チューリッヒ
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チューリッヒ(独:Zürich ツューリヒ〔tsýːriç〕 英・仏:ズュリック(Zurich) 伊:ヅリーゴ(Zurigo))は、スイス連邦の一州(チューリッヒ州)。地元のチューリッヒ方言では、ツュリ(Züri [ˈtsyɾi])と発音される。
北側にチューリッヒ湖があり、標高は約400m。市内にはリマート河が流れている。
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[編集] 概要
スイス北部にあるスイス最大の都市で、金融・経済・商業・文化の中心地で、世界的に知られている。人口は2004年の統計で366,145人、周辺人口を会わせると1,091,732人である。治安・教育水準・各種インフラ等バランスよく整っており、人事コンサルティングのマーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティング社によるサーベイ「海外駐在員が最も住みやすい都市」で2006年にはトップに選ばれている。
名前の由来はケルト語のTurusと思われ、それを示す資料が2世紀のローマ帝国時代の墓碑から見つかっている。ローマ帝国時代の名前はTuricumであり、現在もチューリッヒ地方でのドイツ語方言でチューリッヒを指すZüriとよく似ている。
国際サッカー連盟(FIFA)を初めとし、多くの国際機関・国際団体の本部がある。
[編集] 地理
チューリッヒ湖北部のリマート河が流れ出す場所に位置し、緑豊かなチューリッヒベルグやユトリベルグなどの丘陵に囲まれている。
[編集] 歴史
ローマ帝国時代のローマ軍の駐屯地、トゥリクムがチューリッヒの原形になっている。
フランク王国時代のヴェルダン条約によって、東フランク王国に帰属し、また軍事的に重要な拠点な要所であるためルードヴィヒ2世がこの地に修道院と教会、王城を建設したことから9世紀頃から城下町として発達し、次第に都市形態を取るようになる。
神聖ローマ帝国の時代には、イタリアとドイツを結ぶアルプス山脈北側の交通の要所であったことから、皇帝が好んで滞在し、経済的な発展を遂げる。1173年ツェーリンゲン家の支配下に入る。同家が1218年に断絶すると、ハプスブルク家の支配下に入るが、独立帝国都市の体裁を取るようになり、自治機運が高まる。
14世紀には小商人、手工業者などによる自治運動が高まり、1336年には平民が自治に参加する様になる。
1351年には、スイス盟約者団(のちのスイス連邦)に参加するが、その急激な勢力拡大は、他のスイスの州との軋轢を産んだ。 16世紀には、人文主義者のフルドリッヒ・ツヴィングリによる宗教改革が行われ、西南ドイツ・スイスのプロテスタント勢力の中心地になる。
17世紀に、宗教弾圧を受けたフランスのユグノー達を亡命者として受け入れ、手工芸が発達し、織物業の一大生産地になった。しかしながら、政治体制はこれらの新富裕層が取り仕切る門閥政治になり、フランス革命の影響を受けて、民主化運動が活発になり、1831年になりようやく民主化を実現する。
19世紀には金融資本が発達し、ヨーロッパの金融の一中心地になる。
[編集] 観光
2005年夏には「テディ・サマー・チューリッヒ 2005」というイベントが行われカラフルに彩られた様々な格好をしたテディベアの像で街中が溢れた。これは近年、牛や馬や羊や蛙などの動物や生き物をテーマにヨーロッパ各地の街で繰り広げられている観光イベントの1つ。
[編集] 文化
- チューリッヒ国立博物館
- チューリッヒ美術館
- バイヤー時計博物館
- ビュールレ・コレクション
[編集] チューリッヒ出身の人々
- ゴットフリート・ケラー:作家
- ブルーノ・ガンツ:俳優
- マックス・フリッシュ:作家
- フェリクス・ブロッホ:物理学者
- アンディ・フグ:空手家・格闘技家
[編集] 姉妹都市
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 公式
- チューリッヒ市公式サイト (ドイツ語)
- 旅行
- チューリッヒ観光局 (ドイツ語)(英語)
- スイス政府観光局 - チューリヒ (日本語)

