ノーキー・エドワーズ
| ノーキー・エドワーズ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | Noel Floyd Edwards |
| 出生 | 1935年5月9日(76歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | インストゥルメンタル ロック |
| 職業 | ギタリスト |
| 担当楽器 | エレクトリックギター |
| 共同作業者 | ザ・ベンチャーズ |
| 著名使用楽器 | |
| 本文参照 | |
ノーキー・エドワーズ(Noel Floyd "Nokie" Edwards, 1935年5月9日 - )は、アメリカ合衆国のギタリスト。オクラホマ州ラホマ出身。ザ・ベンチャーズの2代目リードギター。
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[編集] 略歴
チェロキー族の血を引く家系の大家族に生まれたノーキーは、家族や親族の大多数が何かしら楽器を演奏出来たという恵まれた環境の中、5歳からギターを手にするようになる。最初の頃はバンジョーやマンドリンなど様々な楽器を手にするが、更なる上達を目指すために11歳の頃にギターに専念するようになる。当初はカントリーミュージックやブルーグラスから独学でギターを学び、レス・ポール、チェット・アトキンス、マール・トラヴィスが彼にとってのギターヒーローであった。それからは当時流行していたロックンロールを深く知るために、様々なレコードを次々と手に入れ、それを聴くことにより吸収して行く。これらの原体験がノーキーの音楽性の礎となっている。17歳の頃にはナイトクラブに出演するようになり、1957年にはタコマにツアーで訪れたバック・オウエンスのサポートメンバーに参加する。そしてその後、ドン・ウィルソン、ボブ・ボーグルと出会い、ベンチャーズに当初はベース担当で加入する(最初はサポートメンバーの1人であり、「ウォーク・ドント・ラン」でベースを弾いたのがノーキーである)。その後ノーキーの申し出により、ボブ・ボーグルとパートが交代することになり、ベンチャーズの快進撃が始まる。
1968年、ノーキーは牧場を手に入れ、かねてからの念願であった競馬界に馬主として進出することとなり、ツアーに同行することが難しくなったためベンチャーズを離れる。それ以降の音楽活動はナイトクラブの出演やスタジオレコーディングの参加など散発的なものとなるが、当時はレオン・ラッセル、グレン・キャンベル、デラニー&ボニーなどと音楽活動を行っていた。その後1972年にノーキーと入れ替わりに加入したジェリー・マギーがベンチャーズを離れ、ノーキーが復帰する。その後1985年に再びノーキーが脱退するまでベンチャーズに参加していた。ちなみに、当時のメンバーチェンジにはよくありがちなメンバー間のいざこざなどは全くなく、実に友好的なものであったという。またジェリー・マギーはボブ・ボーグルのピンチヒッターとして1984年の日本ツアーに参加するまで、ノーキーと一度も会ったことがなく、面識がなかったという。
その後は自身の音楽活動を展開し、カントリーミュージックに深く根ざした活動を行うが、1999年より夏と冬のツアーをベンチャーズとして行うことが決まり、ノーキーはスケジュールの都合で冬のツアーに参加することが難しいジェリー・マギーに代わり、冬のツアーに参加している。その他にも単発でノーキーが参加することもあるが、日本ではノーキーとジェリーの二つのベンチャーズを楽しむことができる。
[編集] 音楽性
ノーキーの音楽的バックグラウンドはカントリーミュージックに深く根ざしており、演奏中に取り込むフィンガーピッキングなどにその影響がうかがえる。シンプルでありながら高度なカントリーリックを盛り込んだテクニックは、エレキブームを巻き起こした日本において、絶大な人気と憧れを呼んだ。特に「キャラバン」に於ける速弾きは、当時の日本において最高峰の難易度といわれた。
フィンガリングは弦と平行にポジション移動することが多い。また、モズライトなどのビブラート・ユニットがあるギターと、テレキャスターなどの無いギターでは、チョーキングを絡めたフレーズを弾く際に弾き方を変えている。アームのあるギターの場合、チョーキングした際に他の弦が同時に引っ張られると同時に、ベンドしていない弦のチューニングが下がってしまい、ピッチが合わなくなってしまう。それを避けるためにアーム付きのギターではハンマリングやグリッサンドなどで対処している。そのため、往年のモズライトを使用していた頃と微妙に弾き方が変わっている。
使用するピックは、かつてはフラットピックが主体であったが、カントリーミュージックへの傾倒を深めるにつれ、1970年代からサムピックを併用することが多くなっている。現在ではほとんどの曲をサムピックで演奏する。また近年、フィンガーピッキングの際の爪の保護のために、薄いグラスファイバーを爪に貼って演奏している。
[編集] 主な使用機材
- モズライト・ザ・ベンチャーズモデル
- モズライトノーキー・エドワーズモデル
- フェンダー・テレキャスター
- フェンダー・ジャパンテレキャスター・ノーキーモデル
- カーヴィン
- トニー・ハント・ノーキー・エドワーズモデル
- ヒッチハイカー・ギターズ
- フェンダーバンドマスターアンプ
- PEAVEYアンプ
基本的にエフェクターは多用しない。スティールギター奏者のレッド・ローズが彼のために特別に作ったファズやコンプレッサーを使用する程度で、ほとんどはアンプで音作りをするスタイルである。1970年代にはワウペダルを使用したこともある。レッド・ローズ製作のコンプレッサーは現在でも使用しているという。
[編集] エピソード
- ある日のシカゴの空港で、たまたま乗り換え待ちをしていたノーキーをエリック・クラプトンが見つけ、ノーキーのところに歩み寄り、握手を求めてきたという。
- あまり知られていないが、彼は実は1960年代初期に一度ベンチャーズを離れている。その時にモズライト社に勤務していたクラフツマンでもありギタリストであったジーン・モールス(バック・オウエンスを通じて知り合ったという)などと共に「マークスメン」なるバンドを結成し、活動をしたが、レコード会社の広報担当者が急逝するなどゴタゴタが続き、長くは続けられなかったという。そしてすぐにベンチャーズの活動に戻る。そのため、同時期にリリースされたベンチャーズのアルバム"Colorful Ventures"には、ノーキーが参加していない音源が存在しているのだが、何分40年以上も前のことであり、事実は有耶無耶になってしまっている部分が多い。
- かつてのギター弦には「ライトゲージ」が存在せず、彼は2弦にも1弦と同じ弦を張ったり、1弦にバンジョーの弦を張って1〜5弦を張るなどの工夫をしていたが、後にノーキーの要望にこたえる形でアーニー・ボールがライトゲージの弦を製作したという。ベンチャーズの来日時、共演した寺内タケシや加瀬邦彦が、ノーキーがあまりに簡単にチョーキングをやっているのを見て不思議に思っていたところ、ノーキーがリハーサル時に席を外した際にノーキーのモズライトを弾いてみたら、あまりにも弦が細かったことに驚愕し、「こりゃこんなに弦が細ければグリス(注:当時はチョーキングをこう呼んでいた)が楽に出来る訳だ」、「指で腕立て伏せしたりしてあんなに必死になって握力を鍛えていた俺達は何なんだ?」と思わず爆笑したという。
[編集] 関連項目
- 寺内タケシ - 初期の来日時に同じステージを踏んで以来親友となり、ライブ、および複数のアルバムで共演している。1966年の来日ツアー中、ドン・ウィルソンの息子が落馬事故によって他界してしまうアクシデントに見舞われ、急遽帰国を余儀されなくなったため、ピンチヒッターとしてごく短期間、寺内タケシがツアーに参加したことがある。
- モズライト - 1963年に所有していたテレキャスターのネックを削り直してもらえる工房を探していたところ、友人を通じてモズライトのセミー・モズレーを紹介され、試作品のギターを借りてレコーディングしたところ、そのパワフルな音質と弾きやすさにほれ込み、「ベンチャーズモデル」を製作するきっかけとなった。しかしノーキーもネックの細さにはいまいち不満があったようである。その後モズライトとの契約が切れて約20年後に、高谷企画(現:高谷プランニング)のプロデュースによる「ノーキー・モデル」を開発するが、現在は再びモズライトからは離れている。なお、現在自らがARIAなどの協力でプロデュースして使用している「ヒッチハイカー」はボディがモズライトに非常によく似たデザインになっている。
[編集] 参考文献
シンコーミュージック「エレキ・ギター・ブック」各巻