水前寺清子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

水前寺清子
基本情報
出生名 林田民子
別名 チータ
出生 1945年10月9日(63歳)
出身地 日本熊本県熊本市
ジャンル 演歌
職業 演歌歌手
担当楽器
活動期間 1964年 -
レーベル 日本クラウン(1964年 - 1980年1989年 - )
RVC→BMGビクター1981年 - 1988年
事務所 水清企画
公式サイト chita365.net
  

水前寺 清子すいぜんじ きよこ、本名:林田 民子、1945年10月9日 - )は、日本の女性歌手女優

目次

[編集] 人物

熊本市出身。熊本市立碩台小学校洗足学園中学校・高等学校卒業。愛称「チータ」はデビュー前からの物で、「もしデビュー出来ても、いつまでもさな頃のミちゃんの心を忘れずに」に由来している(チーターのように足が速いからと間違われる事が多い)。芸名の水前寺は故郷・熊本市の水前寺成趣園から取ったもの。

見得を切りながらの歌唱は「ん-にゃっ!」という語尾ひねりによって安易に物まねされる事が多いが、本人の癖はそれほど強くない。しかし、自らの物まねを意識してあえてひねることもある。

NHK紅白歌合戦」には1965年(16回)から1986年(37回)まで22回連続出場していた。その内紅組の司会を4回務めたことがあり、1960年代後半 - 1980年代にかけて、紅組内ではムードメーカー的存在であることが多かったが、トリを飾ったのは意外にも1983年(第34回)のわずか1回だけである。しかしながら、全盛を極めていた時代の紅白の象徴的な歌手であり、様々なエピソードが残されている(詳細は後述)。

また、社団法人日本歌手協会」副会長、健康日本21推進ウオーキング実行委員長、社団法人日本ウオーキング協会理事の役職も務めており、最近は本業よりもそうした方面での活動も多くなっている。

[編集] 略歴

  • 前史…水前寺の父親は熊本市内で化粧品・洋品店を経営していたが、過大投資が祟って破綻し、一家は夜逃げ同然に上京、歌のうまい民子に将来を託した。
  • 1964年 『涙を抱いた渡り鳥』でデビュー。
  • 1965年 NHK紅白歌合戦に初出場。以降、1986年まで22回連続出場。
  • 1968年三百六十五歩のマーチ』が100万枚の大ヒット。(第11回日本レコード大賞大衆賞受賞。翌1969年3月開催の選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用となる)
  • 1970年 ドラマ『ありがとう』(TBS)主演
  • 1981年 『有明けの海』で古賀政男記念音楽大賞、日本作詩大賞に入賞。
  • 1989年 バックバンドのサックス奏者だった小松明と結婚。
  • 2000年 熊本市に老人ケアハウス「水清庵」を設立。また「水前寺清子一座」を旗揚げ、全国公演。
  • 2005年 期間限定再集結聖飢魔IIのミサにゲスト出演し、聖飢魔IIの演奏で『三百六十五歩のマーチ』をデーモン小暮閣下と歌唱。
  • デビュー前、芸名は「東京マリ」にしようと自分で考えていた(もともとポップス歌手志望だった)が、演歌歌手としてデビューすることになり、恩師である星野哲郎やレコード会社ディレクターの提案によって芸名が「水前寺清子」になった。

[編集] NHK紅白歌合戦でのエピソード

水前寺は1960年代半ば - 1980年代まで、司会を4回、トップバッターを2回、トリを1回、1981年よりチームリーダー制が引かれてからは紅組リーダーを4回(1983年は盟友である同期デビューの都はるみにその座を禅譲している)、と、全盛時代の紅白を語る上では欠かすことができない歌手であることはいうまでもない。それだけに紅白における彼女に関するエピソードも多く残されている。

  • 1968年、第19回紅白で初の紅組司会を務める。初司会であったためかこの時の水前寺は極度の緊張状態にあり、冒頭の選手宣誓で「昭和43年」を「昭和33年」と言い間違えてしまった。また、この頃は大抵、着流しやパンツルックなど、ボーイッシュな衣装でテレビに出ることが多かった彼女が芸者姿で司会をし、観客から笑いを取ったりもした。
  • 1971年、2回目の紅組司会を務めたが、紅組のトリとなった美空ひばりの曲目紹介を拒否した事で、後日謝罪の記者会見を行い波紋を呼んだ。翌1972年の紅組司会は佐良直美に変更となるも、その翌1973年は確執が噂されていた美空ひばりが落選したこともあり、水前寺が同年3回目の紅白司会を務めている。
  • 1979年、4回目の司会を務めた紅白では、歌手としてよりも司会の方に重点を置く意思で司会に臨んだ。そのため、紅組出場歌手の意思を取りまとめるべく、特に初出場で緊張の極度にいる歌手に対しては激励の言葉をかけ続けたり、各歌手のいい部分を最大限すくい上げようと司会者面談をいつも以上に念入りに行うなど、努力を惜しまなかった。どちらかといえば紅白の勝敗は事前に決まっているのではないか、といった批判があるほどに業務的に決定されている印象が強いが、この年の紅白における紅組優勝のシーン(司会者である水前寺を全員が胴上げするというもの)は、そのような印象を一蹴する感動的なものであった。紅白フリークでもこの年の水前寺の司会は歴代紅組司会の中でも1、2を争う名司会ぶりであるとの評価が多い。また、司会をしていない場合でも毎年、年賀状を全ての紅組出場歌手に出し、叱咤激励の言葉を添えて新年におけるお互いの活躍を讃えあう姿勢を見せるなど、まさに「チームリーダー」という言葉が最もしっくりくる出場歌手であったといえる。
  • 1982年の入場行進は、それまでの五十音順での行進という鉄則を破って、意表をつく組み合わせでの入場となった。このときに同期の都はるみとともに入場した相手は当時のトップアイドル、近藤真彦田原俊彦だった。
  • 1983年、「あさくさ物語」で出場19回目にして初のトリを務める。しかし、この年、紅白の直前に、最大の理解者であった父親が死去。彼女のたった1回のトリは、彼女らしい覇気のあるステージではなく、終始涙を浮かべての悲しみを押し殺してのステージとなってしまった。しかし、このシーンは多くの視聴者に感動を与えた(水前寺は後年この点につき、本番1か月前にトリが内定していたが、関係者や親族にもそのことを明かしてはならないとの注文がNHKサイドから付けられていたために、病床の父親にもその事実を告げることができなかったことが現在でも心残りとなっているらしく、この事実を父親に告げていれば、紅白本番の時まで父親は生きていてくれたのかも、という旨を述べている)。
  • 1987年、紅白改革の嵐に巻き込まれる形で、全盛期の紅白の最大の功労者ともいえる水前寺も出場22回にして落選という挫折を味わう。1990年代に入り、紅白でも懐メロが本格的に解禁されて再出場の機会は幾度となくあったが、落選の後は1度も紅白に出場できていない。紅白が50回を迎えた時のインタビューでは、「今では見る立場になってしまいましたが、お声がかかったり時代の流れに乗ればいつでも出るし待ってます」とコメントしている 。ただし、近年でも紅白歌合戦の事前番組(思い出の紅白・感動の紅白など)にはコロッケらとほぼ毎年出演している。

[編集] NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回
1965年(昭和40年)/第16回 涙を抱いた渡り鳥
1966年(昭和41年)/第17回 2 いっぽんどっこの唄
1967年(昭和42年)/第18回 3 どうどうどっこの唄
1968年(昭和43年)/第19回 4 男でよいしょ
1969年(昭和44年)/第20回 5 真実一路のマーチ
1970年(昭和45年)/第21回 6 大勝負
1971年(昭和46年)/第22回 7 ああ男なら男なら
1972年(昭和47年)/第23回 8 昭和放浪記
1973年(昭和48年)/第24回 9 いっぽんどっこの唄(2回目)
1974年(昭和49年)/第25回 10 てっぺんまごころ
1975年(昭和50年)/第26回 11 大勝負(2回目)
1976年(昭和51年)/第27回 12 鬼面児(きめんじ)
1977年(昭和52年)/第28回 13 虚空太鼓(こくうだいこ)
1978年(昭和53年)/第29回 14 肥後の駒下駄(ひごのこまげた)
1979年(昭和54年)/第30回 15 涙を抱いた渡り鳥(2回目)
1980年(昭和55年)/第31回 16 三百六十五歩のマーチ
1981年(昭和56年)/第32回 17 有明の海
1982年(昭和57年)/第33回 18 大勝負(3回目)
1983年(昭和58年)/第34回 19 あさくさ物語
1984年(昭和59年)/第35回 20 浪花節だよ人生は
1985年(昭和60年)/第36回 21 人生夢三味線
1986年(昭和61年)/第38回 22 男の三百六十度

[編集] テレビ

[編集] ラジオ

[編集] CM

[編集] 代表曲

  • 涙を抱いた渡り鳥 1964年
  • 女黒田節 1965年
  • 花の都の渡り鳥 1965年
  • 女ごころの流し唄 1965年
  • ゆさぶりどっこの唄 1965年
  • いっぽんどっこの唄 1966年(ミリオンセラー
  • その一言を待ってます 1966年
  • 俺は天下のご意見番 1966年
  • どうどうどっこの唄 1967年
  • いつでも君は 1967年
  • みそこなっちゃいけないよ 1967年
  • 三百六十五歩のマーチ 1968年(ミリオンセラー)
    • 1991年にテレビアニメ「丸出だめ夫」の主題歌となる。
  • 男でよいしょ 1968年
  • おしてもだめならひいてみな 1968年
  • 神様の恋人 1968年
  • ひとりでよいしょ 1968年
  • 真実一路のマーチ 1969年(日本レコード大賞大衆賞受賞曲)
  • 艶歌 (えんか) 1969年
  • 東京でだめなら 1969年
  • ありがとうの歌 1970年
  • 大勝負 1970年(ミリオンセラー)
  • だめでもともと 1970年
  • ああ男なら男なら 1971年
  • 昭和放浪記 1972年
  • みつばちマーヤの冒険 1975年(「チータとみつばち合唱団」名義)
  • 虚空太鼓 1977年
  • 肥後の駒下駄 1978年
  • さすらい情話 1981年
  • 有明けの海 1981年
  • あさくさ物語 1983年
  • 浪花節だよ人生は 1984年(細川たかし木村友衛こまどり姉妹らと競作。1984年の紅白では細川と『同曲対決』を行った)
  • 人生夢三味線 1985年
  • 男三百六十度 1986年
  • こころの港 1989年
  • 人生一路 1993年
  • 青空 1990年
  • 自慢じゃないが女だよ1995年
  • C.C.レモン 1997年(「チータ」名義)
  • おんなの街道 1998年
  • 女の花道 1998年
  • ウォーキングマーチ 2003年(21世紀版「三百六十五歩のマーチ」)
  • キッカケサンバ 2003年(「きっかけはフジテレビ。」キャンペーンソング、「ポンキッキーズ21」挿入歌)
  • 春雷 2006年(チータのテーマソングともいえる楽曲でコンサートのラストで歌われる事が多い)
  • よいしょ・こらしょ/女の旅路 2008年(作詞家:川内康範の遺作)

[編集] その他のテレビ番組

[編集] 外部リンク

chita365.net(公式HP)