井端弘和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
井端 弘和
読売ジャイアンツ #2
Giants Ibata 2.JPG
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県川崎市川崎区
生年月日 1975年5月12日(39歳)
身長
体重
173 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1997年 ドラフト5位
初出場 1998年9月8日
年俸 4,500万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
WBC 2013年

井端 弘和(いばた ひろかず、1975年5月12日 - )は読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手内野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

川崎市立川中島中学校時代までは投手堀越高等学校時代、2年時に選抜大会、3年時に夏の甲子園に出場。その後亜細亜大学に進学。東都大学リーグ1部リーグ通算81試合出場、269打数78安打打率.290、4本塁打、33打点。3季連続ベストナインに選ばれた。2部リーグ通算11試合出場、48打数14安打、打率.291、1本塁打、5打点。

1997年のドラフト会議中日ドラゴンズから5位指名を受け入団。

中日時代[編集]

中日時代(2008年7月4日、阪神甲子園球場

一年目の1998年は一軍で18試合に出場したが、二年目の1999年は一軍出場なし。しかし、2000年から試合終盤の守備固め代走、またはレギュラーとして出場機会を増やしていく。翌2001年から遊撃手のレギュラーに定着して全試合出場を果たして以来、不動の遊撃手として活躍。

2002年には初のベストナインを受賞。2004年には選手会長に就任し、チームの柱としてリーグ優勝に貢献して、自身2度目となるベストナイン、更に自身初の打率3割と、ゴールデングラブ賞を受賞する活躍をみせた。国際大会での日本代表経験は、2001年に台湾で開催されたIBAFワールドカップ(4位)を皮切りに、2002年キューバで開催されたIBAFインターコンチネンタルカップ(準々決勝リーグ敗退)出場。2003年アテネオリンピック予選を兼ねたアジア野球選手権では長嶋ジャパンの一員として優勝し、2007年の北京オリンピック予選では2大会連続での本戦出場権獲得に貢献した。一方で、2006年および2009年WBCでは球団方針もあってメンバーに入らなかった[1]

2008年8月3日にFA権を取得するも、その日の中日スポーツ朝刊で残留を宣言[2]、2008年12月16日に球団史上最長の5年契約を結ぶ[3]12月22日テレビ朝日アナウンサー河野明子と結婚。

2009年は肩の故障もあり二塁手にコンバートされる予定であったが、井端本人の調整が目の不調により遅れたことに加え、代わって遊撃手を務める予定であった荒木雅博が開幕直前に足を痛めたことで見送られた[4]。調整は遅れていたもののシーズンでは主に1番打者として全試合に出場し、4年ぶりに打率3割を達成。12月3日には社団法人日本プロ野球選手会の理事長に就任した(2013年12月に退任)。

2010年は予定通り二塁手にコンバート、またチーム方針により6番を任されることが多かった。6月5日の対ロッテ戦で、1500本安打を達成した[5]。6月11日に登録抹消。7月15日に一度一軍復帰するも、途中出場3試合のみで7月25日に再び登録抹消。復帰は10月2日の最終戦になった。離脱の理由は公式発表されていないが、目の異常だったと報道されている[6]。この長期離脱により2000年以来の規定打席未到達、前年まで6年連続で受賞していたゴールデングラブ賞も逃し、二塁のレギュラーポジションも堂上直倫に明け渡した。11月26日には減額制限一杯となる40パーセントダウン(3億円→1億8千万円・推定)で契約更改を行う[7]など、不本意なシーズンとなった。

2011年7月、第一子となる長男が誕生する。打撃面ではプロ入り後で最低の成績に終わった。9月1日にはNPBから反ドーピング規則違反の処分を受けるが、これは目の治療のために使用していた薬物の許可期限切れに伴う継続申請を怠っていた中日球団の過失によるところが大きいと認定され、最も軽いけん責処分となっている[8]

2012年、開幕戦から6番打者として起用されていたが、シーズン中盤からは5番を務めた。守備面では再び遊撃手に戻り、荒木も元の二塁手に再コンバートされた。最終的に打率.284を残し、3年ぶりにゴールデングラブ賞を受賞した。11月には侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」の日本代表に選出。

第3回WBCでの井端

2013年には第3回WBC日本代表に選出された。背番号は3。ブラジル戦で同点打、台湾戦では9回2死から同点打を放ち、打率.556と決勝ラウンドに進出した全選手の中で最も高い打率を記録した。指名打者としても出場し、東京ラウンドのMVPを獲得、大会ベストナインの指名打者部門にも選出された[9]。特に2次ラウンドの台湾戦の同点適時打については「一生忘れない」と語った[10]。しかしシーズン公式戦では不振が続き、100試合出場で打率.236、1本塁打に終わり、シーズン後は年俸減額限度額を越える大幅減俸の提示を受け、秋季キャンプ初日には1人だけ不参加など態度を硬化させた[11]11月4日に球団から来季の契約が結ばれない事が発表された[12]

しかしながら次の年においても彼を構想に組み入れていたことが明かされている。

巨人時代[編集]

2013年11月26日、読売ジャイアンツとの契約の合意が発表され[13]、12月3日に入団会見を行った。背番号は2[14]

巨人移籍一年目の2014年は、脚に不安を抱える片岡治大に次ぐ二塁手など、主に内野の守備要員として試合に出場している。また、正遊撃手の坂本勇人が休養する際には遊撃手として先発出場している。 7月6日に濱田からホームランを打ち、古巣の中日ドラゴンズから移籍第一号を放った。

選手としての特徴[編集]

守備・走塁[編集]

プロ入り当初は外野を守ることもあったが、2001年から遊撃手のレギュラーに定着。荒木雅博とは守備で二遊間、打順で1・2番を組むことから「アライバ」というコンビ名で呼ばれる。外野に抜けようかという打球を荒木が捕球したのち、無理に自ら一塁に送球せず井端にトスして送球を委ねるというプレーを始めとした数々の芸術的な守備を見せ[15]、荒木と共に2004年から2009年まで6年連続でゴールデングラブ賞を受賞している。2010年からは年齢的な負担を考慮して二塁手にコンバートされ、荒木と守備位置の入れ替えを行った。2012年からはこの年から監督に就任した高木守道の「井端は(二塁を守っている時は)気持ちが吹っ切れてなかったし、荒木も肩に不安があるから」という意見と井端本人が遊撃手を希望したことにより、再び守備位置を入れ替えることになり[16]、この年は守備イニング1000以上の遊撃手で両リーグ2位となるUZR15.9を記録した[17]

走塁面でも20盗塁以上を三度記録し、右打者ながら一塁到達3.98秒を記録するスピードを誇るが[15]、大半は4秒台前半-6秒台前半とムラが大きい[18]

打撃[編集]

打撃では、落合博満が監督を務めていた2011年までは主に2番打者として起用され、荒木が不調の場合は井端が1番に入ることもあった。また、落合の方針により、3番や6番を任されることもあった。二桁本塁打を記録したことはなく長打力には欠けるものの、柔らかいリストワークを生かしたバットコントロールの良さを持ち味とする[19]。大きく左足を上げるバッティングフォームだが、タイミングやステップを微調整するため対応力が高い[20]

2006年から2010年までの5年間で左投手に対して打率.307を残し、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年も打率.285を記録するなど左投手を得意としている。空振りは少なく[21]、外角の球に限らず内角の厳しいコースも腕をたたんで右方向へ運ぶ技術を備え[20]、得点圏時には右方向に8割以上の割合で打球を運ぶなど場面に応じたバッティングもできる他[22]、ファウル打ちは球界屈指の技術を誇る[19]

人物[編集]

趣味はボートレース。年末年始には、愛知県にあるBOAT RACE蒲郡でトークショーに出演するのがここ数年の恒例行事となっている。ボートレーサーの中では原田幸哉と仲が良い[23]

2004年から毎年、出身校である川崎市立川中島小学校で開催される「井端祭り」に参加し、子ども達との交流を図っている。2006年から川崎市の野球少年のために「井端弘和杯[24]」を主催している。

2012年よりスパイクをミズノからアシックスにしたがミズノとアンバサダー契約をしているため自腹で購入してもらってるとアシックスの担当者は語っている。ちなみに井端が要望したのは「痛くないスパイク」である。

SKE48木下有希子高柳明音は井端のファンだと公言している。2013年4月16日の中日スポーツで対談が実現している。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1998 中日 18 60 49 2 12 1 0 0 13 2 4 0 4 0 6 0 1 8 0 .245 .339 .265 .605
2000 92 270 242 35 74 7 0 3 90 16 6 8 8 2 16 0 2 22 1 .306 .351 .372 .723
2001 140 625 531 53 139 25 3 1 173 32 14 12 37 2 49 2 6 60 10 .262 .330 .326 .656
2002 135 596 531 67 154 25 1 4 193 25 6 9 6 0 53 1 6 77 11 .290 .361 .363 .724
2003 105 447 386 44 103 14 0 5 132 27 5 3 30 1 28 0 2 50 9 .267 .319 .342 .661
2004 138 642 562 81 170 30 2 6 222 57 21 10 18 3 54 0 5 74 16 .302 .367 .395 .762
2005 146 659 560 87 181 22 5 6 231 63 22 8 19 2 72 3 6 77 11 .323 .405 .412 .817
2006 146 666 573 97 162 19 2 8 209 48 17 12 27 1 61 0 4 72 13 .283 .355 .365 .720
2007 144 665 588 87 174 34 4 5 231 45 23 6 8 1 63 1 5 74 13 .296 .368 .393 .761
2008 106 466 408 51 113 16 3 5 150 23 8 3 16 2 37 1 3 56 7 .277 .340 .368 .708
2009 144 657 569 80 174 24 2 5 217 39 13 7 8 2 72 0 6 66 13 .306 .388 .381 .770
2010 53 212 180 18 47 6 0 0 53 16 0 0 6 2 21 1 3 28 13 .261 .345 .294 .639
2011 104 434 376 28 88 9 1 1 102 29 3 3 31 2 25 1 0 53 10 .234 .280 .271 .551
2012 140 553 489 35 139 17 0 2 162 35 4 4 8 1 52 2 3 58 14 .284 .356 .331 .687
2013 100 376 326 30 77 9 0 1 89 18 0 2 8 0 38 0 4 51 13 .236 .323 .273 .596
通算:15年 1711 7326 6370 795 1807 258 23 52 2267 475 146 87 234 21 647 12 56 826 154 .284 .354 .356 .711
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBCでの成績[編集]

















































O
P
S
2013 日本 6 23 18 6 10 1 0 0 11 4 0 1 0 0 5 0 0 3 0 .556 .652 .611 1.263
出場:1回 6 23 18 6 10 1 0 0 11 4 0 1 0 0 5 0 0 3 0 .556 .652 .611 1.263

年度別守備成績[編集]


二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1998 6 5 10 1 2 .938 - 12 23 34 0 10 1.000 -
2000 23 15 22 0 7 1.000 2 2 3 0 0 1.000 51 70 122 5 16 .975 21 18 0 1 0 .947
2001 15 9 10 0 3 1.000 - 134 193 381 4 66 .993 11 16 2 0 0 1.000
2002 - - 134 237 387 6 69 .990 -
2003 - - 104 150 319 2 62 .996 -
2004 - - 138 213 472 4 90 .994 -
2005 - - 146 204 480 5 97 .993 -
2006 - 2 0 0 0 0 ---- 146 242 475 4 77 .994 -
2007 - - 144 222 465 6 97 .991 -
2008 - - 106 139 311 8 50 .983 -
2009 - - 144 218 477 8 92 .989 -
2010 45 114 114 1 27 .996 - 8 15 18 2 1 .943 -
2011 102 260 328 5 54 .992 2 1 2 0 0 1.000 - -
2012 - - 140 186 450 4 94 .994 -
2013 2 1 3 0 0 1.000 - 93 118 248 6 40 .984 -
通算 203 404 487 7 83 .992 6 3 5 0 0 1.000 1500 2230 4639 64 861 .991 32 34 2 1 0 .973
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

NPB
日本代表
  • WBC2次ラウンドMVP:(2013年
  • WBCベストナイン:(2013年)

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 1000本安打:2007年4月1日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(ナゴヤドーム)、1回裏に藤井秀悟から左中間二塁打 ※史上243人目
  • 1000試合出場:2007年7月16日、対東京ヤクルトスワローズ12回戦(ナゴヤドーム)、3番・遊撃手で先発出場 ※史上419人目
  • 1500本安打:2010年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に吉見祐治から右中間へ適時二塁打 ※史上105人目
  • 200犠打:2011年9月1日、対阪神タイガース18回戦(ナゴヤドーム)、6回裏にジェイソン・スタンリッジから投手前犠打 ※史上32人目(高木守道と並ぶ通算犠打の球団タイ記録)
  • 1500試合出場:2012年5月3日、対阪神タイガース6回戦(ナゴヤドーム)、6番・遊撃手で先発出場 ※史上174人目
その他の記録

背番号[編集]

  • 48 (1998年 - 2002年)
  • 6 (2003年 - 2013年)
  • 3WBC2013年
  • 2 (2014年 - )

登場曲[編集]

関連情報[編集]

メディア出演[編集]

ラジオ
CM
広告
コラム
  • 井端弘和の一の野球
不定期更新。同僚の岩瀬仁紀(岩瀬仁紀の人生野球)とともに中日スポーツの携帯サイト「ドラゴンズ情報」内で、「現状レポート」とファンからの質問に答える「なんでもQ&A」(質問は同じページで受付中)・井端からのメッセージ動画(ダウンロードが必要)のほか、井端オリジナルコンテンツとして「マイブーム」(ただし更新頻度は他の3つと比べると少ない)で構成されている。
その他

著書[編集]

  • 『土壇場力〜悔しさと憧れが無限の力を生み出す』(竹書房:2013年7月)
  • 『勝負強さ』(角川oneテーマ21:2013年7月)

脚注[編集]

  1. ^ “WBC初参加 37歳井端がキーマン!”. 日刊スポーツ. (2012年11月7日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121107-1043366.html 2013年3月10日閲覧。 
  2. ^ 中日スポーツ:井端は残留します きょうFA権取得:ドラニュース(CHUNICHI Web)(2009年6月10日閲覧)
  3. ^ 中日スポーツ:井端、ドラ史上最長の5年契約 33歳「生涯竜」宣言に球団もジ~ン:ドラニュース(CHUNICHI Web)(2009年6月10日閲覧)
  4. ^ スポニチ 2009年4月1日 中日・荒木、井端、黄金の二遊間コンバートお預け(2009年4月8日閲覧)
  5. ^ 中日・井端が1500安打 史上105人目サンケイスポーツ 2010年6月5日(2010年10月12日閲覧)
  6. ^ 井端が4カ月ぶりのスタメン復帰 - 野球ニュース : nikkansports.com(2010年10月3日閲覧)
  7. ^ 制限いっぱい減俸 中日 井端「何もやってないので」スポニチアネックス 2010年11月26日
  8. ^ アンチ・ドーピング規則違反に対する制裁の通知 2011年9月1日
  9. ^ “前田健、井端がベストナイン=ドミニカ共和国からは5人”. 時事通信社. (2013年3月21日). http://www.jiji.com/jc/wbc2013?p=news&k=2013032100135 2013年3月21日閲覧。 
  10. ^ “井端、台湾戦「一生忘れない」”. nikkansports.com. (2013年3月20日). http://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2013/news/p-bb-tp0-20130320-1100133.html 2013年3月21日閲覧。 
  11. ^ 中日 井端と来季契約せず WBCベストナインに事実上の「戦力外」スポーツニッポン2013年11月4日配信
  12. ^ 来季の契約について中日球団公式サイト2014年11月4日配信
  13. ^ 巨人、井端獲得を発表 二塁手強化、右の代打としても期待スポーツニッポン2013年11月26日配信
  14. ^ 井端が巨人入団会見「ここで全うしたい」強い意気込み 背番号は2スポーツニッポン2013年12月3日配信
  15. ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、452-453頁。ISBN 978-4-7572-1628-0
  16. ^ 「落合色」から「高木色」に…中日毎日新聞、2012年2月1日
  17. ^ 岡田友輔、道作、三宅博人、morithy、蛭川皓平、高多薪吾、Student、水島仁 『プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート2』 水曜社、2013年、37頁。ISBN 978-4-88065-319-8
  18. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2007』 アスペクトムック、2007年、248-249頁。ISBN 978-4-7572-1338-8
  19. ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクトムック、2008年、72-73頁。ISBN 978-4-7572-1439-2
  20. ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、72-73頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  21. ^ 小関順二、泉直樹、荒井太郎 『プロ野球スカウティングレポート2006』 アスペクトムック、2006年、254-255頁。ISBN 978-4-7572-1246-6
  22. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』 白夜書房、2009年、111頁。ISBN 978-4-86191-508-6
  23. ^ 『中日ドラゴンズ井端弘和選手・原田幸哉選手トークショー& サイン会』 - 蒲郡競艇・2007年1月16日
  24. ^ 井端弘和杯|学童野球大会

関連項目[編集]