日本クラウン

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日本クラウン株式会社
NIPPON CROWN CO., LTD
種類 株式会社
本社所在地 〒150-0002 
東京都渋谷区渋谷2-12-19
東建インターナショナルビル6F
設立 1963年9月6日
業種 情報・通信業
事業内容 音楽ソフトの制作・販売
代表者 代表取締役社長 西野茂詔
主要株主 株式会社第一興商(77.8%)
外部リンク http://www.crownrecord.co.jp/
特記事項:2006年5月29日より渋谷に本社移転。CRSルームの業務は旧本社のあった港区赤坂溜池で引き続き行っている。
  

日本クラウン株式会社Nippon Crown Co., Ltd.)は、総合音楽企業。商標名は『クラウンレコード』で、1973年から1990年の間は、社名もクラウンレコード株式会社としていた。

目次

[編集] 沿革

1963年9月、日本コロムビア常務兼レコード事業部長だった辣腕プロデューサーの伊藤正憲が、有田一寿若松築港社長、後に新自由クラブ参議院議員)と三菱電機の支援を得て独立。馬淵玄三五木寛之の連作小説[1]のモデルになった同社文芸部ディレクター)、斎藤昇(同ディレクター、後に社長~会長)、星野哲郎(作詞家)、米山正夫(作曲家)、美空ひばり北島三郎水前寺清子らが伊藤を慕い行動を共にした。最初に契約した新人は西郷輝彦

日立グループのコロムビアから三菱グループへの鞍替えには困難が伴い、北島の楽屋を訪れた斎藤と星野が脱藩の決意を眼力だけで訴えたという経緯は、盃事に脚色した『兄弟仁義』に昇華、レコード・映画化され大ヒットし同社の礎を築く[2]

日本クラウンは、追って創立されたミノルフォンと共に、自前の工場を持たず制作とプロモーションに特化してアーティスト主導の業務内容を打ち出した本邦初のレコード会社で、プレスは山口組の手を借りた吉本興業が、日本マーキュリー(タイヘイレコード)の生産設備を強奪して作ったプレス専業社=ヤンマー音響に外注する形を採っていた[3][4][5]

1967年に長寿ラジオ番組『クラウンレコード千円クイズ』(後の1万円クイズ、ラッキープレゼント)を開始。1970年2月、日本テレビとの共同出資でユニオン映画を設立し、映像部門にも進出。1972年には市川昭介(作曲家)を専属に迎え入れる等、布陣拡充を図ったが、主力の演歌市場の停滞に伴い経営は悪化し、三菱グループ側が保有株式をカラオケ大手の第一興商へ徐々に譲渡した結果、第一興商の持分会社化・連結対象化し、三菱グループから離脱して現在に至る。

1998年まで、当時自前の流通網を持たなかったエイベックス・ディー・ディー(現エイベックス・グループ・ホールディングス)の販売を受託していた。その後、共に第一興商傘下に入った日本クラウンと徳間ジャパンコミュニケーションズ(ミノルフォンの後身)は、2002年以降、販売会社および制作部門を合併し、統合を進めている。

[編集] 所属アーティスト

[編集] 演歌・歌謡曲


[編集] J-POP/ロック


[編集] かつて所属したアーティスト


[編集] 関連項目

[編集] 業務提携

[編集] 子会社

[編集] 脚註

  1. ^艶歌の竜』=高円寺竜三シリーズ
  2. ^ サブちゃん物語 第五話北島音楽事務所
  3. ^ 同社は日本ビクター等からも受請
  4. ^ 関西発レコード120年 埋もれた音と歴史 第7部神戸新聞1999年1月28日
  5. ^ 誰か昭和を想わざる 昭和ラプソディ(43年・上)

[編集] 外部リンク