渡哲也

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わたり てつや
渡 哲也
本名 渡瀬 道彦
わたせ みちひこ
生年月日 1941年12月28日(67歳)
出生地 日本島根県能義郡安来町
血液型 B
ジャンル 俳優歌手
家族 渡瀬恒彦(弟)
主な作品
テレビ
大都会
西部警察
映画
レディ・ジョーカー
備考
石原プロモーション代表取締役社長

渡 哲也わたり てつや1941年12月28日 - )は、日本俳優歌手芸能事務所石原プロモーション代表取締役社長で芸能プロモーター。本名は渡瀬 道彦(わたせ みちひこ)。

目次

[編集] 来歴・人物

島根県能義郡安来町(現:安来市)にて誕生、兵庫県津名郡淡路町(現・淡路市)出身。

芸名は瀬戸内海を渡って一旗挙げようという意志の表現とされる。"哲也"は役名から。公称身長180cm、星座はやぎ座。

三田学園高等学校青山学院大学経済学部卒業石原プロモーション社長(石原軍団2代目総帥)。石原裕次郎誕生日が同日(7歳差)。俳優の渡瀬恒彦は弟。親戚(渡の祖母と錦織の曽祖父が兄弟)にはプロテニスプレイヤーの錦織圭がいる。

青山学院大学在学中、日活浅丘ルリ子主演100本記念映画の相手役となる新人「ミスターX」を募集しており、このことを知った弟の恒彦や所属していた空手部の仲間が渡に内緒で応募したため、本人は激怒する。しかし、「撮影所に行けば、石原裕次郎に会えるかも知れない」との友人の言葉から日活撮影所の見学中にスカウトを受け、1964年、日活に入社。裕次郎、小林旭高橋英樹に続く、「裕次郎二世」との呼び名が付くスター候補として期待される。「無頼」シリーズなど多くのヤクザ映画に主演したが客が入らず、興行不振で倒産寸前となった日活は1971年ロマンポルノ路線へ転換を決めた。渡は東映など数社からの引きもあったが、借金で倒産寸前の石原プロに入社した。

仁義なき戦い」シリーズで大センセーションを巻き起こしていた深作欣二監督のもと1974年から75年にかけて『仁義の墓場』、『やくざの墓場 くちなしの花』に主演。興行的には惨敗したものの、この2作はヤクザ映画史に残る傑作として名高い。

石原プロの経営安定のため石原プロ制作の「大都会」シリーズ、「西部警察」シリーズに主演として出演し続け、経営に大いに貢献する。このドラマのときの角刈りにサングラスというスタイルがトレードマークになり年配層には未だに渡と言えばこの印象が強い。しかし、自身の健康問題で、大河ドラマ『勝海舟』から途中降板、高倉健との共演映画も頓挫し、その後も石原プロ制作ドラマ出演のため数多くの映画のオファー(『人間の証明』、『野生の証明』、『八甲田山』、『皇帝のいない八月』など)を断らざるを得なくなり、役者としての旬の時期を棒に振ったことを惜しむ声も多い。

1987年、裕次郎死後、石原プロ社長に就任する。

1992年に自ら直腸癌であると発表し、柏木純一の著書『渡哲也 俺』に壮絶な闘病記が記されている。これにより、オストメイト人工肛門使用者)として知られることになった。

2005年紫綬褒章受章。

[編集] エピソード

石原プロ社長であり、舘ひろしら石原軍団所属俳優からは、社長と呼ばれている。また、公の場で舘が「うちの渡が…」のように呼ぶことがあるが、これは舘自身も石原プロの取締役を務めていることによるもの。石原プロに入る契機は、渡が石原と背丈も同じで、交友関係ができてから、石原から服や靴などの譲渡を受けるなど公私共に付き合いが深かったことに加え、日活時代から親しかった小林正彦が石原プロへ参加していたことだったという。色々と世話になった石原の窮地を救うため当時180万円(現在の価値で1000万円に相当)の全財産を持って石原の元へ赴き、「社員の皆さんのお茶代にでも使って下さい」と差し出したのは有名な話である(無論、石原は気持ちだけ受け取った)。

青山学院大学時代は空手部に在籍し空手2段。柔道初段。

日活デビュー当時、食堂で食事をしていた石原裕次郎に挨拶に行った際、他の俳優達と違って裕次郎はわざわざ立ち上がって握手し「石原裕次郎です。君が新人の渡君ですか、頑張って下さいね」と声をかけたというエピソードがある。渡はこのことに非常に感激し、それが後の石原プロに入社する経緯にもなった。自分が若手から挨拶を受ける立場となった現在も同じ態度で接しており、ドラマで共演したV6の岡田准一滝沢秀明はかつての渡同様に感激している。

日活の新人時代には、取材に来た記者の「もっとファンを大事にした方がいいですよ。ファンあってのスターなんですからね」という言葉に激怒して記者に強烈なアッパーカットを見舞って気絶させ、その足で日活の社長室に直行し、社長の目の前でガラスの応接テーブルを持ち上げ、「俳優なんかやっていられるか!」と言ってテーブルを床に叩きつけて粉々にして立ち去ったというエピソードもあったが、後年、渡はこのことについて「若気の至りというか、恥ずかしい限りです」と語っている。

大都会 PARTIII』撮影時、共演していた宮本刑事役の苅谷俊介の夫人が入院しており苅谷が金に困っているという話を聞き、撮影終了後に苅谷を呼び止め「お前怒るなよな。見舞いには花が相場なんだがあいにくないんでな。少ないけどこれ取っとけ」と言って金の入った封筒を渡した。苅谷は帰っていく渡の後ろ姿を涙でまともに見られなかったと、自身の著書『土と役者と考古学』で語っている。

西部警察』で演じた大門圭介でサングラスをかけるきっかけになったのは、当時40歳で「40歳にもなってマシンガン持ってドンパチやる姿が恥ずかしいから」という理由であった。『西部警察』のファンからは、今なお団長と呼ばれている。時には「団長、生きていたんですね?」とまで言われている。2004年放送の『西部警察スペシャル』では、殉職したはずの大門が課長として復活しているが、これを受けてのもの。2003年、『西部警察2003』の撮影中に石原プロ所属俳優が運転するスポーツカーが見物人に突っ込み5人が重軽傷を負う事故が発生した。それを受け、即全ての予定をキャンセルして、すぐさま背広姿で、被害者の入院先を訪れ、病室で靴を脱ぎ、土下座で謝罪した。このことは記者会見で自らカミングアウトした形で判明した。このとき、「私が土下座したことは話してもよいのでしょうか?」と同席した事務所関係者に尋ねる声がマイクに入っている。マスコミは渡のひととなりが表れていると概ね好意的に報道したが、一部の視聴者からは「わざとらしい」との感想も聞かれた。

趣味は「焚火」。火が上がるような焚き火ではなく、煙が一筋昇るくらいがよいとのこだわりがあり、たなびく煙の行方を眺めているのが好きだとのこと。意外なようだが甘党で、ケーキソフトクリームが大好物である(石原プロワールドでは「渡哲也のヘルシーソフトクリーム」なる商品が販売されている)。大方の甘党がそうであるように下戸で、飲めない酒を無理して飲んでいたことは有名。石原裕次郎の晩年にヤケ酒のような飲み方をしていたが、次第に人並みに飲めるようになったとの本人談もある。60を過ぎた最近はガン闘病以降、心境の変化もあってか酒量が減ったと語っているが、同年代で付き合いのあるみのもんたは逆に酒量を上げているため、渡が「少しは酒を控えろよ」と窘めたというエピソードも。しかし、当のみのはまったく無視して酒量を上げ続けている。また、タバコも昔は『西部警察』などのドラマの中でも吸っていたが、タバコもガン闘病以降は吸わなくなった模様。

歌手の長渕剛の熱烈なファンとして知られる。「プロ野球の清原選手以上の長渕ファン」とは本人の弁である。渡の入院中に長渕が見舞ったり、長渕のコンサートに渡が出向くなど、非常に親しい関係である。

『西部警察』などでのイメージからか気が短いように誤解されるが、実際は温厚な人柄。石橋貴明が『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』のドッキリ企画で、石原プロに保管されている『西部警察』の特殊車両や渡の車を洗って「綺麗になっただろ?テツ」と言った際、舘の仕掛けにより渡が怒るシーンがあったが、本人は当初「そんなことで怒ることはできない」と困惑していたが、実際にはテーブルを蹴り「石橋ー!」と怒鳴り、石橋が見事に驚く結果になった(実際に石橋が渡に言った言葉は「いいジャケット着てるな、テツ」)。

出身地ともいえる淡路島阪神淡路大震災で大きな被害を受けた時に、弟の恒彦と共に淡路や神戸を訪れ炊き出しを行い、被災者を勇気づけた。被災地に赴く前には、「お世話になった淡路島の人々に少しでも恩返しをしたいが、売名行為と取られたり、芸能人の自分が行くことでマスコミを呼ぶことになり、かえって迷惑を掛けたりしてしまうのではないか」と悩んでいたが、石原プロの小林専務の「売名行為と言う奴には言わせておけばいい。阪神淡路は渡さんだけでなく、裕次郎さんが育った土地なのだから、行くべきだ」との言葉に後押しされて駆けつけている。

近年松坂慶子と夫婦役で共演することが多い(『義経』、『熟年離婚』、『マグロ』)。また、徳重聡と親子役で共演することも多い(『』、『熟年離婚』、『夫婦(2006年2月)テレビ朝日系』、『マグロ』、『おいしいごはん』)。

西川きよしの歌「子供が三人おりますねん」で息子が渡に似ているという歌詞があるが、それを受けてかきよしの息子の忠志弘志が二人揃って1996年の大河ドラマ秀吉』で渡演じる織田信長の息子(忠志…織田信忠・弘志…織田信雄)を演じている。

2007年1月4日・1月5日放送のテレビ朝日系特別ドラマ『マグロ』で釣ったマグロは本人が釣り上げたものである(渡がマグロを釣り上げた話題はスポーツ紙の芸能面でも記事になった)。

[編集] 主な出演

[編集] 映画

[編集] テレビドラマ

[編集] バラエティ

  • 第25回NHK紅白歌合戦(1974年、NHK)
  • 第44回NHK紅白歌合戦(1993年、NHK)
    石原裕次郎7回忌の年に、第一部トリとして『くちなしの花』を熱唱
  • ふたりのビッグショー(1994年1月2日、NHK)
    新春企画 渡哲也・加藤登紀子「青春のスタンダード 石原裕次郎を歌う」
  • 感動ドキュメント 渡哲也 波瀾万丈の54年(1996年、TBS)
  • とんねるずのみなさんのおかげです(食わず嫌い王決定戦)
    1996年12月26日放送の同番組で尾崎将司と対戦、引き分けた。麦とろろごはんが嫌いな理由を聞かれ「ハナ食ってるみたいでしょ」と回答し、スタジオを爆笑の渦に巻き込んだ。
  • たけしの万物創世記映画の魅力・すべて見せますスペシャル (1999年10月12日、ABC) 
    この後、北野武監督作品『BROTHER』にも出演している。また映画の特集だったこともあり、渡の射撃テクニック(仕掛けられている爆薬の発破に合わせて銃を撃つ)を披露した。これ以降も北野と交流があるようで、番組内で北野に対する応援メッセージに出演することがある。
  • 徹子の部屋 30周年記念ウィーク (2005年2月3日)
    徳重聡ら石原軍団若手6人と出演。
  • 報道ステーション(2005年12月2日)
    ※社会現象にもなったドラマ『熟年離婚』の番組宣伝も兼ねて最終回直前に出演。
  • クイズ$ミリオネア(2006年1月2日)
  • 愛のエプロン
    4月12日放送『石原軍団VS愛エプ軍団スペシャル』に出演。結果は石原軍団の勝利であったが、獲得した100万円分の食事券を「楽しい時間を過ごさせてもらったから」と、愛エプ軍団にプレゼントした。
  • ナニコレ珍百景(2008年11月12日)

[編集] 舞台

  • 渡哲也特別記念公演 信長(1996年、大阪新歌舞伎座) - 織田信長 役・座長 … 同年、大河ドラマでも同じく信長役を演じている。意外だが、渡にとってこの時が舞台初体験である。

[編集] CM

もともと石原裕次郎が出演していたもの(1968年 - 1987年)を石原の没後に引き継いだ(1989年 - )。引継ぎ以前の一時期、渡は大関のCMに出演しており、一人で同業他社のCMに出演した珍しい例である。大関では大瀧詠一がCMソングを手がけたものもあり、松竹梅では渡自らがCMソングのフレーズ「喜びの酒…」を歌うこともあった。

[編集] 劇場版アニメ

[編集] ゲーム

[編集] 代表曲

[編集] 演じた俳優

[編集] 脚注

  1. ^ 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、79頁。ISBN 4390116495

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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