美川憲一

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美川 憲一みかわ けんいち、本名:百瀬 由一ももせ よしかず)、1946年5月15日 - )長野県諏訪市出身の男性タレント歌手。血液型はA型。172.5cm。

紅白歌合戦での豪奢な衣装が毎年小林幸子ともども話題の的となることで知られる。

目次

[編集] 来歴

[編集] 歌手

1965年、「だけどだけどだけど」で歌手デビュー(ちなみにデビュー時は男装・中性的キャラクターであった)。1966年、「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚を売り上げるヒット。その後も「おんなの朝」「さそり座の女」などのヒット曲を出し7年連続で紅白歌合戦に出演していたが、突然落選してしまい、これを皮切りに70年代半ばより低迷。ドサ周り(地方営業)による生計を余儀なくされる。

淋しさからか麻薬を使うようになり、1985年に大麻取締法違反で逮捕(この時、新右翼一水会木村三浩代表も同じ拘置所にいた)。判決は懲役1年6ヶ月、執行猶予3年だった。

大麻事件以降、美川はしばらくテレビ画面から姿を消すこととなる。芸名の表記も「美川けん一」に変えるが、状況が好転することはなかった。

[編集] ものまね

しかし1980年代後半、ものまねブームのなか、ものまねタレントの第一人者であるコロッケによる美川のマネが大うけ。便乗する形で美川本人もオネエ口調で話すようになり人気が奇跡的に復活した(このとき芸名を元の「美川憲一」に戻す)。

それ以降、ヒット曲こそないが、「芸能界のご意見番」などとしてワイドショーやバラエティ番組にしばしば登場し、タレントとしての地位を確保。彼の毒舌やトーク聞きたさにディナーショーにもおばさまたちが集まり、集客が見込めるタレントとなった。コロッケとは大変仲が良く、コンサートの前座として自分のものまねをさせ、その後に本人が出てくるといったパフォーマンスをしていたことも。紅白歌合戦にも二人そろって出場したことがある。(美川本人も、どん底から自分を復活させてくれたコロッケには、感謝していると発言している)。尚、モノマネ番組にマネされた本人が出演したのは美川が初めてだった。

[編集] テレビ

再ブレイク以降は活動のメインをバラエティ番組にシフト。「オネエキャラ・セレブキャラ」として活躍。金鳥のCMでの「もっと端っこ歩きなさいよ」や、美川がバラエティ番組でたびたび発する「おだまり」流行語になる。また1992年以降は毎年紅白歌合戦で、小林幸子との派手な衣装対決で毎年話題(と瞬間視聴率)を集めている。

親友として有名なところでは神田うの真琴つばさうつみ宮土理加賀まりこ永井大と女性タレント女優が多い。しかしデヴィ・スカルノとは『愛する二人別れる二人』の本番中に喧嘩となり、今も絶交(敵対関係)している。しかし、2000年2月1日放送の火・曜・特・番!!美川憲一とデヴィ夫人のケンカはダメよ』や2005年7月13日放送の『愛のエプロン』で共演はしている。

[編集] 主な曲

  • 柳ヶ瀬ブルース 1966年
  • 新潟ブルース 1967年
  • 釧路の夜 1968年
  • 女とバラ 1969年
  • おんなの朝 1970年
  • お金をちょうだい 1971年
  • さそり座の女 1972年
  • おだまり 1994年
  • 湯沢の女 2002年
  • 納沙布みれん 2004年
  • 古都情念 2007年

[編集] 主な出演ドラマ番組

過去に出演していた番組

CM

共演:ちあきなおみ

  • カーコンビニ倶楽部、ヤマト車検

共演:神田うの

声のみで出演

[編集] エピソード

  • 上記のとおり紅白歌合戦では毎年のように高価で豪華な衣装を引っさげているが、2005年は、スキウタ楽曲である「愛の讃歌」を歌唱することになり、これを持ち歌としていた越路吹雪への畏敬の念からか、華美という点では抑えた衣装で出場した。とはいえ、彼が当日かけていたファーは、大変高価なものである。
    • この年の紅白歌合戦には氣志團出演箇所に、美川が自身の「そっくりさん」として公認しているただ1人のものまねタレントそのまんま美川も出演していた。
    • なお、紅白歌合戦には白組(男性チーム)から出場している。
  • 作詞・作曲を吉幾三が担当した1994年発売のCDシングル「おだまり」は、吉幾三にできあがったばかりの楽譜をステージ上で渡され、吉が弾くギターの伴奏のみで楽譜を見ながらデュオで歌ったのがお披露目である。翌95年の紅白では豪華衣装に派手なビッグバンドの伴奏で歌った。
  • 石川県白山市(旧石川郡美川町)にある美川下水処理場(北陸自動車道沿い)の水槽塔に書かれた「美川 県一のまち」は美川本人も快諾している。「笑いの金メダル」で紹介された。
  • 一時期、誤報ではあったが木原光知子や小林幸子との結婚話が話題になったことも。
  • アメリカン・エキスプレスのセンチュリオンカード(クレジットカードの最高グレードである、いわゆるブラックカード)を持っている。
  • 大量のビタミン剤を食事前に摂取する事でも知られ、本人は常時それらを携帯している。
  • パチンコパチスロのキャラクターとしても登場。2002年には京楽産業より「CR P-MAN」が、2006年にはオーイズミより「美川 さそり座のサラリーマン」が登場した。
  • 髪型が何十年と変わっていないことから、かつら疑惑が持たれている。
実は2007年中ごろに髪型が変わっている。
2007年8月31日放送分の徹子の部屋においても黒柳徹子に「御髪(おぐし)を変えられましたのね?」と振られたが、美川が「そんなことより聞いてくださいよ~」と自ら切り返し髪型の話題を遮った。
  • 少年時代は自分のことを「ボクちゃん」といい、ガキ大将のような存在だった、とテレビ番組で語っている。
  • ごきげんよう第1回のもう1人のゲスト。
  • 美川憲一が岐阜市柳ヶ瀬に行った時、乗ったタクシーの運転手さんから「僕は美川さんの『柳ヶ瀬ブルース』が大好きで、その余り此処(柳ヶ瀬)まで来てとうとう居ついてしまいました。僕の人生を決めてしまった歌なんですよねぇ……」と言われて、美川は「私はその時、歌手をしていて良かったと思いました。ひとつの歌がその人の人生をも決めてしまうのだと思ったら、なおのことしっかり歌っていかないといけないのだと思いました」と語っている(1998年頃の讀賣新聞日曜版連載『この歌に』より)。
  • プライベートでも海外旅行が好きなようで、タイのバンコクでは、しばしば目撃されている。
  • 2006年11月に長崎市の観光名誉大使に選出され、シングル『長崎みれん』を発売。2007年2月の長崎ランタンフェスティバルでは皇帝パレードに皇帝役で参加した。ちなみに、この年のランタンフェスティバルは美川が出演したこともあって、期間中に過去最高の92万人が来場した。

[編集] 外部リンク

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