出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
|
| 基本情報 |
| 国籍 |
日本 |
| 生年月日 |
1967年6月15日(42歳) |
| 出身地 |
東京都小平市 |
| ラテン文字 |
Motoko Obayashi |
| 身長 |
182cm |
| 体重 |
非公表 |
| 選手情報 |
| ポジション |
WS |
| 利き手 |
左 |
|
■テンプレートの解説
|
大林 素子(おおばやし もとこ、1967年6月15日 - )は、日本バレーボール協会テクニカル委員(元バレーボール全日本代表選手)、神戸親和女子大学発達教育学部ジュニアスポーツ教育学科客員教授、スポーツキャスター・タレント。ホリプロ所属。東京都小平市出身。血液型O型。身長182cm。体重は非公表。
[編集] 来歴
中学生のときに陸上競技の選手だった母親の後押しもありバレーボールを始める。たまたま家が日立の練習場に近かったこともあり、当時の日立の監督であった山田重雄にファンレターを出した。すると山田から「良かったら練習を見に来てください。」と返事が来て、それがきっかけでたびたび日立の練習場に見学に行くようになった。
1983年、八王子実践高等学校に進学。第15回(1984年)春の高校バレーは3位、第16回(1985年)春の高校バレーは準優勝であった。1985年、高校在学中に全日本代表初選出。同年のワールドカップで国際大会デビューを果たす。
1986年、当時実業団のトップチームであった日立に入団。1989年ワールドカップで、膝の半月板損傷、右足首の靭帯断裂という大怪我をしたため、ベンチ入りはしたもののコートに立つ機会はなかった。その後は高身長もあって、山内美加等とともに全日本女子チームの攻撃の要として活躍した。
1994年7月、日立の他の選手と共にプロ契約を求めて辞表を出し、話し合いを経て撤回した。
11月、チームの内紛に端を発した騒動で吉原知子とともに日立を解雇される[1]。Vリーグ発足の翌日のことであった。1995年1月、日本人初のプロバレーボール選手としてイタリア・セリエAのアンコーナと契約し5か月にわたってプレーした後、同年5月に帰国。 帰国後はダイエー・オレンジアタッカーズ入りが有力視されていたが、代理人問題で二転三転した末に東洋紡オーキスとプロ契約した。1996年アトランタ五輪に出場後、Vリーグで1シーズンプレーし、1997年3月に現役引退した。
現在はスポーツキャスター・タレント等で幅広く活躍しているほか、バレーボール中継解説やVAS(バレーボールアドバイザリースタッフ)として後進の指導に加え、日本バレーボール協会テクニカル委員、日本スポーツマスターズ委員会シンボルメンバー、日本スポーツ少年団委員などの要職に就いている。
またモータースポーツとの関わりも深く、カーレースの国内A級ライセンス、MFJ PITCREW LICENCEを取得しているほか、2001年には「大林アタッカーズ」の名称で女性ばかりのレーシングチームを結成して鈴鹿1000kmに参戦、同チームの監督を務めた(2003年にはチーム名を「レディスD」と改め再挑戦している)。またフジテレビのF1グランプリ中継のピットレポーターを務めたこともあり(1996年)、スカパー!のフジテレビチャンネルでは『モータースポーツパラダイス』(2001年 - 2005年)→『F1GPニュース』(2005年 - 現在)の司会を務めている。
2008年4月より、神戸親和女子大学発達教育学部に新設されたジュニアスポーツ教育学科客員教授に就任した。
[編集] プレースタイル
182cmの身長とサウスポーを生かした攻撃には定評があり、センター、セッター、レフトの後ろをコートの右端から左端まで走り抜けて打つブロード攻撃はモトコスペシャルと呼ばれ世界中の選手から恐れられた。
[編集] 人物・エピソード
- 松田聖子のファンで、ソウル五輪出場当時は「聖子ちゃんカット」にしていた。
- 2001年、つんくのプロデュースで身長175cm以上のアイドルユニット「デカモニ。」として歌手デビューした。ただしメンバーは大林のみで、実質的には大林のソロプロジェクトだった。
- 一時期芸能人女子フットサルチーム「XANADU loves NHC(ザナドゥー ラブズ エヌエイチシー)」に所属していた。
- スポーツキャスターの仕事がきっかけで、小型船舶4級免許、華道池坊奥伝免許、けんだま8級の資格を持つ。
- 2006年、Air studio公演「GENJI〜最後の源氏〜」(東京芸術劇場・藤森一朗演出)では役者として、北条政子を演じた。
- お笑いに精通しており、吉本興業のさまざまな芸人と縁が深く、その関係でよく関西ローカルのバラエティー番組にゲスト出演している。芸人が出演している地方の番組にも興味を示し、次長課長が地元である岡山のローカル局で司会を務めていた番組のテープを見たさにキー局に懇願したというエピソードもある。大林のお笑い好きはM-1グランプリ2006に観戦者として出演したとき、今田耕司に「あなた、たむけんファミリーですよね?」と言われるほどである。
- 今田のこの発言は、2008年、全日本男子が16年ぶりの五輪出場を決めた夜に放送された『着信御礼!ケータイ大喜利』(NHK)で大林が回答読み上げゲストとして出演した際にも飛び出した。
- 『関口宏の東京フレンドパークII』(TBSテレビ)のアトラクション「ウォールクラッシュ」で、女性で唯一のCLEAR到達達成者である(2008年3月現在)。
- ブルマー愛好家であり、現役時代、ハイレグ仕様に改造したブルマーを、ノーパン直穿きで(あるいはTバックショーツの上に)、着用していたことを後に自らテレビ番組で明かした。また彼女は、ブルマーを見たいという気持ちから女子バレーを見るようになると述べていた。
- 先輩の中田久美には離婚歴がある(現在は独身)が、大林は今に至るまで未婚。その所為もあるのか、引退後からバレーボール関連番組に精力的に出演している。中田がかつて大林が属していたイタリア・セリエAでコーチとなってからは、テレビ中継女子解説陣の筆頭格となった。
[編集] 球歴・受賞歴
- 八王子実践高等学校→日立ベルフィーユ(1986-1994年)→アンコナ(イタリア)(1995年)→東洋紡(1995-1997年)
- 全日本代表 - 1985-1996年
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
- 受賞歴
- 1987年 - 第20回日本リーグ ベスト6
- 1988年 - 第21回日本リーグ 敢闘賞、猛打賞、ベスト6
- 1989年 - 第22回日本リーグ 殊勲賞、スパイク賞、ベスト6
- 1990年 - 第23回日本リーグ サーブ賞
- 1991年 - 第24回日本リーグ スパイク賞、ベスト6
- 1992年 - 第25回日本リーグ ベスト6
- 1993年 - 第26回日本リーグ 殊勲賞、ベスト6
- 1994年 - 第27回日本リーグ 殊勲賞、スパイク賞、ベスト6
- 1996年 - 第2回Vリーグ ベスト6
- 1997年 - 第3回Vリーグ 敢闘賞、特別賞
- 2007年 - 2006-07プレミアリーグ Vリーグ栄誉賞
[編集] 著書
[編集] 出演
- ドラマ
- その他の番組
- 舞台
- GENJI~最後の源氏~ 北条雅子役 東京芸術劇場小ホール1 2006年10月12日~15日
- 夏の夜の夢 タイテーニア役 東京芸術劇場小ホール1 2007年5月10日~13日
- SOHJIそうぢ! お光津役 本多劇場 2008年1月19日~27日
- Kiss Me You~がんばったシンプー達へ~ 大山ハナ役 全労済ホール スペース・ゼロ 2008年5月8日~13日
- 鎌倉鶴岡八幡宮奉納ライブ2008 歌神実朝公 朗読 鶴岡八幡宮舞殿 2008年10月18日
- 空間ゼリーの夏の夜の夢 タイテーニア役 東京芸術劇場小ホール2 2008年12月13日~21日
- 苦情の手紙 アパートの下に住む女役 博品館劇場 2009年2月14日
[編集] 音楽作品
- 5000枚限定販売
[編集] 脚注及び参照
- ^ 大林素子 『バレーに恋して』 講談社
- ^ バレーボール監修も兼任
[編集] 外部リンク
バレーボール全日本女子 1985年ワールドカップ |
|
|
|
|
バレーボール全日本女子 1989年ワールドカップ |
|
|
|
|
バレーボール全日本女子 1990年世界選手権 |
|
|
|
|
バレーボール全日本女子 1991年ワールドカップ |
|
|
|
|
バレーボール全日本女子 1992年バルセロナ五輪 |
|
|
|
|
バレーボール全日本女子 1994年世界選手権 |
|
|
|
|
バレーボール全日本女子 1995年ワールドカップ |
|
|
|
|
バレーボール全日本女子 1996年アトランタ五輪 |
|
|
|
|