山本愛
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| 基本情報 | |||
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| 国籍 | |||
| 生年月日 | 1982年3月24日(27歳) | ||
| 出身地 | 宮城県仙台市 | ||
| ラテン文字 | Ai Yamamoto | ||
| 身長 | 184cm | ||
| 体重 | 71kg | ||
| 血液型 | O型 | ||
| 選手情報 | |||
| 所属 | JTマーヴェラス | ||
| コートネーム | ユウ | ||
| ポジション | MB | ||
| 利き手 | 右 | ||
| 最高 到達点 |
スパイク | 310cm | |
| ブロック | 305cm | ||
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■テンプレートの解説 |
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山本 愛(やまもと あい、旧姓:大友、1982年3月24日 - )は、日本の女子プロバレーボール選手。宮城県仙台市出身。ニックネームはユウ。プレミアリーグ・JTマーヴェラスに所属。
目次 |
来歴
中学校1年生からバレーボールを始め、当時のバレーボール部監督にその素質を見出される。中学、高校時代チームとしての全国大会出場は無かったが、中学時代全国都道府県対抗中学バレーボール大会に、宮城県代表として出場しオリンピック有望選手に選出。高校3年生時には世界ユース選手権優勝、アジアユース選手権準優勝(ベストサーブ賞)を経験した。
2001年、NECレッドロケッツに入団。同年全日本代表に初選出され、ワールドグランプリで代表デビューを果たす。
2003年、柳本晶一監督率いる全日本代表の候補に選ばれたが、大山加奈・栗原恵の次世代エースの台頭もありチームに馴染めず、自ら代表入りを辞退した。しかし、母と祖父の相次ぐ他界を機に、再挑戦を決意。2004年、アテネオリンピック世界最終予選前に全日本代表へ復帰。2大会ぶりとなる五輪出場権獲得に貢献。アテネオリンピックでは、世界初のバックブロード(後衛の移動攻撃)を決めた。
2006年1月、ビーチバレーボール選手山本辰生と結婚、妊娠2か月であることを発表。同年3月、NECレッドロケッツを退団。同年8月、第一子となる長女を出産。
その後「山本愛」の名前で、ジャンクSPORTSなどのTV番組に出演していた。
2008年4月、久光製薬スプリングスに入団し、2年ぶりに現役に復帰。2008-2009シーズン、Vプレミアリーグで全試合スタメン(センター)出場。チームの準優勝に貢献。シーズン終了をもって久光製薬スプリングスを退団。
2009年7月、JTマーヴェラスに入団。
プレースタイル
本来のセンターのポジションに加えて、ライトとして試合に出場する機会が増え、前衛・後衛のどちらからも攻撃に参加した。全日本女子では唯一のバックブロードを打てる選手として柳本監督の信頼も厚かった。
人物・エピソード
- 2005年ワールドグランプリでエース・アタッカーとして活躍し、全国的人気を博した。同大会でのキャッチコピーは「勝利を呼ぶワンダーガール」。決勝ラウンドが出身地の仙台市で開催されたこともあり、地元仙台では、福原愛、宮里藍と共に「仙台の3大 "あいチャン"」と呼ばれていた。しかし強豪ブラジルを相手に勝利を決める場面でサーブミスを起こし、結果大金星を逃す遠因を作った。その後も度々重要な場面でのサーブミスに苦しんでいた。
- 2005年秋には現役全日本女子バレーボール選手として初めて写真集、DVDを出版した。同時期、写真週刊誌にプライベートの写真が掲載されるなどして世間の関心を集めた。
- 雑誌に「全日本に選ばれながら武器が無い」と書かれたことに奮起し、高いトスを打てるようにして自分の「武器」にした。[1]
球歴・受賞歴
- 所属チーム履歴
- 将監中→仙台育英学園高等学校→NECレッドロケッツ(2001-2006年)→久光製薬スプリングス(2008年)→JTマーヴェラス(2009年)
- 全日本代表 - 2001-2002年、2004-2005年
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
- 受賞歴
- 2000年 - 第7回Vリーグ 新人賞
- 2002年 - 第51回黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会 ベスト6
- 2005年 - 第54回黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会 ベスト6
- 2009年 - 第58回黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会 ベスト6
写真集・DVD
- 写真集
- 大友愛「I Love …」(扶桑社) ISBN 4594049877
- DVD
- 大友愛「You Are My …」(ポニーキャニオン)
脚注
- ^ 2008年9月7日、ジャンクSPORTS(フジテレビ系)
外部リンク
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