トータルテンボス

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 トータルテンボス
メンバー 大村朋宏
藤田憲右
結成年 1997年
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1998年 -
出身 NSC東京校3期
出会い 小学校時代
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才コント
ネタ作成者 大村朋宏
現在の代表番組 くさデカ
ぬきさしならナイト!
シャバダバの空になど
過去の代表番組 笑っていいとも!
ワイ!ワイ!ワイ!
音笑!MMMなど
同期 サンドウィッチマン
麒麟
永井佑一郎など
受賞歴
2004年 M-1グランプリ7位
2006年 元気ハツラツぅ? CMバトル優勝
2006年 M-1グランプリ5位
2007年 M-1グランプリ2位
2008年 爆笑オンエアバトル第10代チャンピオン
2009年 爆笑オンエアバトル第11代チャンピオン
2009年 S-1バトル月間チャンピオン(3月・5月)
2010年 爆笑オンエアバトル第12代チャンピオン)
2010年 S-1バトル殿堂入り(ラウンド2)
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トータルテンボスは、吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属のお笑いコンビである。1997年4月コンビ結成。

東京NSC3期生。爆笑オンエアバトル第10、11、12代チャンピオン。

目次

[編集] メンバー

大村朋宏(おおむら ともひろ、1975年4月3日 - )

立ち位置は右でボケとネタ作り担当。静岡県御殿場市出身。身長177cm。血液型O型。
静岡県立沼津東高等学校卒業、明治大学中退。高校時代はハンドボールをしていた。

藤田憲右(ふじた けんすけ、1975年12月30日 - )

立ち位置は左でツッコミ担当。静岡県御殿場市出身。身長181cm。血液型A型。
静岡県立小山高等学校卒業、中央学院大学中退。高校時代は野球部のエースとして予選3回戦まで出場し、一回戦、二回戦共に1安打完封の離れ業を見せている。

[編集] 概要

  • 1997年4月コンビ結成。東京NSC3期生。大村が大学時代にロンドンブーツ1号2号の深夜番組を見て芸人を志し、小学生からの同級生であった藤田を誘ったことがコンビ結成のきっかけとなった。コンビ名の由来は、藤田が見た映画「トータル・リコール」と大村がコンビ名の候補にしていた「ハウステンボス」を合わせたことから。
  • 略称は「トータル」又は「トーテン」。テレビ番組や芸人の間では前者で呼ばれることがほとんどである。
  • 主に漫才を行っている。2006年10月1日から「ニッポン全国漫才ツアー47」を開催。2006年に12都市で開催し、2007年に残りの全都道府県でも順次開催した。2010年3月残りの千葉・埼玉、4月DVD収録の東京の3都市を回る漫才ツアー「アフロの森のおふざけモンキー」を開催し、3月16日埼玉公演を以て、足掛け4年、47都道府県を全て回った。
  • 現在では漫才で非常に評価が高いが、デビュー当時はコント専門だった。そのとき藤田は大村に誘われてお笑いに入ったため、お笑いのことについてあまりよく知らず、「ツッコミは関西弁」という固定観念から関西弁でつっこんでいた(他の台詞は全て標準語。また、二人は静岡県出身)。
  • デビューから3年後、いったん廃業を考える(理由は二つあり、一つは藤田が芸人の社会にどっぷり浸かり、消費者金融での借金にも抵抗感を抱かない人間になってしまい、大村が誘った側として責任を感じたため。もう一つは単純に全く稼げなかったため)。しかし、そのとき相談に行った吉本の社員から説得され、それまでコント専門だったことから漫才への転身を勧められる。これが漫才を始めるきっかけとなったという。
  • 主にルミネtheよしもとでの活動を行う傍ら、2007年2月まで宗田義久・元チャイルドマシーンの樅野太紀と共にSausage Butterfly Pasta Festaというバンドを組み、音楽活動も行っていた。2010年3月活動再開した。
  • 前述の様に、次第に漫才の完成度が上がっており、最近になって「若手屈指の実力派漫才師」と称されている。
  • メンバーは共に2009年度のM-1グランプリで優勝したパンクブーブーの実力に早くから目を付けており、大村は2007年度の敗者復活戦の要注意コンビにサンドウィッチマンと共にパンクブーブーの名前も挙げていた。一方藤田は2008年度、パンクブーブーが準決勝敗退した際に「今後決勝進出する機会があれば絶対優勝できる。」とコメントしていた。

[編集] M-1グランプリ

M-1グランプリには2001年度より参加して3度決勝に進出[1]。(「M-1完全読本2001-2010」のインタビューを中心に抜粋)

2003年度は準決勝で決勝進出したフットボールアワーと同じくらいウケた(大村談)が、落とされた。足りないのは知名度と考え、大村は年明けから「今年のM-1はトータルテンボスがいくらしい」と噂をまいた。それが功を奏したのか、2004年度は初めて決勝進出し、結果は7位。しかし、2005年度は準決勝敗退。そこで考えたのがツアーだった。後に優勝した笑い飯の全国14箇所を回るツアーにあやかり、14箇所を上回るべく、47都道府県を回る漫才ツアーを敢行。

2006年度は決勝進出組に返り咲き、結果は5位。審査員の松本人志からは「トータルテンボスはもっとウケてもよかった。ネタの出来と観客の笑いが正比例していなかった」と高評価を受けた[2]

ラストイヤーとなった2007年度は年明けに10本のネタを厳選し(ネタ順が何番でも勝てるように用意していた)、それらを全国ツアーで徹底的に練り上げ、優勝候補の一角として決勝進出。前半に配された細かいボケを後半に違う角度からさらい直す[3]という、緻密に考え抜かれたホテルマンのネタを披露。会場の重い空気を一気に変え、ラサール石井、中田カウスからはそれぞれ最高評価の「95点」、「93点」をつけられ、「646点」でトップに躍り出た[4]。しかし直後のキングコングに4点差で抜かれ、藤田は少し嫌な予感がしたという。さらに初出場のサンドウィッチマン(敗者復活枠)がキングコングに1点差でトップに付け、計算が狂った。大村はネタ順から会場の空気の流れまですべて計算どおりにいっていたが、サンドウィッチマンが勝ち上がることは計算外だった。暫定3位[5]で初の最終決戦進出を果たすも、結果はサンドウィッチマンに2票差で2位。松本人志は「トータルテンボス、キングコングも、もう一笑いあれば優勝の可能性は大いにあった」「(1本目の)ボイラー室みたいなボケをもう一個持ってくれれば良かったのに[6]とあと一歩で敗戦したことを示唆した。中田カウスは「実力は3組とも伯仲だったが、一番ネタが練られていた」という理由でトータルテンボスに投票している。[7]また、この大会は2002年度以降で唯一、最終決戦進出の3組全てに得票があった。大村は大会終了後、悔しくて涙が止まらなかったという。藤田は「今度は知名度があったから負けたのかもしれないですね」と語り、「策士、策に溺れる」結果となったことを示唆した。

[編集] 略歴

  • 1997年4月、コンビ結成。
  • 2004年10月、NHK新人演芸大賞決勝進出。
  • 2004年12月、M-1グランプリ2004で決勝7位。
  • 2005年3月、第7回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会出場。ファイナル10位。
  • 2006年3月、第8回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会出場。ファイナル10位。
  • 2006年8月、オロナミンCCMバトルにて優勝、賞金100万円を獲得しCMにも出演。
  • 2006年12月、M-1グランプリ2006で決勝5位。
  • 2007年3月、第9回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会出場。ファイナル7位。また、この大会でゴールドバトラーに認定された(ゴールドバトラーについての詳細は爆笑オンエアバトル#プラチナバトラー&ゴールドバトラーを参照のこと)。
  • 2007年6月8日、ヨシモト∞金曜2部MC:品川庄司(一身上の都合上により休演)MC代行を行い、2008年2月1日付でサブ・レギュラー昇進。隔週金曜日1部担当を行うことになった。
※第2期・後半(2006年8月13日 - 2007年4月1日)月曜1部MC:オリエンタルラジオ 「無限大付属オリエンタル学園」以来 。
  • 2007年12月、M-1グランプリ2007で決勝2位。
  • 2008年3月、第10回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会で1026KBを叩き出して初優勝を果たした。今までの優勝コンビのKB数の最多記録は第7回大会のタカアンドトシが持っていた986KBでオーバー1000でのチャンピオンは史上初。優勝インタビューで「勝因は敗者復活という制度がなかったこと」だとネタにしていた。
  • 2008年8月、第6回MBS新世代漫才アワード毎日放送)では、2次予選で600点満点中594点という驚異的な得点を叩き出し、番組内における優勝予想投票でも6割の票を集めるなど優勝候補の筆頭に挙げられていたが、準決勝でアメリカザリガニに敗れ優勝を逃した。ちなみにアメリカザリガニがその回の優勝者となった。
  • 2009年3月、第11回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会で1034KBを出してルート33タカアンドトシ以来史上3組目の連覇。
  • 2009年3月、「今月のいたずら」という作品で、「S-1バトル」の3月の月間チャンピオンとして選ばれた。
  • 2009年5月、「S-1バトル」の5月の月間チャンピオンとして選ばれた。月間チャンピオンに2回以上選ばれたのは、トータルテンボスのみ。
  • 2010年3月、第12回爆笑オンエアバトルチャンピオン大会でチャンピオンとなり、番組史上初の3連覇を記録。
  • 2010年8月、「藤田のおもしろい顔の動き」という作品で、「S-1バトル(シーズン2)」の殿堂入りを果たす。
  • 2011年THE MANZAI 2011認定漫才師に選ばれる。

[編集] 芸風

  • 「ハンパねぇ」をはじめとする若者向けの言葉遣いから『渋谷系漫才』と紹介されることがある。それを逆手にとってわざと古い言葉やかしこまった言葉(浮世離れ、致し方ない、しち面倒くさい等)を使うこともある。ちなみに「ハンパねぇ」を使うのは主に藤田で、大村は「おやおや、穏やかじゃないね〜」と言うギャグを使っていたが、最近は「やんごとねぇ」と韻を踏んだような言葉を使い、藤田がツッこむパターンが定着している。
  • また最近では、大村が「俺やってみたい職業があるんだけどご存知?」と言い、藤田がそれに対し「存知ねえよ」と突っ込み、ネタの設定となる職業を発表してその職業に合わせる役柄を演じようとすると、大村「忍びねぇな」、藤田「構わんよ」と掛け合ってネタに入ることが多い。
  • あるいは、大村が「俺友達から○○にある□□の××っぽいなと言われるんだよ。」などと複雑な設定の入った職業を発表して藤田が「どんな言われ様だよ」と突っ込み、大村が「10人に○○(11以上)人は言われるんだよ」と言って藤田が「上回ってるじゃねえかよ! ○人くらい妄想だろ」と突っ込むこともあった。
  • ネタの冒頭での大村の細かいボケが、終盤になって活かされるような構成の漫才を得意とする。
  • 漫才では最後に「今日のネタのハイライト」と称して漫才の一番の見せ場をもう一度スロー演技で再演することがあったが、時間制限のあるオンエアバトルなどではしておらず、最近はそれ以外でもほとんどしていない。しなくなった理由は「自分達が面白いと思ったところと客が面白いと感じたところの認識が若干、ズレていることが多くなったから」、「当時珍しく大阪でウケたのに、その後自信をもって東京で披露したら怖ろしいほどスベったから」[8]だそう。
  • 大村が藤田のアフロヘアーをスキマスイッチ常田真太郎パパイヤ鈴木サイババボボボーボ・ボーボボブロッコリーに似ているとネタにする、もしくはぞんざいに扱いそれに対し藤田がキレるネタも多い。
  • ケンカのシーンで大村が藤田の股を殴るくだりがあり、「なぜ内腿だぁ〜!! 相場はだろう〜!」というのが一種のお決まりのネタになっている[9]
  • 最近の藤田の決まり文句に「ヒゲはえてなくねえ〜!?」というのがある。主にラジオなどで大村が「藤田の娘に髭が生えている」などと行ったときに使われている。

 ラジオではもう一つ、男性が興奮したときに起こる勃起を「きっぼ、きっぼ」と言っている。「ヒゲはえてなくねえ~!?」と共にラジオやスタッフ、若手芸人への受け入れがいい。

  • コントではオチで漫才みたいに「もういいよ!!」といったり、ドリフターズのように「だめだ、こりゃ……」と言って終わることが多いため、オチが弱いとよく言われる。

[編集] 出演

[編集] テレビ

[編集] レギュラー番組

[編集] 過去出演

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