木村沙織

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木村 沙織
Saori Kimura
東レ・アローズ  No.3
Volleyball (indoor) pictogram.svg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1986年8月19日(27歳)
出身地 埼玉県八潮市
ラテン文字 Saori Kimura
身長 185cm
体重 68kg
血液型 O型
選手情報
所属 東レ・アローズ
愛称 サオリ
ポジション WS
指高 233cm
利き手 右(足は左利き)
スパイク 304cm
ブロック 293cm
 
獲得メダル
グラチャン
2013 女子バレーボール
オリンピック
2012 女子バレーボール
世界選手権
2010 女子バレーボール
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木村 沙織(きむら さおり、女性、1986年8月19日 - )は、日本のプロバレーボール選手。ニックネームはサオリマネジメント契約先はスポーツビズ

来歴

幼少期

埼玉県八潮市生まれ。その後父親の仕事の都合で大阪、東京と転々とした後、東京都あきる野市の多西小に通う。バレーボールをしていた両親(特に母親)の影響を受け、小学校2年生の時に秋川JVCに入団し、バレーボールを始める。秋川JVCは守備練習中心のチームで、この頃レシーブ練習を数多くこなした事が、現在のレシーブ力に生かされていると本人は言っている。チームでは主にレフトを務め、小学校6年生時には東京新聞杯で優勝している。小学校4年生の頃に「週末に思う存分友達と遊んでみたい」との理由で2週間ほどチームを辞めているが、バレーボールから離れたのはこの期間だけである。

中学時代

中学校は名門、成徳学園中学校に進学。ここで大山加奈荒木絵里香大山未希など、以後チームメイトとなる選手達と出会う。中学校入学時には163cmとさほど高くはなかった身長は、中学3年間で約15cmも伸びた。以後ポジションはセンターとライトを務める事が多くなり、主力選手として全日本中学校バレーボール選手権大会優勝、全国都道府県対抗中学バレーボール大会(アクエリアスカップ)でJOC杯受賞。Bクイックは得意技と言えるほどに上達し、プレーに幅が出た。

中学校2年生の頃、バレー人生で初の骨折(左手中指の付け根)。全治2週間と軽度だったため大事には至らなかった。

高校時代

2002年、バレーの名門として知られる成徳学園高校(現・下北沢成徳高等学校)に進学。高校2年生になるとライトで主力選手となり、2003年春高バレーで優勝を収め、成徳の2連覇に貢献した。同年8月開催のインターハイは3位に終わり連覇を逃したが、インターハイ閉幕と同時に全日本代表から強化合宿に招集され、同年9月のアジア選手権に出場。当初はセッター登録であった。そして11月開催のワールドカップに故障の鈴木洋美の代役として出場した。

12月の全国私学大会で下北沢成徳高は大会初の3連覇を達成。2004年春高バレーでは大会3連覇を目指し決勝に進出したが、第1セット、スパイクを決めた直後に味方選手である横山友美佳と接触し転倒、右足首を捻挫。応急処置を施したのちに足を引きずりながらプレーを続行したが、結局九州文化学園に1-3で敗戦し準優勝であった。

2004年アテネオリンピック最終予選で再度全日本代表に招集され、初戦のイタリア戦で代表初スタメン出場を果たし、14得点をマークすると共に持ち前の性格とあどけない笑顔で「スーパー女子高生」の呼び名でブレイクした。全日本女子チーム2大会ぶりのオリンピック出場に大きく貢献した。

6月にインターハイ関東予選に出場したが予選敗退。全日本ヨーロッパ合宿に招集されイタリア4ヵ国対抗戦などに出場。7月からは1ヵ月にわたるワールドグランプリに出場するも、日本は予選落ち。目立った活躍は出来なかった。

アテネオリンピック8月14日からの開幕であったが、腰の状態は最悪で立つこともままならない状態だった(アテネで他競技のトレーナーから椎間板ヘルニアと診断された)。そのため出場機会がほとんど無いまま、初めてのオリンピックを終えた。しかし、決勝戦の中国ロシア戦を会場で観戦し最高峰のプレーを目の当たりにした事で、初めてメダルへの執着心が生まれる。

オリンピック終了後、スリランカで開催されたアジアジュニア選手権に出場。2004年12月、高校最後の大会となる全国私学大会の頃には腰痛がさらに悪化していた。決勝戦の第2セット終盤に出場するが、得点を決めることなく自身の高校バレー生活に幕を閉じた。

東レ時代

2005年7月開催の女子ジュニア世界選手権U-20では、全試合レギュラー出場し得点王に輝き、復活を遂げる。9月1日からのアジア選手権では、当時イタリアリーグへ派遣移籍していたNECレッドロケッツ高橋みゆきの代役を担ってエースとして活躍した。

自身初のリーグとなった第12回Vリーグでは、開幕戦ライトでスタメン出場を果たす。この試合でのアタック決定率はチームトップの52.0%、サービスエースも2本決め、初白星に貢献。その後もレフト・ライトでスタメン出場を続け、リーグ前半のチーム快進撃の原動力となった。リーグ後半に入ると、アタック決定率は比較的安定していたが、サーブを集中して狙われ、攻撃パターンを封じられた。また腰痛の影響からかキャッチの不安定さもみられたが、アタック決定率リーグ6位、サーブ効果率リーグ9位という成績で新人賞を受賞した。

2006年世界選手権出場、2007年アジア選手権では日本の優勝に大きく貢献し、ベストサーバー賞を獲得。同年ワールドカップに出場した。

2007年天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会で優勝し初代チャンピオンとなった。

2008年、 2007-08プレミアリーグにおいて東レのリーグ初優勝に貢献し、ベスト6賞を獲得した。同年8月、北京オリンピックに出場した。

2009年、 2008-09プレミアリーグにおいて女子史上初の二連覇に貢献し、前年に引き続きベスト6賞を獲得した(日本人ベストスコアラー)。同年5月、第58回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会で優勝し、自身初となる黒鷲賞(最高殊勲選手)とベスト6賞を獲得した。

妹・木村美里も2010年より同チームに所属している。

2010年、 2009-10プレミアリーグにおいて女子史上初の三連覇に貢献し、自身初のMVPに輝くとともに、3年連続ベスト6賞を獲得した。また、熊前知加子の持つ最多得点部門の記録を塗り替え、レギュラーラウンドで合計566点(アタック496点、ブロック43点、サーブ27点)を記録し、Vリーグ日本記録賞(最多得点部門)を受賞した。同年5月、第59回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会で優勝し、2年連続となる黒鷲賞とベスト6賞を獲得した。決勝のJT戦では、3セット目に一人で14点を稼ぐ大活躍を見せた。

ワールドグランプリ2010では、故障明けの栗原恵が不参加だったため、臨時で副キャプテンを務めた。攻守の中心となりチームを引っ張り、予選ラウンドでは165得点、決勝ラウンドでは105得点を挙げ、予選・決勝ともにベストスコアラーに輝いた。チームはイタリアに2度勝利したり、9年ぶりにブラジルに勝利するなど大健闘したが、最終順位は5位に終わった。同年11月開催の世界選手権では、32年ぶりの銅メダル獲得に大きく貢献した。エースとしてほぼフル出場し、ベストスコアラーランキングではトルコのネスリハンに次ぐ第2位で、アタック本数、サーブ受数、サーブ本数においては全選手の中で一番の数字であった。

2011年11月2日日本文化出版から自身初めてとなるフォト&エッセイ「Saori」が発売された。[1] 発売を記念して編集担当者が管理するtwitter(木村沙織フォト&エッセイ『Saori』)が期間限定で更新された。[2]木村本人がつぶやくことはなかったが、制作時の裏話や彼女の近況などを編集者を通して伺い知る事が出来た。また、その中で木村本人への質問を募り、バレーボール専門誌月刊バレーボール誌上で回答を行うという企画が行われた。

ワールドカップ2011では早いトスに挑戦した(ワールドカップ時は本来のトスに戻した)影響や、直前の中心メンバーの離脱などもあり、チームも彼女自身も序盤は調子が上がらなかった。若手の台頭などがあり徐々にチームが固まっていき、最終的には当時、世界ランキング1位のブラジルや2位のアメリカをストレートで破るなど、怒涛の巻き返しをみせ、5連勝で大会を締めくくった。しかし惜しくも最終順位は4位となり、上位3チームまでに与えられるロンドン五輪出場権獲得にはあと一歩届かなかった。彼女自身も序盤こそ苦しんだものの、その後は安定した活躍をみせ、最終的にはベストスコアラー第4位、ベストアタッカー第5位、ベストブロッカー第13位、ベストサーバー第11位、ベストレシーバー第3位、ベストディガー第10位という攻守にバランスの取れた個人成績を残した。特にベストレシーバーとベストディガー部門においては守備専門選手のリベロを除くと共に最上位であり、彼女の守備能力の高さを証明する結果となった。

2012年、ロンドン五輪・3位決定戦での木村

2012年、 2011-12プレミアリーグにおいて、東レアローズ4度目の優勝に貢献した。決勝戦では両チーム最多の20得点をあげ、5年連続のベスト6賞を受賞した。

シーズン途中の2レグ終盤、チームでの練習中に足首を捻挫し、全治3週間という診断を受けた。2012年2月11日、12日に行われた岐阜大会ではチームに帯同はせず、翌週の山形大会からベンチ復帰した(試合には出場しなかった)。実質的な復帰戦であった2月25日の岡山シーガルズ戦では絶不調でアタックで2得点しかあげる事が出来ず、2セット目の途中で交代を余儀なくされた。チームメイトのセッター中道瞳によると、翌日の朝練習で木村は非常にピリピリとした雰囲気で一言も口を利かなかったという。こんなことは初めてで、中道はその日の試合(2月26日久光製薬戦)で出来るだけ彼女にトスを上げることを心がけたという。故障開けにもかかわらず彼女は試合にフルセットフル出場し、チーム最多の24得点をあげ、チームは勝利を収めた。

2012年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーに選出された[1]。準々決勝の対中国戦では江畑幸子と共にチーム最多の33得点を叩き出す活躍で、これまでの五輪で1セットも取る事が出来なかった相手にフルセットの激戦の末勝利を収めた。3位決定戦で韓国をストレートで破り、日本女子バレーボール代表28年ぶりの銅メダル獲得の立役者となった。中心選手として全試合にフル出場し、北京オリンピックに引き続き日本人ベストスコアラーとなった。全体でもベストスコアラー部門3位にランクインし、ベストスパイカー12位、ベストレシーバー12位、ベストディガー部門で8位だった。

ワクフバンク・テュルクテレコムへの移籍

2012年7月10日、ロンドンオリンピック終了後の2012年 - 2013年シーズンよりトルコリーグのワクフバンク・テュルクテレコムへ移籍することが発表された[2][3]。年俸は1億円[4]

同年8月16日、スポーツビズとマネジメント契約を締結。[5] 9月7日に成田空港からトルコへ向け出発した。空港では記者会見を行い「いろんな面で成長できるように頑張りたい」と抱負を述べた[6]。同日、トルコに行っている期間だけ更新するという『木村沙織オフィシャルブログ「木村沙織のトルコ奮闘記」[3]』をアメーバブログにて開始。10日にはイスタンブールでの入団会見に出席し、新チームでの抱負を述べた。また、本人の希望で決まったという背番号「18[注 1]」のユニフォーム姿も初披露した。9月末を持って東レ株式会社を退社(東レアローズを退団)した[7]

2013年1月31日、寝具メーカーである東京西川とスポンサー契約を締結したことが発表された[8]。3月12日にはトルコ航空とオフィシャル・エアライン・パートナー契約を締結したことが発表された[9]

同年3月、欧州チャンピオンズリーグにおいて優勝を果たした。予選ラウンドではスタメンで起用されることが多かったが、主にスパイク面で苦労し、PLAYOFF12以降はピンチサーバーからの守備固めで起用される事が多くなった[10]。決勝のラビタ・バクー戦では3セット全てで途中出場し、サーブや後衛でのサーブレシーブで貢献した。決勝戦後には「絶対勝ちたいと思って臨んだので、優勝して本当によかった。すごくラッキーだなと思います。サーブで攻めて流れをいい方に変えるなど、(チームの)いいリズムをキープするのが一番の役割だと思っていた。」と語った[11]。指揮官であるジョバンニ・グイデッティ監督からは「ほぼ完璧」と賞賛された[12]。 準決勝では佐野優子の移籍先であるガラタサライ・ダイキンと対戦し、史上初となるFINAL4での日本人対決が実現した。その準決勝と決勝戦の模様はBSフジにて生中継された[13]。ワクフバンクはトルコカップ、トルコリーグも制覇し、公式戦無傷の47連勝で3冠を達成し、最高の形でこのシーズンを終えた[14]

同年5月13日、眞鍋政義全日本女子監督に指名され、2013年度の全日本キャプテンに就任[15](バレー人生初のキャプテン)。2012/13シーズン限りで現役引退を決めていたが、眞鍋から熱心に勧誘され翻意したことを公表した[16]。そして、「元キャプテン竹下佳江のキャプテンシーを受け継ぎたい」という気持ちから、竹下が付けていた背番号「3」を希望したという[17]

同年6月3日、ダイキン工業(同じトルコリーグガラタサライのスポンサー親会社)は、ワクフバンクからガラタサライへの移籍に合意したことを発表[18]

日本球界に復帰

2014年6月5日、東レ・アローズへの復帰が決定した[19][20]。東レでは初のプロ契約で契約期間は2年間[21]

演じた女優

発言・エピソード

  • 姫様、直球だから」(2005 月刊バレーボールのインタビューで、菅山かおるに「サオリの声ってオカマみたいだね」と言われたエピソードを語った際)
  • う~ん……、忘れました」(2006 TBS『ニッポンチャ×3』で。柳本監督に言われた思い出の一言をいつ頃言われたかを聞かれて)
  • 沙織から出てる……」(2006 TBS『J SPORTS』で。高橋みゆきに「(部屋が)いいにおいがするね。なんで?」と聞かれて。その後、高橋に「フェロモン?」と返され胸の匂いをかがれる)
  • △です」(2006 ワールドグランプリ・ポーランド戦後のインタビューで、インタビュアーから自身の今日の点数を聞かれ、「えぇぇ、点数は…難しい…」と言った後に)
  • アラキング」(2007年のジャンクスポーツにて2つ上の先輩、荒木絵里香に対してそう呼んでいる)
  • アテネオリンピック開会式では、入場行進で全日本女子チームが日本選手団の先頭を陣取り、チームメイトと談笑する姿がたびたび映し出された。その中には福原愛と一緒に写真を撮るシーンもあった。
  • 2005年3月14日放送の関口宏の東京フレンドパークIITBS系)では、一般観覧席最上部で下北沢成徳高校のチームメイトらと座っている姿が見られた。
  • もともとこんな声なんですけど」( 2010年3月7日Vプレミアリーグ久光製薬スプリングス戦のインタビューで、「声がかすれているがゲーム中に大きな声を出したからか?」とふられての一言)
  • MVPとV6(ブイシックス)を・・・あれ?」(2009/10シーズンVプレミアリーグ3連覇の祝勝会で「○○を受賞した(名前)です」という感じの自己紹介で)
  • 2009/10シーズンのVプレミアリーグでは連覇した前2シーズンとは違い、外国人選手がチームにフィットしなかったため、攻守両面にわたり木村にかかる負担が増えた。プレッシャーから寝つきが悪くなったり食事が喉を通らない事もあり、体重は昨年から5kg減った。決勝会場のある東京までの移動中、夢の中には対戦相手であるJTのエース、キム・ヨンギョンが出てきた。寝ながら、思わずレシーブの手を出して、隣に座っていた宮田由佳里を驚かせた。「ごめん、ヨンギョンのスパイクが夢に出てきちゃって」「サオリさん、(レシーブ)上がりました?」「うん、上がった。もうバッチリ」。寝ても覚めてもバレーのことばかり考えていた。こんなことは、初めてだったという[23][24]
  • チームのたいしゅうせい…いや、集大成になるので悔いのないように」 (2012年4月5日ロンドン五輪世界最終予選兼アジア予選の記者会見で)
  • えっと1カ月。あ、間違えた、1時間です」( 2012年7月8日ロンドン五輪壮行会でストレス解消法を問われ、「長風呂が好きです」と答えた後入浴時間を問われ)
  • 私、泳げないんです。(成徳学園中学校には)プールがなかったから決めました。」( 2012年9月23日 BS日テレの「アスリートの輝石」より)
  • 単独から複数のものまで含め、バレーボール専門誌「月刊バレーボール」の表紙を14ヶ月連続で飾った。2011年09月号から2012年10月号までで、1人の選手が1年以上に渡り表紙に登場し続けたのは極めて異例なことである。

球歴

  • 所属チーム履歴
多西小(秋川JVC)→成徳学園中→下北沢成徳高等学校東レ・アローズ(2005 - 2012年)→ トルコの旗ワクフバンク・テュルクテレコム(2012 - 2013年)→ トルコの旗ガラタサライ・ダイキン(2013-2014年) → 東レ・アローズ(2014年-)

アドバイザリースタッフ契約先

広告出演

  • 京阪電鉄 京阪マナーポスター 「ファインプレー宣言」(2007年)
  • ゼビオ 女子部活動応援サポーター(2013年)[25]

メディア出演等

著書

脚注

注釈

  1. ^ 「18」は木村がロンドン五輪で付けた背番号であり、全日本入りしたときの背番号でもあるという。 (18番・サオリン、最多15点奪い白星発進 - ロンドン五輪2012特集 - SANSPO.COM

出典

  1. ^ 日本バレーボール協会. “女子日本代表選手12名決定! 第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)”. 2012年6月25日閲覧。
  2. ^ 木村沙織 トルコ1部の強豪へ移籍「自分自身に一番驚いてます」 スポーツニッポン 2012年7月10日閲覧
  3. ^ 東レ・アローズ. “木村沙織選手のトルコ1部リーグへの移籍について”. 2012年7月10日閲覧。
  4. ^ 1億円プレーヤーの決意。世界最高峰リーグへの挑戦”. number (2012年9月19日). 2012年12月14日閲覧。
  5. ^ スポーツビズ:木村沙織選手とマネジメント契約を締結いたしました。
  6. ^ 日本バレーボール協会. “木村沙織選手 トルコリーグ「ワクフバンク」合流のため出発”. 2012年9月7日閲覧。
  7. ^ 東レアローズ. “木村沙織選手より退団コメント”. 2012年10月1日閲覧。
  8. ^ 東京西川. “女子バレーボール木村沙織選手とスポンサー契約締結”. 2013年1月31日閲覧。
  9. ^ トルコ航空. “トルコ航空は木村沙織のオフィシャル・エアライン・パートナーに”. 2013年3月12日閲覧。
  10. ^ フジテレビ. “欧州CL女子は明日準決勝! 木村沙織と佐野優子が対決!!”. 2013年3月8日閲覧。
  11. ^ スポーツニッポン. “サオリン「本当によかった」ワクフバンク 欧州CL2度目V”. 2013年3月11日閲覧。
  12. ^ スポーツニッポン. “サオリンを指揮官絶賛「ほぼ完璧」ワクフB 欧州CL制覇”. 2013年3月12日閲覧。
  13. ^ フジテレビ. “BSフジ、3月9・10日に女子欧州CL準決勝・決勝を生中継!”. 2013年3月5日閲覧。
  14. ^ フジテレビ. “トルコ女子1部リーグファイナル ワクフバンクがV 3冠達成!”. 2013年4月23日閲覧。
  15. ^ 日本バレーボール協会. “「世界一を知る」 火の鳥NIPPONが2013年シーズンに向けて始動 新キャプテンは木村沙織選手!”. 2013*05*13閲覧。
  16. ^ 朝日新聞 2013年5月14日朝刊14版 24面
  17. ^ 日本テレビ. “Going! Sports&News 「ありさのおさらい」 木村沙織選手について調べてきました!”. 2013年11月14日閲覧。
  18. ^ ダイキン工業. “木村沙織選手がトルコのバレーボールチーム「ガラタサライ・ダイキン」に移籍”. 2013年6月3日閲覧。
  19. ^ yahoo Japan ニュース. “木村沙織が2年ぶり東レに復帰=バレーボール”. 2014年6月5日閲覧。
  20. ^ 東レアローズ女子バレーボール部. “東レアローズ女子バレーボール部への木村沙織選手の入団ついて”. 2014年6月5日閲覧。
  21. ^ Yahoo Japan ニュース. “沙織 リオ五輪見据え東レ復帰 日本人初のプロ契約”. 2014年6月13日閲覧。
  22. ^ スポニチ - 相武&比嘉でドラマ化 バレー日本代表“絆の物語”2010年10月25日閲覧
  23. ^ 月刊バレーボール(日本文化出版)5月号、「東レ3連覇の裏に隠された木村沙織の苦悩=バレーV・プレミアリーグ女子総括/田中夕子」 スポーツナビ、2010年4月11日から引用。
  24. ^ 伊藤昇 「東レ、リーグ初!WサオリンでV3/バレー」 サンケイスポーツ、2010年4月11日を参考。
  25. ^ 木村沙織選手とゼビオが、部活応援サポーターとして活動をスタート! マイナビニュース

関連項目

外部リンク