桧山進次郎

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桧山 進次郎
阪神タイガース #24
HT-Shinjiro-Hiyama.jpg
2008年7月16日
基本情報
国籍 韓国の旗 韓国
出身地 日本の旗 京都府京都市右京区
生年月日 1969年7月1日(42歳)
身長
体重
177cm
78kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1991年 4位
初出場 1992年5月30日
年俸 4,000万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)
桧山進次郎
各種表記
ハングル 황진환
漢字 黄進煥
片仮名
(現地語読み仮名)
ファン・ジンファン
ラテン文字転写 Hwang Jin-hwan

桧山 進次郎(ひやま しんじろう、本名:黄 進煥(ファン・ジンファン、ハングル:황진환)、1969年7月1日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手外野手)。

2010年現在、阪神において生え抜き最古参・最年長選手。打席に立つとスタンドから一際大きな声援を受ける。愛称は「ひーやん」、「ひー」、「悠久の若虎」など。

在日韓国人3世[1]韓国代表としても国際大会に出場可能である。日本に帰化する意思はないことを明言している。

目次

[編集] 経歴

京都府京都市右京区出身。平安高校を経て東都大学野球連盟所属の東洋大学に進み、リーグ戦通算76試合出場、261打数83安打打率.318、13本塁打、45打点。ベストナイン3回。第20回日米大学野球選手権大会日本代表に選出された際は後にプロでチームメイトとなる金本知憲と同室になった。

1991年ドラフト4位で阪神タイガースに入団。入団会見で「巨人オロナミンCならば、リポビタンDのCMをしたい」と笑いを誘った。

1995年のシーズン後半から不調の亀山努に代わって終盤まで6番・右翼手で起用された。

1996年には5番・左翼手に定着し、野口茂樹から2試合にまたがって4打席連続本塁打を放つなど22本塁打を記録。

1997年は4番・右翼手として出場し、共に前年の自己最高を更新する23本塁打、82打点を記録。しかし打率は2割台前半で三振も多く、確実性の面で課題を残した。

1999年には7番に、2000年には代打要員となるが、2001年には4番に復帰し、無理に長打を狙わないことで当時の史上7位・球団記録(2011年にチームメイトのマット・マートンが30試合連続安打を記録したため現在は史上8位)となる28試合連続安打や自身初の打率3割を記録。同年に選手会長にも就任。

2002年は主に5番・右翼手として出場。オフにFA宣言するが、他球団からのオファーはなく権利を行使した上で阪神に残留。

2003年濱中おさむが4番・右翼手に入ることになり、一塁手コンバートされて開幕を迎えたが一塁守備は不安定だった。5月に濱中が右肩の負傷で戦線離脱したため4番・右翼手に復帰。7月2日の対中日ドラゴンズ戦で史上58人目(62度目)のサイクル安打を達成。チームは18年ぶりにリーグ優勝し、日本シリーズでは第5戦で決勝適時打、第6戦で本塁打を放ち優秀選手賞を獲得。同年、選手会長を退任して後任の今岡誠に引き継いだ。

2004年5月5日の対広島東洋カープ戦で1イニング2三振のプロ野球タイ記録を作るが、シーズン成績は自己新の84打点、打率.306、打撃スタイルを変えた2001年以降では最多の18本塁打を記録した。

2005年シェーン・スペンサーとの併用で起用される。シーズン序盤は打撃不振だったが尻上がりに調子を上げ、8月31日にはプロ通算150号本塁打を記録。しかし、それまで好調だった数年間と比較するとやや成績を落とした。

2006年は主に代打として出場するが、不振にあえぎ一軍定着後最低の打率.180を記録。代打としても出塁率.300、打率.208に終わった。同年、2度目となるFA権を取得したが行使せずに残留。

2007年シーズン当初は二軍で5月4日に一軍合流したが、濱中に加えて桜井広大林威助などの台頭もあって前年より更にスタメンの機会は減り、控え外野手としても葛城育郎の好調の陰に隠れた。8月21日の対東京ヤクルトスワローズ戦で松岡健一から自身初の代打満塁本塁打を放ちチームの逆転勝利に貢献。次の試合もタイムリーを放ち、これ以降は勝負強い打撃を見せたが前半の不振が響きシーズン成績は前年に続いて打率1割台、代打での打率は.186と前年より更に落ち込んだ。10月15日、デイリースポーツの一面に「阪神を退団」という記事が掲載され、桧山自身が自らのサイトでこれを否定した。

2008年は進退をかけて臨み、開幕直後から代打で安打を重ねて高橋光信葛城育郎らと共に代打として活躍。勝負強さを買われてセ・パ交流戦を中心にスタメンでも起用された。打率3割をマークし、この年から八木裕に代わる「代打の神様」として定着した。

2009年も主に代打として出場したが、前年よりも打撃成績は落ち込んだ。10月4日の対中日最終戦で、同年限りでの引退を表明した同学年の立浪和義に対し、阪神を代表して慰意の花束を贈呈した。

2010年は5月18日の対福岡ソフトバンクホークス戦で遠井吾郎の球団記録に並ぶ代打通算108安打を記録し[2]、6月4日の対オリックス・バファローズ戦で球団新記録となる代打通算109安打を記録した[3]

2011年は、5月8日の横浜ベイスターズ戦の7回に適時打を打ち、代打での通算86打点で球団3位タイの記録に並び[4]、5月14日中日ドラゴンズ戦で9回裏二死に代打で登場して本塁打を放ち、球団新記録の代打通算14本塁打および球団3位の代打通算87打点を記録した[5]

[編集] プレースタイル

2000年までは総じて打率が低かったが、2001年にレギュラーに返り咲いてからは安定した成績を残している。本塁打は1997年に記録した23本が最高で、どちらかというと中距離ヒッターである。田尾安志は桧山のバッティング・フォームを「無駄のない理想的な形」と絶賛している。一方で三振の数も多く、通算で1,000三振を超えており、5打席に1回の割合となっている。走力もないわけではないが、あまり盗塁をする場面はない。

2004年8月21日にはヤクルト戦でラミレスの打った打球を後ろにそらしてしまいランニングホームランを献上しているが[1]外野手としての守備力は評価が高く、かつての新庄・桧山の右中間は鉄壁とも称された。2006年以降は守備に就く機会も少なくなっており、近年は代打に専念している。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1992 阪神 7 17 17 1 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .176 .176 .176 .353
1993 33 73 68 8 11 4 0 2 21 6 0 0 0 0 5 0 0 26 1 .162 .219 .309 .528
1994 32 36 36 6 10 2 0 2 18 7 0 0 0 0 0 0 0 15 0 .278 .278 .500 .778
1995 115 338 305 34 76 17 2 8 121 36 3 2 4 3 20 1 6 67 10 .249 .305 .397 .702
1996 130 541 464 65 122 23 0 22 211 73 5 7 0 8 66 1 3 108 11 .263 .353 .455 .808
1997 136 544 466 68 106 13 5 23 198 82 2 2 0 3 68 4 7 150 4 .227 .333 .425 .758
1998 122 456 398 42 90 19 4 15 162 52 3 5 2 2 47 1 7 101 9 .226 .317 .407 .724
1999 95 323 285 29 73 11 2 8 112 37 6 2 3 2 30 1 3 55 7 .256 .331 .393 .724
2000 87 186 159 18 35 9 2 4 60 16 0 2 0 1 22 2 4 43 6 .220 .328 .377 .705
2001 121 448 406 52 122 24 0 12 182 57 7 3 0 5 29 2 8 62 7 .300 .355 .448 .803
2002 110 452 416 51 122 20 2 13 185 61 7 1 2 3 21 1 10 69 7 .293 .340 .445 .785
2003 111 456 414 70 115 21 3 16 190 63 1 3 0 3 34 0 5 77 9 .278 .338 .459 .797
2004 130 513 468 59 143 26 1 18 225 84 4 0 1 7 32 0 5 74 7 .306 .352 .481 .832
2005 119 342 302 29 84 19 0 8 127 40 1 1 1 3 29 1 7 66 4 .278 .352 .421 .772
2006 85 144 133 8 24 5 0 2 35 12 1 0 0 0 10 1 1 42 0 .180 .243 .263 .506
2007 85 106 89 6 17 1 0 3 27 13 1 0 0 1 15 3 1 27 5 .191 .311 .303 .615
2008 94 121 110 7 33 8 2 0 45 19 0 0 0 1 9 1 1 26 2 .300 .355 .409 .764
2009 82 99 89 5 20 2 1 1 27 9 0 0 0 2 7 2 1 27 1 .225 .283 .303 .586
2010 72 71 67 4 17 3 1 1 25 12 0 0 0 0 3 0 1 18 0 .254 .296 .373 .669
2011 69 69 62 1 17 2 0 1 22 8 0 0 0 1 5 2 1 17 1 .274 .333 .355 .688
通算:20年 1835 5335 4754 563 1240 229 25 159 1996 688 41 28 13 45 452 23 71 1075 91 .261 .331 .420 .751
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 年度別守備成績


一塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 - 5 5 0 0 0 1.000
1993 - 23 35 0 0 0 1.000
1994 - 12 10 0 0 0 1.000
1995 - 109 180 4 1 2 .995
1996 - 130 193 7 4 1 .980
1997 - 134 245 7 2 3 .992
1998 - 113 179 3 4 0 .978
1999 - 86 129 6 0 1 1.000
2000 14 100 3 0 13 1.000 38 46 0 2 0 .958
2001 - 116 167 8 2 1 .989
2002 - 110 177 5 1 2 .995
2003 33 240 12 4 18 .984 75 124 3 0 0 1.000
2004 - 123 209 4 2 0 .991
2005 - 89 123 1 0 1 1.000
2006 - 25 18 0 0 0 1.000
2007 - 12 6 0 0 0 1.000
2008 - 10 10 0 1 0 .909
2009 - 1 1 0 0 0 1.000
2010 - 1 1 0 0 0 1.000
通算 47 340 15 4 31 .989 1212 1858 48 19 11 .990

[編集] 表彰

[編集] 記録

初記録
節目の記録
  • 100本塁打:2002年4月23日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、6回表に長谷川昌幸から中越2ラン ※史上218人目
  • 1000試合出場:2003年4月10日、対中日ドラゴンズ3回戦(阪神甲子園球場)、5番・一塁手として先発出場 ※史上384人目
  • 1000本安打:2004年8月25日、対横浜ベイスターズ19回戦(大阪ドーム)、8回裏に秦裕二から中前適時打 ※史上226人目
  • 150本塁打:2005年8月31日、対中日ドラゴンズ16回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に川上憲伸から右越ソロ ※史上139人目
  • 1500試合出場:2007年9月5日、対横浜ベイスターズ18回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に久保田智之の代打として出場 ※史上154人目
その他の記録
  • 28試合連続試合安打(2001年)(球団記録)
  • サイクルヒット:1回(2003年7月2日、対中日ドラゴンズ戦、甲子園球場) ※史上58人目(球団史上4人目)
  • オールスターゲーム出場:3回 (1997年、2002年、2003年)

[編集] 背番号

  • 24 (1992年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

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[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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