伊集院光

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伊集院 光
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本名: 篠岡 建
生年月日: 1967年11月7日(41歳)
出身地: 東京都荒川区
事務所: ホリプロ
活動時期: 1984年 -
受賞歴
1996年 ベストゲーマー賞
2001年 ゴールデンマイク賞
2002年 ギャラクシー賞

伊集院 光(いじゅういん ひかる、本名:篠岡 建〔しのおか けん〕、旧姓:田中、1967年11月7日 - )は、日本タレントラジオパーソナリティ、ゲーム評論家コメンテーター。元落語家星企画5代目三遊亭圓楽一門が所属する芸能事務所)、フリーを経て、現在はホリプロ所属。東京都荒川区西尾久出身。身長183cm。体重125kg(前後5kgぐらいは常に変動している)。東京都立足立新田高等学校中退。

目次

[編集] 人物

大柄な体型の「デブタレント」。豊富な雑学知識(ただし歴史関連は苦手)から「うんちくタレント」としても活動しているが、ラジオで「うんちくは前世の人々が残してきたモノなので限界がある。早くうんちくブームは去ってほしい」ともらしたこともある(ブーム全盛期の頃)。クイズ番組での常識問題の回答率は平均程度であるが、難解な問題を筋道立てて推測する事で正解する事も多い。

ラジオでは「黒い伊集院」と呼ばれるほどの毒舌で、『踊る!さんま御殿!!』に友人であるピエール瀧と出演した際、瀧から「伊集院はラジオでは毒舌かましてるくせに、テレビではいい人ぶってる」と暴露され、伊集院は非常に動揺していたが最終的に「ラジオではキャラが変わってしまう」と認めていた。小学校時代に「屁理屈おばけ」「蛇みたいな目をした子(実母より吐き捨てるように言われた)」と言われた事があり、それを自虐ネタとして使うこともある。

2008年4月期以降は仕事を意図的に絞るようになり、10年近く続けていたラジオ番組(日曜大将軍日曜日の秘密基地)を終了させた。理由として本人は、2007年末に40歳を迎えたことで「自分探し」をしたいと、事務所には無理を言った事を明かしている。また、ラジオに対する軸がぶれてきた、原点に戻る意味もこめて深夜のラジオに集中したいということも『日曜日の秘密基地』の番組内で吐露した。

[編集] 略歴・エピソード

[編集] 落語家時代

三ツ組は、圓楽一門の定紋である

1984年7月、父親の知り合いである吉河さん(後に大師匠である5代目三遊亭圓楽の実弟である事が判明)の紹介により、落語家三遊亭楽太郎に入門。5代目圓楽から「田中」の「田」を取って「三遊亭田楽(でんがく)」という名を貰ったが、伊集院は「それ嫌だなぁ」とこれを拒否。隣で楽太郎が冷や汗をかく中、圓楽が「君は大きいな! じゃ『楽大』!」と言い[1]三遊亭 楽大(さんゆうてい らくだい)として活動をはじめる。その後、高校3年の2月に高校を中退。

「伊集院光」の名でラジオ番組に出演し始める一方で、1988年に二つ目昇進。入門5年目の同年には第17回NHK新人落語コンクール(現:NHK新人演芸大賞「落語の部」)本選に「子褒め」で出場を果たしている(他の本選出場の4人はいずれも修行年数が10年以上)楽太郎から伝授された噺は40-50席以上。

1990年、ラジオ番組から生まれた架空のアイドル・芳賀ゆいが話題になったことで、別名でのラジオ番組出演が一門に露呈し問題となり、落語家としての籍を離れる(破門ではなく自主廃業)。この時、楽太郎は伊集院を擁護しており[2]、2003年4月には三遊亭楽太郎一門会へ出演させたり、ラジオやテレビ(『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』など)での共演があるなど、楽太郎は未だに身内として扱っている。また伊集院本人も楽太郎のことを「師匠」とラジオ・テレビで公然と言うようになっている。

現在、三遊亭楽大の名は楽太郎門下に入門した他の落語家に受け継がれている(両国寄席などに定期出演)。通常、廃業した人間の名は余程の事がない限り継がれないが、この名を継がせることに関しては、楽太郎から伊集院に説明があったという。

[編集] ラジオ(ニッポン放送時代:1987 - 1995年)

伊集院光の名でニッポン放送のお笑いオーディション番組『激突!あごはずしショー』(1987年10月 - 1988年3月)に出演(2度目の挑戦では綾小路遥を名乗ったこともある)。当時のキャッチフレーズは「オペラの怪人」。「Oh Sole Mio」を「恐ぉ〜れ山のイタコ」、「鰹風味のほんだし」(味の素「ほんだし」サウンドロゴ)を「鰹風味のふんどし〜」など、替え歌ギャグをオペラ調に歌うギャグオペラ歌手という肩書きだった。

『あごはずしショー』出演は、元兄弟子の初代三遊亭花楽京(現放送作家:石田章洋)からの誘い(ただし、人数合わせのサクラに近い)によるもので、伊集院光という芸名は落語家という身分を隠すために同番組のディレクター安岡喜郎が考案したものである。

『あごはずしショー』終了後は『山口良一のそれゆけ!土曜日行進曲』のレポーター等を経て、1988年10月より同局の『伊集院光のオールナイトニッポン』に出演。次第にコアな人気を集めていく。その後、平日夜の人気番組だった『三宅裕司のヤングパラダイス』の後番組のパーソナリティ候補の最終選考(2名)に残った。最終的に選ばれたのは内海ゆたお(現:ゆたか)(『内海ゆたおの夜はドッカーン!』)だったが、内海が精神的なプレッシャーのために11ヶ月で降板することになり、『伊集院光のOh!デカナイト』が開始されることとなった。

ギャグオペラ歌手を名乗っていた頃は『笑っていいとも!』『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』や『なるなるみになる』のCM等、オペラ風に唄うという仕事依頼が時々あった。このキャラクターを維持するためにオペラについて勉強せねばならず苦労することなり、ホリプロ移籍以降はギャグオペラ歌手を名乗っていない。なお、一般リスナーに対し落語家としての経歴を告白したのは、『Oh!デカナイト』の途中からであった。ギャグオペラ歌手を自称していた当時の自分を示す主語は「私」が多かったが、以降は「俺」「僕」が多い。当時は「足立新田高校声楽科中退」と自称していた(足立新田高校に声楽科は存在しない)。

『Oh!デカナイト』は4年余り続く人気番組となるが、1995年4月に降板した。当時ニッポン放送と対立しており、降板させられることが決まっていた時期に、TBSテレビにおいて伊集院と面識のあった永田守プロデューサーが生放送中の曲が流れている間にスタジオに入ってきて、「やめるんでしょ? TBSでやろうよ、なんなら来週からやろうよ、番組のタイトルも考えてあるから」と強引な引き抜きを始めた。番組が終わると永田はニッポン放送のスタッフにピザを振舞って詫びていたという。このことについて伊集院自身は「居酒屋で局長を一本背負いしてしまい、ニッポン放送を追放された」とよくネタにしており、実際は上層部(森谷和郎〔現:編成局長〕と宮本幸一〔現:常務〕)と対立したことが原因と見られる[要出典]。また番組後期にヘルニアで入院した際「スタッフが一人も見舞に来なかった」とネタにすることもあった。そのため、一夜限りの復活として開局50周年記念日スペシャル番組の中でOh!デカナイトを放送する2004年までは出入り禁止となり、ゲストにも呼ばれなかった。

『Oh!デカナイト』の企画で久保こーじと組み、「荒川ラップブラザーズ」(略して「ARB」)のクレジットでラップのCDも出している(シングル、アルバム各1枚)。2007年2月に3曲のみ通信カラオケDAMにて配信された。

[編集] ラジオ(TBSラジオ時代:1995-)

1995年10月からTBSラジオの深夜番組『深夜の馬鹿力』を開始し、主なラジオの活動の場所をTBSラジオへ移す。同様にニッポン放送からTBSラジオへ移動したパーソナリティに宮川賢天野ひろゆき爆笑問題などがいる。

『深夜の馬鹿力』は2009年4月現在も続いており、1998年4月から2008年3月までの10年間にわたって日曜午後のワイド番組『伊集院光 日曜大将軍』『伊集院光 日曜日の秘密基地』のパーソナリティーを務めた。

  • TBSラジオでの活動は好評を博し、いくつかの受賞歴もある。2000年には小桜局長がコロッケパーティーを開催(ナイスプレー賞受賞)。2001年にはTBSラジオから「ゴールデンマイク賞」を授与されたが、トロフィーを自局の番組でリスナーにプレゼントしようとし、局長から止められた。2003年には放送批評懇談会から「ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞」を授与され、その授賞式では『深夜の馬鹿力』番組内の企画として成人用紙オムツを装着し、壇上で放尿しながら受賞スピーチをした。また、『日曜日の秘密基地』の2006年2月のスペシャルウィーク企画「どこの誰かは知らないけれど、話してみたらスゲー人スペシャル」にてギャラクシー大賞ラジオ部門を受賞。
  • 毎年大晦日に在京3局(TBSラジオ、文化放送ニッポン放送)が持ち回りで担当していた全民放AMラジオ局およびラジオたんぱ合同の『ゆく年くる年』では、ニッポン放送時代に1992→1993年を、TBSラジオ時代には1996→1997年・1999→2000年と3度パーソナリティーを担当した。

[編集] テレビ・映画

  • 俳優としても活動。1996年伊丹十三監督映画スーパーの女』に出演。翌1997年、伊丹の遺作となった『マルタイの女』にも出演した。『マルタイの女』撮影時、伊集院は『深夜の馬鹿力』の企画でかなり減量していた(144.6kg→94.6kg)が、太っている伊集院を想定した配役であったため、ラジオの企画が終了し再び太るまでの間、映画の撮影は中断された。伊集院がテレビ等で撮影エピソードを語る際には「伊丹十三をデブ待ちさせた男」と自称していた。
  • 1997年に、浅野温子 主演のTBS系の学園ドラマ『職員室』で、中高生向けのラジオ番組のパーソナリティ役として声の出演をした。
  • フジテレビでは、ドラマ『古畑任三郎』に出演。舞台はクイズ番組で、唐沢寿明演じるクイズ王に殺害される番組スタッフ役(衣裳担当)であった。『踊る大捜査線』では深津絵里の演じる女性刑事を追い回すストーカー役を演じたが、本来内山信二が演じる予定だったものが、急遽自分に回ってきたことが台本の不備によって分かり、自身のラジオ番組などでネタにしていた。『ショムニ・ファイナル』では、満帆カンパニーに警備システムを勧めに来る営業マン役を演じた。撮影の間、本物の汗をかいていたら、ワセリンでの汗メイクを命じられたメイクが監督に「そんなに汗は普通かかねーだろ!」と罵倒され、申し訳なく思ったと自身のラジオ番組内で語った。

[編集] 野球

小学生の頃から社会人野球のファンとなり、後楽園球場1988年より東京ドーム)で開催されている都市対抗野球大会に1人で通い、様々な企業の社歌を覚えていた。

その後、プロ野球日本ハムファイターズ(2004年より北海道日本ハムファイターズ)のファンとなる。ファンとなったきっかけは、初めて見に行った日本ハムの試合でホームランを打った千藤三樹男からサインを貰ったことにあるとされる。田中幸雄選手(1986年 - 2007年在籍)の大ファンだった。東京ドームの近くへ引っ越して数年で日本ハムの北海道移転が発表された時は落胆した(それまでにも何回か引っ越したときの条件に「日ハムの試合が見られる東京ドームへ簡単に行ける」ということがあったため、山手線沿線には住んでいた)。2009年は東京ドームのエキサイトシート(シーズンシート)を購入している(日ハム主催は8試合)。

日本ハムファンを自認しているが、『熱血!ドラゴンズ宣言』(中京テレビ)という中日ドラゴンズ応援番組を任されていたことがある。番組を引き受ける際には、日本シリーズで日本ハム対中日になった際には日本ハムを応援する事を承諾してもらったという。そのため、セ・リーグでは中日(日本ハムはパ・リーグ)を応援しているが、伊集院がスタジアムに取材に行った日はドラゴンズの勝率が悪く、当時の高木守道監督に名指しで「来るな!」と言われた。現在、東海地区では『スポケン!』(メ〜テレ)というレギュラー番組を持っている。取材の一環として中日のキャンプを体験し、落合博満監督からノックを受けた。

仕事上、プロ野球選手とはあくまで一ファンとしての立場で接し、電話番号を交換するなど親しくすることは避けている。他球団のファンとも仲が良く、ひんぱんに相手チームに点が入ると、メールでいやみのメールが入ってくる。

高校時代は控え捕手として野球部に所属していたが、決して運動神経が良い方ではなかった。2003年からはラジオ番組スタッフや若手芸人をメンバーとした草野球チーム(現在のチーム名はビッグ・アスホールズ)でプレイしている。

本を出す程野球漫画には造詣が深く(伊集院は「球漫」と名づけた)、『巨人の星』や『侍ジャイアンツ』を代表するような漫画のフィクション性を生かした奇想天外な物から選手引退後、スカウトに転身して新人発掘を目的に置いた物まで守備範囲は広い。特にハロルド作石ストッパー毒島』を「宇宙一の野球漫画」とベタ褒めしている。

プロ野球クライマックスシリーズには、断固反対の立場をとっている。

[編集] 家族

父は医薬品企業ライオンの研究員であり(最初はアンネ株式会社に勤めていた)、日本初の女性用生理用品「アンネナプキン」等の開発を担当した。伊集院は四人兄弟の次男で兄・姉・弟がおり、兄はゲーム会社ナムコ(現:バンダイナムコゲームス)の社員である[3]

日本テレビ系『うるとら7:00』で共演したタレント・篠岡美佳1995年11月7日に結婚。男兄弟のいない彼女のため、婿養子となる。実家と仲が悪かったためか抵抗なく承諾したらしい。また「平凡な本名が嫌で、苗字を変えたくて婿入りした」と語った事もある。「婿養子なので〜」というネタをしばしばテレビなどでみかける。

自分の実家とはあまり仲良くしようとしないのと対照的に、夫人の実家の篠岡家には婿養子ということもあってか、かなり気を遣っている。一時期義母がよく和歌山の有名店の太巻をくれることがあった。基本的に好き嫌いはないが、ほぼ唯一苦手なものが甘いおかずとご飯の組合わせであり、太巻き自体は好きだが中に入っている桜でんぶが好きではなかった。『とんねるずのみなさんのおかげでした』へ出演した際に嫌いな食べ物として太巻を挙げてしまった為、伊集院は義母がその放送を見ないように長電話で懸命の妨害工作をしたが、放送後に義母が知人から内容を聞いてばれてしまった。その後留守番電話に「色々気を使わせちゃって悪いわねー。」とメッセージが残された(因みにその店では「伊集院光御用達」と張り紙がしてあったという)。

[編集] その他

[編集] メディア出演

[編集] ラジオ番組

現在

終了分

[編集] テレビ番組

[編集] 映画出演

[編集] DVD出演

  • 2008年 「特典映像」(くりぃむしちゅー有田哲平監督作品)ビクターエンタテインメント
  • 2008年『伊集院光のばんぐみのでぃーぶいでぃー Vol.1』ポニーキャニオン
  • 2008年『伊集院光のばんぐみのでぃーぶいでぃー Vol.2』ポニーキャニオン

[編集] CM出演

[編集] 書籍

[編集] 関連書籍

  • ターザン No.182』マガジンハウス、1994年2月※インタビュー4項。
  • 『ラジオパーソナリティ~22人のカリスマ~』軍司貞則、扶桑社、1998年5月※ノンフィクション
  • 『ゲームの話をしよう(第2集) 』永田泰大、エンターブレイン、2001年10月※週刊ファミ通の人気連載ページの単行本
  • 『うんちくブック』テレビ朝日「虎の門うんちく王選定委員会・編、双葉社、2003年9月※番組の書籍化
  • 『prints(プリンツ)21 2008年春号 特集・山口晃』プリンツ21 季刊版、2007年
  • 『クイック・ジャパン80』太田出版、2008年※伊集院光インタビュー
  • 『フリーマガジンR25 NO.211』リクルート、2008年10月8日※ロングインタビュー伊集院光[4]

[編集] ゲーム

[編集] コンピュータゲーム

[編集] CD

  • 『星空のパスポート』芳賀ゆい 株式会社ソニー・ミュージックレコーズ、1990年
  • 『ARAKAWA』 伊集院光、久保こーじ、ソニーレコード、1992年
  • 『アナーキー・イン・AK』Arakawa Rap Brothers 株式会社ソニー・ミュージックレコーズ、1992年
  • 『全裸マンのテーマ』丸裸三郎と全裸マンブラザーズバンド 株式会社ソニー・ミュージックレコーズ、1993年
  • 『ARAKAWA RAP BROTHERS』、パイオニアLDC、1995年(久保こーじとのコンビ)、FATMAN BROTHERS石塚英彦田口浩正とのトリオ)としてCDをリリース。[5]
  • 『あの素晴らしい愛をもう一度』、FATMAN BROTHERS(伊集院光、石塚英彦、田口浩正)、パイオニアLDC、1995年
  • 伊集院光選曲 おバ歌謡(レーベル:東芝EMI ASIN: B000228X0A)オムニバス 2004年
  • 『日本昔ばなし〜フェアリー・ストーリーズ〜第10巻』伊集院光, 今陽子, 鶴見辰吾, 山瀬まみ 他、コロムビアミュージックエンタテインメント、2005年※ホリプロ45周年記念企画朗読アルバム・シリーズ。日本昔ばなしをホリプロのスター・タレントたちが朗読。あたまが池(伊集院光)[6]

[編集] 連載

  • 伊集院光接近につきゲーム警報発令中 『週刊ファミ通』(エンターブレイン) - 連載コラム
  • 夕刊ツーカー(ツーカーオリジナルコンテンツ) - 週3回配信していたが、2006年9月29日でコンテンツそのものの終了により連載も終了。後に出版された書籍「のはなし」(宝島社ISBN 4796660941)は、このコンテンツを加筆修正したもの。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 2003年、「楽太郎一門会」出演時の伊集院本人の発言
  2. ^ CTVろみひー』における伊集院の発言
  3. ^爆笑問題の検索ちゃん2009年3月13日放送分より
  4. ^ フリーマガジンR25バックナンバー
  5. ^ http://www.amazon.co.jp/dp/B00005FXYR/ アマゾン該当ページ試聴可能
  6. ^ http://www.amazon.co.jp/dp/B000BU6PEY/視聴
  7. ^僕らの音楽 -OUR MUSIC-』2008年12月12日

[編集] 外部リンク

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