阿部知代

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あべ ちよ
阿部 知代
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 群馬県桐生市
生年月日 1963年7月23日(51歳)
血液型 O型
最終学歴 上智大学文学部新聞学科
勤務局 フジテレビジョン
部署 FCINY
活動期間 1986年 -
ジャンル 報道・情報・バラエティ
配偶者 なし
出演番組・活動
現在 めざにゅ〜
めざましテレビ
めざましどようび
(共にNY支局中継コーナー)
過去 テレビ美術館
なるほど!ザ・ワールド
産経テレニュースFNN』など
その他 FNS用語委員
日本新聞協会用語懇談会委員

阿部 知代(あべ ちよ、1963年7月23日 - )は、フジテレビアナウンサー。現在はFCIニューヨーク本社に出向中。FNS用語委員。日本新聞協会用語懇談会委員。俳人でもある。

群馬県桐生市出身。身長168cm。50歳でも現在は独身。

来歴・人物[編集]

群馬県立桐生女子高等学校上智大学文学部新聞学科卒業。大学の同じクラスには元テレビ朝日アナウンサーの雪野智世、雑誌『25ans』編集長の十河洋美、雑誌『STORY』編集長の山本由樹がいる(『STORY』に林真理子が連載していた小説『私のこと、好きだった?』は山本と阿部がモデルである)。

1986年、フジテレビアナウンサーとして入社。

入社2年目から20年以上『テレビ美術館』『artLover』と美術番組を担当していたため、自他共に認める日本一現代美術を愛する、かつ詳しい女性アナウンサーである。アーティストからの信頼も厚い(大竹伸朗も阿部アナのインタビューは喜んで受けるという)。

1991年から1992年までFNNパリ支局に勤務しており、フランス語英語も話せる。

1993年 - 2006年という長期間、断続的ではあるが週末のニュースを担当した。

2005年にアナウンス室デスク、2007年よりアナウンス室デスク担当部長に昇格。

2012年8月からFCIニューヨーク本社に出向となった[1]

シャンパンワイン日本酒が好きでワインコーディネーターと唎酒師の資格を保持。

子どもの頃から古典芸能に親しみ、ニューヨーク平成中村座をはじめ歌舞伎、文楽、落語などに着物で出かけることが知られている。落語家・立川談春の大ファンで地方公演にも出かける「追っかけ」である。

俳人としては、榎本了壱萩原朔美白石冬美サエキけんぞう坂東彌十郎伊藤キム等が同人の「かいぶつ句会」、西東三鬼を師系とする「面」に所属し、俳句コンテストでの入賞、また歳時記、俳句誌などに句が掲載されている。

エピソード[編集]

  • 入局から四半世紀が経ったベテランアナであるが、現在もバラエティ番組に度々出演している。
  • フルネームの読みが非常に短いため、「阿部さん」「阿部アナ(ウンサー)」と呼ばれることは滅多になく、「アベチヨさん」と呼ばれることがほとんどである。
  • 元々、他局に比して女性アナウンサーの立場が不利であったフジテレビだが、特に報道では1978年に阿部の11期先輩[2]田丸美寿々[3]が初めてニュース番組の司会に抜擢されたものの、1980年代になっても女性アナウンサーが一人でニュースを読む事はなく、『FNNレインボー発』等のフジテレビの定時ニュースは長年にわたり男性アナウンサー限定の仕事であった。現在のように女性も担当するようになったのは、1990年代初頭に阿部が報道上層部に直訴したことによる。そのとき女子アナとして初めて1ショットのニュース(週末の『産経テレニュースFNN』)にキャスティングされ、これが功を奏して、翌1994年には安藤優子がメインの『ニュースJAPAN』もスタートした。
  • 趣味は写真で『なるほど!ザ・ワールド』リポーター時代、常に斜めがけしていた黒いバッグにはカメラが入っていた。腕前はプロ級で、暗室でのプリントもする。雑誌に写真エッセイを連載したり、『テレビ美術館』取材時に撮影したアーティストのポートレイトが展覧会カタログに採用されたりしたこともある。朗読舞台『ラヴシーン』のパンフレットのスナップ写真と公式サイト画像も阿部の撮影で、愛機はライカ(ラヴシーンパンフレットより)。
  • 靴フェチで、自宅には数百足の靴があるらしい。
  • 大学在学中にアルバイトでNHK総合の科学情報番組『ウルトラアイ』のアシスタントを務めていた時期がある。また、その際に「チャールズ・チャップリンの映画『黄金狂時代』の様に、革靴は食べられるモノなのか?」という趣旨の実験で、長時間茹でられてブヨブヨになった革靴をナイフとフォークを用いて食している。
  • 毎年放送されている『女子アナスペシャル2008』で修行対決コーナーがあり、くじ引きでメイド修行を引き、メイドに変身、萌えポーズを見せた。だがこの時は「今まで生きてきた中で一番恥ずかしかった。」と語っている。
  • グループ展『さよなら ポラロイド』に写真を出品、この展覧会は朝日新聞2008年10月24日東京版)で大きく紹介され、阿部の写真が掲載された。
  • 『森田一義アワー 笑っていいとも!』のコーナー・「テレフォンショッキング」の初代テレフォンアナウンサーの一人。1987年10月~1991年9月まで火曜日→月曜日を毎週務めた。その後、2010年10月6日(水曜日)に約19年ぶりに単発扱いで担当した。2011年4月6日(水曜日)からの半年間、再び水曜テレフォンアナを務め、2012年4月現在、第2期を担当する唯一のアナウンサーであった。
  • ドラマ『古畑任三郎』の「忙しすぎた男」にカメオ出演している。
  • CSの日本映画専門チャンネルで『メモリーズ』(旧『私が好きな日本映画』)の司会を担当。これがきっかけで昭和30 - 40年代の映画に詳しくなった模様。
  • 河東節三味線人間国宝・山彦千子に師事し、「山彦知代」名で歌舞伎座や新橋演舞場の『助六由縁江戸桜』に河東節十寸見会連中の一員として出演している。
  • 阿部が入社した翌年1987年から「FNS27時間テレビ」が始まった。

現在の担当番組[編集]

過去の担当番組[編集]

レギュラー出演[編集]

報道番組
バラエティ・教養番組
ナレーション

不定期出演など[編集]

舞台[編集]

映画[編集]

同期[編集]

  • 岩瀬惠子(現:フリーアナウンサー)
  • 横井克裕(現:総務局法務室統括担当部長。防衛省陸上自衛隊オピニオンリーダー)

脚注[編集]

  1. ^ 日刊合同通信(マスコミ研究会)2012年7月20日付「フジ、FCI出向人事・阿部アナNY本社」より
  2. ^ 田丸が入社した1975年当時のフジテレビの女性アナウンサーは全員が契約社員で役職も報道局解説室付リポーターであり、女性が正社員に昇格かつ報道局解説室付リポーターがアナウンサーと正式に認められたのは1981年であったので、局アナとしては正確には阿部の5期先輩である。
  3. ^ 正確には司会者の逸見政孝のアシスタントであった。また、田丸は阿部の入社する3年前(1983年)にフジテレビを退社しており、阿部とは同僚だった時期はない。
  4. ^ アナルームニュース2001年10月22日号 - フジテレビ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]