長谷部誠

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長谷部 誠
名前
愛称 ハセ、マコ様、まこっちゃん
カタカナ ハセベ マコト
ラテン文字 HASEBE Makoto
基本情報
国籍 日本
生年月日 1984年1月18日(25歳)
出身地 静岡県藤枝市
身長 179cm
体重 72kg
血液型 O型
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 VfLヴォルフスブルク
ポジション MF
背番号 13
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
2002-2007
2008-現在
日本の旗 浦和レッズ
ドイツの旗 ヴォルフスブルク
149 012
041 001
代表歴2
2006 - 日本 21 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年6月1日現在。
2. 2009年6月6日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

長谷部 誠(はせべ まこと、1984年1月18日 - )は、静岡県藤枝市生まれのサッカー選手ポジションMFブンデスリーガ1部、VfLヴォルフスブルク所属。2006年から日本代表に選出されている。

目次

[編集] プレースタイル

本来のポジションは中盤の攻撃的MFだが、守備的MFやサイドもそつなくこなす。

最大の武器は低い位置からペナルティエリア内へと侵入する切れ味鋭いドリブル。相手チームの守備の網をスルスルと突破し、決定的なスルーパスやミドルレンジからのシュートを繰り出す。長距離をドリブルして突破する能力が高く、2004年のジュビロ磐田戦の後半ロスタイムや2005年天皇杯準決勝・大宮アルディージャ戦の延長戦前半などでは、疲れをものともしない高速かつ巧みなドリブルで独走してシュートを決めるという、印象的なプレーを見せている[要出典]

運動量豊富で守備にも非常に献身的で、特にヴォルフスブルク移籍後はサイドアタッカーも任され、チェックの強さや素早いカバーリングなど守備の能力が年々向上している。

試合中には、相手選手のファールレフリーの微妙な判定に対して過剰とも思える反応を見せることもある。

[編集] 来歴

出身は静岡県藤枝市。3歳のときにサッカーをはじめ、青島東小のスポーツ少年団、青島中サッカー部を経て静岡県の強豪藤枝東高校に入学した。同期に岡田佑樹栃木SC)、金澤大将水戸ホーリーホック)などがいる。2年のおわり頃からレギュラーとしてプレーした[1]。U-18日本代表候補への選出、全国総体準優勝などの実績はあるものの高校選手権出場は果たせず全国的には無名の存在だった[2] [3]。当時のコーチや対戦相手の監督からは能力は高いもののフィジカルが弱すぎると評価されていた。静岡のプロクラブへの入団を希望していたがオファーが届かず、県選抜でのプレーを見た浦和の宮崎義正スカウトの誘いを受けた[3]。このほかには名古屋グランパスからも興味を示されていた[4]

卒業と同時に2002年浦和に入団した。そのシーズンはほとんど出番はなかったが、2年目の2003年にレギュラーをつかむ。U-20ワールドユース日本代表に選出されていたが控え扱いであったため、「長谷部ほどの選手が控えなんて理解できない」と浦和サイドが引き止め、代表を辞退している。3年目の2004年はナビスコカップ・ニューヒーロー賞、Jリーグ・ベストイレブンに選出され、レッズサポーターが選ぶ2004年MVPにも選ばれるなどの活躍をした。

2006年1月の代表合宿、2月のアメリカ遠征のサッカー日本代表に初選出された。アメリカ戦では後半途中からの出場ながら、持ち味であるドリブル突破や試合終了間際に見せたスルーパスなど、デビュー戦ながら存在感を示した。2月22日のアジアカップ予選ホームのインド戦に先発し、後半13分に代表初得点を決めたかと思われたが、審判の協議の結果、長谷部のシュートが巻に当たって入っており巻誠一郎のゴールとなった。ドイツW杯のメンバーには選ばれなかったが、イビチャ・オシムが監督就任後は再び代表に選出された。

2008年1月、ドイツ・ブンデスリーガ1部のVfLヴォルフスブルクに移籍。ヴォルフスブルグ初の日本人選手となった。2月、冬季中断明け初戦のビーレフェルト戦に後半開始から出場し海外リーグでのデビューを移籍後早々に果たした。同年4月27日のアウェーでのレヴァークーゼン戦でブンデスリーガ初ゴールを記録。

同年5月、岡田武史監督の就任後初めて日本代表に選出。キリンチャレンジカップ第1戦(対コートジボワール)に出場し、前半、右サイドを駆け上がっての絶妙なセンタリングで、同じく代表復帰した玉田圭司のゴールをアシスト。1-0の勝利に大きく貢献した。以後の代表戦において、右ボランチのポジションに定着している。

移籍2シーズン目となる2008-09シーズンは前年までのボランチに加え、右サイドハーフ、右サイドバックでもプレー。チームの圧倒的な攻撃力を支えてクラブのドイツ国内主要大会初優勝に貢献した。このシーズン途中に移籍してきた大久保嘉人とともに、奥寺康彦以来31年ぶりにブンデスリーガ優勝を経験した日本人となった。

2009年6月6日、2010FIFAワールドカップ(以下W杯)出場権獲得に王手をかけた、アジア地区最終予選アウェーでのウズベキスタン戦にスタメン出場。後半44分に一発退場となるが、中盤の低い位置からのドリブル突破や、自陣ゴール前まで戻ってのカバーリングなど、攻守に貢献し続けた。この試合、日本は終始極端にウズベキスタン寄りのジャッジに苦戦を強いられるも、結果的に1-0で勝利。4大会連続4度目のW杯出場を、開催国である南アフリカを除いて世界最速で決める原動力となった。

[編集] アラカルト/エピソード

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] 経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2002 浦和 32 J1 0 0 1 0 0 0 1 0
2003 浦和 17 J1 28 2 9 1 1 1 38 4
2004 浦和 17 J1 27 5 8 2 4 2 39 9
2005 浦和 17 J1 31 2 9 2 5 2 45 6
2006 浦和 17 J1 32 2 6 0 4 1 42 3
2007 浦和 17 J1 31 1 2 0 1 0 34 1
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2007-08 ヴォルフスブルク 13 ブンデス1部 16 1 - 1 0 17 1
2008-09 ヴォルフスブルク 13 ブンデス1部 25 0 - 2 0 27 0
通算 日本 J1 149 12 35 5 15 6 199 23
ドイツ ブンデス1部 41 1 - 3 0 41 1
総通算 190 13 35 5 18 6 243 24

[編集] チームタイトル

[編集] 個人タイトル

[編集] 出場大会

[編集] 代表歴

  • U-19日本代表(2002年)
  • U-20日本代表(2003年)

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 21試合 0得点(2006 -)


国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2007 浦和 17 11 2 3 0
UEFA UEFA杯 UEFA CL
2008-09 ヴォルフスブルク 13 6 1 -
通算 AFC 11 2 3 0
通算 UEFA 6 1 -
日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2006 6 0
2007 0 0
2008 10 0
2009 5 0
通算 21 0

[編集] 関連項目

[編集] 参照

  1. ^ 広報 藤枝、2009年5月20日
  2. ^ W杯アジア地区最終予選 Jで成長の県勢がけん引中日新聞、2009年06月07日
  3. ^ a b 挑む県勢(5) 浦和 長谷部誠(22) 日本サッカーの新星静岡新聞、2006年05月01日
  4. ^ スポーツパラダイス、静岡朝日テレビ、2009年6月18日放送

[編集] 外部リンク