ウッドストック・フェスティバル

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ウッドストック・フェスティバル
会場

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

  • ニューヨーク州サリバン郡ベセルホワイトレイク(最初のウッドストック・フェスティバルの会場)
開催年

1969年(最初のウッドストック・フェスティバル)
以下、同名のコンサート

発起人 マイケル・ラングジョン・P・ロバーツジョエル・ローゼンマンアーティ・コーンフェルド
開催日 予定では1969年8月15日-17日。実際は18日まで開催。
ジャンル ロックフォークブルースロックフォークロックサイケデリックロックブルースラテン・ロックインド音楽
公式サイト The Woodstock Festivals
1984年に建立された開催から15周年の記念碑

ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)は、1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間(あるいは、8月15日午後から18日午前にかけての4日間)、アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサート

目次

概要 [編集]

30組以上のフォーク歌手やロック・グループなどが出演し、入場者は40万人以上であった[要出典]。このロック・フェスティバルは、アルスター郡ウッドストックにおけるアート・ムーブメントに関連して名付けられたが、アルスター郡内では、周辺住民の反対運動のため適当な開催地が決まらず[要出典]、近郊のサリバン郡ベセルにある白人の個人農場主マックス・ヤスガー所有の酪農農場が会場となった。この一帯は、「キャッツキルバレー」と呼ばれるアメリカインディアンの共同居住区(保留地ではない)である。

当初、主催者側は、1万人から2万人程度の入場者を見込んでいたが、事前に18万6000枚のチケットが売れ、当日入場者は20万人を超えると予想された。実際はそれをはるかに上回る40万人以上が参加し[要出典]、半数以上が入場料金を払わなかったため、事実上無料イベントの様相を呈した。

開催地周辺の地図

会場への高速道路は、会場に向かおうとする人々でごった返し、この週末は雨の上に、施設は人が混み合い、参加者は食べ物やアルコール、ドラッグを分け合っていた。しかし、暴力事件などは報告されていない。これは来場者自身が自警団を組んで、未然に防いでいたためといわれている[要出典]

度重なる雨による中断のためプログラムが遅れてしまい、最終日のトリを務めたジミ・ヘンドリックスが登場したのは明け方であった[要出典]。それまでに大多数の人が帰ってしまったため、ヘンドリックスの演奏を実際に見た者は少ない。この時のヘンドリックスの演奏は、1999年にほぼ全曲がアルバム『ライヴ・アット・ウッドストック』として発表された。

マックス・ヤスガーの農場

ウッドストック・フェスティバルは、カウンター・カルチャーを集大成した、1960年代のヒューマンビーインと呼ばれる人間性回復のための集会でもあり、音楽イベントとしてのみならず、ヒッピー時代の頂点を示す象徴と捉えられている。

このフェスティバルはプロモーターにとっては金銭目的ではなかったが[要出典]レコード映画化のため、最終的には収益にも結びついた。

ヒッピー・スタイルの入場者達

ウッドストックの会場では2名の死者と2件の出産があった(人数については諸説あり)。

このコンサートの模様は、『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』というドキュメンタリー映画として公開された。マイケル・ウォドレー英語版監督、マーティン・スコセッシ編集のこの映画は1970年に公開され、アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。

ウッドストックの伝説と真実 [編集]

当時の風景

ウッドストックには平和と愛を祝うために51万人近くが集い「幸せな時間を共有した」とはよく語られるロマンチックな「伝説」である。

しかし、現代の観点で捉えれば実際にはそれほど心地良いものではなく、犯罪やドラッグ、盗難や破壊などが会場内にはびこっていたという現実もあった。

また食糧や清潔な水の供給、雨天を避ける手段も十分とはいえなかった上に、トイレや緊急用のテントなど必要な施設の多くがなく、フェスティバルの計画段階ではこれだけ多くの人が集まるとは考えられておらず、そのための準備が全くできていなかったのである。フェスティバル終了後のゴミ問題も大きな問題となった。

また、町の住民からは「15000人のヒッピーが集まるヤスガー祭」と警戒され、場所を提供した農場主のヤスガーには開催前から脅迫電話が殺到し、牛乳の購入打ち切りなどさまざまな嫌がらせを受けた。

とはいえ、少なくとも同年12月6日に開かれ死者まで出したローリング・ストーンズによるフリー・コンサート(オルタモントの悲劇)とは対照的に、1960年代を体験した同世代アメリカ人の「輝かしい記憶の余韻」としてしばらく生き続けたとされている。

そうした内容に欠けるヒッピー幻想の終焉と崩壊をまざまざと見せつけたのが1975年のベトナム戦争におけるアメリカの敗戦、ならびに「ホテル・カリフォルニア」である。

出演者 [編集]

リッチー・ヘブンス
初日の風景

8月15日(金)午後から深夜 [編集]

土曜日の風景

8月16日(土) 午後から翌朝 [編集]

ジョー・コッカー
大雨の様子
最終日の風景

8月17日(日) 午後から翌朝 [編集]

出演を断ったアーティスト [編集]

出典・脚注 [編集]

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]