井端弘和
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| 井端 弘和 中日ドラゴンズ No.6 |
|
2008年7月4日阪神甲子園球場 |
|
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 神奈川県川崎市 |
| 生年月日 | 1975年5月12日(33歳) |
| 身長 体重 |
173cm 75kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 遊撃手 |
| プロ入り | 1997年 ドラフト5位 |
| 初出場 | 1998年9月8日阪神戦(ナゴヤD) |
| 年俸 | 2億7,000万円(2008年) |
| 経歴 | |
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井端 弘和(いばた ひろかず、1975年5月12日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。背番号は6。
目次 |
[編集] 人物
東京ヤクルトスワローズの宮本慎也とともに球界を代表する名ショートの1人である。
ショート定着後守備率.990を下回ったことのないハイレベルで安定した守備力と、広い守備範囲と速く正確な送球、セカンド荒木雅博とのコンビネーションが見もので、強肩ではないが捕球後の素早い回転スローは絶妙である。
難しい打球を処理する機会が多いショートで、守備率.990を超えるのは至難の業であるが、現福岡ソフトバンクホークス二軍コーチ鳥越裕介が、中日時代の1997年にショートでの守備率.997を記録しており、井端はこの守備率を超えることを目標としている。
打席に入れば空振りが少なく、追い込まれてもファールで粘り、右方向を狙うしぶとく堅実な打撃技術を兼ね備え、投手を追い詰める中距離打者。確実に走者を進め、還すことができ、一塁上に荒木雅博を置いたときの右打ちエンドランには定評がある。かつては得点圏打席での淡白で頼りない打撃が欠点だったが、落合博満監督の指導もあって成長し、2004年は3割を越える得点圏打率をマーク。また、2005年はリーグ1位となる得点圏打率.408を残し、出塁率もリーグ3位となる.405を記録する。
プロ入り前、2度の目の大怪我の後遺症により重度の近視になってしまい、試合時はコンタクトレンズをつけて出場し、それ以外は眼鏡を使用していたが、レーシック(視力矯正手術)を受ける。ドームでは空調により空気が乾燥するため、打席でよくまばたきをしている場面がみられた。2005年シーズン中に視力の悪化がみられ、再手術をおこなった。また、このシーズンでは連続フルイニング出場を続けていたが、これが原因で逃してしまっている(全試合出場は果たしている)。2006年は前年に達成できなかったフルイニング出場を果たした。
日本シリーズには過去3回(2004年、2006年、2007年)出場している。2004、2006両年は敗退し涙を呑んだが、2007年日本ハムを破り、自身初体験となる日本一の栄冠を手にする。
打席前選手登場曲としてDJ OZMAの『アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士』(奇数打席時、チャンス時)と『超!』(偶数打席時)のイントロを使用している。中日ファンの間ではイントロの音楽に合わせメガホンを叩くのが恒例となっている。尚、それ以前は氣志團の『One Night Carnival』を使用していた。
ドラゴンズファンの間では、応援歌に入る前の独特の応援スタイル(メガホンを斜め前に手を伸ばして構え、応援団のトランペットに合わせて「オーオー」と掛け声を発する。2003年から使用)で盛り上がり、応援に統一感が出ている。この掛け声を行っている間に安打(つまり初球・2球目を打つ)が出ている時は調子がいい、と井端本人が語っている。井端の打席では、この独特の応援の際のみ、ドラゴンズの鳴り物の応援が止まっているため、ドラゴンズの主催試合が行われる際を中心に、一瞬静かになっている。ちなみに、福岡ソフトバンクホークスの本多雄一の個人応援歌も、前奏があるが、そのメロディーは、この井端への独特の応援のメロディーとそっくりである。
2008年8月3日 FA権取得の条件を満たすも行使せず中日残留を表明。
[編集] 来歴
[編集] プロ入りまで
少年時代は野村沙知代がオーナーの港東ムースと同じ地域リーグの「城南品川シニア」に所属(港東ムースにも3日間だけ練習に参加したという)。当初は投手として始めた野球も、中学時代、当時評論家であった野村克也に指導を受け、自宅に電話があり「堀越高校に行って内野やった方がもっと良くなる」とアドバイスを受け、堀越高等学校に進学。ある練習日に2年生が学校行事で不在の為、1年生がポジションにつくように言われ、ショートのボジションにつく部員が誰もおらず、仕方なくショートについたところ、そのままレギュラーに抜擢され、1年から遊撃手のレギュラーとなり、高校時代は2年センバツ、3年夏の甲子園に出場。亜細亜大学では二塁手としてベストナインを3回獲得した。
[編集] プロ入り以後
俊足と巧打、守備を期待され、ドラフト5位で中日に入団(当時の背番号は48)。1年目のシーズン終盤に一軍初出場を果たすと、本職のショートはもとより代走・代打・セカンド・ライトなど状況を選ばず一軍出場。
自らの怪我に加え、大型ルーキー福留孝介が加入しショートの定位置を獲得したため一軍出場ゼロで、チーム11年ぶりのリーグ優勝には貢献できなかった。
「韓国のイチロー」・李鍾範、大型遊撃手・福留孝介の守乱から、一気にショートを奪取。高い守備力でライバルを抑え込んだ。
遊撃手(一時期、外野手もこなす)としてレギュラーに定着して全試合フルイニング出場を果たすと2002年にはショートでベストナインに輝く
この年終盤から2003年は「春先からずっと野球をやってきて、疲れている中よくやっている方だと思う」「肘が痛いけど、レギュラーを奪われたくないから出ている。打てなくても仕方が無い状況にあるとは思う」など、弱音を吐くことが多くなり、ファンの反感を買うこともあった。
背番号を6に変更。前年まで6番を背負っていた久慈照嘉から「覚悟して」受け継いだ。
この年から翌年末まで選手会長を経験。以降は選手会長の自覚や、自身の好調もあってか言い訳を口にすることは全く無くなった。前年の肘の手術の影響を考慮してキャンプ時には遊撃・荒木、二塁・井端という構想もあったが、実行はされなかった。
本格的に荒木雅博と「打って1・2番、守って二遊間」のコンビを組み(荒木との1・2番そのものは2001年から実績はあるが、定着せず)、チームの柱としてチームを牽引。攻守に活躍し2度目のベストナイン、初のゴールデングラブ賞を受賞した。
打撃で大活躍、打率等において全て自己新記録を樹立する。2年連続でベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
打率、安打数は前年より下回ったものの、本塁打数は自己最多を記録、3年連続でベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得した。序盤の不調については「慣れ親しんだ2番ならいつでも打てるという自身の油断が招いた」と自身の責任を口にし、人間として成長したことを示した。
シーズン序盤に開幕から3番を任せられるも、不振に陥る。調子が上がらず2番に戻るが、戻ってからも不振がしばらく続いた。その際、本人は2番の時の感覚を取り戻そうと、徹夜して投手の特長などを必死に覚えたという。落合監督夫人の落合信子に相談し、叱責も受けるほどで、自身の成績について「レギュラーを外されてもおかしくない」と電話で言ったが、代わった落合監督が「お前を外すわけが無い」と檄を飛ばした。
その甲斐もあってか、4月終了時点で.188だった打率が5月末には.219、6月末には.255と、少しずつ上昇した。そして開幕直後3番を打っていた福留の怪我(7月8日に登録抹消)もあって再び3番を任せられ、3番に入ってから3HRと一発も打てる勝負強さを見せる。同じ3番でも開幕時と違って好調だったのは、打順における意識の違いを消し去ったことや(開幕時はポイントゲッターという立場を意識しすぎた)、前を打つバッター(2番)が荒木だったことも影響しているとの見解がある。福留が復帰するまでの打順は1番森野、2番荒木、3番井端であり、開幕時は1番荒木、2番藤井、3番井端だった。
最終的に犠打はチーム1位で、守備でも貴重な働きをした。またこの年は、打率、本塁打、打点の三部門が全て同ポジションの二岡智宏を下回っており、2年連続のベストナイン受賞が危ぶまれたが、チームが優勝したこともあり受賞した(セカンド・荒木も受賞しており、3年連続での同一球団二遊間受賞は史上初の快挙)。
荒木の不調によりシーズン序盤から中盤にかけて、1番を任されることが多かった。夏場からは、3番の福留が離脱し、3番を任せられることもあった。荒木の復調に伴い、シリーズ残り2試合から本来の2番へ戻った。膝、首、手首などの負傷で欠場が危ぶまれる事態を何度も迎えたが、フルイニング出場は逃したもののチームでは唯一となる全144試合出場を果たす。打撃も特に不調に陥ることもなくシーズンを通して活躍し、チームトップの打率.296、174安打を記録した。この年もゴールデングラブ賞に荒木とともに選出され、同一球団二遊間の受賞記録を伸ばした。さらに同年アジアシリーズでは決勝戦(対SKワイバーンズ戦)で9回にマイク・ロマノから勝ち越しタイムリーを放ち、大会MVPに輝いた。
北京オリンピック野球日本代表には荒木が選ばれたことに対し、井端は既に中日から4人選ばれていたことや、選抜時怪我で離脱をしたからか漏れた。8月29日の対広島守備時に右足靭帯を損傷。
[編集] 国際経験
国際経験は多く、2001年に台湾で開催されたIBAFワールドカップ(4位)、2002年にキューバで開催されたIBAFインターコンチネンタルカップ(準々決勝リーグ敗退)日本代表を経て、2003年アテネオリンピック予選を兼ねたアジア野球選手権では肘に怪我を抱えていたが、長嶋ジャパンのメンバーに選ばれDH井端として出場。全日本のオリンピック出場に貢献した。2007年北京オリンピック予選を兼ねたアジア選手権でも星野ジャパンの一員として参加、主に指名打者として起用され、送りバントをするための代打としても起用された。星野監督からは「2番・DH井端は日本の打線の目玉」と評された。
[編集] 荒木との二遊間グラブトスプレイ
相方の荒木と繰り出すスイッチトス(二塁やや一塁側のセンターに抜けようかというゴロを荒木が逆シングルで捕球。体勢はそのままで井端にボールをグラブトス、ボールを受け取った井端が素早く一塁へ送球し補殺する一連のプレー)は年に一度出るかどうかの大技。
なお、このプレーを決めた時の相手打者はほとんど右打ち(鈴木尚典のみ左打ち)で、ほとんどが秋口に出ている。
一部のファンの間ではこのプレーを「アライバサーカス」と呼ぶ者もおり、東海テレビ2007年10月20日放送ドラゴンズHOTスタジオ内にて峰竜太が名付け親で、前日の巨人戦で起きたこのプレーに対してそう名称し解説をしていた。
このプレーの成功を確信したのは2003年5月12日の横浜戦。打者鈴木尚典の所で2004年の新井とほぼ同じプレーをしたときにギリギリのセーフであったことから、その後条件が整えば(この時の条件は相手が右打者であれば)アウトに出来ると確信。翌年以降、4年連続でこのプレーを成功させる。以下はプレーの詳細。
- 2004年9月12日 対広島戦 打者新井貴浩 - 荒木が逆シングルで捕球。その後井端にトスするも2人の距離が近すぎて井端が回転して捕球。その後一塁渡邉へとスローイングしアウト。
- 2005年8月6日 対ヤクルト戦 打者宮本慎也 - 荒木が捕球。井端へのトスが強すぎて井端が素手で捕球。サイドスローで一塁タイロン・ウッズへスローイングしアウト。
- 2006年9月10日 対広島戦 打者梵英心 - 荒木が捕球。井端へのトスが本人達曰く完璧としたもので、一塁渡邉へとスローイングしアウト。
- 2007年10月19日 対巨人戦(クライマックスシリーズ第2ステージ第2戦)打者木佐貫洋 - 荒木が捕球。井端への転送距離はやや近め。その後は一塁ウッズへと送球しアウト。
[編集] エピソード
- 現在独身・独居中により自炊。特に堀越高校時代に覚えたというカレーライスの味は球界関係者からファン(以前雑誌で井端自らカレーのレシピ・作り方を公開したことがあった)の間にまで好評を博している。
- 同い年(ドラフトでも同期入団)で同様に独身の川上憲伸とは毎年、お互いに「俺のほうが先に結婚する」と言い合っている。結婚に関してはネタにされることも多く、2007年シーズン開幕前に主力選手が出演したテレビ番組では今シーズンの抱負として「結婚式の司会」(井上)、「友人代表挨拶」(岩瀬)、「2次会の仕切り」(福留)等の発言があった。
- グラブにはかなりのこだわりを持っており、型崩れしないようにジュラルミンケースに練習用のグラブや実戦用のグラブを入れ、丸めた新聞紙などで固定するほどである。ベンチにグラブを置くときも気を使っているとのこと。
- 2006年9月9日の広島市民球場での広島戦において嶋重宣のイレギュラーバウンドした打球を弾いてしまいエラーと記録されたため、それまでセ・リーグのショート連続守備機会無失策の記録が513と途絶えてしまった(尚、これはリーグ新記録と同時に自己新記録)。広島市民球場でのエラーは2002年以来だった。この時解説をしていた達川光男が「嶋は1本ヒットを損したし、井端にも(記録の途切れる)勿体ないエラーだった。誰も得しないね、このジャッジは」と思わず言ってしまうほどだった。
- 中日が優勝した1999年に発売された「燃えよドラゴンズ!99」(唄・舟木一夫)の中で井端は歌詞に登場するものの、この年の井端はケガなどもあって一軍出場ゼロであった。「99」の歌詞に登場する選手の中で1999年の一軍出場がなかったのは井端だけである。
- 2006年10月10日の巨人戦、打球が自身へと飛んできて優勝のウイニングボールを捕球し(荒木がベースにいたものの)、そのまま二塁ベースを踏み一塁走者を封殺、中日の優勝を決めた。ところが興奮のあまりウイニングボールを紛失してしまい、影で今季最大の失策などと言われた。が、オフシーズンのトークショーで「実は持っている」と告白。山本昌には優勝当日の深夜特番で持っていると見抜かれていた。記者会見や雑誌のインタビューで「最後自分のところにボールが飛んできたので良かった」「自分のところへ(ウイニングボールが)来いと思っていた」等の発言をしていることや、12回裏の守備で2アウト目はサードフライかと思われたフライをショートの井端がサードの奈良原の目の前で捕球したこと、スリーアウト目のショートゴロをセカンドの荒木に送球しなかったことからウイニングボールを掴もうとしていた熱意は相当なものであったことが窺える(本人は「一塁に投げようか二塁にトスしようか迷ってるうちに二塁ベースを踏んでしまったとのこと)。
- 堅実な守備・シュアな打撃・フォアザチームのプレースタイルとは裏腹に、ヒーローインタビューでは大胆不敵な発言をしばしば行うなど、元々目立つことが好きな性格ではあるらしい。調子の悪いときにはつい饒舌になってしまうことが多い。
- 2006年から出身地の川崎市の学童野球大会を「井端杯」として開催(東京中日スポーツが後援)、その第一回大会の始球式には井端の父が始球式を務め、秋に行われた決勝戦には井端本人が観戦に訪れた。この大会の選抜チームは後にイチロー杯の優勝チーム(さらに2007年からは山崎武司が主催する学童野球大会優勝チームも加わる)とも交流試合を行った。
- 2007年から、大げさなリアクションで相手を騙す巧妙な戦術を見せ始める。
-
- 5月13日の対巨人戦で打球を打ったあとスパイクが人工芝に引っかかった為に倒れて、途中退場するシーンがあった。翌日には松葉杖をついて歩く映像や写真をメディアが流し、ファンも「重傷なのでは」と心配し長期離脱のとの情報も流れたが、あれは演技だったとSPORTS STADIUMに出たときに話した。事実これが功を奏し、次のヤクルト戦ではバッテリーも無警戒で簡単に盗塁を決められたと話している。
- 同7月31日の対広島戦で、カウント2ストライク1ボールから、マルテの投球が背中越しにバットに当たった際、手に近いところにボールが当たったため手が痺れたのか、井端は右手を押さえながらベンチに駆け込んだ。その井端のリアクションを見た球審はデッドボールと判定、広島側からの抗議は無く、判定は覆られなかった。なお、投球が危険球であったことは紛れも無い事実であり、落合監督が退場を要求する抗議もあったが、マルテは退場にはならなかった。ちなみにこの時解説をしていた達川光男も一瞬『骨折かもわからんですね』と井端を心配するも、スローで見ると明らかに当たっていなかった為、現役時代の自分のプレーと重ねあわせ、『(井端も)根性出てきましたね』と井端を賞賛(?)した。
- 2008年の6月15日のオリックス戦では途中退場し、顔をしかめながらトレーナーに肩を貸してもらってベンチから歩いて行ったので、また演技かと報道陣も勘ぐったが、井端は「今回はマジ、ホントの時も信じてもらえなくなるから演技はもう辞めよ」と言い残し球場を後にし、翌日には一軍登録を抹消され、連続試合出場の記録も途切れる事となった。
- 大学時代は、監督からの指示で日々、ファールを打つ練習に明け暮れていたという。プロ入り後もファームの試合では2試合連続でホームランを打つも、その度に当時の二軍監督であった仁村徹に「お前はそういうホームランバッターじゃないだろう!」という理由で2試合共、殴られたという。ただ、そういった努力が今日の井端を形成させている。
- そのホームランも1軍の試合で打ったものは全て「(ホームランを)狙って打った」と豪語する。しかし2008年の第1号を放った際には「甘い球だったから引っ張ったら入ってしまった。狙わずに打ったのはプロ入り後初めてじゃないかな」と語った。
- 女子レスリング吉田沙保里選手と親交がある。2008年北京オリンピックで吉田が金メダルを獲ったら焼肉を奢るという約束をしていた。
[編集] タイトル・表彰・記録
- ベストナイン:5回(2002年、2004年 - 2007年)
- ゴールデングラブ賞:4回(2004年 - 2007年)
- アジアシリーズMVP:1回(2007年)
- サイクルヒット:1回(2002年9月21日)
- シーズン480補殺(2005年)※遊撃手としてのセ・リーグ記録。
- シーズン513守備機会連続無失策(2006年)※遊撃手としてのセ・リーグ記録。
- オールスター出場:4回(2001年、2002年、2005年、2007年)
- 初出場/初打席 1998年9月8日阪神戦(ナゴヤD) 7番遊撃で先発/1回メイの前に凡退
- 初安打・初打点 同上 3回メイから2点適時打
- 初盗塁 1998年9月17日ヤクルト戦(神宮) 二盗
- 初本塁打 2000年6月8日ヤクルト戦(神宮) 1回レモンからソロ
[編集] 年度別打撃成績
| 年度 | 球 団 |
背 番 号 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 |
失 策 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
年俸 (万) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998 | 中日 | 48 | 18 | 60 | 49 | 2 | 12 | 1 | 0 | 0 | 13 | 2 | 4 | 0 | 4 | 0 | 6 | 1 | 8 | 0 | 1 | .245 | .339 | .265 | 900 |
| 1999 | - | 1200 | |||||||||||||||||||||||
| 2000 | 92 | 270 | 242 | 35 | 74 | 7 | 0 | 3 | 90 | 16 | 6 | 8 | 8 | 2 | 16 | 2 | 22 | 1 | 6 | .306 | .351 | .372 | 1000 | ||
| 2001 | 140 | 625 | 531 | 53 | 139 | 25 | 3 | 1 | 173 | 32 | 14 | 12 | 37 | 2 | 49 | 6 | 60 | 10 | 4 | .262 | .330 | .326 | 3200 | ||
| 2002 | 135 | 596 | 531 | 67 | 154 | 25 | 1 | 4 | 193 | 25 | 6 | 9 | 6 | 0 | 53 | 6 | 77 | 11 | 6 | .290 | .361 | .363 | 6400 | ||
| 2003 | 6 | 105 | 447 | 386 | 44 | 103 | 14 | 0 | 5 | 132 | 27 | 5 | 3 | 30 | 1 | 28 | 2 | 50 | 9 | 2 | .267 | .319 | .342 | 9400 | |
| 2004 | 138 | 642 | 562 | 81 | 170 | 30 | 2 | 6 | 222 | 57 | 21 | 10 | 18 | 3 | 54 | 5 | 74 | 16 | 4 | .302 | .367 | .395 | 9400 | ||
| 2005 | 146 | 659 | 560 | 87 | 181 | 22 | 5 | 6 | 231 | 63 | 22 | 8 | 19 | 2 | 72 | 6 | 77 | 11 | 5 | .323 | .405 | .413 | 14000 | ||
| 2006 | 146 | 666 | 573 | 97 | 162 | 19 | 2 | 8 | 209 | 48 | 17 | 12 | 27 | 1 | 61 | 4 | 72 | 13 | 4 | .283 | .355 | .365 | 20000 | ||
| 2007 | 144 | 665 | 588 | 87 | 174 | 34 | 4 | 5 | 231 | 45 | 23 | 6 | 8 | 1 | 63 | 5 | 74 | 13 | 6 | .296 | .368 | .393 | 22000 | ||
| 通算成績 | 1064 | 4630 | 4022 | 553 | 1169 | 177 | 17 | 38 | 1494 | 315 | 118 | 68 | 157 | 12 | 402 | 37 | 514 | 84 | 38 | .291 | .359 | .371 | |||
- 表中の太字はリーグ最高。
- 年俸は推定。
[編集] 年度別守備成績
| 年度 | 遊撃 | 二塁 | 三塁 | 外野 | ||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 1998 | 12 | 23 | 34 | 0 | 10 | 1.000 | 6 | 5 | 10 | 1 | 2 | .938 | - | - | ||||||||||
| 2000 | 51 | 70 | 122 | 5 | 16 | .975 | 23 | 15 | 22 | 0 | 7 | 1.000 | 2 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 21 | 18 | 0 | 1 | 0 | .947 |
| 2001 | 134 | 193 | 381 | 4 | 66 | .993 | 15 | 9 | 10 | 0 | 3 | 1.000 | - | 11 | 16 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2002 | 134 | 237 | 387 | 6 | 69 | .990 | - | - | - | |||||||||||||||
| 2003 | 104 | 150 | 319 | 2 | 62 | .996 | - | - | - | |||||||||||||||
| 2004 | 138 | 213 | 472 | 4 | 90 | .994 | - | - | - | |||||||||||||||
| 2005 | 146 | 204 | 480 | 5 | 97 | .993 | - | - | - | |||||||||||||||
| 2006 | 146 | 242 | 475 | 4 | 77 | .994 | - | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | ||||||||||
| 2007 | 144 | 222 | 465 | 6 | 97 | .991 | - | - | - | |||||||||||||||
| 通算 | 1009 | 1554 | 3135 | 36 | 584 | .992 | 44 | 29 | 42 | 1 | 12 | .986 | 4 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 32 | 34 | 2 | 1 | 0 | .973 |
[編集] 背番号
[編集] 商品イメージキャラクター
[編集] 関連項目
[編集] 外部サイト
- 井端弘和の唄(MIDI形式音声ファイル)
|
|||||||||||||||||||||||
| 中日ドラゴンズ 1997年ドラフト指名選手 |
|---|
| 1位:川上憲伸 / 2位:森章剛 / 3位:正津英志 / 4位:鈴木郁洋 / 5位:井端弘和 / 6位:高橋光信 / 7位:白坂勝史 / 8位:清水清人 |

