新城幸也

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新城幸也
Yukiya Arashiro
Cycling (road) pictogram.svg
Yukiya Arashiro.jpg
個人情報
本名 新城 幸也
あらしろ ゆきや
愛称 ゆきや
生年月日 1984年9月22日(29歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 170cm
体重 67kg
チーム情報
所属 ヨーロッパカー
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 パンチャー
プロ所属チーム
2006
2007-2008
2009-
Team Vang
梅丹本舗
Bbox ブイグテレコム (Bouygues Telecom)
主要レース勝利

ツール・デュ・リムザン

総合優勝 2012
第2ステージ 2008

アジア選手権

個人ロードレース 2011

日本の旗全日本選手権

個人U-23ロード 2006
個人U-23タイムトライアル 2006
個人エリートロード 2007・2013

ツール・ド・フランス

第4ステージ敢闘賞 2012
 
獲得メダル
ロードレース
アジア自転車競技選手権大会
2011 ナコンラチャシマ 個人ロード
最終更新日
2013年6月25日

新城 幸也(あらしろ ゆきや、1984年9月22日 - )は、沖縄県石垣市登野城出身のサイクルロードレース選手。沖縄県立八重山高等学校卒業。

2009年7月には、別府史之とともに日本選手として13年ぶりにツール・ド・フランスに出場し、日本人で初めて近代ツール・ド・フランスを完走した選手の一人となった。更に2010年のジロ・デ・イタリアを完走し、ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアの2大グランツールを初めて完走した日本人ライダーとなった。2012年のツール・ド・フランスに第4ステージおいて敢闘賞を獲得。日本人で初めてグランツールの表彰台に上がった選手となった[1]

経歴[編集]

ハンドボール時代[編集]

小学校5年生のときに初めてロードバイクに乗ったが、中学2年でハンドボールに出合いハンドボール中心の生活を送り、自転車に乗るのはトライアスロンの時だけだったという。高校3年夏でハンドボール部を引退した後、父の知り合いのロードレース選手・福島晋一ツアー・オブ・ジャパン宇都宮ステージで優勝した際のビデオテープを見て自転車競技の道を志す。

ロードレースへの転向[編集]

福島に才能を見込まれ、高校卒業後に本格的に自転車競技へ転向。フランスへ自転車留学した後、アンカーエスポワールに所属。

2006年はチームブリヂストン・アンカーに所属していた福島らとともに、新しく発足した日本初の独立チームであるチーム・バン・サイクリングに移籍、ツール・デュ・リムザン(Tour du Limousin)で総合3位を獲得。そしてU-23部門での日本選手権で逃げ切りを決め優勝。

2007年からはチーム・バンの活動停止を受け、ほぼ同メンバーにより結成された新チームエキップアサダ(2007年=NIPPOコーポレーション・梅丹本舗・エキップアサダ、2008年=梅丹本舗・GDR)に所属する。この年、土砂降りと濃霧で大混乱となった日本選手権で優勝する。

2008年にはツール・デュ・リムザンで自身2度目の総合3位と区間優勝を獲得。

2009年[編集]

大きなレースで上位入着を重ねた実力が認められ、2008年12月からはUCIプロチームであるBbox ブイグテレコムと1年間の契約を結び、プロツアー選手となった。

ツール・ド・フランス[編集]

2009年、ツール・ド・フランスへの出場が決定。日本人の出場は、1996年大会今中大介に続いて、戦後2人目となる[2]。2009年6月25日、芸能プロダクションのホリプロとマネージメント契約を結んだ[3]

2009年のツール・ド・フランスでは「完走よりもステージ優勝を狙う。ステージ優勝できたら次の日にリタイアしてもいい」と公言し、第2ステージでのゴールスプリントで5着に入る活躍を見せたが、この結果によりチーム側からスプリンター扱い[4] を受け、レース中自らアタックすることを禁じられてしまう。また第6ステージで落車した影響で一時調子を落としたこともあり、その後は活躍する場面が見られなかったが、最終的に無事3週間のレースを終え完走を果たした[5]。同レースには別チームで出場していた別府史之も無事完走し、凱旋門をバックに二人が肩を組む写真が自転車専門誌の表紙を飾った。

その他[編集]

同年9月の世界選手権では、序盤から逃げ集団に加わって、全19周のうち残り4周まで逃げ続けるという活躍を見せた[6](レースそのものは未完走[7])。

2010年[編集]

2010年シーズンは新城にとって大きく飛躍を遂げる年となった。

ジロ・デ・イタリア[編集]

2010年はシーズン序盤こそレース終盤での脱落が目立ったが、ジロ・デ・イタリアのメンバー入りを果たすと、第5ステージで得意の大逃げを決め、ゴールスプリントで敗れはしたものの3位に入る。これはグランツールにおける日本人選手としては最高成績であり(2013年7月現在)、グランツール・プロツアーで十分に戦えることを証明した。

その後のステージでは、平地はスプリンターのウィリアム・ボネのアシストとしてチームに貢献、山岳ステージに於いても成長を見せ、悪天候かつ近年稀に見る難コースをクリアしていった。中でも、山岳コースの第17ステージでは再び逃げに乗り、終盤でメカニカルトラブルによる一時ストップを余儀なくされたもののステージ13位、翌第18ステージではボネを集団前方に引き上げる役割を果たしながら自らもスプリントに参戦しステージ13位を記録、最難関の山岳である第20ステージでも標高2618mのガヴィア峠頂上にトップから僅か5分遅れで到達するなどの活躍により最終的に総合優勝のイヴァン・バッソから3時間22分21秒遅れ、91時間06分22秒の総合93位で完走した。

ツール・ド・フランス[編集]

先のジロ・デ・イタリアに引き続き二年連続でツール・ド・フランス出場を果たした。尚、同年にグランツール二大会出場を果たしたのは日本人選手初の快挙である。役割としてはトマ・ヴォクレールと2人で大逃げを狙うのがメインだが、逃げに失敗した場合にはセバスティアン・テュルゴの発射台、もしくは単独でのスプリントと多数の任務を抱える重要な選手となった。

第11ステージで世界の並み居る強豪スプリンター達を相手に全く引けを取ることなく、ゴール前スプリントに絡み見事6位に入賞[8][9]

その他[編集]

10月3日にオーストラリアメルボルンで開催された世界選手権自転車競技大会エリート男子ロードレース部門に別府史之土井雪広と共に日本ナショナルチームで出場し、近代自転車ロードレースに於ける日本人過去最高成績の、首位と同タイムの9位でゴール[10][11][12]

世界選手権から1週間後の10月10日、伝統のクラシックレース「パリ〜ツール」にブイグテレコムのエースとして出場し、ゴールスプリントに絡み5位入賞を果たす。

2011年[編集]

2010年一杯で現所属チームのメインスポンサーであるブイグテレコムが撤退したが、新スポンサーとして大手レンタカー会社のヨーロッパカーが加わることが決まり、新城もチームと2年間契約を延長した[13]

2012年[編集]

ツール・ド・フランス[編集]

フランス2013モンヴァントゥータワーズとき

6月30日、ベルギーリエージュで開幕したツール・ド・フランス2012に唯一の日本人として出場[16]。ゼッケンは22番。昨年総合4位のトマ・ヴォクレールマイヨ・ブランピエール・ロランのアシストを務めるのが主な役目だが状況に応じて逃げやスプリントにも加わった。
第2ステージではゴールスプリントに加わりステージ15位。

第4ステージではスタートの旗が振られると同時にアタックする[17] と2選手[18] が付いてきて3人での逃げ集団を形成。メイン集団とのタイム差は一時8分前後となり、3人の中で総合トップだった新城は日本人で初めて暫定マイヨ・ジョーヌとなる。さらに日本人で初めて中間スプリントポイントをトップ通過[19]。残り8km地点で集団に吸収されたが、[20] 2009年最終ステージの別府史之に続きツール史上日本人2人目となる敢闘賞を獲得。また日本人で初めて表彰台に上がり、翌第5ステージは赤ゼッケンをつけ出走した[21]

このほか後半ステージでも何度も逃げ集団でレースを進めるなど積極的にレースを進めた。第16ステージの逃げではレース序盤の超級山岳オービスク峠で山頂直前まで先頭を牽きエースのヴォクレールをアシストし自らも3位通過を果たした。

最終総合成績は日本人初の2桁順位となる2時間29分13秒遅れの84位。ポイント賞33位(52pts)、山岳賞25位(18pts)。第4ステージ敢闘賞。アシストとして、チームのステージ3勝[22]、敢闘賞4回[23]、ヴォクレールの山岳賞、ロランの総合8位に大きく貢献した。

コルナゴC59[編集]

新城は2010年5月のジロ・デ・イタリア第6ステージ以降、コルナゴの2011年モデルC59を使用している。最初に支給されたC59は新城専用のカラーリングで、漢字による個人ネームと「必勝」の文字、日の丸がペイントされた日本を意識したデザインのものである。通称「必勝号」と呼ばれている。

なお、2010年7月のツール・ド・フランスより所属チーム全員にブラック/イエローカラーのC59が支給されているが、前述のジロ・デ・イタリアの時点では新城を含め世界で4人にしか提供されていなかった(他はサシャ・モドロトマ・ヴォクレールの2人で、新城は3人目。4人目はドメニコ・ポッツォヴィーヴォ)。デザインに関しては以前に新城からコルナゴへアイデアを提供していたとされる[24]。ちなみにこの「必勝号」はその後スペアバイク扱いとなった。[25]

2012年4月序盤に落車し左手首を骨折した新城は4月末に行われるロンドンオリンピック最終選考レースとなる全日本選手権に骨折からの回復途上で臨む事となった。ブレーキ操作は出来るもののシフト操作が難しい状態のため、所属チームにおいてもエース級選手のみにしか供給されていなかった電動式シフトEPSをカンパニョーロジャパンより特別に用意されレースに臨み、最終局面まで残った上で無事オリンピック出場権を獲得した。この時のスペアバイクには漢字による個人ネームと「絆」の文字が記された通称「絆号」が用意されていた。[26]

その後のレースからは所属チームよりEPSの供給を受けられるようになり使用している。

主な実績[編集]

2005年
MaillotJapón.PNG全日本自転車競技選手権大会・U23部門 ロード&タイムトライアル 優勝
2006年
ツール・デュ・リムザン 総合3位、新人賞
世界選手権自転車競技大会・U23部門 個人ロード 14位
ツール・ド・おきなわ 3位
2007年
MaillotJapón.PNG 全日本自転車競技選手権大会 ロード 優勝
ブエルタ・ア・レオン 総合2位
ツール・デュ・ジュラ 2位
ツール・ド・北海道 総合3位。区間1勝(第4)
ツール・ド・おきなわ 3位
ツアー・オブ・ジャパン 区間1勝(第7)
2008年
ツール・ド・おきなわ 総合優勝、区間2勝(第1、2)
ツール・デュ・リムザン 総合3位、区間1勝(第2)
ツール・ド・熊野 総合3位
2009年
ツール・ド・フランス
総合129位
第2ステージ5位
ダンケルク4日間レース 総合9位
2010年
ジロ・デ・イタリア
総合93位
第5ステージ3位
ツール・ド・フランス
総合112位
第11ステージ6位
世界選手権(メルボルン) エリート男子ロード 9位
パリ〜ツール 5位
2011年
第31回アジア自転車競技選手権大会
個人ロードレース 優勝
個人タイムトライアル 4位
全日本自転車競技選手権大会 ロード 2位
2012年
ツール・ド・フランス
Jersey red number.svg 第4ステージ敢闘賞、中間スプリント 1位通過
第16ステージ 山岳超級カテゴリオービスク峠3位通過
第18ステージ 山岳4級カテゴリ(コート・ド・スイヤック) 1位通過
ロンドンオリンピック個人ロードレース 48位
ツール・デュ・リムザン 総合優勝
2013年
MaillotJapón.PNG 全日本自転車競技選手権大会 ロード 優勝
ツール・ド・フランス
総合84位
ツール・デュ・リムザン 総合2位

脚質[編集]

本人も「好きなのは逃げ」と常に語るほどの逃げが得意なライダー。きちんとローテーションすれば2012年ツール・第4ステージのように200km以上を実力で逃げ切るほどの巡航力を誇る。それに加え単独での逃げアタック能力(2009年世界戦、2010年ジロ)、ゴールスプリントでのスプリンター並みのパワー(2009年ツール)をみせるなど、短距離でも鋭い足を誇る平地型のパンチャーといえる。そのため過去にはチーム内でエーススプリンターであるウイリアム・ボネのアシストとして(幸也が発射台役)動くオーダーが多いが、逃げが許される状況では積極的なレースを見せていた。さらに近年はヴォクレールの山岳アシストを努めるなど、山岳区間でも無難な走りを見せていることから、中規模のステージレースではエース格のポジションを任されている。

脚注[編集]

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  1. ^ 敢闘賞獲得は2009年の別府史之以来2人目だが、別府は最終ステージのため表彰台に上がれなかった。
  2. ^ 琉球新報電子版(2009年6月15日付)
  3. ^ 八重山日報news.com (2009年6月30日付)
  4. ^ チームにはパンチャーと呼ばれるアップダウンに強いタイプとして登録されていた
  5. ^ 東京中日スポーツ・2009年8月5日付 18面「コンフィデンシャル」
  6. ^ エヴァンスが感涙のアルカンシェル獲得!
  7. ^ レース結果
  8. ^ マイヨ・ヴェールトル・フースホフトをゴールライン手前で差した
  9. ^ この日、オフだった別府史之がゴール会場に訪れていた
  10. ^ 優勝者はノルウェートル・フースホフト
  11. ^ イタリアのヴァレーゼで開催された2008年ロード世界選手権大会は完走選手中最下位の77位
  12. ^ 世界選手権ロードレースにおける日本人選手最高順位は、1936年のアマ部門における出宮順一の7位。
  13. ^ 新城幸也が現所属チームと2年間の契約延長 - Goostyle 自転車・2010年11月4日
  14. ^ ロンドン五輪・ロンドンパラリンピック代表候補選手記者会見 - 日本自転車競技連盟 2012年5月1日付
  15. ^ 速報!ツール・ド・リムザン最終日に逃げた新城幸也が総合優勝を掴む - cyclowired.jp 2012年8月17日
  16. ^ 元日本チャンピオンであることなどから、ジャージの襟と袖口がオレンジで縁どられ、日の丸を付けたものが用意された。
  17. ^ 第3ステージでエースのヴォクレールが大きく遅れたこともチーム戦略に影響した
  18. ^ 地元ノルマンディー地方出身のアントニー・ドゥラプラスダヴィ・モンクティエ
  19. ^ レース中の話し合いの結果、ほかの2人に山岳ポイントを譲る代わりに獲得。過去最高は2009年最終ステージで別府史之の2位通過。
  20. ^ 逃げのアタックを決めたことと積極的にレースを進めたことなどが評価された。
  21. ^ 別府は最終ステージでの獲得のためステージ敢闘賞の表彰がなく、次のステージがなかったので赤ゼッケンで走ることはなかった。
  22. ^ ヴォクレール2勝、ロラン1勝
  23. ^ ヴォクレール2回、新城・ロラン各1回
  24. ^ ジロ出場の新城へ、コルナゴからプレゼント
  25. ^ 新城はチームで唯一右前左後ブレーキのセッティングであり、スペアバイクは容易に判別できる方が都合が良いのも理由の一つである。
  26. ^ http://www.cyclowired.jp/?q=image/tid/5372&page=3

外部リンク[編集]