西野朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
西野 朗 Football pictogram.svg
名前
カタカナ ニシノ アキラ
ラテン文字 NISHINO Akira
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1955年4月7日(56歳)
出身地 埼玉県浦和市(現:さいたま市
身長 182cm
体重 72kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
1978-1990 日立製作所
代表歴
1977-1978 日本の旗 日本 12(1)
監督歴
1991-1992
1994-1996
1998-2001
2002-2011
ワールドユース日本代表
アトランタ五輪日本代表
柏レイソル
ガンバ大阪
1. 国内リーグ戦に限る。現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj
ノートでこのテンプレートの色について意見を募集しています。

西野 朗(にしの あきら、1955年4月7日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。埼玉県立浦和西高等学校を経て1978年早稲田大学教育学部卒業

目次

[編集] 来歴

[編集] 選手時代

現役時代は主に攻撃的ミッドフィールダー(MF)として活躍。早稲田大学在学中から日本代表に選出された期待の逸材であったが、1978年日立製作所へ加入以降はプレーに精彩を欠き伸び悩む。その後、復活を果たし1985年に日本サッカーリーグタイ記録の8試合連続得点をあげベストイレブンにも選出された。また、晩年にはスイーパーを務める事もあった。しかし、選手としての西野は天才肌のMFである一方で淡白な部分があり、日立加入初年の1978年を最後に日本代表には呼ばれなかった。

[編集] 監督時代

1990年に現役引退後は指導者に転向。1991年からはワールドユース日本代表監督を務め、1994年に、アトランタオリンピック本大会出場を目指すオリンピック日本代表監督に就任。28年ぶりとなる本大会出場、本大会でのブラジル代表戦での勝利(マイアミの奇跡)で名を挙げる。しかし1次リーグで2勝を挙げながらも1次リーグ通過が叶わず、また大会中に中田英寿前園真聖らと戦術をめぐり対立するなどチームをまとめきれなかった課題も残された。

1998年に日立製作所を前身とする、古巣 柏レイソルの監督に就任し、1999年にはナビスコカップ優勝に導き、クラブ・西野自身にとって初のタイトルを獲得する。2000年はタイトルこそ獲得出来なかったが、2ndステージは鹿島アントラーズと最後まで優勝争いを繰り広げ、2位というクラブ史上最高の成績を残し(年間獲得勝ち点は1位であった)、自身初となるJリーグ最優秀監督に選ばれた。しかし、翌2001年の1stステージは6位に終わり、1stステージ終了後に解任される。

2002年から当時下位に低迷していたガンバ大阪の監督に就任。Jリーグ開幕以降タイトルと無縁だったクラブを上位グループに押し上げ、就任4年目の2005年にガンバと自身にとっても初となるJ1リーグ優勝を達成し(2005年J1最終節)、2度目のJリーグ最優秀監督賞を受賞。2006年は終盤まで、浦和と優勝争いを繰り広げるも、最終節での直接対決で敗れリーグ連覇を逃す。2007年にはナビスコカップ優勝を達成し、3月3日の大宮戦で、Jリーグの監督として史上初となるJ1通算150勝を達成(内訳:柏 67勝、G大阪 83勝)。

2008年にはAFCチャンピオンズリーグを制覇し、AFCからアジア最優秀監督に選ばれ、FIFAクラブワールドカップ2008準々決勝の対アデレード戦では、日本人監督としてFIFA主催の公式大会で初めて勝利を挙げた[1]。更に、天皇杯優勝を達成し、国内3大タイトルの全てを制覇した。またこの年、Jリーグクラブの監督在任最長期間記録(トニーニョ・セレーゾ 鹿島監督)を更新した。

2009年12月5日の千葉戦で、J1通算200勝を達成。更に、この年の天皇杯を制し、天皇杯連覇を達成した。

2010年は開幕前から怪我人が相次いだ影響などにより、前半戦は絶不調に陥るが、後半戦は持ち直し、リーグ2位に押し上げる。しかし、天皇杯3連覇を逃し、2006年以来4年ぶりにシーズン無冠に終わった。就任10年目で迎えた2011年も無冠に終わり同年限りで退任。

[編集] 指導者としての特徴・エピソード

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1978 日立 JSL1部 13 1
1979 12 0
1980 15 6
1981 8 1
1982 15 4
1983 18 2
1984 17 2
1985 22 12
1986-87 17 1
1987-88 JSL2部
1988-89 2
1989-90 32 JSL1部 6 0 0 0
通算 日本 JSL1部 143 29
日本 JSL2部
総通算

[編集] 代表歴

[編集] 出場大会など

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 12試合 1得点(1977年 - 1978年)


日本代表 国際Aマッチ その他 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1974 0 0 6 2 6 2
1975 0 0 0 0 0 0
1976 0 0 0 0 0 0
1977 4 0 23 3 27 3
1978 8 1 8 1 16 2
通算 12 1 37 6 49 7

[編集] 得点数

# 年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1 1978年7月21日 マレーシアクアラルンプール マレーシアの旗 マレーシア 1-4 敗戦 ムルデカ大会

[編集] 指導歴

[編集] 監督成績

年度 所属 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 得点 失点 順位
(チーム数)
ナビスコ杯 天皇杯 他公式戦 クラブ
ステージ 年間
1998年 J1 1st 17 22 9 - 8 32 35 10位 8位
(18)
4回戦敗退 予選敗退 - 柏レイソル
J1 2nd 17 25 9 - 8 24 26 8位
1999年 J1 1st 15 29 10 0 5 26 18 4位 3位
(16)
優勝 ベスト4 -
J1 2nd 15 29 10 1 4 23 18 4位
2000年 J1 1st 15 26 10 0 5 25 22 4位 3位
(16)
4回戦敗退 2回戦敗退 -
J1 2nd 15 32 11 1 3 23 10 2位
2001年 J1 1st 15 22 8 0 7 29 23 6位 6位
(16)
3回戦敗退 - -
J1 2nd - - - - - - - -
2002年 J1 1st 15 27 9 1 5 35 19 4位 3位
(16)
ベスト4 4回戦敗退 - ガンバ大阪
J1 2nd 15 27 10 0 5 24 13 2位
2003年 J1 1st 15 16 4 4 7 26 29 12位 10位
(16)
ベスト8 4回戦敗退 -
J1 2nd 15 23 6 5 4 24 17 7位
2004年 J1 1st 15 24 7 3 5 31 23 4位 3位
(16)
ベスト8 ベスト4 -
J1 2nd 15 27 8 3 4 38 25 3位
2005年 J1 34 60 18 6 10 82 58 優勝
(18)
準優勝 ベスト8 -
2006年 J1 34 66 22 6 8 80 48 3位
(18)
ベスト8 準優勝 スーパーカップ 準優勝
ACL2006 予選敗退
A3カップ2006 準優勝
2007年 J1 34 67 19 10 5 71 37 3位
(18)
優勝 ベスト4 スーパーカップ 優勝
2008年 J1 34 50 14 8 12 46 49 8位
(18)
ベスト4 優勝 パンパシ2008 優勝
スルガCS 準優勝
ACL2008 優勝
FCWC2008 3位
2009年 J1 34 60 18 6 10 62 44 3位
(18)
ベスト8 優勝 スーパーカップ 準優勝
ACL2009 ベスト16
2010年 J1 34 62 18 8 8 65 44 2位
(18)
ベスト8 ベスト4 スーパーカップ 準優勝
ACL2010 ベスト16
2011年 J1 34 70 21 7 6 78 51 3位
(18)
ベスト4 3回戦敗退 ACL2011 ベスト16
通算 437 - 239 69 129

※2001年は、J1 1st終了後に解任。

[編集] タイトル・受賞

[編集] クラブ

柏レイソル

ガンバ大阪

[編集] 受賞

[編集] CM出演

[編集] 脚注

  1. ^ 年代別、女子大会を除く

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語