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井森 美幸(いもり みゆき、1968年10月26日 - )は、日本の女性タレント。バラエティーアイドルとして紹介されることもある。所属事務所はホリプロ。
群馬県甘楽郡下仁田町出身。堀越高等学校卒業。身長160cm。血液型はA型。未婚である。
[編集] 来歴・人物
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- 1984年の第9回ホリプロタレントスカウトキャラバンのグランプリを獲得し、1985年の春にアイドル歌手としてキャニオン・レコードよりデビュー。デビュー曲は『瞳の誓い』。当時のキャッチフレーズは「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」。同期には本田美奈子.、中山美穂、芳本美代子、斉藤由貴、南野陽子、松本典子、佐野量子、おニャン子クラブなどがいる。テレビドラマ『遊びじゃないのよ、この恋は』(1986年、TBS)の主演など、大手ホリプロのアイドルとして強くプロモートされたが、アイドル歌手としては芽が出なかった。
- デビューの2、3年後に元祖バラエティーアイドル(バラドル)の一人として松本明子・森口博子・山瀬まみらと共にクローズアップされた。いわゆる天然ボケ系のキャラクターにより全国的な人気と知名度を得て、現在に至る。
- 2009年07月現在も独身。そのため、上記のキャッチフレーズも相まってバラエティ番組で「未だに誰のものでもありません」などと揶揄されている。デビュー当初から和田アキ子と同様に黒髪を維持している。
- 山口百恵から現在の堀北真希まで続く、富士写真フイルムの歴代イメージガールのひとり。
- バラエティ番組では典型的な三枚目キャラであることから、女性らしさに欠けると評されることもあるが、評判に反して健康的で引き締まった肢体が美しく、スタイルは悪くない。ただしデビュー当時は「脚が太い」と指摘されることも多かった。
- スカウトキャラバンの予選時に踊ったレオタード姿の「ジャズダンス」と称する映像が現在も残っており、そのダンスが相撲の稽古である「鉄砲」のような奇妙な振り付けになっていることからしばしばバラエティ番組のネタとして使われている(なだぎ武にはネタ中に「もう何だかんだで5000回ぐらいテレビで流れてる」と皮肉[1]られ、また、有吉弘行には「ダンスの天才」のあだ名を付けられた)。
- その後、2007年にうたばんでジャズダンスのリベンジを行なった。
- 2007年8月19日の24時間テレビ愛は地球を救うの深夜放送の人生が変わった瞬間100連発の中でレオタード姿の「ジャズダンス」が流れ、深夜3時頃にリベンジということでジャズダンスを何回か踊った。
- 腕力が人並み外れて強い。特技は電話帳破りで、実際にぶ厚い電話帳を引き裂いてみせたこともある。パワーリフティングの現役王者だった頃のなべやかんと腕相撲をして圧勝したこともある(ただし両腕で)。肩や腕に筋肉を付けていることもあり、本人曰く「スポーツウーマン」。一方でかなりの運動オンチでもあり、敏捷性を要求されるゲームでは散々な成績に終わってしまうこともある。
- 2006年10月26日に出場した『クイズ$ミリオネア』で予選筆記試験10位ながらも、第6ピリオドにて挑戦権獲得。
Q01 TRIAL ¥10,000
| 次のうち、のどから実際に出るものはどれ? |
| A:手 |
B:火 |
| C:星 |
D:声 |
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答え:D:声D |
上記の問題で井森は、「手」と間違えてしまい(諺「のどから手が出る程欲しい」の印象が強かったためと思われる)、ミリオネア史上最短記録という大失態を演じてしまった。
- バラドルのパイオニアだが、多くのバラドルが女優に転進し淑やかになる一方で、不惑に近い年齢ながらも、娯楽番組出演時にはバラドル時代と同じキャラクターを発揮する、稀有な存在である。
- 後述されるクイズダービー以外でもクイズで面白解答が多い。クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!では、早押しで「道端で体の何処を洗う?」では(答えは目)、山城新伍にそそのかされ「みんなの気持ちをまとめて、じゃあ『けつの穴』で」と答え、会場を爆笑させ、また「夫婦で○○式をする」という問題で(答えは離婚式)「これ放送できる事ですか?」と前置きした上で「オギノ式」と答え、会場を騒然とさせた。世界まるごとHOWマッチでは「7千兆ドル(当時のレートで170京円)」や「500億マルク(当時のレートで4兆円)」といった的外れ、桁外れな解答は伝説となっている。
- 9月19日に初のSingle Complete Best Alubumをリリースする。タイトルは、「井森美幸 SINGLE COLLECTION ~井森美幸に2000円!!~」である。これは、担当するラジオ局のリスナーにより考えられた。
- 2007年11月5日に放送された『関口宏の東京フレンドパークII』で榊原郁恵と共演し、グランドスラムを達成。しかしダーツは5本ともハズレ、たわしと惨憺たる結果だった。
- 2008年5月12日より始まるTBS・愛の劇場「再婚一直線!」に主演に選ばれる。1986年の『遊びじゃないのよ、この恋は』以来22年ぶりである。
- 2008年12月10日、出身地である群馬県の宣伝を行うぐんま大使に中山秀征とともに任命された。[1]
[編集] クイズダービーの出演
- 『クイズダービー』では、タレントで元新体操五輪代表選手だった山崎浩子が2枠レギュラーを降板後、井森美幸は1988年2月20日(第628回)に9代目2枠レギュラー解答者として初めて出演となる。その日以降井森は多大な珍解答ぶりで人気を博していった。以後1992年7月に週代わりの準レギュラー制になるまで、約4年4ヶ月の間レギュラーを務めたが、入れ代わりが多いこの枠としては最長記録である。しかし当時出演年齢が19歳~23歳と若過ぎたことや問題が難しくなったこともあり、井森の正答率は2割0分8厘(平均1勝7敗~2勝6敗ペース)と過去の2枠レギュラーでは最低であった。
- 特にジョークや笑い話の問題ではそれに対する知識があまりなくて、理解不能の解答をよく書いたことも有り(長くだらだらと答えを書くことが多い)、井森の左隣に座る3枠レギュラーのはらたいらでさえ呆れた表情を見せていた。
- 滅多に無いが、一般問題で井森の書いた解答が、はらたいら又は竹下景子と一緒だった際に、井森は喜ぶものの、はらは「ちょっと待って下さい!冗談でしょ?」と困惑し、竹下は「アー、ダメだ……」と嘆き哀しんだ事があった。巨泉はその度に、はら・竹下に対して「それは井森に対して失礼ですよ!」と苦笑しつつ井森をフォローしていたが、結局大概は不正解だった。たまに正解だった場合も、巨泉から「井森と同じ感覚ですね」と突っ込まれたはらは「嫌ですねえ~」と嘆いており、それに対して彼女ははらに対して怒ったという。また井森は、クイズダービーにおいては史上ワースト第1位となる27連敗という記録を残し、また23連敗も(2回)26連敗もしている。(歴代2位は同じ2枠レギュラーだった斉藤慶子の24連敗。)他にも、クイズまるごと大集合では16連敗を記録している。
- 井森の正答率が低かったせいもあってか、出場者が彼女に賭けてくるパターンは、井森が余程正解できそうな問題でない限り一般問題では稀であり、井森特有の女の勘の良さを期待しての三択問題の際が多かった(ちなみに三択問題での彼女の勝率は3割台であった)。中には三択問題で、「半分捨てたつもりで元アイドルの井森美幸さんに500点」(1988年6月25日の第646回放送分)という暴言を吐いて賭けた出場者がおり、巨泉は「随分傷つく言葉が2回(半分捨てたつもり・元アイドル)続きましたねえ」とコメント。それに対して井森は「でも半分捨てたつもりで500点なんてちょっと甘いですね!」と嫌な顔をせずに言い返すと、巨泉は「ガハハ!」と爆笑した事があった(ちなみにその時は不正解だった)。更に、出場者の点数が少なくて最終問題などで指名された時はよく「わかんないよ~」と嘆いた時が多かった。それ故、いつも問題では2枠席ということもあり6~10倍(最終問題は殆ど20倍だが、自分より年下の人物がゲストの時や、若者向けの問題で1枠解答者の方が解けそうにない時は稀に18倍もあった)という高い倍率での設定だったが、たまに井森の得意そうな問題で2~5倍の倍率も表示されていた。(2枠で正解率が高めのうつみ宮土理にも同じ傾向があった。)
- ごく稀にだが、本来は7倍が最高の1問目で、井森には8倍がついたこともあった(おそらく巨泉が井森は絶対正解できないという意図でつけたと思われる)。普段はあまり正解しないが、同世代のアイドルに関する問題(例:酒井法子や工藤静香に関する問題。)は比較的正答率が高かった。また、井森が2枠レギュラー初回出演時の1問目(「“女子高生が砲丸投げのポーズをして投げてみて”の格好させた後、何を言う」の問題)では、年齢で一番女子高生に近い井森には本来2倍程度の倍率がつけられる筈だったが、かつて5枠ゲスト時代の勝率がかなり低かった為(2枠レギュラーになる前)、巨泉は「(ゲスト時代の通算勝星が)わずか2勝の人に2倍は付けられない」と言って7倍をつけた。この問題の答えは「ガチョーン」だったが、井森は知っていたので勿論正解となった。ちなみに、井森がゲスト時代に過去3回登場したときの通算成績は2勝22敗、0割8分3厘と極めて低い正解率であった。
- 特に第703回(1989年8月19日放送分)は、井森の珍解答ぶりが発揮された回で、一般及び歌詞問題全てで披露していた(1問目は「フロリダ」からの出題を「ブルガリア」と勘違いして「ヨーグルト製造業者」と解答、最終問題では「卍(まんじ)」の字を書き間違える等)。特に3問目、「『この世に白が無くなったら?』というアンケートで1位となったのは『何が普通の動物になる』だったが、それは何が何になるのでしょう?」という問題で、井森は前半途中までは「『シマウマ』が」と折角正解を書いたのに、その後何故か「(シマウマが)『黒やぎ』になってしまう」と書いてまさかの不正解となる(正解ははら・竹下の「『シマウマ』がただの『ウマ(馬)』になる」)。しかもこの問題で井森は出場者1チームに指名されていたが、勿論減点となった(はら1倍・竹下2倍と低かった故、7倍の彼女に指名されたと思われる)。この井森の珍解答に会場全体は爆笑、特に竹下は「なんでヤギになっちゃうの??」と大笑いを堪えきれず、巨泉も井森に対して呆れ返りながらも「お前はエライ!!」と大ウケしていた。
- 初期はそうでもなかったが、長く出演するにつれて、特に一般問題で「1人を除いてみんな同じ答え」の1人だけ不正解に該当するようになった。(意外にも、三択問題ではあまり該当しなかった。)時には数週連続で1回は該当することもあった。北野大と共演するようになってからは「1人を除いて…」という状況が多くなった。そのような状況になった時、2人で向かい合って苦笑いを浮かべることがあり、それで巨泉に「1枠と2枠が向かい合っています」と言われることも多かった。滅多に無いが北野と井森だけが正解すると、同じく巨泉に「1枠と2枠だけ正解で他は間違いというケースは1年に1回はあるんですよ」と冷やかされていた。
- それでもたまの好調時には、井森が得意げになることも度々あった。特に1枠の北野よりも成績が良かった時は「お友達やめました。もう格が違うので」「こんな問題知らないなんて日本人として失格ですよね」「私には易しすぎましたね」などと言っていた。他にも井森が正解を知っている問題で、ギャンブラーから指名が無かった場合は「私に賭けて欲しかったのに~!」など。指名されたときに正解したときはかなり喜んでいた。ちなみに井森の最高成績は4勝4敗で複数回あり、そのうちの一回である第685回(1989年4月15日)の放送では、竹下景子が絶不調で2勝6敗、はらたいら(6勝2敗)に次いで第2位の成績だった。又この回の井森は珍しく、2問目の三択問題では一人だけ正解したり、最終問題も当てたりするなど(しかもはらと一緒で1チームから指名されていた)、巨泉らを驚嘆させていた。なお、1991年3月26日放送のクイズまるごと大集合では5勝3敗と、はらたいら(4勝4敗)より良い成績だった。(はらの苦手な三択問題が4問あった事もある。)この直後の第783回(同年4月20日)では最終問題の「アメリカの親が子供のうちにこれだけはやらせなければならないと思っているのは学校教育とあることなのだそうです。さて、大きくなってからでは遅い何をしてやることが親の責任なのでしょう?」で井森だけが「歯のきょうせい」と書いて正解するという珍事が起こった。ギャンブラーは3チームとも竹下(その解答は「親と寝室を別にする」)に全部賭けていたため0点となった。
- 大橋巨泉は女性解答者を下の名前で呼ぶことが多いが、井森の場合は「いもり」と名字で呼ぶことが多かった(たまに「みゆき」と下の名前でも呼んでいた時もあり)。1988年4月の第634回での放送では、一般の出場者チームから「ヤモリ・ミユキさん、じゃなくてイモリ・ミユキさんに500点」と指名された事もある。また、三択問題でイモリの問題が出た時、終始TVカメラは井森の表情を映していた。
- 第650回(1988年7月23日)放送分「プロダクション大会」で、出場チームの中に「ホリプロチーム」(吉村明宏・杉浦幸)がいた。好調だった他の2チームとは異なり、最終問題では7,000点しか残しておらず、井森(この時の倍率は20倍で、しかもはら、竹下と共に正解だった)をシカトして0点終了となり、後日顰蹙をかった。当初井森に賭けようとしたが、井森が「他の人にしてください」と言った為、篠沢秀夫に指名したが不正解となった。
- 2004年5月14日、ロンドンブーツ1号2号とロバートのスペシャル番組内で、『もう時効だョ全員集合史上最強!花の芸能界オフレコトークバトル』内では、『クイズダービー』の復元特番が放送された。井森も『クイズダービー』放送終了から約11年半ぶり久々に登場、かつての指定席だった2枠に座っての解答となった。なお、従来の『クイズダービー』では全部で8問出題だったが、この時は5問だけの出題となっている。この時は一緒に出演した1枠の篠沢秀夫よりも、2問目の三択問題を除いて倍率が低くなっていた。そんな中、井森は3問目の歌詞問題と4問目の三択問題を正解し、成績は2勝3敗と健闘する。それでも最終問題には井森らしい珍解答(「マリー・アントワネットが正方形を規格として統一させたとされる物は?」と言う問題に対し、井森は「食パン」と解答。正解ははら・竹下の「ハンカチーフ」)が飛び出した。その後司会の大橋巨泉からは「全然お前30代に(当時井森は35歳)なっても変わってないな。オジサン(巨泉)はすごく安心した」と苦笑いされていた。
[編集] 出演
[編集] テレビドラマ
[編集] バラエティ
[編集] 舞台
[編集] ラジオ番組
[編集] CM
- 『セピア』(1989年)
- 『アルト』(1990年 - 1992年)
[編集] その他
[編集] 音楽
[編集] シングル
- 瞳の誓い / 恋人になる100の方法(1985年4月21日)
- 99粒の涙 / 天使のハンカチーフ(1985年7月17日)
- 乙女心ウラハラ / 砂に書いた返事(1985年10月5日)
- 恋は理解力 / 四月うさぎ(1986年2月5日)
- 吐息まじりに恋をして / 孤独のディープ(1986年)
- セピア・あなた・かも / 雨あがりの朝に(1989年5月21日)
[編集] アルバム
[編集] ベストアルバム
- Myこれ!クション 井森美幸 best(2002年7月17日)
- IMORI MIYUKI SINGLE COLLECTION 井森美幸に2,000円!!(2007年9月19日)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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