新城幸也
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| 個人情報 | ||||||||||||
| 本名 | 新城 幸也 あらしろ ゆきや |
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| 愛称 | ゆきや | |||||||||||
| 生年月日 | 1984年9月22日(27歳) | |||||||||||
| 国籍 | ||||||||||||
| 身長 | 170cm | |||||||||||
| 体重 | 67kg | |||||||||||
| チーム情報 | ||||||||||||
| 所属 | ヨーロッパカー | |||||||||||
| 分野 | ロードレース | |||||||||||
| 役割 | 選手 | |||||||||||
| 特徴 | パンチャー | |||||||||||
| プロ所属チーム | ||||||||||||
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2006
2007-2008 2009- |
Team Vang 梅丹本舗 Bbox ブイグテレコム (Bouygues Telecom) |
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| 主要レース勝利 | ||||||||||||
| アジア選手権・個人ロードレース 2011 ツール・デュ・リムザン第2ステージ 2008 |
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| 最終更新日 2011年2月19日 |
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新城 幸也(あらしろ ゆきや、1984年9月22日 - )は、沖縄県石垣市登野城出身のサイクルロードレース選手。沖縄県立八重山高等学校卒業。
2009年7月には、別府史之とともに日本選手として13年ぶりにツール・ド・フランスに出場し、日本人で初めて近代ツール・ド・フランスを完走した選手の一人となった。更に2010年のジロ・デ・イタリアを完走し、ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアの2大グランツールを初めて完走した日本人ライダーとなった。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] ハンドボール時代
小学校5年生のときに初めてロードバイクに乗ったが、中学2年でハンドボールに出合いハンドボール中心の生活を送り、自転車に乗るのはトライアスロンの時だけだったという。高校3年夏でハンドボール部を引退した後、父の知り合いのロードレース選手・福島晋一がツアー・オブ・ジャパン宇都宮ステージで優勝した際のビデオテープを見て自転車競技の道を志す。
[編集] ロードレースへの転向
福島に才能を見込まれ、高校卒業後に本格的に自転車競技へ転向。フランスへ自転車留学した後、アンカーエスポワールに所属。
2006年はチームブリヂストン・アンカーに所属していた福島らとともに、新しく発足した日本初の独立チームであるチーム・バン・サイクリングに移籍、ツール・デュ・リムザン(Tour du Limousin)で総合3位を獲得。そしてU-23部門での日本選手権で逃げ切りを決め優勝。
2007年からはチーム・バンの活動停止を受け、ほぼ同メンバーにより結成された新チームエキップアサダ(2007年=NIPPOコーポレーション・梅丹本舗・エキップアサダ、2008年=梅丹本舗・GDR)に所属する。この年、土砂降りと濃霧で大混乱となった日本選手権で優勝する。
2008年にはツール・デュ・リムザンで自身2度目の総合3位と区間優勝を獲得。
[編集] 2009年
大きなレースで上位入着を重ねた実力が認められ、2008年12月からはUCIプロチームであるBbox ブイグテレコムと1年間の契約を結び、プロツアー選手となった。
[編集] ツール・ド・フランス
2009年、ツール・ド・フランスへの出場が決定。日本人の出場は、1996年大会の今中大介に続いて、戦後2人目となる[1]。2009年6月25日、芸能プロダクションのホリプロとマネージメント契約を結んだ[2]。
2009年のツール・ド・フランスでは「完走よりもステージ優勝を狙う。ステージ優勝できたら次の日にリタイアしてもいい」と公言し、第2ステージでのゴールスプリントで5着に入る活躍を見せたが、この結果によりチーム側からスプリンター扱い[3]を受け、レース中自らアタックすることを禁じられてしまう。また第6ステージで落車した影響で一時調子を落としたこともあり、その後は活躍する場面が見られなかったが、最終的に無事3週間のレースを終え完走を果たした[4]。同レースには別チームで出場していた別府史之も無事完走し、凱旋門をバックに二人が肩を組む写真が自転車専門誌の表紙を飾った。
[編集] その他
同年9月の世界選手権では、序盤から逃げ集団に加わって、全19周のうち残り4周まで逃げ続けるという活躍を見せた[5](レースそのものは未完走[6])。
[編集] 2010年
2010年シーズンは新城にとって大きく飛躍を遂げる年となった。
[編集] ジロ・デ・イタリア
2010年はシーズン序盤こそレース終盤での脱落が目立ったが、ジロ・デ・イタリアのメンバー入りを果たすと、第5ステージで得意の大逃げを決め、ゴールスプリントで敗れはしたものの3位に入る。これはグランツールにおける日本人選手としては最高成績であり(2010年12月現在)、グランツール・プロツアーで十分に戦えることを証明した。
その後のステージでは、平地はスプリンターのウィリアム・ボネのアシストとしてチームに貢献、山岳ステージに於いても成長を見せ、悪天候かつ近年稀に見る難コースをクリアしていった。中でも、山岳コースの第17ステージでは再び逃げに乗り、終盤でメカニカルトラブルによる一時ストップを余儀なくされたもののステージ13位、翌第18ステージではボネを集団前方に引き上げる役割を果たしながら自らもスプリントに参戦しステージ13位を記録、最難関の山岳である第20ステージでも標高2618mのガヴィア峠頂上にトップから僅か5分遅れで到達するなどの活躍により最終的に総合優勝のイヴァン・バッソから3時間22分21秒遅れ、91時間06分22秒の総合93位で完走した。
[編集] ツール・ド・フランス
先のジロ・デ・イタリアに引き続き二年連続でツール・ド・フランス出場を果たした。尚、同年にグランツール二大会出場を果たしたのは日本人選手初の快挙である。役割としてはトマ・ヴォクレールと2人で大逃げを狙うのがメインだが、逃げに失敗した場合にはセバスティアン・テュルゴの発射台、もしくは単独でのスプリントと多数の任務を抱える重要な選手となった。
第11ステージで世界の並み居る強豪スプリンター達を相手に全く引けを取ることなく、ゴール前スプリントに絡み見事6位に入賞[7][8]。
[編集] その他
10月3日にオーストラリアのメルボルンで開催された世界選手権自転車競技大会エリート男子ロードレース部門に別府史之と土井雪広と共に日本ナショナルチームで出場し、近代自転車ロードレースに於ける日本人過去最高成績の、首位と同タイムの9位でゴール[9][10][11]
世界選手権から1週間後の10月10日、伝統のクラシックレース「パリ〜ツール」にブイグテレコムのエースとして出場し、ゴールスプリントに絡み5位入賞を果たす。
[編集] 2011年
2010年一杯で現所属チームのメインスポンサーであるブイグテレコムが撤退したが、新スポンサーとして大手レンタカー会社のヨーロッパカーが加わることが決まり、新城もチームと2年間契約を延長した[12]。
第31回アジア自転車競技選手権大会・個人ロードレース 優勝。同大会・個人タイムトライアル 4位。
[編集] コルナゴC59
新城は2010年5月のジロ・デ・イタリア第6ステージ以降、コルナゴの2011年モデルC59を使用している。最初に支給されたC59は新城専用のカラーリングで、漢字による個人ネームと「必勝」の文字、日の丸がペイントされた日本を意識したデザインのものである。通称「必勝号」と呼ばれている。
なお、2010年7月のツール・ド・フランスより所属チーム全員にブラック/イエローカラーのC59が支給されているが、前述のジロ・デ・イタリアの時点では新城を含め世界で4人にしか提供されていなかった(他はサシャ・モドロとトマ・ヴォクレールの2人で、新城は3人目。4人目はドメニコ・ポッツォヴィーヴォ)。デザインに関しては以前に新城からコルナゴへアイデアを提供していたとされる[13]。
ちなみにこの「必勝号」は現在スペアバイク扱いとなっている。[14]
[編集] 主な実績
- 2005年
全日本自転車競技選手権大会・U23部門 ロード&タイムトライアル 優勝
- 2006年
- ツール・デュ・リムザン 総合3位、新人賞
- 世界選手権自転車競技大会・U23部門 個人ロード 14位
- ツール・ド・おきなわ 3位
- 2007年
全日本自転車競技選手権大会 ロード 優勝
- ブエルタ・ア・レオン 総合2位
- ツール・デュ・ジュラ 2位
- ツール・ド・北海道 総合3位。区間1勝(第4)
- ツール・ド・おきなわ 3位
- ツアー・オブ・ジャパン 区間1勝(第7)
- 2008年
- ツール・ド・おきなわ 総合優勝、区間2勝(第1、2)
- ツール・デュ・リムザン 総合3位、区間1勝(第2)
- ツール・ド・熊野 総合3位
- 2009年
- ツール・ド・フランス
- 総合129位
- 第2ステージ5位
- ダンケルク4日間レース 総合9位
- 2010年
- ジロ・デ・イタリア
- 総合93位
- 第5ステージ3位
- ツール・ド・フランス
- 総合112位
- 第11ステージ6位
- 世界選手権(メルボルン) エリート男子ロード 9位
- パリ〜ツール 5位
- 2011年
- 第31回アジア自転車競技選手権大会
- 個人ロードレース 優勝
- 個人タイムトライアル 4位
- 全日本自転車競技選手権大会 ロード 2位
[編集] 脚質
本人も「好きなのは逃げ」と常に語るほどの逃げが得意なライダー。きちんとローテーションすれば2010年ジロ・第5ステージのように18km地点から144kmを実力で逃げ切るほどの巡航力を誇る。それに加え単独での逃げアタック能力(2009年世界戦、2010年ジロ)、ゴールスプリントでのスプリンター並みのパワー(2009年ツール)をみせるなど、短距離でも鋭い足を誇る平地型のパンチャーといえる。そのため今のチーム内ではエーススプリンターであるウイリアム・ボネのアシストとして(幸也が発射台役)動くオーダーが多いが、逃げが許される状況では積極的なレースを見せる。
[編集] 脚注
- ^ 琉球新報電子版(2009年6月15日付)
- ^ 八重山日報news.com (2009年6月30日付)
- ^ チームにはパンチャーと呼ばれるアップダウンに強いタイプとして登録されていた
- ^ 東京中日スポーツ・2009年8月5日付 18面「コンフィデンシャル」
- ^ エヴァンスが感涙のアルカンシェル獲得!
- ^ レース結果
- ^ マイヨ・ヴェールのトル・フースホフトをゴールライン手前で差した
- ^ この日、オフだった別府史之がゴール会場に訪れていた
- ^ 優勝者はノルウェーのトル・フースホフト
- ^ イタリアのヴァレーゼで開催された2008年ロード世界選手権大会は完走選手中最下位の77位
- ^ 世界選手権ロードレースにおける日本人選手最高順位は、1936年のアマ部門における出宮順一の7位。
- ^ 新城幸也が現所属チームと2年間の契約延長 - Goostyle 自転車・2010年11月4日
- ^ ジロ出場の新城へ、コルナゴからプレゼント
- ^ 新城はチームで唯一右前左後ブレーキのセッティングであり、スペアバイクは容易に判別できる方が都合が良いのも理由の一つである。
[編集] 外部リンク
- 新城幸也の今日もチバリヨー(公式ブログ)
- 新城幸也特集 | 八重山日報ニュースドットコム
- 新城幸也 (YukiyaArashiro) - Twitter
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