鈴木史朗

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すずき しろう
鈴木 史朗
プロフィール
愛称 史朗さん
出身地 日本 京都府京都市北区
生年月日 1938年2月10日(71歳)
血液型 AB型
最終学歴 早稲田大学法学部
所属事務所 クリエイティブ・メディア・エージェンシー
職歴 TBSアナウンサー
活動期間 1962年 - 1968年1983年 -
(アナウンサーとして)
ジャンル 報道・バラエティ・ナレーション
公式サイト プロフィール
出演番組・活動
現在 水戸黄門』(ナレーター)など
過去 JNNニュース
さんまのSUPERからくりTV』(ご長寿早押しクイズ)
など
備考
1968年 - 1983年は制作部、著作権部、報道局社会部へ移動、1983年にアナウンス部に復帰
  

鈴木 史朗すずき しろう1938年2月10日 - )は、元TBSアナウンサー。現在はフリーアナウンサー俳優である。京都府京都市北区出身。血液型AB型クリエイティブ・メディア・エージェンシー所属。愛称は「史朗さん」。

目次

[編集] 来歴・人物

京都市立紫野高等学校在学時は陸上競技部に所属し、三段跳で活躍。早稲田大学法学部へ進学し、卒業後1962年にTBSへ入社、アナウンス室に配属。一年目に初の衛星中継を担当したが、それが日本時間1963年11月23日ジョン・F・ケネディ暗殺の一報であった。

1968年より制作部・著作権部・報道局社会部(すべて当時の部署。現在は株式会社TBSテレビ)と異動に異動を重ね、1983年にようやくアナウンス部復帰を果たす。

1998年にTBSを定年退職後、主に同局OBアナのマネージメントをしているクリエイティブ・メディア・エージェンシー(CMA)と契約。歌手俳優モデルとあらゆる分野に挑戦、今もなお活動の場を広げている。生真面目な性格と旺盛な好奇心で、年代・性別を問わず幅広いファンを持っている。

[編集] 趣味

ゲーム
代表的なシルバーゲーマーの一人。『バイオハザード』シリーズの大ファンで全作所有している。『バイオハザード4』の最高難易度は余裕でクリアでき、PROFESSIONALモードも5回以上クリア。比較的難易度の高いオマケステージでも11万点という高得点を記録している。2009年2月15日放送のさんまのスーパーからくりテレビでもこのことを語った。さらに番組内でスコアアタックモードをプレイしながら話した。クリアーした加山雄三とは同好の士として情報交換している[1]。夜中、妻に迷惑をかけないようにヘッドフォンをつけてプレイしているという。2008年の東京ゲームショウで行われた「クリエイターズトークショウ」にて、一緒に司会を務めた有野晋哉に「これからバイオハザード4を始めるなら、ナイフ攻撃が他の機種より0.5秒程速く出るWii版がオススメです」と言い、有野を驚かせた[2]Gyao特集『バイオハザード:ディジェネレーション 鈴木史朗レポート』にて本人の『バイオ4』の腕前を披露した。
カラオケ
ひとりカラオケ」は局アナ時代からの趣味のひとつである[3]。レパートリーは比較的古い時代の曲を中心とするが、『千の風になって』も好んで歌っている[3]。受付で一人での来店を告げるときは、「ちょっと爽やかな気持ちになる」[3]としており、「ひとりカラオケ」に対して気恥ずかしさは感じていない。「ひとりカラオケ」の効能として、鈴木は孤高の境地を得たことを挙げており、「ひとりで技を極める武士道にも通じます」[3]と語っている。

[編集] エピソード

  • 学生時代に急性虫垂炎を患い手術することになったが、執刀医が出身の医師で、執刀直前に「鈴木、君は日本男児か!?」と聞かれ「はい!」と答えると「なら大丈夫だな」と言われ、麻酔なしで手術を受けることになったという。この時の痛みを「口に手を突っ込んで、顔を裏返しにするくらい」と表現している。
  • TBS入社直後、同僚に頼んで本社屋上で記念写真を撮影してもらう。だが「あそこ(屋上)は、許可なしでは立ち入ってはいけない場所だと後から知って、いつバレるか冷や冷やしていた」という。
  • TBS時代、「ひのこうじ」の名前で主に地方局向けの番組を副業で担当していたことがある(『YBCミュージックスペシャル』など)。
  • 本人がアナウンス部への異動を望んだのに1983年まで長らくそれが果たせなかったのは、当時の上司が戦時中に徴兵された際、いやだった上官と史朗が似ていたからと、中京テレビ製作『ろみひー』で本人が語った。
  • 笑福亭鶴瓶司会の『世界No.1クイズ』で、どんなことがあっても決して笑わない解説者として登場し(番組内で1度だけ、つい笑ってしまった時は、鶴瓶が舞台をはね回って喜んだ)一般視聴者に広く知られるようになり、『さんまのSUPERからくりTV』の名物コーナー“ご長寿早押しクイズ”の司会で人気を不動のものとした。
  • タレントの伊集院光にとっての史朗は訃報のイメージが強いといい、ラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』の1997年8月18日(第97回)では、史朗に架空の馬鹿な内容の訃報を読んでもらった。伊集院は番組内で史朗の事を「ドラキュラ顔」「ザ・訃報」と呼んだ。
  • TBSの深夜番組『ワンダフル』内で放送されたアニメ『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』にナレーターとして出演。原作で野村義男の名が出ていた部分が全て史朗に置き換えられている。
  • 愛車はトヨタ・アルテッツァジータ。2台続けてアルテッツァに乗っている。かつてはトヨタ・スプリンター等も所有していたという。ちなみに免許取得以来本人は一貫して小型の国産車のみ(専らトヨタ車)を乗り継いでおり、外車に乗った事は一度も無い。その理由として本人は「人に迷惑をかけない様に、狭い道でのすれ違いに困らない様に小型の車に乗っている」と述べている。現在、本人が関心を持っている車はレクサス・GSトヨタ・ハリアーハイブリッドだそうだ。
  • オジサンズ11』記者会見の際、「みんなで一緒にジェットコースターに乗りましょう」と叫び、その数ヶ月後実際に、羽鳥慎一アナと共によみうりランドの絶叫マシーンに何機も乗ったが、鈴木は全く絶叫しなかった。このエピソードから「ラストサムライ」というニックネームが付いた。
  • 毎日新聞のコラムでA・E・ヴァン・ヴォークトの『宇宙船ビーグル号の冒険』をテーマに取り上げたことがある。
  • 日本テレビアナウンサーの徳光和夫や元フジテレビアナウンサーの露木茂とは局アナ時代からの友人で、近年では『オジサンズ11』などで共演している。

[編集] 出演

[編集] TBSアナウンサー時代

定年直前のバラエティ番組での活躍からTBSの看板アナウンサーというイメージが強いが、報道情報番組のメインキャスターの経験はなく、もっぱら単独で土曜日夜のニュースを延べ11年間(日曜日夜は8年間)担当していた。年末年始のニュースや他のアナウンサーの代役を務めることもほとんどなかった。

ニュース番組
  • JNNニュースデスク - 土曜日担当。1987.10 - 1988.9
  • JNNニュース - 主に土曜日の最終ニュース担当。1988.10 - 1990.9
  • JNNスポーツ&ニュース - ニュースコーナー。1990.10 - 1998.2(定年退職まで担当
    • 以上3番組では「こんばんは。土曜日まとめのニュースです」(0時以降の場合は「こんばんは。日付は日曜日に変わっていますが、土曜日まとめのニュースです」)という独特の挨拶をしていた。
  • JNNフラッシュニュース - 主に土曜日担当。
  • TBSニュース - 主に土曜日18:50の放送を担当。オープニングでよく駄洒落を言っていた。
    • 土曜日夕方の『TBSニュース』→『JNNフラッシュニュース』→最終ニュースの3番組を長らく兼務していた。
  • JNNニュースの森 - オープニングのヘッドラインナレーター。1990.4 - 1993.3
  • オールスター感謝祭 - スタジオに来てニュースを伝えていた。1991年秋 - 1997年秋(『情報スペースJ』のPRのため下村健一が担当した1993年秋を除く)。
バラエティ番組

[編集] フリー転身後

現在出演中
過去の出演

[編集] CM

[編集]

[編集] 脚注・出典

  1. ^ 以下の外部リンク先を参照。タブハウス『活力のあるシニアが新時代を作る』より。更に2009年3月16日放送の『人生が変わる1分間の深イイ話』では、両者がこのゲームをはまっている事と、『バイオハザード5』を遊んでいる事が紹介されている。
  2. ^ 有名クリエイターの生の声をお届け! 大盛況の「クリエイターズトークショウ」
  3. ^ a b c d 鈴木史朗「ひとりカラオケで孤高の境地を知る」『週刊朝日』114巻18号、朝日新聞出版2009年4月24日、40頁。

[編集] 外部リンク

先代:
柴田秀勝
ナショナル劇場→パナソニック ドラマシアター
ナレーション
第4代(2000年 - )
※現代劇作品を除く
次代:
-