葛城育郎

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葛城 育郎
HT-Ikuro-Katsuragi-1.jpg
2008年6月26日 阪神鳴尾浜球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県大分市
生年月日 1977年9月28日(34歳)
身長
体重
180cm
83kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1999年 ドラフト2位
初出場 2000年8月27日
経歴(括弧内は在籍年)

葛城 育郎(かつらぎ いくろう、1977年9月28日 - )は、プロ野球選手外野手)。妻は松竹芸能所属のタレント中山知紗

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

大分県大分市出身。倉敷商業高校では3年時に県大会ベスト4まで進出した。関西学生野球連盟所属の立命館大学に進学後は、2年時に監督と部員が指導方法をめぐってぶつかった際に監督へ2年生の気持ちを説明し、一方で部員たちをまとめ上げた[1]。4年時の1999年にはリーグ戦春夏連続優勝し、大学通算でベストナイン3回、MVP1回を獲得した。当時を知る関係者からは「伝説のキャプテン」と呼ばれたという。同年秋のドラフト会議オリックス・ブルーウェーブ逆指名しての2位指名で入団。

[編集] プロ入り後

2年目の2001年長打力を発揮してレギュラーに定着、打率.268, 14本塁打を記録した。

2002年には石毛宏典新監督の下で主軸として期待されたが、新ストライクゾーンの影響もあり打率.221、1本塁打に終わった。2003年は9本塁打を記録したが下位打線を打つことが多かった。同年11月、投手力の強化を図るチーム方針により斉藤秀光谷中真二との交換トレード牧野塁と共に阪神へ移籍した。

移籍初年度の2004年代打を中心に77試合に出場したが、打率は2割前半で出塁率も3割に届かず、オリックスではほとんど経験のなかった代打での打率は1割台と全く活躍できなかった。チームが優勝した2005年には一軍で1打席2006年にはケガも重なり一軍出場なしに終わり、一時は引退を覚悟した[1]

一塁守備に就く葛城

しかし2007年は若手の喜田剛桜井広大らを押しのけて開幕一軍を勝ち取り、左の代打として出場した。その後、5月に赤星憲広椎間板ヘルニアで、8月に林威助が右肩痛で離脱した際にはスタメンでも起用され、林の離脱時には高橋光信と共に穴を埋めた。打率は高くないものの勝負強く、9月にチームが10連勝した時には5番を打つこともあり、最も出場数の多かった9月には3割を超える月間打率を記録した。外野守備も以前は送球に難があり、落下点に入りながら落球というプレーもあったが向上している所を見せた。

2008年アンダーグラフの真戸原直人が前年秋のツアーで「葛城の応援をしている」と語ったのをきっかけに、テーマソングをアンダーグラフの「9」にした。同じ左打ちの外野手である林が肩を手術した影響で開幕に間に合わなかったこともあり、前年に引き続き開幕一軍入り。シーズン当初はFAで加入した新井貴浩が一塁手、新外国人のルー・フォード右翼手としてスタメン起用されて葛城はベンチスタートだったが、フォードの不振により5番右翼手として林が復帰するまで積極的にスタメン起用された。林の復帰以降は再び控えに戻ったが、夏場に新井が怪我や五輪で離脱した際には前年同様に高橋との併用で一塁を守った。代打での打率は.368を記録し、守備面でも準レギュラーとして外野手と一塁手を兼任して1失策と安定したプレーが見られた。

2009年は、代打として、または新外国人のケビン・メンチの不振などでスタメン出場することもあったため99試合に出場。

2010年4月18日、金本知憲の連続試合フルイニング出場がストップした試合で金本の代わりに左翼手の守備に就いた。阪神において金本以外の選手が一軍の公式戦で左翼を守るのは2002年以来8年ぶりであった。ただ、20打数10安打というオープン戦の好調さは影を潜め、開幕から不振に苦しみ、6月6日に一軍登録を抹消されると、残りのシーズンを二軍で過ごした。

2011年は、一軍での出場はなく、二軍で74試合に出場したものの打率.161、本塁打0本、打点2と精彩を欠き、10月9日に戦力外通告を受けた[2]12月2日自由契約公示された。

[編集] 勝利の雄たけび

2008年7月2日の対中日ドラゴンズ戦でプロ入り後初のサヨナラ安打を打った後のヒーローインタビューで、インタビュアーの朝日放送アナウンサー清水次郎から「勝利の雄叫びを」と言われ、両手を挙げて「ウォー!」と叫んだことが人気を集め、以来この雄叫びは葛城の代名詞の一つとなっている。妻からは「あれはないわ~。(昔のドラマ『もう誰も愛さない』の)吉田栄作かっ!」と突っ込みが入った[3]が、7月13日の対広島東洋カープ戦、9月10日の対東京ヤクルトスワローズ戦でヒーローインタビューを受けた際にも雄叫びを披露した。この際もインタビュアーの清水から「育郎さん、お願いしますよ!」とリクエストされ、マイクを預かってファンと共に「1・2・3、ウォー!!」と叫び、それに合わせてジェット風船が飛ばされた。9月29日の広島戦では自らは出場機会がなかったにもかかわらず、ヒーローに選ばれた金本知憲の計らい(葛城の帽子をベンチから持ち出し、お立ち台でその帽子を取り出して誘い込むという演出)により、飛び入りでヒーローインタビューに参加して4度目の「ウォー」を披露した。

2008年8月26日には葛城がプロデュースして作成した「ウォー」Tシャツの発売を球団が発表した。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2000 オリックス 12 30 26 4 5 2 0 2 13 3 1 0 0 0 3 0 1 10 0 .192 .300 .500 .800
2001 130 469 418 67 112 24 2 14 182 53 1 4 0 2 43 0 6 91 8 .268 .343 .435 .779
2002 74 246 222 18 49 8 2 1 64 12 0 1 8 0 15 0 1 68 3 .221 .273 .288 .561
2003 114 325 283 46 71 19 0 9 117 30 3 2 4 3 34 1 1 83 6 .251 .330 .413 .744
2004 阪神 77 99 90 12 20 1 1 3 32 14 0 0 0 2 5 0 2 26 0 .222 .273 .356 .628
2005 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2007 89 178 160 10 40 6 1 2 54 14 0 0 3 0 13 0 2 31 2 .250 .314 .338 .652
2008 112 263 238 24 62 12 3 1 83 29 0 1 2 3 16 0 3 48 1 .261 .312 .349 .660
2009 99 204 184 19 46 14 0 2 66 13 0 0 2 0 16 0 2 42 5 .250 .317 .359 .676
2010 42 66 58 5 12 2 0 1 17 3 0 0 1 0 7 0 0 12 3 .207 .292 .293 .585
通算:10年 750 1881 1680 205 417 88 9 35 628 171 5 8 20 10 152 1 18 411 28 .248 .316 .374 .690
  • 2010年度シーズン終了時

[編集] 年度別守備成績

年度 外野 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備
2000 8 14 1 0 1 1.000 -
2001 124 186 3 4 1 .979 8 25 0 0 4 1.000
2002 74 134 1 2 1 .985 -
2003 100 142 3 4 0 .973 5 20 1 1 2 .955
2004 14 4 0 0 0 1.000 19 84 8 2 6 .979
2007 23 21 1 0 0 1.000 31 198 18 0 14 1.000
2008 52 61 3 0 0 1.000 34 217 12 1 23 .996
2009 47 56 2 2 0 .967 29 117 7 0 4 1.000
2010 19 21 1 2 0 .917 18 25 3 0 1 1.000
通算 461 639 15 14 3 .979 144 686 49 4 54 .995

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 3 (2000年 - 2003年)
  • 33 (2004年 - 2011年)

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

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  1. ^ a b 雑誌『週刊ベースボール』2008年8月11日号 「白球入魂 何とかなる 葛城育郎」43-47
  2. ^ 阪神、大ナタ大量8選手に戦力外通告”. サンケイスポーツ (2011年10月10日). 2011年10月10日閲覧。
  3. ^ 日刊スポーツ〜葛城に妻からツッコミ「あれはないわ」

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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