東京ダイナマイト
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| 東京ダイナマイト | |||
|---|---|---|---|
| メンバー: | ハチミツ二郎 松田大輔 |
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| 結成年: | 1994年(初代) 2001年(二代目) |
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| 事務所: | トンパチ・プロ→ オフィス北野→ オスカープロモーション→フリー |
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| 活動時期: | 1994年(2001年)-現在 | ||
| 出身: | 新宿ラ・ママ | ||
| 現在の活動状況: | テレビ・ライブなど | ||
| 芸種: | 漫才 など | ||
| 現在の代表番組: | 完売劇場 東京ダイナマイトのモアトーク |
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| 同期: | 品川庄司、ドランクドラゴン | ||
| 公式サイト: | プロフィール | ||
| 受賞歴 | |||
| 第4回M-1グランプリ8位 | |||
東京ダイナマイト(とうきょう - )は、日本のお笑いコンビ。1990年代中頃に、ハチミツ二郎( - じろう)と曽根卍(そねまんじ)で結成。2001年に、二代目としてハチミツが松田大輔(まつだ だいすけ)と再結成し現在に至る。コントもするが、主に松田のシュールなボケにハチミツがクールなツッコミを入れる形式の漫才をする。
目次 |
[編集] メンバー
[編集] 概要
ハチミツ二郎が20歳の頃、パチンコ店で店員をしていた曽根卍(そねまんじ)と知り合い、初代「東京ダイナマイト」を結成。新宿ラ・ママのオーディションで初舞台を踏む。1997年10月、浅草キッド主催のライブ、浅草お兄さん会で優勝。その後も浅草お兄さん会と大川興業主催のライブ「すっとこどっこい」にレギュラー出演。しかし、ハチミツが社長を務めていたインディーズのお笑い事務所「トンパチ・プロ」の低迷期に初代は解散した。
新しい相方を探していたハチミツが、元「温泉こんにゃくアクロバットショー」の松田と知り合い、松田が以前より「(ハチミツと)コンビを組みたい」と考えていたことから意気投合。「トンパチプロ」の解散宣言と同時にコンビ結成を発表し、2001年、新生「東京ダイナマイト」がスタートした。それに伴いマネージメントがオフィス北野預かりとなり、これと前後して浅草キッドと師弟関係を結んだ。
結成3年目の2004年、M-1グランプリで決勝に進出(後述)し、全国区の知名度を獲得した。以後ゴールデンタイムのお笑い番組などにも出演して活躍を続け、当時の事務所の大先輩であり大師匠(師匠の師匠)に当たるビートたけしからは「ようやくウチから商品になる奴が出てきた」と高い評価を受けていた。
2008年6月20日をもってハチミツがオフィス北野を退社した。松田は広告契約の関係からすぐには退社できないが、2009年3月に退社することとなった[1]。
2008年9月5日にオスカープロモーションとマネジメント契約をした事を発表したが[2]、2009年3月15日付でそのオスカーからも退社。松田もオフィス北野を退社した。2009年4月からは、フリーとなっている[3]。オスカー退社の理由は「M-1グランプリで4年連続準決勝敗退に終わったことが相当悔しかった」ため「武者修行の旅に出たい」とのことで、オスカー側も「温かく見守ってあげたいと思います」と円満退社である旨コメントしている[4]。
2004年12月から不定期で『東京ダイナマイト先生』というトークライブを新宿ロフトプラスワンで行っており、毎回スペシャルゲストが来ている。2007年11月20日の「東京ダイナマイト先生vol.15 ハチミツ二郎お誕生日おめでとう記念大会〜」で15回目を迎えた。2008年1月30日に16回目を、同年3月27日に17回目をそれぞれ開催。一時、ハチミツがブログで「飽きたから辞めた」と書いていたが、17回目から1年後の2009年3月26日には「復活」と称し、18回目「東京ダイナマイト先生vol.18 〜もっと東京ダイナマイト先生〜」を開催している。
[編集] M-1グランプリ
第4回M-1グランプリで出演8組中、唯一ノーシードで決勝へ進んだ。結果は8位だったが、これを機会に全国的に名が知られることとなり、以後お笑い番組などへの出演が激増した。
しかしこの時審査員を務めていた春風亭小朝は、ネタ後の講評で東京ダイナマイトのファンであると前置きした上で、「もっと面白いネタがあるのになぜこのネタをやったのか」と苦言を呈した。また、同じく審査員の中田カウスは、ビートたけしから「あいつら優勝させて賞金を俺とあんちゃんで分けようぜ」と持ちかけられた事を暴露した。ただし、これは仲の良い両者の間で交わされた軽口であり、カウスは公平に審査を行った。
第5回大会は、決勝進出を見越して100万円の衣装を制作していたが、準決勝敗退。敗者復活枠からも漏れ、出演は叶わなかった。後日ハチミツは自身のブログで「敗者復活戦の結果には満足していない」とコメントした。この翌日ラジオ番組で敗者復活の勝者である千鳥と一緒にラジオ番組に出演した際、千鳥に次ぐ2位であったということを伝えられている。
第6回、第7回、第8回大会も準決勝で敗退し、4年連続の準決勝敗退となった。第8回大会の敗者復活戦もオードリーに次ぐ2位だったと言われているが、第5回大会ともに公式のアナウンスのものではないことは、留保する必要がある。
[編集] その他
- コンビ名は、ニューロティカの楽曲『東京ダイナマイト』からとったものである。オフィス北野所属のタレントにはビートたけしが芸名をつけることが多いが、たけしはその場の気分でふざけた名前を付けることも多いため、「ひどい名前をつけられたらたまんないから」と自分たちで勝手につけた名前らしい。
- 松田はネタ中と異なり控えめな性格で、ピンの頃、コンビ結成を持ちかけにハチミツの家を訪ねるも本人を呼び出せず、結局自分のライブのチラシをポストに入れて帰った。その後、ハチミツは結成理由を「最初に二人で並んだ時、見た目のバランスが良かった為」と語っている。
- 漫才の衣装に関してはハチミツが赤、松田が白になっている。2005年頃までは白の上下にハチミツが赤、松田が銀のマフラーを首から掛けていた。現在は2人とも主に着物姿。また、M-1グランプリでは毎年ツカミで松田が刀を取り出すが、最近はハチミツに「毎年コレで滑ってんだろ」と早々に取り上げられている。最近ではツカミのネタに「麒麟です」と麒麟の川島のモノマネをするのも恒例になっている。
- 他に、ネタが少し進んだところで唐突に「どうも、東京ダイナマイトです。」と挨拶することで笑いをとるくだりもよく見られる。
- 2人とも大のプロレスファンで、西口プロレスの大トカゲプロレス軍団に名を連ねている。また、2005年に行われた単独ライブ『DYNAMANIA』および同公演を収録したDVDで、女子プロレスラー・ダンプ松本と共演している。またハチミツは週刊プロレスで月1連載をしている。
- 『DYNAMANIA』公演の際、5000円のSS席と4000円のS席が用意された。若手芸人のライブとしては超高額の料金設定であったが、SS席、S席共に受付開始後1分で完売した。これについて本人達は「ふざけて作った席なのに…」と語っている。
[編集] 出演
[編集] 現在
- テレビ
- ラジオ
- 東京ダイナマイトのモアトーク〜聴いてチョベリ場!〜(ABCラジオ、2008年11月15日〜)
[編集] 過去・単発出演
- 笑いの金メダル(ABCテレビ)
- 爆笑オンエアバトル(NHK総合テレビ)※戦績は1勝4敗 最高449KB
- 登龍門F(フジテレビ)
- ザ・イロモネア(TBSテレビ、2005年10月7日) ※1stステージ敗退。
- エンタの神様(日本テレビ)※キャッチコピーは「低温の燃焼」
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)
- 南海パラダイス!(関西テレビ)
- 明石家さんちゃんねる(TBSテレビ)
- 爆笑レッドカーペット(フジテレビ)キャッチコピーは「ハチミツとクローバー改めマツーダー」
- ゼベック・オンライン(TOKYO MX)
- 5時に夢中!(TOKYO MX)
- お笑い Dynamite!(TBSテレビ)※キャッチコピーは「爆発寸前コント」→「爆発寸前」
- 新型芸人オークション キリウリ お金のためならここまでやります(TBSテレビ、2009年1月4日)
[編集] コマーシャル
- 資生堂「uno」
[編集] 作品
[編集] DVD
- 『ユナイテッドステイツ オブ ニッポン』(2005年3月23日発売)
- 『DYNAMANIA』(2005年9月21日発売)
- 『LOVE IS OVER』(2006年8月18日発売)
- 『漫才ふたり旅』(2007年3月21日発売)
- 『マジ☆ワラvol.6~東京ダイナマイト、ハレルヤ』(2005年8月25日)
- 東京ダイナマイト&サンドウィッチマンの漫才先生 in パラオ(CCRE、2009年8月5日発売)
[編集] 脚注
- ^ オリコン (2008年7月17日). "東京ダイナマイト・ハチミツ二郎が事務所を退社しフリーに 相方・松田も今年度で退社". 2008年7月19日 閲覧。
- ^ 同日付東京中日スポーツ、同日付公式ブログ「契約完了」
- ^ 東京ダイナマイトトーキョー2009年6月11日
- ^ 東京スポーツ・2009年4月8日付 13面
[編集] 外部リンク
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