甘楽郡

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群馬県甘楽郡の範囲(1.下仁田町 2.南牧村 3.甘楽町 緑・黄・薄黄:第1次・第2次ともに所属 桃:第1次のみ所属 薄黄:後に他郡に編入された区域)

甘楽郡(かんらぐん)は、群馬県上野国)のである。

人口23,244人、面積365.62km²、人口密度63.6人/km²。(2014年6月1日、推計人口

以下の2町1村が含まれる。

郡域[編集]

甘楽郡(第1次)[編集]

概ね上記の区域を合わせたものだが、行政区画として画定されたものではない。

甘楽郡(第2次)[編集]

1950年(明治29年)に改称した当時の郡域は、上記の2町1村以外では、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。

  • 高崎市(阿久津町、根小屋町、木部町、山名町、新町および城山町一・二丁目の一部)
  • 富岡市

高崎市に属する地域はいったん多胡郡に編入されている。

歴史[編集]

明治以前までは神流川上流域にまたがる郡であったが、その後の郡の再編によって緑野郡との事実上の境界線変更が行われ、昭和以降の現在の郡域が確定した。

古代には「甘良郡」として『続日本紀和銅4年(711年)に登場する。からの渡来人が多く住んだことから、「から」が変化して「かんら」となったと考えられる。

式内社はのちの一宮で名神大社の貫前神社と宇芸神社の2社。

戦国時代、国峰城の小幡氏が、上杉氏長尾氏武田氏後北条氏と主を変えながら活躍した。しかし後北条氏滅亡に伴い小幡氏は国峰から離れた。

徳川家康関東に入ると、小幡藩藤岡藩が置かれた。1600年に藤岡藩は改易。1616年には七日市藩が置かれ、江戸時代は小幡・七日市で二分されていた。

小幡藩ではのちに明和事件が起こっている。幕末には下仁田戦争(上京する水戸天狗党高崎藩兵との衝突)の舞台となった。

甘楽郡(第1次)[編集]

所属町村の変遷は南甘楽郡#郡発足までの沿革北甘楽郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照

甘楽郡(第2次)[編集]

1.富岡町 2.黒岩村 3.一ノ宮町 4.丹生村 5.高田村 6.妙義町 7.小坂村 8.西牧村 9.尾沢村 10.月形村 11.磐戸村 12.青倉村 13.下仁田町 14.馬山村 15.吉田村 16.高瀬村 17.額部村 18.秋畑村 19.小幡町 20.福島町 21.新屋村 22.岩平村 23.小野村(紫:高崎市 桃:富岡市 赤:甘楽町 橙:下仁田町 黄:南牧村 -は近世の甘楽郡に含まれる地域)
  • 1950年昭和25年)4月1日 - 北甘楽郡が甘楽郡(第2次)に改称。以下の町村が所属(6町17村)
富岡町黒岩村一ノ宮町丹生村高田村妙義町(現富岡市)、小坂村西牧村(現下仁田町)、尾沢村月形村磐戸村(現南牧村)、青倉村下仁田町馬山村(現下仁田町)、吉田村高瀬村額部村(現富岡市)、秋畑村小幡町(現甘楽町)、福島町(現富岡市・甘楽町)、新屋村(現甘楽町)、岩平村(現高崎市)、小野村(現富岡市)。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 富岡町が小野村・黒岩村・一ノ宮町・高瀬村・額部村を編入のうえ市制施行して富岡市となり、郡より離脱。(4町13村)
  • 1955年(昭和30年)
    • 1月15日 - 岩平村が多野郡吉井町・多胡村・入野村と合併して多野郡吉井町が発足し、郡より離脱。(4町12村)
    • 3月10日 - 下仁田町・青倉村・馬山村・西牧村・小坂村が合併して下仁田町が発足。(4町8村)
    • 3月15日 - 磐戸村・月形村・尾沢村が合併して南牧村が発足。(4町6村)
    • 3月16日 - 小幡町・秋畑村が合併し、改めて小幡町が発足。(4町5村)
    • 3月20日 - 妙義町・高田村が合併し、改めて妙義町が発足。(4町4村)
    • 4月1日 - 吉田村が富岡市に編入。(4町3村)
  • 1959年(昭和34年)2月1日(3町2村)
    • 小幡町・新屋村および福島町の一部(大字福島・小川)が合併して甘楽町が発足。
    • 福島町の残部(大字星田・君川・田篠)が富岡市に編入。
  • 1960年(昭和35年)4月1日 - 丹生村が富岡市に編入。(3町1村)
  • 2006年平成18年)3月27日 - 妙義町が富岡市と合併し、改めて富岡市が発足、郡より離脱。(2町1村)

変遷表[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

先代:
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行政区の変遷
- 1878年
(第1次)
次代:
南甘楽郡北甘楽郡
先代:
北甘楽郡
行政区の変遷
1950年 -
(第2次)
次代:
(現存)