桧山進次郎

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桧山 進次郎
阪神タイガース #24
基本情報
国籍 韓国
出身地 京都府京都市右京区
生年月日 1969年7月1日(40歳)
身長
体重
177cm
78kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 外野手
プロ入り 1991年 4位
初出場 1992年
年俸 4,000万円
経歴(括弧内は在籍年)
桧山進次郎
各種表記
ハングル 황진환
漢字 黄進煥
片仮名
(現地語読み仮名)
ファン・ジンファン
ラテン文字転写 hwang jin hwan
  

桧山 進次郎(ひやま しんじろう、本名:黄 進煥/ファン・ジンファン、ハングル:황진환 1969年7月1日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手外野手)。

阪神の低迷期からの生え抜き選手故にチーム内でも屈指の人気を誇り、打席に立つとスタンドから一際大きな声援を受ける。愛称は「ひーやん」、「ひー」、「悠久の若虎」など。

在日韓国人3世であることを公表しており、日本に帰化する意思がないことも明言している。なお韓国代表としても国際大会で出場可能である。

目次

[編集] 経歴

京都府京都市右京区出身。平安高等学校を経て、東洋大学に進む。東都大学1部リーグ通算76試合出場、261打数83安打、打率.318、13本塁打、45打点。首位打者1回。ベストナイン3回。第20回日米大学野球選手権日本代表に選出された。

1991年ドラフトで阪神に4位で指名され入団。入団後3年間はあまり出番に恵まれなかったが、1995年後半戦ごろより不調だった亀山努に代わり外野手として出場、そのままシーズン終盤まで6番・右翼手で出場を続けた。

1996年には5番・左翼手に定着、当時中日ドラゴンズ野口茂樹から2試合にわたり、4打席連続本塁打を記録するなど22本塁打。

1997年は4番・右翼手。本塁打は前年の自己最高を更新する23本、打点も82を記録。しかし打率は2割台前半と低く三振も多いなど、トータルで見れば中軸としては物足りない成績だった。

野村克也監督が就任した1999年には7番に、2000年には代打要員となるが、2001年、4番に復帰して球団記録(史上7位)となる28試合連続安打を記録。無理に長打を狙わずミートに徹することで中距離打者としての才能が開花し、自身初の打率3割を記録。同年に選手会長にも就任。

2002年星野仙一監督のもとで5番・右翼手。オフにはFA宣言するが、どの球団も獲得に名乗りをあげず、権利を行使した上で阪神に残留。

2003年濱中おさむが4番・右翼手に入ることになり、開幕当初一塁手コンバートされたが、一塁守備は不安定そのものだった。その後5月に濱中が右肩を負傷して戦線離脱したため4番・右翼手に復帰。7月2日の中日戦に史上58人目(62度目)のサイクル安打を達成。チームは18年ぶりのリーグ優勝を飾る。また、この年の日本シリーズでは第5戦で決勝タイムリー、第6戦では本塁打を放ち、優秀選手賞を獲得している。同年には選手会長を引退し、後任今岡誠に渡す。

2004年5月5日広島東洋カープ戦では1イニング2三振のプロ野球タイ記録を作るが、シーズン成績は自己新の84打点、打率.306をマークし、本塁打数も打撃スタイルを変えた2001年以降では最多となる18本を記録した。

2005年シェーン・スペンサーとの併用で起用される。シーズン序盤は打撃不振に苦しんだが尻上がりに調子を上げ、8月31日にはプロ通算150号本塁打を記録。しかし、それまで好調だった数年間と比較するとやや成績を落としてしまった。

2006年は主に代打として出場するが、不振にあえぎ一軍定着後最低となる打率.180を記録。2割を下回ったのはプロ入り2年目の93年以来だった。代打としても出塁率こそ.300を記録したが打率は.208と、切り札と呼ぶには物足りない成績に終わった。この年2度目となるFA権を取得したが、行使せずに残留。

2007年は二軍でのスタートとなり、5月4日に一軍合流したものの、濱中に加えて桜井広大林威助などの台頭もあって前年より更にスタメンの機会は減り、控え外野手としても葛城育郎の好調の陰に隠れてしまい、完全に代打要員となった。8月21日東京ヤクルトスワローズ戦で、松岡健一から自身初の代打満塁本塁打を放ちチームの逆転勝利に貢献、次の試合もタイムリーを放って、これを境に勝負強いバッティングを見せるようになったが、終わってみれば前半の極度の不振が響き、シーズン成績は前年に続いて2割を切る低打率。代打での打率は.186と前年より更に落ち込んだ。10月15日デイリースポーツの一面に「阪神を退団」という記事が掲載され、桧山自身が自らのサイトでこれを否定する騒動もあった。

2008年は進退をかけて挑んだシーズンとなった。開幕直後から代打でヒットを積み重ね、高橋光信葛城育郎らと共に、代打の切り札として活躍。一時は代打成功率4割以上の好成績を収めていた事から、「新・代打の神様」と呼ばれるようになった。勝負強さを買われて、セ・パ交流戦を中心にスタメンでも起用され、ここ一番でタイムリーを放つ活躍をした。

[編集] プレースタイル

右翼手としての守備力には定評があるが、外野守備には比較的厳しい意見を述べる福本豊は桧山の守備を「上手いがリスクを恐れて消極的な面がある」と評している。

[編集] 通算成績

[編集] 打撃成績

年度 球団



























1992年 阪神 24 7 17 17 1 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 5 0 .176 0
1993年 33 73 68 8 11 4 0 2 21 6 0 0 0 0 5 0 26 1 .162 0
1994年 32 36 36 6 10 2 0 2 18 7 0 0 0 0 0 0 15 0 .278 0
1995年 115 338 305 34 76 17 2 8 121 36 3 2 4 3 20 6 67 10 .249 1
1996年 130 541 464 65 122 23 0 22 211 73 5 7 0 8 66 3 108 11 .263 4
1997年 136 544 466 68 106 13 5 23 198 82 2 2 0 3 68 7 150 4 .227 2
1998年 122 456 398 42 90 19 4 15 162 52 3 5 2 2 47 7 101 9 .226 4
1999年 95 323 285 29 73 11 2 8 112 37 6 2 3 2 30 3 55 7 .256 0
2000年 87 186 159 18 35 9 2 4 60 16 0 2 0 1 22 4 43 6 .220 2
2001年 121 448 406 52 122 24 0 12 182 57 7 3 0 5 29 8 62 7 .300 2
2002年 110 452 416 51 122 20 2 13 185 61 7 1 2 3 21 10 69 7 .293 1
2003年 111 456 414 70 115 21 3 16 190 63 1 3 0 3 34 5 77 9 .278 4
2004年 130 513 468 59 143 26 1 18 225 84 4 0 1 7 32 5 74 7 .306 2
2005年 119 342 302 29 84 19 0 8 127 40 1 1 1 3 29 7 66 4 .278 0
2006年 85 144 133 8 24 5 0 2 35 12 1 0 0 0 10 1 42 0 .180 0
2007年 85 106 89 6 17 1 0 3 27 13 1 0 0 1 15 1 27 5 .191 0
2008年 94 121 110 7 33 8 2 0 45 19 0 0 0 1 9 1 26 2 .300 1
通算成績 1612 5096 4536 553 1186 222 23 156 1922 659 41 28 13 42 437 68 1013 89 .261 23

[編集] 守備成績

年度 外野 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 5 5 0 0 0 1.000
1993 23 35 0 0 0 1.000
1994 12 10 0 0 0 1.000
1995 109 180 4 1 2 .995
1996 130 193 7 4 1 .980
1997 134 245 7 2 3 .992
1998 113 179 3 4 0 .978
1999 86 129 6 0 1 1.000
2000 38 46 0 2 0 .958 14 100 3 0 13 1.000
2001 116 167 8 2 1 .989
2002 110 177 5 1 2 .995
2003 75 124 3 0 0 1.000 33 240 12 4 18 .984
2004 123 209 4 2 0 .991
2005 89 123 1 0 1 1.000
2006 25 18 0 0 0 1.000
2007 12 6 0 0 0 1.000
2008 10 10 0 1 0 .909

[編集] 記録・表彰

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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