聖書翻訳

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聖書翻訳(せいしょほんやく)は、聖書を様々な言語へ翻訳することである。ユダヤ教キリスト教も複数言語に跨って発展した宗教であり、その聖典である聖書をいかに翻訳するかは古来より大きな問題であり続けた。活版印刷の発明以来、ヨーロッパ各国でプロテスタント系の翻訳が盛んになり、その後ヨーロッパ諸国の海外進出に伴って世界各国語への翻訳が盛んに行われるようになった。

聖書翻訳の原典と底本[編集]

聖書記者が書いたヘブライ語アラム語ギリシア語聖書の原典そのものは、現在地上に存在しないが、複数の写本が存在している。

旧約聖書[編集]

ユダヤ教の聖典である「タナハ」、キリスト教で言うところの旧約聖書(以下、本項では「旧約聖書」と呼ぶ)の原著の大部分はヘブライ語で書かれ、一部「ダニエル書」、「エズラ記」、および「エレミヤ書」はアラム語で記述された。

歴史」の項でも述べることになるが、旧約聖書は紀元前3〜1世紀にギリシャ語に翻訳された。これは七十人訳聖書と呼ばれ、キリスト教世界では長らくこのギリシャ語テキストを旧約聖書の底本とみなしていた。しかしユダヤ教ではユダヤ戦争後に確定していったヘブライ語のマソラ本文を底本とした。この2者には取り扱っている文書に差異があり、本文も多少違っている。

5世紀になるとヒエロニムスが新旧約聖書のラテン語翻訳を行ったが、旧約聖書については七十人訳を基本としながらそれを遡るヘブライ語聖書を参照したと言われている。この翻訳は新約とともにラテン語標準訳ウルガタと呼ばれて長く西方教会で権威を持ち、他言語への聖書翻訳が行われるときもこのウルガタから翻訳されることも多かった。事実上の原典として扱われていたのである。

宗教改革ルターがドイツ語訳聖書を参照したとき、ウルガタが底本とした七十人訳を退け、マソラ本文を底本として扱った。

ウェストミンスター信仰告白などプロテスタント正統主義の歴史的な信仰告白は旧新約聖書66巻を告白しており、プロテスタントとローマ・カトリックでは旧約聖書に含まれる文書には差異がある。

原典復元作業である本文批評により、今日、旧約聖書の底本として多く用いられるのはドイツ聖書協会発行のビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシアであり、日本語の新共同訳聖書はこれを用いている。ただローマ・カトリックから見ればいくつかの文書を欠くので、エキュメニズム新共同訳聖書では第二正典が『ギリシア語旧約聖書』(ゲッティンゲン研究所)などから補われている。

新約聖書[編集]

新約聖書の原著は、概ねギリシア語で書かれているとされている。しかし、特定の巻はその一部もしくは全部がアラム語で書かれていた可能性をあげる学者も存在し、その根拠には「ヨハネによる福音書」のロゴスに関する有名な導入部がアラム語による賛美歌のギリシャ語訳ではないかと考えられていることがある。

新約聖書は、著書も文書の性格も異なる複数の文書から成り立っているが、その文書群が聖典として定義されるにあたっては、長い時間がかかった。アタナシオス298年 - 373年)によってあげられた27の文書が聖典として承認されたのは397年カルタゴ教会会議であるが、『ヤコブの手紙』と『ヨハネの黙示録』が聖典、つまり新約聖書の中に含まれるのかどうかについてはその後も議論が残った。

5世紀になるとヒエロニムスが当時としてはかなり徹底した新旧約聖書のラテン語翻訳改訂を行い、それはラテン語標準訳ウルガタと呼ばれて長く西方教会で権威を持った。他言語への聖書翻訳が行われるときもこのウルガタから翻訳されて事実上の原典として扱われ、カトリック教会では20世紀半ばまでそれが維持された。

活版印刷が発明されると、聖書のギリシャ語やヘブライ語が盛んに出版されるようになり、特に新約聖書は16世紀に出版されたエラスムステクストゥス・レセプトゥスが広く知られるようになった。宗教改革ルターティンダルはウルガタではなくて原語からの聖書翻訳を目指したが新約聖書については、この テクストゥス・レセプトゥスを用いている。

テクストゥス・レセプトゥスはその後も多くの翻訳で底本として用いられてきたが、そのテキストには問題が多々あることが指摘され続け、正文批判や聖書学が進んできた結果、今日では翻訳の底本として使われることは無い。

今日、新約聖書の底本として用いられるのはネストレ・アーラントの校定本であり、特にその第26版はそのまま聖書協会世界連盟のギリシア語新約聖書の修正第三版に採用されている。

重訳[編集]

写本の底本が確立している今日、重訳が堂々と行われることはあまりないが例外もある。たとえばエルサレム・フランス聖書考古学学院が発行したフランス語のエルサレム聖書はその学問的正確さと豊富な注釈から注目を集め、英語などに重訳されている。大胆な意訳で有名なリビングバイブルは、それ自体がアメリカ標準訳 (ASV) 聖書からの重訳である上に、さらに別の言語へ重訳されている。

また、聖書協会やこれに類する組織が世界各国で膨大な数の言語への聖書翻訳を推し進めてきたが、それら全てがギリシャ語やヘブライ語からの真正直な翻訳と考えるのは無理があり、実質的にはNRSV、TEV (GNB)、CEBといった、既存の英語訳聖書からの重訳であろうということは指摘されてきた[要出典]。(2005年時点で、SILインターナショナルen:SIL Internationalがあげている6,900の言語の中の2,400もの言語に聖書は翻訳されている。内訳はアフリカでは680の言語、アジアでは590、オセアニアでは420、ラテンアメリカカリブ海では420、ヨーロッパで210、北アメリカで75である。)エホバの証人が世界各国で翻訳している新世界訳聖書も実質的にほとんどが英語訳のNWTからの重訳だろうと考えられている。

翻訳の方法論[編集]

翻訳の問題点[編集]

ある宗教が複数の言語に跨って広がっていくと、その経典あるいは聖典を翻訳しようという動きもでるのだが、そこには困難な問題が生じることがある。翻訳一般の問題として、語彙体系も社会環境も異なれば、原語から翻訳語へ正確に語句が対応しているとは限らず、対応する語句が存在しない、あるいはどういう語句を当てても意味がズレることは多々ある。16世紀のイエズス会による日本布教で、仏教用語を借用して教義を説明したためにキリスト教が仏教の一派であると一部に誤解されたことなどはその一例であろう。また文法体系が異なれば原語で表現できていたニュアンスが翻訳語の中ではどうしても正確に表現できないことも生じる。

翻訳者が一つの訳文を選択するに当たっては、翻訳者の判断とその前提となる原典解釈が必須であるが、その「正しい」解釈をめぐって時には教団内で深刻な対立が生じることもある。宗教改革時にプロテスタント側がカトリック教会の認めない聖書翻訳を行って対抗し、その翻訳を拠りどころにしてプロテスタント教会を成立させていったことはその典型例であろう。

そもそも西方教会では民衆語(ヴァナキュラーな言葉)への翻訳を禁止していた時期があり(聖書翻訳の歴史の中世の項も参照)、民衆が自由に聖書解釈することに神経を尖らせていたが、それは宗教史的に見れば特異なことではない。たとえば、イスラームの聖典であるクルアーン(コーラン)は原語であるアラビア語から他言語への翻訳が禁じられ、翻訳されたとしてもそれはクルアーンの注釈書もしくは解説書であるとみなされていた[1]。タイの仏教社会でも、パーリ語経典を訳すことなくそのまま丸暗記させている[2]

聖典の翻訳禁止は、多くの人々にとっては外国語でしか聖典に接することができず、大変なストレスをかけることになるのだが、翻訳が引き起こすリスクはそれ以上に大きいと見なされることもあったのである。

逐語訳[編集]

できる限り議論の余地がない正確な翻訳を行うために、原語と翻訳語の間で機械的な逐語訳のシステムを組上げてしまう例もある。漢文に訓点をつけて日本語に読み下す方法はこれに該当するし、サンスクリット語経典を逐語訳するための母国語表記法自体をそれに合わせて作り上げたチベット語訳経典の例もあるが[3]、少数例にとどまる。異なる言語間での逐語訳は、多くの場合不自然な翻訳文を引き起こすことになる。

そうはいっても逐語訳は聖典の翻訳論としては有力であり、多くの聖書翻訳(特に学問的正確さを追求する翻訳)は可能な限りの逐語訳が原則であった。当然のこととして、翻訳語としての文章には不自然な部分が発生し、それらは後に続く改訂翻訳の議論の対象となってきた。また、逐語訳であっても訳語の選択次第で翻訳文が意味するところは相当に異なったものとなり、そうした訳語についても大いに議論がなされてきた。なお現在、日本語翻訳でもっとも逐語訳に徹しているのは岩波委員会訳聖書田川建三訳聖書であるという見方もある[要出典]

意訳[編集]

逐語訳と対極にあるのが意訳である。たとえば新約聖書は2000年前のパレスチナ周辺を主な舞台としているが、時代も社会も異なる背景で書かれた文書は、たとえ逐語訳を行ったところで、その文章が意味するところは伝わり辛くなっている。そうであるならば、読者にとって正しく理解できるように意訳するべきだという立場が存在する。代表的なのはナイダ(en:Eugene Nida)の動的等価翻訳理論(en: Dynamic and formal equivalence)であろう。つまり、文脈に応じて言葉は変えるが意味するところは同じになるように訳するということである。(これに対して逐語訳的方法は形式的等価翻訳と呼ばれる。)ナイダの理論は一時期 アメリカ聖書協会の翻訳事業を主導し、今日流通しているToday's English Bible:TEV(Good News Bible:GNBとも称する)やContemporaly English Bible:CEBなどを生み出した。日本語では共同訳聖書の作業にあたってこの理論が指針として採用され、ナイダが来日して講演するなどしている。しかし、動的等価翻訳理論は翻訳者の判断で原文を大きく捻じ曲げているに過ぎないという批判もあり評価は分かれる。共同訳聖書でも批判が相次ぎ、作業をやり直した新共同訳の翻訳委員会では動的等価翻訳を指針から外している。

もっと過激な意訳を志す立場も存在し、The Living Bible:TLB(日本語版は『リビングバイブル』)のように原文がそもそもどの程度の難易度の文章であったかどうかも度外視して、とにかく分かりやすく翻訳した聖書もある。学問的な正確さは二の次にされているから、聖書学者などからの評判は悪い。しかし、こうした聖書翻訳事業は「一人でも多くの人に分かりやすく神の言葉を届けることこそが重要だ」と考える立場の人々によって支えられてきた。前述のTEVやCEBはアメリカ聖書協会が発行し、安価で大量に配布されてきたし、世界中に作られた各国の聖書協会の多くがこの翻訳に準拠した各国語の聖書を作って、その国々で配布されてきたのである。

ともあれ意訳と逐語訳を二つの極として、今までに行われてきた聖書翻訳のほとんどはこの二つの立場をケースバイケースで使い分けてきたといってよい。

注釈について[編集]

翻訳で考慮するべきなのは、注釈や解説によって翻訳文で表現しきれない部分を補うという考え方である。しかし聖書翻訳においては注釈や解説がつかない場合も多い。有名な例では欽定訳聖書はロンドン主教の進言によって注釈をつけなかった。注釈をつけると、各教派の意見がまとまらなくなり宗教対立を再燃させることを懸念した結果だろうといわれている(英語訳聖書の欽定訳の項を参照)。聖書を世界中に普及させることに貢献した英国外国聖書協会もその基本綱領に「註や註解なしで聖書を広く普及させること」を目指し[4]、結果として相当数の部数の翻訳聖書は注釈をもっていない。プロテスタントにはルター以来の「聖書のみ」という伝統があり、神の言葉はそのままで人々に届くはずであるという考え方の下、こうした注釈の無い翻訳が理由づけられてもいた。

これとは対照的にカトリック教会は、カトリック教会の教導なしに信徒が勝手に聖書を解釈することは危険であるという立場をとり[5]、カトリック系の翻訳は一般的に注釈を含む。特にエルサレム聖書(英語、フランス語)やフランシスコ会訳(日本語)は大量の注釈と解説を含んでいることで有名である。

1960年代以降、カトリックとプロテスタントの共同訳作業が始まると、たとえば日本語の新共同訳聖書のように聖書協会も注釈を含む聖書を出版するようになった。

歴史[編集]

古代[編集]

ユダヤ教トーラモーセ五書)の翻訳は最初のバビロン捕囚のときに始まった。アラム語ユダヤ人の共通語になったからである。多くの人々がアラム語しか話せずヘブライ語が理解できなくなる中で、一般人が祖先の人々と同じようにトーラを理解できるように翻訳されたのがタルグームである。

紀元前3世紀になると、その頃でもほとんどのトーラはヘブライ語で書かれていたが、多くのユダヤ人がエジプトに集まってくるようになった。そこではアレクサンダー大王が彼の名前に因んでアレクサンドリアを造っており、一時期はユダヤ人人口がこの都市で3番目に多くなった程である。ユダヤ人はお互いにアラム語で会話していたし、きちんとした聖書のギリシャ語翻訳も行われてこなかったのだが、プトレマイオス2世の治世になって、ヘブライ語とギリシャ語(コイネー)の両方に堪能なユダヤ人を多数雇い入れられた(文献によって15人とも70人とも言われている)。彼らが行った翻訳が今日よく知られている七十人訳聖書セプトゥアギンタ訳とも)である。

ローマ帝国期には様々な翻訳があり、オリゲネス182年 - 251年)は六欄対照旧約聖書Hexapla、ギリシャ語:sixfold)で旧約聖書の6つの異版を並列表記している。ここには 2世紀のギリシャ語訳であるシノペのアキラ(アキューラスとも)やSymmachus the Ebioniteなどが含まれる。

新約聖書は性格を異にする様々な文書からなっており、その文書がほぼ確定したのは4世紀末のことであったが、個々の文書のラテン語翻訳はそれより以前から行われていた。ラテン語翻訳でもっとも有名なのはヒエロニムス340年頃 - 420年)によるウルガタ(標準ラテン語訳聖書)であり382年から420年の間に訳された。当初、ヒエロニムスはそれまでのラテン語の翻訳を改訂していたのだが、最終的にはすべての翻訳を退けて新約聖書については原語のギリシア語へと遡り、旧約聖書については七十人訳聖書ではなく原語のヘブライ語へと遡った。このヒエロニムスよりも以前のラテン語訳聖書は今日一括りにして古ラテン語聖書と呼ばれる。

4世紀になって、ウルフィラス311年? - 382年)は新約聖書をゴート語に翻訳。続いて5世紀にはメスロプ・マシュトツ361年 - 440年)によりアルメニア語訳の聖書が成立。また同じ時期にシリア語訳、コプト・エジプト語訳、ゲエズ語訳(古典エチオピア語訳)、グルジア語訳が成立している。

中世[編集]

中世を通じて、聖書翻訳の活動は衰退した。この時代はラテン語が西方教会の共通言語でありラテン語のウルガタが聖書の標準であるが、この言語が通じるのはごくわずかな教養人のみで、一般大衆には馴染みがない。多数の読み書きできない人たちは聖書に直接触れる機会はあまり無く、少数の教養人は新しい翻訳を求めなかった。

聖書は普通のものになりすぎてはいけない、すべての人に読まれるべきではない、安全に読むにはそれなりの学習が要求される、そういう確信のもとに何世紀もの時間が過ぎていくのだが、翻訳が行われなかった訳ではない。たとえばベーダ・ヴェネラビリス673年 - 735年)による「ヨハネによる福音書」の古英語への翻訳は現存していないものの有名である。古高ドイツ語の「マタイによる福音書」は748年のものとされ、古代教会スラヴ語への翻訳は9世紀末に行われた。

900年頃のアルフレッド大王849年 - 899年)が公布した法律の前文などには数々の聖句、例えばモーセの十戒モーセ五書などが引用されており、そうした聖句が民衆語に訳されていたことが覗われる。また990年頃、四つの福音書が西サクソン古英語方言で書かれており、これらは「ウェセックスゴスペルス」として知られている。

1199年にローマ教皇インノケンティウス3世1161年 - 1216年)は、カタリ派およびワルドー派を異教とし、非公認の聖書を禁止した。1234年にはトゥールーズフランス)およびタラゴナスペイン)の教会会議はそのような翻訳聖書の所持を禁じた。このようにヨーロッパの中世では民衆語(ヴァナキュラーな言語)への翻訳が抑圧された時代だとされているが、いくつかの民衆語翻訳は許されていたという証拠もある。

しかし、重要な中英語の聖書翻訳であるウィクリフの聖書(1383年)はウルガタに基づいていたが、1408年のオックスフォードの教会会議で禁書とされた。15世紀半ばにはハンガリーのフス派の聖書が、1478年にはバレンシアカタルーニャ語方言による翻訳が現れた。このように様々な民衆語への翻訳活動とそれに対する反動が14世紀から15世紀にかけて現れる。

民衆語翻訳に反対する立場に従えば、ラテン語で1000年間十分うまくやってきたのに、新たな翻訳で聖書を台無しにしてしまうことが問題とされた。霊感を受けてウルガタを訳した ヒエロニムスは聖なる翻訳者であり、ウルガタ自体が正典化されていたのである。ヒエロニムスの翻訳を批判することは不敬罪と冒涜に値し、原典テキストへの批判と同等であるとみなされた。このようにウルガタは他の翻訳を排除するための拠り所とされてきたのである。

15世紀の文芸復興で古典と古典語研究が流行し、批判的かつ厳密なギリシャ語学が再び日の目を見た。加えて持ち運び可能な活版印刷の発明が、原語のギリシャ語聖書を広く流布させることに貢献した。グーテンベルクが最初の仕事としてラテン語ウルガタ聖書を印刷したのは1455年のことである。エラスムスや人文学者達はウルガタ聖書への評価を見直し、彼が校訂した原語のギリシャ語のテキストを出版して広めることで、ウルガタの正統性を揺さぶった。文芸復興と印刷機の発明が、各国で聖書翻訳の新たな機運を作りだしたのである。

宗教改革と初期近代[編集]

1521年マルチン・ルターはローマ教皇から破門されると、ワルトブルク城に匿われた。彼はそこで新約聖書をギリシャ語からドイツ語に翻訳し、それを1522年9月に印刷している(今日、ルター訳聖書と言われているものはその後に改訂を重ねた1534年の訳である)。また、ウィリアム・ティンダル1494年または1495年? - 1536年)は聖書の英語翻訳を志すが受け入れられず、イギリス国外で翻訳・印刷した英語訳聖書(1526年)をイギリス国内に送り込むのだが、捕らえられて死刑になる。また1531年には改革派にとって重要なチューリッヒ聖書が現れている。これらの聖書は宗教改革において重要な役割を果たした。カトリック教会でも1523年ルフェーヴル・デタープル1450年? - 1536年)の翻訳聖書が現れているがこれは基本的にウルガタに依存していた。

英語圏では、欽定訳聖書が1611年に成立するとこれが標準訳としての地位を確立した。ドイツではルター訳聖書が標準訳となり、両者とも近代英語と近代ドイツ語の成立に当たって深い影響を与えた。その他の言語の聖書翻訳の歴史については「翻訳の一覧」の項目を参照されたい。

新世界の言語への翻訳についてはイエズス会 の宣教活動が17世紀の翻訳活動の大部分を主導したが、その後はプロテスタントの宣教活動に徐々に取って代わられていくことになる。

プロテスタントの宣教と各国語への翻訳[編集]

1804年にイギリスで発足した英国外国聖書協会は、当初はウェールズ語の安価な聖書普及を目指していたが、すぐに規模と目的が急拡大した。類似組織と共に世界中に支社を作り、様々な言語への聖書翻訳と印刷・出版・配布の事業を行うようになったのである。「聖書は史上最大のベストセラー」という言い方がされる場合があるが、それはこの聖書協会が軍隊・病院・刑務所といった施設に聖書を大量に配布し、安価な値段で販売したことの結果である。ことに主導権をとったのは英国外国聖書協会アメリカ聖書協会であり、それぞれ19世紀と20世紀を代表する経済大国の聖書協会であるが、共に英語を使用する国家でもあることから、両世紀の聖書翻訳では英語翻訳が大きな影響力を世界中の他言語の翻訳に及ぼしていくことになる。たとえば、日本語訳聖書では明治元訳聖書が欽定訳聖書AV、大正改訳聖書がRV、口語訳聖書がRSV、共同訳聖書が動的等価翻訳理論を適用したTEBというように英語訳聖書に対応した改定が行われている。

また、20世紀後半以降にアメリカで勢力を増したファンダメンタリズムと福音主義の諸教派は聖書協会系の聖書を退け、聖書無誤謬の立場からNIVを翻訳し、これに準拠させる形で各国語への翻訳と配布を盛んに行っており、彼ら自身の主張によれば「世界で最も普及した聖書」となったという。

この項目に関しては「翻訳の一覧」および 英語訳聖書#現代の聖書翻訳も参照されたい。

カトリック系の聖書翻訳[編集]

宗教改革以降、聖書翻訳を推し進めていたプロテスタントに対してカトリック側も聖書翻訳を行うようになるのだが、ウルガタラテン語聖書からの翻訳という一線は常に守られていた。たとえば、1582年のドゥエ・ランス訳(英語訳聖書を参照)はウルガタからの翻訳である。

1943年になってローマ教皇ピウス12世回勅「ディヴィノ・アフランテ・スピリトゥ」(Divino Afflante Spiritu)を出し、原語のヘブライ語やギリシア語のから聖書翻訳行うことを促した。こうして、ようやくギリシャ語・ヘブライ語からの各国語聖書翻訳が開始されることになる。一番有名なのは エルサレム・フランス聖書考古学学院を中心にフランス語圏カトリック系研究者たちが総力をあげて翻訳したエルサレム聖書であろう。1948年から順次出版されて1956年に一冊にまとめられたものであり、豊かな注釈と解説を含むこの翻訳は学問的にも高く評価されて英語やドイツ語に重訳されたほどである。アメリカでは1970年にNew American Bible:NABが出版されて、これも高く評価された。また、日本ではフランシスコ会が原語から日本語への翻訳を行い、これは「フランシスコ会訳」という名前で知られている(1978年に完成)。カトリック側からこうした本格的な聖書翻訳が現れるようになり、共同訳事業が始まるようになるのである。

正教会の聖書翻訳[編集]

共同訳聖書[編集]

1962年から1965年にかけて行われた第2バチカン公会議はカトリック教会の進む方向を大きく転換させた会議であるが、その中では聖書研究の重要性が強調され、各国語への翻訳が推奨され、さらに エキュメニズム(教会帰一運動)への取り組みが確認された。これを受けて、世界各国でプロテスタントとカトリック教会の共同訳聖書事業が始まることになる。

もっとも、早いものはフランスにおいて行われたTOB:Traduction Oecumenique de la Bible であり、第2バチカン公会議より先行して着手されていた。総勢113人の学者が動員されて翻訳に当たった。正教会からの参加者もいたが、正教会はこの翻訳を正式に採用はしていない。日本では1978年の「共同訳聖書」とその翻訳をやり直した1987年の新共同訳聖書がこれに該当する。イギリスでも1989年のRevised English Bible:REBにカトリック教会から公式のメンバーが参加しており、共同訳に近づいている。アメリカではやはり1989年のNew Revised Standard Version:NRSVにカトリックから数名、正教会、ユダヤ教から各1名のメンバーが参加しているが、共同訳というところまでは至っていない。

翻訳の一覧[編集]

様々な言語への聖書翻訳についてのリストを言語名のアルファベット順で示す。いくつかの言語については同じフレーズがどのように翻訳されるのか表にして示しておいた。

アフリカーンス語[編集]

南アフリカ聖書協会であるBybelgenootskap van Suid Afrikaによって1933年、聖書のアフリカーンス語訳が行われ、更に1953年に翻訳修正が施された。

Gen 1:1-3 in Afrikaans
アフリカーンス語訳 Gen. 1:1-3
旧約聖書 In die begin het God die hemel en die aarde geskape. En die aarde was woes en leeg, en duisternis was op die wêreldvloed, en die Gees van God het gesweef op die waters. En God het gesê: Laat daar lig wees! En daar was lig.

アラビア語[編集]

10世紀サアディア・ガオン( Saadia Gaon)は、長い注解を施したタナハのアラビア語翻訳Tafsirをヘブライ文字(Judeo-Arabic)で執筆した。多くの注解は失われたが、訳文はそのまま残った。そして、イエメンユダヤ教の典礼にも用いられた。そこのシナゴーグではトーラ(モーセ五書)はヘブライ語で朗読された後に2度翻訳されて読まれるのである。最初がアラム語のタルグームであり、次がサアディアのTafsirであった。

1671年カトリック教会は聖書全巻の出版を行った。この翻訳はダマスカス大司教en:Sergius Risiが監修し、en:Francis Britiusが翻訳を手伝った。

もっともポピュラーな翻訳は「ヴァン・ダイク版(Van Dyck Version)」であり、シリア宣教会とアメリカ聖書協会が財政支援した。これはエリ・スミス1801年 - 1857年)の着想による翻訳事業であり、1847年ベイルートを中心にして開始された。エリ・スミスの死後、コルネリウス・ファン・アレン・ファン・ダイク(en:Cornelius Van Allen Van Dyck)の監修で完成した。en:Nasif al Yazijien:Boutros al Bustaniなどが関わっている。こうして新約聖書は1860年3月9日に完成を迎え、1865年3月10日金曜日タナハすなわち旧約聖書もこれに続いた。この年からおよそ一千万部にも及ぶ聖書が配られ、コプト教会およびプロテスタントで使われていった。この翻訳は欽定訳聖書と同じくテクストゥス・レセプトゥスを主な底本とし、翻訳の文体的なスタイルも欽定訳聖書に倣った。

1973年国際聖書協会は新しい翻訳に着手する。この計画は「the Arabic Life Application Bible」と名付けられた。Injiが1982年に出て、聖書全体は1988年に完成した。

1992年になるとできる限りの分りやすさを目論んだ動的等価翻訳であるアラビア語現代訳(Today's Arabic Version)が聖書協会から出版された。これは英語のen:Good News Translationに相当している訳である。

なお、アラビア語聖書において「神」は、「アッラーフ」である。

The Old Testament, Van Dyck Version

The Injil (New Testament), Van Dyck Version

Arabic Life Application Bible

アゼルバイジャン語[編集]

アゼルバイジャン語による初の翻訳は分冊で1842年に出版された。新約聖書として完成されたものは1878年に出版され、1891年になり漸く新旧含めた聖書全体の翻訳が日の目を見ることとなった。1982年ロシアの聖書翻訳協会が改訂版を出しており、これが現在アゼルバイジャン内で使われている。イランのアゼルバイジャン使用者は、それとは少し異なる翻訳に従っている。

A Comparison of Matthew 6:9-13 in Azeri Translations
Translation Mt 6:9-13
Institute for Bible Translation, 1982 (commonly used in Azerbaijan) Ey göylərdə olan Atamız! Adın müqəddəs tutulsun. Səltənətin gəlsin. Göydə olduğu kimi, Yerdə də Sənin iradən olsun. Gündəlik çörəyimizi bizə bu gün ver; Və bizə borclu olanları bağışladığımız kimi, Bizim borclarımızı da bağışla; Və bizi imtahana çəkmə, Lakin bizi şərdən xilas et. Çünki səltənət, qüdrət və izzə Əbədi olaraq Sənindir. Amin.
Unknown translation (commonly used in Iran) Ey göylərdə olan Atamız! Sənin adın müqəddəs olsun. Səltənətin gəlsin. Sənin iradən Göydə olduğu kimi, Yerdə də olsun. Gündəlik çörəyimizi bu gün bizə ver; Və bizim borclarımızı bizə bağışla, Necə ki, biz də bizə borclu olanları bağışlayırıq; Bizi imtahana çəkmə, Lakin şərdən xilas et. Çünki səltənət, qüdrət və izzə Əbədə kimi Sənindir. Amin.

外部リンク

カタロニア語[編集]

中世から19世紀まで

カタロニア語への聖書全体の最初の翻訳は1287年1290年の間に行われた。それはアラゴン王国国王、アルフォンソ2世によってJaume de Montjuichに委ねられた事業であった。この翻訳の遺稿は現在パリの国立図書館 (Bibliothèque Nationale)で見ることができる。また、この図書館にはカタロニア語への別翻訳、それはアラゴン王国国王、ハイメ2世1267年-1327年)へ1319年11月23日に献納されたものも見ることができる。

15世紀初頭になると、Bonifaci Ferrer(1350年 - 1417年)による別の翻訳が現れる。1490年にはJoan Roís de Corellaによる詩篇が出た。Bonifaci Ferrer によるカタロニア語訳聖書は1478年に印刷されたが、これは英語やスペイン語による印刷よりも早い。

聖書の現地語翻訳がスペインや他国で禁止されたことと、カタロニア語がいったん衰退して19世紀まで復活しなかったことから16世紀から19世紀にかけてのカタロニア語の聖書翻訳はない。

1832年、ロンドンに亡命していたカタロニア人J.M. Prat Colomが英国外国聖書協会の支援を受けて新約聖書(Lo Nou Testament de nostre Senyor Jesu-Christ)を翻訳する。これはその後バルセロナとマドリッドでそれぞれ 1836年1888年に出版された。

20世紀以降

20世紀になると多くの訳がカトリックとプロテスタントの双方から出てきた。

カトリックの翻訳

  • 1948年、Fundació Bíblica CatalanaによるBíblia de Cambó 1927年開始
  • 1968年、Bíblia de Cambó 第2版
  • 1970年、モントセラト修道院による『モントセラト修道院聖書』Bíblia dels Monjos de Montserrat

プロテスタントの翻訳

  • 1988年、『新約聖書』(Nou Testament) カタルニア聖書福音協会(Institució Bíblica Evangèlica de Catalunya)
  • 2000年、『カタルニア福音聖書』Bíblia Evangèlica Catalanaあるいは『2000年聖書』カタルニア聖書福音協会(Institució Bíblica Evangèlica de Catalunya)(翻訳者Pau Sais and Samuel Sais) BEC

共同訳

カトリックとプロテスタントが共同で聖書を作成したケースは滅多にないが2つの版が存在する。第二聖典を含むカトリック版と、それを外典として含まないプロテスタント版である。

  • 1993年、『共同訳カタロニア聖書』Bíblia Catalana Interconfessional カタロニア聖書協会、Editorial Claret、Societats Bíbliques Unides

BCI

Catalan Translation Biblical Text in Catalan
Gen 1:1-3 (BCI) Al principi, Déu va crear el cel i la terra. La terra era caòtica i desolada, les tenebres cobrien la superfície de l'oceà, i l'Esperit de Déu planava sobre les aigües. Déu digué: -Que existeixi la llum. I la llum va existir.
Gen 1:1-3 (BEC) En el principi, Déu va crear el cel i la terra. La terra era caòtica i desolada, les te­nebres cobrien la superfície de l'abis­me i l'esperit de Déu planava per da­munt les aigües. I Déu digué: “Que hi hagi llum”; i hi hagué llum.
John 3:16 (BCI) Déu ha estimat tant el món que ha donat el seu Fill únic perquè no es perdi cap dels qui creuen en ell, sinó que tinguin vida eterna.
John 3:16 (BEC) Ja que Déu ha estimat tant el món, que ha donat el seu Fill únic perquè tot el qui creu en ell no es perdi, sinó que tingui vida eterna.

中国語[編集]

中国語聖書に関しては、7世紀にネストリウス派のキリスト教(景教)が伝わり流行したと伝えられているので、聖書翻訳も行われたものと推測はされるものの、聖句の断片的な翻訳しか残っていない。

16世紀に入ると、カトリック宣教師たちが日本に次いで中国布教に乗り出すのだが日本と同様に最終的には禁教されてしまう。その迫害の最中にパリ外国宣教会のジャン・バセJean Basset,MEPによって翻訳が試みられ、1737年に4福音書および使徒行伝からヘブル書第一章までが『四史攸編』として執筆された。しかしこうした事業は久しく忘れられていた。

19世紀よりプロテスタント諸教会による海外宣教が盛んになり、聖書の漢文訳が試みられる。新約聖書の全訳はロバート・モリソンRobert Morrison,LMSによって行われ、1813年に『新遺詔書』全8冊として広東より出版された。これに引き続きモリソンはウィリアム・ミルンWilliam Milne,LMSの助けを得て旧約聖書を『旧遺詔書』として1823年にマラッカから出版。上記二つを合わせて『神天聖書』全21冊(マラッカ、1823年)とした。

その後、宣教師会議によって改訳作業が行われたが訳語をめぐって会議が分裂。イギリスのメドハーストやストロナックは1852年に『新約全書』、1854年に『旧約全書』を出版した。これは代表者訳Delegate Versionあるいは文理訳Wenri Versionと呼ばれている。これに対してアメリカのブーンやブリッジマンE.C.Bridgman,ABCFMそしてカルバートソンM.S.Culbertson,PNは独自の改訳を行い1861年に『新約全書』、1863年に『旧約全書』を米国聖書協会の手で上海から出版した。

宣教会議のこの分裂は主にTheosを「上帝」と訳すか「神」と訳すかで紛糾したことに端を発している。漢文の「神」では自然界の不思議な力を持つ精霊の類を含んでしまい、一神教の最高存在を示す言葉としては相応しくない。その一方で「上帝」は中国古来の存在であり、皇帝は上帝を祭る祭壇(天壇)で毎年冬至の日に儀式を営んでいた。カトリック宣教時代にはこうした儀式を「市民的慣習」とみるか異教の典礼とみるかで「典礼問題」が発生し、カトリックでは最終的に「天主」という訳語があてられたという経緯もある。『神天聖書』やブリッジマンの改訳聖書では「神」を、代表者訳では「上帝」が採用されている。この訳語問題は、その後も尾を引いたが、プロテスタントでも「天主」という訳語を採用するケースが増えているという。なお、日本へやってきたプロテスタント宣教師たちは「神」と訳したブリッジマンの改訳を参照して日本語訳を行ったので、日本のキリスト教会はその後一貫してTheosは「神」である。

清朝崩壊後のカトリックの聖書翻訳は、当時まだ若かったフランシスコ会の修道士ガブリエル・アレグラによって1935年に開始された。彼はヘブライ語およびアラム語による原語から旧約聖書の翻訳を開始し、それから10年経過した頃、北京において Frs Solanus Lee OFM, Antonius Lee OFM, Frs Bernardinus Lee OFM and Ludovicus Liu OFMの募集を行った。その後、中国は国共内戦が勃発。このため1948年、修道士は香港のStudium Biblicumを動かすこととなる。こうして20年の努力を経て1954年にようやく初の旧約聖書が出版された。また、1968年には旧約と新約を1冊にまとめた聖書が出版された。

現在の中国のプロテスタント教会でもっとも普及している版は和合本と呼ばれる翻訳である。20世紀の間に数多くの中国語訳聖書が出版されたが、現在香港と台湾では繁体字の和合本、中国では簡体字に再編集された和合本が最も広く使われている。中国のカトリック教会で最近もっとも使われるようになったのは、1999年に翻訳が完了した牧霊聖経で、思高聖経に取って代わっている。

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クロアチア語[編集]

初の完成された翻訳はイエズス会 Kasićによる稿であった。しかしこの翻訳原稿は1622年から1637年にかけて行われたものであったが2000年になるまで出版されることはなかった。出版物として最初のクロアチア語訳聖書とされるものはフランシスコ会 Matija Petar Katančićによって1831年に発表されたものとなる。その後、いくつかの翻訳本が出され、もっとも広く受け入れられるようになったものが1968年に出されたいわゆる現代クロアチア語訳である。これは「ザグレブ聖書」(英語:Zagreb Bible)と呼ばれ、「エルサレム聖書」を部分的に下地として作られたものである。

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チェコ語[編集]

1360年ラテン語ウルガータを元にチェコ語への聖書全体の翻訳が初めて行われ、「ドレスデン聖書」と呼ばれた。この翻訳の写本は第一次世界大戦の間に失われてしまったが、これに続く他の多くのチェコ語訳は、このドレスデン聖書を踏襲して行われることとなった。なお、言語学的な観点から、それらは異なる編集で分類されている。最新の翻訳が出版された。

1487年に、最初のチェコ語の新約聖書「Dlabačの新約聖書」が出版された。彼は最初に1488年年から完全な聖書「プラハの聖書」を印刷した。1501年以前に印刷されたもう1つのチェコ語聖書は、「Kutná Hora聖書」であり、1489年に印刷された。

これら全てのチェコ語訳聖書はウルガータから翻訳された。

原語からの最初のチェコ語 への翻訳はクラリッス聖書である。翻訳は同胞和合によって行われ、1579年、に出版された。1613年、からの第3版は古典として見なされており、最も使用されているチェコ語訳聖書である。

オランダ語[編集]

ヘブライ語およびギリシア語の資料から直接オランダ語へ翻訳された最初のものは国訳聖書(Statenvertaling)である。1618年から1619年ドルトレヒト会議においてオランダ議会から命ぜられ、1637年に初版が発行された。すぐにこれはオランダの改革派教会に総じて受け入れられた翻訳となり、20世紀に至るまでその地位は続いた。1951年のオランダ聖書協会(NBG)の翻訳によってかなりの程度取って代わられたものの、この翻訳においても依然として古風な言語が用いられている。

現代語訳としては Groot Nieuws Bijbel、国際聖書協会の Het Boek、ローマ・カトリックのWillibrordvertalingなどがある。2004年に、共同訳としてNBV(Nieuwe Bijbelvertaling)が出て聖職者と一般家庭用を目指したものの、不正確な訳であると批判されている。

同時期には、たとえば2004年のNaarden translationや、1991年から続いているAlbert Kosterの旧約聖書や、Societas Hebraica Amstelodamensisのモーセ五書の翻訳など、文学的な個人訳が多く出版されている。

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英語[編集]

エスペラント[編集]

エスペラントの創始者であるルドヴィコ・ザメンホフ1859年 - 1917年)自身が旧約聖書全文のエスペラント訳を行っている。この翻訳を他の様々な言語の主要翻訳と細かく比較しているのがダグラス・B.グレガーD. B. GregorによるLa Esperanta traduko de la Malnova Testamentoという研究論文である。その後、英国の牧師や学者からなる委員会が結成され、新約聖書翻訳とザメンホフの旧約聖書のレビューを行い、イギリス聖書協会 (British and Foreign Bible Society) から出版されることになる。新約聖書1910年に、聖書全体は1926年に出版されて、これはエスペラント語で"Londona Biblio"(ロンドン聖書)と呼ばれている。"Londona Biblio"の最近の出版は2003年であり、Bervelingが訳したカトリック教会の第二正典(en:Deuterocanonical Books)も含まれている。(これについては次段も参照されたい。)

聖書学東洋学専攻のエスペラント組織、Internacia Asocio de Bibliistoj kaj Orientalistojが1960年代に新しい共同訳エスペラント聖書のための組織を作ろうとしたのだが、Gerrit Bervelingが訳した民数記が出版されたことで中止された。Berveling博士はオランダ自由教会の神学者・古典言語学者であり、新約聖書の大部分を新たに翻訳した。英語の改訳聖書(Revised Version,1881)と似た傾向を持つB&FBS 版の構文的な過剰文学表現を避けた訳である。彼の福音書は1992年にLa bona mesaĝo de Jesuo: laŭ X [X = Mateo, Marko, Luko, Johano]として出版され、2004年には新約聖書の最初の巻がLeteroj de Paŭlo kaj lia skoloと題されて出た。またローマ・カトリックの聖典の中に含まれている第二正典 (La duakanonaj libroj) を3巻本として出版し、第1巻と2巻はLondona Biblioの最新版に組み込まれている。

聖書の各巻や短い部分についての翻訳はこの他にも存在する。

エスペラントによる聖書の一覧
Brita kaj Alilanda Biblia Societo
Genezo 1:1-3 En la komenco kreis Dio la ĉielon kaj la teron. Kaj la tero estis senforma kaj dezerta, kaj mallumo estis super la abismo; kaj la spirito de Dio ŝvebis super la akvo. Kaj Dio diris: Estu lumo; kaj fariĝis lumo.
Johano 3:16 Ĉar Dio tiel amis la mondon, ke Li donis Sian solenaskitan Filon, por ke ĉiu, kiu fidas al li, ne pereu, sed havu eternan vivon.

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フィンランド語[編集]

初めて完成された新約聖書の翻訳はミカエル・アグリコラ1510年 - 1557年)による 「フィンランド語新約聖書」Se Wsi Testamenti Somexiであり、原語のギリシャ語に基づいて1548年に翻訳された。今日、アグリコラはフィンランドの文章語の父とされている。

聖書全体の最初の翻訳は「旧教会聖書」Vanha kirkkoraamattuと呼ばれているが正式にはBiblia, Se on: Coco Pyhä Ramattu Suomexiという。これはエリック・ロトヴィウスErik Rothovius司教率いる委員会によって1638年から1641年に訳され、1642年に出版された。1683年から1685年、に改訂されている (Florinus)。

その数世紀間にフィンランド語は書き言葉としても話し言葉としても発展し、平信徒にあっても読み書きは普通のものとなり、新しい版が必要となってきた。Biiblia もしくは「1776年聖書」Vuoden 1776 raamattuと呼ばれる聖書は1776年に出版された。聖職者だけでなく国民一般向けの最初の翻訳であり、現代フィンランド語で最初に書かれた翻訳である。1859年に改訂されているが「1776年聖書」は再生派 en:revival (en:Laestadianismや"Beseechers") とフィンランド福音ルター教会en:Evangelical Lutheran Church of Finlandで今日も使われている。新しい翻訳と異なりこの版はテクストゥス・レセプトゥスに基づいており、簡単に言ってしまえば欽定訳聖書と同じ位置を占めているのである。

20世紀初頭になって再び新しい翻訳が要求されるようになり翻訳委員会が1911年に設立された。準備が整ったのが1933年であり、1938年に聖書全体が出版された。この翻訳はしばしば「1938年教会聖書」Vuoden 1938 kirkkoraamattuと呼ばれている。フィンランド・ルター教会 によって訳され、ルター派で用いられている。「原語とフィンランド語で単語を1対1対応させる」という翻訳原則のために文章は大変に古風であり、時代遅れの方言も使っている。この1938年版は旧約聖書と第2聖典と新約聖書を含んでいる。

もっとも新しい公式なフィンランド語翻訳は1992年の「新教会聖書」Uusi kirkkoraamattuと呼ばれるものである。フィンランド初の共同訳であり、翻訳委員会にはフィンランド・ルター教会からだけではなく、研究者やフィンランド正教会、フィンランド・カトリック教会が参加し、すべてのキリスト教共同体で用いられることを目指した。この1992年版の翻訳原則は文脈を重視した翻訳である。逐語訳ではなく、文脈を可能な限り正確に翻訳しようとするものである。初版は旧約と新約の両聖書が含まれているだけだったが、2004年になって第2聖典も出た。

フィンランド語訳のなかでも公認されていないものにエホバの証人が用いている新世界訳聖書(フィンランド語:Uuden Maailman käännös)がある。この翻訳の原則は1938年の版から変わらず、可能な限り逐語訳であると主張している。ただし、新世界訳聖書はエホバの証人の独自の教義により不正確な部分があるとされる。キリストの神格に関する見解のようにキリスト教の根本教義を拒否することによって生じている自己流解釈からいくつもの間違いを新世界訳は含んでいるとされ、キリスト教界からは異端と見なされていることは注意すべきである。

Johanneksen evankeliumi 3:16
フィンランド語訳 Johannes 3:16
1776 Sillä niin on Jumala maailmaa rakastanut, että hän antoi ainoan Poikansa, että jokainen, joka uskoo hänen päällensä, ei pidä hukkuman, mutta ijankaikkisen elämän saaman.
1938 Sillä niin on Jumala maailmaa rakastanut, että hän antoi ainokaisen Poikansa, ettei yksikään, joka häneen uskoo, hukkuisi, vaan hänellä olisi iankaikkinen elämä.
1992 Jumala on rakastanut maailmaa niin paljon, että antoi ainoan Poikansa, jottei yksikään, joka häneen uskoo, joutuisi kadotukseen, vaan saisi iankaikkisen elämän.

フランス語[編集]

1530年ネーデルラントアントウェルペンにおいてジャック・ルフェーヴル・デタープル(1450年? - 1536年)が行ったものが印刷物として最初のフランス語訳聖書とされている。これはその後、大幅に手が加えられて1535年、ピエール・ロベール・オリヴェタンによって改訂、向上された。1550年にルーヴェンで出版されたこの聖書は更にフランス語訳のカトリック聖書における最初の基盤となった。Nicholas de Leuzeとフランソワ de Larben.の仕事である。最終的に、アントワーヌ・ Lemaistre とその兄弟、ルイ・Isaac Lemaistreによって用意され、1695年に完了したポール・ロワイヤル修道院版は、カトリックプロテスタントの双方の間で賛同を成し遂げた。ジャン・フレデリック・オスターヴァルド(1663年 - 1747年)の版(1724年)も同様に広範囲に渡る人気を享受している。

多くのフランス語圏のプロテスタントの人々は現在ルイ・スゴン版(1810年 - 1885年)を使用している。それは1880年に完成し、1975年と1978年に大きく改訂された。改訂版ルイ・スゴンはアメリカ聖書協会によって出版された。.

2000年、これ以外の現代フランス語訳聖書として「La Bible du Semeur」が完成した。これは、ルイ・スゴン以上に直訳ではない、思想を伝えようとする意訳で現代の言葉遣いが使用されている。これは国際聖書協会から出版されている。

カトリックの人々のあいだでは、最も注目すべき現代フランス語の翻訳は「エルサレム聖書」"La Bible de Jérusalem"である。これは英語で「エルサレム聖書」として利用可能である。これはフランス語で最初に1954年に登場し、1973年に改訂された。その豊富でありながら簡素な脚注と器具はプロテスタントとカトリック双方の読者の尊敬を勝ち得ている。この翻訳はフランス語と並んで多くの言語の翻訳の基本として供給されている。

フランスにおけるユダヤ人のための主なヘブライ語聖書は "La Bible du rabbinat français"である。これは1906年に完成され、1966年に改訂された。

また、エホバの証人により、1974年に『新世界訳聖書』が出版され、1995年に改訂された。

フランス語訳聖書に関する更に多くの情報はフランス語版ウィキペディアで利用可能である。

外部リンク

ドイツ語[編集]

ドイツ語への聖書翻訳においてもっとも大きな重要度と影響を持ったのは『ルター聖書』であった。マルティン・ルター1483年 - 1546年)の翻訳がドイツ語の発展に与えた影響は、しばしば、KJV(『ジェイムズ王欽定訳聖書』)が英語に対し与えた影響と比較される。ルター訳聖書は1986年の改訂を経て現在も使用されている。この改訂があったにもかかわらず、使われているドイツ語はなおどこか古風であり、それ故、ドイツ語翻訳聖書を使ってドイツ語を学ぼうと企図するネイティブ・スピーカーでない人にとっては、適切なテキストではない。

もう一つの翻訳は、カトリック教会の『Einheitsübersetzung』(統合または統一翻訳聖書)である。この翻訳は、ドイツ語を話すカトリックの全司教区で共通に使用される最初の翻訳聖書であるが故、このように呼ばれている。『統一訳聖書』の新約聖書と詩篇の訳文テクストは、ローマ・カトリックとプロテスタントの学者からなる委員会において合意されたもので、ローマ・カトリックとプロテスタントの双方の信徒による使用を意図したものである。とりわけエキュメニズム(普遍教会運動)での有益性が意図されている。その一方で、残りの旧約聖書の部分は、ローマ・カトリックの伝統に従った翻訳を意図している。しかし、ドイツのプロテスタント教会は、『統一訳聖書』の目下の改訂に対しては、協力の継続を拒否している。

現代訳としては新福音版 (Neue Evangelische Übertragung) と呼ばれるものがある。この翻訳プロジェクトはカール・ハインツ・ファンハイデンによって主導されており、彼の翻訳が彼のウェブサイトにMSワードのファイル形式で一般公開され、訂正や修正提案がオープンに呼びかけられている。この新福音版が目指すところは、非キリスト教徒にも理解できる聖書を作るということであり、言葉の明快さに重きを置いている。これまでのところ、新約聖書が完成し、旧約聖書が翻訳されている最中である。

他によく知られたドイツ語聖書としては、Zurcher聖書、エルバーフェルダーElberfelder、シュラクターSchlachter、ブバー‐ローゼンウィッヒBuber-Rosenzweig(旧約のみ)、パトロッホPattloch、ヘルダーHerder、「全ての希望」Hoffnung fur Alle、「良い知らせ」Die Gute Nachricht、その改訂版のGute Nachricht Bibelなどがある。

Johannes 3:16
ドイツ語訳 Johannes 3:16
Luther Also hat Gott die Welt geliebt, daß er seinen eingeborenen Sohn gab, auf daß alle, die an ihn glauben, nicht verloren werden, sondern das ewige Leben haben.
Einheitsübersetzung Denn Gott hat die Welt so sehr geliebt, daß er seinen einzigen Sohn hingab, damit jeder, der an ihn glaubt, nicht zugrunde geht, sondern das ewige Leben hat.
Neue Evangelische Übertragung Denn so hat Gott der Welt seine Liebe gezeigt: Er gab seinen einzigen Sohn dafür, dass jeder, der an ihn glaubt, nicht zugrunde geht, sondern ewiges Leben hat.
Gute Nachricht Bibel Gott hat die Menschen so sehr geliebt, dass er seinen einzigen Sohn hergab. Nun werden alle, die sich auf den Sohn Gottes verlassen, nicht zugrunde gehen, sondern ewig leben.

ゴート語[編集]

ゴート語への唯一の聖書翻訳は司教Ulfilasによって行われ、1つの手書きの複写が保護されている。それはCodex Argenteusとして知られている。

ギリシャ語 (現代)[編集]

1901年Alexandros Pallis現代ギリシャ語福音書を翻訳した。新聞での出版はアテネで暴動を引き起こした。これはエヴァンゲリカとして知られている。(Ευαγγελικά)

ガラ語[編集]

ガラ語とはアメリカ大西洋岸の砂州に居住する、いわゆるガラ人の使用する英語方言クレオール言語である。

翻訳活動はパット・シャープ、クラウド・シャープの助力の下、Penn Centerのガラ語話者らとともに1979年に始まった。2002年にパット・シャープが亡くなり、その後をデビッド・フランク、リン・フランクが引継いだ。福音書は優先して発表され、「ルカによる福音書」と「ヨハネによる福音書」はそれぞれ1995年2003年に世に出された。新約聖書としては2005年、公開に到った。

John 3:16 in Gullah
翻訳 John 3:16
De Nyew Testament Cause God lobe all de people een de wol so much dat e gii we e onliest Son. God sen we um so dat ebrybody wa bleebe on um ain gwine ded. Dey gwine libe fa true faeba mo.

参考文献とリンク

ハワイ語[編集]

1800年代初頭、ハワイ語への翻訳がニュー・イングランドキリスト教宣教会とヒラム・ビンガム師en:Hiram Binghamによって行われている。四福音書1828年に翻訳され、残りの新約聖書1832年旧約聖書1839年に翻訳された。1868年には改訂されている。ハワイアン・ピジンへの新約聖書翻訳はDa Jesus Bookと題されてウィクリフ聖書翻訳社en:Wycliffe Bible Translatorsから2000年に出版された。

外部リンク

参照 この節の記述についてはアメリカ聖書協会 (en:American Bible Society) のライブラリーサービス主任であるジャックリン・ソフィーJacquelyn Sapiieから多くを得ている(2004年1月14日)。

ハンガリー語[編集]

ハンガリー語への最初期の有意味な翻訳は以下の通り。

ハンガリー語でのヨハネによる福音書3:16

ハンガリー語訳 János 3,16
カーロリによる翻訳 Mert úgy szerette Isten e világot, hogy az ő egyszülött Fiát adta, hogy valaki hiszen ő benne, el ne vesszen, hanem örök élete legyen.
Magyar Bibliatársulat új fordítású Bibliája
(ハンガリー聖書協会(プロテスタント)による新しい翻訳)
Mert úgy szerette Isten a világot, hogy egyszülött Fiát adta, hogy aki hisz őbenne, el ne vesszen, hanem örök élete legyen.
Szent István Társulati Biblia
聖イシュトヴァーン協会による聖書(カトリック)
Mert úgy szerette Isten a világot, hogy egyszülött Fiát adta oda, hogy aki hisz benne, az el ne vesszen, hanem örökké éljen.
Szent Jeromos Bibliatársulat
聖なる聖書協会による翻訳(カトリック、カールディの翻訳およびNova Vulgataを基礎としている)
Mert úgy szerette Isten a világot, hogy egyszülött Fiát adta, hogy mindaz, aki őbenne hisz, el ne vesszen, hanem örök élete legyen.

参考文献と外部リンク

アイスランド語[編集]

1540年、新約聖書がアイスランド語で印刷された最初の本だった。それはOddur Gottskálksson(父親はノルウェイ人)によって翻訳され出版された。その44年後、完全な聖書がHólarでのプロテスタントの主教Guðbrandur Þorlákssonの御陰でアイスランド語で印刷された。現在のアイスランド語聖書の出版社はアイスランド聖書協会である。

An example from the Icelandic Bible
翻訳 John 3:16
Hið ísl. Biblíufélag, 1981 Því svo elskaði Guð heiminn, að hann gaf son sinn eingetinn, til þess að hver sem á hann trúir glatist ekki, heldur hafi eilíft líf.

アイルランド語[編集]

新約聖書の最初のアイルランド語翻訳はオソリen:Ossoryの司教であるニコラス・ウォルシュen:Nicholas Walshによって始められたが、1585年に折悪しく死亡してしまった。助手であったジョン・カーニーen:John KearnyとツアムTuamの大司教であったネヘミア・ドネランen:Nehemiah Donellan博士とが訳業を続け、ドネランの後を継いでツアムの大司教になったウィリアム・オッドムニュイルen:William O'Domhnuillが完成した。彼らの訳は1602年に印刷されている。

旧約聖書についてはキルモアen:Kilmoreの司教ウィリアム・ベベルen:William Bedell1571年 - 1642年)が取りかかり、チャールズ1世の治世下で翻訳を完了したものの実際に出版されたのは1680年のことであり、それはダブリン大司教のナルシスス・マーシュen:Narcissus Marsh(1638年 - 1713年)による改訂版であった。

イタリア語[編集]

イタリア語に翻訳された聖書は1471年に印刷が行われ、これが初となった。この翻訳聖書はマレルミ (Malermi) と呼ばれ、ウルガタ(標準ラテン語訳聖書)を訳したものである。

日本語[編集]

キリシタン時代の1613年頃までには京都で新約聖書全体がイエズス会の手によって出版されたことが確認されているが、この「キリシタン版日本語訳新約聖書」は現存していない。

19世紀にプロテスタント宣教師たちが日本宣教の準備として日本国外で聖書の和訳を始めている。カール・ギュツラフ (Karl Friedrich Augustus Gutzlaff, LMS) はマカオにて漂流民音吉らの協力のもと、漢訳『神天聖書』を参照しながら『約翰(ヨハネ)福音之伝』を1837年に訳し、琉球王国で強引に布教を始めたバーナード・ジャン・ベッテルハイム (Bernard J.Bettelheim) は追放後に1855年に琉球語のルカ福音書、ヨハネ福音書、使徒行伝、ローマ書を香港で出版した。

1858年に日本が開国されると禁教にもかかわらず宣教師たちが来日し、聖書翻訳を継続する。もっとも有名なのは1872年のJ・C・ヘボン (James Curtis Hepburn, PN) とS・R・ブラウン (Samuel Robbins Brown, RCA) らによる『新約聖書馬可(マルコ)伝』『新約聖書約翰(ヨハネ)伝』『新約聖書馬太(マタイ)伝』である。ブリッジマンとカルバートソンの漢訳『新約全書』1861を日本人補佐に訓読させて、それに英語の欽定訳聖書を参照しながら手を入れるという方式をとったものと推定されている。

ヘボンの事業は日本在留ミッションの共同翻訳事業に引き継がれ、改めてギリシャ語と欽定訳英文聖書から翻訳されて1880年に『新約全書』が完成。1887年には『旧約聖書』も完成した。これを明治元訳と呼ぶ。独特の和漢混交体でその評価は分かれる。すぐに改訳の声があがり、ネストレ校訂版のギリシャ語を底本として英語訳の改正訳 (RV: Revised Version) を参照しながら、1917年に『改訳 新約聖書』が完成。現在、日本語で文語訳聖書として引用されるのはほぼ、この大正改訳と呼ばれる版でありキリスト教信者以外の多くの人にも親しまれ日本語の中に入った成句も数多い。戦後になると英語のRSV: Revised Standard Revisionを参照した口語訳聖書が発行されるが(新約が1954年、旧約が1955年)、これは文体の問題から批判が相次いだ。

福音派は、口語訳聖書の翻訳が自由主義神学の影響からイエス・キリストの神性を否定しているとし、日本聖書協会に抗議したが聞き入れられなかった[6] [7][8] 。そのためプロテスタント聖書信仰の教派は口語訳に否定的であり、聖書信仰の学者による翻訳を出すことになった[9]1959年日本宣教百年記念聖書信仰運動1960年日本プロテスタント聖書信仰同盟の結成が『新改訳聖書』の発行につながったのである[10]。新約聖書は1965年に出版され、1970年には旧約聖書も出版された。現在、聖書信仰の教会で広く使われている。

以上はプロテスタントによる翻訳であるが、カトリック教会ではヴルガタ・ラテン語聖書を元にラゲEmile Raguet,MEPが新約聖書の翻訳を行い(1910年に出版)事実上日本カトリック教会の標準訳として扱われた。また1957年と1964年にバルバロFederico Barbaroが口語訳の新約聖書と旧約聖書を出版した。また、フランス語のエルサレム聖書に範をとってフランシスコ会が1978年にフランシスコ会訳聖書を完成している。

正教会では大主教ニコライと中井木菟麿(つぐまろ)により独自に翻訳が行われ、『我主イイススハリストスノ 新約』を日本正教会翻訳として1901年に出版している。

1962 - 65年の第2バチカン公会議でカトリック教会がエキュメニズムの推進を打ち出したことから各国で聖書の共同翻訳事業が開始されたが、日本においてもプロテスタント諸教会とカトリック教会が共同翻訳委員会を結成し、1978年に『共同訳 新約聖書』を出版したが批判が相次いだために、再翻訳が行われ『新共同訳 聖書』が1987年に出版した。他にも多くの個人訳や組織訳が存在する。

日本語の翻訳 日本語の聖書本文
ヨハネ 1:1-2 (ギュツラフ訳) ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトトモニゴザル、コノカシコイモノワゴクラク。ハジマリニ コノカシコイモノ ゴクラクトトモニゴザル。
ヨハネ 1:1-2 (ベッテルハイム訳) はじめに かしこいものあり かしこいものハ 神と ともにいます かしこいものハすなわち神
ヨハネ 1:1-4 (ヘボン1872年訳) 元始(はじめ)に言霊(ことだま)あり 言霊は神とともにあり 言霊ハ神なり。この言霊ハはじめに神とともにあり。よろづのものこれにてなれり なりしものハこれにあらでひとつとしてなりしものハなし。これに生(いのち)ありし いのちは人のひかりなりし。
ヨハネ 1:3 (明治元訳) 万物(よろづのもの)これに由(より)て造(つく)らる造(つくら)れたる者に一つとして之に由(よ)らで造られしは無(なし)
ヨハネ 1:1-3 (大正改訳) 太初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神と偕(とも)にあり、言(ことば)は神なりき。この言(ことば)は太初(はじめ)に神とともに在(あ)り、萬(よろづ)の物これに由(よ)りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。
ヨハネ 1:1-3 (バルバロ訳) はじめにみことばがあった。みことばは神とともにあった。みことばは神であった。かれは、はじめに神とともにあり、万物はかれによってつくられた。つくられた物のうち、一つとしてかれによらずつくられたものはない。
ヨハネ 1:1-3 (フランシスコ会訳) 初めにみ言葉があった。/み言葉は神と共にあった。/み言葉は神であった。/み言葉は初めに神と共にあった。/すべてのものは、み言葉によってできた。/できたもので、み言葉によらずに/できたものは、何一つなかった。
ヨハネ 1:1-3 (口語訳) 初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言(ことば)は神であった。この言(ことば)は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
ヨハネ 1:1-3 (新共同訳) 初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言(ことば)は神であった。この言(ことば)は、初めに神と共にあった。万物は言(ことば)によって成った、成ったもので、言(ことば)によらず成ったものは何一つなかった。
ヨハネ 1:1-4 (新世界訳) 初めに言葉がおり,言葉は神と共におり,言葉は神であった。この方は初めに神と共にいた。すべてのものは彼を通して存在するようになり,彼を離れて存在するようになったものは一つもない。彼によって存在するようになったものは命であり,命は人の光であった。


参考文献

  • 海老澤有道『日本の聖書 聖書和訳の歴史』講談社学術文庫ISBN4-06-158906-7
  • 鈴木範久『聖書の日本語 翻訳の歴史』岩波書店ISBN4-00-02366-4
  • 田川建三『書物としての新約聖書』勁草書房ISBN4-326-10113-X

ノルマン語ジャージー方言[編集]

聖書全体はまだジャージー島ノルマン語に翻訳されていない。しかし幾つかの節だけは訳されている。

John 3:16 in Jèrriais
Jèrriais Translation Jean 3:16
Lé Nouvieau Testament Car Dgieu aimait tant l'monde qu'i' donnit san seul Fis, à seule fîn qu'touos les cheins tchi craient en li n'péthissent pon, mais qu'il aient la vie êtèrnelle.

クリンゴン語[編集]

聖書の一部はSFテレビドラマスター・トレック』シリーズに登場する宇宙人、クリンゴン人が使用する人工言語クリンゴン語にも翻訳された。

ヨハネ 3:16: toH qo' muSHa'pu'qu'mo' JoH'a', wa' puqloDDaj nobpu' ghaH 'ej ghaHbaq Harchugh vay', vaj not Hegh ghaH, 'ach yIn jub ghajbeH ghaH.

クリンゴン語訳聖書プロジェクト

朝鮮語[編集]

旧訳聖経全書(1911)の改訂。旧約聖経(1936)と新約聖経(1938)からなる。
改訂版の「改訳改訂版」が登場するまで韓国プロテスタント教会に広く使われた翻訳)
  • 共同翻訳聖書 (1977)
  • 共同翻訳 平壌校訂本 (1984)
  • 韓国天主教会200周年記念聖書
  • 改訳改訂版 (1998)
  • 共同翻訳 改訂版 (1999)
  • 新世界訳聖書 (1999)
  • 聖経(韓国カトリック司教会議) (2005)

1866年大同江に沿って平壌に入ろうとしたので、ジェネラル・シャーマンという名のアメリカの商業船は沈められた。これはジェネラル・シャーマン号事件と呼ばれている。韓国に派遣された英国信徒教会からプロテスタントのロバート・トーマスという名の若い青年宣教師を含めて、船上の全ての船員は戦闘において死亡した。彼は何とか岸に着くことが出来た。彼は中国語に翻訳された聖書を持っていて、彼はそれを死亡する前に韓国の兵士達に手渡した。だが、これは漢文による聖書で、朝鮮語による聖書の翻訳はスコットランド長老会の宣教師ジョン・ロス(John Ross)が満州で出会った朝鮮人青年徐相崙(ソサンリュン)と協力して翻訳した예수 셩교젼셔(イエス聖敎全書)が初めてである。当時朝鮮は厳しい鎖国政策をとっていたため、外国人宣教師の入国はゆるされず、 ロスは満州で徐に福音をつたえ、徐はロスに朝鮮語を教えながら協力し聖書の翻訳を始めた。この本は平安道方言による翻訳であること、また、朝鮮国外で先に翻訳されたことが特徴である。後でソウル方言による翻訳も出版された。[11]

ラテン語[編集]

初期教会の時代には、断片的なラテン語翻訳が多数存在した。これらの断片訳は総称的に「古ラテン語訳(Vetus Latina)」として知られる。旧約聖書に関しては、ギリシア語訳である『七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)』が親しまれており、日常的に参照された。またヘブライ語の「マソラ本文」(Masoretic Text)からセプトゥアギンタに類似させた異本が作成された。これらの古い訳はみな、ヘブライ語あるいはギリシア語のほぼ逐語的な訳であり、元の言語の文章構造に大きく依存していた。こうした古い訳の可読性や翻訳の質には大きな幅があり、また慣用表現の訳し間違いが多かった。一部の間違いは翻訳者に起因するもので、またギリシア語の慣用表現をラテン語に直訳したためにおこる誤謬もあった。

これらの古い訳本はすべて、聖ヒエロニムス(ヒエロニュモス)の『ウルガータ』版聖書の登場と共に廃れていった。ヒエロニムスはヘブライ語を知っており、当時流布していたラテン語聖書の訳文を、彼が理解した限りでのヘブライ語原文に適合する形に改訂し、纏め上げた。しかし、礼拝用(or 典礼用 liturgical)の『詩篇』には、しばしば古いラテン語訳聖書のものが使われた。

『ウルガータ』の項目で議論されている通り、ウルガータには幾つかの異なる翻訳版がある。クレメンスのウルガータ、シュトゥットガルトのウルガータ、新ウルガータ(Nova Vulgata)である。このように複数の版があるのは、ウルガータを改訂し現代化しようとする、あるいはヒエロニムスの本来のウルガータを復元しようとする、様々な試みの存在を示している。

プロテスタントによる宗教改革において、カルヴァンと親しい人文学者テオドール・ド・ベーズは、旧約聖書アポクリファ(聖書外典)、新約聖書のそれぞれについて新たなラテン語訳を作り出した。しかしプロテスタントのあいだでのラテン語訳聖書への需要は着実に減少して行き、ベーズの翻訳が広く流通することは一度もなかった。とはいえ、多数の聖書解釈学的脚注のあるベーズの訳本は、著名なジュネーヴ聖書の翻訳に影響を与えた。

Secundum Ioannem 3:16 Latine
ラテン語訳 ヨハネ福音書 3:16
ウルガータ Sic enim dilexit Deus mundum, ut Filium suum unigenitum daret, ut omnis qui credit in eum non pereat, sed habeat vitam æternam.
テオドール・ド・ベーズ Ita enim Deus dilexit mundum, ut Filium suum unigenitum illum dederit, ut quisquis credit in eum, non pereat, sed habeat vitam æternam.

マン島語[編集]

聖書はマン島語にも翻訳された。それはゲール語の1つの方言である。その翻訳はマン島からの聖職者の委員会によって行われた。新約聖書1767年に発表され、完全は翻訳は1772年に発表された。

The Bible in Manx Gaelic
British Bible Society text, 1819年
Genesis 1:1-3 Ayns y toshiaght chroo Jee niau as thalloo. As va'n thalloo gyn cummey, as feayn; as va dorraghys er eaghtyr y diunid: as ren spyrryd Yee gleashagh er eaghtyr ny ushtaghyn. As dooyrt Jee, Lhig da soilshey 've ayn; as va soilshey ayn.
Ean 3:16 Son lheid y ghraih shen hug Jee d'an theihll, dy dug eh e ynyrcan Vac v'er ny gheddyn, nagh jinnagh quoi-erbee chredjagh aynsyn cherraghtyn, agh yn vea ta dy bragh farraghtyn y chosney.

ポラリ(イギリス英語スラング[編集]

欽定訳聖書が翻訳され続けている。永遠免罪姉妹のマンチェスター支部によってポラリというゲイのスラングに訳されている。創世記の冒頭部分は次のように始まる。

1:1 In the beginning Gloria created the heaven and the earth. 2 And the earth was nanti form, and void; and munge was upon the eke of the deep. And the nanti lucoddy of Gloria trolled upon the eke of the aquas. 3 And Gloria cackled, Let there be sparkle: and there was sparkle. 4 And Gloria vardad the sparkle, that it was bona: and Gloria medzered the sparkle from the munge. 5 And Gloria screeched the sparkle Day, and the munge he screeched nochy. And the bijou nochy and the morning were the una day.

ポーランド語[編集]

初期の影響力のあるポーランド語の翻訳はイエズス会のJakub Wujek (1541-97)によって行われた。この翻訳はその後のポーランド語訳の文体を形作った。

ルーマニア語[編集]

ルーマニア語 への最初の完全な聖書翻訳は"Biblia de la Bucureşti"と呼ばれており、1688年にRaduとŞerbanのGreceanu兄弟がŞerban CantacuzinoConstantin Brâncoveanuの助けを借りて行った。

Greceanu兄弟以前には、部分訳が行われており、Slave-Roman Gospel (1551), Coresi's Gospel (1561), The Braşov Psalm Book (1570), Palia from Orăştie(1582), The New Testament of Alba Iulia (1648) などがある。

ルーマニアでは現在二つの翻訳が使われている。ルーマニア正教会は"Biblia Sinodală" (聖シノド版聖書:Bible of the Holy Synod)を用いており、これはルーマニア正教会の標準訳であり、総主教テオクティスト(Teoctist)の祝福のうちに出版された。その一方で、プロテスタント諸派は主に広く流布されたDumitru Cornilescu(1929年に出版)を用いている。1989年には"Biblia Cornilescu Revizuită" (Cornilescu改版)が出た。これは現在の翻訳を原典に近づけようとするものであり、文法的に正確かつ現代ルーマニア語の変化に追従させるものである。

ルーマニア語版のヨハネ3章16節
ルーマニア語の聖書翻訳 Ioan 3:16
Cornilescu (reprint with 1928 text) Fiindcă atît de mult a iubit Dumnezeu lumea, că a dat pe singurul Lui Fiu, pentruca oricine crede în El, să nu piară, ci să aibă viaţă vecinică.
Biblia Cornilescu Revizuită (1990 reprint of the 1989 edition) Fiindcă atît de mult a iubit Dumnezeu lumea, că a dat pe singurul Său Fiu, pentru ca oricine crede în El să nu piară, ci să aibă viaţă veşnică.
Biblia Sinodală (as published on Biblia Ortodoxă Online) Căci Dumnezeu aşa a iubit lumea, încât pe Fiul Său Cel Unul-Născut L-a dat ca oricine crede în El să nu piară, ci să aibă viaţă veşnică.
Traducerea lumii noi (新世界訳聖書ローマ字版, 2000年) Fiindcă atât de mult a iubit Dumnezeu lumea, încât l-a dat pe Fiul său unic-născut, pentru ca oricine exercită credinţă în el să nu fie distrus, ci să aibă viaţă veşnică.

セルビア語[編集]

1830年、Atanasije Stojkovićにより新約聖書セルビア語に翻訳される。さらに1847年にはVuk Karadžićによって出版され、1865年にĐuro Daničićの手により旧約聖書が翻訳され、完成を迎えた。

より新しい翻訳は以下の通り:

  • Lujo Bakotić 1933, complete Bible,
  • Dimitrije Stefanović 1934, NT,
  • Emilijan Čarnić 1973, NT,
  • the Synod with the Bible Society 1984, complete Bible
  • Aleksandar Birviš 1987, four Gospels.
Translation John 1:1-1:5
Aleksandar Birviš 1987

1) У почетку беше он, Реч,
и Реч беше код Бога
и Он, Реч, беше Бог.
2) Он, Реч, беше у почетку код Бога.
3) Дејством његовим све је постало
и без њега ништа није постало
што је постало.
4) У њему је био живот
и живот је био светлост људима.
5) И светлост светли у тами
и тама је не обузе.

外部リンク

スペイン語[編集]

1569年カシオドロ・デ・レイナによって原語から翻訳された最初のスペイン語訳聖書が出版され、「ビブリア・デル・オソ」と呼ばれた。

  • Biblia Alfonsina, 1280.
  • Biblia del Duque de Alba, 1430.
  • Antiguo Testamento del rabino Salomón, 1420.
  • Antiguo Testamento de traductor anónimo, 1420.
  • Nuevo Testamento de Francisco de Enzinas, 1543.
  • Nuevo Testamento de Juan Pérez de Pineda, 1556.
  • Reina o "Biblia del Oso" (RV), 1569, reviewed in 1602 by Cipriano de Valera.
  • Biblia del padre Scío de San Miguel, 1793.
  • Versión Moderna, 1893.
  • Biblia de Petisco y Torres Amat, 1825.
  • Nuevo Testamento versión hispanoamericana, 1916.
  • Biblia Nácar-Colunga, 1944.
  • Biblia Bóver-Cantera, 1947.
  • Nuevo Testamento de monseñor Straubinger, 1948.
  • Biblia Latinoaméricana, 1960/71. (クリスチャンコミュニティバイブル参照)
  • Nuevo Testamento traducción del Nuevo Mundo, 1963. Translation from English.
  • Biblia de Jerusalén, 1966.
  • Biblia traducción del Nuevo Mundo, 1967. Translation from English.
  • Biblia de Editorial Labor, 1968.
  • Biblia edición pastoral para Latinoamérica, 1972.
  • La Biblia de editorial Herder, 1975.
  • Nueva Biblia Española, 1976.
  • Biblia Interconfesional, 1978.
  • Dios Habla Hoy o Versión Popular (DHH), 1979.
  • La Biblia al Día, 1979.
  • Biblia el libro del pueblo de Dios, 1980.
  • Nuevo Testamento de la Universidad de Navarra, 1983.
  • Biblia de las Américas (BLA), 1986.
  • Biblia, versión revisada por un equipo de traductores dirigido por Evaristo Martín Nieto. 1989.
  • Biblia Casa de la Biblia, 1992.
  • Biblia del Peregrino, 1993.
  • Nuevo Testamento versión Recobro, 1994.
  • Nueva Versión Internacional (NVI), 1999.
  • Nuevo Testamento traducción de Pedro Ortiz, 2000.
  • Nuevo Testamento la Palabra de Dios para Todos (PDT), 2000.
  • Biblia traducción en lenguaje actual (TLA), 2003.
  • Biblia la Palabra de Dios para Todos (PDT), 2005.
John 3:16 in Spanish
Translation Juan 3:16
La Palabra de Dios para Todos (PDT Version) 2005 Dios amó tanto al mundo que dio a su Hijo único para que todo el que crea en él no se pierda, sino que tenga vida eterna.
Reina-Valera 1960 Porque de tal manera amó Dios al mundo, que ha dado a su Hijo unigénito, para que todo aquel que en él cree, no se pierda, mas tenga vida eterna.
Nueva Versión Internacional Porque tanto amó Dios al mundo, que dio a su Hijo unigénito, para que todo el que cree en él no se pierda, sino que tenga vida eterna.
Dios Habla Hoy Pues Dios amó tanto al mundo, que dio a su Hijo único, para que todo aquel que cree en él no muera, sino que tenga vida eterna.
La Biblia de las Américas Porque de tal manera amó Dios al mundo, que dio a su Hijo unigénito, para que todo aquel que cree en Él, no se pierda, mas tenga vida eterna.

外部リンク

スラヴ語[編集]

862年コンスタンディヌーポリ総主教フォティオスによってキュリロスメトディオスという修道士が大モラヴィア王国へ伝道のために派遣された。二人は聖書と多くの祈祷書を、東欧各地の様々な方言の形で話されていたスラヴ語へと翻訳した。この翻訳は後に10世紀になってブルガリアキエフ・ルーシへ伝道する際にも用いられた。この翻訳以前にスラヴ語を表記する方法は存在しなかったため、二人はギリシア文字に基づいたグラゴル文字を作り出した[要出典]。のちに二人の弟子たちはこの文字からキリル文字を作り出した。キリル文字は現在もロシア語や他の東欧語に用いられる。二人が翻訳に用いたスラヴ語は古代教会スラヴ語として知られており、その後継である教会スラヴ語は、現在でもロシア正教会や他のいくつかの正教会東方典礼カトリック教会奉神礼で用いられている。

スロベニア語[編集]

旧約・新約ともに、初のスロベニア語翻訳に臨んだのはプロテスタントの文筆家で神学者のユーリィ・ダルマティン1546年 - 1589年)であった。ダルマティンの翻訳はドイツヴィッテンベルク1584年に印刷され、スロベニアに戻され、樽の中に入れて密輸入された。その結果、カトリック教会当局はそれを発見することが出来なかった。これによって、スロベニアはヨーロッパの大国をしのいで、自分達の言語での聖書を持った世界で12番目の国になった。この聖書翻訳はスロベニアにおけるプロテスタントの大きな目標であり、その完成は悲願であった。

外部リンク

スワヒリ語[編集]

聖書のスワヒリ語翻訳は部分的なものとして1868年に初版を迎え、1879年には新約聖書の全文翻訳が、1890年になって旧約も含めた全ての翻訳が完成した。とはいうものの、スワヒリ語の方言格差は激しく、こうした方言で書かれた翻訳が複数存在する。1950年、タンザニア聖書協会によって出版された「共通スワヒリ語版」は連合翻訳(the Union Translation)を包括することにより、方言差のある東アフリカにも対応したものとなっている。

ヨハネの福音書 3:16 のスワヒリ語翻訳
翻訳 Yohana 3:16
Union Translation Kwa maana jinsi hii Mungu aliupenda ulimwengu, hata akamtoa Mwanawe pekee, ili kila mtu amwaminiye asipotee, bali awe na uzima wa milele.

スウェーデン語[編集]

幾つかのスウェーデン語への翻訳はこれまでも何年にも渡って行われてきた。宗教改革までラテン語の聖書が使用されていた。しかし、スウェーデンプロテスタントの国に変えさせた国王グスタフ1世は、スウェーデン語への最初の翻訳を作成するように命令を出した。

その後、幾つかのスウェーデン語の翻訳が作られた。

  • Gustav Vasas bibel - 国王グスタフ1世に命じられて作られたもの。
  • Karl XIIs bibel - 国王カール12世に命じられて作られたもの。
  • Normalupplagan
  • Helge Åkessons översättning
  • 1917 års bibelöversättning - 2000年まで公式に教会で使用されていたもの。
  • Nya Världens bibelöversättning新世界訳聖書)- エホバの証人によるもの。
  • David Hedegårds översättning - 新約聖書のみ。
  • Bo Giertz översättning - これも新約聖書のみ。
  • Svenska folkbibeln
  • Bibel 2000 - 最も新しい公式な翻訳で、旧約聖書外典も含まれている。
  • Reformationsbibeln - これも新約聖書のみ。
Translation Första Mosebok 1:1-1:4
1917年の翻訳 I begynnelsen skapade Gud himmel och jord.
Och jorden var öde och tom, och mörker var över djupet, och Guds Ande svävade över vattnet.
Och Gud sade: "Varde ljus"; och det vart ljus.
Och Gud såg att ljuset var gott; och Gud skilde ljuset från mörkret.
Bibel 2000 I begynnelsen skapade Gud himmel och jord.
Jorden var öde och tom, djupet täcktes av mörker och en gudsvind svepte fram över vattnet.
Gud sade: ”Ljus, bli till!” Och ljuset blev till.
Gud såg att ljuset var gott, och han skilde ljuset från mörkret.
Svenska Folkbibeln I begynnelsen skapade Gud himmel och jord.
Jorden var öde och tom, och mörker var över djupet. Och Guds Ande svävade över vattnet.
Gud sade: "Varde ljus!" Och det blev ljus. Gud såg att ljuset var gott, och han skilde ljuset från mörkret.

外部リンク

タガログ語[編集]

  • Ang Dating Biblia (1905).
  • Ang Salita ng Diyos 1998. Produced by Bibles International.

ベトナム語[編集]

  • 1926 Vietnamese Translation (VT), (Cadman)
  • 1934 Vietnamese Bible
  • 1995 Republication of the 1926 VT

クオック・グー17世紀に書かれていたとしても、ベトナム語の聖書がベトナムで広く教え使用されるために翻訳されるのは、250年以上後の1872年のことであった。そして1963年カトリック教会の職員がベトナム語の聖書をベトナム人が使うために出版した。

牧師の集団は英語新国際版聖書を使ってベトナム語に翻訳するために仕事をしている。

ウェールズ語[編集]

英語版ウィキペディア「ウェールズ語訳聖書」の項も参照されたし。

ウェールズ語による最初の聖書翻訳は、ウィリアム・サラスバリー(William Salesbury)(1520年 - 1584年)による1567年の新約聖書で、1588年の「ウィリアム・モルガン訳聖書William Morgan's )」へと受継がれてゆく。これは英訳聖書として名高い欽定訳聖書との双璧をなすものである。新しい翻訳「y Beibl Cymraeg Newydd」は1988年に出版され、訳の正確さに異議が唱えられても「ウィリアム・モルガン訳聖書」に大きく取って代わった。二つの翻訳は両方とも文語的なウェールズ語であり、より口語的な翻訳が必要とされている。

「y Beibl Cymraeg Newydd」の改訂版 (Revised New Welsh Bible)が2004年3月に出版された。

ウェールズ語訳ヨハネによる福音書3:16の比較
Translation Ioan 3:16
Beibl William Morgan, 1588 Canys felly y carodd Duw y byd fel y rhoddodd efe ei unig-anedig Fab, fel na choller pwy bynnag a gredo ynddo ef, ond caffael ohono fywyd tragwyddol.
Y Beibl Cymraeg Newydd, 1988 Do, carodd Duw y byd gymaint nes iddo roi ei unig Fab, er mwyn i bob un sy'n credu ynddo ef beidio â mynd i ddistryw ond cael bywyd tragwyddol.

ズールー語[編集]

1917年、聖書全体が最初にズールー語に翻訳された。それは1957年に更新された。しかしそれは今でも平均的なズールー人にはかなり難解だと考えられている。さらに理解し易いズールー語の新約聖書が1986年に完成した。しかし旧約聖書は2006年現在現在利用不可能であるが、旧約聖書の翻訳を完成させるための計画は南アフリカ聖書協会によって進行している。

外部リンク

参照[編集]

  1. ^ 井筒俊彦『コーラン(上)』岩波文庫、1957年、p.299
  2. ^ 青木保『タイの僧院にて』中公文庫、1979年
  3. ^ 渡辺照宏『お経の話』岩波新書、1967年、pp.70-71
  4. ^ 田川建三『書物としての新約聖書』1997年、p.501
  5. ^ たとえばカトリック中央協議会『カトリック教会のカテキズム』(2002年)の85節「書きもの、あるいは口伝による神のことばを権威をもって解釈する役目は、キリストの名で権威を行使する教会の生きた教導権だけに任されています」、113節「聖書は、文字通りに読むよりも、教会の心で読むほうがまさっています」、119節「聖書解釈に関するこれらすべてのことは‥(中略) ‥教会の判断のもとにおかれています」
  6. ^ 尾山令仁『聖書翻訳の歴史と現代訳』暁書房
  7. ^ 口語訳聖書がキリスト神性否定の翻訳であるという指摘は、福音派外からも出ている。藤原藤男『聖書の和訳と文体論』キリスト新聞社
  8. ^ 新改訳聖書刊行会『聖書翻訳を考える』いのちのことば社
  9. ^ 日本キリスト改革派教会松尾武 (牧師)は文語訳聖書の精神を受け継ぐ訳だとしている。
  10. ^ 中村敏『日本における福音派の歴史』いのちのことば社
  11. ^ http://www.biblesociety.org/wr_387/387_14.htm

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

執筆の途中です この項目「聖書翻訳」は、キリスト教に関連した書きかけ項目です。加筆・訂正などをして下さる協力者を求めていますP:キリスト教/PJ:キリスト教)。