辺見マリ

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辺見 マリ(へんみ まり、本名:逸見 万里(読み同じ)、1950年10月5日- )は、日本の歌手タレント女優血液型B型、身長162cm。

辺見プロモーション所属。

神奈川県逗子市生まれの京都府京都市育ち。父親がスペイン系アメリカ人(陸軍将校)で[1]母親が日本人のハーフ。

西郷輝彦は元夫で、婚姻期間中の戸籍上の姓は、西郷の籍へ入ったため今川(いまがわ)であった。

ミュージシャンの辺見鑑孝(へんみのりたか)は長男。タレント・女優の辺見えみりは長女。長女の夫は俳優・声優の松田賢二。最終学歴は平安女学院高等学校卒業。

経歴[編集]

幼稚園に入園した4歳の頃よりバレエを始め、京都でも有名なバレエの先生である木村陽子・谷桃子両氏による指導の下、年に5~6回は舞台に立ち、錦林小学校3年生の頃には一流のバレリーナになることを夢見るようになる。アイススケートに半年ほど凝っていた平安女子中等部2年生の時にカンツォーネジャズに出会い虜(とりこ)になる。3年生の時にバレエでよく舞台に立った京都会館へたまたま遊びに行ったところナベプロの「新人スターパレード」が催されており「君、歌はうたえるかい?」とスカウトされ、すっかりジャズに陶酔していたこともあって快諾する。1967年、高等部2年生になると両親の賛成で休学し、軽自動車免許を取ったばかりの万理はホンダN360を運転し上京、浜口庫之助の下で厳しいレッスンを積みながら、間もなく渡辺プロへ入社[2]。同年10月6日、上京した母より混血児だと告白される、万理が生後2ヶ月の時に母・美保子はスペイン系アメリカ人の夫と別れ、やがて2歳になる頃には京都へ移り、逸見ひろし[3]と再婚したことを知らされ、それまで自分は純粋な日本人だとばかり思っていた万理にとって母の話は衝撃的だったが、やはり実の子のように育ててくれた父が自分にとって本当の父親だと確信する[4]

1969年11月に「ダニエル・モナムール」でデビュー。翌1970年、20歳の時に発売した『経験』の「やめてぇ」と溜息混じりの歌い方が話題になり、大ヒット。以降、同年に「私生活」、翌1971年に「めまい」等をリリースし、セクシー歌謡の歌手として活躍。『私生活』で第21回NHK紅白歌合戦に初出場。

ところが、人気絶頂時の1972年に同じく人気歌手の西郷輝彦と結婚し引退。

二児を出産するが、1981年に離婚して芸能界に復帰した。その後、金銭トラブルによる騒動や熟女ヌード写真集の発売などでワイドショーの話題になる。尚、この時の金銭トラブルは「拝み屋」が原因だったことを『Dのゲキジョー 〜運命のジャッジ〜』(フジテレビ系)出演時に告白している。また、「拝み屋」にはまっていたことで、娘のえみりと絶縁状態になっていた時期がある。(現在は和解している)

1993年にはヘアヌード写真集「INFINITO」を発売している[5]

1998年に発売したCDシングル『Good-Bye あばよ』で、娘のえみりがジャケット写真の撮影を担当した。

2001年に年下の宝石デザイナーと再婚するが、2005年に離婚した。

現在は歌手やテレビタレント以外にもミュージカル等の舞台でも活躍中。

2013年6月13日の深夜に破水し、緊急入院した娘のえみりの出産に立会い喜んだ。 これにより、初孫となる孫娘の祖母となった。なお、出産祝いとして娘夫婦にベビーベッドを購入してプレゼントした。

出演[編集]

映画[編集]

  • なにがなんでも為五郎(1970年8月26日封切、松竹) - 歌手 役。
  • 経験(1970年10月6日封切、東映) - 歌手 役。
  • めまい(1971年3月20日封切、松竹) - 中沢真里 役 初主演作。

テレビドラマ[編集]

バラエティ[編集]

外部リンク[編集]

脚註[編集]

  1. ^ 近代映画 近代映画社 1970年10月号 131頁。
  2. ^ 近代映画 近代映画社 1970年10月号 129頁。
  3. ^ (漢字は西の真下に早)
  4. ^ 以上は近代映画 近代映画社 1970年5月号 102~105頁。
  5. ^ 週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 90年代"ヘアバブル"の到来