コンテンツにスキップ

マウンテン (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マウンテン
1970年。左からスティーヴ・ナイト、コーキー・レイング、フェリックス・パパラルディ、レスリー・ウェスト。
基本情報
原語名 Mountain
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ロングアイランド
ジャンル
活動期間
レーベル
共同作業者 ウェスト、ブルース&レイング
メンバー
旧メンバー

マウンテンMountain)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身のハードロックバンドである。グランド・ファンク・レイル(Grand Funk Railroad)と並び、1970年代前半のアメリカン・ハードロックの草創期から活動する代表的グループとして知られる[4]

歴史

[編集]

結成まで

[編集]

1967年、ニューヨークを拠点に活動していたプロデューサーのフェリックス・パパラルディ[注釈 1]は、ロング・アイランド出身のバンドのヴァグランツアトコ・レコードに推薦して契約を成立させ、彼等に自作曲を提供してプロデュースを担当してシングル発表させた[5]

1969年、パパラルディ[注釈 2]はヴァグランツのレスリー・ウェスト(ギター、ボーカル)のソロ・デビュー・アルバム『マウンテン』のプロデューサーを務めて、曲作りにも参加しベースとキーボードを演奏し、同アルバムを自ら設立したウインドフォール・レコードから発表した。その後、パパラルディ(ベース、ボーカル)とウェストは『マウンテン』の制作に参加したN.D.スマート(ドラムス)、元ジ・デヴィルズ・アンヴィル[6][注釈 3]ウイングス[注釈 4]スティーヴ・ナイト[7](キーボード)とマウンテンを結成した[8]

1969年‐1972年

[編集]

彼等は1969年7月にフィルモア・ウェストでライブ・デビューし、8月16日にはウッドストック・フェスティバルに出演した[注釈 5]。その後、カナダ出身で当時エナジーのメンバーだったコーキー・レイングが、スマートに代わってドラマーとして加入した[8][9]

1970年、デビュー・アルバム『勝利への登攀』を発表。同アルバムからのシングル「ミシシッピー・クイーン英語版」が全米21位のヒットとなった[10]。同曲は1971年の映画『バニシング・ポイント』の挿入曲に使用され[11]、日本でもフジテレビの番組「ひらけ!ポンキッキ」でかなりの間使用された。

1971年、2作目『ナンタケット・スレイライド』がアメリカのBillboard 200で彼等のアルバムとしては最高の16位を記録した[10]。1972年には日本で同アルバムからのシングル「暗黒への旅路」[12]がヒットした。

1971年末、片面にスタジオ録音、片面にライブ録音を収録した3作目『悪の華』を発表。デビュー以来ツアーに明け暮れた結果、ハード・ロック志向を強めるウェストと、ミシガン大学でクラシックを専攻した素養を生かしプログレッシヴ・ロック志向を強めた[要出典]パパラルディとの対立で1972年初めに解散した[13][14][注釈 6]。ウェストとレイングはジャック・ブルースウェスト、ブルース&レイング(WBL)を結成。パパラルディも自前のバンドにおける活動に移る[要出典]

WB&L時代のレスリー・ウェスト(右)。左はジャック・ブルース

1973年‐1974年

[編集]

1973年、WBLの日本公演が企画されたが、その直前にブルースが脱退したため[15][注釈 7]、急遽パパラルディが呼ばれ、マウンテンの公演に差し替えられた。この公演はパパラルディとウェストに新メンバーのボブ・マン(キーボード、ギター)とアラン・シュワルツバーグ(ドラムス)を迎えた編成で同年8月に行われ[8]、その模様は1974年2月にライヴ・アルバム『異邦の薫り』として発表された。

その後レイングが復帰して1974年7月にスタジオ・アルバム『雪崩』を発表。国内ツアーも行なわれたが、ウェストとパパラルディの溝は埋まらず、年末に解散となる。

1980年代以降

[編集]

1980年代に入るとウェスト[注釈 8][16]とレイングはマウンテン名義での活動再開を目論み[17]、パパラルディ[注釈 9]と彼が参加する可能性や名義などについての話し合いを持った[18]。しかし1983年、パパラルディは妻ゲイル・コリンズ[注釈 10]に射殺された[19]

1985年、ウェストとレイングは元コロシアムマーク・クラーク(ベース)を迎え、スコッティ・ブラザーズ・レコードの契約を得てマウンテン名義のアルバム『風林火山』を発表した[20][16]

1994年にはザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスベーシストだったノエル・レディングを迎えて新曲2曲を録音し[21][注釈 11]、ライヴ活動を行なった[22]。その後もウェストを中心に再結成を繰り返している。

2007年オジー・オズボーン、再結成したオールマン・ブラザーズ・バンドのギタリストのウォーレン・ヘインズをゲストとして迎え、全曲ボブ・ディランのカヴァーで制作した『Masters of War』を発表[23]2008年には、Fortéのベーシストとして知られるレヴ・ジョーンズを迎えた編成でツアーを行った[24]

その後ウェストが糖尿病の合併症にかかったので、事実上の活動は2010年頃で停止した。彼は2011年に右足の切断手術を受け、2020年12月23日、心不全により死去[25]

マウンテン活動停止後のコーキー・レイング(2016年)

全盛期のメンバーで唯一存命中のレイングは、コーキー・レイングス・マウンテンを結成してライブ活動を行っている。

メンバー

[編集]

最終ラインナップ

[編集]
  • レスリー・ウェスト (Leslie West) - ギター、ボーカル(1969年 - 1972年、1973年 - 1974年、1981年 - 1985年、1992年 - 1998年、2001年 - 2010年)♰RIP. 2020
  • コーキー・レイング (Corky Laing) - ドラムス(1969年 - 1972年、1973年 - 1974年、1981年 - 1985年、1992年 - 1998年、2001年 - 2010年)
  • レヴ・ジョーンズ (Rev Jones) - ベース(2008年 - 2010年)

旧メンバー

[編集]
  • フェリックス・パパラルディ (Felix Pappalardi) - ベース、ボーカル(1969年 - 1975年)♰RIP. 1983
  • N.D.スマート (N.D. Smart) - ドラムス(1969年)
  • スティーヴ・ナイト (Steve Knight) - キーボード(1969年 - 1972年)♰RIP. 2013
  • ボブ・マン (Bob Mann) - ギター、キーボード(1973年)
  • アラン・シュワルツバーグ (Allan Schwartzberg) - ドラムス(1973年)
  • マーク・クラーク (Mark Clarke) - ベース、ボーカル(1984年 - 1985年、1995年 - 1998年)
  • リッチー・スカーレット (Richie Scarlett) - ベース(1992年 - 1993年、2001年 - 2008年)
  • ランディー・コーヴェン(1993年 - 1994年)♰RIP. 2014
  • ノエル・レディング (Noel Redding) - ベース(1994年 - 1995年)♰RIP. 2003

ディスコグラフィ

[編集]

スタジオ・アルバム

[編集]

ライヴ・アルバム

[編集]

コンピレーション・アルバム

[編集]
  • 1973年 ベスト・オブ・マウンテン (The Best of Mountain)
  • 1995年 Over the Top

関連アルバム

[編集]
  • 1969年 マウンテン (Leslie West/Mountain)
    • マウンテンのデビュー前に発表されたレスリー・ウェストの初のソロ・アルバムである。パパラルディとスマートが参加。

日本公演

[編集]

1973年

[編集]
  • 8月25日 東京・日本武道館
  • 8月28日 名古屋・名古屋市公会堂
  • 8月29日 京都・京都会館
  • 8月30日 大阪・大阪厚生年金会館
  • 8月31日 広島・広島郵便貯金ホール

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ニューヨークの出身。ミシガン大学に進学してクラシック音楽を学び、卒業後にニューヨークに戻ってアレンジャーや音楽プロデューサーとして仕事を行った。1966年、RCAレコードと契約を結んだヤングブラッズのアルバムをプロデュースした。
  2. ^ 1967年にトム・ダウドによってクリームのプロデューサーに起用され、1969年に彼等が解散するまでにアルバム3作をプロデュースして大いに名を高めた。
  3. ^ パパラルディは1967年に彼等のアルバム制作に協力した。
  4. ^ ポール・マッカートニーが1970年代に結成したウイングスとは無関係である。
  5. ^ アルバム"Woodstock Two"(1971年3月)に2曲が収録された。
  6. ^ パパラルディは当時薬物中毒に陥って、コンサート活動に支障を来たしていたとされる。レイングの自伝によると、彼は慢性の聴覚異常などの様々な健康障害を理由にツアーには参加しないことをメンバーに宣言した。
  7. ^ レイングの自伝によると、1973年の春にセカンド・アルバムが完成した後、ブルースがイギリスで薬物中毒者に登録されてしまったのでアメリカに行けなくなり、計画されていたツアーが不可能になった。
  8. ^ 1978年スティーヴ・マリオットとザ・ファームを結成しようとするがデビューには至らず、その後ニューヨークでギター教室を始めた。
  9. ^ マウンテン解散後、日本のクリエイションやニューヨークのパンク・ロック・バンドであるデッド・ボーイズのアルバムのプロデューサーを務め、ソロ・アルバムも発表した。
  10. ^ コリンズはマウンテンのアルバムのジャケット・デザインを手がけ、曲作りにも参加した。パパラルディは自分が参加するのであれば彼女にも以前と同じように関与させたいと希望したが、ウェストは彼女の関与を嫌がった。
  11. ^ 編集アルバム"Over the Top"(1995年)に収録された'Solution'と'Talking to the Angels'。

出典

[編集]
  1. ^ Eder, Bruce. Mountain Biography - オールミュージック. 2024年9月9日閲覧。
  2. ^ マウンテン、全盛期71~74年に行なわれたライヴ4公演をコンパイル──『ライヴ山脈』12/23リリース”. MUSIC LIFE CLUB. シンコーミュージック・エンタテイメント (2022年11月14日). 2024年9月9日閲覧。
  3. ^ Herriges, Greg P. (2006). Rock Guitar Songs for Dummies (Music Instruction). Milwaukee, Wisconsin: Hal Leonard. p. 23. ISBN 978-1458434982 
  4. ^ マウンテンのデビューアルバム『勝利への登攀』がアメリカンハードロックの基礎を築き上げた!”. OKMusic (2016年5月14日). 2019年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月26日閲覧。
  5. ^ Discogs”. 2024年8月18日閲覧。
  6. ^ Discogs”. 2024年4月27日閲覧。
  7. ^ Laing & Takala (2019), pp. 110–111.
  8. ^ a b c Huey, Steve. “Mountain – Biography & History”. AllMusic. 2016年2月13日閲覧。
  9. ^ Laing & Takala (2019), pp. 36–37, 48–49, 88–89.
  10. ^ a b Mountain | Awards | AllMusic
  11. ^ Eder, Bruce. “Vanishing Point (Original Soundtrack) - Original Soundtrack”. AllMusic. 2016年2月13日閲覧。
  12. ^ Discogs”. 2024年8月20日閲覧。
  13. ^ Laing & Takala (2019), p. 141.
  14. ^ Shapiro (2010), p. 152.
  15. ^ Laing & Takala (2019), p. 156.
  16. ^ a b Popson, Tom (1985年5月24日). “Getting Caught Up With A Mountain Man”. Chicago Tribune. 2016年2月13日閲覧。
  17. ^ Laing & Takala (2019), pp. 189–198.
  18. ^ Laing & Takala (2019), pp. 199–202.
  19. ^ Laing & Takala (2019), pp. 202–205.
  20. ^ Laing & Takala (2019), p. 206.
  21. ^ Discogs”. 2024年8月25日閲覧。
  22. ^ Laing & Takala (2019), pp. 242–252.
  23. ^ Campbell, Al. “Masters of War - Mountain”. AllMusic. 2016年2月13日閲覧。
  24. ^ FORTÉ Pulls Out Of Germany's KEEP IT TRUE XI Festival; CAST IRON Steps In”. Blabbermouth.net (2008年9月1日). 2016年2月13日閲覧。
  25. ^ マウンテンのレスリー・ウェストが逝去。享年75歳”. NME JAPAN (2020年12月24日). 2020年12月25日閲覧。

引用文献

[編集]
  • Laing, Corky; Takala, Tuija (2019). Letters To Sarah. Helsinki: Polite Bystander Productions. ISBN 978-952-94-1530-4 
  • Shapiro, Harry (2010). Jack Bruce: Composing Himself: The Authorised Biography by Harry Shapiro. London: A Genuine Jawbone Book. ISBN 978-1-906002-26-8 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]