サウスダコタ州

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サウスダコタ州
State of South Dakota
サウスダコタ州の旗 サウスダコタ州の印
州旗 (州章)
州の愛称: ラシュモア山の州
The Mount Rushmore State
サウスダコタ州の位置
州都 ピア
最大の都市 スーフォールズ
州知事 デニス・ダウガード
公用語 英語
面積
 - 総計
 - 陸地
 - 水域
全米第17位
[[1 E11 m2|199,730]] km2
196,541 km2
3,191 km2 (1.6%)
人口2010年
 - 総計
 - 人口密度
全米第46位
814,180
4.05人/km2
合衆国加入
 - 順番
 - 加入年月日

40番目
1889年11月2日
時間帯 UTC -6, -7
DST -5, -6
緯度 北緯42°29' - 45°56'
経度 西経98°28' - 104°3'
東西の幅 340 km
南北の長さ 610 km
標高
 -最高標高
 -平均標高
 -最低標高

2,207 m
670 m
294 m
略称 (ISO 3166-2:US) US-SD
ウェブサイト サウスダコタ州政府
上院議員 ティム・ジョンソン
ジョン・スーン

サウスダコタ州(South Dakota SD)は、米国の中北部にあるグレートプレーンズ(大平原)に属し、州の北はノースダコタ州に、東側はミネソタ州アイオワ州に、西側はモンタナ州ワイオミング州に、南側はネブラスカ州に接している。州の中央にはミズーリ川が南北に流れている。

州都はピア市。最大の都市は、ミネソタ州アイオワ州との州境に近いスーフォールズ市

バッドランズ国立公園や、4人の大統領の顔のモニュメントで有名なラシュモア山国立記念公園など、観光資源が豊富な州。他にも、クレイジー・ホース記念碑ウィンドケーブ国立公園ジュエルケーブ国定記念物カスター州立公園などが、訪れる人の多い観光地。ウォール・ドラッグストアなど、民間主導で運営されている観光地・名所も少なくない。

自然が豊富で多くの観光客が訪れる州という華やかな面がある一方、ゴールドラッシュ期にはインディアンと白人との激しい抗争が繰り返された州でもある。全米で最も経済的に貧しい州であり、現在でも、インディアン保留地(Reservation)の貧困は、サウスダコタ州が抱える大きな問題として残っている。

サウスダコタの名前は、インディアン部族のダコタ族スー族)の言葉「ダコタ(仲間)」に由来する。

目次

[編集] 歴史

[編集] 地理

サウスダコタ州はノースダコタ州と北部、ネブラスカ州と南部、アイオワ州及びミネソタ州と東部、並びにワイオミング州及びモンタナ州と西部が接している。Frontier Stripの6州の1つである。

ミズーリ川はサウスダコタ州の中央部を通って流れている。ミズーリ川の東部は氷河で形作られた低い丘と湖である。肥沃な農場地域として使用されている。ミズーリ川の西部は深い渓谷と起伏して続く平原から成る地帯である。

サウスダコタ州は4つの主要な陸地地域:ドリフトプレーリーDrift Prairieディセクテッドヒル・プレーンズDissected Till Plainsグレートプレーンズ、及びブラックヒルズBlack Hillsから成り立っている。

国立公園局(National Park Service)の管轄地域は以下が含まれる:

[編集] 人口動勢

人口推移
人口 変動率
1860年 4,837
1870年 11,776 143.5%
1880年 98,268 734.5%
1890年 348,600 254.7%
1900年 401,570 15.2%
1910年 583,888 45.4%
1920年 636,547 9.0%
1930年 692,849 8.8%
1940年 642,961 −7.2%
1950年 652,740 1.5%
1960年 680,514 4.3%
1970年 665,507 −2.2%
1980年 690,768 3.8%
1990年 696,004 0.8%
2000年 754,844 8.5%
2010年 814,180 7.9%

サウスダコタ州の人口重心Gann Valleyがある、バッファロー郡となっている[1]

アメリカ合衆国統計局によると、2005年現在、サウスダコタ州は前年より5,312人、または0.7%増加し、2000年より21,093人、または2.8%増加した、人口775,933人と概算された。これは19,199人(出生56,247人、死亡37,048人)と前回の国勢調査からの自然増並びに州内への移住者3,222人の増加が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は3,957人増加する事となり、合衆国内部の移住者は735人減少する事になる。

この州の人種的な構成は:

サウスダコタ州の5つの最大祖先グループは:ドイツ系(40.7%)、ノルウェー系(15.3%)、アイルランド系(10.4%)、インディアン(8.3%)、イギリス系(7.1%)である。

サウスダコタ州の人口の6.8%は5歳以下、18歳以下26.8%と報告され14.3%は65歳以上である。女性はおおよそ人口の50.4%を占めている。

[編集] 宗教

サウスダコタ州の住民の宗教的関係は:

[編集] インディアン部族

18世紀末のスー族の勢力範囲(緑色)と、現在の保留地(橙色)

もともとこの地は、「グレート・スー・ネイション(偉大なスーの国)」として、西部で最大最強の略奪狩猟民族、スー族(ダコタ族、ナコタ族、ラコタ族)が領土としていた。現在も、同地で保留地(Reservation)を領有するインディアン部族はスー族のみである。

19世紀後半、この州でもインディアンと入植者の土地を巡る争いは苛烈を極め、アメリカ合衆国は「悪いインディアンのスー族」の制圧を「フロンティアの最後の主題」と位置づけた。米軍のウィリアム・テクムセ・シャーマン将軍は、「野蛮人のスー族は、年齢や男や女、子供の区別なく、一人残らず殺すべきならず者だ」として、徹底した掃討戦を行ったのである。

1968年にミネソタ州オジブワ族が組織した、スラム育ちの若者たちによる「アメリカインディアン運動AIM)」は、1970年代にアメリカ合衆国のインディアンに対する民族浄化政策に全米規模で反旗を翻した最大級の組織である。スー族は、このAIMに結成直後から参加共闘することとなった。AIM運動家でスポークスマンのラッセル・ミーンズRussell Means)は、AIM以前からのスー族権利回復運動の代表的なラコタ族インディアンとして知られる。また、合衆国によるキリスト教化に抗った伝統派の宗教者が多く、レイムディアーマシュー・キングヘンリー・クロウドッグといったスー族の長老宗教者たちは「インディアン寄宿学校」で伝統文化を奪われたAIMの若者たちに請われてインディアンの伝統儀式の指導を行い、1970年代の権利回復運動のなかの精神的支柱となると同時に、全米のインディアン部族の伝統宗教復活に尽力した。

オグララ・スー族は1973年の「ウンデッド・ニー占拠」の際に、また2007年にはラコタ・スー族が「ラコタ共和国」の独立国家宣言を行っている。

ヤンクトン・スー族は、「米国陸軍工兵隊」(USACE)が保養地域として占領している二つの土地の、部族への返還を求めている。工兵隊は2005年、この土地の所有権をサウスダコタ州に譲渡した。これに反対するヤンクトン・スー族は「アメリカインディアンの墓地の保護と遺物の返還法(NAGPRA)」に基づき、所有権譲渡無効を訴え、異議申し立てを行っている。2005年9月30日、連邦地方裁判所は、「この土地に関してスー族に実害は無く、連邦政府にはNAPRAに基づく義務は生じない」と判定、スー族の訴えを却下した。ヤンクトン族は即時抗告している。

2010年1月、クロウクリーク・スー族部族会議は「エコテック燃料社(EcoTech Fuels)」と共同での、都市から排出されるゴミをガソリン燃料添加剤に変える計画のための、3900万ドル級の燃料生産プラントの誘致を満場一致で承認した。この工場は埋立廃棄物100トンあたりを200~400バレルの燃料に変えるもので、純益の10%をクロウクリーク・スー族に、また職員、作業員合わせて40種の恒常的な定職をスー族部族員にもたらすものである。ブランドン・サズエル部族会議議長は、部族がベンチャー事業やエコテック連邦交付金の助成によって、利益分配はさらに上がると見込んでいる。また、「エコテック燃料社」はオグララ・スー族部族会議、ローズバッド・スー族とも養豚場の屎尿を原料とする新規計画を準備中である。

以下は同州でアメリカ連邦政府から公認されているスー族の保留地と部族会議、所属部族である。

「クロウ・クリーク・スー部族会議」の部族国旗
1910年(赤い枠線)と現在(赤い部分)の「ローズバッド・インディアン保留地」
「南ブルーレ・スー部族会議」
「オグララ族」の部族国旗
ブルーレ郡チャンバーレインにある、「アクタ・ラコタ博物館」。廃校した「聖ジョセフインディアン寄宿学校」の建物を利用し、1991年に開設された

≪ダコタ族≫

  • 「フランドリュー・インディアン保留地」
    • 「フランドリュー・サンテ・スー部族会議」
      • 「ムデワカントン族」
      • 「ワーペクテ族」
      • 「ワーペトン族」
  • 「トラバース湖インディアン保留地」
    • 「シセトン=ワペトン・スー部族会議(シセトン=ワペトン・オヤテ)」
      • 「シセトン族」
      • 「ワーペトン族」
  • 「スタンディングロック・インディアン保留地」
    • 「スタンディングロック・スー部族会議」
      • 「北ヤンクトネイ族」
      • 「ハンクパパ族」

≪ダコタ・ナコタ族≫

  • 「クロウ・クリーク・インディアン保留地」
    • 「クロウ・クリーク・スー部族会議」
      • 「南ヤンクトネイ族」
  • 「ヤンクトン・スー・インディアン保留地」
    • 「ヤンクトン・スー・事務と請求部族委員会」
      • 「ヤンクトン族」

≪ラコタ族≫

  • 「ローズバッド・インディアン保留地」
    • 「ローズバッド・スー部族会議(シチャング・オヤテ)」
      • 「シチャング族」
      • 「オグララ族」
  • 「南ブルーレ・インディアン保留地」
    • 「南ブルーレ・スー部族会議」
      • 「シチャング族」
    • 「オグララ・スー部族会議」
  • 「シャイアン川インディアン保留地」
    • 「シャイアン川・スー部族会議」
      • 「ミネコンジュー族」
      • 「シハサパ族(ブラックフット族)」
      • 「オオヘヌンパ族(ツー・ケットル族)」
      • 「イタジプチョ族(サンザーク族)」
  • 「パインリッジ・インディアン保留地」
    • 「オグララ・ラコタ族
      • 「オグララ族」
      • 「シチャング族」

[編集] ララミー砦の条約と、「偉大なるスーの国」

1868年、ララミー砦において、アメリカ和平委員会と条約を交わすスー族代表団。交戦派のシャーマン将軍の姿も見える

同地のスー族は、アンドリュー・ジャクソン大統領の民族浄化政策である「インディアン移住法」による保留地への強制移住を最後まで拒絶した、アメリカ合衆国に対する19世紀西部のインディアン部族の最大反抗勢力だった。

西部に押し寄せる白人入植者の流れはもうだれにも止められず、カリフォルニア州の金の発見に伴う白人の幌馬車隊は、インディアンの保留地に入り込み、平原インディアンの命の糧であるバッファローを勝手に殺してインディアンの怒りを買うこととなった。

インディアン保留地では、内務省BIAの白人監督官のサボタージュ、横領詐取が飢餓を生み、インディアンの不満は限界点に達していた。ユリシーズ・グラントは対西部インディアンの「和平委員会」を結成した。宣教師を中心とし、穏健派も交戦派も参加したこの「和平委員会」は、1868年にワイオミング州ララミー砦で結ばれた「ララミー砦条約」で、スー族の聖地ブラックヒルズ(パハ・サパ)周辺の全域を白人の立ち入りが許されない「スー族固有の不可侵の領土である」と盟約した。この際の条約の文言は、以下のようなあいまいなものだった。

「ブラックヒルズ一帯は、太陽が光り輝き、草が生えている間は、スー族のものである」

この文言にはまた、「インディアンがそれを返したくなるまでは」という一文が書き添えられていた。このララミー砦条約は数年後に、対インディアン戦で悪名高かったカスター中佐がブラックヒルズで金鉱を発見すると、あっという間に破棄された。ブラックヒルズ近辺には白人が押し寄せ、「偉大なるスーの国」はたちまち白人入植者の圧力によって散り散りに分断されていった。スー族にとって「ララミー砦条約」を巡る法廷闘争は部族の主権に関わる、21世紀の今日に至っても係争中である譲れない重要事項である。

1868年の「ララミー砦条約」で合衆国は「ミズーリ以西のダコタ地方、ブラックヒルズ、プラット川とビッグホーン山脈間の土地を、永久に彼らに与える」と条約で保証した。桃色の枠線内全域が、条約で保証された本来の「偉大なるスーの国」である

1970年8月29日、マドンナ・サンダーホ-クマーサ・ファーストホースマクシーン・ボルドーらスー族の女性運動家が「ララミー条約」に基づく権利として「ラシュモア山」とブラックヒルズのスー族による所有権の再確認、また「ラシュモア山」から「クレイジー・ホース山」への改名を求め、同山で座り込み抗議を行った。

1971年6月6日には、再びスー族による占拠が決行され、オグララ・スー族AIMのリーマン・ブライトマンやラッセル・ミーンズ、またレイム・ディアーら長老宗教者、インディアンの老若男女が1か月以上に渡って野営生活を行った。彼らは州や連邦と局の妨害をかわして同山頂上にAIMとスー族の旗を掲げ、「ブラックヒルズ一帯はスー族の領土である」との宣言を行った。この「ラシュモア山占拠」は全米に中継報道され、報道陣の前で、ラッセル・ミーンズらAIMスー族はワシントン像の頭に小便をかけてみせた。

1980年6月30日、連邦最高裁判所は半世紀にわたるスー族の訴えに対し、アメリカ政府による「ララミー砦条約」の違反と、「ラシュモア山」を含む「ブラックヒルズ」一帯の部族の占有権を認めた。しかし裁判所はこの土地の返還要求は却下し、1億ドルを超える賠償で応じる裁定を下した。スー族はこれを断固拒否している。

2009年8月29日、歴史的な「ラッシュモア山占拠」から39周年に当たるこの日、同山で再びインディアンによる大規模占拠が決行された。国連先住民会議の支援を受けたAIMや多数のインディアン団体による占拠隊は、オバマ大統領に対し、インディアンへの領土返還とスー族政治犯レナード・ペルティエの即時釈放を訴えた。

[編集] 全米最貧困地域

オグララ族、シチャング族の居住する同州の「パインリッジ・インディアン保留地」は、全米でも最貧困の地域として知られている。

同保留地の部族員の失業率は80%を超えており、また住宅事情も劣悪であり、どれも補修が必要なうえ、その1/3以上が水道や電気が未開通である。しかもこれらの家一軒につき平均して15人以上が住んでいて、それ以外の者たちは自家用車やトレーラーに住んでいる状況である。乳児の死亡率はアメリカ全国平均の3倍で、40歳以上の部族員の半分が糖尿病であり、またアルコール依存症を抱えている。部族員であるオグララ族の一人あたりの所得は年間で約7000ドル(全米平均の1/6未満)である。若年層は、米軍への入隊以外、仕事の望みがほとんどなく、わずかな福祉小切手で暮らす毎日である。パイン・リッジ保留地での平均寿命は50歳である。

2010年1月15日にオバマ大統領は議会で、全国のインディアン部族の生活改善を誓約した。 これに対し、オグララ・スー族部族会議議長テレサ・ツー・ブルズはこうコメントしている。「アメリカの“向こう側の人達”は、私達の生活水準が第三世界のものだと気づきもしません。 人々は、福祉施政やインディアン・カジノで私達が贅沢し、豚のように肥え太っていると思っています。私は、この保留地を扱うアメリカの議会の人達にこう言っています。どのように私達がここで生きていて、どういうわけでここに住んでいるのか、なぜ私達の子供が自殺するのか、その理由を自身で見つけ出してください。 私達が誰なのかということを学んでください。」

[編集] インディアンとバッファロー

写真は白人に駆逐されたバッファローの頭蓋骨の山(1870年代)。スー族のホワイト・クラウド酋長はこう嘆いた。「白人が居ついてしまうとバッファローは必ずいなくなる。そして赤銅色の猟師たち(インディアン)は飢え死にすることになる」

1870年代以降、アメリカ合衆国政府はスー族を保留地に囲い込むために、国策として専門の漁師を西部に送り込み、スー族や平原インディアンが「兄弟」と崇め、彼らが命の糧とするバッファローの絶滅政策を採った。大陸横断鉄道の建設が大平原に始まるとバッファローの生態的移動経路が変えられ、さらに鉄道が完成すると、白人たちは車窓から手当たり次第にバッファローを射殺した。こうして平原のインディアンはますます飢えた。

バッファローの組織的な駆逐虐殺によって、19世紀初頭に数千万頭いたバッファローは1890年にはわずか750頭になっていた。こうして食の道を断たれた完全狩猟民のスー族は、保留地でアメリカ政府の配給する食料に頼る生活を受け入れざるを得なくなった。突然狩猟文化を破壊され、農耕文化を強要されたスー族の社会は完全に崩壊した。そもそも同州の土地は農耕に不向きなため、現在でも彼らの保留地には産業といったものはほとんどない。

ミネソタ州では1926年に、最後の野生のバッファローが白人に殺された

なお、「バッファロー」は近年「バイソン」と呼び換えられる動きもあるが、インディアンの間では「バッファロー牧場」や「インディアン・カジノ」の屋号など、現在でも「バッファロー」の呼称は普通に使われており、特にこだわりは見られない。この動物には本来、ブラックフット族なら「イーニー」、スー族なら「タタンカ」、コマンチ族なら「タシウォー」など、部族それぞれに呼び名が当然あるものであって、白人の方針変更にインディアンが付き合う義理はないからである。

19世紀のバッファローの頭数の変遷

現在バッファローは、同州ではバッドランズ国立公園をはじめ、各地の国立公園で管理飼育されているが、限定した区画内での管理であるため、頭数制限のために毎年制限をはみ出た数のバッファローが屠殺されている。また、渡りをおこなう動物であるバッファローは 冬になると繁殖地に移動する性質があるが、イエローストーン国立公園では、この際周辺の白人農場に侵入したバッファローが、根拠の乏しいブルセラ病の病原説をとる白人農場主や州の管理官によって、毎年にわたって多数射殺されている。

こういった白人にとって余剰分となったバッファローを、インディアン部族が伝統的な自給自足の再獲得の理念をもって彼らの保留地に引き取り、その繁殖を図って「バッファロー牧場」を開設する試みが1980年代から本格化している。

[編集] バッファロー牧場と「ITBC」

同州のラピッドシティーには、「バッファロー牧場」の互助発展組織である非営利団体「ITBC(部族相互野牛協同組合)」の本部がある。

1991年2月、同州のブラックヒルズで、インディアンやエスキモーの漁猟狩猟権団体「NAFWS(魚と野生動物のアメリカ先住民協会)」の主催で、全米の「バッファロー牧場」の総合組織である「ITBC(部族相互野牛協同組合)」の第一回結成検討会議が開かれた。この会議に集まったのは、サウスダコタ州各地の保留地からスー族、モンタナ州からはクロウ族ショーショーニー族バンノック族グロー・バントル族アシニボイン族ブラックフット族ニューメキシコ州からは多数のプエブロ族ネブラスカ州ウィスコンシン州からはウィンネバーゴ族オクラホマ州からはチョクトー族カリフォルニア州からはラウンド谷部族会議など、総勢19のインディアン部族だった。ITBCはこう述べている。「この中には、歴史的に敵同士だったものもあった。しかし今ここに、彼らは共通の任務のために結集したのだ」

1991年6月、「NAFWS」の尽力によって、連邦議会からインディアン部族のバッファロー育成プログラムに基金が割り当てられ、これを基に12月に活動指針が決められ、組織作りが行われた。1992年4月、各部族代表がニューメキシコ州のアルバカーキで会議を開き、「ITBC」は公式のインディアン機関と認定され、役員の選定、会員資格、定款、および内規基準が決められた。こうして1992年の夏に、同州のラピッドシティーに「ITBC」の本部が置かれ、9月にはコロラド州で組織化された。

「バッファロー牧場」が供給するバッファローの肉は、スローフードに沿う低カロリー食品として、多くのインディアンが抱える肥満・糖尿病に対策する伝統食として注目されており、各部族の健康センターでは部族民に対し、この肉の支給が行われている。彼らがバッファローを射殺する際には古式に則り、必ず呪い師が付き添い、大精霊に許しを乞う。こうして得られたバッファローの毛皮や皮は、伝統衣装や民芸品の復興にも役立てられ、また肉や各種製品はアメリカ内外にもリリースされている。

現在「ITBC」は非営利団体として57部族が会員資格を持ち、上記された7つの州に加え、オレゴン州ワシントン州アリゾナ州アイダホ州ユタ州コロラド州ミシガン州ミネソタ州ワイオミング州カンザス州ノースダコタ州、またアラスカ州の合計19の州のインディアン部族を傘下としている。これらの州のインディアン保留地の「バッファロー牧場」では現在、総合して15000頭以上のバッファローが飼育されており、インディアン以外の団体にも提携を拡げている。またバッファローの生態データの統計、観光資源活用、野生動物としての社会啓蒙、「大草原の復活提案」など、活動内容は多岐に渡っている。

[編集] インディアン・カジノ

サウスダコタ州でのインディアン・カジノは、すべてスー族によって運営されている。営業実績は隣州ミネソタ州の「シャコペー・ムデワカントン・スー族」の「ミスティック湖畔カジノホテル」に大きく差をつけられており、「シャイアン川スー族」部族会議は現在、保留地外の州中央部のオアヘ湖畔での部族カジノ開業を計画している。

2008年7月、「シャイアン川スー族」が大きな期待を寄せるこの国境外部族カジノ計画についてサウスダコタのマイク・ラウンズ知事は「聞いていない」とコメントした。ラウンズ知事はインディアン部族による保留地外でのカジノ開設案に反対しており、先行きは不透明である。

  • 「スタンディング・ロック・スー族」
    • 「熊の兵士のビンゴ場」
    • 「グランド川カジノ」
  • 「シャイアン川スー族」
    • 「CRSTビンゴ場」
  • 「シセトン・スー族」
    • 「ダコタ・コネクション・カジノ」
  • 「シセトン・ワペトン・スー族」
    • 「ダコタ・スー・カジノ」
    • 「ダコタ魔法のカジノ」
  • 「ヤンクトン・スー族」
    • 「ランダル砦カジノ」
  • 「シチャング・スー族」
    • 「黄金のバッファロー・カジノ」
  • 「クロウクリーク・スー族」
    • 「北極星カジノ」
  • 「パインリッジ・オグララ・スー族」
    • 「子供たちの村のビンゴ場」
    • 「平原の風のカジノ」
    • 「ローズバッド・カジノ」
  • 「フランドリュー・サンテ・スー族」
    • 「ロイヤル川カジノ&ビンゴ場」

[編集] 主要な都市

関連項目:w:List of cities in South Dakotaサウスダコタ州の郡一覧w:Governors of South Dakota

[編集] 行政と法律

サウスダコタ州政府は行政、立法、及び司法の3つで成り立っている。現在の知事はDennis Daugaardである。

現在、議会は州上院35名並びに州下院70名で構成される。サウスダコタ州は35選挙区で構成されており、またサウスダコタ州はアメリカの州の中で唯一、人工中絶を完全に違法化した州としても有名である。

[編集] 経済

アメリカ合衆国経済分析局によると、サウスダコタ州の州総生産高は2004年に294億米ドルであった。一人当たりの収入は合衆国内で37番目、合衆国平均以下の13.08%である、2004年に26,894米ドルであった。人口の13.2%は貧困線以下である。

[編集] 教育

[編集] 単科及び総合大学

[編集] スポーツチーム

[編集] 日本との関連

[編集] その他

[編集] 同州出身の有名人

[編集] 州の象徴など

  • 州の鳥 - コウライキジ
  • 州の魚 - ウォルアイ
  • 州の花 - セイヨウオキナグサ
  • 州の木 - ブラックヒルズトウヒ
  • 州のモットー - Great Faces. Great Places.
  • 州の愛称 - 「ラシュモア山の州」「コヨーテ州」「サンシャイン州」

[編集] 日本の姉妹都市

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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