アサヒスーパードライ
| アサヒスーパードライ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 種類 | ビール |
| スタイル | ドライビール[1][2] |
| 度数 | 5.0% |
| 主原料 | 麦芽、ホップ、米、コーン、スターチ[注釈 1] |
| 原産国 | 日本 |
| 製造元 | アサヒビール[注釈 2] |
| 詳細情報 | |
| 色 | 明るい金色 |
| 備考 | ドライ戦争の引き金となった。 |
アサヒスーパードライは、アサヒビールが製造、販売しているビール。1987年に販売が開始される[3]。スタイルはドライビール[1][2]。アサヒスーパードライの登場で、日本のビール市場にドライビールというジャンルが定着した[4]。また、日本のビール業界で発生したドライ戦争の引き金となったビールである。
目次 |
[編集] 特徴
開発当時に進行していた日本の食生活の変化に対応したビールとして開発された[5][6]。同時代の日本で販売されていたビールに比べ、苦味を抑え、甘さも少なくしたビールである[7]。甘さを少なくしたことでそれまで主流であったアルコール度数4.5%と比べて0.5%高い5.0%となっている[7][8][注釈 3]。また、苦くてコクがあるビールよりも、キレのあるビールを目指して開発された[9][8]。使用する麦芽を減らして副原料を使うことですっきりした味を実現[10]。アサヒビールはこの味を「ドライ」という言葉で表現した[9][注釈 4]。また、アサヒスーパードライは、アサヒビールのもつそれまでの経験に頼らず、ゼロから開発されたビールであった[11]。
2002年時点では、発売当初より味の変更は基本的には行っていない[12]。
麦芽の使用率が低いため、日本で節税型発泡酒が再度展開され始めた1990年代中盤頃の発泡酒商品の味に類似する面があり[10]、それが影響してアサヒビールは発泡酒市場への参入を躊躇したり難色を示したとされる[10]。
[編集] ヒットの理由
日本では、景気浮揚期には新しいものを受け入れる消費者行動が顕著となり、大型のヒット商品が誕生する傾向がある[4]。また、それは新しいライフスタイルをも形成していく[4]。アサヒスーパードライは景気浮揚期に販売されたことがヒットに繋がった[4][注釈 5]。
[編集] 商品ラインナップ
容器のバリエーションについても業界一を誇る。他社の撤退した大型容器(ミニ樽や1L缶や750ml缶)も展開されている。
- 大瓶(633ml/祝ラベルも販売)
- 中瓶(500ml/祝ラベルも販売)
- 小瓶(334ml)
- ミニ樽(3L/2L)
- ミニ樽は、1977年5月に日本で初めて「アサヒ生ビールミニ樽(7リットル)」として発売され、中身や容量を変えながら、他社が店頭販売を終了[注釈 6]した現在でも販売されているロングセラー商品である。
- 1L缶
- 750ml缶
- 500ml缶
- 350ml缶
- 250ml缶
- 135ml缶
- スリムボトル缶(350ml/コンビニエンスストア限定)
- 樽生(30L(北海道・九州以外)/20L(東京・神奈川・千葉・埼玉限定)/19L/10L)
[編集] 過去
[編集] 歴史
[編集] 沿革
- 1984年夏〜1985年夏 - 消費者の嗜好調査を実施[6]。
- 1985年 - 新アサヒ生ビール (コクキレビール) と並行して酵母の研究を開始[13]。
- 1986年3月 - 開発プロジェクト開始[13]。コードネームは「FX」[13][注釈 7]。
- 1986年6月 - 試作品が完成し、役員を対象に試飲を実施[8]。
- 1987年3月 - アサヒスーパードライ発売開始[8]。
- 1996年6月 - 月間シェアNo.1となる[14]。
- 1997年 - 年間シェアNo.1となる[15]。
[編集] 販売開始まで
アサヒスーパードライが製造開始される1987年前後の日本は食中酒としてのアルコール飲料を探していた時代といえた[16]。また、日本では1960年から1980年での20年間で一世帯あたりの油脂購入量が約2倍になる[6]。1984年夏から1985年夏にかけて、アサヒビール[注釈 8]は東京と大阪でそれぞれ5000人を対象に試飲調査を実施[6]。その結果、消費者は軽快で飲みやすいビールを求めていることが判明[6]。この傾向は20代、30代の消費者に顕著であった[6]。当時のアサヒビール技術開発部長は、肉中心の献立を好む子供が増加傾向にあるという学校給食研究会の調査結果も踏まえ、将来に渡っても、油脂の多い食事と合うさらっとしたビールが求められていると分析した[6]。
当時の日本のビール業界では、サントリー以外の大手ビールメーカーは、ビール純粋令があったドイツから技術を学んではじまったこともあり、味わいが重厚なビールばかりであった[6][注釈 9]。[注釈 10]
1986年3月、コードネーム「FX」として開発プロジェクト開始[13][注釈 7]。苦味を抑え、甘さも少なくしたビールを目指した[7]。3ヶ月後の同年6月、試作品が完成し、当時の社長樋口廣太郎などの役員を対象に試飲を実施し、高評価を得る[8]。商品化の最終段階では、前年に発売した新アサヒ生ビール (コクキレビール) が好調であったため、自社製品である新アサヒ生ビールとの競合を懸念する声が社内から挙がったが、樋口の判断で1987年3月17日に名称「アサヒスーパードライ」として地域限定で販売開始[8]。販売開始年には年間100万箱を目標としていた[8]。
[編集] ドライ戦争
詳細は「ドライビール」を参照
[編集] シェアNo.1
1996年6月、アサヒスーパードライはキリンビールのキリンラガービールを抜いて月間シェアNo.1の座につく[14]。当時の社長瀬戸雄三は7月1日の夕方、本店の社員を社員食堂に集め、このことを報告した[14]。このとき、瀬戸は社員の前で涙を流した[14]という。
1997年には年間シェアもNo.1となり[15]、1998年の年間シェアではキリンラガービールとキリン一番搾り生ビールのシェアを合計したよりも多くのシェアを獲得する[17]。
[編集] 日本国外展開
1990年代後半以降、アサヒビールでは日本国外展開を積極的に進めており、その中でもスーパードライは主力ブランドに位置づけられている。
北米では1994年に提携先であるカナダ・モルソン社のバンクーバー工場でスーパードライの現地生産を開始したのを皮切りに本格的に販売を開始し、1998年に現地法人を設立した[18]。
ヨーロッパでは、1999年にチェコのスタロップラーメン社へ現地生産委託を開始して本格的に進出[19]。2005年からはイギリスでもシェパード・ニーム社の工場で現地生産を行っており、2009年にはイギリス国内での年間販売数量が30万ケースに達したほか、スーパードライの樽生を扱う飲食店もイギリス国内だけで500店舗を超えた[20]。また、シェパード・ニーム社製のスーパードライは、英国の国際ビール品評会“ブルーイング・インダストリー・インターナショナル・アワーズ2011”の“樽詰ラガー部門”クラス2(アルコール度数4.8~6.9%)で金賞を受賞している[21]。さらに2008年からはロシアのバルチカ社とも提携し現地生産を開始している[18]。
アジアでは、1999年に青島ビールとの合弁企業である「深圳青島ビール朝日有限公司」にて現地生産を開始したほか、2004年には北京市の「北京ビール朝日有限公司」が操業を開始し、中国国内で2拠点体制を築いている。2009年には青島ビールの発行済み株式の約20%を取得し体制を強化した[22]。また東南アジアに対しては、2002年にタイのブンロートグループへの現地生産・販売委託を始めている[23]。
[編集] 影響
[編集] 日本のビール市場の拡大
アサヒスーパードライの登場で、日本のビール市場は拡大された[4]とも言われている。日本のビール市場は、アサヒスーパードライ発売前の1986年と1990年では32%も成長した[4][注釈 11]。
[編集] 日本酒辛口ブームへの影響
辛口を売りにしたアサヒスーパードライによる「辛口ブーム」が日本酒辛口ブームの一因になったという説がある[24]。
[編集] 脚注
[編集] 注釈
- ^ 2009年11月製造の缶ビールの缶より。
- ^ 沖縄県・鹿児島県奄美群島向けの一部商品はオリオンビールが受託製造
- ^ 甘さを少なくするためには麦汁内の糖を少なくするためにアルコール発酵を進ませることになる。その結果、アルコール度数が高くなる。
- ^ 永井隆『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』46ページによれば、ワインやリキュールで用いられる「スイート (甘口)」や「ドライ (辛口)」という表現から「ドライ」をそのまま採用したとされる。ドライの意味についてはv「辛口」の項目も参照のこと。
- ^ 永井隆『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』77ページによると、日本の経済企画庁は平成景気の開始は1986年11月としていた。アサヒスーパードライはその翌年に発売されている。
- ^ キリン一番搾り生ビールのキリン樽生一番搾りは現在でも販売されているが、現在はインターネット限定販売で、ネット販売も2013年12月末で終了することが決定している
- ^ a b 永井隆『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』36ページによると、コードネームは当時の日本の次期支援戦闘機「FSX」から。
- ^ 当時の商号は「朝日麦酒」
- ^ 永井隆『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』43ページによれば、当時の日本のビールメーカーの技術者の目指すビールはドイツ風の重厚なビールであり、消費者の求めているビールとの乖離が生じていた。
- ^ 宮本紘太郎『アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則』45、46ページによれば「消費者の求める味」についての調査は5000人を対象に1986年に実施されたと記述されている。同書では、調査の結果、消費者はビールに「味わい」や「爽快感」を求めているとされている。
- ^ 永井隆『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』78ページによれば、1986年と1990年の日本酒市場やウイスキー市場は減少している。
[編集] 出典
- ^ a b 藤原ヒロユキ 『ビールの常識 絶対飲みたい101本』 アスキー・メディアワークス、2008年6月4日、初版、132ページ。ISBN 978-4-04-870031-3。
- ^ a b 藤原ヒロユキ 「アサヒスーパードライ - 世界に誇るニュースタイル・ビール」『本当にうまいビール215』 ソフトバンク クリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2010年4月25日、初版第1刷、12、13ページ。ISBN 978-4-7973-5718-9。
- ^ 永井隆 「はじめに」『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2002年8月1日、第1刷、3ページ。ISBN 4-532-19139-4。
- ^ a b c d e f 永井隆 「第2章 "ドライ戦争"は一人勝ち」『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2002年8月1日、第1刷、78ページ。ISBN 4-532-19139-4。
- ^ 宮本紘太郎 「第2章 スーパードライは、なぜ成功したか」『アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則』、2002年9月10日、初版第1刷、51、52ページ。ISBN 4396611579。
- ^ a b c d e f g h 永井隆 「第1章 消費者が飲みたいビールが日本にはなかった」『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2002年8月1日、第1刷、41から44ページ。ISBN 4-532-19139-4。
- ^ a b c 宮本紘太郎 「第2章 スーパードライは、なぜ成功したか」『アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則』、2002年9月10日、初版第1刷、62、63ページ。ISBN 4396611579。
- ^ a b c d e f g 永井隆 「第1章 消費者が飲みたいビールが日本にはなかった」『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2002年8月1日、第1刷、44から47ページ。ISBN 4-532-19139-4。
- ^ a b 宮本紘太郎 「第7章 発泡酒、アサヒ「本生」の登場」『アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則』、2002年9月10日、初版第1刷、184ページ。ISBN 4396611579。
- ^ a b c 宮本紘太郎 「第7章 発泡酒、アサヒ「本生」の登場」『アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則』、2002年9月10日、初版第1刷、199ページ。ISBN 4396611579。
- ^ 宮本紘太郎 「第7章 発泡酒、アサヒ「本生」の登場」『アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則』、2002年9月10日、初版第1刷、201、202ページ。ISBN 4396611579。
- ^ 宮本紘太郎 「第5章 アサヒビールの企業風土」『アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則』、2002年9月10日、初版第1刷、148ページ。ISBN 4396611579。
- ^ a b c d 永井隆 「第1章 消費者が飲みたいビールが日本にはなかった」『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2002年8月1日、第1刷、36ページ。ISBN 4-532-19139-4。
- ^ a b c d 宮本紘太郎 「第4章 シェアトップの奪還と、瀬戸雄三」『アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則』、2002年9月10日、初版第1刷、108ページ。ISBN 4396611579。
- ^ a b 宮本紘太郎 「第4章 発泡酒、アサヒ「本生」の登場」『アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則』、2002年9月10日、初版第1刷、188ページ。ISBN 4396611579。
- ^ 宮本紘太郎 「第2章 スーパードライは、なぜ成功したか」『アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則』、2002年9月10日、初版第1刷、58ページ。ISBN 4396611579。
- ^ 宮本紘太郎 「第4章 発泡酒、アサヒ「本生」の登場」『アサヒビール 成功する企業風土 内側からみた復活の法則』、2002年9月10日、初版第1刷、186ページ。ISBN 4396611579。
- ^ a b 国際事業 - アサヒビール会社案内
- ^ 競争激化、飽和状態のビール市場。活路は海外にあり?! - MSNマネー・特集「ニッポン企業の底ヂカラに学べ!」
- ^ スーパードライが英国のヤンエグつかむ 売上好調 - MSN産経ニュース・2009年11月26日
- ^ 世界で最も歴史のある英国の国際ビール品評会“ブルーイング・インダストリー・インターナショナル・アワーズ2011”『アサヒ スーパードライ』が金賞受賞
- ^ アサヒが中国の青島ビールに出資 株式20%弱取得 - 47News・2009年1月23日
- ^ 製造拠点を見る - アサヒビール・海外のレストラン&バーガイド
- ^ 増田晶文 「第1章 地酒を醸す現場に行く」『うまい日本酒はどこにある?』 草思社、2004年9月30日、第1刷、60ページ。ISBN 4-7942-1347-6。