レニー・クラヴィッツ

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レニー・クラヴィッツ
レニー・クラヴィッツ(2011年)}
レニー・クラヴィッツ(2011年)
基本情報
出生名 レナード・アルバート・クラヴィッツ
出生 1964年5月26日(50歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州
ジャンル ロック
ハードロック
ファンク
ポップス
職業 シンガーソングライター
音楽プロデューサー
担当楽器 ボーカル
ギター
ベース
ドラム
ハーモニカ
キーボード
パーカッション
シタール
活動期間 1989年 -
レーベル ヴァージン・レコード
ロードランナー・レコード/アトランティック・レコード
公式サイト www.lennykravitz.com
著名使用楽器
ギブソンフライングV
ギブソンレスポール

レニー・クラヴィッツLenny Kravitz1964年5月26日 - )はアメリカ合衆国ミュージシャン。本名レナード・アルバート・クラヴィッツ(Leonard Albert Kravitz)。

来歴[編集]

1964年、ニューヨークに生まれる。父親は東欧系ユダヤ人の血を引きNBCテレビのプロデューサー、母親はバハマ出身で、後に女優となるロキシー・ローカー (Roxie Roker) 。1974年に母親の仕事の都合で一家はロサンゼルスに移住、その後ビバリーヒルズ高校 (Beverly Hills High School) に入学する(同級生にはスラッシュマリア・マッキーがいた)。当時からすでに音楽的才能を発揮していたレニーは、やがてセッションミュージシャンを志すようになり、高校を中退。

高校中退後は、セッションミュージシャンをこなす傍ら、自身のデモテープを制作してレコード会社へ売り込む生活を続けていた。1985年に女優のリサ・ボネットと出会い、その後1987年に結婚し、1988年に娘(女優のゾーイ・クラヴィッツ)をもうけるが、1993年に離婚している。

1989年にアルバム『レット・ラヴ・ルール』でヴァージン・レコードからデビューを果たす。その後、マドンナとの共作『ジャスティファイ・マイ・ラヴJustify My Love)』のプロデュースで注目を集め、1991年に発表した2枚目のアルバム『ママ・セッド』のヒットによってブレイクした。

1992年にはヴァネッサ・パラディのサード・アルバム『ビー・マイ・ベイビー』をプロデュースした。パラディとは交際の噂も立った。

1998年、アルバム『5』を発表。クラヴィッツは同アルバムの収録曲「フライ・アウェイ」でグラミー賞最優秀男性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞し、初のグラミー賞受賞を果たした[1]

2009年、映画『プレシャス』に出演して俳優デビューを果たす。その演技が評価されて、NAACPイメージ・アワードおよびブラック・リール賞英語版で助演男優賞にノミネートされた[2]

その後、クラヴィッツはロードランナー・レコードアトランティック・レコードに移籍して[3]2011年8月に移籍第一弾のアルバム『ブラック・アンド・ホワイト・アメリカ』を発表した。

音楽性[編集]

幼い頃から音楽好きの両親の下で、音楽に親しむ生活を送ってきた。少年時代に好きだったミュージシャンは、カーティス・メイフィールドジェームス・ブラウンジョン・レノンレッドツェッペリンジミ・ヘンドリックスジャクソン5など。

マルチプレイヤーであり、レコーディングにおいて自ら全ての楽器を演奏することもある(「ロックンロール・イズ・デッド」など)。

使用機材[編集]

アナログ機材の愛好者である。ヴィンテージに関してはコレクターといえる質と量の機材を所有しており、ステージでも使用することがある。所有ギターはフライングVレスポールのようなギブソン社製のものが中心。

1960~1970年代の音楽への愛着を強く打ち出していた初期は、楽器、コンソール、テープに至るまで全てアナログ機材を使用してのレコーディングという、当時の流行とは逆行するような拘りを見せていたが、アルバムを発表していくに連れ、次第にPro Toolsを中心としたPCでの編集作業にも力を入れ始めた。現在では、豊富なヴィンテージ機材をデジタルで録音し、編集する折衷したレコーディング形態へと移行している。

人物[編集]

ディスコグラフィ[編集]

(2012)

オリジナルアルバム[編集]

ベストアルバム[編集]

シングル[編集]

DVD[編集]

  • LENNY LIVE

フィルモグラフィ[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]