美川憲一

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美川憲一
基本情報
出生名 百瀬由一(ももせ よしかず)
出生 1946年5月15日(68歳)
出身地 日本の旗 日本 長野県諏訪市
血液型 A型
ジャンル 演歌
活動期間 1965年 -
公式サイト 美川憲一プロフィール

美川 憲一(みかわ けんいち、1946年5月15日 - )は、日本演歌歌手タレント。ABプロ所属。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

生い立ちは複雑で、母が妻子ある交際相手との間に出産した子供が美川だった。一人で育てていた母が肺結核を患い、2歳の時に母の姉夫婦に引き取られた[1]。姉夫婦に子供がいなかったため実子のように可愛がられ、子供の頃からバイオリン絵画日舞などを習った。実の親ではないことを知ったのは中学1年生の時だった[1]

「2人の母親」を食べさせるために芸能界を目指し、高校を1年で中退し東宝芸能学校に入学[1]1964年、第17期「大映ニューフェイス」に合格。

なお、1996年に育ての母が死去[2]2006年に生みの母が死去している[3]

歌手として[編集]

古賀政男の指導を受け、1965年、「だけどだけどだけど」で歌手デビュー。デビューは青春歌謡路線であり、当時は男装・美少年キャラクターであった。

芸名の「美川」は岐阜県を流れる木曽川揖斐川長良川の3つの美しい川にちなむ。美川自身は長野県出身で2歳から東京に住んでおり岐阜とは何の縁もなかったが、デビュー当時のプロダクションの担当者が岐阜出身だったことから岐阜に由来する芸名を付けられた。「川のように息が長く、美しい歌手であるように」という意味が込められている。

1966年、北海道出身で、柳ヶ瀬で流しをしていた宇佐英雄が作詞・作曲した「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚を売り上げるヒット[4]

青春歌謡路線で売出し中の美川にとって演歌である「柳ヶ瀬ブルース」を歌う事にかなりの抵抗があった。 レコーディングの話が来た際、レコード会社に「歌いたくない」と断ったところ「歌えないのならお前はクビだ」と言われてしまう。「クビになるのならやるだけやってみよう」「この曲が売れなければ辞めよう」と詞の内容も理解しないまま嫌々歌ったという。この曲のヒットにより美川はムード歌謡・演歌路線へとシフトを変えていくこととなる。

また「柳ヶ瀬ブルース」は映画化され、美川にとって映画初出演の作品となった。

1967年、「新潟ブルース」発売。売上枚数は多くなかったがカラオケで広く歌われるようになり、リクエストランキング1位を獲得した。

1968年、「釧路の夜」がヒットし45万枚を売り上げた。「釧路の夜」もヒットにより映画化され、美川も出演をした。 第19回NHK紅白歌合戦』に「釧路の夜」で初出場。

1970年、「みれん町」「大阪の夜」「おんなの朝」と立て続けにヒット曲を出す。「柳ヶ瀬ブルース」「新潟ブルース」「釧路の夜」とご当地ソングのヒットが続いていたが、「みれん町」のヒットにより盛り場をテーマにした曲なども発売されるようになり、この頃から曲調が変わっていく。なお「おんなの朝」は30万枚を売り上げるヒット曲となったが、当時のNHKでは「歌詞の内容が過激すぎる」ということで歌唱禁止とされた。

「柳ヶ瀬ブルース」で第3回日本有線放送大賞特別賞を受賞。

1971年、「おんなの朝」で第4回日本有線放送大賞スター賞・第4回日本作詞大賞大賞を受賞。

11月に「お金をちょうだい」が発売される。当時としては奇抜なタイトルで話題となったが、当時のNHKでは歌唱禁止とされた。 「お金をちょうだい」は作詞家の星野哲郎が詩を作り、作曲家の中川博之が後からメロディーをつけ完成した作品で、完成当初は誰が歌うか決まっておらず、菅原洋一や美空ひばりなどが候補に挙がっていた。そんな中、美川は中川博之の自宅まで行き「僕に歌わせてください」と直接頼み込んで美川の作品として発売される事になった。

1972年、「さそり座の女」が発売される。9.7万枚を売り上げるヒット曲となり当時の星占いブームのきっかけとなった。「さそり座の女」以降は目立ったヒット曲がなく、1974年の『第25回NHK紅白歌合戦』まで7年連続で紅白に出演していたが、翌1975年の『第25回NHK紅白歌合戦』で落選した。

1975年NHKホールでデビュー10周年記念リサイタルが開催された。

1977年に「駅」が発売された。ドラマのエンディングに使用されたこともあり発売後は有線リクエストでも上位にランキングされ美川にとって久々のヒット曲になるかと言われたが、この年の10月に大麻取締法違反で逮捕されヒットに結びつくことはなかった。

1980年デビュー15周年記念リサイタルが主要都市6ケ所で開催された。

1984年大麻取締法違反で2度目の逮捕。判決は懲役1年6か月、執行猶予3年(2度目の逮捕で執行猶予は当時でも異例)。大麻事件以降はテレビの出演回数も減り、スナックでの営業や地方の温泉などでの公演が続いた。

一時芸名を「美川けん一」に変更したが、事態が好転することはなかった。

再起[編集]

1980年代終盤、ものまねブームのさなか、ものまねタレントの第一人者であるコロッケによる美川のマネがうけ、1989年正月に放送された『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』でコロッケと初めて共演をした。これは男性タレントとしては曲の途中でサプライズで登場する「ご本人登場」の第1号であった。この時の出演が大きな反響を呼び美川の人気が復活するきっかけとなった。1990年ちあきなおみと共演した金鳥のCMが話題となり、その後の美川ブームへと続いた。1991年第42回NHK紅白歌合戦にも、17年ぶりのカムバック出場を果たし、コロッケとのデュエットで「さそり座の女」を披露。

1990年、メルパルクホールにてデビュー25周年記念リサイタルが開催された。 (デビュー20周年記念リサイタルは開催されなかった)

1990年に新潟の万代橋の袂に「新潟ブルース」、1991年には柳ケ瀬商店街に「柳ケ瀬ブルース」、 1993年には釧路市に「釧路の夜」の歌碑がそれぞれ建立された。

ブーム以降も「芸能界のご意見番」などとしてワイドショーやバラエティ番組にしばしば登場し、タレントとしての地位を確保。彼の歌声はもちろん、毒舌やトーク聞きたさにコンサートディナーショーにも、中高年女性を中心とした集客が見込めるタレントとなった。二度の逮捕で業界を干されていた自身の再起の機会を作ったコロッケに対しては強い恩義を抱いており、現在も大変仲が良く、度々全国でジョイントコンサートを開催したこともある。美川本人も「どん底から自分を復活させてくれたコロッケには感謝している」と度々発言している。コロッケへ豪華なステージ衣装をプレゼントしたことがある。

再ブレイク以降は「オネエキャラ・セレブキャラ」として活躍。ちあきなおみと共演した金鳥のCMでの「もっと端っこ歩きなさいよ」や、美川がバラエティ番組でたびたび発する「おだまり」が流行語になる。またNHK紅白歌合戦には、復帰出演の1991年から2009年まで19年連続出場(通算では26回出場)し、小林幸子との派手な衣装対決で毎年話題を集めていた。小林とは歌手としてライバル関係ではあるが、歌手デビュー前後には古賀政男の元で小林と一緒にレッスン指導を受けていたことから、当時からプライベートでも親交が深い親友で、お互いの低迷時の苦労を全て知り尽くしている仲でもあり、2010年の紅白歌合戦落選直後には小林からすぐに電話連絡があってとても励まされたという。過去にはデュエットCDを出したこともある。

1994年にNHKホールにてデビュー30周年記念リサイタル、1999年にNHKホールにてデビュー35周年記念リサイタルが開催された。

シャンソンに非常に力を入れており、1999年から毎年シャンソンコンサートを開催している。また、デビュー35周年記念、40周年記念、45周年記念でそれぞれシャンソンアルバムをリリースしている。デビュー当時から親交があった淡谷のり子から「憲ちゃんの声はこぶしがなく一本調子だからシャンソンに合っている」と勧められた事がきっかけで、また美川自身もシャンソンが好きだったこともあり、美川が20代後半の頃からレコーディングやコンサートで徐々に歌われるようになっていった。

2012年8月10日には25年間所属した芸能事務所エービープロモーションを社員6人とともに独立して、新事務所を設立することになった[5]。美川へのギャラや社員の給料の遅配、取引関係への未払いなどから、事務所社長との関係が悪化していたのが原因とされる[5]

同年9月6日、新曲「金の月」の発売日に会見を開き、エービープロモーションの社長と和解したことを報告するとともに、個人事務所「ABプロ」を同年10月からスタートさせることを明らかにした[6]

しかし、2013年12月12日、エービープローモーションが、同社のホームページで、同社の承諾なく独立を断行し、報道機関などに同社の名誉を毀損する発言をした上、独立後も同社の承諾なく「美川憲一」の名称を用いて芸能活動を続け、同社の資産であるステージ衣装、楽譜を持ち出した上に利用して芸能活動を続けているなどとして、東京地方裁判所に専属契約の一方的破棄の債務不履行に基づく損害賠償として美川と「オフィスミカワ」に2億1125万7464円(うち美川個人には1億9349万5103円)を求め提訴したことを発表した[7]。美川も提訴直後に記者のインタビューに答えており「弁護士にお願いしていてこの件に関してはお話しできないの。ごめんなさいね。」と語っている。ただし、同社社長は、芸名が使えなくなることについては否定している。[8]

ディスコグラフィー[編集]

  1. だけどだけどだけど/ひとりになると(昭和40年6月1日)
  2. あの娘が好きと云った花/君と僕との愛の星(昭和40年12月1日)
  3. 柳ヶ瀬ブルース/ひとすじの涙(昭和41年4月1日)
    シングルレコードのジャケットは、白黒写真(いわゆる二色刷)と、カラー写真のものとの、2種類がある。
  4. 柳ヶ瀬の女/非情のブルース(昭和41年11月1日)
  5. まぼろしのブルース/紅い吸い殻(昭和42年3月10日)
    藤本卓也による作品とは同名異曲。
  6. ネオン化粧/明日はいらない(昭和42年7月1日)
  7. 新潟ブルース/信濃川慕情(昭和42年8月10日)
    ロス・プリモスとの競作。
  8. 湖畔のホテル/恋ははかなく(昭和42年11月1日)
  9. あの星のかなた/星のようなあなた(昭和43年2月1日)
  10. 湯の街艶歌/青島ブルース(昭和43年4月1日)
  11. 釧路の夜/女のつよがり(昭和43年7月1日)
    NHK紅白歌合戦(1968年)初出場曲。
  12. 桜木町ブルース/宇奈月の夜(昭和43年11月1日)
    B面『宇奈月(うなづき)の夜』は後年、うなずきトリオに因み「ひょうきんベストテン」(「オレたちひょうきん族」)で取り上げられた。
  13. 霧のバラード/花が散ったら(昭和44年11月1日)
  14. 夜の慕情/夢おんな(昭和44年6月1日)
  15. 女とバラ/さいはての夜(昭和44年9月1日)
    デビュー5周年記念曲。
  16. 大阪の夜/なにわ川(昭和45年1月1日)
  17. みれん町/孤独の女(昭和45年8月1日)
  18. おんなの朝/哀愁の宿(昭和45年12月25日)
  19. おんな町/恋の命(昭和46年5月25日)
  20. 想い出おんな/女の過去(昭和46年7月25日)
  21. お金をちょうだい/愛の行き先(昭和46年11月25日)
  22. うらぎりの町/あなたと別れて(昭和46年3月20日)
  23. 銀座・おんな・雨/なみだ三年(昭和47年3月20日)
  24. 一番列車の女/あの人今頃(昭和47年9月20日)
  25. さそり座の女/ひとりで涙をふきましょう(昭和47年12月20日)
  26. バラの柩/こんな女でいいかしら(昭和48年3月20日)
  27. 軽蔑/夜の船にのって(昭和48年4月20日)
  28. 聞かせてほしい/信じていても(昭和48年8月20日)
  29. 裁き/女ふたたび(昭和48年10月20日)
  30. 三面記事の女/女の地図(昭和49年1月25日)
  31. ナナと云う女/恋の命は砂時計(昭和49年4月25日)
  32. はしゃぎすぎたのね/カスバの踊り子(昭和49年10月20日)
  33. くやし涙/バラの柩(昭和50年3月25日)
  34. 伝言(ことづけ)/流れ川(昭和50年5月25日)
    デビュー10周年記念曲。
  35. 愛・それはゲーム/お店を出したの(昭和50年9月25日)
  36. カスマプゲ(胸がせつない)/愛に死なれて(昭和51年1月25日)
  37. あゝお酒/艶歌川(昭和51年6月25日)
  38. お待ちしてます/四国のおばあちゃん(昭和51年11月25日)
    B面「四国のおばあちゃん」は、歌唱・橋本直美森雄二とサザンクロス
  39. 気ままな女/ゼラニウムのある部屋(昭和52年2月25日)
  40. 駅/炎上(昭和52年5月25日)
  41. 小雨のブルース/本気にします(昭和53年3月25日)
  42. 生命のブルース/ムーラン・ルージュ(昭和53年9月25日)
    ロス・プリモスが、かつて発売した曲のカバー。
  43. 戎橋ブルース/お酒で洗います(昭和53年12月25日)
  44. あたし/青いブルース(昭和54年3月25日)
  45. 女が靴下をぬぐとき/2DK(昭和54年6月25日)
  46. スカーレット・ドリーマー/秋女(昭和54年9月25日)
    当初は「玉三郎のように」というタイトルで発売される予定で、歌詞の「玉姫様のように」の部分も当初は「玉三郎のように」だった。
    ところが発売直前に坂東玉三郎側からクレームが入り、タイトル変更と歌詞変更を余儀なくされた。
  47. 城ヶ崎ブルース/甘い蜜(昭和55年1月25日)
    ロス・プリモスが、かつて発売した曲のカバー。
  48. さだめ川/女の艶歌(昭和55年5月25日)
  49. ふたりの旅路/罪と罰(昭和55年11月10日)
  50. 新潟ブルース(新録音)/行き止まり(昭和56年6月3日)
    1991年にも再度リメイクが行われており(シングルとしての発売はないが)、このバージョンがベスト盤に収録される事は稀。
  51. 釜山港へ帰れ/ミオ・ミオ・ミオ(昭和58年11月5日)
    渥美二郎チョー・ヨンピルら数名との競作。渥美と同様に全編日本語詞である。
  52. 女って何なんだろう(昭和59年7月5日)
  53. だってさ/小劇場(昭和61年4月5日)
  54. 雨の花/さよならは悲しいよ(昭和61年7月21日)
  55. 愛は暮らした長さじゃないの/別離(わかれ)(昭和62年8月21日)
  56. よせよ/哀しみグラス(昭和63年8月21日)
  57. てんで話にならないわ/ 女郎花が咲く季節(平成元年6月21日)
  58. あんた/仕打ち(平成2年3月21日)
  59. 別れの川/灯りが欲しい(平成3年1月21日)
  60. 花/かなしみ笑い(平成3年6月21日)
    B面『かなしみ笑い』は中島みゆきのカバー。
  61. さそり座の女PartI/てんで話にならないわ (NEW VERSION)(平成3年7月21日)
  62. 柳ケ瀬ブルース(NEW VERSION)/「お金をちょうだい(NEW VERSION)(平成3年8月21日)
  63. おんなの朝(NEW VERSION)/スカーレット・ドリーマー(NEW VERSION)(平成3年9月21日)
  64. 駄目な時ゃダメよ/愛はまぼろし(平成3年10月23日)
  65. 火の鳥/ルフラン〜愛の海〜(平成4年4月23日)
  66. 女と男/雨無情(平成4年10月21日) - 美川憲一&水前寺清子デュエット
  67. うたかたの夢/夜に咲く花(平成5年4月21日)
  68. ふたりが一番(平成5年10月21日) - 美川憲一&瀬川瑛子デュエット
  69. オイ・オイ賛歌/深海魚(平成5年11月21日)
  70. 昔あなたを愛した/ヨルノ,ロッポンギ(平成6年3月21日)
  71. おだまり/花の港(平成6年7月21日)
  72. 冬子のブルース/夜のピアノ(平成6年11月21日)
    ロス・プリモスがかつて発売した曲のカバー。
  73. 幸せになりたい/恋愛裁判(平成7年3月24日)
    美川に「さそり座の女」をはじめ、「新潟ブルース」「お金をちょうだい」などのヒット曲を提供した
    作曲家、中川博之の30周年記念作品。
  74. 北国夜曲/風の夜汽車(平成8年2月21日)
  75. 慕情/恋枕(平成9年2月26日)
  76. 別れの旅路/愛のめぐりあい(平成10年2月25日)
  77. HUN!/まちがい男女(どうし)(平成10年8月26日)
  78. 地上の愛(平成11年1月21日) - 美川憲一&イルカデュエット
  79. 女の翼/濡れた真珠(平成11年3月18日)
  80. 永遠にバラの時を/時という名の岸辺で(平成11年8月25日)
    デビュー35周年記念曲。
  81. 大変ね/むらさき酒場(平成11年9月22日)
  82. 泣きながら夢を見て美川憲一&佳山明生デュエット(平成11年11月10日)
  83. 東京ホテル/留恋〜りゅうれん〜(平成12年3月16日)
  84. 双子座生まれ/淑女のルンバ(平成13年1月21日)
    昭和48年に発売されたLP「星占い」からのシングルカット曲。 
  85. 恋女/哀愁のレンガ通り(平成13年8月1日)
  86. 女のひとりごと/夜の川(平成14年3月21日)
  87. 湯沢の女/紅蓮のブルース(平成14年8月21日)
  88. 待ちわびて〜華王〜(平成14年12月5日) - 美川憲一&小林幸子デュエット
    美川の所属するクラウンレコードの他、小林の所属する日本コロムビア版も存在する。収録曲は同じ。
  89. 泣かんとこ/てまり(平成15年5月21日)
  90. 納沙布みれん/情無しのタンゴ(平成16年2月25日)
    デビュー40周年記念曲。
  91. 時という名の岸辺で/加茂川ブルース(平成16年2月25日)
    1999年に発売した曲のリメイク。
  92. 愛は煌めいて/赤坂ブルース(平成17年4月1日)
  93. 神威岬/三日月よ私とワルツを踊れ(平成17年8月24日)
  94. 赤い鴎/冬の川(平成18年5月10日)
  95. 愛の讃歌/愛の讃歌(歌詞違い)(平成18年5月10日)
    越路吹雪のカバー。
  96. 長崎みれん/金曜日の女(平成18年10月1日)
  97. 古都情念/百人の男(平成19年6月13日)
  98. 淡雪のひと/銀座のマキ(平成20年5月7日)
  99. 愛は嫉妬(ジェラシー)/純子の涙(平成21年2月4日)
    デビュー45周年記念曲。
  100. この青空(そら)の下で/虞美人草(平成21年10月7日)
  101. お金をちょうだい~プラチナバージョン~/軽蔑2010(平成22年6月2日)
  102. アカシア雨情/面影(平成22年10月20日)
  103. 涙はキランの泉/グランパの黒猫(平成23年6月8日)
  104. たまらなく淋しくて/明日への橋(平成24年2月9日)
  105. 金の月/女王蜂(平成24年9月5日)
  106. 生きる/歌いつづけて(平成25年5月8日)
     著作権の関係でシングルとして発売するために実に7年の歳月を要した。
     美川自身がフランスの作詞家、作曲家の元へ出向いて実際に歌を披露し、シングル化の許可を得たという。

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1968年(昭和43年)/第19回 釧路の夜 15/23 中村晃子
1969年(昭和44年)/第20回 2 女とバラ 17/23 高田恭子
1970年(昭和45年)/第21回 3 みれん町 8/24 弘田三枝子
1971年(昭和46年)/第22回 4 想い出おんな 3/25 和田アキ子
1972年(昭和47年)/第23回 5 銀座・おんな・雨 14/23 藤圭子
1973年(昭和48年)/第24回 6 さそり座の女 5/22 朱里エイコ
1974年(昭和49年)/第25回 7 はしゃぎすぎたのね 11/25 山本リンダ
1991年(平成3年)/第42回 8 さそり座の女(2回目) 12/28 Mi-Ke 衣装は白色で金色の刺繍が施されている。冠は赤色と金色。後半にコロッケとデュエットをする場面がある。
1992年(平成4年)/第43回 9 火の鳥 12/28 森高千里 ピンクのドレスと白い毛皮を身にまとい登場する。冠は全体的にダイヤモンドで作られてあり、頭の部分には大きなダイヤモンドが取り付けられている。
1993年(平成5年)/第44回 10 うたかたの夢 9/26 DREAMS COME TRUE 京都千二百年王朝という衣装の設定。24金とプラチナの糸を使用。5万個のクリスタルをちばめてある。その上着は職人が130人もかかって織り上げた渾身の衣装。
1994年(平成6年)/第45回 11 おだまり 20/25 小林幸子(1) 火の鳥という衣装の設定。黒色や緑色や紫色に光るスパンコールが取り付けてある衣装で登場。後半に衣装を脱ぎ、赤色や金色に輝く衣装の登場。最後に宙づりをし、「幸子、おだまり」と叫ぶ演出。
1995年(平成7年)/第46回 12 幸せになりたい 18/25 小林幸子(2) 情熱という衣装の設定。21世紀に向けての情熱を表現したかった美川は色使いにこだわり、虹色のドレスと頭に蓮の花がついている冠での登場。中盤に白いドレスに早変わりをする。
1996年(平成8年)/第47回 13 北国夜曲 17/25 森口博子 光ファイバーのさそり座という衣装の設定。星座の素晴らしさを表現したかった美川は光ファイバーで光る衣装で登場。衣装替えはしないが中盤にいろいろな星座に光るカーテンが出現する。
1997年(平成9年)/第48回 14 慕情 15/25 天童よしみ(1) プリンセス天功のイリュージョン協力。大天使ミカエルという衣装の設定。一番を歌い終えるとイリュージョンで美川は空中を羽ばたく。
1998年(平成10年)/第49回 15 別れの旅路 13/25 華原朋美 去年に引き続き二回目の天功イリュージョン。バロック調という衣装の設定。一番を歌い終わると蝶々になるイリュージョン。
1999年(平成11年)/第50回 16 永遠にバラの時を 20/27 川中美幸 三回目の天功イリュージョン。永遠の美よ!クレオパトラという衣装の設定。イリュージョンによりクレオパトラに早変わりする。
2000年(平成12年)/第51回 17 東京ホテル 18/28 小柳ゆき 四回目の天功イリュージョン。ドラゴンに乗って年を越すラストエンペラーという衣装の設定。イリュージョンによりドラゴンの上で歌唱。
2001年(平成13年)/第52回 18 恋女 23/27 森昌子 五回目の天功イリュージョン。空飛ぶペガサスという衣装の設定。イリュージョンにより三回衣装替えをする。最後はペガサスに乗って歌唱。
2002年(平成14年)/第53回 19 湯沢の女 19/27 小林幸子(3) 最初は着物だが、間奏で大きなカーテンが美川を隠し、二番を歌唱するときには電飾で光るドレスにチェンジしている。当日美川がつけていた宝石は三億円。
2003年(平成15年)/第54回 20 さそり座の女2003(3回目) 21/30 小林幸子(4) 間奏で赤いドレスから白いドレスに変わり、電気がついたり羽が生えたりする。
2004年(平成16年)/第55回 21 納沙布みれん 9/28 Every Little Thing 美川の後ろにある大きな羽のような装置に電飾がついて輝く。美川も衣装チェンジする。
2005年(平成17年)/第56回 22 愛の讃歌 9/29 倉木麻衣 越路吹雪への思いを込めての歌唱。衣装は黒いドレスで、上からファーを羽織っていた。またこの年から機械仕掛けの衣装ではなくなる。
2006年(平成18年)/第57回 23 さそり座の女2006(4回目) 9/27 大塚愛 オペラバージョン
真島茂樹が振り付け
2007年(平成19年)/第58回 24 さそり座の女2007(5回目) 1/27 ハロー!プロジェクト
10周年記念紅白スペシャル隊
モーニング娘。
Berryz工房
℃-ute
パラパラバージョン
IKKOが登場
初のトップバッター
2008年(平成20年)/第59回 25 さそり座の女2008(6回目) 2/26 GIRL NEXT DOOR サンババージョン
はるな愛、IKKOが登場
2009年(平成21年)/第60回 26 さそり座の女2009(7回目) 8/25 天童よしみ(2) インド風バージョン
はるな愛、IKKO、オードリー春日が登場
  • 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

主な出演作品[編集]

テレビジョン[編集]

(☆は不定期出演)

1991年1月7日~1月11日 第1回ゲストで初めての歌のゲスト

コマーシャル・フィルム[編集]

共演:ちあきなおみ
共演:神田うの
声のみで出演

映画[編集]

舞台[編集]

  • 座長公演「美川憲一のおだまり!劇場」(2013年、中日劇場)

エピソード[編集]

  • 上記のとおり紅白歌合戦では毎年のように高価で豪華な衣装を引っさげているが、2005年スキウタでランクインした越路吹雪の「愛の讃歌」を歌唱することになり、越路への畏敬の念からか、華美という点では抑えた衣装で出場した。とはいえ、当日かけていたファーは、大変高価なものである。
    • この年の紅白歌合戦には氣志團出演箇所に、当時、美川が自身の「そっくりさん」として公認しているただ1人のものまねタレントそのまんま美川も出演していた。(近年知名度を上げている魅川憲一郎も公認しており東京公演の際は呼ぶ事もある。)
    • なお、紅白歌合戦には白組(男性チーム)から出場している。
  • 作詞・作曲を吉幾三が担当した1994年発売のCDシングル「おだまり」は、吉幾三にできあがったばかりの楽譜をステージ上で渡され、吉が弾くギターの伴奏のみで楽譜を見ながらデュオで歌ったのがお披露目である。翌95年の紅白では豪華衣装に派手なビッグバンドの伴奏で歌った。
  • かつて石川郡美川町(現石川県白山市)に存在した美川下水処理場(北陸自動車道沿い)の水槽塔に書かれた「美川 県一の町」は美川本人も快諾しており、「笑いの金メダル」でも紹介されていた。しかし老朽化のため、2010年12月をもって解体・撤去されている。
  • 誤報ではあったが、生前には親交が深かった木原光知子や親友の小林幸子との結婚話が話題になったこともある。
  • アメリカン・エキスプレスのセンチュリオンカード(クレジットカードの最高グレードである、いわゆるブラックカード)を持っている。
  • パチンコパチスロのキャラクターとしても登場。2002年には京楽より「CR P-MAN」が、2006年にはオーイズミより「美川 さそり座のサラリーマン」が登場した。
  • 髪型が何十年と変わっていないことから、かつら疑惑が持たれている。
実は2007年中ごろに髪型が変わっている。2007年8月31日放送分の『徹子の部屋』においても黒柳徹子に「御髪(おぐし)を変えられましたのね?」と振られたが、美川が「そんなことより聞いてくださいよー」と自ら切り返し髪型の話題を遮った。
  • 2004年島田紳助が所属する吉本興業女性マネージャーに暴行した問題に関し、「彼女にマネージャーとして何ができるの?偉そうにしてない?暴力を振るわれる相手も悪いわ」とコメントし、紳助を擁護する立場を取った。
  • 少年時代は自分のことを「ボクちゃん」といい、ガキ大将のような存在だった、とテレビ番組で語っている。
  • 1998年柳ヶ瀬商店街振興組合連合会の名誉理事長に就任。
  • 美川が岐阜市柳ヶ瀬を訪ねた際に利用したタクシーの運転手から、その運転手が柳ヶ瀬に住み着いたきっかけが美川の『柳ヶ瀬ブルース』であったと聞き、美川は歌を歌っていて良かったと感じたという[9]
  • 2006年11月に長崎市の観光名誉大使に選出され、シングル『長崎みれん』を発売。2007年2月の長崎ランタンフェスティバルでは皇帝パレードに皇帝役で参加した。ちなみに、この年のランタンフェスティバルは美川が出演したこともあって、期間中に当時過去最高の92万人が来場した。
  • 前述の大麻事件のあとしばらく低迷が続き落ち込む美川を親友のうつみ宮土理は「またあなたの時代が来るから、くさらないで。」と言って励ました。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 【転機 話しましょう】(18)歌手の美川憲一さん「悪いあとには、良い時がくるの」”. MSN産経ニュース (2011年3月13日). 2012年8月11日閲覧。
  2. ^ 10年前ニュース”. 「梨元勝の恐縮です!」アーカイブス (2006年4月24日). 2012年8月11日閲覧。
  3. ^ “美川憲一生みの母亡くなっていた…仕事で最期看取れず”. ZAKZAK. (2006年7月27日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_07/g2006072703.html 2012年8月11日閲覧。 
  4. ^ 原曲は2年前に宇佐によって作られた「長岡ブルース」
  5. ^ a b “美川憲一も…事務所社長と関係悪化で独立”. ニッカンスポーツ. (2012年8月11日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20120811-998723.html 2012年8月11日閲覧。 
  6. ^ “美川憲一 独立会見 社長と和解 幸子にエール”. 中日スポーツ. (2012年9月6日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2012090602000148.html 2012年9月6日閲覧。 
  7. ^ “美川憲一が前事務所から提訴 約2億請求”. nikkansports.com. (2013年12月12日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131212-1230454.html 2013年12月13日閲覧。 
  8. ^ TBS「情報7daysニュースキャスター」 2014年3月1日放送分より
  9. ^ 「この歌に 作詞、作曲・宇佐 秀雄 柳ヶ瀬ブルース 1 曲に教えられ 励まされ」『読売新聞』1992年(平成4年)10月4日付日曜版4-5面。

外部リンク[編集]