ジョニー・ウィンター

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ジョニー・ウィンター
ジョニー・ウィンター(1990)
ジョニー・ウィンター(1990)
基本情報
出生名 John Dawson Winter III
出生 1944年2月23日
出身地 米国テキサス州ボーモント
ジャンル ブルース
ロック
職業 ギタリスト
歌手
担当楽器 ギター
ヴォーカル
活動期間 1959年 - 現在
レーベル リバティー・レコード
コロムビア・レコード
アリゲーター・レコード
MCAレコード
ヴァージン・レコード
共同作業者 エドガー・ウィンター
リック・デリンジャー
公式サイト http://www.johnnywinter.net/

ジョニー・ウィンターJohnny Winter、本名はJohn Dawson Winter III1944年2月23日 - )は米国テキサス州ボーモント出身のギタリストシンガー(一時期は父親の故郷ミシシッピ州リーランドで生活していた)。「100万ドルのギタリスト」の異名を持つ。アルビノ斜視であることも知られている。

白人でありながら黒人音楽のブルースをプレイし続け、ブルースの巨人マディ・ウォーターズが「義理の息子」と呼ぶほど彼に気に入られた。彼のスライドギターエリック・クラプトンにも影響を与えたといわれている。

目次

[編集] 活動・キャリア

幼少期はクラリネットを演奏していたが、歯の噛み合わせが悪くなり断念。その後ウクレレを経て、ギターを弾くようになる。少年期に弟エドガーとコンビで数々のコンテストに出場しては腕を上げていき、15歳の時にバンドを組んで地元レーベルから「スクール・デイ・ブルース」をリリース、彼の音楽キャリアのスタートとなる。

1962年、エドガーとともに初のバンド、ジョニー・アンド・ザ・ジャマーズを結成。複数の地元のレーベルからシングルをリリースし活躍する。1968年、トミー・シャノン(ベース)、アンクル・ジョン・ターナー(ドラムス)らを迎え、デビュー・アルバム「The Progressive Blues Experiment」をリリース。

1969年、CBSと契約しアルバム「Johnny Winter」をリリースした。CBSとの契約金が当時の金額で数十万ドルと巨額であったことから「100万ドルのギタリスト」の名で呼ばれるようになった。このアルバムはウィリー・ディクスンウォルター・ホートンらブルース・ミュージシャンが参加したストレートなブルース・アルバムであった。また同年、40万人以上を集めたウッドストック・フェスティバルに出演。続く作品、「Second Winter」(1970年)、「Johnny Winter And」(1971年)ではロック色を強めていった。特に後者はストレートなブルース・ナンバーは皆無のロック・アルバムである。ジョニーはドラッグ中毒に陥っていったが、1973年、「Still Alive And Well」リリースし復活を宣言した。

1980年に「Raisin' Cain」をリリースするまで、CBSへの在籍は10年以上に及んだ(1975年以降はCBS傘下のブルースカイから作品をリリースした)。CBS時代のジョニーは、前述のジョニー・ウィンター・アンドに象徴されるように、ロック色の強い作品が多いが、ファースト・アルバムや「Nothin' But The Blues」(1977年)、マディ・ウォーターズのアルバムにおける競演など、正面からブルースに向き合う一面も見せている。

1980年代に入ると、ジョニーはアリゲーター・レコードと契約。3枚のアルバムをリリースした。ブルース・レーベルからのリリースということもあってか、いずれの作品もブルース色が濃い内容となっている。

MCA傘下のボイジャー・レーベルからの「The Winter Of '88」(1988年)を経て、ポイントブランクと契約したジョニーは「Let Me In」(1991年)を始め3枚の作品をリリースするが、徐々に体調が悪化し、演奏活動から遠ざかっていく。一説によると愛用のギブソンファイヤーバードを自力で持ち上げられないほど体力が弱ってしまったという。また視力も弱ってしまい、殆ど見えない状態といわれていた。

2004年リリースの「I'm A Bluesman」は、スタジオ録音の新譜としては実に12年ぶりとなるものであった。その「枯れた」演奏に最後のアルバムかとの危惧の声もあったが、7年を経た2011年、ブルースのカバーを新録した「Roots」をリリース。健在ぶりをアピールした。

[編集] 家族

父親は教会の聖歌隊に参加するサクソフォンバンジョーの奏者、母親はピアノ奏者という理想的な音楽一家の下で育った。前述の実弟エドガー・ウィンター (彼もまたアルビノである)は、キーボードサックスの奏者として有名である。

[編集] プレイ

彼のプレイは、テクニカルで速いリフが多く、ピックサムピック人差し指中指、そして薬指を使ったフィンガーピッキングが彼のスタイル。リフの種類は他に類を見ないほど豊富である。彼の速く弾きまくるリフは代表曲「Be Careful with a Fool」などで聞ける。また、彼のギターにはヘヴィなディストーションが効いていることが多い。

スライドギターをプレイするときには、特にオープンEオープンAを好んでいるが、他にオープンDオープンGも使用する。彼のスライド・ギターが聞ける代表曲は「TV Mama」や「Dallas」である。レギュラーチューニングでの演奏もしているが、アリゲーター・レコード在籍以来、1音下げで演奏することが多くなった。

[編集] 来日

40年以上のキャリアにも関わらず、ジョニー・ウィンターの来日公演は長きに渡って実現していなかった。「来日していない最後の大物」と呼ばれていたこともある。M&Iカンパニー招聘により1990年に初の日本ツアーが組まれたことがあるが、チケット発売後、公演は中止となってしまった。理由は不明。因みに、弟エドガーは度々日本公演を行っている。

2011年2月、公式サイトのスケジュールにて、2011年4月13~15日の三日間にZepp Tokyoで初来日ライブを行うことが発表された。その後、2011年3月11日に起こった東日本大震災の影響で多くの海外アーティストの来日が中止となり開催が危ぶまれたが、2011年4月12日夜、ジョニー・ウィンターは遂に羽田に降り立った。日本の地を初めて踏んだ彼は一言「とにかくショーを楽しみにしてくれ」と語った。

翌日の2011年4月13日、ZEPP TOKYOにおいて、日本の地で彼がプレイする姿を40年以上待ち続けた超満員のファンが見守る中、奇跡とも言える初来日公演が実現した。アンコールでは彼のトレードマークである愛器ファイヤーバードをプレイするという誰もが待ち望んでいた姿が見られた。終演後ジョニーは「日本のファンはおとなしいと聞いてたけど、盛り上がってくれてびっくりしたよ。ロックン・ロールをわかってるんだね。嬉しいよ!」と語ったという。続く4月14日と15日も圧巻のステージを披露してくれた。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] 公式アルバム

  • 1968年 The Progressive Blues Experiment (Liberty)
  • 1969年 Johnny Winter (CBS)
  • 1970年 Second Winter (CBS)
  • 1971年 Johnny Winter And (CBS)
  • 1973年 Still Alive And Well (CBS)
  • 1974年 Saints And Sinners (CBS)
  • 1975年 John Dawson Winter III (Blue Sky) (おれは天才ギタリスト!)
  • 1977年 Nothin' But The Blues (Blue Sky)
  • 1978年 White, Hot & Blue (Blue Sky)
  • 1980年 Raisin' Cain (Blue Sky)
  • 1984年 Guitar Slinger (Alligator)
  • 1985年 Serious Business (Alligator)
  • 1986年 Third Degree (Alligator)
  • 1988年 The Winter Of '88 (MCA/Voyager)
  • 1991年 Let Me In (Pointblank)
  • 1992年 Hey, Where's Your Brother? (Pointblank) (ブルースは絆)
  • 2004年 I'm A Bluesman (Virgin)
  • 2011年 Roots (Megaforce)

[編集] ライブアルバム

  • 1971年 Johnny Winter And Live (CBS)
  • 1976年 Captured Live (Blue Sky) (狂乱のライブ)
  • 1976年 Together (CBS) ※エドガー・ウィンターとの競演
  • 1997年 Live In NYC '97 (Pointblank)

[編集] 主な参加アルバム

[編集] 外部リンク

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