下部リーグの弱小クラブであったパルマFCでキャリアをスタートする。1979年にASローマに移籍し、1982-83シーズンにスクデットを獲得。1984年のチャンピオンズカップでは決勝に進出したが出場はしていない。この後ローマで主力となったが、1987年にACミランに移籍し、1988年にスクデット獲得。1989年のUEFAチャンピオンズカップ準決勝のレアル・マドリード戦2ndレグではキャリアのハイライトとも言える見事なミドルシュートで先制点を挙げチームを5-0の勝利に導いた。決勝でもスタメンで出場して優勝も経験している。1990年のUEFAチャンピオンズカップでもレギュラーとして活躍、ミランの2連覇に貢献している。1992年に現役を引退。
イタリア代表としては地元で行われたFIFAワールドカップなどで活躍。主に控えであったが3位決定戦ではスタメンで出場を果たしている。
指導者時代 [編集]
パルマFC [編集]
セリエBのACレッジャーナ1919で指導者としてのキャリアをスタートさせ、1シーズンでセリエA昇格を果たす。このシーズン限りで退任し、現役時代キャリアをスタートさせたパルマFCの指揮を執る。パルマはビッグクラブに変貌しており、各国の代表選手を纏め上げて1997年には強豪のインテル、SSラツィオなどを抑えユヴェントスFCに次ぐ2位に導いた。
ユヴェントスFC [編集]
成績不振で解任されたマルチェロ・リッピの後を受け、1998年のシーズン途中にユヴェントスFCの監督に就任。1999-2000シーズンはチームを見事に立て直し、最終節のACペルージャ戦に勝てば優勝できたのだが、ここでまさかの敗北を喫して2位に終わる。2000-01シーズンも最終節でASローマに逃げ切られ2位。これでパルマFC時代と合わせ3回目の2位となりシルバーコレクターと揶揄される。ヨーロッパカップ戦においても結果を残せなかった為、このシーズン限りで解任された。
ACミラン [編集]
フリーの身となっていた2001-02シーズン途中、成績不振の古巣ACミランの監督に就任。2002-03シーズン、2006-07シーズンにはミランでUEFAチャンピオンズリーグ制覇を果たした。これにより選手、監督両方でUEFAチャンピオンズリーグを制覇した4人目の人物となった。なお、ACミラン監督就任する前は、パルマの監督就任が濃厚と報じられていたが、パルマと契約交渉する日の午前中にACミランとの契約に合意し、ACミランの監督に就任したという逸話がある。
チェルシーFC [編集]
2009年6月1日、イングランド・プレミアリーグのチェルシーの監督に就任した[1]。就任後、初の公式戦となったFAコミュニティ・シールドで、プレミア王者のマンチェスター・ユナイテッドFCをPK戦の末に倒し、自身の指導者としてのキャリアではイタリア国外で初となるタイトルを獲得した。2009-10シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは因縁の相手インテル[2]に敗れてベスト16に終わったが、リーグ戦では4シーズンぶりの優勝をもたらし、FAカップでも優勝。監督に就任して最初のシーズンで二冠を手にした。
しかし翌2010-11シーズンはケガ人が続出してシーズン半ばにチームが不振に陥った。冬の移籍市場でフェルナンド・トーレスとダヴィド・ルイスを獲得し巻き返しをはかったものの結局無冠に終わり、シーズン終了後に解任された[3][4]。
パリ・サンジェルマンFC [編集]
2011年12月30日、ACミランで同僚だったレオナルドスポーツディレクターに誘われ、パリ・サンジェルマンFC監督に就任[5]。契約は2年半。2年目の2012-13シーズン、パリ・サンジェルマンを19年ぶりのリーグ優勝に導いた。
特徴 [編集]
選手をあまり責めない事もあり選手からの信頼も厚い。一方で守備的な戦い方や選手起用で批判される事もある。ファビオ・カペッロとは逆でカップ戦に比較的強く欧州CLを2回、決勝には3回到達しているが国内リーグ戦での制覇は2回(イタリア、イングランド1回ずつ)のみである。今後についてはイタリア代表監督を囁かれている他、自身は現役を過ごしたクラブでは唯一、指揮を執っていない古巣ローマの監督に興味がある事を明かしている。
ACミラン監督就任当時は攻撃的MFだったアンドレア・ピルロをボランチにコンバートしてレジスタとしての才能を開花させ、またパルマ監督時代にはリリアン・テュラム、ファビオ・カンナヴァーロを欧州屈指のDFに育て上げるなど、選手の能力を的確に判断し育成する能力がある。戦術面でも、ACミランで試行錯誤を重ね完成した”3ボランチ”システムは、サイドアタッカーを排除し、それぞれ違ったタイプのボランチを3人並べることによってポゼッションを高めることに成功(4-3-2-1の「クリスマスツリー」や4-3-1-2)。欧州屈指の安定感を誇るACミランの中盤の基礎を作り上げた。
所属クラブ [編集]
指導歴 [編集]
ACレッジャーナ1919 1995-1996
パルマFC 1996-1998
ユヴェントスFC 1998-2001
ACミラン 2001-2009
チェルシーFC 2009-2011
パリ・サンジェルマンFC 2011.12-
タイトル [編集]
選手 [編集]
クラブ [編集]
- セリエA 1987-88, 1991-92
- UEFAチャンピオンズカップ 1988-89, 1989-90
- スーペルコッパ・イタリアーナ 1988
- インターコンチネンタルカップ 1989, 1990
指導者 [編集]
- UEFAチャンピオンズリーグ 2002-03, 2006-07
- UEFAスーパーカップ 2003, 2007
- セリエA 2003-04
- コッパ・イタリア 2002-03
- スーペルコッパ・イタリアーナ 2004
- FIFAクラブワールドカップ 2007
- プレミアリーグ 2009-10
- FAカップ 2009-10
- FAコミュニティ・シールド 2009
- リーグ・アン 2012-13
個人成績 [編集]
クラブでの出場記録 [編集]
| シーズン | クラブ | リーグ | 国内リーグ | 国内カップ | 欧州カップ | その他 | 通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
| 1976–77 | パルマFC | セリエC | 1 | 0 | ||||||||
| 1977–78 | 21 | 8 | ||||||||||
| 1978–79 | セリエC1 | 33 | 5 | |||||||||
| 1979–80 | ASローマ | セリエA | 27 | 3 | ||||||||
| 1980–81 | 29 | 2 | ||||||||||
| 1981–82 | 5 | 0 | ||||||||||
| 1982–83 | 23 | 2 | ||||||||||
| 1983–84 | 9 | 0 | ||||||||||
| 1984–85 | 22 | 3 | ||||||||||
| 1985–86 | 29 | 0 | ||||||||||
| 1986–87 | 27 | 2 | ||||||||||
| 1987–88 | ACミラン | セリエA | 27 | 2 | ||||||||
| 1988–89 | 28 | 2 | ||||||||||
| 1989–90 | 24 | 3 | ||||||||||
| 1990–91 | 21 | 1 | ||||||||||
| 1991–92 | 12 | 2 | ||||||||||
| 通算 | イタリア | 338 | 35 | |||||||||
| 総通算 | 338 | 35 | ||||||||||
指導者としての成績 [編集]
- 2011年5月22日時点[6]
| クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 | |||||
| ACレッジャーナ1919 | 1995年 | 1996年 | 38 | 16 | 13 | 9 | 42.11 | ||
| パルマFC | 1996年 | 1998年 | 102 | 48 | 31 | 23 | 47.06 | ||
| ユヴェントスFC | 1999年 | 2001年 | 114 | 63 | 18 | 33 | 55.26 | ||
| ACミラン | 2001年11月6日 | 2009年5月31日 | 413 | 234 | 100 | 79 | 56.66 | ||
| チェルシーFC | 2009年7月1日 | 2011年5月22日 | 109 | 67 | 20 | 22 | 61.47 | ||
| パリ・サンジェルマンFC | 2011年12月30日 | 在任中 | — | ||||||
| 通算 | 776 | 428 | 182 | 166 | 55.15 | ||||
脚注 [編集]
- ^ “アンチェロッティ氏、チェルシーの新監督に”. ロイター. (2009年6月2日) 2012年1月2日閲覧。
- ^ ACミラン時代のライバルであるだけでなく、インテルの監督は元チェルシーの監督ジョゼ・モウリーニョだった。
- ^ “チェルシーがアンチェロッティ監督を解任”. UEFA.com. (2011年5月22日) 2012年1月2日閲覧。
- ^ “チェルシー アンチェロッティ監督の解任を発表”. AFP BB News. (2011年5月23日) 2012年1月2日閲覧。
- ^ “PSG新監督にアンチェロッティ氏”. UEFA.com. (2011年12月31日) 2012年1月2日閲覧。
- ^ (イタリア語)“Carlo Ancelotti Juventus Statistics”. 2008年11月7日閲覧。
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