今田耕司

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今田耕司
本名 今田耕司
ニックネーム 今ちゃん
生年月日 1966年3月13日(48歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市
血液型 A型
身長 174.7cm
方言 大阪弁
最終学歴 清風高等学校定時制課程普通科
出身 NSC大阪4期生
コンビ名 ダブルホルモンズ(解散)
Wコウジ(非公式)
相方 ほんこん(ダブルホルモンズ)
東野幸治(Wコウジとして)
芸風 漫談コント
立ち位置 左(Wコウジとして)
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1985年 -
同期 130R(NSC4期)
東野幸治木村祐一(数か月後輩)
現在の代表番組 レギュラー番組
アナザースカイ
開運!なんでも鑑定団
ノブナガ
着信御礼!ケータイ大喜利
スペシャル番組
爆笑レッドカーペット
爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル
ものまね王座決定戦
過去の代表番組 今田ハウジング
たけしの誰でもピカソ
あいのり
やりすぎコージー
配偶者 未婚

今田 耕司(いまだ こうじ、1966年3月13日 - )は、日本お笑いタレント司会者である。愛称は今ちゃん大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。身長174.7cm、体重68kg。

略歴[編集]

デビュー前[編集]

3人兄弟の末っ子。実家は大阪市天王寺区生玉の道善寺という本門法華宗の寺である。父は会社員住職を兼業していた。

  • 父方の曽祖父は大阪屋を営んでいたが、大口の顧客倒産して代金を回収できずに倒産したため、家族を残し一人上京、当時有数の繁華街だった浅草で、朝は納豆売り、夜はおでん屋をしながら再起を図った。3年後に家族を呼び寄せた直後に富くじで大金を当て、それを元手に現在の元浅草アパート経営を行っていた。曽祖父は計10人の子供をもうけたが、大阪で尼僧をしていた曽祖父の実姉が、寺を継ぐ養子が欲しいと曽祖父に願い出る。当初は女の子を寄越すつもりだったが、姉の方から「尼僧は結婚できないから、そんなかわいそうな目に遭わせたくない」とのことで寄越した男子が耕司の祖父だった。養子縁組により、祖父は元の藤田姓から今田姓に変わることとなる。その後、耕司の祖父を養子に出した後にこの家族は東京大空襲で全財産を失い、大阪にいる耕司の祖父とは疎遠になる。藤田家の子孫は2012年9月まで今田耕司が自分の親戚だと知らなかったという[1]
  • 母も赤ん坊の時に彼女の叔母に養女として引き取られた身の上で、それを母が知ったのは結婚した後の事だった。母方の祖父(実際は母の養父)は宮崎県出身で、パラオで一般採用からたたき上げで郵便局長になった当時としてはかなり珍しい経歴の人物だった。母は鹿児島県出身のパラオからの引揚者で、戦況悪化で8歳の時に祖母(実際は母の養母)と内地へ引き揚げる際に手違いで三池丸に乗れずに貨物船東山丸に乗せられたことで船団が米海軍の潜水艦「トリガー」により攻撃され最終的に三池丸が沈没した際、難を逃れている(乗船した東山丸にも魚雷が当たったが不発だった)[1]

中学3年生のとき、友人3人で独立して生活していこうと決心して家出するが、数日で連れ戻されて自宅謹慎になる。

1981年、先生からの勧めで全寮制の日生学園第二高等学校に入学。しかし、1年で「映画『大脱走』みたいな感じ」で寮から脱走し、そのまま中途退学した。なお、後に芸人として先輩後輩の関係になる浜田雅功も同校の卒業生である。

その後、清風高等学校定時制課程普通科に編入。昼間は日本一若い店長になることを目標にしてラーメン屋で働いていた。夏休みは、友人数人と母方の実家である宮崎県高鍋町に滞在し、小丸新茶屋(うどん店)でアルバイトしながらサーフィンに没頭していた。

NSC入学〜大阪時代[編集]

定時制高校の卒業後は、「手に職をつけたい」と思い寿司職人か美容師専門学校の入学を検討した。しかし学費が高く、肌が弱かったために医者から「を扱う職業には向いていない」と忠告されたこともあって断念。途方に暮れていたときに、当時入学料が5万円程度だった「吉本総合芸能学院」(以下、NSC)に目が留まり、「昔からお笑いも好きだし」と軽い考えで1985年、4期生としてNSCに入学した。同期には130Rほんこん板尾創路)がいる。程なく、ほんこんとお笑いコンビ「ダブルホルモンズ」を結成。ほんこんは「骨付きカルビ」という芸名でボケ、今田は「上ロース」という芸名でツッコミであった。ネタはほんこんが作っていて、節水をテーマにした漫才などをやっていた。また、NSC入学前に、島田紳助に弟子入りするという考えもあったという。[2]

NSCは実家から2駅離れた場所にあったため、当時今田はNSCには実家から通っていた。家に帰れば食事も寝る所もあり、さらに夜はアルバイトをしていたのでお金もそこそこあった。そのため今田は当時を振り返り、「良いこと尽くめの下積み時代だった」と語っている。

1986年、ダブルホルモンズを解散し、ピン芸人として活動を始める。ちょうどこの頃、2丁目劇場ができるタイミングで前座のオーディションがあり、ピンになって初めて書いた「才能のない構成作家のオーディション」というネタで見事合格した。ダウンタウンとはこの頃に出会い、「おもろいな」と爆笑してもらったのが最初に交わした言葉である。

1986年、京都花月12月中席(12月11日 - 12月20日)にて劇場デビューする。

1987年4月、『4時ですよーだ』放送開始。1989年、『4時ですよーだ』終了後、東野幸治らと共に吉本新喜劇の補強メンバーとして活動。時には座長として舞台をこなす。

東京進出[編集]

1990年、ダウンタウンを慕って東京へ進出。『ダウンタウンのごっつええ感じ』で全国的な知名度を獲得する。以来ダウンタウンの番組出演のほか、Wコウジとして司会などで活躍した。

1991年、『正解るんです』(CBCテレビ制作)に東野幸治と共に出演、ローカル深夜番組にもかかわらず熱狂的ファンを集めた。以降東野幸治と共に、2014年現在に至るまでCBCテレビ(『ノブナガ』)でレギュラー番組を持っている。

1995年、『いつかまた逢える』に出演。初めてのキスシーンを大塚寧々西田尚美らと演じた。

2007年、不定期の特番として放送されていた日本テレビ系バラエティ番組『今田ハウジング』が、3月7日から水曜19:58 - 20:54の時間帯にて1年間、レギュラー放送された。自身初のゴールデンでの冠番組となった。

2008年以降、朝日放送系バラエティ番組、『今ちゃんの「実は…」』で司会を務める。番組内の新たな言葉を生み出し番組内のウィキペディア辞書に登録するコーナー、そして本物のウィキペディアに書き込まれた人物の真相を確かめるミニコーナーがあった。

現在は多数のレギュラー番組に出演しているほか、ルミネtheよしもとで新喜劇の座長も務めている。

2008年4月28日発売の『週刊現代』に、今田が未成年の女性に飲酒を無理強いさせたうえで淫行に及んだと掲載された記事をめぐり、今田本人と所属事務所である吉本興業は「事実無根で名誉を棄損」として、講談社に対して損害賠償及び謝罪広告の掲載を求めて提起。名誉毀損などで提訴していた件について、講談社側が2009年10月26日発売の同誌に謝罪広告を掲載し、11月6日付で今田宛の損害賠償金550万円と遅延損害金を支払ったため、同日付で訴訟を取り下げた[3]

人物[編集]

趣味・嗜好[編集]

  • 動物が好きであり、『森田一義アワー 笑っていいとも!』にて過去にペットを15匹飼っていたことを明かした。小学生時代は飼育小屋の鶏の卵を許可を得て自宅に持ち帰り、孵化させ鶏にまで育て上げた。
  • キレイ好き(潔癖症)で知られ、酔って自宅に戻った後でも部屋の掃除と洗い物は欠かさないほど。掃除グッズおたくでもある。飲み会の席では、グラスやテーブルについた水滴をすぐにおしぼり等で拭く癖がある。若手芸人と飲みに行った際もその癖が出るため、明石家さんまからは「若手が恐縮するからやめろ」と注意されているが、本人は「別に迷惑をかけているわけではないから」といってやめる気はない模様[4]。後輩芸人や共演者からは「結婚したかったらその癖を抑えるのが一番」と言われている。
    • だが、ノリで言ったことがすぐウィキペディアに載ってしまうことに懸念があり、上記のことに関しても自分はそれほど潔癖症ではなく、むしろ千原ジュニアが潔癖症で、あらゆる菌がダメだと語っている[5]
    • 木村祐一が今田の家で食事を作った際、木村がキャベツを刻んでは今田がそのカスを捨てる、木村が刻んでは今田が捨てる、木村刻んで今田捨てるを間断無く繰り返した結果、本人曰く「キムのデビュー以来20年以上の付き合いの中でも聞いたことのないぐらいの大声」で、「後でまとめてやりますさかいに!!!」と木村にキレられた。
    • 後輩芸人(宮川大輔)が今田の家に招かれ、トイレを借りた。その際にほろ酔いの今田に冗談の口調で「汚す(小便を便器周辺に撥ねさせる)なよ!」と笑顔で言われた。しかし、その後輩が結局撥ねさせてしまった。それを拭き取ろうとトイレットペーパーを1回引いた瞬間に「汚したやろ!」と怒声が響いた。今田曰く「男が小便をしようとトイレに行ってトイレットペーパーの音を立てるのは撥ねた小便を拭き取る以外に理由がない」。
    • 多忙により自宅の掃除に使える時間が少なくなったため家政婦を雇うことになり、派遣会社外国人女性(フィリピン人)を今田の家に派遣した。全く日本語が喋れない女性だったが、今田の家に入って部屋を一目見渡したと同時に「So clean!!(とてもキレイ)」と言われた。それでも今田曰く「(その時は)まだ結構散らかってた」。
  • ブルース・リーの大ファン。自宅にはブルース・リーのフィギュアやポスターが部屋中のいたるところに整然と飾られており、自らが「ブルース・リーBAR」と呼ぶスペースまであった。
  • 芸能ゴシップが大好きであり、東野幸治と共に「吉本のゴシップ兄弟」を自称している。東野曰く「今田の兄貴は難しい漢字は全てゴシップ誌で学んだ」。
  • 子供の頃は西川のりおの大ファンだった。「テレビでのりおさんの何をするかわからないハチャメチャな感じがすごい好きやったんです。」
  • 大の桜田淳子のファンであったことを番組で明かした。
  • 漫画愛好家であり、自宅に漫画を読むための部屋を持ち、複数の漫画雑誌も購読している。またアニメ通であり、『脳内エステ IQサプリ』の収録中にえなりかずきと『新世紀エヴァンゲリオン』のヒロインについて盛り上がったことがある。また、本人はアニメ映画『マインドゲーム』の主演(声優として)を果たしている。
  • 趣味はピアノで、テレビ番組で坂本龍一の「メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス」や久石譲の「Summer」(映画『菊次郎の夏』テーマソング)を番組で演奏したこともある。テイトウワのプロデュースで「KOJI1200」(読みは「コージ・トウェルブ・ハンドレッド」、後に「KOJI-12000」)として歌手活動を行っていた頃のインタビューでは、デュラン・デュランなどのニューロマンティックニューウェーブへの造詣の深さが語られており、音楽的なセンスを持ち合わせていることが伺える。その知識を買われ、お笑い芸人にもかかわらず『TK MUSIC CLAMP』にゲスト出演、小室哲哉と対談した。またビートたけしとも交流があり、たけしからピアノをプレゼントされた逸話は有名。
  • 今中慎二に似ているということで、『今田・東野のCMコウジ園』のオープニングでユニフォームを着て左投げのものまねをした事がある。
  • 格闘技好きとしても知られ、90年代後半からパンクラス、その後GRABAKAの一般会員として格闘スポーツジムに通っている。また格闘家のスポンサー的組織「今田道場」を主宰し元DEEPフェザー級王者の松本晃市郎を輩出した。また、テレビ収録の空き時間に筋トレをしている姿が岡村隆史らによって目撃されており、それが若々しく見える秘訣ではないかと推測されている。
  • 前述のように、高校時代にラーメン屋で働いていたこともあり、野菜千切りが非常に得意である。
  • 映画『ブラックレイン』のオーディションで吉本にもオファーがあり、会社命令により他の吉本芸人ともどもオーディションを受けるも本人は乗り気でなく、オーディションでも自身の質問に対し、コメディアンである事を伝えると外国人スタッフから「コメディアンなら何か面白い事をやってみろ」と要求されるも外国人に自分のギャグを披露しても伝わるわけがないと思った今田が「いや、ボクは別にいいです」と答えたところ、質問したスタッフが不思議そうな表情を浮かべながら「お前はチャンスがいらないのか?」と云われた。

交友関係[編集]

  • ダウンタウンの存在はNSCに入学するまで知らなかった。浜田雅功を「当時、1年目、2年目の自分から見た浜田さんは、すごすぎた。松本さんは芸としての天才で、浜田さんは司会者としてすごかった。浜田さんのノビノビと、わーって叩いて笑ってって、そういうのすごい憧れでした。」と語り、また松本人志のことは「芸はもちろんですけど、松本人志さんのお笑いをつくる姿勢がカッコ良くて、すごく影響受けましたよ」と語っている。
  • 東野幸治とはデビュー当時に舞台で知り合い、意気投合。『4時ですよーだ』などで2人でコントを披露して以降、多くの番組で東野と共に司会を務めた。東野と共にWコウジと称されているが、コンビではない。
  • ナインティナイン岡村隆史は、今田を兄さんとして慕っている。
  • 福山雅治とは1992年に自身のラジオ番組にゲストとして招待して以来の古い付き合いであり、福山のアルバム『SING A SONG』では今田が収録全曲のレビューを執筆した。時々アダルトビデオの交換をする仲でもある(文化放送Come on FUNKY Lips!』にてゲストの福山が事実を認める)。
  • 杉本有美とは同じ小、中学校の先輩後輩である。彼女の口から、今田の自宅である道善寺の前が通学路だった事を、2008年3月8日放送『IQサプリ』で初共演を果たした際に明かされた。
  • 野生爆弾ロッシーは初対面にも関わらず臆することなくどんどん話しかけてきたためか、「親戚の子みたい」と相当気に入っているようである。

評価[編集]

  • 日経エンタテインメント!』(日経BP社)2009年2月号におけるインタビューにおいて、「(2008年の)今田の好調ぶりを支えるのは抜群のトーク力。とりわけ『生放送に強い』というのが業界内での認識だ」と評されている。これについて今田は「生放送は好き。もともと収録放送の番組でも生放送のつもりで向き合っている」と語っている。また自身のトーク力について「大阪でダウンタウンさんの生放送の番組(『4時ですよーだ』)に出してもらったり、デビューして1年目くらいから生放送にしか出ていなかったから鍛えられた」と自己分析している。
  • 『ごっつええ感じ』のコント、「MR.BATER」において松本人志から「そんなんやから週刊誌に『ダウンタウンの腰巾着』て書かれるんや」「二線級のタレント」などとからかわれたことがある。しかし実際のところ今田に対する松本の評価は「生涯で稼ぐ金額は今田の方が(松本自身より)上やないかなあ」「今田の方がこの先(自分より)メジャーになる」と言わしめるほど高いもので[6]放送室でも「松本軍団の中で誰が一番優秀か」と問われた松本は「せやねぇ、うちは厳しいよ。でも今田かな」と答えている。
  • 週刊プレイボーイ』で連載中の「松本人志の怒り」の中で、トーク力を千原ジュニアと共に認められており、松本は「(この2人は)食いっぱぐれる事は無い」と評価している。
  • 松本からそのような評価を受けている今田であるが、他のタレントとは異なり、自身が出演する番組においてむやみにギャラを引き上げないよう交渉しているとの話がある。元々はたくさんの番組に出演したいという理由で抑えてきたものであったが、2008年後半以降放送業界に不況の波が押し寄せ、高額ギャラを受け取っている大物司会者などのリストラが始まっている今日において、この姿勢が今後有利に働いてくるのではないかとも見られている[7]
  • 2000年9月に、フジテレビの『明石家マンション物語』代表として、明石家さんまらと『めちゃイケ』内のコーナー「しりとり侍」に出演したときは、さんまとの丁々発止のやりとりでレギュラー陣を圧倒し、「さんま兄さんはすごいが、それを光らせた若頭(今田)があってこそ」と感心させた[6]。また、ナインティナインからは「お笑いお化け」とも称される。
  • ガダルカナル・タカは今田をライバル視しており、やしきたかじんの番組で「芸能人の中で、この人には勝てないと思うのは誰?」という質問に今田を挙げている。また、今田が若手時代のころにタカが大阪の番組で共演し、「東京の番組には来てもらいたくないなあ」と今田の実力を高く評価していた。
  • 同期の板尾創路からは、「自分と真逆の人間で、居心地は凄くいい」「タレントとして、あいつにだけは勝たれへんと思ってる」「天性の明るさと面倒見の良さと場の空気を何とか面白くしようとする、どんなボケでも拾う、あの感じはオレにはできへん。凄いなと思いますよ」と高く評価されている。
  • 2004年の島田紳助謹慎騒動に伴い、幾つかの番組は紳助の代役として今田に白羽の矢を立てた。それらの番組で今田は予想以上の働きぶりを見せ、特に『開運!なんでも鑑定団』での代役司会ではテレビ東京菅谷社長から絶賛されるなど、彼のタレントとしての能力の高さを世間に再認識させた[6]。そして2011年8月に芸能界を引退した紳助の後任として正式に鑑定団の司会者に就任した。その後、2012年春放送の『オールスター感謝祭'12春 芸能界No.1決定戦SP』(今田は2005年秋と2006年春に解答者ゲスト(2005年秋は149番席、2006年春は168番席)として出演したこともある)から島崎和歌子とコンビを組む司会者を今田が務めることが公式サイトにて正式発表され、2011年秋の複数の司会者によるリレー形式の1番手を経て2代目司会者に就任し、結果的に、島田紳助引退後の後任司会者として最も多くの番組を引き継ぐことになった。[8]
  • オリコンによる「好きな司会者ランキング」では2009年は7位[9]、2010年は3位[10]

主な活動[編集]

テレビ[編集]

単発

過去の出演番組[編集]

CM[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオ[編集]

舞台[編集]

  • ルミネtheよしもと新喜劇座長
  • 尋常人間ZERO(2008年)
  • 愛Pod(2009年)
  • 愛Pod 才能は努力では手に入らないのですか?(2010年)
  • NGワードライフ(2011年、2012年)
  • The Name(2013年)
  • AVM(2014年)

映画[編集]

著書[編集]

CD[編集]

  • 親父の唄~ラスベガスバージョン(今田耕司・東野幸治名義、BMGファンハウス、1993年)
  • チュンチュンワールド〜おげんきたいそう(大和田りつこ、岡崎裕美、今田耕司、東野幸治、池谷幸雄、こどもコーラス元気隊名義、日本コロムビア、1994年発売。NHK「みんなのうた」)
  • SO・YA・NA
    • SO・YA・NA(WEST END×YUKI from O.P.D.名義、1995年)
    • SO・YA・NA グレーテストヒッツ(WEST END×YUKI from O.P.D. 名義、1995年)
    • フォークがSO・YA・NA(WEST END×YUKI from O.P.D. 名義、1995年)
      EAST END×YURI 」の楽曲「DA・YO・NE」を大阪弁でカバーした企画もののCD。「EAST END×YURI」のパロディー企画物ユニット「WEST END(今田耕司、東野幸治)×YUKI」を結成し、1995年にEPICソニーから発売された。「SO・YA・NA グレーテストヒッツ」では、1曲目と6曲目を石野卓球が手がけている。「フォークがSO・YA・NA」とアレンジバージョンが作られ、そして「DA・YO・NE」の方言カバーのご当地ソングを集めたCDアルバムにも収録されている。
  • テイ トウワプロデュース作品リスト
    • ナウ ロマンティック(KOJI1200名義、1995年)
    • I LOVE AMERICA(アメリカ大好き!)(KOJI1200名義、1996年)
    • I LOVE AMERICA REMIX(アメリカ大リミックス!)(KOJI1200名義、1996年)
    • DUET!! (KOJI-12000名義、原万紀子とのデュエット、1997年)
    • DISGUSTING(KOJI-12000名義、1998年)

脚注[編集]

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  1. ^ a b ファミリーヒストリー 2013年10月4日放送分
  2. ^ 2012年1月2日放送新春!鶴瓶生誕60周年 酒だ笑いだもって来い 大新年会スペシャル!!にゲスト出演した時の発言より
  3. ^ 今田耕司「週刊現代」訴訟取り下げ。謝罪文掲載と損害賠償-日テレNEWS242012年3月13日閲覧
  4. ^ 新春大売出し!さんまのまんま』(関西テレビ系)2010年1月2日放送分
  5. ^ QuickJapan82号より。
  6. ^ a b c 今村荘三『お笑い通』浪速社、2007年。
  7. ^ 出典・日刊サイゾー 2009年1月29日号[1]
  8. ^ http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/09/15/kiji/K20110915001623550.html 「ヘキサゴン」打ち切り 「鑑定団」は今田に正式決定]スポーツニッポン 2011年9月15日
  9. ^ “好きな司会者ランキング、1位は「島田紳助」”. オリコン. (2009年1月29日). http://career.oricon.co.jp/news/62545/full/ 
  10. ^ “「好きな司会者」ランキング、島田紳助が2連覇、今田耕司も初のTOP3に”. オリコン. (2010年1月12日). http://career.oricon.co.jp/news/72263/full/ 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]