千葉真一
| ちば しんいち 千葉 真一 JJ Sonny Chiba |
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2005年10月29日のハワイ国際映画祭にて |
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| 本名 | 前田 禎穂 (まえだ さだほ) | ||||||||||||||
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| 別名 | 和千永 倫道 (わちなが りんどう) | ||||||||||||||
| 生年月日 | 1939年1月22日(73歳) | ||||||||||||||
| 出生地 | 福岡県福岡市博多区雑餉隈 | ||||||||||||||
| 国籍 | |||||||||||||||
| 民族 | 日本人 | ||||||||||||||
| 身長 | 176cm | ||||||||||||||
| 血液型 | O型 | ||||||||||||||
| 職業 | 俳優・歌手・映画監督・空手家 映画プロデューサー |
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| ジャンル | 映画・テレビドラマ・舞台・CM | ||||||||||||||
| 活動期間 | 1959年 - | ||||||||||||||
| 活動内容 | 1959年 東映ニューフェイス 1960年 テレビドラマにデビュー 1961年 映画デビュー 1963年 歌手デビュー 1966年 諸外国合作映画に出演 1970年 JAC設立 1974年 Sonny Chiba (世界) 1979年 本邦初アクション監督 1981年 米英合作映画出演 1989年 映画プロデューサー 1990年 映画初演出 1991年 JAC売却 1992年 米映画出演 1994年 米墨合作映画出演 1998年 香港映画出演 2007年 TLH京都を主催 2010年 芸能生活50周年 |
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| 配偶者 | 野際陽子 (1972年 - 1994年) 一般人 (1996年 - ) |
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| 家族 | 真瀬樹里 (野際との長女) 長男・次男 (現妻との) 矢吹二朗 (弟) |
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| 公式サイト | 千葉真一 プロフィール | ||||||||||||||
| 主な作品 | |||||||||||||||
| 日本映画 『風来坊探偵』シリーズ 『ファンキーハットの快男児』シリーズ 『柔道一代』シリーズ 『太陽に突っ走れ』/『浪曲子守唄』シリーズ 『日本暗殺秘録』/『やくざ刑事』シリーズ 『仁義なき戦い 広島死闘篇』 『ボディガード牙』シリーズ 『激突! 殺人拳』シリーズ 『直撃! 地獄拳』シリーズ 『少林寺拳法』/『新幹線大爆破』 『けんか空手 極真拳』シリーズ 『沖縄やくざ戦争』/『空手バカ一代』 『ドーベルマン刑事』/『柳生一族の陰謀』 『赤穂城断絶』/『戦国自衛隊』 『魔界転生』/『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』 『将軍家光の乱心 激突』/『親父』 世界映画 『カミカゼ野郎 真昼の決斗』 『海底大戦争』 『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』 『ゴルゴ13 九竜の首』 『エイセス/大空の誓い』 『風雲 ストームライダーズ / 雄覇天下』 『キル・ビル』 テレビドラマ 『新七色仮面』/『アラーの使者』 『くらやみ五段』/『キイハンター』 『ザ・ボディガード』/『ザ★ゴリラ7』 『燃える捜査網』/『大非常線』 『柳生一族の陰謀』 『服部半蔵 影の軍団』シリーズ 『柳生あばれ旅』/『柳生十兵衛あばれ旅』 『徳川無頼帳』/『風林火山』 舞台 『ゆかいな海賊大冒険』 監督・演出 |
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千葉 真一 (ちば しんいち、JJ Sonny Chiba, 1939年1月22日 - ) は、俳優・歌手・映画監督・空手家・映画プロデューサー。本名 : 前田 禎穂 (まえだ さだほ) 、愛称 : 千葉ちゃん[注釈 1]。アストライア所属。
日本を代表する映画スターの一人で、世界では Sonny Chiba の名で知られている。特技の器械体操・極真カラテ四段[4]・ 少林寺拳法弐段・乗馬・スキー・武道とあらゆるスポーツに精通し[5][6][7]、 定評のあるアクロバティクなアクション・擬斗・殺陣を活かして[8][9]、 映画・テレビドラマ・舞台・CMと半世紀にわたり幅広く活躍。吹き替えしてもらうことなく自ら危険なスタントを演じて[8][9]、 アクションスターの元祖ともいえる存在である[8][10]。
身長176cm[5][6][7]、体重60kg[5][6]、血液型O型[5][6][7]。 ジャパンアクションクラブ (JAC) の創始者。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] オリンピックを目指して
福岡県福岡市博多区雑餉隈で、二男三女の長男 (第二子) として生誕。父親は大刀洗町に在った陸軍飛行戦隊に所属する軍人で、母親は熊本県出身で学生時代に陸上競技をしていた[11]。テストパイロットの父親は、初めて建造された空母へ初着艦を成功させるなど、危険な重責業務で給料の半分が飲み代となり、家庭は裕福でなかった[12]。4歳の時、父親が千葉県木更津市へ異動となり、家族で君津市へ転居。終戦後、父親は漁業組合の役員に転職したが、家計は厳しかった[12]。しかし千葉は「貧乏だったものの自然に囲まれた土地では、米以外の食べ物に不自由しなかった」と述懐している[13]。
君津中学校へ進学すると、千葉の進路に影響を与えることとなる体育教師の松本と出会う[14]。松本は千葉を陸上競技・バレーボール・野球 (投手で4番打者[15]) など、複数の運動部の大会に出場させていた[14]。この頃ヘルシンキオリンピックが開催され、日本勢が体操競技でメダルを獲得したことにより、体操競技の一大ブームが発生する[16]。松本はその時勢に乗り「体操部を創るから部員になれ」と千葉を勧誘したことから、他の運動部と掛け持ちを続けながら、体操競技も始めた[14]。ついでながら同オリンピック・跳馬の銀メダリスト・竹本正男に日本体育大学へ進学後、千葉は指導を受けている[14]。
勧められての体操競技だったが、やがてオリンピックで日の丸を掲げたいという夢を抱くようになり[8][9]、松本に相談すると「体操するなら木更津一高へ行け」とアドバイスされた[16]。進学校のため躊躇していると、松本は練習後にも勉強をみてくれる先生を手配するなど、全面的にサポート[16]。その甲斐有って合格した[16]。入学後は体操競技に専念し、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた[8][17]。その一方で西部劇であるアラン・ラッドの『シェーン』やゲイリー・クーパーの『真昼の決闘』など、アメリカ映画を夢中で観ていた[17]。
1957年、日本体育大学体育学部体育学科へ進学した。同級生には東京オリンピック金メダリストの山下治広がいる[8]。オリンピック出場を目指して練習に明け暮れていたが、学費を稼ぐために時給が高い土方や引越しのアルバイトを合間にしていた[18]。大学2年生の夏の練習中に跳馬で着地に失敗して腰を痛めるが[15]、身体を酷使していた状態でのケガでさらに悪化[8][18]。医者からも「1年間運動禁止」と宣告され、1週間も練習を休めば差がつくこの時期に、選手を続けることが困難となった[18]。
将来を模索し始めた千葉は、実家に帰る途中の代々木駅で「東映第6期ニューフェイス募集!」のポスターを偶然見かける[19]。地元に戻り、相談した親友も賛成してくれたことや[19]、かつてミスタースポーツウエア・コンテストに入賞し[20]、東映ニューフェイスを受験するよう勧められていたことから応募した[19][20]。面接時には日本体育大学の経歴を珍しがられ、2万6千人の応募からトップの成績で合格したが、父親は芸能界入りを猛烈に反対して、千葉を勘当した[19]。
[編集] アクションスター
1959年、大学を中退して東映へ入社。男性6名・女性14名の同期生には[21]、亀石征一郎・太地喜和子・真山知子・茅島成美・新井茂子らがおり、彼らと共に俳優座で6か月の研修を受けた。
1960年1月7日にテレビドラマ『新七色仮面』の二代目・蘭光太郎役で主演デビューを果たした。続いてテレビドラマ『アラーの使者』にも主演。この頃から危険なスタント・格闘を自らこなしていたが[22]、出演する作品のジャンルが替わっても、東映は常にアクションスターであることを千葉に求め続けていく[9]。父親もテレビに出演する息子を観てから考えを変え、ようやく勘当を解いていた[23]。
1961年、映画『警視庁物語 不在証明 (ありばい)』に出演後、 深作欣二の初監督映画『風来坊探偵』シリーズに主演して、2期先輩の曽根晴美と「拳銃コンビ」のキャッチコピーで売り出された[24]。千葉にとって深作はかけがえのない師匠・盟友[10]、最も尊敬する映画監督であり[25]、このあと17の映画作品でコンビを組み、ヒットを連発していく[10]。主演映画『ファンキーハットの快男児』シリーズでは、カーチェイスやダイナミックな跳び蹴りをこなし、器械体操で培った肉体美を大車輪で披露している[8]。
1962年は尊敬する高倉健の主演映画、青春・恋愛映画『恋愛学校 ラブ・スクール』、ギャング映画『恋と太陽とギャング』、青春・戦争映画『南太平洋波高し』 などに助演 、1963年には映画『八州遊侠伝 男の盃』で時代劇にも初出演し、前後して事件記者シリーズの映画『恐怖の魔女』 (1962年) 、『殺人鬼の誘惑』 (1963年) や、映画『柔道一代』 (1963年) などに主演したが、続き物となった主演映画『柔道一代 講道館の鬼』 (1964年) にて、乱闘シーンで肩の骨を折る重傷を負った[26]。
1966年、日本・台湾合作映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』、日本・アメリカ合作映画『海底大戦争』にそれぞれ主演し、国際的にも活動し始め、後に『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』 (1973年、日香泰韓合作) 、『ゴルゴ13 九竜の首』 (1977年、日香合作) など、諸外国との共同作品に主演するきっかけになった。『カミカゼ野郎 真昼の決斗』は台湾でロケーション撮影され、離陸する軽飛行機に飛び乗るなど、続々と危険なスタントをこなしたが、前年2月のロケでは、疾走する自動車を追いかけアンテナに飛びつくシーンで、後輪の跳ねた石が脛に突き刺さり、台湾で一週間入院する代償を払っている[26]。立て続けにケガしたことから、同年に傷害保険と父親を受取人にして生命保険に加入した[26]。ほかには映画『浪曲子守唄』がシリーズ化され、遠藤実の自伝を映画化した『太陽に突っ走れ』、前年のテレビドラマ『くらやみ五段』、翌年以降は諜報員をテーマにした映画など、次々と主演していた。
1968年から、テレビドラマ『キイハンター』に主演。これまで誰も見たことのないスーパーアクションで人気をさらい、千葉ちゃんの愛称で一躍国民的アイドルとして親しまれた[8][注釈 2]。瞬く間に視聴率は30パーセントを超え、1年の放送予定が5年に延ばされた[27]。谷を行き来するロープウェイにワイヤを引っ掛けてよじ登り、走行する列車に飛び降りて屋根で敵と格闘、自動車から並走する軽飛行機に飛び移るなど、数々の新しく危険なアクションを演じていたが、小さなケガは絶えず負い、大きなものでは左足首の骨折やナイフで腕を切られている[26][28][29][30]。
日本国外でもオンエアされ、千葉の活躍に深い興味を示したブルース・リーは共演の申し入れをしてきたが[8]、リーの突然の死により実現しなかった。ジャッキー・チェンは千葉のようなアクションスターになることが夢で、そのアクションに刺激を受けて惚れこんでいた[31]。千葉の大ファンであるチェンがスターと認められだした頃に、チェンは東映京都撮影所へ千葉を表敬訪問している[31]。(他の逸話は ⇒ #キイハンター)。
[編集] 転機
1969年、オールスターキャスト作品である映画『日本暗殺秘録』に小沼正 役で主演。同時期に主演していた『キイハンター』を休んでクランクインしていたため、TBSテレビやファンからの復帰要望が高まっていた[32]。しかし風間洋介[注釈 3]のイメージから脱皮しようとこの作品に賭ける思いはとても強く、風間と正反対なキャラクターでテロリストでもあった小沼を演じていた[32]。撮影見学に来た小沼本人から太鼓判を押されたその演技により[32]、同年の京都市民映画祭では演技賞を獲得した。受賞の喜びと共に、「テレビで人気者になるだけではなく、今後は『日本暗殺秘録』のような作品にも出演していかなくてはいけない。これがきっかけで『キイハンター』を卒業しようという気持ちが強くなった。役者として将来を左右する大切な経験だった[32]」と、心を新たにしていた。
1970年、アクション・格闘シーンを演じる相手やスタントマンの不足に悩み[注釈 4]、アメリカ映画で活躍するような俳優・スタントマンの育成、そして若年層の教育に関心を持っていたことから、ジャパンアクションクラブ (JAC) を設立。自分に続くアクションのできる俳優やスタントマンの養成を始め、俳優では大葉健二・春田純一・志穂美悦子・真田広之・黒崎輝・高木淳也・伊原剛志・堤真一・土家歩・山口祥行らや、スタントマン・アクション監督では金田治・西本良治郎・山岡淳二らを輩出した。
1973年の映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』では、予科練出身のヤクザ・山中正治 役に決まり、セリフも全て覚えて撮影に入る直前だった[33]。しかし狂犬のようなヤクザ・大友勝利 役の北大路欣也が「大友は粗暴で下品すぎて、どうしても自分では演じられない。山中をやらせてほしい」と言い出したことから、プロデューサーの日下部五朗と宣伝担当者らは千葉を突然訪ね、「山中と大友を交代してもらえないか」と依頼してきた[34]。『日本暗殺秘録』の脚本も担当し、本作品を執筆した笠原和夫は、小沼正の一面を山中のキャラクターに取り込んでいたこともあり、東映と笠原は「小沼を好演して受賞した千葉に、山中を演じさせよう」とキャスティングしていた[35]。このような経緯から、千葉も小沼と山中に共通点を見出して役作りしてきたため、初めは交代に難色を示した[34]。ほどなくして監督の深作欣二が交代に反対していないことを知った千葉は、似たような役を再び演じることは俳優として停滞するのではないかと再考し、「役作りし直すから、出番を少し後にずらしてほしい」と最終的に交代を了承した[36]。ついでながら深作のみ唯一人キャスティング会議で、「千葉に大友を演じさせたほうが、絶対おもしろくなる[37]」と主張していた。
ブロマイドの売上げが俳優部門で4年連続No.1のアイドルでもあったが[38]、過激なセリフに悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、サングラスを常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した[39]。そして作り上げた大友勝利は、シリーズ中1、2を争う名キャラクターとして人気をつかんでいる[40][41]。近年も若い俳優がヤクザを演じる時、「仁義なき戦いの千葉真一さんがやった大友勝利のような」と役作りの参考にもされている (詳細は ⇒ 仁義なき戦い#出演者)。
俳優座養成所1期生で千葉と何度か共演している岩崎加根子は、『広島死闘篇』の千葉の演技を絶賛しており、それを聞いた千葉は「とても自信がついた。悪役の妙味を知ることができ、実に大きなものを与えてくれた作品だった」と語っている[42]。引き続き『仁義なき戦い 頂上作戦』にも大友勝利で出演する予定だったが[43]、『広島死闘篇』と同時進行で『柔道一代』シリーズ以来、10年ぶりの格闘映画となる主演作品『ボディガード牙』 (1973年) の撮影にも入っていた[44]。『ボディガード牙』はシリーズ化され、続いて主演映画『激突! 殺人拳』 (1974年) の撮影も始まり、『仁義なき戦い』シリーズの再出演は実現しなかった[44]。これ以降は、格闘映画で主演作品が製作されていく。学生時代から極真空手を修行して、黒帯を允許された技量が生かされることとなった (力量は ⇒ #空手道)。
[編集] Sonny Chiba
1973年に封切公開された『ボディガード牙』シリーズを皮切りに、『激突! 殺人拳』シリーズ、『直撃! 地獄拳』シリーズ (1974年)、『少林寺拳法』 (1975年)、『けんか空手 極真拳』シリーズ (1975年) と、前後して『やくざ刑事』シリーズ (1970年 - 1971年) 、『狼やくざ 殺しは俺がやる』シリーズ (1972年) 、『麻薬売春Gメン』 (1972年) シリーズや、小説・劇画を映画化した『ウルフガイ 燃えろ狼男』 (1975年) 、『空手バカ一代』 (1977年) 、『ドーベルマン刑事』 (1977年)、『ゴルゴ13 九竜の首』など数々の映画に主演した。これらの作品には『キイハンター』と同様のアクションに、空手道・拳法・器械体操などが加わり、アクロバティックでスリリングとシャープな演技は好評を博した[8][9][45][46][47]。
とりわけ1974年に主演した映画『激突! 殺人拳』は、ヤクザ映画が下火になっていた東映には、久々の大ヒットをとばした作品となった[48]。アメリカ・ヨーロッパ・オーストラリア・カナダの映画会社も、『激突! 殺人拳』を買い付けに来ていた[49]。なかでもアメリカのニュー・ライン・シネマは「ブルース・リー以上だ。素晴らしい[49]」と評して興行権を買い取り、『The Street Fighter 』とタイトルをつけ、千葉を Sonny Chiba と命名した[3]。同年11月12日から主にアメリカ中南部の都市18館で封切られ、3週間でベスト5に躍り出て千葉の代表作となった[49][50]。アメリカで最も権威のある総合情報週刊誌『Variety』の12月18日付にもこの出来事を掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げた[49][50]。大ヒットした要因として「リーの舞踊劇的な功夫と違い、ワザと力もより本物に近く、迫力がある」、「器械体操を利用した、トランジスター的器用さが面白い」が挙げられている[49]。(詳細は ⇒ 激突! 殺人拳)。
忍者の末裔に扮した同年の主演映画『直撃! 地獄拳』は、千葉のスピードあるアクションと、石井輝男のユーモアとウィットを盛り込んだ演出が組み合わされた作品となった。1974年度に4億1700万円を売り上げ、同年度の日本映画興行収入ランキング第5位に入り、アメリカでは『The Executioner 』というタイトルで1999年現在、10万本以上のビデオが売れている[51]。
かつての「空手 = ブルース・リー」というイメージも、これら千葉主演の格闘映画以降は、「空手 = 千葉真一」というのが欧米での一般的な認識となっている[52][53][54]。アメリカ州・ヨーロッパ・東南アジアを中心に、世界中にマーシャルアーツの大スターである Sonny Chiba の熱狂的な人気は根強く[52][53][55]、著名人の熱狂的なファンにはサミュエル・L・ジャクソンやクエンティン・タランティーノらがおり、世界の映画人にも影響を与えている[51][53][56]。ジャクソンは千葉に初めて会った時、直立不動で「サインをください」と頼んでいた[51]。タランティーノはアメリカ映画『トゥルー・ロマンス』で、主人公が『激突! 殺人拳』を映画館で観ていたり、彼の部屋には『カミカゼ野郎 真昼の決斗』、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のポスターが貼られているなど、千葉の熱狂的ファンである主人公を描いている。
日本国外での評判に刺激された千葉は、岡田茂東映社長 (当時) に「海外で勝負させてください」と懇望したが[57]、「まだその時期ではない」と認められなかった[10]。しばらくは日本国内で映画・ドラマへの出演、若手俳優の育成などに追われることとなったが、1976年には映画『沖縄やくざ戦争』で、同年の京都市民映画祭の主演男優賞を受賞した。
[編集] ジャンルを超えた活動
名実共に日本を代表するアクションスターとして活躍していたが[8][46][47]、1978年から本格的に時代劇へ進出。木刀で殺陣の練習を1日8時間行い、臨んだ。20メートルの崖から川に飛び込む、危険なスタントをした主演映画『柳生一族の陰謀』は、『裏柳生』というタイトルで深作欣二に提出した企画がベースになっている[58]。この作品で1979年に第2回日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受賞した。時代劇映画では、柳生但馬守宗矩 (若山富三郎) ・宮本武蔵 (緒形拳) と凄みのある戦いをした主演作品『魔界転生』 (1981年) のほか、『赤穂城断絶』 (1978年)、『里見八犬伝』 (1983年) などに出演。特に『柳生一族の陰謀』、『魔界転生』、テレビドラマ『柳生あばれ旅』 (1980年 - 1981年)、『柳生十兵衛あばれ旅』 (1982年 - 1983年) の柳生十兵衛三厳とテレビドラマ『影の軍団』シリーズ (1980年 - 1982年、1985年) の服部半蔵は千葉の十八番となり[59]、従来の時代劇に空手や器械体操の技を取り入れたアクロバティックな殺陣は人気を得ていた[60]。しかし十兵衛役で長時間、左目に眼帯していたため右目を酷使して視力を失い、人工レンズを入れる代償も払っていた[61]。
1979年には、芸能生活20周年記念作品である映画『戦国自衛隊』で[62]、主演と日本映画初のアクション監督を兼務[52]。自前のハイスピードカメラを足に括りつけてヘリコプターから宙吊りになっての撮影や[9]、騎手の目線を写すためにカメラをヘルメットに取り付けて、それを自ら被り乗馬しての撮影など[63][注釈 5]、それぞれの敢行はスタッフをとても心配させたが[9]、そのアクションシーンが評価され、1980年にブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。
東映から「好きな映画を作っていい」と許可され、企画した1981年の主演映画『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』は、フランス映画『冒険者たち』をオマージュした作品で、空手・拳法の達人や剣豪・忍者とは異なる、しがない大学職員に扮して活劇を演じた[64]。前年の『忍者武芸帖 百地三太夫』ではワイヤーアクションを初めて取り入れ、『吼えろ鉄拳』と同様に俳優とアクション監督を兼ね、『燃える勇者』ではアクション監督に専念。1989年の『将軍家光の乱心 激突』では再び、アクション監督と俳優を兼務したが、この作品は第39回ベルリン国際映画祭に招待された。1990年には製作と演出を兼ねて、初監督映画『リメインズ 美しき勇者たち』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。
これまで話題作に数多く主演してきたが、それとは裏腹に「アメリカの撮影開始時は『Ready camera. Action! 』と言うように、アクションは本来 “あらゆる演技” を意味する。今まで演出する監督の要望通りに何でも演じてきたことで、日本では逆にアクションのみが先行してしまい、あまり良くないイメージを持たれた[22]」と、複雑な心情を吐露している。『キイハンター』が大ヒットしていた頃に、高倉健から「アクションスターのイメージを (世間に) 持たれないほうがいい」とアドバイスされていたことや[65]、アクションの本来の意味を理解していたこともあり、1970年代にはテレビドラマ『七色とんがらし』 (1976年、脚本 : 向田邦子) や『十字路』 (1978年、脚本 : 鎌田敏夫)、1980年代には『深夜にようこそ』 (1985年、脚本 : 山田太一)、『シリーズ・街 / 夢に見た日々』 (1989年、脚本 : 山田太一) などのホームドラマにも主演。アクション映画に留まらない俳優活動と、監督・映画プロデュースまでの進出は、ジャンルを超えて幅広いものであった。
[編集] 世界進出
諸外国との合作作品ではあるものの、『カミカゼ野郎 真昼の決斗』 、『海底大戦争』、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、『ゴルゴ13 九竜の首』などに主演し、『武士道ブレード』 (1980年、米英合作) に出演していたが、既述のとおり本格的な日本国外映画への出演を認めてもらえず、関係者に「あきらめた」と思われていた[10]。しかし、水面下のアピールや主演映画の評判などで、1990年頃からアメリカ映画の出演依頼が届き始めていた[10]。折しもロサンゼルスでは映画『激突! 殺人拳』、『子連れ殺人拳』 (1976年、英語タイトル : 『Karate Warriors』) など、14本の主演格闘映画がリバイバル公開されていた[66]。
1991年、ジャパンアクションクラブ (JAC) の売却を経て、1992年にアメリカ映画『エイセス/大空の誓い』に出演。これを機に拠点をロサンゼルスへ移して、アメリカでも俳優活動をするようになり、グリーンカードも取得した[67]。日本未公開作品のアクション映画も多いが、長年の経験で培ったそのアクションは高く評価されている。
1998年に出演した香港映画『風雲 ストームライダーズ / 雄覇天下』では、ラスボス“雄覇 (ホンパ / ホンファ) ” を演じた。原作のイメージを彷彿とさせるその演技は話題に上り、翌年の第18回香港電影金像奨では、外国人として初めて優秀主演男優賞にもノミネートされた。2001年には台湾でも連続ドラマ化された。
2003年、友人でもあるクエンティン・タランティーノのアメリカ映画『キル・ビル』シリーズでは出演はもちろん、ユマ・サーマン、ルーシー・リューらハリウッドスターへ剣術指導を務めて、大きな話題を呼んだ[68]。サーマンは「サニーは大好きよ。私にとって彼は大スターだし、偉大な俳優だと思う[69]」と、一方のリューは「サニーは、本当にいろいろなことを教えてくれた[70]」と、それぞれ千葉を語っている。第30回サターン賞では『キル・ビル』で助演男優賞にノミネートされた。
2004年9月23日には日本人として初めてNBCの『Days of our Lives』に出演。2005年10月29日に開催されたハワイ国際映画祭では、これまでの功績を讃えたMAVERICK AWARD を受賞した。
[編集] 近況
2006年3月より福島県会津若松市にある観光施設「會津藩校 日新館」の運営会社の取締役に就任し、9月に映画撮影所「日新館会津撮影所 武士乃陣」をオープンさせた。10月22日に設立された民間の教育団体である日本教育再生機構にも賛同している。
翌年には英国放送協会 (BBC) 製作の、日本をテーマにしたドキュメンタリー番組『Japanorama』に出演。『Densetsu (Legends)』 (伝説) をテーマにした回で取り上げられ、その模様は2007年4月9日に放送された。7月16日に行った記者会見で、「千葉 真一という名前を返上する」と発表した。大河ドラマ『風林火山』に出演が終わった翌日の出来事だった。「たとえ撮影中に死にそうになった時にも、肉体の限界を感じたことはなかった。しかしこの1年間、どうも身体がついてこない。今年いっぱいで (芸名を) 葬りたい[38]」、「10年前に喘息を発症し、それ以来、毎日朝夕に気管を広げる薬を飲んでいる。肉体は俳優の言葉。やはり自分の中に千葉 真一としてのイメージがある。応援してくださるファンの方々にぶざまな格好を見せるわけにはいかないし、『ここが引き際だな』と思った[38]」と、胸中を明かした。11月にはJJサニー千葉と改名し、また、和千永 倫道 (わちなが りんどう) の名で、映画監督業への進出を表明した[71]。和千永 倫道は、母親の旧姓「和智永 (わちなが)」と千葉を併せ、「人の道」を由来としたものである[71]。11月26日には厚生労働省から「健康大使」にも任命された[72]。
2008年10月から2009年3月まで京都造形芸術大学の教授を務めた後、日本・アメリカ・東南アジアと世界各国で、後進の育成・空手道の普及に活動している。
2010年10月22日には東京・グランドプリンスホテル赤坂で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。もともとは、アントニオ猪木・池谷幸雄・石田純一・市川亀治郎・今井雅之・内野聖陽・梅宮辰夫・岡崎二朗・ガッツ石松・川地民夫・神取忍・樹木希林・北の湖敏満・京本政樹・具志堅用高・郷田勇三・小林幸子・コロッケ・高橋英樹・竹本直一・田中好子・谷村新司・津川雅彦・十朱幸代・夏八木勲・白竜・張本勲・布施明・風吹ジュン・松井章圭・松坂慶子・美川憲一・三田佳子・やまさき十三・山本KID徳郁・横峯良郎・ラモス瑠偉ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された[73][74][75][76][77][78][79]。
前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長男・次男からも千葉夫妻へスピーチが行われた。後半の記念式典では出演した260本の映画・テレビドラマなどが順に紹介され、息子達と空手道の演武で型と杉板の試割りを、まな娘の真瀬樹里とは殺陣を披露した。勝野洋・小堺一機・夏樹陽子らは花環を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、太田昭宏・北島三郎・関根勤・高岡早紀・高橋和也、デヴィ・スカルノ、南部虎弾、ビリー・ブランクス、堀田眞三・魔裟斗・松木安太郎ら、多数の芸能人を含む各界から約600人がお祝いに集まった。千葉は「あっという間の50年だった。まだまだ、やり残したことがあるので精進したいと思う。ハリウッドで日本の俳優を育てたい」と新たな目標を掲げた[73][74][75][76][77][78][79]。
2011年以降、芸名を日本国内では千葉 真一 (ちば しんいち) に戻し、世界では JJ Sonny Chiba (JJ サニー チバ) としている[7]。同年9月29日から10月2日にロサンゼルス・ウエストウッドのBigfoot Crest シアターにて開催された、アジア - アメリカ映画を祝す国際フィルムフェスティバル「SINGAFEST 2011」(Bigfoot Entertainment 主催) では、LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD を受賞し、代表作の一つである映画『魔界転生』 (英語タイトル : 『Samurai Reincarnation』) が上映された[53][80]。授賞式には長女の真瀬樹里・長男・次男も駆けつけ、2人の息子は空手を、千葉と真瀬は殺陣を披露し、集まった多くのファンをわかせた[80]。
[編集] 人物
[編集] 家族・人柄
テレビドラマ『キイハンター』で共演した野際陽子と1972年に結婚。娘は真瀬樹里。おしどり夫婦として有名だったが、ハリウッドで仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と[81]、日本に居たい野際の意志不一致から[81]、1994年に離婚した。その後、千葉は28歳年下の一般女性と1996年に再婚して長男・次男を授かり、アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズに在住している[10][75][76][78]。矢吹二朗は弟。
スポーツニッポン文化部次長だった脇田巧彦は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である[9]」と評し、娘の真瀬は「何があっても進んでいく前向きさと映画への情熱は世界一。パパは私の誇り[77]」と話している。また、千葉を取材した日刊スポーツの記者は「圧倒的な存在感をオーラと呼ぶが、それを感じた[10]」と述べ、堀田眞三は「かつて大流行した『カッコいい! 千葉ちゃん!』の言葉通り、 “ カッコよさ ” の象徴だった。国中を席巻したカリスマであり、正真正銘の映画スターとして、醸し出す雰囲気や存在感が全然違う[82]」と語っている。
[編集] 空手道
東映に入る前から大山道場 (後の極真会館) に通っており、きっかけは大学生の時に大山倍達を知っている韓国人から紹介を受けて入門した[51]。格闘映画で千葉の敵役を演じた石橋雅史は、極真カラテの先輩にあたる。大山は「千葉は学生時分から道場へ通ってきており、仕事の関係でまとまった稽古をしていないまでも、門下生の序列で言うと相当古い方になるんだよ[83]」と語っている。千葉は名誉段位ではなく、一般門下生と同様に昇段審査を受け、1965年10月15日に黒帯 (初段) を允許[4]、1977年2月3日に弐段を越えて飛び段で参段[4]、1984年1月20日に四段へ昇進した[4]。
そして1977年3月16日に空手道による真剣勝負をすることが発表され[84]、4月にハワイで開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手の対抗戦に参戦した[54]。日本代表メンバーには千葉の他に東孝・中村誠などがおり、対戦相手は「前アメリカ東海岸空手チャンピオンのグレッグ・カーフマン」という180センチメートル以上ある黒人であった[54]。千葉は通常の空手の技の他に、跳び右後ろ回し蹴りや胴回し回転蹴りの元となった前方宙返りして踵で蹴るなど[54]、積極的に攻撃して、第2ラウンドに千葉が二段蹴りでKO勝ちしたが[54]、結果的に5月14日に封切り公開された日本映画『空手バカ一代』の宣伝にもなった。
大山倍達は「千葉真一の空手映画は欧米で非常なブームとなっており、本職の空手家らの『Sonny Chiba の空手は本物』という批評が聞かれていた。それも当然であり、この対抗試合に出場して、その実力を示したのは立派というしかない[54]」と述べている。ちなみに千葉は、既述した深作欣二・高倉健と大山倍達の3人を、「人生で最も影響を受けた特別な存在で、最も敬愛する人物」に挙げている[85]。
1984年1月20日 - 22日に開催された極真会館主催の第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会で、千葉は志穂美悦子・真田広之らJACメンバーを率い、演武とテレビのゲスト解説した。同年8月、極真会館ブラジル支部長・磯部清次の招待により、志穂美・真田・大葉健二を引率してサンパウロへ行き、25日 - 26日に開催された第1回日伯・第8回ブラジル極真空手道選手権大会でも演武を行った[86]。
新・影の軍団で共演した高野八誠は、当時64歳だった千葉の後ろ回し蹴りを見て、とても印象的だったと語っている[87]。
[編集] キイハンター
『キイハンター』の大ヒットで、1969年の近代映画10月号臨時増刊で「千葉真一特集号」が発行された。週刊マーガレットでは同年のNo.17から「千葉真一物語」が連載され、人気はさらに上昇していった。この頃は並行して、グループ・サウンズの「ザ・サタンズ」というエレキバンドを率いて、地方公演もしていた。
新宿で「キイハンター」というスナック・バーを経営し、カーマニアでもあった。愛車は白のマツダ・コスモスポーツであり、選んだ理由は「小回りが利くから」と実にアクションスターらしい動機である。その後はマーキュリー・クーガー、フォード・マスタング・Mach1へと乗り継いだ。1971年初めには地元の君津市に実家を新築して[88]、時には実家から東映東京撮影所へ通っていた。
当時の野際陽子は、千葉に比べると役者として駆け出しだったが、放映し始めた頃の野際のギャラは、多くの映画に主演経験のある千葉より高かった[89]。それを知った時、「追い越してやる」と奮起して2年後に抜かした[89]。また、宮内洋は「千葉さんにはアクションのことでいろいろ教わり、それを仮面ライダーV3で生かした。その一つにアクションシーンで必ず手袋を着用したのも怪我を防ぐためだが、これは千葉さんのアイデアを取り入れたものだ[90]」と語っている。
[編集] ハリウッド
既述のサミュエル・L・ジャクソン、クエンティン・タランティーノのほかには、スティーヴン・セガール、デニス・ヘイスバートと親交がある。セガールは流暢な大阪弁で「千葉先生、居てはりまっか?」などと、頻繁に連絡してくる[51]。ヘイスバートとは千葉がヘイスバートの撮影現場に訪問したり、千葉が主催する「サウザンリーヴス・ハリウッド 京都 (TLH京都)」にヘイスバートから応援メッセージを貰ったりしている。
松方弘樹は千葉が日本国外で活躍できた要因を
| “ | むちゃくちゃ仕事熱心な方です。しかも弱音を吐いたところを聞いたことがない。映画の現場では、遅刻もしなければ、現場から早く自宅に帰ることもない。まじめなんですね。本当に頭が下がる思いです。もう一つかなわないことがあるんです。僕は割と交友関係は広い方なんですが、千葉さんは僕以上に友達が多い。だれとでもすぐに友達になるんですよね。ホントうらやましい。ハリウッドにポンと挑戦できちゃうのも、気さくな性格と、この交友関係の広さなんでしょうね。[10] | ” |
と評している。
[編集] 大河ドラマ
| “ | 思い出に残るシーンは、それはもちろん千葉真一さんとの殺陣でしょうね。僕も殺陣が非常に好きで普段から稽古しているんですが、千葉さんといえば世界的にも有名でアクションも凄いじゃないですか。そういう方と殺陣ができるのが、うれしくてしょうがなかった。千葉さんは『どっからでもかかっていらっしゃい』という感じで、どっしりと構えている。僕もこの大きな胸を借りて、思いっきりやってやれという感じで、やらせていただきました。千葉さんはすごく情熱的な方で、収録が終わっても若い人を集めて酒を飲みながら、演技について語っているんですよ。その仲間に僕も入れていただいて、電気が消えて『早く出て行ってください』と言われても、ひたすら飲んで語っていました (笑)。殺陣の極意をいろいろ聞かせていただいて、楽しかったですね。視聴者の方にはお教えできないテクニックも教わって、いろんな意味で勉強になりました (笑)。[91] | ” |
と語っている。
[編集] 受賞
- ミスタースポーツモデル - ウェアモデル入賞 (1958年)
- エランドール賞 - 新人賞 (1962年)
- 日本映画製作者協会 - 新人賞 (1967年)
- 京都市民映画祭 - 演技賞 『日本暗殺秘録』 (1969年)
- 京都市民映画祭 - 主演男優賞 『沖縄やくざ戦争』 (1976年)
- 第2回日本アカデミー賞 - 優秀助演男優賞 『柳生一族の陰謀』 (1979年)
- ブルーリボン賞 - スタッフ賞 『戦国自衛隊』 (1980年)
- 第18回香港電影金像奨 - 優秀主演男優賞 『風雲 ストームライダーズ / 雄覇天下』 (1999年)
- 第30回サターン賞 - 助演男優賞 『キル・ビル』 (2004年)
- 第25回ハワイ国際映画祭 - MAVERICK AWARD 〔映画への貢献を称える特別賞〕 (2005年)
- 第15回日本映画批評家大賞 - ゴールデン・グローリー賞 〔日本映画の発展に貢献した俳優〕 (2006年)
- OKINAWAシネマ&ミュージックアワード映画部門功労賞 (2006年)
- 「おきなわシネマ&ミュージックフェスタ2006」にて、映画の発展に貢献したクリエイターとして表彰
- 天草映画祭 風の賞 - 特別賞 (2007年)
- SINGAFEST 2011 〔Bigfoot Entertainment主催〕 - LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD (2011年)
- MARTIAL ARTS LEGEND Sonny Chiba を表彰
[編集] 出演
[編集] 映画
[編集] 日本作品
※諸外国との合作映画は#世界作品を参照
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1961年
- 警視庁物語 不在証明 (ありばい) - 中川刑事
- 警視庁物語 十五才の女 - 中川刑事
- 警視庁物語 十二人の刑事 - 中川刑事
- 進藤の社長シリーズ 石松社員は男でござる - 長島
1962年
- 地獄命令 - 大松信一
- 柔道一代 講道館の鬼 - 主演・本郷四郎
- 東京アンタッチャブル 売春地下組織 - 原田芳夫
- 君たちがいて僕がいた - 矢吹誠
- 竜虎一代 - 松橋新一
- 夜の牝犬 - 大月辰男
- 網走番外地 南国の対決 - 谷村
- 太陽に突っ走れ - 主演・進藤孝
- 浪曲子守唄 - 主演・遠藤文吾
- 黄金バット - 主演・ヤマトネ博士
- 人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊 - 滝口航海長
- 陸軍諜報33 - 主演・山本和夫
- あゝ予科練 - 児玉少尉
- 不良番長 猪の鹿お蝶 - 藤木光男
- 日本暗殺秘録 - 主演・小沼正
- やくざ刑事 - 主演・隼田志郎
- やくざ刑事 マリファナ密売組織 - 主演・隼田志郎
- 最後の特攻隊 - 三島大尉
- やくざ刑事 恐怖の毒ガス - 主演・隼田志郎
- やくざ刑事 俺たちに墓はない - 主演・隼田志郎
- 狼やくざ 殺しは俺がやる - 主演・氷室剛介
- 麻薬売春Gメン - 主演・菊池靖男
- 銀蝶渡り鳥 牝猫博奕 - 東隆次
- 狼やくざ 葬いは俺が出す - 主演・伊吹徹
- 麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄 - 主演・菊地春夫
- 仁義なき戦い 広島死闘篇 - 大友勝利
- ボディガード牙 - 主演・牙直人
- ボディガード牙 必殺三角飛び - 主演・牙直人
- 少林寺拳法 - 主演・宗道臣
- 若い貴族たち 13階段のマキ - 日向健一
- ウルフガイ 燃えろ狼男 - 主演・犬神明
- 新幹線大爆破 - 青木運転士
- けんか空手 極真拳 - 主演・大山倍達
- 爆発!暴走族 - 津上
- 新仁義なき戦い 組長の首 - バーテンダー ※カメオ出演
- 激突! 合気道 - 名取新兵衛
- けんか空手 極真無頼拳 - 主演・大山倍達
- やくざ戦争 日本の首領 - 迫田常吉
- 激殺! 邪道拳 - 主演・無音笛 兼 企画
- 北陸代理戦争 - 金井八郎
- 空手バカ一代 - 主演・大山倍達
- 日本の仁義 - 木暮勝次
- ドーベルマン刑事 - 主演・加納錠治
- トラック野郎 度胸一番星 - 新村譲次
- 瞳の中の訪問者 - 酔っ払い ※カメオ出演
- 柳生一族の陰謀 - 主演・柳生十兵衛三厳
- 宇宙からのメッセージ - ハンス王子
- 沖縄10年戦争 - 伊波朝勇
- 赤穂城断絶 - 不破数右衛門
- 忍者武芸帖 百地三太夫 - 不知火将監 兼 アクション監督
- ちゃんばらグフラフィティー 斬る! ※東映創立30周年を記念して製作された時代劇の名場面集
- 吼えろ鉄拳 - 太刀川俊介 兼 アクション監督
- 冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE- - 主演・神風大介 役
- 伊賀野カバ丸 - 伊賀野才蔵 兼 企画
- コータローまかりとおる! - ムーア公国大佐 兼 企画
- 最後の博徒 - 加納良三 (モデル : 美能幸三)
- 将軍家光の乱心 激突 - 伊庭庄左衛門 兼 アクション監督
- 極道戦争 武闘派 - 笠井高次
- バトル・ロワイアルII 鎮魂歌 - 三村真樹雄
- 白昼の死角 (1978年) - 太田洋助
- 蘇える金狼 (1979年) - 桜井光彦
- 戦国自衛隊 (1979年) - 主演・伊庭義明三尉 兼 アクション監督
- 復活の日 (1980年) - 山内博士
- 魔界転生 (1981年) - 主演・柳生十兵衛三厳
- 蒲田行進曲 (1982年) - 本人 ※友情出演
- 伊賀忍法帖 (1982年) - 柳生新左衛門
- 里見八犬伝 (1983年) - 犬山道節
- キャバレー (1986年) - 関東連合組長 ※ゲスト出演
- 闇の狩人 (1979年) - 下国左門
- 必殺4 恨みはらします (1987年) - わらべや文七
- 丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる (1989年) - ※特別出演
- せんせい (1989年) - 牛山誠 兼 プロデューサー
- いつかギラギラする日 (1992年) - 柴
- THE WINDS OF GOD -KAMIKAZE- (2006年) - 太田信忠 飛行隊長
- シネマパラダイス
- 新・影の軍団 序章 伊賀対甲賀対風魔 - 主演・初代 服部半蔵 兼 企画
- 新・影の軍団 第二章 - 主演・初代 服部半蔵 兼 企画
- 新・影の軍団 第参章 ~地雷火~ - 主演・初代 服部半蔵 兼 製作総指揮
- 新・影の軍団 ~地雷火~ 第四章 - 主演・初代 服部半蔵 兼 製作総指揮
- 銭道 - 神開浩次郎
- 銭道2 借金地獄抜け道指南 - 神開浩次郎
- 銭道3 なにわ金融指南 - 神開浩次郎
- 銭道4 男と女の金融講座 - 神開浩次郎
- 銭道5 無限連鎖講 - 神開浩次郎
- 新・影の軍団 第五章 服部半蔵 vs 陰陽師 - 主演・初代 服部半蔵
- 新・影の軍団 ~最終章~ 服部半蔵 最期の戦い - 主演・初代 服部半蔵
- 銭道6 - 神開浩次郎
- 猿飛佐助 / 闇の軍団 - 柳生十兵衛三厳
- 上記以外
- ちんちろまい (2000年、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント) - 黒田武士
- SURVIVE STYLE5+ (2004年、東宝) - 薬品会社社長 風間
- マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝 (2006年、日活) - 源流
- 親父 (2007年、チェイスフィルムエンタテインメント) - 主演・沼田竜道 兼 監督
- 修羅の花道 (2012年、コンセプトフィルム) - 須玉誉士夫 ※特別出演
[編集] 世界作品
- カミカゼ野郎 真昼の決斗 (1966年、日台合作) - 主演・御手洗健
- 海底大戦争 (1966年、日米合作) - 主演・安部
- 東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯 (1973年、日香泰韓合作) - 主演・和田達也
- ゴルゴ13 九竜の首 (1977年、日香合作) - 主演・ゴルゴ13 (デューク東郷)
- 武士道ブレード (1981年、米英合作) - 井戸守
- エイセス/大空の誓い (1992年、米) - スエオ・ホリコシ大佐
- リゾート・トゥ・キル (1994年、米墨合作) - 主演・Jiro 'J.J.' Jintani
- ザ・サイレンサー MAGNUM357 (1994年、アメリカ) - マコト
- 風雲 ストームライダーズ / 雄覇天下 (1998年、香港) - 主演・雄覇
- 小李飛刀之飛刀外傳 The Legend Of The Flying Swordsman (2000年、香港) - 李元覇
- 勝者為王 (2000年、香港) - 草刈一雄
- キル・ビル (2003年、アメリカ) - 服部半蔵 兼 剣術指導
- 爆裂都市 / Explosive City (2004年、香港) - Otosan ※サム・レオン 監督作品
- ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT (2006年、アメリカ) - カマタ組長
[編集] テレビドラマ
- 日本
- 新七色仮面 (1959年 - 1960年、毎日放送) - 主演・二代目七色仮面 / 蘭光太郎
- ドキュメンタリードラマ / 指名手配 第24回「悪魔の火」 (1960年、NET) - 主演
- アラーの使者 (1960年、NET) - 主演・鳴海五郎 / アラーの使者
- 浅草の灯 (1963年、NET) -
- 鉄道公安36号 (1963年 - 1967年、NET) - 主演・早川公安官
- 「シグナルは赤だ」
- 「終電車」
- 「影ある牙」
- 「終電車」
- 1965年 「消えた荷箱」
- 第206話「大都会 前編」
- 第207話「大都会 後編」
- 黄色い風土 (1965年 - 1966年、NET) -
- くらやみ五段 (1965年 - 1966年、NET) - 主演・倉見達也
- 特命捜査室 (1968年8月28日、フジテレビ) 第9話「デートは殺しのタイム」 -
- キイハンター (1968年 - 1973年、TBS) - 主演・風間洋介
- 柔道一直線 (1969年、TBS) - 鷲尾
- 第41話「荒鷲よはばたけ! 」
- 第45話「火の鳥よ翼を燃やせ」
- 第47話「一人荒野に立て」
- 第68話「鬼車と講道館」
- 第31話「きらめく星は我が胸に」
- 第38話「輝かしき道へ」
- ロボット刑事 (1973年、フジテレビ) - 新條敬太郎 ※ジャパンアクションクラブ (JAC) の初単独アクション担当作品
- サスペンスシリーズ / 現代鬼婆考・殺愛 (1973年9月28日、毎日放送) - 主演・老婆しげ
- ザ・ボディガード (1974年、NET) - 主演・鷲見秀介
- ザ★ゴリラ7 (1975年、NET) - 主演・風見大介
- 燃える捜査網 (1975年 - 1976年、NET) - 主演・大神史郎
- 大非常線 (1976年、NET) - 主演・五代正弘
- ナショナルゴールデン劇場 / 七色とんがらし (1976年、NET) - 主演・鮫島鉄男 ※向田邦子 脚本作品
- 鎌田敏夫シリーズ / 十字路 (1978年、NHK) - 主演・木原潤三
- 土曜ワイド劇場 / 想い出の海辺 パパ、ぼく死にたくない!! (1978年9月9日、テレビ朝日) - 主演
- ドラマ「ネットワーク」第3弾 / 雪山讃歌・ある青春 ~ 立てた! 滑れた! (1978年10月28日、フジテレビ) - 主演
- 南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政 (1978年、朝日放送) - 宮本武蔵
- 柳生一族の陰謀 (1978年 - 1979年、関西テレビ) - 主演・柳生十兵衛三厳
- 服部半蔵 影の軍団 (1980年、関西テレビ) - 主演・三代目 服部半蔵
- 木曜ゴールデンドラマスペシャル / 東京大地震マグニチュード8.1 (1980年、日本テレビ) - 主演
- 柳生あばれ旅 (1980年 - 1981年、テレビ朝日) - 主演・柳生十兵衛三厳
- 警視庁殺人課 (1981年4月13日、テレビ朝日) 第1話「復讐のバラード」 -
- 影の軍団II (1981年 - 1982年、関西テレビ) - 主演・柘植新八
- 影の軍団III (1982年、関西テレビ) - 主演・多羅尾半蔵
- 柳生十兵衛あばれ旅 (1982年 - 1983年、テレビ朝日) - 主演・柳生十兵衛三厳
- 宇宙刑事ギャバン (1983年2月18日、テレビ朝日) 第43話「再会」 - ボイサー
- 水曜ロードショー特別企画 / 素晴らしきサーカス野郎 (1984年1月4日、日本テレビ) - 主演・前島大学
- 影の軍団IV (1985年、関西テレビ) - 主演・十五代目 服部半蔵
- 影の軍団 幕末編 (1985年、関西テレビ) - 主演・十五代目 服部半蔵
- 深夜にようこそ (1986年、TBS) - 主演・村田耕三 ※山田太一 脚本作品
- TBS大型時代劇スペシャル / 太閤記 (1987年1月1日、TBS) - 明智光秀
- 金曜女のドラマスペシャル / 雪の朝に (1987年5月1日、フジテレビ) - 坂本医師
- 旅少女 (1987年、NHK) - 石川猛志
- SAISON SPECIAL / 秋のシナリオ (1987年11月6日、日本テレビ) - 辰巳プロデューサー
- TBS大型時代劇スペシャル / 徳川家康 (1988年1月1日、TBS) - 石川数正
- 土曜ワイド劇場 / 旅行けば連続殺人 (1988年7月16日、テレビ朝日) - 南条哲也
- TBS大型時代劇スペシャル / 織田信長 (1989年1月1日、TBS) - 織田信秀
- 家光と彦左と一心太助 ~天下の一大事~ (1989年、テレビ朝日) - 柳生十兵衛三厳
- 土曜ワイド劇場 / OL潜入!ニッポン風俗名所 (1989年6月17日、朝日放送) - 岩田
- シリーズ・街 / 夢に見た日々 (1989年、テレビ朝日) - 主演・関本慎作 ※山田太一 脚本作品
- TBS大型時代劇スペシャル / 源義経 (1990年1月1日、TBS) - 禅林坊覚日
- 新吾十番勝負 (1990年、テレビ朝日) - 梅井多門
- 東芝日曜劇場 / 足で見る山 (1990年9月9日、TBS) - 倉橋
- 時代劇スペシャル / 十七人の忍者 (1990年10月10日、フジテレビ) - 主演・伊賀三ノ組 組頭 甚伍左 兼 監督補
- TBS大型時代劇スペシャル / 武田信玄 (1991年1月1日、TBS) - 武田信虎
- 戦国乱世の暴れん坊 斎藤道三 怒涛の天下取り (1991年1月3日、テレビ朝日) - 明智光綱
- 徳川無頼帳 (1992年、テレビ東京) - 主演・廓幻之介 (松平忠輝)
- 森蘭丸〜戦国を駆け抜けた若獅子〜 (1993年8月10日、テレビ東京) - 森三左衛門可成
- 聖龍伝説 (1996年、日本テレビ) - 冴木勇次
- 寺子屋ゆめ指南 (1997年、NHK) - 泉水又十郎
- できちゃった結婚 (2001年、フジテレビ) - 小谷一徹
- 柳生十兵衛七番勝負 (2005年、NHK) 第5話「邪の剣光の剣」 - 宮本武蔵
- アストロ球団 (2005年、テレビ朝日) - J. シュウロ
- 大河ドラマ / 風林火山 (2007年、NHK) - 板垣信方
- 秘密諜報員 エリカ (2011年12月29日、讀賣テレビ) #13 最終話 - 聖フランシスコ教会の牧師 ※友情出演
- 世界
[編集] 舞台
- ※『スタントマン物語』との同時上演
- - 主演・ダイダロス船長 兼 演出 ※マジックショーと同時上演
- ゆかいな海賊大冒険 (1983年、梅田コマ劇場、第3回JACミュージカル) - 主演・ダイダロス船長 兼 演出
- ゆかいな海賊大冒険 (1984年、新宿コマ劇場、第4回JACミュージカル) - 主演・ダイダロス船長 兼 演出
- 酔いどれ公爵 (1985年、新宿コマ劇場、第5回JACミュージカル) - 主演・ロベール公爵 兼 企画・原案・演出 ※深作欣二 監修
- スタントマン 愛の物語 (1986年4月3日 - 4月27日、第6回JACミュージカル) - 主演 兼 企画監修
- ※新美正雄 演出、『アドベンチャー 青春の出発』との同時上演、新宿コマ劇場開場30周年記念
[編集] オリジナルビデオ
- 地雷原 A MINE FILD (1992年、SHSプロジェクト) - 主演・高木 兼 原案・監督
- 悲しきヒットマン (2001年、GPミュージアム) -
- 悪名 AKUMYOH (2001年、シネマパラダイス) - 黒島東洋蔵
- 殺しの軍団 (2001年、シネマパラダイス) - 竜神会 三好組長
- 殺しの軍団 関西制圧への道 (2001年、シネマパラダイス) - 竜神会 三好組長
- 悪名2 ~荒ぶる喧嘩魂~ (2002年、シネマパラダイス) - 黒島東洋蔵
- 新実録・九州やくざ烈伝 兇健と呼ばれた男 (2003年、シネマパラダイス) - 雄仁会初代会長 大賀磯治
- 浪商のヤマモトじゃ! 喧嘩野球編 (2003年、GPミュージアム) -
- 伝説のやくざ ボンノ 落日の章 (2003年、シネマパラダイス) -
- 新・日本の首領 (2004年、シネマパラダイス) - 高野松雄
- 新・日本の首領II 非情篇 (2004年、シネマパラダイス) - 高野松雄
- 新・日本の首領III 激闘篇 (2004年、シネマパラダイス) - 高野松雄
- 実録 九州やくざ抗争 誠への道 (2006年、GPミュージアム) - 雄仁会初代会長 大賀磯治
- 実録 九州やくざ抗争 誠への道 完結編 (2007年、GPミュージアム) - 雄仁会初代会長 大賀磯治
[編集] ドキュメンタリー
- 千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る (1974年、東京12チャンネル)
- アクションスターはこうして作る!! -汗と涙の特訓合宿- (1985年、日本テレビ)
- Japanorama 『伝説〔Legends〕』 (2007年4月9日、英国放送協会〔BBC〕)
[編集] 紀行・旅
[編集] CM
- トヨタ自動車 : カリーナ (1970年 - 1988年) ※初代から4代目まで
- ハウス食品 : ジャワカレー (1976年 - 1982年) ※野際陽子と共演[注釈 6]
- 合同酒精 : ワリッカ (1979年)
- PHILIPS : フィリップスシェーブ (1981年)
- 洋服の青山 (1982年 - 1986年)
- がまかつ : 釣竿がま鮎マークII (1985年)
- JTB : エース「夫婦いい旅」 (1991年) ※野際と共演
- サントリー : ビア吟生 (1991年)
- サントリー : なっちゃんスムージー (2004年)
- オリエント時計 : 液晶クオーツ
- 原ヘルス工業 : バブルスター ※梅宮辰夫・松方弘樹・北大路欣也・山城新伍と共演
- キリンビバレッジ : 超力水
[編集] 監督・演出
- 映画
- 燃える勇者 (1981年、東映) - アクション監督
- リメインズ 美しき勇者たち (1990年、松竹) - 兼 製作
- HAKEN 覇拳極道戦争 (1991年、タキコーポレーション)
- 舞台
- スタントマン物語 (1981年7月3日 - 28日、新宿コマ劇場、第1回JACミュージカル) ※深作欣二監修、『魔界転生』との同時上演
- アドベンチャー 青春の出発 (1986年4月3日 - 4月27日、第6回JACミュージカル) - 兼 企画
- ※『スタントマン 愛の物語』との同時上演、新宿コマ劇場開場30周年記念
[編集] ディスコグラフィー
- シングル
- 男一匹生きるなら (1963年)
- ともしび (1963年)
- 本当だぜ君 (1963年)
- 東横線で帰ろうよ (1963年)
- くらやみ五段 (1965年) - テレビドラマ『くらやみ五段』の主題歌
- 素敵なカミカゼ野郎 (1966年) - 映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』の主題歌
- 太陽も笑っている (1966年) - 映画『太陽に突っ走れ』の主題歌
- 妻に捧げる歌 (1966年) - 映画『太陽に突っ走れ』の挿入歌
- 非情のライセンス (1968年) - テレビドラマ『キイハンター』の主題歌
- 一匹狼 (1970年) - 映画『やくざ刑事』の主題歌
- 白いワゴン (1970年)
- 俺たちに墓はないから (1971年) - 映画『やくざ刑事 俺たちに墓はない』の主題歌
- 夕日に立つ乙 (1971年)
- 野良犬のブルース (1971年)
- 白い月の浜辺 (1971年)
- 狼やくざ 葬いは俺が出す (1972年) - 映画『狼やくざ 葬いは俺が出す』の主題歌
- 流れ唄 (1973年)
- 街角のエトランゼ (1973年)
- 旅人ひとり (1975年) - テレビドラマ『燃える捜査網』の主題歌
- 限りなき愛 ~千葉真一のラブテーマ~ (1976年)
- 小さな旅立ち (1976年)
- 曠野 (1985年) - テレビドラマ『影の軍団IV』、『影の軍団 幕末編』の主題歌 ※作曲も担当
- 影 (1985年) - テレビドラマ『影の軍団Ⅳ』、『影の軍団 幕末編』の挿入歌
- アルバム
- アクションスターNo.1 - 千葉真一の魅力 (1971年、キングレコード)
[編集] 著書・参考文献
- 『千葉ちゃんのスポーツ特訓』 KOUSAIDO BOOKS、1977年。
- 『千葉真一 改め 和千永倫道』 山と渓谷社、2008年。ISBN 4635340228。
- 『千葉流 サムライへの道』 ぶんか社、2010年。ISBN 4821142694。
[編集] 脚注
[編集] 注釈
- ^ 自身の名の由来を、東映入社時に東映東京撮影所の所長である山崎真一郎から「千葉から来たから名字を千葉、名前はオレの名前をとって真一にしろ」と言われた、と述べているが[1]、1969年の近代映画の「千葉真一特集号」では山崎が、「千葉県出身ということで千葉、そして仕事を忠実に真心込めて」という意味で命名したと紹介している[2]。一方、海外での異名は、ニュー・ライン・シネマがアメリカで『激突! 殺人拳』を『The Street Fighter 』のタイトルで封切公開した際に、同社の社長が命名して千葉をアメリカに紹介した[3]。それが他国に広まり、世界での通称となったが、英語圏で Sonny は男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、愛称の千葉ちゃんを欧米風に訳した。その後、JJ Sonny Chiba と改名したが、JJ はJustice Japan (正義の日本) の略である[3]。
- ^ 1970年から放送されていたトヨタ・カリーナのCMでも、「決まってるね、千葉ちゃん!」が使われていた。
- ^ 『キイハンター』での役名。
- ^ 相手を投げ飛ばすシーンで、飛ばされる相手がそれを演じられない。スタントマンもいない。そのため、自ら飛ばされる演技もしていた時期があった。
- ^ 当時のハイスピードカメラは今と比べると遥かに重たく、外見もかさばっていた。
- ^ 「芸能人のおしどり夫婦がCMで共演」という流れの始まりだった。
[編集] 出典
- ^ 千葉流 サムライへの道、101頁。
- ^ 『千葉真一特集』近代映画臨時増刊、近代映画社、1969年10月、 148頁。
- ^ a b c 千葉流 サムライへの道、11頁、51頁。
- ^ a b c d 「国際空手道連盟極真会館 - 年度別昇段登録簿 - 国内」『極真カラテ総鑑』 株式会社I.K.O.出版事務局、2001年、62 - 64頁。
- ^ a b c d “千葉真一 - プロフィール” (日本語). YAHOO! JAPAN 人物名鑑. 日本タレント名鑑 (2009年8月). 2009年8月7日閲覧。
- ^ a b c d “千葉 真一 (チバ シンイチ) のプロフィール情報” (日本語). フジテレビ関連人物検索. フジテレビ (2010年10月). 2010年10月9日閲覧。
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- ^ a b c d e f g h i j k l 『SPORTS CITY』第1巻第2号、鎌倉書房、1981年8月、 32頁。
- ^ a b c d e f g h 脇田巧彦「アクションに賭ける男・千葉真一」、『パンフレット : 戦国自衛隊』、角川映画・東宝、1979年12月、 21頁。
- ^ a b c d e f g h i “千葉真一” (日本語). インタビュー<日曜のヒーロー>- 第355回. nikkansports.com (2003年3月30日). 2009年6月26日閲覧。
- ^ 千葉流 サムライへの道、81 - 82頁。
- ^ a b 千葉真一特集、144 - 145頁。
- ^ 千葉真一 改め 和千永倫道、38 - 39頁。
- ^ a b c d 千葉流 サムライへの道、89頁。
- ^ a b 『近代映画』、近代映画社、1970年11月、 123 - 126頁。
- ^ a b c d 千葉流 サムライへの道、90 - 91頁。
- ^ a b 千葉流 サムライへの道、95 - 96頁。
- ^ a b c 千葉真一 改め 和千永倫道、53頁。
- ^ a b c d 千葉流 サムライへの道、100 - 101頁。
- ^ a b 千葉真一特集、140頁。
- ^ 千葉真一 改め 和千永倫道、60頁。
- ^ a b 千葉流 サムライへの道、184頁。
- ^ 千葉流 サムライへの道、103頁。
- ^ 月刊誌 『東映の友』 1961年発売分、東京国立近代美術館フイルムセンター4階図書室所蔵。
- ^ 千葉流 サムライへの道、132頁。
- ^ a b c d 「空中滑降撮影中、地面にたたきつけられる。本誌カメラマンの目の前で千葉真一が『キイハンター』左足首を骨折! 2ヶ月の重傷!」、『週刊平凡』4月3日号、マガジンハウス、1969年。
- ^ 千葉流 サムライへの道、28頁。
- ^ 千葉流 サムライへの道、20頁。
- ^ 千葉流 サムライへの道、25 - 26頁。
- ^ 千葉真一 改め 和千永倫道、65 - 66頁。
- ^ a b 堀田眞三 (2006年7月30日). “千葉真一さんの職業病” (日本語). 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. 2011年1月5日閲覧。
- ^ a b c d 千葉流 サムライへの道、33 - 35頁。
- ^ 千葉流 サムライへの道、39 - 41頁。
- ^ a b 千葉流 サムライへの道、41頁。
- ^ 千葉流 サムライへの道、40頁。
- ^ 千葉流 サムライへの道、41 - 42頁。
- ^ 千葉流 サムライへの道、42 - 43頁。
- ^ a b c 「【突然引退】 千葉真一が酸素ボンベ闘病」、『週刊アサヒ芸能』8月2日号、徳間書店、2007年、 204 - 207頁。
- ^ 千葉流 サムライへの道、43 - 45頁。
- ^ 「仁義なき戦い PERFECT BOOK」、『別冊宝島』第833号、宝島社、2003年、 12頁。
- ^ 仁義なき戦い PERFECT BOOK、30 - 31頁。
- ^ 千葉流 サムライへの道、36頁、48頁。
- ^ 小林信彦 『映画を夢見て』 筑摩書房、1991年、177 - 185頁。
- ^ a b 千葉流 サムライへの道、49頁。
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- ^ 小沢茂弘・高橋聡 『困った奴ちゃ―東映ヤクザ監督の波乱万丈生』 ワイズ出版、1996年、91 - 92頁。ISBN 9784948735576。
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- ^ 「プロダクションノート」、『パンフレット : 戦国自衛隊』、角川映画・東宝、1979年12月、 26頁。
- ^ 千葉真一 改め 和千永倫道、73 - 74頁。
- ^ 保科幸雄「高鳴る!冒険者たちのメロディ 燃える夢喰い男・千葉真一」、『パンフレット:冒険者 (アドベンチャー) カミカゼ』、東映、1981年11月、 4 - 5頁。
- ^ 「千葉真一 インタビュー」、『ジャパン・アクション・クラブ12周年記念 JAC特集号』近代映画臨時増刊、近代映画社、1982年。
- ^ “「カラテのチバ」15年ぶりリバイバルで脚光 ハリウッド映画主演 千葉真一 再び旋風だ” (日本語). スポーツニッポン (千代田区: 毎日新聞社). (1991年3月26日)
- ^ 千葉流 サムライへの道、246頁。
- ^ 「INTRODUCTION」、『パンフレット:キル・ビル Vol.1』、ユニバーサル・ピクチャーズ、2003年10月、 11頁。
- ^ 森山京子「ユマ・サーマン インタビュー」、『パンフレット:キル・ビル Vol.1』、ユニバーサル・ピクチャーズ、2003年10月、 21頁。
- ^ 小西未来「ルーシー・リュー インタビュー」、『パンフレット:キル・ビル Vol.1』、ユニバーサル・ピクチャーズ、2003年10月、 26頁。
- ^ a b “千葉真一「JJサニー」に改名! 映画監督としては「和千永倫道」” (日本語). 産経新聞 (産経ニュース). (2007年11月21日) 2011年1月6日閲覧。
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- ^ a b 千歳香奈子 (2011年10月4日). “千葉真一の夢...真の日本映画をアメリカから世界へ” (日本語). ハリウッド直送便 (nikkansports.com) 2011年10月31日閲覧。
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- ^ 堀田眞三 (2010年10月23日). “千葉真一先輩 記念パーティー” (日本語). 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. 2010年11月6日閲覧。
- ^ 真樹日佐夫 『極真カラテ27人の侍』 サンケイ出版、1986年、104 - 105頁。
- ^ “千葉真一三段がデスマッチ” (日本語). スポーツニッポン. (1977年3月16日)
- ^ 千葉流 サムライへの道、131頁。
- ^ 「速報!! アデミール・ダ・コスタが連覇 ブラジル支部設立10周年記念大会」、『月刊パワー空手』、パワー空手出版社、1984年11月、 3 - 13頁。
- ^ 『インタビュー 高野八誠』「新・影の軍団 第四章」 DVD、シネマパラダイス。
- ^ 千葉流 サムライへの道、85頁。
- ^ a b 千葉真一 改め 和千永倫道、92頁。
- ^ 『とことん!石ノ森章太郎・最終章 仮面ライダーシリーズよ永遠に』 NHK-BS2、2008年3月29日。
- ^ “【内野聖陽さんインタビュー】 その生き様に感動!内野聖陽が大河ドラマ「風林火山」の魅力を語る。” (日本語). 銀河☆ナビ > 7月のおすすめ番組. チャンネル銀河 (2010年7月). 2010年10月9日閲覧。