ロードアイランド州

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ロードアイランド州
State of Rhode Island and Providence Plantations
ロードアイランド州の旗 ロードアイランド州の印
州旗 (州章)
州の愛称: 海洋の州
The Ocean State
ロードアイランド州の位置
州都 プロビデンス
最大の都市 プロビデンス
州知事 リンカーン・チェイフィー
公用語 不文律: 英語
面積
 - 総計
 - 陸地
 - 水域
全米第50位
4,002 km²
2,707 km²
1,295 km² (32.4%)
人口2010年
 - 総計
 - 人口密度
全米第43位
1,052,567
390.78人/km²
合衆国加入
 - 順番
 - 加入年月日

13番目
1790年5月29日
時間帯 UTC -5
DST -4
緯度 北緯41°18' - 42°1'
経度 西経71°8' - 71°53'
東西の幅 50 km
南北の長さ 65 km
標高
 -最高標高
 -平均標高
 -最低標高

247 m
60 m
0 m
略称 (ISO 3166-2:US) US-RI
ウェブサイト ロードアイランド州政府
上院議員 ジャック・リード
シェルドン・ホワイトハウス

ロードアイランド州: state of Rhode Island and Providence Plantations)は、アメリカ合衆国東北部、ニューイングランド地方にある州都および最大都市は州北部、ナラガンセット湾の湾奥に位置する港湾都市・学術都市プロビデンスである。州全土がプロビデンス都市圏に含まれている。

独立時の13州の1つ。全米50州の中で最小の州であり、日本における滋賀県と同程度の面積である(滋賀県の面積の大きさは日本国内の47都道府県中38番目と小さい)。Little Rhody(リトル・ローディー)という愛称を持つ。もっとも、より一般的な愛称は、地形的な理由、すなわち、州内の陸地の奥深くまでナラガンセット湾が入り込んでいることから、観光用パンフレットでよく使われる The Ocean State であり、これは自動車ナンバープレートにも記されている。

公式名称は、全米で最も長い State of Rhode Island and Providence Plantations である。日本語訳すると、「ロードアイランド及びプロビデンス・プランテーション州」となる。プランテーションを「植民地」や「農園」などと訳す人はいるが、ロードアイランドの方を「ロード島」と訳す人は見かけない。ロードアイランドは、ナラガンセット湾の島で、現在はニューポート郡に属する。プロビデンス・プランテーションは、ロードアイランド州の起源となった植民地集落の名で、ここを中心に、ロードアイランドなどの周辺地域に農地を広げていった。

目次

歴史 [編集]

1636年1月、イギリス国教会およびアメリカ・インディアンの土地の強奪に対する強烈な批判を行ったためマサチューセッツ湾植民地を追放されたロジャー・ウィリアムズと4人の信奉者が、ナラガンセット湾の北部沿岸の土地をナラガンセット族・インディアンから「購入」して、集落を作った。ウィリアムズは、ここをバプテスト開拓者のための宗教的自由の地と宣言し、プロビデンス神の摂理)と名付けた。

ロジャー・ウィリアムズと、なぜか平原インディアンの格好をしているナラガンセット族(A・H・Wray画、19世紀)

ロジャー・ウィリアムズが去ったマサチューセッツ湾植民地では、今度は、アン・ハッチンソンという女性が、反律法主義の立場から聖職者たちの地位を否定する信仰を説き、多くの民衆の心を掴んだため、聖職者や施政者から危険視され、ついには1638年3月に追放された。彼女は夫と数人の弟子と共に、プロヴィデンスへ向かったが、彼女の信仰は受け入れられず、ロードアイランドへ渡り、現在のポーツマス町を設立した。

その後、プロビデンスのロジャー・ウィリアムズらは、バプテストだけに限らず、広く信教の自由を認めるようになり、クエーカー教徒ユダヤ人カトリック教徒などを受け入れ、完全な信教の自由を保障する唯一の植民地として発展した。

1663年7月8日、イギリス国王チャールズ2世は、ジョン・クラークに対して、4つの植民地を統合した「ロードアイランド及びプロビデンス植民地」の勅許状を与えた。

1776年5月に独立を宣言し、同年7月、13植民地合同で独立を宣言した。

中央集権化に反対するロードアイランドは、1787年合衆国憲法制定会議をボイコットした。合衆国成立後も憲法の批准をためらっていたが、連邦からは外国と宣告され、他州との交易品に関税が課せられることの危機感から、1790年5月29日に批准した。

地理 [編集]

州内各郡の位置図
ブロック島の断崖
関連項目:ロードアイランド州の郡一覧

ロードアイランド州はマサチューセッツ州と北及び東に接し、コネチカット州と西を接し、南はロードアイランド・サウンド(ロードアイランド海峡、en:Rhode Island Sound)及び大西洋に接している。ここはニューヨーク州との境界を水上で共有している。南から北へ州内に大きく食い込んだナラガンセット湾(Narragansett Bay)はこの州の地形の主要な特徴である。ビーチが有名なブロック島は、本土の南部海岸からおおよそ12マイル (19 km) 離れた、ロードアイランド・サウンドをはさんだ所にあり外海に面している。

ナラガンセット湾内部に、多くの市町村がある30以上の島が点在する。最大の島はニューポートミドルタウン、及び ポーツマスの自治体によって共有された、アクイドネック島(Aquidneck Island、別名ロードアイランド)である。この湾内の主な大きな島はアクイドネック島とコナニカット島(Conanicut Island)、プルーデンス島(Prudence Island)の三つであり、ほかにホープ島(Hope)、及びディスペア島(Despair)などがある。

ロードアイランド州は北部植民地(別名 "ニューイングランド" 植民地)の1つである。

人口動態 [編集]

人口推移
人口 変動率
1790年 68,825
1800年 69,122 0.4%
1810年 76,931 11.3%
1820年 83,059 8.0%
1830年 97,199 17.0%
1840年 108,830 12.0%
1850年 147,545 35.6%
1860年 174,620 18.4%
1870年 217,353 24.5%
1880年 276,531 27.2%
1890年 345,506 24.9%
1900年 428,556 24.0%
1910年 542,610 26.6%
1920年 604,397 11.4%
1930年 687,497 13.7%
1940年 713,346 3.8%
1950年 791,896 11.0%
1960年 859,488 8.5%
1970年 946,725 10.1%
1980年 947,154 0.0%
1990年 1,003,464 5.9%
2000年 1,048,319 4.5%
2010年 1,052,567 0.4%

ロードアイランド州の人口重心クランストン市がある、プロビデンス郡となっている[1]

2005年現在、アメリカ合衆国統計局によると、ロードアイランド州は前年より3,727人、または0.3%増加し、2000年より27,870人、または2.7%増加した、人口1,076,189人と概算された。これは15,220人(出生66,973人、死亡51,753人)と前回の国勢調査からの自然増並びに州内への移住者14,001人の増加が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は18,965人増加することとなり、合衆国内部の移住者は4,964人増加することになる。

この州の人種的関係は:

  • 81.9% 白人
  • 8.7% ヒスパニック
  • 4.5% 黒人
  • 2.3% アジア人
  • 0.5% インディアン
  • 2.7% 混血

ロードアイランド州内の5つの大きな祖先グループは:イタリア系 (19%)、アイルランド系 (18.4%)、イギリス系 (12%)、フランス系 (10.9%)、ポルトガル系 (8.7%)。

ロードアイランド州の人口の6.1%は5歳以下、18歳以下が23.6%と報告され、14.5%は65歳以上である。女性は人口のおおよそ52%である。

ロードアイランド州はイタリア系アメリカ人(プロビデンス市に集中する)の比率が高くこの国の中で他の州よりもポルトガル系祖先(ブリストル郡で目立つ)のアメリカ人の比率が高くなっている。フランス系カナダ人アイルランド系アメリカ人がニューポート及びケント郡に最大に存在するのに対してプロビデンス郡北部の一部で最大である。イギリス系祖先はこの州内に同じように、特にワシントン郡内に存在している。

宗教 [編集]

ロードアイランド州の住民の宗教関係は:

ロードアイランド州は州内で大きなイタリア系フランス系カナダ人アイルランド系ポルトガル系プエルトリコ系、及びカーボベルデ系のコミュニティーの存在により、国の中でカトリック系が高い比率となっている。

インディアン部族 [編集]

同州近辺のかつてのインディアン部族の勢力図

ナラガンセット族、東ニアンティック族ニプマク族ピクォート族ワンパノアグ族ワッピンガー族などのインディアン部族がウィグワムの集落を形成し、農耕採集生活を営んできた。

この地方のインディアンは、17~18世紀にイギリスとフランス、アメリカ植民政府の間での戦争に翻弄され、大幅に数を減らした。また、逃げ出した黒人奴隷を受け入れて保護し、白人に加え、彼らとの混血も増えた。

1880年、ロードアイランド州政府は、「大勢のナラガンセット族が黒人と混血したので、もう黒人になったことにする」とし、ナラガンセット族を「絶滅させる」と決議した。部族は議会に不服申し立てをし、「我々は黒人ではない。我々はナラガンセットの偉大な酋長と戦士の子孫だ。お前たちの先祖が黒人をアフリカから盗んできて、我々の間に彼らを連れてきて奴隷にしたとき、我々が彼らと友好を結び、混血を許したからといって、我々は黒人と呼ばれなくてはならないのか」と抗議し、「インディアンの血が一滴でも我々の血管に流れている間は、我々はお前たちの先祖が保証した不可侵の条約のもとに、主権を持ち続けるつもりだ」と主張した。しかし州は部族の公認を打ち切り、これを「絶滅部族」とした。

1975年1月、ナラガンセット族は1880年に州政府が不法占領した南ロードアイランドの土地3200エーカー(13㎢)の返還を求め、連邦法廷に提訴。アメリカ連邦最高裁判所は324人の部族員を地主と認めた。1983年には、晴れて内務省から再公認を受けて「復活」し、チャールズタウンに約7㎢の「ナラガンセット・インディアン保留地」を得た。

2003年7月14日、ロードアイランド州警察は、ナラガンセット族の保留地を急襲し、「州税を納めずに煙草を販売した」として部族の煙草店を閉鎖させ、7人のナラガンセット族を逮捕した。インディアン部族は、アメリカ連邦政府との連邦協定で保留地内での商行為は非課税であると保証されており、州政府と州警察のこの行動は連邦法違反の疑いが強い。しかし連邦上訴裁判所は、「この処置は州の権利の範囲内である」と主張している。

2008年1月29日、州検察官は逮捕された7人のインディアンに対する電子メールの閲覧を許可した。彼らの弁護団はこのメールに無罪に繋がる情報が含まれていると主張していた。何通かのメールは当局によって削除された模様である。

ナラガンセット族はインディアン部族として再認定され、インディアン部族として「復活」することが出来たが、同州の他の多数のインディアン部族は未だに連邦認定を打ち切られたままである。「インディアン部族である」と内務省BIAに承認させるには、部族員の血統証明書を始め、何千という書類と何十年という法廷係争が必要となる。1934年の「インディアン再編成法」で公認から漏れた部族は70年以上に渡って放置されており、その間に混血も進んだため再認定要求を難しくしている。連邦の公認が無ければ、内務省が保留した土地(Reservation)を領有出来ない。保留地が無ければ部族の学校や医療設備、連邦による福利厚生などの「インディアンとしての権利」を受けられない。これは「インディアン再編成法」による規定である。

この地に先住したインディアン部族は19世紀に他州へ強制移住させられ、現在、アメリカ連邦政府から承認され、保留地(Reservation)を所有している部族は「ナラガンセット族」のみ。

「絶滅部族」とされ、ロードアイランド州に存在していないことになっている多数の部族は、相互組織「ロードアイランド・インディアン会議」を結成している。

インディアン・カジノ [編集]

現在、ナラガンセット族がウェスト・ウォリックにインディアン・カジノの建設を計画中であるが、ロードアイランド州政府はこれに否定的である。ナラガンセット族にとって部族カジノは経済的自立のための悲願である。ウィリアム・マーフィー州議会議長は部族カジノ開設を支持しており、成り行きが注目されている。

カーシエリ対サラザール法廷戦 [編集]

ナラガンセット族は、1970年代に州政府と連邦政府への公式認定要求を強め、1983年に連邦認定を受けてインディアン部族として「復活」し、同州で唯一、アメリカ連邦政府から「インディアン部族である」と認定された。

彼らは1988年に、連邦政府から1800エーカー(7285㎢)の保留地を獲得し、続く1991年に、老齢の部族員のための住宅団地を建てるため保留地とは別に、ロードアイランド州チャールズタウンの土地31エーカー(約0.13 ㎢)を購入した。1998年にアメリカ連邦内務省は部族の要求に従い、この土地を連邦信託地とした。しかし、ロードアイランド州がこれを認めなかったため、土地の連邦信託を求める部族・連邦とこれを認めないロードアイランド州政府との争いは米国最高裁にまで持ち込まれ、ロードアイランド州知事のドナルド・L・カーシエリと内務省長官ケン・サラザールの名から、「カーシエリ対サラザール法廷戦(Carcieri v. Salazar)」と呼ばれる法廷闘争となった。

ナラガンセット族と白人入植者との関係悪化は1675年と翌年に「フィリップ王戦争」で激化し、数千人が虐殺されて壊滅した部族は、1709年にロードアイランド入植政府の正式な保護下に置かれた。1880年にロードアイランド州は、部族員を白人住民に同化させるため、部族権限の放棄を迫り、ナラガンセット族の保留地を2エーカー(8094㎡)だけ認め、残りの土地すべてを5000ドルで州政府に売り、「部族を解消する」ことに同意させた。こうしてナラガンセット族は「絶滅」した。

部族はその後すぐにこの決定に不服申し立てを始め、土地と部族の権利の回復要求運動に乗り出した。20世紀初期に、貧困にあえぐナラガンセット族はアメリカ連邦政府に対して経済面その他の援助を求めたが、連邦政府は1927年から1937年までの10年にわたってのこの部族の要請を断った。

裁判でロードアイランド州は、ナラガンセット族が連邦から再認定されて「復活」したのは1983年のことであり、1934年に連邦政府が「インディアンに土地を与える」目的で「インディアン再編成法(IRA)」を制定した際には、彼らがナラガンセット族をインディアン部族として認めず、上記のように無視していたことを指摘、むしろナラガンセットの権限の裁量権は州にあると主張。この係争の中で、1934年制定の「インディアン再編成法(IRA)」の条項にある、「この法で用いられる『インディアンである』という文言は、1934年6月1日現在、連邦の管轄権の下にある((now under Federal jurisdiction)、どのインディアンも、どのインディアンの保留地内に住む部族員の子孫も、すべて含んで、混血の者も含み、(中略)組織化されたバンド、集落をも言及するものである」という文言の中の「現在(now)」が、いつを指すのかが問題となった。この法律の、インディアンを「インディアンである」と認定する「現在」という言葉が「1934年6月1日」のことを指すならば、50年後の1983年に連邦認定を受けたナラガンセット族は連邦の言う「インディアン」に含むのか含まないのかという論争に発展したのである。

これに対し、米国連邦地方裁判所は連邦の処置を是認し、上記の文言が、1934年にインディアン部族員を「インディアンという存在」に含めるための定義ではあるが、その日付に連邦認定されたかどうかまでを部族に要求するものではないと断定。ロードアイランド州が法に対し不必要に狭義の解釈を採ったと批判した。米国控訴裁判所も地方裁判所の決定に対し、是認賛成した。一方ロードアイランド州は「州政府とインディアン部族間の、潜在的に無制限に存在する土地領有に関する民事・刑事上の管轄配分は、これで不安定な状態になった」とコメントした。

2009年2月24日、米国最高裁判所はこの裁定を逆転させた。クラレンス・トーマス最高裁判所判事は、6対3の大多数の意見で「インディアン再編成法にある『現在、連邦政府の管轄下にある』(now under Federal jurisdiction)という文言は、法令の制定時点で、連邦レベルでの司法管轄権でいた部族を意味する」と主張し、「その結果、この文言は書記官の権限を、インディアン再編成法が1934年6月に制定されたときに、連邦レベルでの司法管轄権下にあった部族員に土地を領有する目的のための、土地信託に限定する」と述べた。

2009年4月1日、ワシントンDCのインディアン問題監督庁である「連邦政府天然資源委員会」は、この「カーシエリ対サラザール法廷戦」に関する、米国最高裁判所による2月24日の判決について聴聞会を開いた。最高裁判所の判定において、ナラガンセット族を支持して要約を書いたミシガン法科大学のコレット・ローテル教授は、「最高裁判所のこの解釈は、インディアン部族を『持てる者と持たざる者』の2つに分けた」とコメントした。

元・インディアン管理局(BIA)員のマイケル・アンダーソンは、「インディアン再編成法」はもともとインディアン部族が部族会議や住宅、学校や医療センターを建設するためのものだ」とし、「カーシエリ知事の意向は、土地領有権のないインディアン部族の発展をじわじわと蝕み、彼らを脅迫するものだ」と述べている。

ナラガンセット族とロードアイランド州政府との一連の係争と最高裁判所の判定は、ナラガンセット族の「インディアン・カジノ」構想を制限するどころか、全米のインディアン部族の今後の行方を決定しかねないものであり、「アメリカという国がインディアンという民族をどうするつもりなのか」という国家的問題をもはらんでいる。現在「絶滅した」としてアメリカ合衆国で存在しないことになっている多数のインディアン部族が、いつまでも部族の土地を取り戻せず、国家から無視され続けるのかもしれないのである。

2009年11月5日、「連邦政府天然資源委員会」は下院のもと再び公聴会を開き、BIAを追求した。 BIA副長官ドナルド・レイバーデュアはBIAを代表して、オバマ政権が検討している「インディアン再編成法の改正」と、「内務省長官のインディアン領土信託権限の強化案」の2つの法案を支持すると証言した。

都市及び町 [編集]

ロードアイランド州には39の都市及び町が設置されている。

これらの都市はプロビデンスイーストプロビデンス(East Providence)、ニューポート(Newport)、ウォリッククランストン(Cranston)、セントラルフォールズ(Central Falls)、ポータケット(Pawtucket)及びウーンソケット(Woonsocket)である。

これらの町はバーリントン(Barrington)、ブリストル(Bristol)、Burrillvilleチャールズタウン(Charleston)、Coventryカンバーランド(Cumberland)、East Greenwichエクサター(Exeter)、FosterGlocesterHopkintonジェームズタウン(Jamestown)、Johnstonリンカーン(Lincoln)、Little Comptonミドルタウン(Middletown)、NarragansettNew Shoreham (Block Island)North Kingstownノースプロビデンス(North Providence)North SmithfieldPortsmouthリッチモンド(Richmond)、Scituateスミスフィールド(Smithfield)、South KingstownTivertonWarrenWest GreenwichWest Warwick、及び Westerly である。

関連項目:Rhode Island locations by per capita income

[編集]

  • プロビデンス郡: 1703年設置。1729年に、プロビデンス・プランテーション郡から改称。中心地は、プロビデンス
  • ニューポート郡: 1703年設置。1729年に、ロードアイランド郡から改称。中心地は、ニューポート
  • ワシントン郡: 1729年設置。プロビデンス・プランテーション郡から分割。1781年、キングス郡から改称。中心地は、ウェスト・キングストン。ワシントン郡は、一般には、サウス郡と呼ばれることが多い。
  • ケント郡: 1750年設置。プロビデンス・プランテーション郡から分割。中心地は、イースト・グリーンウィッチ。
  • ブリストル郡: 1747年設置。植民地間の境界論争の結果、マサチューセッツ植民地のブリストル郡(1685年設置)の一部を取得。中心地は、ブリストル。

政治と法律 [編集]

州の首都はプロビデンスである。ロードアイランド州の現在の知事はリンカーン・チェイフィー(I)であり、アメリカ合衆国上院議員はジャック・リード(Jack Reed:D)及びシェルドン・ホワイトハウス(Sheldon Whitehouse:D)である。ロードアイランド州選出の2人のアメリカ合衆国下院議員はDavid Cicilline(D-1)並びにJim Langevin(D-2)である。

関連項目:ロードアイランド州知事の一覧

大統領選挙では、伝統的に民主党が優勢である。

州法 [編集]

現在、ロードアイランド州においては、死刑制度は廃止されている。

経済 [編集]

ロードアイランド州の2000年の州総生産はアメリカ合衆国内で45番目に位置する、330億ドルであった。この2000年の一人当たりの収入はアメリカ合衆国内で16番目の、29,685米ドルであった。

ロードアイランド州の農業生産は苗床台、野菜、酪農製品及び卵である。ここの産業生産はファッション装身具、加工金属製品、電気設備、機械、造船及びボート製造、並びに観光業である。

教育 [編集]

ブラウン大学

プロビデンスはブラウン大学ロードアイランドデザイン学校(RISD)、プロビデンス・カレッジを含む多くの学校の本拠地となっている。また、州南部のキングストンに位置するロードアイランド大学、プロビデンス市内にあるロードアイランド・カレッジ等、いくつかの州立単科/総合大学がある。

単科/総合大学 [編集]


芸術・文化 [編集]

スポーツチーム [編集]

その他 [編集]

同州出身者 [編集]

映画 [編集]

外部リンク [編集]