西城秀樹
| 西城 秀樹 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 木本 龍雄 |
| 出生 | 1955年4月13日(56歳) |
| 血液型 | AB型 |
| 学歴 | 明治大学付属中野高等学校 卒業 |
| 出身地 | |
| ジャンル | J-POP |
| 職業 | 歌手 |
| 活動期間 | 1972年 - |
| レーベル | ビクター音楽産業 (1972年 - 1975年) RVC (1975年 - 1987年) BMGビクター (1987年 - 1999年) キングレコード (1999年) ポリドール (1999年 - 2001年) ユニバーサルミュージック (2002年 -) |
| 事務所 | アースコーポレーション |
| 公式サイト | 西城秀樹オフィシャルサイト |
西城 秀樹(さいじょう ひでき、1955年4月13日 - )は、日本の歌手、俳優である。本名、木本 龍雄(きもと たつお)。
広島県広島市出身。アースコーポレーション所属。
目次 |
[編集] プロフィール
広島駅近くの東蟹屋町(現東区東蟹屋町)に生まれる。父親の影響で幼少期から洋楽に馴染み、ジャズスクールに通ってドラムを勉強した。5年生の時に兄とエレキバンドを結成。山陽高等学校時代、ジャズ喫茶でバンド出演時にスカウトされる。父親が頑固で厳しい人であったため芸能界入りを猛反対。その反対を押し切り、家出同然で広島から上京。芸能事務所「芸映」に所属。明大中野高等学校定時制へ転校し、マネージャー宅に居候しながら、歌、芝居、踊りのレッスンを続けデビューのチャンスを待った。
1972年3月25日、ビクター音楽産業よりシングル「恋する季節」で「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズと共に歌手デビュー。片仮名の「ヒデキ」の愛称で人気となる。「チャンスは一度」以降、マイクを持って直立不動の姿勢による歌い方が主流であった歌謡界にアクション旋風を巻き起こす。
1973年、「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入りとなり、一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれる。「ちぎれた愛」、「愛の十字架」が連続してオリコン週間チャートの第1位に輝く。絶唱型と言われる力強い歌唱法により、『第15回日本レコード大賞』で初の歌唱賞を受賞。
1974年、「薔薇の鎖」のマイクスタンド・アクションが人気を呼ぶ。続く「激しい恋」の“やめろと言われてもー”の歌詞が流行語にもなり、同年のオリコン年間チャートの第8位に輝く。「傷だらけのローラ」により、『第16回日本レコード大賞』でポップス歌手としては史上初となる歌唱賞を2年連続受賞。『第25回NHK紅白歌合戦』にも初出場。人気・実力・その歌唱力が広く認知され、その後も着実にヒットを飛ばす。ホームドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演、松竹映画『愛と誠』で映画初主演と、俳優としても活動する。
1976年の「君よ抱かれて熱くなれ」から1977年の「ボタンを外せ」までは、作詞:阿久悠、作曲:三木たかしのコンビによるヒット作品が続く。1976年の「ジャガー」、1978年の「炎」により『東京音楽祭』の世界大会に出場。1979年、「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」の“Y.M.C.A.”の4文字を全身で表現するパフォーマンスが一大ブームとなった。
ロック系のポピュラー音楽を中心にしたコンサート活動も精力的に行い、1974年から1983年までの10年連続で、大阪球場でのスタジアム・コンサートを(1978年からは後楽園球場でも)開催。「親衛隊」と称される熱狂的なファンで常時超満員。その画期的で派手な演出が評判となった。1975年秋には、日本人のソロ歌手として史上初となる日本武道館でのリサイタルを公演。その後11年連続で開催。秋(静)の日本武道館と夏(動)のスタジアム・コンサートは恒例となる。
1981年、「リトルガール」でシングル30曲ベストテン入り(オリコン史上初)。続く「セクシーガール」で、シングルレコード総売上枚数が1000万枚を突破する[1]。香港で初のコンサートも開催。以来アジア各国でコンサートを行い、ジャッキー・チェンと共に“東洋の2大スーパースター”と言われて人気を博す。
1983年、スタッフと共に芸映を円満退社し独立、有限会社(現・株式会社)「アースコーポレーション」を設立する。第1弾シングルは「ギャランドゥ」。以降、グラハム・ボネットの「Night Games」、ワム!の「Careless Whisper」、バリー・マニロウの「In Search of Love」、「It's All Behind Us Now」をカヴァーする等、本格的なロック系、バラード系の曲が発売シングルの主流になっている。1990年代になると若きロック・ミュージシャン達が挙って西城のコンサートを観賞に訪れ、“ロック・アーティストの憧れのスター・ナンバーワン”と言われるようになる。
『NHK紅白歌合戦』は1974年から1984年の「抱きしめてジルバ」まで11年連続出場。『日本レコード大賞』では1976年の「若き獅子たち」により3度目の歌唱賞を受賞。金賞は1978年の「ブルースカイブルー」から1983年の「ギャランドゥ」まで6年連続受賞する。『ザ・ベストテン』には番組の放送が開始した1978年の「ブーツをぬいで朝食を」から1986年の「腕の中へ」まで22曲(154週)登場した。
1991年、アニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ「走れ正直者」、1999年にロボットアニメシリーズ『∀ガンダム』の主題歌「ターンAターン」を歌う。
2000年、「最後の愛」を最後にビクター → RCA → BMG系から、ポリドールレーベルへ移籍し「Bailamos」をリリースする。以降ユニバーサルJ、NAYUTAWAVEとユニバーサル傘下の各レーベルから楽曲をリリースする。
2001年6月30日、私生活では会社員であった現夫人と結婚。2002年6月3日、長女誕生。2003年9月1日、長男誕生。
2003年、85枚目のシングル「粗大ゴミじゃねぇ」発表直後、公演先の韓国で脳梗塞を発症するも、闘病の末復帰し、2006年9月27日、3年ぶりに「めぐり逢い/Same old story - 男の生き様 -」が両A面で発売された。
[編集] 功績
[編集] アクション・ブーム
1972年、3枚目のシングル「チャンスは一度」で初めて振付けが付く。1973年、初のベストテン入りを果たした「情熱の嵐」ではさらに振付けがエスカレート(西城のは激しかったため「振付け」ではなく「アクション」と呼ばれた)。1974年、「薔薇の鎖」でスタンドマイクを使ったアクションをやって評判を呼ぶ。ロッド・スチュワートがコンサートでアルミのマイクスタンドを使っていることに気づき、すぐに10本を特注。この軽量スタンドマイクにより西城型の「スタンドマイク・アクション」が誕生し、以後コンサートでの定番となった。その後すぐに軽量スタンドはブームとなり、翌年にはメーカーが生産するようになった[2]。男子小学生が掃除の時間、ホウキを使ってこのアクションをよくマネしていたのは有名。次作品の「激しい恋」のアクションも話題となり、アクション・ブームを巻き起こした。以後、新曲が出るたびに歌唱だけでなくそのアクションに、また、奇抜な衣装にも注目[3]が集まった。
[編集] 絶唱型と言われる歌唱法
1973年、初めてオリコンの1位に輝いた「ちぎれた愛」は、自身のハスキーな歌声を前面に押し出して歌い上げた初めての楽曲である。後にその歌唱法は「絶唱型」と呼ばれた。さらに全身全霊を込めた喉が張り裂ける様な歌唱法は、次作品の「愛の十字架」、1974年の「傷だらけのローラ」、1975年の「至上の愛」へと受け継がれて徐々にエスカレートしていき、その迫力で観客を圧倒した。「絶唱型」の楽曲には決まってセリフが入り、感情を込めて何かを絶叫するというものが多いため、「絶叫型」とも呼ばれた。セリフ入りの楽曲には「ちぎれた愛」、「傷だらけのローラ」の他に1975年の「白い教会」、1976年の「ジャガー」などがある。1980年の「サンタマリアの祈り」が完成形であったと、2000年に開催した80曲記念コンサート『Bailamos 2000』で語っている。
[編集] 伝説のスタジアム・コンサート
1974年夏、日本で初めて野球場でのワンマン・コンサート『ヒデキ・イン・スタジアム“真夏の夜のコンサート”』を大阪球場で開く(グループでの日本初は1968年のザ・タイガース)。 西城は元々アメリカの「ウッドストック・フェスティバル」が好きで、自分も野外でライブがやってみたいと常々希望していたことでこのコンサートが実現した。西城の球場コンサートは、ただ歌と演奏をするだけにとどまらず、球場の大きな空間を利用しての派手な仕掛け[4]、演出が売りであり、毎年赤字覚悟でエスカレートしていった。時代的にどれも人が操作したり手動で動かす手作りライブであった。
大阪球場は1974年より1983年まで10年連続(1978年から東京の後楽園球場でも開催)と長きにわたり継続。派手な仕掛けに加え、「雨男」と言われるぐらい雨中でのライブも多く、何より主役である西城の派手なパフォーマンスと相まって、記録と記憶に残ったコンサートとして「伝説」と表現されている。昨今主流のドーム・コンサートなど様々なライブイベントにも、影響を与えている部分は必ずある。この1974年の球場ライブで「なにか光るものを用意してきて!」と観客に呼びかけたのがきっかけで、日本のコンサートでペンライトが広く普及したといわれる。
[編集] 観客参加型の先がけ
1979年に発売された「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」は、ヴィレッジ・ピープルの曲をカバーしたものである。原曲はGAYをイメージする曲であったが、これを若者の応援歌(青春讃歌)に歌詞を変えて発売した。当時はまだGAYへの偏見が大きかった時代で、発売前のテレビ関係者の評判はよくなかったが、蓋を開けるとたちまち火が付き、周りの態度も一変した。前年に映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の日本公開でディスコ・ブームが到来していた矢先、素早くこのディスコ音楽曲に目を付け、“Y.M.C.A.”の4文字を全身で表現するという、西城独自のエンターテイメントに徹した観客参加型のパフォーマンスが一大ブームとなった。自身最大のレコード・セールスを記録しただけでなく、『ザ・ベストテン』で番組史上唯一の9999満点を2週にわたり獲得する。続く同じく観客参加型の応援歌・第2弾として発売された「ホップ・ステップ・ジャンプ」、バラード曲の「勇気があれば」もヒットし、『第21回日本レコード大賞』は「外国人の作曲作品は審査対象外」となるルールもあって逃したが、第10回『日本歌謡大賞』、『FNS歌謡祭'79』、第5回『日本テレビ音楽祭』、『'79 あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭』でグランプリを受賞。さらに1980年には観客参加型の応援歌・第3弾として「俺たちの時代」を発売している。「みんなで何かをする、ファン参加型ライブの素晴らしさを実感した。」と、多くの場所(1979年の『ミュージックフェア』等)で語っていたように、西城自身の強い意思で行われ、それまでの歌謡界の固定観念を覆す先がけとなった。
[編集] 日本人歌手アジア進出のパイオニア
1981年、亜細亜テレビの香港音楽祭にスペシャルゲストとして出演。番組視聴率は90%を超えた。9月12日 - 9月14日、香港で初めてのコンサートをクイーンエリザベス・ホールで開催。新聞の見出しは、それまでの「赤旗星(スーパースター)」から「天皇巨星(超スーパースター)」と表記され、香港でプラチナディスクを獲得。アジアでの日本人歌手進出の先がけとなる。
1982年9月20日 - 9月25日、香港にて2回目のコンサートを開催。1985年9月7日 - 9月11日、香港のほかシンガポールでもコンサートを開催。1986年、シチズンのCMで、海外(アジア各国)CMに初出演。CMソングは「City Dreams From Tokyo」。10月14日 - 10月19日、香港、シンガポールにてコンサート『Caravan From Tokyo - HIDEKI SAIJO CONCERT TOUR '86 -』を開催。
1987年3月5日 - 3月8日、中国本土で初のコンサートを北京・首都体育館及び廣州・中山記念堂で開催。廣州のコンサートは児童福祉会館のエレベーター建設のためのチャリティー・コンサートで、そのエレベーターは「西城号」と命名された。3月10日 - 5月5日、香港で初の主演映画『天使行動 (Angel)』撮影(1989年、日本でも上映)。撮影の3か月間、ジャッキー・チェン、レスリー・チャン、ジョイ・ウォンなどと友好を深める。
1988年9月16日、ソウルオリンピック前夜祭に趙容弼(チョー・ヨンピル・韓国)、陳百強(ダニー・チャン・香港)、胡寅寅(フーインイン・中国)と共に出演。「傷だらけのローラ」を歌う。日本人として初めて韓国の公式の場において、日本語の歌が電波にのった瞬間。この模様は衛星中継で世界137ケ国で放映された。1989年2月、香港、バンコク、3月にブラジル・サンパウロ(イヴィラポエラ体育館)でコンサートを開催。
1990年、広島・アジア音楽祭『Asian Harmony』を初プロデュースし、出演する。チョー・ヨンピルなど各国からトップ・アーティストを招聘した。1993年にも同種のアジア音楽祭をプロデュースし、出演する。1991年、バングラデシュ救援コンサート『俺らだけのヒットパレード』(以降3年連続)に出演。
1996年、中国大連市で行なわれた『国際ファッションショー前夜祭』に日本からのゲストとして出演。大連体育場約4万人の前で歌唱。中国全土及びアジア各国にテレビ放映された。
1998年、「日中友好条約締結20周年」のイベントとして、中国の万里の長城において外国人歌手初の野外コンサートを行う。アジア・ツアーの一環として広州市・珠海市でもコンサートを開催。中国唱片廣州公司(CHINA RECORD)より「moment」北京語ヴァージョンを含むベストアルバム『瞬間』発売。
2007年3月22日、香港のレコード協会にあたるIFPI香港の設立40周年記念のイベント『IFPI Top Sales Music Award』に、約35年間の東アジアの音楽業界の成長に大きな影響を与えた海外アーティストとして招かれ歌唱[5]。9月24日には、「日中国交正常化35周年」と「中韓国交開始30年」の節目として中国・南通市スポーツ・スタジアムで開催された『第9回アジア国際芸術祭』に出演し、「傷だらけのローラ」と「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を披露。この模様は10月13日、中国全土に放映された。
[編集] 人物
[編集] スポーツマン
スポーツマンで、小学校の時は柔道を習い、学生時代の部活動は水泳部でマリンスポーツが得意。全国ネットでテレビ中継された芸能人水泳大会や運動会では競泳、走高跳などで大活躍(走高跳では芸能人記録を樹立した)。フジテレビで放送の芸能人水泳大会ではどういうわけか、花形の自由形ではなく平泳ぎに出場。自由形での泳ぎは最後のリレーでしか見ることができなかった。その他には『8時だョ!全員集合』の体操コーナーでも活躍。趣味はスキューバダイビング(1983年頃より・指導員資格所有)やゴルフ、サーフィンもやっていた。
[編集] 夏男
「情熱の嵐」以降、夏をイメージさせるヒット曲が多いこと。その激しく歌い踊る姿や真夏のスタジアムコンサートの熱い印象。『芸能人水泳大会』での活躍、長髪で日焼けした精悍なイメージから「夏男」との異名をとった。また夏に野外で派手に新曲発表会を行うことが多かった[6]。
[編集] バーモントカレーのCM出演
1973年から12年間、ハウス食品の「バーモントカレー」のCMに出演し“ヒデキ、感激!!”、“ヒデキ、ご機嫌!!”、“ヒデキ、満足!!”など数々のキャッチコピーがお茶の間の人気を呼び、大人から子供まで幅広い世代の支持を得る。季節に応じて3か月周期でCMの撮影が行われ、その中で西城が発するフレーズもさまざまだったが、特に“ヒデキ、感激!!”という初期の頃のフレーズは、いまだにスポーツ紙で西城の記事が掲載される際に時折見出しとして登場する。
[編集] エピソード
歌手ではなくドラマーになることが夢だった幼少期の心情を大きく変えたのは、テレビで流れた尾崎紀世彦の「また逢う日まで」で、これが歌手となる転機となった[7]。この曲を唄ってデビュー前のオーディションに合格する。
デビュー当時、才能を認められ、先輩の歌手として兄のように慕っていたのは布施明であったという[8]。布施は初期の西城のコンサートのプロデュースに加わっていたこともあった[9]。
若い頃はケンカっぱやく、和田アキ子と取っ組み合い(寸前)のケンカをしたことがあると和田の著書に記述されている[10]。最近は笑い話として、この話をお互いラジオや雑誌のインタビューで話している[11]。
[編集] 夜のヒットスタジオの顔
フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』への初出演は1972年12月4日(第214回)。3枚目のシングル「チャンスは一度」での出演であった。1974年以降、ヒットスタジオとの関係が薄い芸映所属ながら人気・実力を評価されて準レギュラー格としてほぼ1月に1、2回のハイペースで出演を重ね、五木ひろし・森進一に次いで歴代3位の188回にわたり同番組に登場。「ミスター夜ヒット」の代表格の一人として様々なエピソード[12]、見せ場を提供した。
1984年11月19日放送では、ワム!の「Careless Whisper」のカバーで、「抱きしめてジルバ」と競作となった郷ひろみの「ケアレス・ウィスパー」と対決した。西城より1か月遅れでリリースした郷の発売時(11月10日発売)の宣伝企画に乗せられる形で、フジテレビ番組スタッフに「同一曲のカバーでの対決」を持ちかけられた際、西城は「全く同じセット、同じ演出で唄う」という条件で了承し、この前代未聞ともいえる企画が実現した。ただし、歌う順番は西城が先行、歌唱時間は郷が長めに設定された。
[編集] 後進タレントの発掘
芸映在籍中は看板スターとして活動すると共に、デビュー間もない1972年夏、事務所関係者と共に浅田美代子を街頭でスカウト[13]、無名の新人アイドルだった相本久美子の芸映への移籍を推薦したほか、自らの名前を冠した新人コンテスト「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」で河合奈保子と石川秀美の1980年代を象徴する女性アイドルの発掘に成功するなど、プロダクション・マネジメントの面でも大きな貢献を果たした。この他、主演映画『愛と誠』の相手役は、西城自身の推薦により早乙女愛に決まったという[14]。また西城のコンサートで、熱狂の余り突然ステージ上に乱入した、ファンの岸本加世子を「自分の事務所に入らないか。」とスカウトした[15]。
[編集] 脳梗塞からの復帰
2003年、ディナーショーのため訪れていた韓国で脳梗塞を発症。朝に症状がありながら、その夜のディナーショーをやり通して、さらに空路帰国して入院。懸命のリハビリにより1か月で復帰会見に臨んだが、実は一部声帯の神経をやられ、歌手にとっては致命的ともいえる歌どころか言葉自体を正確に発することができない構音障害を発症しており、引退を発表するつもりだったという。「すぐに結論を出さずゆっくり直していけば」という夫人の言葉で、芸能活動を継続しながら回復に励む道を選ぶ。その年『Forever '70s 〜青春〜 伝説のステージ』に出演するも、「ボロボロだった。」と振り返っている。
2004年、著書『あきらめない 脳梗塞からの挑戦』(リベロ)発売。自分の闘病体験が同じ病気を患った人たちへの役に立てればと、医療関係のシンポジウムなどでの講演も積極的に行う。
無くした声帯の神経の周辺の神経を刺激し鍛えるボイストレーニング法に取り組み、2006年、脳梗塞発症以来3年ぶりのシングル「めぐり逢い/Same old story 〜男の生き様〜」発売。その後も徐々に回復傾向に向かい、年々コンサート本数も増えている。
[編集] 年表
[編集] 1972年 - 1975年
1972年3月25日発売のシングル「恋する季節」で歌手デビュー。オリコン42位。順風満帆なスタートとはいかなかった。2枚目のシングル「恋の約束」は18位、徐々にファンを拡大。続く「チャンスは一度」で振付けが付く。アクション・ブームの始まり。8月8日、東京・郵便貯金ホールにてファースト・コンサート『ワイルドな17歳』を開催。12月4日、『夜のヒットスタジオ』に初出演。12月31日、郷ひろみは新人賞受賞で『第14回日本レコード大賞』の本選に出場し、野口五郎は『第23回NHK紅白歌合戦』に白組最年少で初出場したが、西城は大晦日の高視聴率番組には出演できず、同じ「新御三家」でも知名度で差をつけられることになった。
1973年3月26日、大阪毎日ホールでデビュー1周年記念コンサート『ヒデキ・オン・ステージ』を開催。5月27日、ユネスコ村での「情熱の嵐」キャンペーンで、空からヘリコプターでド派手に登場して話題をさらう。この曲で初めてベストテン入り(オリコン6位)。アクションもエスカレート。「(♪君が望むなら)ヒデキー!!」とファンの掛け声が入った。8月26日、『日劇ウエスタンカーニバル』に出演。
1973年9月5日発売の「ちぎれた愛」で初めてオリコン1位(47.5万枚)。歌唱力を発揮。デビュー前から取り組んできたレッスンがここで実を結んだ。11月、「ヒデキ、感激!!」でお馴染み「ハウス バーモントカレー」のCMが放送開始。11月7日、東京・郵便貯金ホールにて第2回コンサート『西城秀樹リサイタル/ヒデキ・愛・絶叫!』を開催。12月5日発売の「愛の十字架」も連続1位。12月8日 - 12月9日、名古屋・名鉄ホールにてコンサート『ヒデキ/世紀の絶唱』を開催。12月31日、『第15回日本レコード大賞』歌唱賞を獲得するも、『第24回NHK紅白歌合戦』は落選。この頃はまだ、他にはない規格外の声量や派手なアクションへの評価が分かれていた。
1974年1月16日 - 10月9日、ホームドラマとして人気を博したTBS『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演。2月25日発売の「薔薇の鎖」でのスタンド・マイクを使ったアクションが話題になる。5月25日発売の「激しい恋」は売り上げ58.4万枚の大ヒット(年間シングルチャート第8位)。6月8日 - 7月13日、松竹映画『愛と誠』で映画初主演。原作者である梶原一騎に西城自身が直談判して出演が決まった。6月18日、TBS『火曜歌謡ビッグマッチ』で「新御三家」が初共演。衣裳、歌う順番など各マネージャー立合いの下で決められ、西城がトリをつとめた。
1974年8月3日、日本で初めて、スタジアムでのワンマン・コンサートを大阪球場で(以降10年連続、後楽園球場では1978年から6年連続で)開催。10月6日、広島郵便貯金ホールにてコンサート『バック・ホーム・アゲイン・ヒロシマ』を開催。10月19日 - 10月20日、東京・郵便貯金ホールにて第3回コンサート『We Love Hideki'74/新しい愛への出発』を開催。12月31日、「傷だらけのローラ」で2年連続となる『第16回日本レコード大賞』歌唱賞を受賞。『第25回NHK紅白歌合戦』も今度は文句なくトップバッターとして初出場。ようやく人気だけでなくその実力が広く認知される。
1975年1月30日、第12回『ゴールデン・アロー賞』でグラフ賞を受賞。5月、3月31日より放送開始の『寺内貫太郎一家2』で、番組名物小林亜星との乱闘シーンの撮影中、腕を骨折。6月13日公開の松竹映画『おれの行く道』に主演。6月29日、『第4回東京音楽祭』に出場。「傷だらけのローラ」をフランス語(「LOLA」)で熱唱し、ゴールデン・スター賞を受賞。
1975年10月10日、この年の7月20日 - 8月24日に開催された『全国縦断コンサートツアー』を追って撮影されたドキュメンタリー映画『ブロウアップ・ヒデキ(BLOW UP! HIDEKI)』が公開上映される。 11月3日、日本人ソロ歌手としては初めての日本武道館公演を行う(以降1985年まで11年連続で開催)。「プロマイド」の年間総売上実績1位。以降1976年、1978年、1979年も男性歌手部門1位。歴代通算第1位獲得月数で新記録樹立。
[編集] 1976年 - 1979年
1976年2月25日、この年から作詞者に阿久悠を起用。この年発売した3曲「君よ抱かれて熱くなれ」、「ジャガー」、「若き獅子たち」は「青年(成年、盛年)の3部作」と呼んでいた。2月29日、TBS『日曜スペシャル』で企画されたスタジオ・ライブ番組『セブンスターショー』に出演し、24%を超える高視聴率を獲得。3月19日 - 3月28日、ハワイで、初の海外コンサート(ハワイ・ホノルル インターナショナルシアター)。
1976年6月5日発売の「ジャガー」での、オシリの割れ目が見えそうなセクシーな衣装と、「抱いてやるー!」と絶叫するセリフが話題となる。この衣装はアンルイスがアイデアを出したもの。この曲で6月27日に開催された『第5回東京音楽祭』世界大会に出場。8月14日、第3回大阪球場コンサート『ヒデキ・イン・スタジアム'76 “情熱のファンキー・カーニバル”』を開催。10月19日、ニュー・ラテン・クォーターにて初のディナーショーを開催。11月3日、第2回日本武道館コンサート『ヒデキ・イン・武道館』を開催。12月20日、「若き獅子たち」に続き「ラストシーン」でも、(年上の女性との別れを歌った)バラードナンバーを続け、静の魅力も認知される。
1977年3月30日、デビュー5周年記念の第3回日本武道館コンサートを開催。7月5日 - 7月28日、ミュージカルに初挑戦。『わが青春の北壁』(日生劇場)主演。8月27日、第4回大阪球場コンサートを開催。11月3日、この年2度目となる第4回日本武道館コンサートを開催。11月20日、NHK『ビッグショー』に出演(タイトルは『若さを誇らしく思う時に』)。
1978年1月1日、「ブーツをぬいで朝食を」が発売され、『ザ・ベストテン』で第1位を獲得。この曲の反響でライター・ボヤ事件起こる[16]。2月14日、『バレンタインコンサート』で新日本フィルハーモニーと共演。6月18日、「炎」で『第7回東京音楽祭』世界大会に出場、外国審査員団賞受賞。
1978年7月22日、従来の大阪球場に加え、東京の後楽園球場でも第1回コンサート『BIG GAME'78 HIDEKI』を開催。8月26日、第5回大阪球場コンサート『BIG GAME'78 HIDEKI』を開催。以降1984年までツアー名が「BIG GAME」で統一される。11月3日、第5回日本武道館コンサート『永遠の愛7章』を開催。12月19日、「ブルースカイブルー」で初の最優秀歌唱賞を受賞(『FNS歌謡祭'78』)。阿久悠と組んだ最後の曲。12月31日、ピンク・レディー、沢田研二、山口百恵と並び『第20回日本レコード大賞』の最有力候補に挙げられるも逃す。
1979年1月4日 - 1月6日、大阪・厚生年金ホールにて新春コンサートを開催。「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を唄い、「Y.M.C.A.」の4文字を全身で表現するパフォーマンスを披露。2月21日に発売され売り上げ80.8万枚の大ヒット(年間シングルチャート第7位)。8月18日、第6回大阪球場コンサート『BIG GAME'79 HIDEKI』を開催。8月24日、第2回後楽園球場コンサート『BIG GAME'79 HIDEKI』を開催。11月4日、第6回日本武道館コンサートを開催。第8回『ベストドレッサー賞』受賞。年末の賞レースは『第21回日本レコード大賞』を除き、第10回『日本歌謡大賞』、『FNS歌謡祭'79』、第5回『日本テレビ音楽祭』、『'79 あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭』でグランプリを獲得。
[編集] 1980年 - 1984年
1980年1月4日 - 1月6日、大阪・厚生年金ホールにて新春コンサートを開催。4月12日 - 4月28日、日生劇場での特別ロングラン・リサイタル『限りない明日を見つめて』を開催。7月18日、第3回後楽園球場コンサート『BIG GAME'80 HIDEKI』を開催。8月23日、第7回大阪球場コンサート『BIG GAME'80 HIDEKI』を開催。11月3日、第7回日本武道館コンサートを開催。11月23日、東芝日曜劇場『遠くはなれて子守唄』(「日本民間放送連盟賞」受賞作品)に出演。
1981年1月4日 - 1月5日、大阪・厚生年金ホールにて新春コンサートを開催。3月21日、「リトルガール」で30作目のベストテン入り(オリコン初)。続く「セクシーガール」でシングルレコードのトータルセールスが1,000万枚を突破(オリコンの集計では1982年の「南十字星」により同記録を達成)。「セクシーガール」の発売キャンペーンも兼ね『BIG SUNSHINE '81』と題した沖縄・ムーンビーチでのコンサートを開催。海から水上オートバイにて登場。
1981年4月、とんねるずが初めてレギュラー出演した西城司会の情報番組『モーニングサラダ』(日本テレビ)放送開始。8月16日、第4回後楽園球場コンサート『BIG GAME'81 HIDEKI』を開催。8月22日、第8回大阪球場コンサート『BIG GAME'81 HIDEKI』を開催。11月3日、第8回日本武道館コンサートを開催。
1982年1月4日 - 1月5日、大阪・厚生年金ホールにて新春コンサートを開催。4月13日、『ありがとう青春3650日』と銘打ったデビュー10周年誕生日パーティーを赤坂プリンスホテルで開く。同時に記念作品として「南十字星」が3月25日に発売され、東宝創立50周年記念の日豪合作映画「南十字星」の主題歌となった。8月21日、第9回大阪球場コンサート『BIG GAME '82 HIDEKI』を開催。11月21日、第9回日本武道館コンサート『HIDEKI RECITAL - 秋ドラマチック』を開催。
1983年1月21日、芸映を円満独立して「アースコーポレーション」設立。独立第1弾のシングルは「ギャランドゥ」。 8月6日、ツアーラストを大阪球場コンサート『BIG GAME'83 HIDEKI FINAL IN STADIUM CONCERT』で閉め、10年続いたスタジアムコンサートに幕を下ろした。9月21日、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のテレフォンショッキングに初出演。11月20日、第10回日本武道館コンサートを開催。
1984年2月4日 - 3月25日、「低髄液圧症候群」という病名で東京女子医大病院に入院。桃井かおり、松田優作、原田芳雄が、面会謝絶を突破。松田聖子も見舞いに訪れた。4月1日、「Do You Know」で『第13回東京音楽祭』世界大会に出場、初の銀賞を受賞。
1984年5月4日 - 5月28日、7年ぶりとなる日生劇場での主演ミュージカル『デュエット』。共演は鳳蘭。 8月7日、第11回日本武道館コンサート『JUST RUN'84 HIDEKI』を開催。20歳代最後のコンサートツアー『JUST RUN』は、コンピューターサウンドにレーザー光線、ターボサウンドスピーカーと当時のハイテクを駆使したステージ。8月14日、大阪城ホールコンサート『JUST RUN'84 HIDEKI』を開催。
[編集] 1985年 - 1994年
1985年1月19日、シングル盤50曲発売記念・第12回日本武道館コンサート『'85 HIDEKI Special in Budokan - for 50 songs -』を開催。今までのシングル50曲を全部歌った。2月、『つくば万博』開会式で、そのテーマ曲「一万光年の愛」を皇太子明仁親王と礼宮文仁親王の前でNHK交響楽団をバックに歌う。
1985年9月7日 - 9月11日、SFX特殊メイクや西城と同じ顔のマスクを付けたダンサーが登場する『MISTY TOUR』を開き、香港・シンガポール公演でも話題になった。このツアーのメインアルバム『TWILIGHT MADE …』は角松敏生がプロデュースを担当。ジャケ写に西城の姿を使わず、アーティスト色を出した。11月21日、「腕の中へ〜In Search of Love〜」でバリー・マニロウとのデュエットが実現(アーティスト名は「Hideki Saijo & Barry Manilow」)。
1986年5月17日、主演映画『傷だらけの勲章』が全国公開上映。
1989年6月、主演ミュージカル『坂本龍馬』の公演。 大阪・新歌舞伎座で座長公演を開始(以降3年連続)。
1990年、クイーン・エリザベス3世号(香港から日本へのクルージング)で船上ディナーショー。
1991年4月、フジテレビ系のアニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ「走れ正直者」を担当。5月11日、東京・厚生年金会館でデビュー20周年記念コンサート『HIDEKI SAIJO CONCERT TOUR '91 FRONTIER ROAD』を開催。初の学園祭ライブを早稲田大学で行う。
1992年4月14日 - 9月29日、『徳川無頼帳』で時代劇ドラマ初主演。
1993年3月、『STOP AIDS CONCERT』(横浜文化体育館)出演・プロデュース。西城の呼び掛けでもんたよしのり、寺田恵子、沢田知可子、男闘呼組、海外からディオンヌ・ワーウィックなど多数のアーチストが参加。
1994年、主演ミュージカル『ラヴ』の公演。12月31日、10年ぶりに『第45回NHK紅白歌合戦』に出場し、「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を歌う。
[編集] 1995年 - 1999年
1995年、阪神大震災の被災者のために数度神戸に足を運び、チャリティー募金も行なう。これが縁で神戸市民から「元気づけられたので是非」という要望があり、2年続けて『第46回NHK紅白歌合戦』で「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を歌うことになった。
1995年3月9日、東京・渋谷公会堂にて39(Thank you)歳記念コンサート『HIDEKI SAIJO CONCERT 39』を開催。8月5日、桑田佳祐との友好もあり、サザンオールスターズのコンサート『Hotaru California』にゲスト出演。オープニングで2日間観客数16万人と「Y・M・C・A」を決行。
1996年7月3日 - 7月14日、ロックミュージカルの『D・LIVE Rock To The Future』に出演。シングル「round'n'round」で音楽番組出演時には、D・LIVEで結成されたMillennium Eve(Back-vo.杏子、gt.中山加奈子、Key.中村美紀、bs.仙波さとみ、ds.MITSUKO)をバックに歌った。
1997年1月21日、25周年を記念して、デビューから現在までのヒストリー・ビデオ『HIDEKI SAIJO LIFE WORK 7 TREASURES』を発売。7月24日、子供の頃、ヒデキを見て育ったヒデキ大好きロックミュージシャンが結集して製作した『西城秀樹ROCKトリビュート KIDS’WANNA ROCK!』が発売される(参加ミュージシャンは、THE HIGH-LOWS、Gackt、橘高文彦、松岡充、真矢、ROLLY、MILLENNIUM EVE、サンプラザ中野、ダイアモンド☆ユカイ、森重樹一など)。
1997年8月6日、元X JAPANのYOSHIKIのプロデュースによる「moment」を発売。プライベートな飲みの席でプロデュースを依頼し快く引き受けてくれたとのこと。ロサンゼルスのYOSHIKI所有スタジオでレコーディング。
1998年4月、NHK総合『青春のポップス』(レギュラー司会)が始まる。
1999年2月7日、舞台『寺内貫太郎一家』に出演(新橋演舞場)。5月、人気SFアニメシリーズ『∀ガンダム』のテレビ主題歌「ターンAターン」を担当。11月17日、レコード会社をポリドールに移籍。第1弾シングルは「Bailamos〜Tonight we dance〜」(エンリケ・イグレシアスのカバー曲)。
[編集] 2000年 - 2011年
2000年3月31日、東京・厚生年金会館にて80曲記念コンサート『Bailamos 2000』を開催。シドニーオリンピック・サッカー日本代表壮行試合にて「君が代」を斉唱。10月17日発売の「時のきざはし」は、RKこと河村隆一がプロデュースを担当。河村は幼少期に西城に憧れていたこともあり実現。プライベートでも付き合いがある。11月28日、第12回(2001年度)日本ジュエリーベストドレッサー賞を男性部門で受賞。
2001年6月30日、大阪在住の一般OL美紀さんと電撃的に結婚を発表し、静岡県の神社で挙式。結婚披露宴は公開せず、芸能人としてはいたって「普通婚」であった。7月、ディズニー映画『ラマになった王様』の主題歌「ラッキー☆ムーチョ」を「ムーチョ☆ヒデキ」として歌唱。10月、デビュー30周年記念コンサートツアーを開催。
2002年4月28日 - 5月13日、新宿コマ劇場・梅田コマ劇場にて『新・演歌の花道』に出演。「サンヨーオールスターゲーム」のオープニングイベントにて「君が代」、「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を歌唱。
2003年7月24日、ディナーショーのため訪れていた韓国で脳梗塞を発症。9月1日 - 9月13日、中日劇場・新宿コマ劇場・梅田コマ劇場『Forever '70s 〜青春〜 伝説のステージ』出演。
2004年3月6日、NHKミュージック・イン・ドラマ『ホシに願いを』に出演。10月、著書『あきらめない 脳梗塞からの挑戦』(リベロ)を発売。
2005年7月1日、パチスロメーカー「オリンピア」からタイアップ・パチスロ『ヒデキに夢中!!』がリリース。
2006年9月、東京スポーツで『西城秀樹歌手生活35周年、奇跡の復活 ヒデキカンゲキ!』が連載される。9月27日、脳梗塞発症以来、3年ぶりのシングル「めぐり逢い/Same old story 〜男の生き様〜」を発売。
2008年5月30日、NHK総合『青春のポップス』で共演した森口博子、早見優等と共に、東京・中野サンプラザホールにてコンサート『思い出の青春ポップス』を開催。9月17日、アンダーグラフの「ジャパニーズ ロック ファイター」のプロモーション・ビデオに出演。
2009年3月30日 - 9月26日、NHK朝の連続テレビ小説『つばさ』に出演。4月5日 - 、『趣味の園芸 やさいの時間』にレギュラー出演。番組の主題歌「ベジタブル・ワンダフル」を歌う。9月15日、89回目で最後となる大阪・厚生年金ホールでのコンサート『HIDEKI SAIJO CONCERT 2009』を開催。
2011年3月17日 - 3月28日、藤原紀香主演のミュージカル『マルグリット』に初の悪役として出演。9月30日、デビュー40周年記念コンサートを渋谷C.C.Lemonホールで開催。12月20日 - 12月30日、脳梗塞が再発していることが判明し、東京都内の病院で入院治療する。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
- 恋する季節(1972年3月25日)
- 恋の約束(1972年7月25日)
- チャンスは一度(1972年11月25日)
- 青春に賭けよう(1973年2月25日)
- 情熱の嵐(1973年5月25日)
- ちぎれた愛(1973年9月5日)
- 愛の十字架(1973年12月5日)
- 薔薇の鎖(1974年2月25日)
- 激しい恋(1974年5月25日)
- 傷だらけのローラ(1974年8月25日)
- 涙と友情(1974年11月25日)
- この愛のときめき(1975年2月25日)
- 恋の暴走(1975年5月25日)
- 至上の愛(1975年8月25日)
- 白い教会(1975年10月25日)
- 君よ抱かれて熱くなれ(1976年2月25日)
- ジャガー(1976年6月5日)
- 若き獅子たち(1976年9月5日)
- ラストシーン(1976年12月20日)
- ブーメランストリート(1977年3月15日)
- セクシーロックンローラー(1977年6月5日)
- ボタンを外せ(1977年9月5日)
- ブーツをぬいで朝食を(1978年1月1日)
- あなたと愛のために(1978年3月5日)
- 炎(1978年5月25日)
- ブルースカイブルー(1978年8月25日)
- 遙かなる恋人へ(1978年11月25日)
- YOUNG MAN (Y.M.C.A.)(1979年2月21日)
- ホップ・ステップ・ジャンプ(1979年5月21日)
- 勇気があれば(1979年9月5日)
- 悲しき友情(1980年1月5日)
- 愛の園 (AI NO SONO)(1980年3月21日)
- 俺たちの時代(1980年6月5日)
- エンドレス・サマー(1980年7月21日)
- サンタマリアの祈り(1980年10月5日)
- 眠れぬ夜 (1980年12月16日)
- リトルガール(1981年3月21日)
- セクシーガール(1981年6月21日)
- センチメンタルガール(1981年9月5日)
- ジプシー(1981年12月20日)
- 南十字星(1982年3月25日)
- 聖・少女(1982年6月21日)
- 漂流者たち(1982年9月30日)
- ギャランドゥ(1983年2月1日)
- ナイトゲーム(1983年6月1日)
- 哀しみのStill(1983年9月15日)
- Do You Know(1984年1月25日)
- 背中からI Love You(1984年7月5日)
- 抱きしめてジルバ - Careless Whisper - (1984年10月15日)
- 一万光年の愛(1985年2月5日)
- ミスティー・ブルー(1985年5月9日)
- BEAT STREET(1985年9月5日)
- 腕の中へ- In Search of Love -(1985年11月21日)
- 追憶の瞳 - Lola - (1986年4月10日)
- Rain of Dream 夢の罪(1986年9月5日)
- 約束の旅 - 帰港 - (1986年12月5日)
- New York Girl(1987年5月21日)
- 心で聞いたバラード(1987年11月21日)
- Blue Sky(1988年4月1日)
- 夏の誘惑(1988年7月6日)
- ONE - 愛する人のために -(1988年8月31日)
- 33才(1988年11月1日)
- リバーサイドで逢いましょう(1989年7月21日)
- SHAKE MY DAY(1990年7月21日)
- Rock Your Fire(1991年3月25日)
- 走れ正直者(1991年4月21日)
- もいちど(1991年11月21日)
- ブーメランストレート(1992年11月21日)
- いくつもの星が流れ(1993年11月21日)
- SAYYEA',JAN-GO(1994年2月23日)
- 黄昏よ、そばにいて(1995年1月21日)
- 愛が止まらない(1995年6月7日)
- 心の扉(1995年11月22日)
- round'n'round(1996年6月5日)
- パラサイト・ラヴ(1996年12月18日)
- moment(1997年8月6日)
- 2Rから始めよう(1998年5月21日)
- 最後の愛(1999年4月13日)
- ターンAターン(1999年5月26日)
- Bailamos - Tonight we dance - (1999年11月17日)
- Love Torture(2000年4月26日)
- 時のきざはし(2000年10月17日)
- Jasmine(2001年5月23日)
- Everybody Dance(2002年6月26日)
- 粗大ゴミじゃねぇ(2003年7月23日)
- めぐり逢い(2006年9月27日)
[編集] アルバム
- ワイルドな17歳/西城秀樹 (1972年11月5日)
- 青春に賭けよう/西城秀樹 (1973年3月25日)
- 西城秀樹オン・ステージ (1973年6月15日) - 大阪・毎日ホールでのコンサートのライブ盤 -
- エキサイティング秀樹 - ちぎれた愛/情熱の嵐 (1973年10月5日)
- 西城秀樹オリジナル・ゴールデン・ヒット曲集 (1973年10月25日) - ベスト盤 -
- 西城秀樹ベスト・24デラックス (1973年11月25日) - ベスト盤 -
- 西城秀樹リサイタル/ヒデキ・愛・絶叫! (1974年2月10日) - 東京・郵便貯金ホールでの第2回コンサートのライブ盤 -
- 秀樹!エキサイティング・ポップス (1974年4月25日)
- 西城秀樹ゴールド30 (1974年6月25日) - ベスト盤 -
- 傷だらけのローラ/西城秀樹 (1974年9月15日)
- 西城秀樹ロックの世界 (1974年10月10日)
- 西城秀樹ゴールデン・ヒット・デラックス (1974年11月25日) - ベスト盤 -
- 西城秀樹リサイタル/新しい愛への出発 (1975年2月5日) - 東京・郵便貯金ホールでの第3回コンサートのライブ盤 -
- エキサイティング秀樹 Vol.5 - 恋の暴走/この愛のときめき (1975年6月25日)
- ヒデキ・オン・ツアー (1975年9月25日) - 初の全国縦断コンサートのライブ盤 -
- 西城秀樹ビッグ・ヒット20 (1975年10月25日) - ベスト盤 -
- 西城秀樹ゴールデン・ヒット・デラックス16 (1975年11月25日) - ベスト盤 -
- MEMORY - 西城秀樹20歳の日記 (1976年1月25日) - 後半は、日本武道館での第1回コンサートのライブ収録 -
- 愛と情熱の青春/西城秀樹 (1976年6月25日)
- ヒデキ・ロック・オン・ステージ (1976年8月25日)
- 西城秀樹 第1 - 7集(全7枚) (1976年9月25日) - 復刻盤 -
- 西城秀樹ゴールデン・ヒット・デラックス16 (1976年11月5日) - ベスト盤 -
- 若き獅子たち/西城秀樹 (1976年11月25日)
- HIDEKI LIVE'76 (1977年1月25日) - 日本武道館での第2回コンサートのライブ盤 -
- 5年の歩み/西城秀樹 (1977年4月25日) - ベスト盤 -
- 西城秀樹スペシャル (1977年11月5日) - ベスト盤 -
- ロックンロール・ミュージック/ヒデキ (1977年11月25日)
- わが青春の北壁/西城秀樹 (1977年12月20日) - 日生劇場での初のミュージカルのライブ盤 -
- ブーツをぬいで朝食を/西城秀樹 (1978年2月25日)
- ベリー・ベスト・シリーズ/西城秀樹 (1978年4月25日) - ベスト盤 -
- バレンタインコンサート・スペシャル/西城秀樹 愛を歌う (1978年6月25日) - 日比谷公会堂でのコンサートのライブ盤 -
- BIG GAME'78 HIDEKI (1978年9月25日) - 後楽園球場での第1回コンサートのライブ盤 -
- スター・マイ・セレクション・シリーズ/西城秀樹 (1978年12月5日) - ベスト盤 -
- ファースト・フライト/西城秀樹 (1978年12月20日)
- 永遠の愛7章/西城秀樹 (1979年2月25日) - 日本武道館での第5回コンサートのライブ盤 -
- YOUNG MAN/HIDEKI FLYING UP (1979年4月5日)
- Feeling Free/西城秀樹 (1979年7月21日)
- BIG GAME'79 HIDEKI (1979年10月9日) - 後楽園球場での第2回コンサートのライブ盤 -
- SONGS/西城秀樹 (1980年2月16日)
- 限りない明日を見つめて/西城秀樹 (1980年6月5日) - 日生劇場でのコンサートのライブ盤 -
- BIG SUNSHINE/西城秀樹 (1980年8月21日)
- BIG GAME'80 HIDEKI (1980年9月5日) - 後楽園球場での第3回コンサートのライブ盤 -
- ベスト・ヒット/西城秀樹 (1980年12月1日) - ベスト盤 -
- スーパー・ツイン/西城秀樹 (1980年12月6日) - ベスト盤 -
- HIDEKI SONG BOOK (1981年3月5日)
- HIDEKI PRESENTS 30 SONGS from Best Hit Chart (1981年4月13日) - シングル30曲ベストテン入り記念のベスト盤 -
- ポップンガール・ヒデキ (1981年7月5日)
- BIG GAME'81 HIDEKI (1981年10月5日) - 後楽園球場での第4回コンサートのライブ盤 -
- 西城秀樹ベスト28 (1981年11月1日) - ベスト盤 -
- 西城秀樹ベスト・ヒット集 (1981年12月1日) - ベスト盤 -
- CRYSTAL LOVE/西城秀樹 (1982年7月21日)
- 青春3650/西城秀樹 (1982年11月21日) - デビュー10周年記念のベスト盤 -
- THE BEST 西城秀樹 (1982年12月16日) - ベスト盤 -
- HIDEKI RECITAL - 秋ドラマチック (1983年2月5日) - 日本武道館での第9回コンサートのライブ盤 -
- It's You/西城秀樹 (1983年7月21日)
- BIG GAME'83 HIDEKI FINAL IN STADIUM CONCERT (1983年9月15日) - 大阪球場での第10回ファイナルコンサートのライブ盤 -
- BEST 16 西城秀樹 (1983年12月1日) - ベスト盤 -
- GENTLE・A MAN/西城秀樹 (1984年3月5日)
- 背中からI Love You/西城秀樹 (1984年8月5日) - ベスト盤 -
- JUST RUN'84 HIDEKI (1984年9月15日) - 日本武道館での第11回コンサートのライブ盤 -
- Myself/西城秀樹 (1984年12月24日)
- '85 HIDEKI Special in Budokan - for 50 songs - (1985年3月15日) - 日本武道館での第12回(シングル50曲記念)コンサートのライブ盤 -
- TWILIGHT MADE …HIDEKI (1985年7月21日)
- HIDEKI SAIJO (1985年12月26日) - ベスト盤 -
- 腕の中へ- In Search of Love - (1986年2月21日)
- FROM TOKYO (1986年6月5日)
- BEST PACK/西城秀樹 (1986年11月15日) - ベスト盤 -
- Strangers in the Night (1986年11月21日)
- Caravan From Tokyo - HIDEKI SAIJO CONCERT TOUR '86 - (1987年2月15日)- 海外コンサートツアーのライブ盤(VHS) -
- PRIVATE LOVERS (1987年2月21日)
- BEST PACK/西城秀樹 (1987年12月25日) - ベスト盤 -
- 33才/西城秀樹 (1988年4月21日)
- HIDEKI CD BOX - Beloved 120 Songs - (1988年9月21日) - シングル60曲記念のベスト盤 -
- Golden Earrings (1989年7月21日)
- MAD DOG (1991年4月21日)
- HIDEKI SAIJO CONCERT TOUR '91 FRONTIER ROAD (1991年10月2日) - 東京・厚生年金会館での20周年記念コンサートのライブ盤(VHS) -
- ヒデキハウス (1991年12月16日)
- HIDEKI DANCE3 (1991年12月16日)
- History of Hideki Saijo vol.1,vol.2 (1993年9月22日) - ベスト盤 -
- HIDEKI SAIJO EXCITING AGE'72 - '79 (1994年12月16日) - 復刻盤 -
- HIDEKI SAIJO CONCERT 39 - Thank you - (1995年7月5日) - ライブ盤(VHS) -
- Rock To The Future(D・LIVE ORIGINAL COMPILATION)(1996年6月21日) - 赤坂BLITSでのロック・ミュージカルのライブ盤 -
- LIFE WORK (1996年7月24日) - リメイク盤 -
- HIDEKI SAIJO LIFE WORK 7 TREASURES (1997年1月22日) - ヒストリー・ビデオ(VHS) -
- 西城秀樹ROCKトリビュート KIDS’WANNA ROCK! (1997年7月24日) - 西城秀樹に憧れて育った若いロック・アーティスト達によるリメイク盤(トリビュート・アルバム) -
- 西城秀樹シングル・コレクション-77の軌跡 (1999年6月23日) - ベスト盤 -
- HIDEKI 70's (1999年12月16日) - ベスト盤 -
- HIDEKI 80's (1999年12月16日) - ベスト盤 -
- HIDEKI 90's (1999年12月16日) - ベスト盤 -
- HIDEKI B-side story (1999年12月16日) - シングルB面収録盤 -
- HIDEKI SUPER LIVE BOX (1999年12月16日) - 復刻ライブ盤(6枚組CD) -
- 西城秀樹オン・ステージ(1枚目に一部の楽曲が収録)
- 西城秀樹リサイタル/ヒデキ・愛・絶叫!(1枚目に一部の楽曲が収録)
- 西城秀樹リサイタル/新しい愛への出発(1枚目に一部の楽曲が収録)
- バレンタインコンサート・スペシャル/西城秀樹 愛を歌う(2枚目に一部の楽曲が収録)
- 永遠の愛7章/西城秀樹(2枚目に一部の楽曲が収録)
- BIG GAME'78 HIDEKI(3枚目に一部の楽曲が収録)
- BIG GAME'80 HIDEKI(3枚目に一部の楽曲が収録)
- BIG GAME'81 HIDEKI(3枚目に一部の楽曲が収録)
- 限りない明日を見つめて/西城秀樹(4枚目に収録)
- '85 HIDEKI Special in Budokan - for 50 songs -(5枚目、6枚目に収録)
- Bailamos 2000(2000年11月22日) - 東京・厚生年金会館でのコンサートのライブ盤(DVD) -
- Essential HIDEKI 30th Anniversary Best Collection (1972-1999) (2001年6月20日) - ベスト盤 -
- PLANETS - 30th Anniversary 12 Songs - (2001年6月27日) - リメイク盤 -
- THE STAGES OF LEGEND - 栄光の軌跡 - (2003年12月17日) - 復刻ライブ盤(DVD) -
- BIG GAME'83 HIDEKI FINAL IN STADIUM CONCERT
- '85 HIDEKI Special in Budokan - for 50 songs -
- Caravan From Tokyo - HIDEKI SAIJO CONCERT TOUR '86 -
- HIDEKI SAIJO CONCERT TOUR '91 FRONTIER ROAD
- HIDEKI SAIJO CONCERT 39 - Thank you -
- HIDEKI SAIJO LIFE WORK 7 TREASURES
- 特典映像スペシャルDISC
- 背中からI Love You、パシフィック、一万光年の愛、ミスティー・ブルー、SHAKE MY DAY、Rock Your Fire、ブーメランストリート、パラサイト・ラブ、2Rから始めよう
- GOLDEN☆BEST 西城秀樹 (2004年12月22日) - ベスト盤 -
- 西城秀樹 スーパーベスト (2005年12月11日) - ベスト盤 -
- Future Songbook 1999-2007 (2007年6月20日) - ベスト盤 (未発表曲含む)-
- The 35th Anniversary Memorial Box HIDEKI Complete Singles 1972-1999 (2007年12月19日) - デビュー35周年記念のベスト盤(CD9枚+DVD付)※特典DVDには1977年11月20日にNHKで放送の『ビッグショー・若さを誇らしく思う時に』が収録 -
- GOLDEN☆BEST deluxe 西城秀樹 (2010年4月28日) - ベスト盤 -
[編集] 出演
[編集] レギュラー番組
- 寺内貫太郎一家(TBS/1974年)
- 寺内貫太郎一家2(TBS/1975年)
- あこがれ共同隊(TBS/1975年)
- 花吹雪はしご一家(TBS/1975年)
- ロック イン ヒデキ(フジテレビ/1978年)
- 東芝日曜劇場「翔べイカロスの翼」(TBS/1979年10月7日)石井ふく子:プロデューサー
- 東芝日曜劇場「遠くはなれて子守唄」(TBS/1980年11月23日)
- アニメ『坊っちゃん』(フジテレビ/1980年)-声の出演-
- モーニングサラダ(日本テレビ/1981年)とんねるず
- アニメ『姿三四郎』(フジテレビ/1981年)-声の出演-
- ホーム・スイート・ホーム(日本テレビ/1982年)
- 明石貫平35才(日本テレビ/1983年)
- 恋に恋して恋きぶん(TBS/1987年)
- CAT'S EYE(日本テレビ/1988年7月23日)
- 妻たちの鹿鳴館(TBS/1988年10月8日)
- さよなら李香蘭(フジテレビ/1989年)沢口靖子
- 日曜劇場「話してよ、いつものように」(TBS/1990年7月1日)長山藍子、前田吟、野村真美
- 三姉妹(TBS/1990年)若尾文子、大原麗子、浅野ゆう子、竹脇無我、林与一、橋爪淳、佐々木一哲
- 徳川無頼帳(テレビ東京/1992年)千葉真一
- 系列(NHK/1993年)三浦友和
- TVクルーズ となりのパパイヤ(フジテレビ/1994年)辰巳琢郎
- 青春のポップス(NHK/1998年 - 2002年)
- バブル(NHK/2001年)
- 日高晤郎の語り芸・江戸人情噺「紺屋高尾」(札幌テレビ/2004年12月28日)
- つばさ(NHK/2009年)斎藤浩徳 役
- 趣味の園芸 やさいの時間(NHK教育テレビジョン/2009年)
- 主題歌「ベジタブル・ワンダフル」(作詞:有森聡美/作曲:宅見将典)を歌う。同曲はiTunes Storeなどにおいてデジタル・シングルとして発売されている。
[編集] ラジオ番組
- ヒデキとこず恵の楽しいデート(文化放送/1973年 - 1978年)斎藤こず恵
- HIDEKIとHIROMIのサンデーワイワイ広場(文化放送/1979年)
- ヒデキとケン坊の「鬼さんこちら!!」女の子なんかこわくない(文化放送/1980年)
- ラズベリークラブ(文化放送/1984年 - 1986年)
- 青春のリターンマッチ(TBSラジオ/1986年)
- 毎日が新鮮!西城秀樹です。(TBSラジオ/1991年)
[編集] 映画
- ひとつぶの涙(1973年)
- としごろ(1973年)
- しあわせの一番星(1974年)
- 愛と誠(1974年)- 主演映画 -
- あヽ決戦航空隊(1974年)
- ブロウアップ ヒデキ(1975年)- ドキュメンタリー映画 -
- 初の全国縦断コンサートの模様がライブ映像で記録。
- おれの行く道(1975年)- 主演映画 -
- 傷だらけの勲章(1986年)- 主演映画 -
- 天使行動(1987年)- 主演(香港)映画 -
- ムーン・リー、シンシア・ラスター、ジョン・チャン
- ザ・ヒットマン 血はバラの匂い(東映Vシネマ/1991年)- 主演映画 -
- 現代仁侠伝(1997年)
[編集] ミュージカル
- わが青春の北壁(劇団四季/1977年/日生劇場)- 主演 -
- デュエット(東宝/1984年・1986年/日生劇場)- 主演 -
- 坂本龍馬(1989年・1991年/新神戸オリエンタル劇場・日本青年館)- 主演 -
- ラヴ(コメディ/1993年・1996年/東京・大阪・名古屋・札幌)- 主演 -
- Rock To The Future(Panasonic D・LIVE/1996年・1997年/赤坂BLITS)- 主演 -
- 新・演歌の花道(2002年/新宿コマ劇場・梅田コマ劇場)音楽プロデュース・つんく
- 伝説のステージ FOREVER'70s-青春-(2003年/中日劇場・新宿コマ劇場・梅田コマ劇場)
- マルグリット(2011年3月17日 - 28日/赤坂ACTシアター、4月6日 - 10日/梅田芸術劇場メインホール)
[編集] 舞台
- 花小袖清次(1989年/大阪新歌舞伎座)- 主演 -
- 仕立屋銀次(1990年/大阪新歌舞伎座)- 主演 -
- 元禄・暴れん坊(1991年/大阪新歌舞伎座)- 主演 -
- 寺内貫太郎一家(1999年/新橋演舞場)
[編集] CM
- ハウス食品
- サトウ食品
- 「サトウの鏡餅」
- ヤマヒサ
- 「ペティオ」
- ECC
- シチズン時計
- HONDA
- 「LEAD SS」
- 西友
- バイオテック
- テレビ新広島(FNS系列のテレビ局)
- 「情熱電波 TSS」
- 東京通信ネットワーク(TTNet)
- 「東京電話」
- 「東京電話インターネット」
- 「東京電話アステル」
- Yahoo!モバゲー
[編集] CMソング
- ミスティー・ブルー (コーセー化粧品「夏女・ソニア」/1985年)
- 愛の翼 (Wing/1985年「腕の中へ」のカップリング曲)
- Blue Sky (アサヒビール/1988年)
- Try Today (原ヘルス工業「バブルスター」/1988年「33才」のカップリング曲)
- もいちど (ハウス食品「うまいっしょ」/1991年)
- 愛が止まらない (ノエビア化粧品/1995年)
- バンジョーとカズーイの大冒険(任天堂/1998年)
[編集] NHK紅白歌合戦出場歴
トップバッター(一番手)として初出場を果たした第25回NHK紅白歌合戦の西城のステージでは、自身の考案によりドライアイスによる演出が、紅白史上初めて行われた。
| 年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1974年(昭和49年)/第25回 | 初 | 傷だらけのローラ | 1/25 | 山口百恵 | トップバッター(1) |
| 1975年(昭和50年)/第26回 | 2 | 白い教会 | 7/24 | 桜田淳子 | |
| 1976年(昭和51年)/第27回 | 3 | 若き獅子たち | 7/24 | 和田アキ子 | |
| 1977年(昭和52年)/第28回 | 4 | ボタンを外せ | 7/24 | キャンディーズ | |
| 1978年(昭和53年)/第29回 | 5 | ブルースカイブルー | 6/24 | 桜田淳子 | |
| 1979年(昭和54年)/第30回 | 6 | YOUNG MAN (Y.M.C.A.) | 10/23 | ジュディ・オング | |
| 1980年(昭和55年)/第31回 | 7 | サンタマリアの祈り | 5/23 | 岩崎良美 | |
| 1981年(昭和56年)/第32回 | 8 | ジプシー | 7/22 | 川中美幸 | |
| 1982年(昭和57年)/第33回 | 9 | 聖・少女 | 4/22 | 高田みづえ | |
| 1983年(昭和58年)/第34回 | 10 | ギャランドゥ | 1/21 | 岩崎宏美 | トップバッター(2) |
| 1984年(昭和59年)/第35回 | 11 | 抱きしめてジルバ | 4/20 | 河合奈保子 | |
| 1994年(平成6年)/第45回 | 12 | YOUNG MAN (Y.M.C.A.) | 14/25 | 森高千里 | 10年ぶりの出場 |
| 1995年(平成7年)/第46回 | 13 | YOUNG MAN (Y.M.C.A.) | 15/25 | 中村美律子 | |
| 1997年(平成9年)/第48回 | 14 | moment | 14/25 | DREAMS COME TRUE | 2年ぶりの出場 |
| 1998年(平成10年)/第49回 | 15 | 傷だらけのローラ | 7/25 | Every Little Thing | |
| 1999年(平成11年)/第50回 | 16 | Bailamos | 8/27 | 中村美律子 | |
| 2000年(平成12年)/第51回 | 17 | ブルースカイブルー | 10/28 | Every Little Thing | |
| 2001年(平成13年)/第52回 | 18 | Jasmine | 11/27 | 長山洋子 |
[編集] 日本レコード大賞・本選出場歴
| 年度/開催回 | 回 | 受賞曲/候補曲 | 賞 |
|---|---|---|---|
| 1973年(昭和48年)/第15回 | 1 | ちぎれた愛 | 歌唱賞 |
| 1974年(昭和49年)/第16回 | 2 | 傷だらけのローラ | 歌唱賞 |
| 1975年(昭和50年)/第17回 | 3 | この愛のときめき | 大賞候補 |
| 1976年(昭和51年)/第18回 | 4 | 若き獅子たち | 歌唱賞 |
| 1977年(昭和52年)/第19回 | 5 | ボタンを外せ | 大賞候補 |
| 1978年(昭和53年)/第20回 | 6 | ブルースカイブルー | 金賞 |
| 1979年(昭和54年)/第21回 | 7 | 勇気があれば | 金賞 |
| 1980年(昭和55年)/第22回 | 8 | サンタマリアの祈り | 金賞 |
| 1981年(昭和56年)/第23回 | 9 | センチメンタルガール | 金賞 |
| 1982年(昭和57年)/第24回 | 10 | 聖・少女 | 金賞 |
| 1983年(昭和58年)/第25回 | 11 | ギャランドゥ | 金賞 |
[編集] ザ・ベストテン登場歴
| 放送回 | 週数 | 登場曲 | 最高位 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 第1回 - 第9回 | 9週 | ブーツをぬいで朝食を | 第1位 | 2週連続1位 |
| 第11回 - 第18回 | 8週 | あなたと愛のために | 第2位 | |
| 第21回 - 第31回 | 11週 | 炎 | 第4位 | |
| 第34回 - 第47回 | 14週 | ブルースカイブルー | 第3位 | 年間総合第9位 |
| 第48回 - 第55回 | 8週 | 遙かなる恋人へ | 第5位 | |
| 第59回 - 第72回 | 14週 | YOUNG MAN (Y.M.C.A.) | 第1位 | 9週連続1位(最高点獲得・2週) |
| 第72回 - 第82回 | 11週 | ホップ・ステップ・ジャンプ | 第2位 | |
| 第87回 - 第98回 | 12週 | 勇気があれば | 第1位 | 2週連続1位 |
| 第103回 - 第111回 | 9週 | 悲しき友情 | 第4位 | |
| 第115回 - 第123回 | 9週 | 愛の園 (AI NO SONO) | 第3位 | |
| 第126回 - 第131回 | 6週 | 俺たちの時代 | 第3位 | |
| 第133回 - 第135回 | 3週 | エンドレス・サマー | 第4位 | |
| 第144回 - 第147回 | 3週 | サンタマリアの祈り | 第9位 | |
| 第154回 - 第161回 | 8週 | 眠れぬ夜 | 第3位 | |
| 第166回 - 第172回 | 7週 | リトルガール | 第5位 | |
| 第181回 - 第183回 | 3週 | セクシーガール | 第7位 | |
| 第209回 | 1週 | ジプシー | 第10位 | |
| 第218回 - 第224回 | 7週 | 南十字星 | 第4位 | |
| 第231回 - 第235回 | 5週 | 聖・少女 | 第6位 | |
| 第263回 - 第265回 | 3週 | ギャランドゥ | 第8位 | |
| 第359回 - 第361回 | 3週 | 抱きしめてジルバ | 第9位 | |
| 第410回 | 1週 | 腕の中へ | 第9位 |
[編集] 出版
[編集] 著書
- 誰も知らなかった西城秀樹(ペップ出版/1975年)
- 君におくろう僕の愛を(ペップ出版/1976年)
- ふたりぼっちの日曜日・ヒデキとこず恵の楽しいデート(徳間書店/1976年)
- いま、光の中で(集英社/1979年)
- 熱き想いいつまでも(日本文芸社/1992年)
- バリスタイルの家 西城秀樹の快適アジアン生活のすすめ(イースト・プレス/2002年)
- あきらめない 脳梗塞からの挑戦(リベロ/2004年)
[編集] 写真集
- 西城秀樹 Young idol now『写真集』(勁文社/1974年)
- 西城秀樹写真集(さうんどぱわあ/1974年)
- 季刊ポッポ 75'WINTER 全特集・西城秀樹(新興楽譜出版/1975年)
- The Young Lion 西城秀樹『写真集』(レオ企画/1976年)
- HIDEKI(Wani Books/1980年)
- Hideki Saijo(株式会社シンコーミュージック/1981年)
- MY SELF PORTRAIT(近代映画社/1984年)
- BODY(Wani Books/1986年)
- H45・西城秀樹「独身最後の衝撃」写真集(主婦と生活社/2001年)
[編集] 関連項目
西城秀樹の妹分として芸能界デビュー
[編集] 脚注
- ^ オリコンの集計では1982年の「南十字星」により同記録を達成する。
- ^ 「西城秀樹歌手生活35周年 奇跡の復活 ヒデキカンゲキ!」(東京スポーツ/2006年9月)
- ^ 関西地方のローカル番組として人気のあった『プリン・キャッシーのテレビ!テレビ!!』(1973年 - )のコーナー「パクパクコンテスト」(素人が口パクでレコードに合わせて振りマネをする)で、男性出演者の半分は西城の振りマネをしていたぐらいである。初代グランドチャンピオン松原秀樹、2代目の草川祐馬、3代目の川崎麻世はいずれも西城の振りマネをして人気を博し芸能界デビューを果した。
- ^ 「オートバイ」、「CAR」、トラック野郎の「デコトラ」 、11tトラックを改造した「光の箱」、ステージの一部が15mまでせり上がる「リフト」、前に飛び出す「ムービングステージ」、「炎のじゅうたん」、「空中からのダイブ」、クレーンを使った「ゴンドラ」、おなじみ「スペースイーグル」、「バルーン」、「空中ブランコ」、「E.T.自転車」、「レーザー光線」、「煙幕」、「火薬」、「花火」など。
- ^ 香港「IFPI Top Sales Music Award」表彰式に出席(サンケイスポーツ/2007年3月23日)
- ^ 1973年、「情熱の嵐」の発売時のユネスコ村にファンを集めての新曲キャンペーンライブは、空からアクション・スターのようにヘリコプターにつかまりド派手に登場して話題をさらった。1976年、「ジャガー」のユネスコ村・新曲発表会では、アンコールで興奮してギターを叩き割るパフォーマンス。このギターは芳野藤丸からの貰い物で大失敗だった。1980年、「エンドレス・サマー」の時は、完成したばかりの新宿アルタのベランダで行われ、アルタ前の歩道や広場が1万人(新宿警察発表)以上の人で埋めつくされた。1981年、「セクシーガール」発売キャンペーンもかねた『BIG SUNSHINE '81』と釘打った沖縄ムーンビーチでのコンサートでは、海から水上オートバイで現れ、特設ステージに登場した。
- ^ 『ごきげんライフスタイル よ〜いドン!』(関西テレビ、2010年6月9日放送分)の再現ドラマより。
- ^ 2007年『徳光和夫の感動再会"逢いたい"』に西城が出演した回にてこのエピソードは紹介された。
- ^ NHK総合『青春のポップス』番組内での布施との雑談で紹介された
- ^ 『和田アキ子だ 文句あっか!』 和田アキ子著、日本文芸社、1983年、19-22頁
- ^ 『週刊プレイボーイ』 集英社、2009年10月12日号、158頁
- ^ 1982年の放送で、「漂流者たち」を涙を浮かべながら歌っているのを見て心配したファンから投書や電話が殺到。西城によれば、故郷広島から不安と期待を胸に抱え、家出同然で上京した旅立ちの日とオーバーラップしたとのこと。
- ^ 『速報!歌の大辞テン』(日本テレビ)ゲスト出演時の西城の発言
- ^ 『週刊現代』 講談社、2010年12月18日号、1頁
- ^ 2011年2月20日放送『誰だって波瀾爆笑』(日本テレビ)にて紹介された。
- ^ 「ブーツをぬいで朝食を」のライターを使ったアクションが話題になったが、1978年に子供がこれをマネて火災事故を起こし社会問題になった。それが原因で、次作品の「あなたと愛のために」での手鏡を使ったアクションが途中で打ち切りになってしまった。
[編集] 外部リンク
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