クリーム (バンド)

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クリーム
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基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランドロンドン
ジャンル ロック
ブルースロック
サイケデリック
ハードロック
活動期間 1966年 - 1968年
レーベル ポリドール
RSO
アトランティック
公式サイト www.cream2005.com
メンバー
エリック・クラプトンギターボーカル
ジャック・ブルースベース、ボーカル)
ジンジャー・ベイカードラムス

クリームCream)は、1960年代に活動したイギリスのロックバンド。メンバーは、ベーシスト兼ボーカリストのジャック・ブルースとギタリスト兼ボーカリストのエリック・クラプトン、ドラマーのジンジャー・ベイカーから構成され、しばしばスーパーグループの一つに数えられる。

ブルースハードロックサイケデリックロック[1]を融合させたサウンドが特徴。世界でのアルバム売上は3,500万枚以上に及び[2]、 『Wheels of Fire』は世界初のプラチナアルバムを獲得した2枚組のアルバムとなった。[3][4]このような実績から、クリームは世界初の有名で機能していたスーパーグループ[5][6][7]として認知されている。

クリームの楽曲には「Crossroads」や「Spoonful」などの伝統的なブルースを基本としたもの、「Born Under a Bad Sign」などのモダンなブルース、さらにエキセントリックな「Strange Brew」「Tales of Brave Ulysses」「Toad」などがある。 クリームヒット曲は「I Feel Free」(UK, #11)、[4] 「Sunshine of Your Love」(US, #5)、[8]「White Room」(US, #6),[8]「Crossroads」(US, #28)、[8] 、「Badge」などがある。

クリームは、ジミ・ヘンドリックスと共に当時の音楽シーンに多大な影響を与え、またヘンドリックスと共にワウを流行らせた。彼らは、ヘビーかつ技巧的である、という音楽を提示し、レッド・ツェッペリンディープ・パープルジェフ・ベック・グループのような、1960年代後半のイギリスのバンドに影響を与えた。バンドのライブ演奏は、ラッシュ[9]などのプログレッシブ・ロックバンド、オールマン・ブラザーズ・バンドグレイトフル・デッドフィッシュなどのジャムバンドブラック・サバスウルフマザーなどのヘヴィメタルバンドに影響を与えた。[10]

クリームはVH1誌の 100 Greatest Artists of Hard Rock で16位にランクし、また、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第66位となった[11]

メンバー[編集]

略歴[編集]

クリーム脱退後のエリック・クラプトン(1974年)

ジンジャー・ベイカーが、ホワイト・ブルースの名門ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズに在籍していたエリック・クラプトンをバンドに誘う。クラプトンは、当時マンフレッド・マンに居たジャック・ブルースをベーシストにするならば、という条件を出す。ベイカーはブルースと非常に仲が悪かったが、この条件を呑み、1966年にデビューする運びとなる。

ブルースが作曲しリード・ヴォーカルを取る曲が多いにもかかわらず、アメリカのレコード会社はクラプトンをプッシュし、クラプトンとそのバックバンドとして売り出すことを提案したが、もちろんバンド側に却下された。ライブ・アルバムを聴けばわかるように、3人は全く対等の高度な演奏力で火花を散らし、強烈なアドリブを繰り広げ、誰かがリーダーシップを取って牽引するというようなことはなかった。わずか2年半の活動で世界を席巻し、1968年に解散するも、後続のミュージシャンに多大な影響を与えた。

結成[編集]

1966年の7月、クラプトンはすでにヤードバーズとジョン・メイオール&ブルースブレイカーズでの活動によって、イギリスで第一級のブルースギタリストとしての評判を得ていた[1]。 クラプトンの技巧とパワーは、1人のファンが「クラプトンは神」と、スプレーで地下鉄駅の壁に書くほどであった[12]。 しかしクラプトンは、メイオールバンドの環境を窮屈に感じ、新しいバンドで演奏することを求めていた。

1966年に、クラプトンは当時グレアム・ボンド・オーガニゼーションのリーダーだったベイカーと出会う。ベイカーのバンドでは、ジャック・ブルースがベースとハーモニカ、ピアノを担当していた。ベイカーもまた、GBOで息苦しく感じており、そしてグレアム・ボンド薬物中毒による精神不安定さにうんざりしていた。「ジンジャーのことはずっと好きだった」とクラプトンは言う。「ジンジャーは、僕がジョン・メイオールと一緒に演奏するのを見に来た。ライブの後、彼のローバーでロンドンまで送ってくれた。彼の車と運転には感動した。彼は新しいバンドを始めたいと僕に言っていて、僕も同じことをずっと考えていた」[13]。 2人は、互いの演奏技術に感銘を受け、ベイカーの方からクラプトンを、まだ名前のない新しいグループに誘うことになった。クラプトンは即座に受け入れるが、ジャック・ブルースをベースとして迎えることが条件だった[4]。クラプトンによると、ベイカーはその提案に驚くあまり、車をぶつけそうになったという[14]

クラプトンは、ベース・ボーカルのブルースが1966年3月に短期間ブルースブレイカーズでプレイしていた頃に、彼と会ったことがあった[4]。2人は単発バンドのザ・パワーハウススティーヴ・ウィンウッドポール・ジョーンズも参加)でも共演したことがあった。クラプトンは、ブルースのボーカルと楽器の腕前に感動し、彼と継続的にやりたいと思ったのであった。

ジャック・ブルース(1972年)
ジンジャー・ベイカー

クラプトンは知らなかったのだが、ブルースはボンドのバンドに所属していたものの、ベイカーとは非常に仲が悪いことで有名であった[15]。両人は素晴らしいジャズミュージシャンであり、お互いのスキルを尊敬してはいたが、GBOというバンドでは、2人のエゴを押さえ込むには小さすぎた。彼らの険悪な関係は、ステージ上でのケンカや一方が楽器をサボるほどであった[15]。ベイカーがブルースをクビにした後も、ブルースはライブに現れ続けた。最終的には、ブルースはベイカーにナイフの先で脅されるまで、バンドから離れなかった。

にも関わらず、ベイカーとブルースはベイカーの新しいトリオのために互いの対立を保留した。ベイカーは、メンバーそれぞれが曲と詩を出し合う、協力的なバンドになることを思い描いていた。バンドは「クリーム」と名付けられた。クラプトンとブルース、ベイカーは、すでにブリティッシュ・ミュージック・シーンにおけるブルースやジャズのミュージシャンの間で「cream of the crop(選りすぐりのもの)」と見なされていたからである。クリームに決定する前には、「Sweet 'n' Sour Rock 'n' Roll(甘酸っぱいロックンロール)」という名前も検討されていた。3人の中で、イギリスの中ではクラプトンがもっとも評判を得ていたが、彼はアメリカでは知られていなかった。「フォー・ユア・ラヴ」がビルボードトップ100にチャートインする前に、ヤードバーズを脱退していたからだ[1]

クリームの非公式なデビューは、1966年7月29日の「Twisted Wheel」であった[4][16]。正式なデビューは、2日後のSixth Annual Windsor Jazz & Blues Festivalだった[4][16]。結成間もなく、オリジナルの持ち曲も少なかったが、クリームは熱の籠ったブルースのカバーを演奏し、大観衆を震撼させ、好反響を得た。10月には、ロンドンに来たばかりのジミ・ヘンドリックスが、かねてからファンであったクラプトンとステージでの共演を熱望し[4]アニマルズのベーシストでヘンドリックスのマネージャーだったチャス・チャンドラーを通して紹介された[4]

結成初期のうちに、ブルースがリードボーカルをとることが決められた。クラプトンは歌うことを恥ずかしがっていたが[17]、たまにブルースのボーカルにコーラスを付け、そしてそのうちに、"Four Until Late"[18]、"Strange Brew"[19]、"Crossroads"[20]、"Badge"[21]などの主だった曲で、リードボーカルを採るようになった。

フレッシュ・クリーム[編集]

クリームのデビューアルバムフレッシュ・クリームは、1966年に録音され、発表された。このアルバムは、イギリスのチャートで6位、アメリカのチャートで39位を記録した[22]。内容は主にブルースのカバーで、「Four Until Late」、「Rollin' and Tumblin'」(マディ・ウォーターズの曲)、「Spoonful」(ウィリー・ディクスン作曲、ハウリン・ウルフの録音)、「I'm So Glad」、「Cat's Squirrel」などだった[23]。その他の曲はほとんど、ジャック・ブルースによる(または共作)もので、主に"I Feel Free" (イギリスでのヒットシングル[4] であるが、アルバムにはアメリカ版にのみ収録)。またジンジャー・ベイカーによる2曲(うち1曲は"Toad"で、ロックのドラム・ソロとして最も初期の例である)。

初期のクリーム海賊盤は、多くの曲を演奏してみせるタイトなバンドであった。すべての曲は5分程度のバージョンにうまくまとめられた「N.S.U.」や「Sweet Wine」「Toad」であった。しかしたった2か月後には、セットリストは短くなり、1曲ずつがぐっと長くなった。

解散[編集]

結成時よりクリームが抱えていた根源的な問題は、バンドを後の1968年11月の解散へ導いた。ブルースとベイカーの対立は、バンドに緊張をもたらした。クラプトンもまた、メンバー同士がお互いの意見を十分に聞かないと感じていた。クラプトンはあるとき、「クリームがコンサートで演奏しているとき、自分が演奏を止めてもベイカーもブルースも気づかない」と語った。[15] クラプトンはまた、クリーム後期のコンサートはメンバーそれぞれの見栄の張り合いだけになっていたと語った。[24] クリームは1968年5月のアメリカツアー中に、解散することを決断した。[25] 7月に、アメリカでの解散ツアーとその後ロンドンでの2回のコンサートを最後に解散すると、公式に発表された。クリームは11月4日のロードアイランドでのコンサートでアメリカツアーを終え、11月25日と26日に最後のイギリス公演をロンドンで行った。[25]

クリーム以降[編集]

クリームの解散後、すぐにブラインド・フェイスが結成された。それ以前にクラプトンはクリームにスティーヴ・ウィンウッドを引き込み、ブルースとベイカーの緩衝剤になってもらおうと試みていた。より曲を重視した姿勢に影響されたクラプトンは、即興が少ない方向に演奏の方向性を大きく変え、Delaney & Bonnieやデレク・アンド・ザ・ドミノス、彼自身の様々なソロとしてのキャリアを進めていった。

ブルースは様々なソロワークで成功をおさめ、1969年には「Songs for a Tailor」をリリースした。一方ベイカーは、ブラインド・フェイスを基にジャズ・フュージョンのアンサンブル、ジンジャー・ベイカーズ・エアフォースを結成した。このバンドのメンバーは、ウィンウッド(ボーカル)、元ファミリー~ブラインド・フェイスのリック・グレッチ(ベース)、グレアム・ボンド(サックス)、元ムーディ・ブルース~後にウイングスに加入するデニー・レイン(ギター)であった。

再結成[編集]

1993年ロックの殿堂を果たし、プレゼンターはZZトップが務めた。そこでのステージ限りの再結成が行われ、「サンシャイン・ラヴ」と「クロスロード」「悪い星の下に」の3曲を披露。2005年5月にも、解散前の最後のライヴを行ったロンドンのロイヤル・アルバート・ホール、10月にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、一時的に再結成。

ディスコグラフィ[編集]

  • フレッシュ・クリーム - Fresh Cream(1966年)
  • カラフル・クリーム - Disraeli Gears(1967年)
  • クリームの素晴らしき世界 - Wheels of Fire(1968年)
  • グッバイ・クリーム - Goodbye(1969年)
  • ライヴ・クリーム - Live Cream(1970年)
  • ライヴ・クリーム Vol.2 - Live Cream Volume 2(1972年)
  • BBCライヴ - Cream BBC(2003年)
  • リユニオン・ライヴ 05 - Royal Albert Hall London May 2-3-5-6 2005(2005年)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c Unterberger, Richie. “Cream: Biography” (en). allmusic.com. 2008年6月30日閲覧。
  2. ^ Jack Bruce Music (2008年). “Jack Bruce - Biography”. 2011年4月13日閲覧。
  3. ^ Cream - the Band” (en). BBC (2000年9月20日). 2008年6月30日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i Cream: Classic Artists (DVD). Image Entertainment. 
  5. ^ Musicradar.com
  6. ^ CNN.com
  7. ^ Whereseric.com
  8. ^ a b c Cream: Biography: Rolling Stone”. RollingStone.com. 2008年7月8日閲覧。
  9. ^ allmusic (((Rush > Overview)))”. Allmusic.com. 2008年11月8日閲覧。
  10. ^ allmusic (((Black Sabbath > Overview)))”. Allmusic.com. 2008年11月8日閲覧。
  11. ^ VH1's 100 Greatest Artists of Hard Rock (20-1)” (en). VH1 (2000年). 2008年6月26日閲覧。
  12. ^ "Where's Eric Website: Nickname"”. 2007年2月17日閲覧。
  13. ^ McDermott, John (November 1997), “Strange Brew”, Guitar World magazine 
  14. ^ Clapton, Eric (2007). Clapton: The Autobiography. New York, United States: Broadway Books. pp. g. 74. ISBN 978-0-385-51851-2. 
  15. ^ a b c White, Dave. “Cream” (en). about.com. 2008年6月27日閲覧。
  16. ^ a b Clapton, Eric (2007). Clapton: The Autobiography. United States: Broadway Books. pp. g. 77. ISBN 978-0-385-51851-2. 
  17. ^ Ertegün, Ahmet. Classic Albums: Cream - Disraeli Gears (DVD). Eagle Rock Entertainment. 
  18. ^ Cream (1966). Fresh Cream
  19. ^ Cream (1967). Disraeli Gears
  20. ^ Cream (1968). Wheels of Fire
  21. ^ Cream (1969). Goodbye (1969)
  22. ^ Pattingale, Graeme (1999年1月17日). “Fresh Cream” (en). 2008年6月30日閲覧。
  23. ^ Album Review: Fresh Cream” (en). answers.com. 2008年6月30日閲覧。
  24. ^ Clapton, Eric (2007年10月8日). “Eric Clapton Chronicles Music, Addiction and Romance in New Book” (en). Clapton: The Autobiography. spinner.com. 2012年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年11月8日閲覧。
  25. ^ a b Welch, Chris (2005年8月4日). “The Farewell” (en). 2008年6月28日閲覧。

外部リンク[編集]