柳ジョージ

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柳 ジョージ(やなぎ ジョージ、1948年1月30日 - )は、日本のミュージシャン神奈川県横浜市南太田出身。横浜市立蒔田中学校〜日本大学藤沢高等学校日本大学法学部卒業。

[編集] 経歴

父親は陸軍軍人で、両親は戦時中広島市内で被爆。終戦後父親は日清製粉に勤めるサラリーマンになった。中学時代、ザ・ベンチャーズに影響されギターを始めた。日大在学中は全共闘による学生運動が最も激しかった頃。中でも日大闘争は最も荒れて学園封鎖などで行くにも行けなかった。おかげで授業も試験もなく進級出来た。この頃"クリーム"などニューロックに影響され、在学中の1969年、ブルースロックバンド「パワーハウス」を陳信輝らと結成した。しかし1970年アイ高野デイヴ平尾ミッキー吉野らと大麻取締法違反で逮捕された。 1972年、ザ・ゴールデン・カップスの後期メンバーとしてデビュー。ザ・ゴールデン・カップス解散後、渡英。帰国後の1975年、広島のセッションバンドをバックにつけ「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成。バンド名の「レイニーウッド」は、柳がロンドンハイドパークで見た霧に煙る森から名付けた。R&Bをベースにした音楽性は、当時としては異端であったが、1970年代後半から1980年代初頭に『雨に泣いてる』、『さらばミシシッピー』、『青い瞳のステラ 1962年夏…』等のヒットを飛ばした。

1979年の4thアルバム『RAINY WOOD AVENUE』はオリコンアルバムチャートで初登場1位を獲得するなど高い人気を得た。

1981年末に柳ジョージ&レイニーウッドを解散。以後はソロアーティストとして活動を継続中。

ブルースを基盤としたその歌唱力、味わいのあるギター・フレーズ、素朴で照れ屋な人柄も彼の魅力。

和製クラプトンとも呼ばれている。

[編集] 参考文献

[編集] 外部リンク