パンクブーブー

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 パンクブーブー
メンバー 佐藤哲夫
黒瀬純
別名 パンブー
結成年 2001年
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 2001年-現在
出身 福岡吉本
出会い 事務所
旧コンビ名 モンスターズ(佐藤)
バレッタ(黒瀬)
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才
ネタ作成者 佐藤哲夫
現在の代表番組 ヨシモト∞
同期 タカアンドトシスパローズヒロシ(佐藤)
トータルテンボスバッドボーイズ(黒瀬)
受賞歴
2009年M-1グランプリ優勝
  

パンクブーブー(PUNKBOOBOO)は吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属のお笑いコンビである。通称「パンブー」。

2人共、元々は福岡吉本からデビューし福岡での活動を経て上京、東京吉本の所属となる。2009年M-1グランプリ王者であり、九州出身の芸人として、そして吉本所属の関東漫才師として初の受賞。

目次

[編集] メンバー

佐藤哲夫(さとう てつお、1976年4月3日 - ) - ボケ、ネタづくり担当
  • 大分県大分市出身。AB型。174センチ。
  • 福岡吉本6期生であり、黒瀬の二つ上の先輩にあたる(年齢は一つ下)。福岡吉本時代はコントグループ・「パンダさん」の一員として活動後、コンビ「モンスターズ」を結成。当時の相方は「どんぴしゃ」の赤峯康一。当時、モンスターズは、ローカル番組のレギュラーや月20本の舞台をこなすなかなかの売れっ子だったが、当時の福岡吉本のあまりの薄給や相方との不和から東京行きを考えるようになり、コンビを解散。当時の芸名は「テツオ」で、髪も金髪だった。上京してからも一時期は「哲夫」という芸名を使っていた。
  • 大分の番組『スパーク オン ウェイヴ』(テレビ大分)に出演していた。
  • 芸人内では後輩のオリエンタルラジオ中田敦彦に似ていると言われている。
  • ほぼ一貫して髪型も髪の色も変わらない相方に対し、比較的ヘアスタイルが変わりやすい。一時期、髪を坊主頭(当時はピンク色のスーツを着用。2010年1月21日のブログを見る限りでは、彼自身もこの頃の風貌はあまり好きではないらしい)にしていたり、対照的に金髪のロッカーのような派手な髪型になっていたこともある。おおよそ2007年 - 2009年は七三分の髪型もしくはオールバックにスーツを着用していたが、M-1グランプリ2009の直前くらいから、ごく普通の若者風の格好になり、襟が白く縁取りされたジャケットを着ていることが多い。
  • 基本的にネタは彼が作っている。まだ無名だったころから評判は高く、博多華丸曰く、「あれは早く世に出るべきだと誰もが言っていた」という。その構成力や完成度の高さはオール巨人もブログ内で絶賛している。佐藤はパンクブーブー結成前にオール巨人と会ったことがあり、その際「君は少し時間がかかるかもしれない」と評されたとのこと。それを「時間をかけさえすれば大丈夫」と前向きに捉え、その言葉を励みに努力を重ねてきたという。[1]2010年1月31日の「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)にてこのエピソードを披露した際、司会の島田紳助は「"時間がかかる"ということは"可能性がある"ということ」と述べている。
  • テレビなどではコミカルでどこかふてぶてしいお調子者のようなキャラを演じているが、普段は非常に物静かで人見知りする性格らしく、福岡吉本時代の先輩である博多華丸・コンバット満からは、「人付き合いが全くできない」「割と一人でいることが多い」「暇さえあればマンガ喫茶にこもってずっとネタ作りをするような奴だった」と評されている。また、自身のブログでも「僕は人付き合いが苦手ナンバーワン芸人」だと認めている。
  • 学生時代からお笑いが好きで友人とコンビを組み、校内で漫才やライブをしていた。この頃は生徒会長も務めており、中学時代の同級生曰く、「面白くて、勉強もスポーツも得意で、学校中の人気者だった」という。
  • 9年付き合った彼女をお坊さんに奪われたという経歴があり、その時皮肉にも自分の髪型も坊主頭であった。そのため、「坊主が坊主に上手に彼女を寝とられた」という悲しい早口言葉が生まれたという。
  • 酒豪の相方に対し、かなりの下戸。
  • 趣味は漫画を読む事であり、マンガ喫茶で宿泊する場合もある。
  • 小学校時代のクラスメイトに中嶋美和子がいる。
  • 中学校の市内の相撲大会で準優勝したことがある。このとき、決勝で対戦したのが後の千代大海であった。
黒瀬純(くろせ じゅん、1975年5月8日 - ) - ツッコミ担当
  • 福岡県福岡市中央区出身。出身中学校は福岡県篠栗町の篠栗中学校。O型。公式プロフィールでは166センチだが、実際は163センチである。
  • 福岡吉本8期生。佐藤の二つ後輩だが、年齢は一歳年上。高校卒業後はサラリーマン(アクセサリーの営業)をしていたが、会社で知り合った上荒磯勇(現・NBCラジオ佐賀ラジオパーソナリティ)とコンビを組み、福岡吉本に入った。福岡吉本時代のコンビ名は「バレッタ」。バレッタ時代は彼がネタを書いていた。
  • メガネ(レーシック手術を受けているためにダテ)と、独特のやや高い声質が特徴。「僕からメガネをとったら何も残らない」と発言したこともある。後輩のオリエンタルラジオの藤森慎吾に似ていると言われている。
  • 福岡吉本時代の同期にはバッドボーイズがいる。なお、吉本入り自体は同じだがコンビ結成はバッドボーイズが先である。福岡吉本所属2年目には、他の8期生はバッドボーイズ以外全て事務所を辞めていた。
    • バッドボーイズ佐田とは幼少の頃からの知り合いで、喧嘩で弟を負かした佐田を黒瀬がグラウンドに呼び出したことがきっかけとなり知り合った。佐田の相方の清人とも仲がいい。
  • 佐藤の二つ後輩だが、年上であることに加えて素の性格も相方より積極的であるため、コンビ内では黒瀬のほうが力が強いらしい。
  • 暴走族の副総長をやっていたことがある(『ヨシモト∞』でバッドボーイズ佐田が暴露)。年下の佐田にとっては非常に恐ろしい存在だったらしいが、本人は「格好だけ」と述べており、族のなかでの自らのポジションについて「おしゃべり好きのムードメーカーで、単なる賑やかし担当。気さくな先輩だったんで後輩から好かれていた」と語っており、副総長になったのも「(別にケンカが強いとかいうわけではなく)後輩からの人気投票でなっただけ」と語っている。
  • 社交的な性格らしく、いろいろな芸人と雑談したり飲食を共にする様子がブログによく書かれている。品川庄司品川祐と親交があり、品川のブログにも頻繁に登場する。次長課長河本準一COWCOWニブンノゴ・宮地やあべこうじとも交流が深い。M-1優勝の一時間後、携帯電話には、祝福のメールが300件、着信が170件もあったと語っている。また、雑誌のインタビューで「相方のいいところは?」という質問に対し、佐藤は「社交性」を挙げており、「人との付き合いを大事にしていて、誰からも愛されるキャラクター。自分には友人が少ないので羨ましい」と述べている(ちなみに黒瀬は同じ質問に対して「ネタを作ってくれるところ。ネタのことばかり考えているのも別に悪いことじゃない」と回答している)。
  • 2008年、相方に続き神戸クリニックでレーシックを受けた事をブログで明かしている。
  • 相方と入れ替わるように、2009年からスーツを着用している。ローソンの店員風の、白と青のストライプ柄のジャケットを着ていることが多いため、「おまえローソンの店員やれ」とか「コンビニ店員」と相方や共演者に衣装をいじられている。
  • 2009年のM-1決勝進出が決まったとき、歓喜のあまりその場に泣き崩れて三時間そのまま泣き続け、周囲の芸人たちからはドン引きされ、カメラマンも途中で帰ってしまったと、本選で語った。さらにその後、トータルテンボスの二人に決勝進出を電話で報告するも、その際に再び号泣していたことをブログで暴露されている。しかしM-1優勝が決まった際にはその状況を把握できず(優勝は笑い飯だと思っていたため、驚きのほうが勝っていたという)、「パンクブーブーって誰?」と茫然としてしまったといい、相方から「あんだけ泣いていたのに肝心なところで泣かない」と半ば呆れられていた。

[編集] 来歴

  • 佐藤は6期生、黒瀬は8期生として福岡吉本に所属。元々は別々のコンビで活動。お互いの第一印象は佐藤→黒瀬「ダサイ奴」(黒瀬曰く、「当時は重ね着さえすればお洒落だと思っていた」といい、「重ね着の黒瀬」というあだ名がつけられていたらしい)、黒瀬→佐藤「寡黙で雰囲気のある、ちょっと怖い先輩」であり、とりたてて好印象というわけではなかった。そのまま特にこれといった接点の無いまま、お互いのコンビは解散。その後の2001年4月に佐藤と黒瀬で「パンクブーブー」を結成。別に仲がいいわけでもなかったこの二人のコンビ結成に、博多華丸・大吉も「意外だった」と述べている。きっかけはたまたま同時期にそれぞれのコンビが解散し、かつ二人とも上京を考えていたため。そして相方不在のボケとツッコミだったということから「とりあえず二人で東京に行って、やってみようか」という流れになり、偶然と成り行きが重なった形でコンビ結成となる。コンビ名の由来はお互いの解散したコンビを車に例え、「車(ブーブー=コンビ)がパンクしてもくっついて力を合わせればまだ走れる」という意味。
  • 結成から2年後の2003年、『爆笑オンエアバトル』に初出演し、番組記録タイとなる高得点をマーク。(詳細は後述)。一躍、コアなお笑いファンの注目を集める存在となる。その後も当番組に継続出演し、屈指の強豪として知名度を上げる。
  • 第2回、第3回お笑いホープ大賞で決勝進出。第2回大会の決勝では珍しくコントを披露したが、ネタの途中で女装していた佐藤のパンツが見えてしまい、それを黒瀬が笑ってしまいネタが後半グダグダになり優勝を逃した。
  • 2008年からは『爆笑レッドカーペット』(初出演でレッドカーペット賞受賞)、『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』(ゴールドラッシュを勝ち抜き本編出場決定。本戦ではサバイバルルールで出場しファイナルステージまで進出)などテレビ出演の幅を広げ一般層にもその手腕が知られるようになる。
  • 2009年3月9日、オリエンタルラジオのスケジュールの都合で月曜一部オリエンタルラジオのよしもとオンラインをパンクブーブーのよしもとオンラインとして担当した。
  • 2009年のM-1グランプリにて優勝。

[編集] 概要

  • 見た目がオリエンタルラジオ(めがねとモヒカン)に似ている事から、吉本の先輩たちに「華のないオリエンタルラジオ」と言われている。『エンタの神様』に出る際、「汚れたオリエンタルラジオ」という意味の「ヨゴレンタルラジオ」というコンビ名で出されそうになった。[要出典] 
  • 自分たちのルックスが地味で華がないことは、当人たちも自認しており、自分たちと同じタイプの若手芸人たち(実力はあるが容姿の点で損をしている気のある芸人)を集め、「華無会」というライブを開いたこともある。メンバーは、天狗レアレアロシアンモンキーで、それに自分たちを加えた写真をブログに載せ、「スタッフの打ち上げみたい」とコメントしている。また、このライブは成功したが、ほとんどが男性客だったとのこと。「数ある吉本の若手のなかで、お客さんの笑い声が最も低い(=つまり、女性が少ない)自信があります」「僕たちは一生キャーキャー言われないだろうと思います」とコメントしたこともある。また、両方ともブサイクだということをウリにしているが、「言うほどブサイクじゃない」という意見も多い。
  • パンクブーブーとしてのコンビ歴9年目にしてM-1チャンピオンとなったが、パンクブーブー結成前、前述のように二人ともが別々のコンビで数年間活動していたため、M-1王者になった時点での芸歴が他の王者に比べて長く(佐藤15年、黒瀬13年)、最も遅咲きの王者である。M-1を獲ってからは、地味・無名・貧乏を強調した自虐的なトークを展開することがあり、現在のキャラ&ルックスのお笑いブームに相反する劇場叩き上げの芸人という自嘲も込めて、「ドブ芸人」「落ちこぼれ王者」と自称することもある。しかし、彼らのM-1優勝はルミネ芸人としては初の快挙であり、多くの仲間たちに希望と勇気を与えたという。
  • 緻密で練りこまれたネタの完成度などから、爆笑オンエアバトルなどでは早くから注目を集めていた。しかし、大舞台には成績が振るわないことが多く(今田耕司は彼らを「緊張しい」だと評しており、よしもとオンラインで黒瀬も「自分たちはすぐ緊張するので大舞台に弱い」と認めている)、有力な漫才の受賞歴などもなかったため、M-1グランプリ優勝までは「無冠の帝王」の異名を持っていた。
  • M-1グランプリでは、第3回 - 第4回、第6回 - 第8回はいずれも準決勝で敗退。芸人間での評価は非常に高く、早くから決勝進出有力候補であったことが、M-1グランプリ2009本戦での今田耕司や品川祐のコメントで分かる。また、くりぃむしちゅー有田哲平も、M-1優勝最有力の芸人として、早くから彼らに注目していたという旨をしゃべくり007(1月25日放送)にて語っている。第9回で初の決勝進出を果たし、ファーストラウンド8番目で登場しネタの完成度が高く評価されると共に高得点をマーク、笑い飯に続きファーストラウンドを2位(651点)で通過。最終決戦は2番目で登場。ここでも7人の審査員全員から満票を獲得、同大会初の決勝進出にして悲願のM-1制覇を果たす。これまで長く続いていた無冠の帝王の称号も返上した。
  • 鳥人ネタで凄まじい勢いを見せていた笑い飯に「自分たちの優勝はない」と感じ、「それならばいつも通りやろう」と決めた結果、変な緊張感が抜けて漫才ができたとM-1優勝後のよしもとオンラインで語っている。逆に、もし、笑い飯がスベっていたら、重圧と緊張で(優勝は)無理だっただろうとも明かした(このときの緊張具合について、噛みまくりの飛びまくりで、コンビ名すらも言えなかったと述べている)。ライバルの最高のネタが、彼らの優勝を後押ししたという結末であり、最終決戦の結果発表まで、優勝は笑い飯だと思っていたという。
  • その一方で、同じよしもとオンラインの放送でノンスタイル石田明は、「パンクブーブーさんの(最終決戦の)ネタを聞いた瞬間、負けたって思いました」と語っている。
  • 会場の反応は良かったのに準決勝敗退が続いていた原因として、「ルックスが悪すぎる」「オートバックスがスポンサーで、コンビ名に『パンク』は入っているのは不吉」という二つの案が二人の間に浮上し、「ポップに漫才ができる」という理由から「鬼切(おにぎり)」というコンビ名に改名しようとしていたことが、M-1優勝後の報道で明らかになっている。ちなみに発案者は黒瀬であるが、このコンビ名にセンスがないことは二人とも認めている。
  • 宮川大輔、同じ九州出身で福岡吉本の先輩である博多華丸・大吉、同時期に上京してきたトータルテンボスやタカアンドトシと交流が深い。
  • 芸人間での人気・評価が非常に高いコンビである。
    • M-1グランプリ2009終了後、オール巨人はブログ内で二人について「ネタが非常に面白く、二人とも力がある。優勝は当然の結果だと思う」と賞賛している。
    • 2007年のM-1グランプリ終了後、トータルテンボス大村朋宏は『ヨシモト∞』に出演した際のトークで「サンドウィッチマンかパンクブーブーが敗者復活戦の勢いをもってきたら危ないと思っていた」とコメントしている。藤田憲右は2008年12月8日ブログにて2008年のM-1グランプリでパンクブーブーが準決勝敗退となったことを惜しむと共に、彼らが躍進に値する芸人だと認めて励ましの言葉を贈っている。さらにその際に、「今年(2008年)の敗者復活でも来年(2009年)でもいい、もし彼らが決勝の舞台に立てば、初出場で優勝という結果が待っているだろうと思います」という予言めいたコメントを記している。トータルテンボス2人とも、2009年のM-1グランプリにて決勝進出を果たした際、自身のブログで賛辞を送っており、本戦前日のパンクブーブーのライブの楽屋に激励の手紙を残していた。そのお礼のVTRでパンクブーブーは、「今会ったら泣いてしまいそうなので一ヶ月後にまた会いましょう」と述べている。
    • 出演しているショートコント番組の司会者である今田耕司が「もっと見ていたかった」「相変わらず面白い」などと感想を述べたり、内村光良が「このネタ好きなんだよな」と率直にネタを賛辞する姿も見受けられる。
    • ルミネの舞台では場を温める一番手として登場することが多いほか、AGE AGE LIVEのMCを任されていたことなどからも、無名ながらも評価は高かったといえる。
    • 対人的な積極性にやや差はあるものの、二人とも実直で謙虚、面倒見がよく思いやりの深い性格で、その実力も相まって多くの芸人から信頼されている。M-1グランプリ2009の事前番組や本戦のVTRでは、決勝進出者に彼らの名が発表されたとき、周りの準決勝敗退の芸人たちが大いに沸きあがって二人を祝福している姿が映っている。そのあまりの盛り上がりぶりに、まだ発表が残っていた発表者は大いに慌てたらしい。本戦当日も多くの芸人がテレビ朝日に向かう彼らを見送りに行ったといい、ポイズンガールバンド吉田の話では、パンクブーブーの優勝が決まったとき、敗者復活会場にいた東京吉本の芸人は全員大喜びしていたという(バッドボーイズ佐田やアップダウン阿倍のブログでは、彼らの優勝が決まった瞬間、ルミネの楽屋が大きく盛り上がった様子が描かれている)。
  • 黒瀬いわく、「上京したばかりの頃は、無理に江戸言葉を使ったりして漫才をしていたが、全くうけなかった」という[2]
  • 互いのことは「哲っちゃん」「純ちゃん」と呼んでいる。
  • 佐藤が6期生、黒瀬が8期生と、かなり珍しいとされる「先輩・後輩」コンビである。同様のコンビとしては11期生と13期生のルート33や実の兄弟コンビで18期生と20期生のママレンジ(解散)がいる。年齢は黒瀬の方が1学年上であるために稀な上に稀な「年齢と芸歴が逆転」のコンビである。同様のコンビでは、ハイキングウォーキングがおり、松田が1976年生まれの東京NSC2期生、Q太郎が1974年生まれの東京NSC3期生と同期扱いである。
  • 2人ともR-1ぐらんぷりにも参加するなど、ピンでの活動も積極的に行っている。
  • 『ヨシモト∞』ではAGE AGE LIVEのMCを務める。同LIVEのMCは他に2丁拳銃博多華丸・大吉ルート33らベテラン芸人が並び、パンクブーブーは最も若手の部類に入る。
  • 2009年12月28日、笑っていいとも!の「旬すぎる芸能人」としてコーナーに出演。「タレント名鑑に載っている」ことが出演条件だったにもかかわらず、この時点ではタレント名鑑に掲載されていないことが判明した。

[編集] ネタ

主に漫才だが時々コントも行っている。佐藤の低い声や口調を生かしたキャラや黒瀬の戸惑い気味のツッコミが目立つ。漫才の場合、基本的に正統派でスタンダードなしゃべくり漫才的なネタが多く、最近のショートコントスタイルの番組では、それをベースにコンパクトにまとめたネタを披露している。初期は、漫才の本題に入ろうとする黒瀬に対し、「じゃあ俺○○やるわ」と佐藤が全く関係のないモノマネや情景描写を挿入することが多く(例・女子バスケ部の先輩、ファイヤーボールで倒されるクリボーの音など)、中期~後期は「俺○○やるわ、俺に不可能の二文字はない」「三文字だけどな」というくだりや、本題に入ろうとする佐藤に黒瀬が「さすがだな」と感心する展開もあった。

一時期、ネタの最後に黒瀬が「バカバカ!」と地団駄を踏んでいたが、M-1グランプリ2009の直前くらいからやらなくなっており、現在は「バカ!」とネタを締めくくることが多い。

ショートではない(コントとして考え出された)コントはややシュールで、『ゴルゴ13』『北斗の拳』など、人気漫画をモチーフにしたネタが多く、芸風も漫才時に比べるとかなり破天荒になる傾向がある。その落差に驚く観客も多いらしく、「もうコントはやるな」とルミネの支配人に怒られたこともあるらしい。

双方の芸風は若干異なるものの、M-1グランプリとキングオブコントの両方で準決勝進出の経験がある。『爆笑オンエアバトル』では、基本的に漫才の評価(獲得KB数)のほうが高い。それを彼らも自覚しているのか、最近では漫才が主流でコントを披露することは珍しくなった。

[編集] 爆笑オンエアバトルの記録やエピソード

  • 戦績 19勝2敗 最高537KB
    • 第6回チャンピオン大会 セミファイナル6位敗退
    • 第7回チャンピオン大会 ファイナル11位
    • 第8回チャンピオン大会 セミファイナル6位敗退
    • 第11回チャンピオン大会 ファイナル4位

2003年度に初挑戦。初挑戦にして537KB(100人中98人が投票)という高得点を獲得し、「初挑戦における最高キロバトル」として陣内智則に並ぶ歴代1位タイを記録。ちなみにこの初挑戦時には陣内も出演していたばかりか、陣内がこの記録を出した放送で佐藤がパンクブーブーを結成する以前に組んでいた「モンスターズ」が出演している。そして2003年度は3回連続オーバー500、そして番組初の4回のオンエア全てがオーバー500という記録を達成。年間合計キロバトル数は2084KBとなり「年間キロバトル」の歴代最高を記録した。

しかしその後ネタの方向性を変え、オフエアにこそならなかったものの獲得KB数が大きく減った時期がある。また第7回チャンピオン大会の「電車の車掌」のネタは(ネタが飛石連休とかぶってしまった影響もあるものの)ファイナル最下位を記録することとなり、本人たちも出番終了後のコメントで「楽しみにしてくれていた方、すみませんでした」と述べている。これについては2004年2月号(年間キロバトルの歴代最高を記録した直後、披露するネタが変化する直前)でのお笑いタイフーンのインタビューで、「言われるのは点数ばかりでネタを覚えてもらえない」「あのまま高得点とり続けても、何も変わらないと思う」「(これからは)僕らが本当に面白いと思う部分をいろいろ試していかないと(芸人として)突破できない」「だから今年はオンバト落ちるかもしれないが、それでも構わない」などと話していた。また、「ファイナルに行ったら一位を狙わず、何それ?っていうようなバカコントをやりたい」「今までと違う、スベッてたけど印象に残った、っていうのをやりたい。それが実はオンバト一回目に受かったときからの目標だった」と明かしており、また後に発売された爆笑オンエアバトル公式本7のインタビューで佐藤が「その時は目立ってやろうと考えてた」と発言した。

しかしその後も高得点を記録し続け、2008年11月13日の放送でオーバー500獲得回数が10回となり、アンジャッシュを上回り番組歴代単独1位となった。2009年3月現在、番組唯一のオーバー500回数2桁となっている(2位はタイムマシーン3号の9回)。しばしば番組内では「ミスターオーバー500」と称されている。

チャンピオン大会の出場権は年間4回オンエアを勝ち取っていて、なおかつ年間合計キロバトル数の上位20組に与えられる。しかし、第8回(2005年度)において彼らと井上マーが年間合計キロバトルが1780KBで同点20位。「年間合計キロバトル数が2組以上同点だった場合、年度内で獲得した最高KBが高い方を上位とする」というルールにより、477KBだった井上マーを下し、505KBのパンクブーブーがチャンピオン大会に出場した。

第8回チャンピオン大会出場後1年程のブランクを経て、2007年6月放送分の通常放送に出場。その後3勝するも、2008年2月放送分で6位でオフエア。チャンピオン大会出場権獲得の規定である4勝を獲得できなかったため、出場はできなかった。

佐藤は「モンスターズ」時代に2回(戦績1勝1敗 最高380KB)、黒瀬は「バレッタ」時代に1回(戦績0勝1敗 最高217KB)、それぞれオンエアバトルに挑戦している。

ファイナル進出を果たした第7回チャンピオン大会と第11回チャンピオン大会は、どちらもセミファイナルを1000KBオーバーで通過している。

2回ネタがかぶったことがある。1回目は前述の第7回チャンピオン大会ファイナルで、飛石連休と電車の車掌ネタでかぶってしまい、結果は振るわなかった。2回目は2005年10月のレギュラー放送で、流れ星と童話・赤ずきんちゃんネタでかぶってしまうが、このときは逆にかぶってしまったことをネタにして笑いを取り、オーバー500を獲得した。

[編集] 出演

[編集] テレビ

[編集] ラジオ

[編集] 映画

[編集] 舞台

  • 神保町花月
    • 『月の明かり』(博多篇、2009年8月12日 - 8月14日・8月17日)

[編集] DVD

  • 「M-1グランプリ2003完全版 〜M-1戦士の熱き魂〜」(敗者復活戦)
  • 「M-1グランプリ2004完全版 〜いざ!M-1戦国時代へ “東京勢の逆襲”〜」(敗者復活戦)
  • 「M-1グランプリ2006完全版 史上初!新たなる伝説の誕生 〜完全優勝への道〜」(敗者復活戦)
  • 「M-1グランプリ2007完全版 敗者復活から頂上(てっぺん)へ 〜波乱の完全記録〜」(敗者復活戦)
  • 「The Best of ヨシモト∞(無限大) Vol.2」
  • 「ルミネ the よしもと〜業界イチの青田買い2009冬〜」
  • 「非売よしもと本物流〜月刊レンタルDVD」(2005年8月号赤版、2005年9月号青版、2005年9月号赤版)
佐藤のみ
  • 「非売よしもと本物流〜月刊レンタルDVD」(2005年10月号青版)
  • 「ヘアスタイル」
  • 「LICENSE vol. ZEPP ENJOY !!」
黒瀬のみ
  • 「月刊DVDよしもと本物流vol.5」(2005年11月号青版)

[編集] 書籍・雑誌

  • Kindai「パンクブーブー×水崎綾女のジェネレーションギャップをのりこえろ!」(近代映画社
  • お笑いTYPHOON!JAPAN Vol.4
  • 爆笑オンエアバトル5、爆笑編・熱唱編、7

[編集] 脚注

  1. ^ 「パンクブーブーのオールナイトニッポンR」の放送より
  2. ^ 2008年3月31日付『サンケイスポーツ』芸能面『次は任せなさい お笑いニューヒーロー』より。

[編集] 外部リンク

2008年:
NON STYLE
M-1グランプリ
優勝漫才コンビ

2009年
2010年:
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