長谷部誠
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|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | |||||||
| 愛称 | ハセ、マコ様 | ||||||
| カタカナ | ハセベ マコト | ||||||
| ラテン文字 | HASEBE Makoto | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1984年1月18日(28歳) | ||||||
| 出身地 | 静岡県藤枝市 | ||||||
| 身長 | 180cm[1] | ||||||
| 体重 | 72kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | |||||||
| ポジション | MF | ||||||
| 背番号 | 13 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月15日現在。 2. 2011年11月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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長谷部 誠(はせべ まこと、1984年1月18日 - )は、静岡県藤枝市出身のプロサッカー選手。ブンデスリーガ・VfLヴォルフスブルク所属。ポジションはMF。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
静岡県藤枝市出身、祖父が「誠」と命名。3歳のときにサッカーに触れ、幼少期にサンタクロースに「スーパーファミコンが欲しい」と願うも翌朝にサッカーシューズが届けられ「僕にはサッカーなんだ」と自答する。青島東小のスポーツ少年団、青島中サッカー部を経て静岡県の名門藤枝東高校に入学した。同期には岡田佑樹、金澤大将などがいる。2年の終わり頃からレギュラーとしてプレーした[2]。U-18日本代表候補への選出、全国総体準優勝などの実績はあるものの高校サッカー選手権出場は果たせなかった[3][4]。当時のコーチや対戦相手の監督からは能力は高いもののフィジカルが弱すぎると評価されていた。静岡のプロクラブへの入団を希望していたがオファーが届かず、県選抜でのプレーを見た浦和レッズのスカウトから誘いを受け[4]、この他には名古屋からも興味を示されていた[5]。
[編集] 浦和レッズ
高校卒業と同時に、浦和レッズに入団した。1年目はほとんど出場機会がなかったが、2年目の2003年にトップ下やボランチの選手として年間通して出場機会を得た。そして、3年目の2004年はシーズン当初こそ山瀬功治に代わってトップ下で出場していたが、シーズン中盤以降は鈴木啓太とダブルボランチを組み、浦和の2ndステージ優勝などに大きく貢献した。この年はナビスコカップ・ニューヒーロー賞、Jリーグ・ベストイレブンに選出された。
2005年から2007年の間も鈴木啓太と中盤の底でコンビを組み、Jリーグ優勝やAFCチャンピオンズリーグ優勝をはじめとした浦和のタイトル獲得にレギュラーとして貢献した。2005年末に初めて日本代表に選出されたが、2006年のワールドカップの代表メンバーからは漏れてしまう。その後、イビチャ・オシムが監督を務めると日本代表に復帰したが、2007年はシーズン序盤に負傷したこともあって代表選の出場機会は無く、同年12月に代表監督に再任した岡田武史に選ばれるまでは日本代表から遠ざかっていた。
[編集] ヴォルフスブルク
2008年1月1日、ドイツ・ブンデスリーガのVfLヴォルフスブルクに移籍。代理人は香川真司、内田篤人らと同じトーマス・クロート。2月、冬季中断明け初戦のビーレフェルト戦に後半開始から出場し海外リーグでのデビューを移籍後早々に果たした。同年4月27日のアウェーでのレバークーゼン戦でブンデスリーガ初ゴールを記録。短命ではあったがピエール・リトバルスキーがクラブ監督就任。リトバルスキーは長谷部に日本語で話しかけるが平等を保つ為、チームメートの手前ドイツ語での会話を要請、リトバルスキーも納得する。
移籍2シーズン目となる2008-09シーズンは昨シーズンまでのボランチに加え、右サイドハーフ、右サイドバックでもプレー。2009年3月28日に行われたFIFAワールドカップ・南アフリカ大会・アジア最終予選バーレーン戦の試合中の故障により、優勝争いも佳境に迫ったリーグ終盤戦に一時離脱するアクシデントがあったものの、クラブのドイツ国内主要大会初優勝に貢献した。このシーズン途中に移籍してきた大久保嘉人とともに、奥寺康彦以来31年ぶりにブンデスリーガ優勝を経験した日本人となった。
9月16日、UEFAチャンピオンズリーグの開幕戦であるCSKAモスクワ戦に途中出場し、日本人選手として5人目のUEFAチャンピオンズリーグ出場を果たした。また、レギュラーシーズンでは9月18日の第6節シャルケ04戦でエディン・ジェコの決勝ゴールをアシスト、9月26日の第7節ハノーファー96戦で今季初ゴールを決めるなどの活躍を見せ、2009-10シーズンはリーグ戦1得点6アシストを記録する。9月30日、CLグループリーグ第2節、アウェーでのマンチェスター・ユナイテッド戦ではスタメン出場し、後半11分に絶妙なクロスでジェコの先制ゴールをアシストした。
2011年9月17日、第6節のホッフェンハイム戦では右サイドバックとして出場するも、1点ビハインドでの後半35分にGKのマルヴィン・ヒッツがレッドカードで退場。チームは既に交代枠を使い切っていたため、長谷部が急遽GKを務めることになった。馴れないポジションでありながら、正確なロングフィードを出したり、クロスボールにも飛び出してキャッチするなど奮闘するも、後半40分に失点し、チームは1-3で敗戦した。尚、日本人が欧州5大リーグでGKを務めるのはこれが初めてであった。
[編集] 日本代表
2006年1月の代表合宿、2月のアメリカ遠征のサッカー日本代表に初選出された。2月11日、親善試合のアメリカ戦では後半途中から出場し、持ち味であるドリブル突破や試合終了間際に見せたスルーパスなど、デビュー戦ながら存在感を示した。2月22日のアジアカップ・予選のインド戦に先発し、後半13分に代表初得点を決めたかと思われたが、審判団の協議の結果、長谷部のシュートが巻誠一郎に当たって入っており巻のゴールとなった。2006年のFIFAワールドカップ・ドイツ大会のメンバーには選ばれなかった。イビチャ・オシムが日本代表監督に就任すると、再び代表に選出されたが、2007年以降は代表から漏れることも多くなり、出場も遠ざかった。
2008年5月15日、岡田武史監督の就任後初めて日本代表に選出。キリンチャレンジカップ第1戦(対コートジボワール)に出場し、前半、右サイドを駆け上がっての絶妙なセンタリングで、同じく代表に復帰した玉田圭司のゴールをアシスト。1-0の勝利に大きく貢献した。以後の代表戦において、遠藤保仁とのダブルボランチを形成しレギュラーに定着する。
2009年6月6日、ワールドカップ出場権獲得に王手をかけた、2010 FIFAワールドカップ・アジア最終予選アウェーでのウズベキスタン戦にスタメン出場。この試合は1対0で勝利し、4大会連続4度目のW杯出場を決めた。
11月18日、AFCアジアカップ最終予選の香港戦で代表初ゴールを挙げた。
2010年5月10日、南アフリカにおいて開催された2010 FIFAワールドカップの日本代表メンバーに選出。岡田は長らくキャプテンを務めていた中澤佑二に代えて長谷部をキャプテンに指名、長谷部は納得がいかず岡田に任を解いてもらおうと直談判。ひと通り長谷部の話を聞いた岡田は、長谷部を退室させ中澤と岡田の二者で会談を行い(会話内容は不明)以降、長谷部が代表キャプテンを継ぐ事になった。W杯ではグループリーグ3試合と決勝トーナメント1回戦に先発出場し、日本代表のベスト16入りに貢献した。
10月8日、国際親善試合のアルゼンチン戦では、岡崎慎司の決勝点の起点となる強烈なミドルシュートを放つなど活躍し、日本代表の歴史的勝利に貢献した[6]。
2011年1月、カタールで開催されたAFCアジアカップ2011では、全6試合にフル出場し、日本代表の2大会ぶりのアジア制覇に貢献。グループリーグのシリア戦では先制点を挙げた。
[編集] プレースタイル
終盤まで衰えない豊富な運動量を備えたセンターハーフ。献身的なプレスでボール奪取に貢献し、裏をつく長距離ドリブルと絶妙なスルーパスで決定機を演出する。サイドでの起用に対しても質の高いプレーで応えるなど、高い戦術理解力を持っている。浦和レッズ時代は繊細なボールタッチを持ち味とする司令塔として活躍したが、ヴォルフスブルク移籍を機に好守両面でハードワークに徹する万能型プレーヤーへと進化した。持ち前のテクニックに加え、欧州仕様のフィジカルと対人プレーの強さを体得し、守備でも危険察知力、カバーリングが成長した[7][8][9]。
[編集] エピソード
- ゴールを決めたときに天に向かって人差し指を突き上げるゴールパフォーマンスをする。これはプロ1年目のときに亡くなった祖父を想ってのことである。祖父は長谷部が大学進学かプロ入りかを迷っていたとき、周囲がプロ入りに反対する中でも「男なら挑戦してみろ」と背中を押してくれたという[10]。
- 非常に真面目で几帳面な性格として知られ、代表メンバーの間ではネタとして真面目な話をしている人に対して「長谷部かっ」と言うツッコミを入れるギャグまで生まれた。
- 好きなアーティストはMr.Childrenで、ブログにて好きな曲ベスト10を発表している[11]。長谷部を特集した2011年7月10日放送の「ソロモン流」の中で、桜井和寿との対談が実現している。
- 2010年7月、ワールドカップ南アフリカ大会の活躍により、藤枝市スポーツ栄誉顕彰を授与された[12]。
- 2011年3月に幻冬舎から出版した自己啓発書『心を整える。』から得た印税は全額を同月に発生した東日本大震災の支援のために日本ユニセフに寄付することを決めた[13]。本は9月までに100万部を売り上げ、スポーツ選手の著書としては初のミリオンセラーとなった[14]。
- 小学生の頃、日本平スタジアム(現アウトソーシングスタジアム日本平)に、清水エスパルスの試合をよく観戦しに行っており、エスパルスサポーターが集まるゴール裏でエスパルスの応援をしていた。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 2002年 - 2007年
浦和レッドダイヤモンズ - 2008年 - 現在
VfLヴォルフスブルク
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2002 | 浦和 | 32 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
| 2003 | 17 | 28 | 2 | 9 | 1 | 1 | 1 | 38 | 4 | ||
| 2004 | 27 | 5 | 8 | 2 | 4 | 2 | 39 | 9 | |||
| 2005 | 31 | 2 | 9 | 2 | 5 | 2 | 45 | 6 | |||
| 2006 | 32 | 2 | 6 | 0 | 4 | 1 | 42 | 3 | |||
| 2007 | 31 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 34 | 1 | |||
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 2007-08 | ヴォルフスブルク | 13 | ブンデス1部 | 16 | 1 | - | 1 | 0 | 17 | 1 | |
| 2008-09 | 25 | 0 | - | 2 | 0 | 27 | 0 | ||||
| 2009-10 | 24 | 1 | - | 1 | 0 | 25 | 1 | ||||
| 2010-11 | 23 | 0 | - | 1 | 0 | 24 | 0 | ||||
| 2011-12 | 9 | 1 | - | 1 | 0 | ||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 149 | 12 | 35 | 5 | 15 | 6 | 199 | 23 | |
| ドイツ | ブンデス1部 | 88 | 2 | - | 5 | 0 | 93 | 2 | |||
| 総通算 | 237 | 14 | 35 | 5 | 20 | 6 | 292 | 25 | |||
その他の公式戦
- 2004年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2006年
- スーパーカップ 1試合0得点
| 国際大会個人成績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
| 2007 | 浦和 | 17 | 11 | 2 | 3 | 0 |
| UEFA | UEFA EL | UEFA CL | ||||
| 2008-09 | ヴォルフスブルク | 13 | 6 | 1 | - | |
| 2009-10 | 2 | 0 | 6 | 0 | ||
| 通算 | AFC | 11 | 2 | 3 | 0 | |
| 通算 | UEFA | 8 | 1 | 6 | 0 | |
その他の国際公式戦
- 2007年
- A3チャンピオンズカップ 3試合1得点
[編集] 経歴
- 公式戦初出場:2002年5月12日 ナビスコカップ vs名古屋グランパス (駒場スタジアム)
- 公式戦初得点:2003年7月2日 ナビスコカップ vs東京ヴェルディ1969 (味の素スタジアム)
- A代表初出場:2006年2月11日 親善試合 vsアメリカ (アメリカ・サンフランシスコ/SBCパーク)
- A代表初得点:2009年11月18日 AFCアジアカップ2011 (予選) vs香港 (香港/香港スタジアム)
[編集] タイトル
[編集] クラブ
浦和レッズ
- AFCチャンピオンズリーグ : 2007年
- Jリーグ : 2006年
- 天皇杯 : 2005年、2006年
- ナビスコカップ : 2003年
- XEROX SUPER CUP : 2006年
VfLヴォルフスブルク
[編集] 代表
[編集] 個人
- ナビスコカップ・ニューヒーロー賞 (2004年)
- Jリーグ・ベストイレブン 1回 (2004年)
- Jリーグアウォーズ・優秀選手賞 4回 (2004年 - 2007年)
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会
- 2002年 ノキア・デビテル杯 (U-19日本代表)
- 2003年 トゥーロン国際大会 (U-20日本代表)
- 2010年 2010 FIFAワールドカップ (日本代表)
- 2011年 AFCアジアカップ2011 (日本代表)
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 52試合 2得点 (2006年 -)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2006 | 6 | 0 |
| 2007 | 0 | 0 |
| 2008 | 10 | 0 |
| 2009 | 11 | 1 |
| 2010 | 10 | 0 |
| 2011 | 15 | 1 |
| 通算 | 52 | 2 |
[編集] ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2009年11月18日 | 香港 | ○4-0 | AFCアジアカップ2011最終予選 | |
| 2. | 2011年1月13日 | カタール | ○2-1 | AFCアジアカップ2011 |
[編集] 書籍
- 2011年3月 『心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣』 (幻冬舎) ISBN 978-4344019621
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 長谷部誠オフィシャルブログ
- ^ 広報ふじえだ、2009年5月20日
- ^ W杯アジア地区最終予選 Jで成長の県勢がけん引、中日新聞、2009年6月7日
- ^ a b 挑む県勢(5) 浦和 長谷部誠(22) 日本サッカーの新星、静岡新聞、2006年5月1日
- ^ 『スポーツパラダイス』(静岡朝日テレビ、2009年6月18日放送)
- ^ キャプテン・長谷部、V弾呼ぶ強烈ミドルサンスポ、2010年10月9日
- ^ 長谷部誠 Number Web
- ^ 長谷部 誠 OCNスポーツ
- ^ 17長谷部 誠 Number Web
- ^ 岡田Jの心臓・長谷部 背中押してくれた祖父に誓う活躍、朝日新聞、2010年6月15日配信、9月3日閲覧。
- ^ Mr.Children、GUAPOオフィシャルブログ、2010年4月23日
- ^ 藤枝市、長谷部をスポーツ栄誉顕彰…市民に感動読売新聞、2010年7月3日
- ^ 長谷部 7万超え自著の印税全額を寄付へスポニチ、2011年3月27日
- ^ 長谷部誠選手:著書「心を整える」が100万部突破 スポーツ選手の著作で初まんたんウェブ、2011年9月15日
[編集] 外部リンク
- VfLヴォルフスブルク公式サイトのプロフィール (ドイツ語)
- JFA公式サイトのプロフィール
- 長谷部誠オフィシャルブログ
- GUAPOオフィシャルブログ カテゴリ「長谷部誠ブログ」 - Ameba
- 代理人:トーマス・クロート日本公式サイト
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