大谷翔平
| 北海道日本ハムファイターズ #11 | |
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2013年
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 岩手県水沢市(現:奥州市) |
| 生年月日 | 1994年7月5日(18歳) |
| 身長 体重 |
193 cm 86 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 投手、右翼手 |
| プロ入り | 2012年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 2013年3月29日 |
| 年俸 | 1500万円(2013年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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大谷 翔平(おおたに しょうへい、1994年7月5日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手、外野手)。
日本プロ野球では珍しい投手と打者の『二刀流』選手として注目を浴びる。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
岩手県水沢市(現:奥州市)出身。社会人野球の選手だった父とバドミントン選手の母のスポーツ一家に生まれる。「翔平」という名前は、父が奥州平泉にゆかりのある源義経(幼名・牛若丸)にちなんで、義経の戦うと飛ぶイメージから「翔」の字を用い、平泉から「平」を取って名付けられた[1]。
水沢市立姉体小学校(現:奥州市立姉体小学校)3年時に水沢リトルリーグで野球を始め全国大会出場を果たし、水沢南中学校時代に一関リトルシニアに所属し、ここでも全国大会出場を果たした。
菊池雄星に憧れ、彼の出身校の花巻東高校へ進学。「日本一になる」「日本人最速となる163km/hを記録する」「ドラフトで菊池雄星を越える8球団から1位指名を受ける選手になる」ことを目標に掲げた[2]。入部後は監督の佐々木洋の「まだ骨が成長段階にある。1年夏までは野手として起用して、ゆっくり成長の階段を昇らせる」という方針により[3]、1年春は「4番・右翼手」で公式戦に出場。秋からエースを務め、最速147km/hを記録し、2年春には最速151km/hを記録。夏の甲子園初戦の帝京高校戦では骨端線損傷により右翼手として先発出場するが、4回途中から登板し、田中将大(駒大苫小牧)に並ぶ甲子園での高校2年生最速タイ記録(当時)となる150km/hを記録。その後は治療に専念し、試合には打者限定で出場した。3年の春のセンバツでは初戦の大阪桐蔭高校戦で藤浪晋太郎から本塁打を放つも、11四死球で9失点と崩れ敗れた。3年夏の岩手大会の準決勝・一関学院戦ではアマチュア野球史上初となる最速160km/hを記録した[4]。しかし決勝の盛岡大附高校戦では左翼ポールの外側を通過した打球が本塁打と判定される不運に見舞われる[5]など5失点を喫し、高校最後の夏の甲子園出場はならなかった。甲子園通算成績は14回を投げ防御率3.77、16奪三振。野手としては2試合で打率.333、1本塁打。
9月には第25回AAA世界野球選手権大会の日本代表に選出され、主に「4番・指名打者」として起用された。5位決定戦の韓国戦に先発し、7回を投げ2失点、12奪三振、最速155km/hも記録する好投を見せるも敗戦投手となった。
2012年のドラフト会議前には日本プロ野球だけでなくメジャーリーグ球団からも注目され、本人は当初「(アメリカか日本かは)五分五分」と語っていた[6]が、ロサンゼルス・ドジャースやテキサス・レンジャーズ、ボストン・レッドソックスとの面談を経て[7]、10月21日にメジャー挑戦を表明[8]。会見では「マイナーからのスタートになると思うけれども、メジャーリーグに挑戦したい気持ちでいる。入学当初からの夢だった。若いうちに行きたい思いがあった。日本のプロにも憧れはあったが、メジャーへの憧れの方が強かった」と語った[9]。しかし、23日に北海道日本ハムファイターズGMの山田正雄が大谷をドラフト1位指名することを公表し[10]、日本ハム監督の栗山英樹も「大谷君には本当に申し訳ないけれど、指名をさせていただきます」と公表[11]。25日のドラフト会議当日には日本ハムが単独1位指名で交渉権を獲得。指名後の会見では「ビックリしたし動揺もしました。でも、自分の気持ちは変わりません。評価していただいたのはありがたいですが、アメリカでやりたいという気持ちは変わりません」と語り[12][13]、指名挨拶のため日本ハムから訪問を受けた際にも面会しなかった[14]。
しかしその後、2度目の訪問で指名挨拶を受け[15]、両親を交えた入団交渉も4度に渡って行い[16][17]、3度目の入団交渉からは日本ハム監督の栗山英樹も同席する[18][19]。交渉では30ページに及ぶ資料[20]が提示され、高校卒業後直接アメリカへ渡った韓国の野球選手がメジャーリーグで活躍できていない点や、過酷なマイナーリーグの現状、国内リーグで実力をつけた選手がメジャーリーグで活躍している点などが説明された。さらにダルビッシュ有が着用していた背番号「11」、投手と打者の『二刀流』育成プランなどを提示され、12月9日に日本ハム入団を表明[21]。25日に契約金1億円+出来高払い5000万円、年俸1500万円(推定)[22]で仮契約を結んで入団会見し[23][24]、会見後には札幌ドームで監督の栗山英樹と投打で1球勝負するエキシビションも行われた[25]。
2012年11月に花巻東高校が岩手県内向けに放送した生徒募集のCMについて、同校が大谷を高野連の承認を得ないで出演させていたことが2013年1月に判明し、日本学生野球憲章抵触のため高野連が実態調査に乗り出し[26]、野球部部長が厳重注意を受けた[27]。
プロ入り後 [編集]
- 2013年
- 春季キャンプでは投手と野手の練習メニューを並行してこなし、2月途中から一軍に合流。オープン戦や春季教育リーグでも投手、右翼手、指名打者として出場。3月17日の中日とのオープン戦では山内壮馬から初本塁打を放つ。21日の楽天とのオープン戦では投手として登板した後、打者として打席に立ち、その後ライトの守備に就く『二刀流』デビューを果たした[28]。
- シーズンは、投手登録のまま打者として開幕一軍入りを果たし[29]、開幕戦となる3月29日の埼玉西武ライオンズ戦では「8番・右翼手」でスタメン入りを果たす。高卒外野手の開幕スタメンは2011年の駿太(オリックス)以来で、球団では1959年の張本勲以来54年ぶり。その開幕戦で2安打1打点を記録し、ヒーローインタビューでお立ち台に立った。高卒新人が開幕戦で2安打するのは1960年の矢ノ浦国満(近鉄)以来53年ぶり2人目[30]。その後も下位打線で出場しながら二軍の試合で投手として調整していたが、4月13日のオリックス戦で外野守備中に右足首を捻挫し[31]、二軍落ちとなる。5月4日に一軍復帰。5月6日の西武戦では初めて1番打者として出場。5月23日のヤクルト戦で投手として初登板・初先発。5回2失点で勝敗は付かなかったが、新人投手の初登板では史上最速となる157km/hを記録した[32]。
選手としての特徴 [編集]
“みちのくのダルビッシュ”と呼ばれ、193cmの恵まれた体とスリークォーターから最速160km/hのストレートを投げ込む本格派右腕[33]で、鋭くブレーキのかかるスライダー[34]と100km/h前後のカーブ、数種類のチェンジアップ、フォークを投げる[2]。高校時代はフォームの安定やスタミナが課題とされていた[35]。制球力にも難があり、高校通算145奪三振に対して61与四死球を記録している[33]。
野手としての評価も高く、高校通算56本塁打の長打力[36]と一塁到達4.1秒台の俊足[37][38]、強肩[38]を兼ね備え、プロのスカウトからは「高橋由伸タイプで、三冠王を狙える素材」[39]「松井秀喜以来の長距離打者」[37]と評された。
人物 [編集]
実兄は元高知ファイティングドッグスの大谷龍太(現在はトヨタ自動車東日本硬式野球部所属)。
好きな選手はダルビッシュ有[2]。
高校時代には野手としても高い評価を受けていたが、本人は投手に対するこだわりが強く[40]『世界一の投手』を目標に掲げており、高いメジャーリーグ志向を持っている[2]。「誰もやったことがないようなことをやりたい。野茂英雄さんもそうですし、成功すれば高校からメジャーへという道も拓けると思う。160km/hの目標を掲げた時には『無理じゃないか』と言う声もあったが、そう言われると、絶対やってやるという気持ちになる。刺激というか、やる気になる」という考えから[2]、高校3年時に日本のプロ野球を経ずに直接メジャーリーグ球団との契約を目指す意向があることを明かし、「日本を選択した場合でも、肉体的ピークだという25歳でメジャーに挑戦していたい」[39]「日本人投手として最初のアメリカ野球殿堂入りを果たしたい。メジャーで殿堂入りするためにはメジャーで最低15年はやらないといけないという話なので、30歳近くになってからメジャーに挑戦するのは遅いと思う」[2]「マイナーリーグからはい上がってメジャーに行くことも魅力」と話し[6]、日本ハム入団を表明した後も「やっぱり最終的にはメジャーリーグに行ってみたいと思いますし、自分の憧れている場所」と話した[41]。アメリカで生活していく覚悟についても「その気持ちはあります」と話し[2]、日米の文化や言語、野球の違いについては「合うかどうかというより慣れだと思っています。そういう意味も含めて、若いうちに慣れた方がいいと思うんです。だから不安はありません」と話した[40]。
好きな教科は歴史で、「特に幕末が好きですね。日本が近代的に変わっていくための新しい取り組みが多くて、歴史的に見ても大きく変わる時代。『革命』や『維新』というものに惹かれるんです」と語っている[40]。
詳細情報 [編集]
記録 [編集]
- 投手記録
- 初登板・初先発:2013年5月23日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(札幌ドーム)、5回2失点で勝ち負けつかず
- 初奪三振:同上、2回表にウラディミール・バレンティンから空振り三振
- 打撃記録
- 初出場・初先発出場:2013年3月29日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(西武ドーム)、8番・右翼手で先発出場
- 初打席:同上、3回表に岸孝之から見逃し三振
- 初安打:同上、5回表に岸孝之から右線二塁打
- 初打点:同上、6回表に岸孝之から右前適時打
背番号 [編集]
- 11 (2013年 - )
登場曲 [編集]
- TRIPLANE 『ドリームメイカー』(2013年 - )
脚注 [編集]
- ^ 花巻東・大谷最速147キロ!10K…春季岩手県大会、スポーツ報知、2011年5月25日。
- ^ a b c d e f g 『アマチュア野球 vol.33』 日刊スポーツ出版社、2012年、12-14頁。ISBN 978-4-8172-5526-6。
- ^ 「あの一戦と僕らのこれから」、『Sports Graphic Number』第814号、文藝春秋、 79-78頁、 雑誌26854-10/25。
- ^ “花巻東大谷高校生最速160キロ”. nikkansports.com. (2012年7月20日) 2012年10月17日閲覧。
- ^ “花巻東:観客はファウル“判定”…160キロ腕・大谷 3ランに泣く”. 毎日jp (毎日新聞). (2012年7月27日) 2012年10月26日閲覧。
- ^ a b “大谷 国内12球団&マイナーもOK 日米各球団と面談へ”. Sponichi Annex. (2012年9月19日) 2012年10月17日閲覧。
- ^ “大谷メジャー!最終的に夢を選んだ”. 日刊スポーツ. (2012年10月19日) 2012年10月21日閲覧。
- ^ “大谷がメジャー挑戦を表明”. 日刊スポーツ. (2012年10月21日) 2012年10月21日閲覧。
- ^ “大谷「憧れが強かった」/一問一答”. 日刊スポーツ. (2012年10月21日) 2012年10月21日閲覧。
- ^ “ハムが大谷指名!山田GMが明言”. 日刊スポーツ. (2012年10月24日) 2012年10月25日閲覧。
- ^ “栗山監督「申し訳ない」、けど大谷指名”. 日刊スポーツ. (2012年10月25日) 2012年10月25日閲覧。
- ^ “大谷「気持ちは変わらない」/ドラフト”. 日刊スポーツ. (2012年10月25日) 2012年10月25日閲覧。
- ^ “発表遅れ申し訳ないが…/大谷一問一答”. 日刊スポーツ. (2012年10月26日) 2012年12月9日閲覧。
- ^ “ハム大谷訪問空振り「今後は本人と」”. 日刊スポーツ. (2012年10月27日) 2012年12月9日閲覧。
- ^ “大谷同席 自宅であいさつ”. 日刊スポーツ. (2012年11月2日) 2012年12月9日閲覧。
- ^ “大谷両親驚く ハムがメジャーリスク資料”. 日刊スポーツ. (2012年11月11日) 2012年12月9日閲覧。
- ^ “大谷グラリ…ハム入り「全くNOという感じでもない」”. 日刊スポーツ. (2012年11月18日) 2012年12月9日閲覧。
- ^ “日本ハム、大谷と最後の交渉 結論「近いうちに」と父親”. Sponichi Annex. (2012年11月26日) 2012年12月9日閲覧。
- ^ “ダル背番「11」用意!大谷の父「前向きになってきたなと」”. Sponichi Annex. (2012年12月3日) 2012年12月9日閲覧。
- ^ “大谷選手との入団交渉時に提示した球団資料について”. 北海道日本ハムファイターズ (2012年12月13日). 2012年12月14日閲覧。
- ^ “プロ野球:大谷が日本ハム入団表明”. 毎日新聞. (2012年12月9日) 2012年12月10日閲覧。
- ^ “「投打で一流の選手目指す」 日本ハム・大谷が入団会見”. 産経ニュース. (2012年12月25日) 2012年12月30日閲覧。
- ^ “大谷入団会見「一流目指す」”. 日刊スポーツ. (2012年12月25日) 2012年12月25日閲覧。
- ^ “大谷「成長して日本一に」/一問一答”. 日刊スポーツ. (2012年12月25日) 2012年12月25日閲覧。
- ^ “大谷プロ初は160キロ!?”. 日刊スポーツ. (2012年12月25日) 2012年12月25日閲覧。
- ^ 大谷、花巻東のCMに…学生野球憲章に抵触か 読売新聞 2013年1月17日
- ^ 高野連「大谷CM問題」部長を厳重注意日刊スポーツ、2013年1月23日
- ^ 大谷、今後どうなる起用法? nikkansports.com 2013年3月22日
- ^ “大谷、異例の開幕=打で1軍、投は2軍”. 時事ドットコム (時事通信社). (2013年3月27日) 2013年3月27日閲覧。
- ^ “大谷 三振で「落ち込んだ」が修正!堂々初お立ち台”. Sponichi Annex. (2013年3月29日) 2013年3月29日閲覧。
- ^ “大谷、診断は軽度の足首捻挫”. nikkansports.com. (2013年4月13日) 2013年4月26日閲覧。
- ^ “大谷 松坂超え新人投手デビュー最速157キロ「凄く楽しかった」”. Sponichi Annex. (2013年5月24日) 2013年5月24日閲覧。
- ^ a b “岩手の逸材 世界級 大谷翔平君解体新書”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞). (2012年10月2日) 2012年10月17日閲覧。
- ^ 大谷ビビらせた!嶋にのけぞらスライダー nikkansports.com 2013年3月22日
- ^ 「2012年の主役候補」、『週刊ベースボール』2012年5月21日号、ベースボールマガジン社、 18頁、 雑誌20443-5/21。
- ^ “野手なら4番!大谷、2戦連続3安打&スカウトうなる好走塁”. Sponichi Annex. (2012年8月28日) 2012年10月17日閲覧。
- ^ a b 「スカウト20人に聞きました!」、『野球太郎』No.1、廣済堂出版、 158-159頁、 雑誌69411-06。
- ^ a b 「高校BIG5の輝き」、『週刊ベースボール』2012年9月24日号、ベースボール・マガジン社、 6-9頁、 雑誌20445-9/24。
- ^ a b 「「10・25」を待つ精鋭たち」、『週刊ベースボール』2012年10月29日号、ベースボール・マガジン社、 9-11頁、 雑誌20445-10/29。
- ^ a b c 「大谷翔平 独占インタビュー」、『野球太郎』No.2、廣済堂出版、 48-53頁、 雑誌69411-12。
- ^ “大谷「最終的にはメジャー」”. 日刊スポーツ. (2012年12月9日) 2012年12月9日閲覧。
関連項目 [編集]
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