アラバマ州

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アラバマ州
State of Alabama
アラバマ州の旗 アラバマ州の印
州旗 (州章)
州の愛称: ハート・オブ・ディキシー(南部の心臓)
The Heart of Dixie
アラバマ州の位置
州都 モンゴメリー
最大の都市 バーミングハム
州知事 ロバート・ベントレー
公用語 英語
面積
 - 総計
 - 陸地
 - 水域
全米第30位
[[1 E11 m2|135,765]] km2
131,426 km2
4,338 km2 (3.2%)
人口2010年
 - 総計
 - 人口密度
全米第23位
4,779,736
33.84人/km2
合衆国加入
 - 順番
 - 加入年月日

22番目
1819年12月14日
時間帯 UTC -6
DST -5
緯度 北緯30°13' - 35°
経度 西経84°51' - 88°28'
東西の幅 306 km
南北の長さ 531 km
標高
 -最高標高
 -平均標高
 -最低標高

734 m
152 m
0 m
略称 (ISO 3166-2:US) US-AL
ウェブサイト アラバマ州政府
上院議員 リチャード・シェルビー
ジェフ・セッションズ

アラバマ州Alabama AL)はアメリカ合衆国南部に位置するである。この州の人口は4,779,736人(2010年度)。州都モンゴメリー市。他にバーミングハム(都市圏では州内最大)、モービル(州内唯一の港町)、ハンツビル(NASA関連施設が集中する)などの主要都市がある。

州名の由来は諸説あり、ここに先住したインディアン部族のチョクトー族の「アルバ・アヤムレ=繁みを拓く」や、アラバマ族の「アルビナ=野営する」の言葉に由来するといわれるが、定かではない。

目次

[編集] 歴史

主要記事:アラバマ州の歴史

かってはフロリダの一部としてスペイン領であったが、18世紀初頭にフランスカナダから南下したフランス人によってフランス領ルイジアナの一部に編入された。七年戦争の北米での局地戦であるフレンチ・インディアン戦争によって1763年イギリス領となっている。1814年アンドリュー・ジャクソン将軍指揮下の入植者軍がクリーク族インディアン軍をホークスシュー・ベントの戦いで打ち破り、東部、北部から奴隷や家畜を連れた入植者が流入し始めた。ジャクソン将軍はこの地を『最良の入植地』と呼んだ。1817年にアラバマは準州となり、1819年22番目の州としてアラバマが創設された。1860年までに、白人農民の80%は土地を所有し、約30%は奴隷を所有していた。奴隷の数は1820年の約4万2千人から1860年には約44万人に増え、州人口の45%を占めていた。1861年1月、リンカーンが大統領になると、奴隷解放に反対し、北部連邦を脱退、アラバマ共和国を名乗る。南北戦争では南部連合の首都をモンゴメリーに置き、連合の初代大統領としてジェファーソン・デイビスを擁立し、連合の中心的役割として戦った。南部連合の首都は同年5月にヴァージニア州リッチモンドに移転されている。1864年の夏にはメキシコ湾に面したモービルベイで南北戦争では珍しい海戦が繰り広げられたが、南部の敗北に終わった。1868年合衆国復帰。南北戦争での州の死者は推定2万5千人以上とされる。その後も黒人差別が続き、1955年州都モンゴメリーで起こったローザ・パークス逮捕事件が公民権運動の口火を切った。

[編集] 地理

関連項目:アラバマ州の郡一覧

アラバマ州は総面積135,765 km² (52,419 mi²) に加えアメリカ合衆国内で30番目に大きな州である。そのうち3.2%は地上の水の総計で23番目になる、水地域である。

州の北東部にはなだらかなアパラチア高原が広がり、石炭鉄鉱石など鉱物資源の宝庫となっている。他の大部分はメキシコ湾沿岸平原で占められる。メキシコ湾に流入するモービル川とアラバマ川が主要な河川システムを形成する。

州の西部はミシシッピ州、北部はテネシー州、東部はジョージア州と接し、南部も大部分はフロリダ州と接するが、一部はメキシコ湾に面している。

アラバマ州の国立公園はDavistonのHorseshoe Bend National Military Park;Fort PayneのLittle River Canyon National Preserve;ブリッジポートのRussell Cave National Monument;タスキーギのTuskegee Airmen National Historic Site;タスキーギ近郊のTuskegee Institute National Historic Siteが含まれる[1]

[編集] 都市部

順位 大都市圏 人口
1 Birmingham-Hoover-Cullman CSA 1,170,012人
2 Mobile-Daphne-Fairhope CSA 567,625人
3 モンゴメリー MSA 397,961人
4 ハンツビル MSA 368,661人
5 タスカルーサ MSA 196,885人
6 ジケーター MSA 149,629人
7 Florence-Muscle Shoals MSA 142,950人
8 ドーサン MSA 136,594人
9 Auburn-Opelika MSA 123,254人
10 Anniston-Oxford MSA 112,240人
11 ガズデン MSA 104,000人

[編集] 人口動勢

人口推移
人口 変動率
1800年 1,250
1810年 9,046 623.7%
1820年 127,901 1313.9%
1830年 309,527 142.0%
1840年 590,756 90.9%
1850年 771,623 30.6%
1860年 964,201 25.0%
1870年 996,992 3.4%
1880年 1,262,505 26.6%
1890年 1,513,401 19.9%
1900年 1,828,697 20.8%
1910年 2,138,093 16.9%
1920年 2,348,174 9.8%
1930年 2,646,248 12.7%
1940年 2,832,961 7.1%
1950年 3,061,743 8.1%
1960年 3,266,740 6.7%
1970年 3,444,165 5.4%
1980年 3,893,888 13.1%
1990年 4,040,587 3.8%
2000年 4,447,100 10.1%
2010年 4,779,736 7.5%

2005年現在、アラバマ州は前年より32,433人、または0.7%増加し、2000年より110,457人、または2.5%増加した、人口4,557,808人と概算された。これは77,418人 (出生319,544人、死亡242,126人) と前回の国勢調査からの自然増並びに州内への移住者36,457人の増加が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は25,936人増加することとなり、合衆国内部の移住者は10,521人増加することになる。

この州には22.2%が不法在留外国人 (24,000) と概算される、108,000人の外国生まれ (州人口の2.4%) が居住する。

アラバマ州の人口重心はJemison 区域と知られる地域、Jemisonの外側にある、チルトン郡となっている[2]

[編集] 人種及び祖先

この州の人種的関係及び前の国勢調査との比較:

国勢調査年: 2000年 1990年
白人 71.1% 73.6%
黒人 26.0% 25.3%
アジア人 0.7% 0.5%
インディアン 0.5% 0.4%
その他 0.7% 0.1%
混血 1.0%
*
白人、ヒスパニック以外 70.3% 73.3%
ヒスパニック‡ 1.7% 0.6%
ノート:
* 有効でない;混血は2000年の国勢調査で初めて報告された。
ヒスパニックは民族を問わず適切な民族分類が含まれる。

アラバマ州内で最大と報告された祖先グループは:アメリカ人 (17.0%)、イギリス系(7.8%)、アイルランド系 (7.7%)、ドイツ系(5.7%)、及びスコットランド系アイルランド人 (2.0%)。'アメリカ人' はそれらの報告されたインディアン、または黒人が含まれる。

[編集] 宗教

アラバマ州の主要な宗教:

  • キリスト教 – 92%
    • プロテスタント – 79%
      • バプテスト – 49%
      • メソジスト – 10%
      • 長老派教会 – 3%
      • Episcopalian – 2%
      • Church of God – 2%
      • Church of Christ – 2%
      • ペンテコステ運動 – 2%
      • ルーテル教会 – 2%
      • 他のプロテスタント – 7%
    • カトリック教会 – 13%
  • 他の宗教 – 1%
  • 無宗教 – 7%

[編集] インディアン部族

エルナンド・デ・ソトが遠征した16世紀の周辺のインディアン集落。緑色の領域が現在のアラバマ州

アラバマ族アパラチー族アタシ族アパラチコーラ族チャトト族チェロキー族チカソー族チョクトー族ムスコギー・クリーク族連合ユーファウラ族ファス・ハッチー族ヒリビ族カン・ハッチ族ケアレジ族コロミ族アビーカ族オクチャイ族パカナ族ツカバーチー族ワコカイ族ウィウォーカ族)、ヒッチチ族コアサチ族モービル族ムクラサ族ナポチ族ナチェス族オクムルギー族オソチ族パウォクチ族ピルスラコ族サウォクリ族ショーニー族タエンサ族トホメ族タスケギー族ヤマシー族ユチ族など、アラバマ州には多数のインディアン部族が先住した。そのほとんどが農耕民族である。

アメリカ連邦政府が公式認定し、現在も連邦条約を基にした保留地(Reservation)を領有している部族は「クリーク族・ポアーチ・バンド」のひとつだけである。

16世紀にフロリダから上陸したスペイン人のエルナンド・デ・ソトは、自らを「不死の太陽王」と名乗って軍勢を率いて南東部各地でインディアン部族を虐殺した。ソトはこの地にも現れ、1540年にはクリーク族の近縁部族であるモービル族の村の「マビラ砦」を襲い、「マビラの虐殺」と呼ばれる大虐殺を行った。「クリーク族連合」の多数の支族は、ソトの記録に基づくものが多い。

マビラの砦を焼き払い、インディアンを虐殺するソトの軍隊

クリーク族(ムスコギー連合)は、人種隔離論を掲げたアンドリュー・ジャクソン大統領の民族浄化政策である1830年の「インディアン移住法」の影響を、最も大きく受けた部族のひとつである。アラバマ及び周辺地帯は肥沃な土地を有し、古くから白人入植者に収奪されてきた。

1831年に、クリーク族の酋長が連邦政府に「1500人を超える白人入植者が、われわれクリーク族の土地に勝手に農場を作っている」と告訴した。これに対する連邦政府の答えは、「西の土地(現在のオクラホマ州)に保留地を用意するから、そこに移住すればよい」というものだった。こうして部族の苦情は逆手に取られ、1832年には、なし崩し的にクリーク族の土地は条約で連邦へ譲渡されることとなり、アラバマのクリーク・ムスコギー連合部族はインディアン準州(現・オクラホマ)へ強制移住させられることとなった。米軍の監視のもと行われた徒歩による大陸横断移住では、数千人の途上死者を出す悲惨なものとなった。

1832年の、クリーク族のオクラホマへの強制移住「涙の道」の経路(橙色の実線)。陸軍によって大陸の徒歩横断を強制され、数千人に上る途上死者を生んだ。

この際、条約規定では、インディアン準州への移住を拒んだクリーク族はアラバマ州の保留地に残ってもよかった。しかし、白人入植者は彼らの土地をあっという間にだまし盗ってしまった。記録されただけでも、「インディアンをウィスキーで酔いつぶれさせて売買契約書に署名させる」、「賄賂を用いて別のインディアン名義の土地権利書を作成し、そのインディアンの署名で売買契約を行う」、「公然と売買契約書を偽造する」、「土地売買での裁判に圧力干渉する」、といった手口が活用された。これは全米のインディアン部族に対して白人入植者が用いた常套手口であり、特に珍しいものでも同州に限ったものでもない。インディアンのほとんどは英語の読み書きができなかったから、売買契約書の偽造はまるでたやすいものだった。

こういった土地の略奪で処罰される白人はおらず、むしろこれらはインディアンを子供扱いし、「インディアンは消滅されるべき劣等民族である」と議会で演説したジャクソン大統領の施政に沿うものだった。1879年に合衆国最高裁判所が公式に「インディアンは人間である」と認めるまで、そもそもインディアンは人間扱いされていなかったのである。

この強制移住の際の、クリーク族の「まだらの蛇(Speckled Snake)」酋長が連合各部族に行った演説は非常に有名である。以下はその抜粋である。

兄弟たちよ、私は偉大なる父(アメリカ大統領)の話に何度も耳を傾けた。偉大なる父は赤い子供(インディアン)が好きだと言う。しかし、白人たちの言うことは、いつもこうだ。「もう少し向こうへ行ってくれ、お前たちは白人の近くに居過ぎるのだ」
ポアーチ・クリークインディアンの保留地は、エスキャンビア郡のアトモア(赤い部分)内にある

こうして1853年には、アラバマ州でのクリーク族の土地保有者はほとんどいなくなり、クリーク族は絶滅したことにされた。なおも同州にとどまったインディアンのうち、「クリーク族・ポアーチ・バンド」は1950年代から70年代まで、部族指導者カルバン・マギーの音頭取りによって「感謝祭」の日にパウワウを開催して資金を募り、復活要求運動を高めた。こうしてついに同バンドは1984年にアメリカ連邦内務省BIAに再公認されて「復活」を果たした。

同州では多数の部族が19世紀に「絶滅部族」にされて保留地を失い、現在再認定を要求し係争中である。

≪アメリカ連邦政府が公式認定している部族≫

≪アメリカ連邦政府は公認していないがアラバマ州政府が公認している部族・団体≫

  • 「チェロクリーク相互部族インディアン」
「北東アラバマ・チェロキー族」
  • 「エコタ・チェロキー族」
  • 「マ=チス・南クリーク族」
  • チョクトー族・モワ・バンド」
  • 「ピクア・ショーニー族
  • 「ムスコギー・クリーク族・ユファラ・星の氏族」
  • 「アニ・ユン・ウィヤ・チェロキー連合」

≪アメリカ連邦政府もアラバマ州政府も公認していない部族・団体≫

「アラバマ・チェロキー族」
「南東アラバマ・チェロキー族」
「チカマウガ・チェロキー族」
「チッカモギー・チェロキー族・ラングレー・バンド」
「自由チェロキー族・鷲と熊の氏族」
「フェニキアン・チェロキー族・セコイヤ・鷲の部族」
「南カンバーランド台地チッカマカ・バンド」
「ウルフクリーク族」
  • 「チェロキー川インディアン共同体」
  • クリーク族(ムスコギー連合)」
「ミシシッピ以東の主要なるクリークインディアン国家」

[編集] インディアン・カジノ

現在のところ、クリーク族のみが「インディアン・カジノ」を開設している。郡によってカジノや賭博の規定は違うが、アラバマ州自体はインディアン・カジノに反対の立場をとっており、州公認部族はカジノを開設できない。

ポアーチ・クリーク族は、彼らのカジノにスロットマシンとテーブル・ゲームの増加を予定している。トロイ・キング州司法長官は米国内務省に対し、2008年4月にモービルの連邦裁判所にポアーチ・クリーク族のカジノ事業拡大の禁止を求めた訴訟を起こした。キング司法長官は、「近頃の内務省は、アラバマの(インディアン以外の)人々の権利の尊重というものを無視しているのではないのか」と不満を述べている。

≪アラバマ州のインディアン・カジノと経営部族≫

  • クリーク族(ムスコギー族)・ポアーチ・バンド
「風のクリーク・カジノ&ホテル」
「クリーク・カジノ」
「タラポーサ・カジノ」
「川岸のカジノ」

[編集] 政治と法律

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

[編集] 移民法

アラバマ州の移民法は、厳しいことで知られ、公立学校の生徒は不法移民ではないかのチェックを受けることが必須とされている。2011年9月の法改正では、自動車のドライバーが州発行、外国人であれば出身国が発行した自動車運転免許証を携帯することが義務づけられ、違反者は警察が拘束することも可能となった[1]

[編集] 経済

アメリカ合衆国経済分析局によると、2003年の総州生産高は1,320億米ドルであった。アラバマ州の一人当たりの収入は2003年に26,505米ドルであった。この州の農業生産品は家禽及び、植物苗床品目、ラッカセイ綿トウモロコシ及びモロコシ等の穀物野菜ミルクダイズ、並びにが含まれる。 "The Cotton State" と知られているが、アラバマ州は上位3位以内から成るテキサス州ジョージア州及びミシシッピ州を合わせたいくつかの報告書[3][4]によると、合衆国内の綿生産の8 から 10番目の間に位置している。

アラバマ州の産業生産品は及び製品(鋳造鉄及び鋼パイプ);、材木及び木材製品;鉱業(多くが石炭);合成樹脂製品;車及びトラック;並びに衣類が含まれる。また、アラバマ州は特にNASA George C. Marshall Space Flight Center及びRedstone Arsenalに本部を置くUS Army Missile Commandが設置されている、ハンツビル地域でAerospace及びElectronic製品を生産している。

また、モービル市メキシコ湾で活気のある港町であり、Tennessee-Tombigbee Waterwayを経由して中西部へつながる内陸水路の入口となっている。

[編集] カジノ

2009年11月3日、「ビクトリーランド・カジノ」は、32インチのLCDテレビ、カクテルバー、喫茶店を備えた300の豪華客室とスイート、高級レストラン「ホイットフィールズ・ステーキハウス」、および世界最大規模の6400台のビンゴ場を擁する「ニュー・オアシス・ホテル」を開業した。

ロスティ・プライス総支配人は「私たちの目標は、4星(ダイヤモンド)認定されることです。ぜひ、アトランタや他の州から多くの人々においで願いたいと思います」とコメントしている。

同州の白人系カジノは現在のところ、以下の二店が営業中である。

  • 「カントリー・クロッシング」
  • 「ビクトリーランド」

2009年10月26日、アラバマ州巡回裁判所のロバート・ヴァンス裁判官は、同州のカジノの電子ビンゴ遊技機を違法と裁決した。これはウォーカー郡で同遊戯機を運用しているすべてのカジノの閉鎖を命じるもので、政治論争となった。ロン・スパーク議員はこの判決を「州産業に逆行するものだ」として徹底批判し、「私は、州の賭博産業に関する州全体の認可、および規則の遵守を誓約した唯一の党員であります。カジノ税は教育と低所得者医療扶助制度に資金を供給しています。賭博を許容するかどうかは、それぞれの群の有権者に託すべきです」と声明を出した。

これを受け、アラバマ最高裁判所はカジノでのビンゴ遊戯機設置許可のために、6つの法的評価基準を設定した。 ボブ・ライリー知事は、3月に対策チームを作り、州下の900台以上の遊技台を止めた州最高裁判所に対してこの規制が対スロットマシン級で強すぎるとする書類を提出した。 その後の公聴会で、法廷はデジタル式ビンゴ遊戯機にも評価基準を設定した。2009年12月7日、営業停止させられていた「カントリー・クロッシング」や「ビクトリーランド」などの州下のカジノは、この評価基準に遊戯機を対応させて営業再開した。

[編集] 教育

[編集] 単科及び総合大学 (不完全)

[編集] その他

[編集] 同州出身の有名人


[編集] アラバマ州選出議員

[編集] 日本の姉妹都市

[編集] 出典

  1. ^ 国際免許証見せたのに・・・ホンダ日本人社員「無免許扱い」に、米アラバマ州(AFP.BB.NEWS.2011年12月2日)同日閲覧]

[編集] 参考文献

  • サザンホスピタリティ アメリカ南部留学記、竹内理恵著(アラバマ州への留学手記)、2002、愛知出版-星雲社

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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