オールマン・ブラザーズ・バンド
| オールマン・ブラザーズ・バンド | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | ジョージア州メイコン |
| ジャンル | ロック |
| 活動期間 | 1969年~1976年 1978年~1982年 1989年~ |
| レーベル | キャプリコーン アリスタ エピック |
| 公式サイト | Official Website |
| メンバー | |
| グレッグ・オールマン ブッチ・トラックス “ジェイモー”ジェイ・ジョハンソン マーク・キニョーネス オテイル・バーブリッジ デレク・トラックス ウォーレン・ヘインズ |
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| 旧メンバー | |
| デュアン・オールマン ベリー・オークリー ディッキー・ベッツ チャック・リーヴェル ラマー・ウィリアムズ デイビッド・ゴールドフライズ ダン・トーラー フランキー・トーラー マイク・ローラー ジョニー・ニール アレン・ウッディー ジャック・ピアソン ジミー・ヘリング |
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オールマン・ブラザーズ・バンド(The Allman Brothers Band)は、アメリカ合衆国のロックバンド。ギタリストのデュアン・オールマンが中心となり、1969年に結成。ブルースをベースとしながらも、ツイン・リード・ギターとツイン・ドラムスによるスケールの大きい演奏を展開。サザン・ロックと呼ばれるサウンドの基礎を築いた。カントリー・ミュージックの持つ明るく大らかな感覚、そしてグレイトフル・デッドのような長いインプロビゼーションを含む、ジャム・バンド的な音楽性をも取り込み、独自のサウンドを作っていった。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第53位。
目次 |
歴史 [編集]
バンド結成まで [編集]
デュアン・オールマンと弟のグレッグ・オールマンは、地元フロリダ州デイトナビーチで1963年、オールマン・ジョイズを結成し米国南東部のツアーを経験、シングル・レコードもリリースする。続いて60年代後半、2人はアワーグラスに参加するために、カリフォルニア州ロサンゼルスへ移住した。このバンドはリバティ・レコードより2枚のアルバムをリリースしたものの、希望する音楽をプレイできないことに不満を感じたデュアンはバンドを脱退し、フロリダに戻ってしまった。
フロリダ州ジャクソンビルで活動をするうちに、デュアンは31stオブ・フェブラリーというバンドのブッチ・トラックス(ドラムス)、またセカンドカミングのディッキー・ベッツ(ギター)とベリー・オークリー(ベース)、R&Bのドラマーとして実績のあったジェイ・ジョハンソン(ジェイモー)といった面々と出会い、セッションを重ねる。同時に、アラバマ州マッスルショールズのフェイム・スタジオを中心にセッション・ギタリストとして名を上げ、アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケットなどのレコーディングに参加した。
1969年3月、まだロサンゼルスに残って活動を続けていたグレッグをデュアンが呼び寄せ、前述のセッション・メンバーに合流する。オールマン・ブラザーズ・バンドの誕生である。
レコード・デビュー [編集]
1969年、地元のキャプリコーン・レコードと契約、同レーベルのフィル・ウォルデンの薦めによりバンドの拠点をジャクソンビルからジョージア州メイコンに移す。同年、ファースト・アルバム『The Allman Brothers Band』をリリース。プロデュースは、ハービー・マンやクリームなどの作品でエンジニアを務めたエイドリアン・バーバーが担当した[1]。翌年にはデュアンと親交のあったトム・ダウドのプロデュースによる2作目『Idlewild South』をリリースするが、2作とも大きな成功を収めるには到らなかった。
彼らの存在を不動のものとしたのは、続いてリリースした1971年のライヴ盤『At Fillmore East』であった。デュアンの豪快なスライド・ギターをフィーチャーしたブラインド・ウィリー・マクテルのカバー"Statesboro Blues"、20分以上に渡るジャムが展開される"Whipping Post"など、演奏を収録した2枚組はビルボードのアルバム・チャートの13位を記録するヒットとなり[2]、ライブ盤の金字塔として知られるようになった。また、インストの「In Memory of Elizabeth Reed」にはこんなエピソードも。この曲はディッキー・ベッツが、とある墓地でデートをしているときに作ったそうだが、その女性の名前をつける訳にはいかなかったので、ある墓碑銘に刻まれたIn Memory of Elizabeth Reedをそのまま拝借した。後日、このエピソードをデュアンが新聞に暴露したそうである。
メンバーの死 [編集]
『At Fillmore East』の成功から間もない1971年10月29日、デュアンがメイコンにてオートバイでトラックに追突し、僅か24歳の若さで他界する。バンドは、後任ギタリストを補充せず、レコーディング途中だったアルバム『Eat A Peach』をベッツが中心となって完成させた。以後、ベッツがデュアンに変わってバンドのリーダーを務めるようになる。
1972年には、キーボードにチャック・リーヴェルが新たに加入する。しかし、1972年11月11日、デュアンに続きベリー・オークリーもオートバイ事故により亡くなってしまう。デュアンの事故現場から僅か3ブロックしか離れていないところでの事故であった。
度重なるメンバーの死にも関わらず、残ったメンバーはバンド活動を続行する。オークリーの後任にはラマー・ウィリアムズが加入し、翌1973年、『Brothers And Sisters』をリリース。ビルボード全米アルバム・チャートNo.1の大ヒットを記録し[2]、アメリカの国民的バンドとしての地位を確立した。またシングルカットの"Ramblin' Man"もポップ・チャート2位を記録した[2]。
これらのヒットにより、バンドの集客力は大きくなっていった。1973年7月28日には、ザ・バンド、グレイトフル・デッドとともにニューヨーク州ワトキンズ・グレンのワトキンズ・グレン・レース・サーキットにおけるライブ (サマー・ジャム)に参加。このイベントは、60万人もの観客が訪れた。
1976年、アメリカ民主党ジミー・カーターの大統領選挙キャンペーンに参加し、カーターの支持母体サザン・バプティスト教会の支援を受ける。カーターの当選は南部のロック・バンドが最初に政治に深く関わった歴史的な一面も持つ。[3]
活動停止と再開 [編集]
メンバー間の音楽的な意見の相違と個人的対立が徐々に大きくなり、バンドの結束は崩れて行ってしまった。そして1976年、バンドは解散する。グレッグとベッツはソロ活動へ、リーヴェル、ジェイモー、ウィリアムズはシーレベルというバンドを結成するに到った。
2年後の1978年、グレッグがベッツに和解を呼びかける形でバンドを再結成する。リーヴェルとウィリアムズはシーレベルでの活動を続けたため再結成には加わらず、新たにデイヴィッド・ゴールドフライズ(ベース)、ダン・トーラー(ギター)が加入した。1979年にはアルバム『Enlightened Rouges』をリリースし存在感をアピールするものの、この後、デビュー当時から所属していたキャプリコーン・レコードが倒産してしまう。バンドはアリスタに移籍し、更に2枚のアルバムをリリース。1981年の『Brothers Of The Road』からのシングル"Straight From The Heart"はポップ・チャートの39位を記録し[2]、まずまずの成功を収めるが、バンドは1982年に再度解散するに到った。
2度目の再結成 [編集]
1989年、ディッキー・ベッツ・バンドにいたギタリスト、ウォーレン・ヘインズとベーシストのアレン・ウッディ、それにジョニー・ニール(キーボード、ハーモニカ)を加え、バンドが再結成される。エピックと契約し、翌1990年、『Seven Turns』をリリースした。 1994年、Woodstock '94に出演。1995年には、ロックの殿堂入り、さらに翌年には"Jessica"でベスト・ロック・インスト賞を受賞するなど、注目を集めていった。
1997年、ヘインズとウッディーがガヴァメント・ミュールの活動に専念するためにバンドから脱退する。後任にジャック・ピアソン(ギター)、オテイル・バーブリッジ(ベース)が加入した。1999年には、ピアソンに替わり、ブッチ・トラックスの甥にあたるデレク・トラックスが迎え入れられる。
2000年には、メンバーとの対立からオリジナル・メンバーのベッツがグループから追い出される形で脱退。しかしながら、一時的にジミー・ヘリングが後任として加入した後、翌2001年、ウォーレン・ヘインズを再度迎え入れ、現在もバンドは活動中である。
近年は、ニューヨークのビーコン・シアターでの恒例ライヴ、またジャムバンド・ミュージックの祭典ボナルー・フェスティバル(2003年、2005年)への出演などとライヴをこなしており、その影響力を維持している。
ディスコグラフィー [編集]
- 1969年 オールマン・ブラザーズ・バンド - The Allman Brothers Band (Capricorn)
- 1970年 アイドルワイルド・サウス - Idlewild South (Capricorn)
- 1971年 フィルモア・イースト・ライヴ - At Fillmore East (Capricorn)
- 1972年 イート・ア・ピーチ - Eat A Peach (Capricorn)
- 1973年 ブラザーズ&シスターズ - Brothers And Sisters (Capricorn)
- 1975年 ウィン、ルーズ・オア・ドロウ - Win, Lose or Draw (Capricorn)
- 1976年 熱風 - Wipe The Windows, Check The Oil, Dollar Gas (Capricorn)
- 1979年 いま、再び - Enlightened Rogues (Capricorn)
- 1980年 リーチ・フォー・ザ・スカイ - Reach For The Sky (Arista)
- 1981年 ブラザーズ・オブ・ザ・ロード - Brothers Of The Road (Arista)
- 1990年 セヴン・ターンズ - Seven Turns (Epic)
- 1991年 シェイズ・オブ・トゥー・ワールズ - Shades Of Two Worlds (Epic)
- 1992年 アン・イヴニング・ウィズ・ジ・オールマン・ブラザーズ・バンド〜ファースト・セット - An Evening With The Allman Brothers Band: First Set (Epic)
- 1994年 ホェア・イット・オール・ビギンズ - Where It All Begins (Epic)
- 1995年 An Evening With The Allman Brothers Band: 2nd Set (Epic)
- 2000年 ピーキン・アット・ザ・ビーコン - Peakin' at the Beacon (Epic/550 Music)
- 2003年 ヒッティン・ザ・ノート - Hittin' the Note (Peach/Sanctuary)
- 2004年 One Way Out (Peach/Sanctuary)
関連項目 [編集]
情報源 [編集]
外部リンク [編集]
- 公式ウェブサイト (英語)