磁石 (お笑いコンビ)

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 磁石
メンバー 佐々木優介
永沢たかし
結成年 2000年
事務所 サワズカンパニー(2000年 - 2006年)→吸収合併され三木プロダクションに(2006年 - 2008年)→ホリプロコム(2008年 - )
活動時期 2000年 -
影響 ウッチャンナンチャン[1]
出会い 日本映画学校
芸種 漫才
ネタ作成者 永沢たかし
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磁石(じしゃく)はホリプロコム所属のお笑いコンビ。以前はサワズ・カンパニーに所属。

目次

[編集] メンバー

佐々木 優介(ささき ゆうすけ、1980年3月31日 - )

広島県呉市出身。和庄中学校武田高等学校卒。実家は寿司屋。
ツッコミ担当。A型。身長184cm。
端整な顔立ち、左利きが特徴。口癖は「〜だろぉ」。別名「磁石のS
ササキング、更にそこから取られたキングというニックネームがある。
ツッコミの前に「いや、○○じゃねぇよ。」のように、「いや」をつけることが多い。キレた表情で突っ込むこともある。
4歳年下の弟が居て、「伝承遊戯」というバンドでドラムを担当している。
アメリカ人の真似が上手く(自称)、後述にもあるように漫才のネタにも取り入れられている。
他にも水谷豊の歌真似が得意。
3歳から中学進学前まで水泳を習っており、中学入学後はバスケットボール部に入部。当時は身長が148cmしかなかったが、その後成長し、現在は184cmとなっている。
入院した永沢の見舞いに行った時、名簿の患者との関係の欄に『相方』と書いて受付で駄々すべりした(佐々木自身は「面白いかな~と思った」と語る)。そして、次に来た流れ星のちゅうえいはその欄に『ライバル』と書き、「永沢さん、ライバルが来てますけど…」と言われた。
高校生のとき同級生と「年中無休(ツッコミ役)」と言う名前でコンビを作り、学園祭更には呉市内の老人ホームでもコンビでコントを披露したことがある。後述の件は地方紙でも取り上げられた。「年中無休」は学内でも有名になり、学園祭では学校長が聴くほどの人気で会場の教室を埋め尽くしたほどであった。この活動の実績を肩書きに相棒と早稲田大学の推薦入試を受けるも揃って不合格。高校卒業後、相棒は他大学に進学し別々になり解散した。
カバチタレの作者(原作、作画ともに呉市出身)と遠い姻戚関係にある。
母親は地方局の元アナウンサーで、ホリプロコムに移籍して単独ライブを行った際、ホリプロコムの社長が打ち上げの席で佐々木の母親を指し、「あの女を紹介しろ」と言ってきた[2]
永沢曰く、ツッコミよりボケのほうが得意らしい。
に憧れており、その気持ちが高じて嵐のメンバーになった夢を見たことがある(その時はコンサートでよそ見している人を前にむかせる役割だった)。夢から目覚めた時は「あぁ自分は嵐じゃない…。磁石だ」とすごく落胆した。

永沢 たかし(ながさわ たかし、本名:永澤喬之(たかし)、1979年12月28日 - )

秋田県秋田市出身。将軍野中学校秋田県立秋田高等学校卒。
ボケ担当。O型。身長177cm。
トリッキーな動きと言動、眼鏡が特徴。別名「磁石のN
パチンコが趣味で得意。そのため番組や雑誌に出演することもある。
再現コントに入る時などに「んだ!んだ!んだ!(標準語で「そうそう、うんうん」に当たる同意する相槌)」と言う。漫才で「やっちまった」という意味で「んだった!んだった!」と言うこともある。
髪の色は茶髪。染めてはおらず地毛である[2]
名前を平仮名にしたのは本名の「喬之」を正確に「たかし」と読んでもらえないため。
台本(構成などだいたい)を書いたり、台本の管理をしている。
視力は両目とも0.02。
7歳下の弟がいる。
見た目から文化系に思われがちだが、文武両道で小学生の時は野球部、中学生の時はバスケットボール部、高校生の時はスキー部に所属しており、体育の成績も5や4を取っていた。頭も良く中学生の時は学年トップを取るほどの秀才だったが、生活態度の面でよく怒られていた。
とはいえ、最初から成績が抜群に良い方ではなく、学年でも真ん中位だった。しかし部活が終わった夏(中3)頃から学年トップになったという。その甲斐あって、秋田県では屈指の進学校秋田県立秋田高等学校に入学する。
前述の様に急性虫垂炎で入院した事がある。出番前に痛み出して、のたうち回り、本番15分前まで楽屋で横になっていた。退院後もしばらく痛みが治まらず大変だったという。元から悪玉菌が腸に溜まりやすい体質らしい。
アルコールにとても弱い。単独DVDで焼酎の水割りを飲まされるが、通常の1杯を飲むのに苦労した上、1杯しか飲んでいないにもかかわらず、その後まっすぐ立つことすらできないほどに酔った。この状態で行われた漫才(『酔漫』と称される)はある意味凄まじい内容となっている。
結婚を前提に付き合っていた彼女がいたが、なかなか売れない磁石の先行きが不安、という理由から2007年M-1グランプリ準決勝の直前にフラれたとのこと。準決勝と敗者復活戦でこの話をネタにしていた。
自らのブログで芸歴10年前後のライブを中心に活動するコンビを集めたユニットを作る事を呼び掛け、「FKD48」を立ち上げた。その後行われた第1回総選挙では1位になり、センターを獲得した。因みに「FKD48」の「FKD」とは、「吹き溜まり」の略である。
キングオブコメディの「就職祝い」と言うネタに登場する高橋健一演ずるわがままな後輩は、永沢をモデルにしている。[3]

[編集] 概要

  • 日本映画学校(現・日本映画大学)で知り合い、2000年結成。コンビ名は2人のイニシャルが「SASAKI」と「NAGASAWA」である事から来ている。
  • 佐々木が青、永沢が赤のシャツの上に上着を着たスタイルが定番(以前は『G-shack』のロゴの入った赤と青の長袖シャツだった)だった(2010年M-1まで)。2011年のTHE MANZAI 2011以降はスーツと白のシャツに佐々木が青、永沢が赤のネクタイになっている。
  • 初仕事は週刊誌「FLASH」の企画で、風俗店に行き、風俗嬢たちのバストを足して2000cm測る企画だった。
  • 初舞台は、人力舎主催の「バカ爆走」の若手勝ち抜き戦コーナー。初舞台を迎える一週間前から永沢が佐々木の家に泊りこみ、毎日50回くらいネタの練習をした。
  • 吸っている煙草はともにマールボロ
  • 2008年4月末に三木プロダクションを退社し、6月中旬ごろにホリプロコムに所属。同年6月19日の「ドライブインナガサワ」にて報告された[3]
  • M-1グランプリにおいて、2003年から2010年まで毎年準決勝に進出するも、決勝進出は叶わなかった。チャド・マレーン(旧ジパング上陸作戦)、とろサーモンと並び敗者復活戦最多出場記録(8回)を持つ。メンバー達は「M-1に踊らされた」と語っている[4]
  • 2010年7月に行われた「磁石漫才ライブワールドツアー最終公演」では15本のネタを一度も締めず90分間やり続けるノンストップ漫才を披露した。
  • THE MANZAI 2011において認定漫才師50組に選ばれる。本戦サーキットでは2回の出場で3位と2位と好成績を残し決勝進出を決める。各サーキット会場では上位3組のみ発表されるが、2回の出場とも上位3組に入ったのは磁石を含めパンクブーブースリムクラブのみ。決勝ではグループAに入ったものの、ナイツに敗れてグループ2位で敗退した。

[編集] ネタ

  • 主に漫才を披露。ネタの始めに佐々木が「僕が広島県出身で」永沢が「僕が秋田県代表(出身)で」と言い始める。
  • 「エンタの神様」出演時は全てコントを披露。現在でも単独ライブでコントを披露している。
  • 言葉の言い回しや意味、考え方の違いを変化させたボケが多い。
  • 佐々木がアメリカ人のモノマネを得意としているため、「ホームステイ」や「アメリカ人の留学生」等のネタがある。
  • 2008年ごろから、連続でボケた後に最終的にまとめてツッコミを入れるものがある。なお、佐々木が一つツッコミを忘れて後から「あーそれ忘れてた!」と気付くものもある。
  • ネタを締めるときに佐々木が「いい加減にしね(「死ね」という意味ではなく、「しろ」という意味の広島の方言)」と言っていたころがある。
  • ネタの設定、流れ、構成などは基本的に永沢担当で、家で一人で作ることが多いが、佐々木と二人で喫茶店でネタを考えることもある。

[編集] 賞レース等の戦歴

[編集] テレビ

[編集] 出演中

[編集] 過去の出演

[編集] DVD

  • カクヘン(2006年発売 発売元:ポニーキャニオン
  • 大フィーバー(2009年発売 発売元:ホリプロ
  • デジタルコメディラボ カフェ・ド・トリコ(2010年発売 発売元:バップ
  • 磁石のケータイハンター〜世界一簡単な記憶クイズ〜 Vol.1 - 4(2010年 発売元:竹書房
  • 磁石漫才ライブワールドツアー日本最終公演(2011年発売 発売元:ホリプロ)

[編集] ドラマCD

[編集] PV

[編集] 脚注・出典

  1. ^ 2009年3月31日放送回『アドレな!ガレッジ “クイズ!誰に憧れてたんでショー後編”』出演時に発言
  2. ^ ジャイケルマクソンより
  3. ^ キングオブコメディのライブDVD「葉桜」副音声より
  4. ^ [1]

[編集] 外部リンク

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