井端弘和
| 中日ドラゴンズ #6 | |
|---|---|
2008年7月4日、阪神甲子園球場にて
|
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 神奈川県川崎市川崎区 |
| 生年月日 | 1975年5月12日(38歳) |
| 身長 体重 |
173 cm 75 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 遊撃手、二塁手 |
| プロ入り | 1997年 ドラフト5位 |
| 初出場 | 1998年9月8日 |
| 年俸 | 1億9000万円(2013年) ※2009年から5年契約(年俸変動制) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2013年 |
|
この表について
|
|
井端 弘和(いばた ひろかず、1975年5月12日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。一般社団法人日本プロ野球選手会理事長。
目次 |
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
川崎市立川中島中学校時代までは投手、堀越高等学校時代、2年時に選抜大会、3年時に夏の甲子園に出場。その後亜細亜大学に進学。東都大学リーグ1部リーグ通算81試合出場、269打数78安打、打率.290、4本塁打、33打点。3季連続ベストナインに選ばれた。2部リーグ通算11試合出場、48打数14安打、打率.291、1本塁打、5打点。
1997年のドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受け入団。同期には川上憲伸、高橋光信らがいる。
プロ入り後[編集]
入団から2年間は二軍生活で、1999年は一軍出場なし。2000年から試合終盤の守備固め・代走としての出場が主であったが、翌2001年から遊撃手のレギュラーに定着して全試合出場を果たして以来、不動の遊撃手として活躍している。
2002年には初のベストナインを受賞。2004年には選手会長に就任し、チームの柱としてリーグ優勝に貢献して、自身2度目となるベストナイン、更に自身初の打率3割と、ゴールデングラブ賞を受賞する活躍をみせた。2006年から地元の川崎市の少年野球のために「井端弘和杯[1]」を主催している。
国際大会での日本代表経験は、2001年に台湾で開催されたIBAFワールドカップ(4位)を皮切りに、2002年キューバで開催されたIBAFインターコンチネンタルカップ(準々決勝リーグ敗退)出場。2003年アテネオリンピック予選を兼ねたアジア野球選手権では長嶋ジャパンの一員として優勝し、2007年の北京オリンピック予選では2大会連続での本戦出場権獲得に貢献した。一方で、2006年および2009年のWBCでは球団方針もあってメンバーに入らなかった[2]。
2008年8月3日にFA権を取得するも、その日の中日スポーツ朝刊で残留を宣言[3]、2008年12月16日に球団史上最長の5年契約を結ぶ[4]。12月22日、テレビ朝日アナウンサー河野明子と結婚。
2009年は肩の故障もあり二塁手にコンバートされる予定であったが、井端本人の調整が目の不調により遅れたことに加え、代わって遊撃手を務める予定であった荒木雅博が開幕直前に足を痛めたことで見送られた[5]。調整は遅れていたもののシーズンでは主に1番打者として全試合に出場し、4年ぶりに打率3割を達成。12月3日には社団法人日本プロ野球選手会の理事長に就任した。
2010年は予定通り二塁手にコンバート、またチーム方針により6番を任されることが多かった。6月5日の対ロッテ戦で、1500本安打を達成した[6]。6月11日に登録抹消。7月15日に一度一軍復帰するも、途中出場3試合のみで7月25日に再び登録抹消。復帰は10月2日の最終戦になった。離脱の理由は公式発表されていないが、目の異常だったと報道されている[7]。この長期離脱により2000年以来の規定打席未到達、前年まで6年連続で受賞していたゴールデングラブ賞も逃し、二塁のレギュラーポジションも堂上直倫に明け渡した。日本シリーズでは第5戦を除く6試合にフル出場したが、第6戦の初安打まで19打席無安打の不振に陥る。この6戦と7戦でマルチ安打を記録するも打率.148(27打数4安打)に止まり、また11月26日には減額制限一杯となる40パーセントダウン(3億円→1億8千万円・推定)で契約更改を行う[8]など、不本意なシーズンとなった。
2011年7月、第一子となる長男が誕生する。また、自身5年ぶりとなる三塁手として先発出場する機会もあったが、シーズンを通しては「2番・二塁手」としてリーグ連覇に貢献した。ただ、打撃面ではプロ入り後で最低の成績に終わった。9月1日にはNPBから反ドーピング規則違反の処分を受けるが、これは目の治療のために使用していた薬物の許可期限切れに伴う継続申請を怠っていた中日球団の過失によるところが大きいと認定され、最も軽いけん責処分となっている[9]。
2012年は、勝負強さを買われて開幕戦から6番打者として起用されていたが、シーズン中盤からは5番を務めた。守備面では新監督の高木守道の方針で再びショートに戻り、荒木も元のセカンドに再コンバートされた。最終的に打率.284を残し、ショートでも安定した守備をみせ3年ぶりにゴールデングラブ賞を受賞した。
2013年には第3回WBCの日本代表に選出される。代表では背番号が被った場合は年功序列が一般的だが、このWBCでは坂本勇人が6番をつけ、井端は背番号「3」をつけた。本戦では打撃が絶好調で、ブラジル戦で同点打、台湾戦では9回2死から同点打を放ち、日本の窮地を救う活躍を見せ、打率.556と決勝ラウンドに進出した選手の中で最も高い打率を記録した。指名打者としても出場し、東京ラウンドのMVPを獲得、大会ベストナインの指名打者部門にも選出された[10]。特に2次ラウンドの台湾戦の同点適時打については「一生忘れない」と語った[11]。
選手としての特徴[編集]
守備・走塁[編集]
プロ入り当初は外野を守ることもあったが、2001年から遊撃手のレギュラーに定着。荒木雅博とは守備で二遊間、打順で1・2番を組むことから「アライバ」というコンビ名で呼ばれる。外野に抜けようかという打球を荒木が捕球したのち、無理に自ら一塁に送球せず井端にトスして送球を委ねるというプレーを始めとした数々の芸術的な守備を見せ[12]、荒木と共に2004年から2009年まで6年連続でゴールデングラブ賞を受賞している。2010年からは年齢的な負担を考慮して二塁手にコンバートされ、荒木と守備位置の入れ替えを行った。2012年からはこの年から監督に就任した高木守道の「井端は(二塁を守っている時は)気持ちが吹っ切れてなかったし、荒木も肩に不安があるから」という意見から再び守備位置を入れ替えることになり[13]、この年は守備イニング1000以上の遊撃手で両リーグ2位となるUZR15.9を記録した[14]。
走塁面でも20盗塁以上を三度記録し、右打者ながら一塁到達3.98秒を記録するスピードを誇るが[12]、大半は4秒台前半-6秒台前半とムラが大きい[15]。
打撃[編集]
打撃では、落合博満が監督を務めていた2011年までは主に2番打者として起用され、荒木が不調の場合は井端が1番に入ることもあり、落合の方針により、3番や6番を任されることもあった。二桁本塁打を記録したことはなく長打力には欠けるものの、柔らかいリストワークを生かしたバットコントロールの良さを持ち味とする[16]。大きく左足を上げるバッティングフォームだが、タイミングやステップを微調整するため対応力が高い[17]。
2006年から2010年までの5年間で左投手に対して打率.307を残し、統一球が導入された2011年からも打率.285を記録するなど左投手を得意としている。空振りは少なく[18]、外角の球に限らず内角の厳しいコースも腕をたたんで右方向へ運ぶ技術を備え[17]、得点圏時には右方向に8割以上の割合で打球を運ぶなど場面に応じたバッティングもできる他[19]、ファウル打ちは球界屈指の技術を誇る[16]。
人物[編集]
趣味は競艇。年末年始には、愛知県にある蒲郡競艇場でトークショーに出演するのがここ数年の恒例行事となっている。競艇選手の中では原田幸哉と仲が良い[20]。
2004年から毎年、出身校である川崎市立川中島小学校で開催される「井端祭り」に参加し、子ども達との交流を図っている。
2012年よりスパイクをミズノからアシックスにしたがミズノとアンバサダー契約をしているため自腹で購入してもらってるとアシックスの担当者は語っている。ちなみに井端が要望したのは「痛くないスパイク」である。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998 | 中日 | 18 | 60 | 49 | 2 | 12 | 1 | 0 | 0 | 13 | 2 | 4 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 | 1 | 8 | 0 | .245 | .339 | .265 | .605 |
| 2000 | 92 | 270 | 242 | 35 | 74 | 7 | 0 | 3 | 90 | 16 | 6 | 8 | 8 | 2 | 16 | 0 | 2 | 22 | 1 | .306 | .351 | .372 | .723 | |
| 2001 | 140 | 625 | 531 | 53 | 139 | 25 | 3 | 1 | 173 | 32 | 14 | 12 | 37 | 2 | 49 | 2 | 6 | 60 | 10 | .262 | .330 | .326 | .656 | |
| 2002 | 135 | 596 | 531 | 67 | 154 | 25 | 1 | 4 | 193 | 25 | 6 | 9 | 6 | 0 | 53 | 1 | 6 | 77 | 11 | .290 | .361 | .363 | .724 | |
| 2003 | 105 | 447 | 386 | 44 | 103 | 14 | 0 | 5 | 132 | 27 | 5 | 3 | 30 | 1 | 28 | 0 | 2 | 50 | 9 | .267 | .319 | .342 | .661 | |
| 2004 | 138 | 642 | 562 | 81 | 170 | 30 | 2 | 6 | 222 | 57 | 21 | 10 | 18 | 3 | 54 | 0 | 5 | 74 | 16 | .302 | .367 | .395 | .762 | |
| 2005 | 146 | 659 | 560 | 87 | 181 | 22 | 5 | 6 | 231 | 63 | 22 | 8 | 19 | 2 | 72 | 3 | 6 | 77 | 11 | .323 | .405 | .412 | .817 | |
| 2006 | 146 | 666 | 573 | 97 | 162 | 19 | 2 | 8 | 209 | 48 | 17 | 12 | 27 | 1 | 61 | 0 | 4 | 72 | 13 | .283 | .355 | .365 | .720 | |
| 2007 | 144 | 665 | 588 | 87 | 174 | 34 | 4 | 5 | 231 | 45 | 23 | 6 | 8 | 1 | 63 | 1 | 5 | 74 | 13 | .296 | .368 | .393 | .761 | |
| 2008 | 106 | 466 | 408 | 51 | 113 | 16 | 3 | 5 | 150 | 23 | 8 | 3 | 16 | 2 | 37 | 1 | 3 | 56 | 7 | .277 | .340 | .368 | .708 | |
| 2009 | 144 | 657 | 569 | 80 | 174 | 24 | 2 | 5 | 217 | 39 | 13 | 7 | 8 | 2 | 72 | 0 | 6 | 66 | 13 | .306 | .388 | .381 | .770 | |
| 2010 | 53 | 212 | 180 | 18 | 47 | 6 | 0 | 0 | 53 | 16 | 0 | 0 | 6 | 2 | 21 | 1 | 3 | 28 | 13 | .261 | .345 | .294 | .639 | |
| 2011 | 104 | 434 | 376 | 28 | 88 | 9 | 1 | 1 | 102 | 29 | 3 | 3 | 31 | 2 | 25 | 1 | 0 | 53 | 10 | .234 | .280 | .271 | .551 | |
| 2012 | 140 | 553 | 489 | 35 | 139 | 17 | 0 | 2 | 162 | 35 | 4 | 4 | 8 | 1 | 52 | 2 | 3 | 58 | 14 | .284 | .356 | .331 | .687 | |
| 通算:14年 | 1611 | 6952 | 6044 | 765 | 1730 | 249 | 23 | 51 | 2178 | 457 | 146 | 85 | 226 | 21 | 609 | 12 | 52 | 775 | 141 | .286 | .355 | .360 | .715 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
WBCでの成績[編集]
| 年 度 |
代 表 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2013 | 日本 | 6 | 23 | 18 | 6 | 10 | 1 | 0 | 0 | 11 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .556 | .652 | .611 | 1.263 |
| 出場:1回 | 6 | 23 | 18 | 6 | 10 | 1 | 0 | 0 | 11 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .556 | .652 | .611 | 1.263 | |
年度別守備成績[編集]
| 年 度 |
二塁 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | ||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 1998 | 6 | 5 | 10 | 1 | 2 | .938 | - | 12 | 23 | 34 | 0 | 10 | 1.000 | - | ||||||||||
| 2000 | 23 | 15 | 22 | 0 | 7 | 1.000 | 2 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 51 | 70 | 122 | 5 | 16 | .975 | 21 | 18 | 0 | 1 | 0 | .947 |
| 2001 | 15 | 9 | 10 | 0 | 3 | 1.000 | - | 134 | 193 | 381 | 4 | 66 | .993 | 11 | 16 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2002 | - | - | 134 | 237 | 387 | 6 | 69 | .990 | - | |||||||||||||||
| 2003 | - | - | 104 | 150 | 319 | 2 | 62 | .996 | - | |||||||||||||||
| 2004 | - | - | 138 | 213 | 472 | 4 | 90 | .994 | - | |||||||||||||||
| 2005 | - | - | 146 | 204 | 480 | 5 | 97 | .993 | - | |||||||||||||||
| 2006 | - | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 146 | 242 | 475 | 4 | 77 | .994 | - | ||||||||||
| 2007 | - | - | 144 | 222 | 465 | 6 | 97 | .991 | - | |||||||||||||||
| 2008 | - | - | 106 | 139 | 311 | 8 | 50 | .983 | - | |||||||||||||||
| 2009 | - | - | 144 | 218 | 477 | 8 | 92 | .989 | - | |||||||||||||||
| 2010 | 45 | 114 | 114 | 1 | 27 | .996 | - | 8 | 15 | 18 | 2 | 1 | .943 | - | ||||||||||
| 2011 | 102 | 260 | 328 | 5 | 54 | .992 | 2 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | ||||||||||
| 2012 | - | - | 140 | 186 | 450 | 4 | 94 | .994 | - | |||||||||||||||
| 通算 | 201 | 403 | 484 | 7 | 83 | .992 | 6 | 3 | 5 | 0 | 0 | 1.000 | 1407 | 2112 | 4391 | 58 | 821 | .991 | 32 | 34 | 2 | 1 | 0 | .973 |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰[編集]
- NPB
- ベストナイン:5回 (2002年、2004年 - 2007年)
- ゴールデングラブ賞:7回 (2004年 - 2009年、2012年)
- オールスターゲーム・ベストバッター賞(2009年、イチロー(当時オリックス。現:ニューヨーク・ヤンキース)、内川聖一(当時横浜。現:福岡ソフトバンクホークス)に次ぐ5打席連続安打)
- アジアシリーズMVP:1回 (2007年)
- 日本代表
記録[編集]
- 初記録
- 初出場・初先発出場:1998年9月8日、対阪神タイガース23回戦(ナゴヤドーム)、7番・遊撃手で先発出場
- 初打席:同上、1回裏にダレル・メイから投手ゴロ
- 初安打・初打点:同上、3回裏にダレル・メイから中前2点適時打
- 初犠打:1998年9月15日、対ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、5回表に川崎憲次郎から投手前犠打
- 初盗塁:1998年9月17日、対ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)、1回表に二盗(投手:山部太、捕手:古田敦也)
- 初本塁打:2000年6月8日、対ヤクルトスワローズ9回戦(明治神宮野球場)、1回表にドナルド・レモンから左越ソロ
- 節目の記録
- 1000本安打:2007年4月1日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(ナゴヤドーム)、1回裏に藤井秀悟から左中間二塁打 ※史上243人目
- 1000試合出場:2007年7月16日、対東京ヤクルトスワローズ12回戦(ナゴヤドーム)、3番・遊撃手で先発出場 ※史上419人目
- 1500本安打:2010年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に吉見祐治から右中間へ適時二塁打 ※史上105人目
- 200犠打:2011年9月1日、対阪神タイガース18回戦(ナゴヤドーム)、6回裏にジェイソン・スタンリッジから投手前犠打 ※史上32人目(高木守道と並ぶ通算犠打の球団タイ記録)
- 1500試合出場:2012年5月3日、対阪神タイガース6回戦(ナゴヤドーム)、6番・遊撃手で先発出場 ※史上174人目
- その他の記録
背番号[編集]
- 48 (1998年 - 2002年)
- 6 (2003年 - )
登場曲[編集]
- 『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』ザ・ビートルズ(2009・2010年)
- 『あとひとつ』FUNKY MONKEY BABYS(2011年~)
関連情報[編集]
メディア出演[編集]
- ラジオ
- 久野誠のドラゴンズワールド、宮部和裕のドラゴンズEXPRESS(CBCラジオ。週一回程度電話出演。主に月曜日)
- CM
- 広告
- コラム
- 井端弘和の一の野球
- 不定期更新。同僚の岩瀬仁紀(岩瀬仁紀の人生野球)とともに中日スポーツの携帯サイト「ドラゴンズ情報」内で、「現状レポート」とファンからの質問に答える「なんでもQ&A」(質問は同じページで受付中)・井端からのメッセージ動画(ダウンロードが必要)のほか、井端オリジナルコンテンツとして「マイブーム」(ただし更新頻度は他の3つと比べると少ない)で構成されている。
- その他
脚注[編集]
- ^ 井端弘和杯|学童野球大会
- ^ “WBC初参加 37歳井端がキーマン!”. 日刊スポーツ. (2012年11月7日) 2013年3月10日閲覧。
- ^ 中日スポーツ:井端は残留します きょうFA権取得:ドラニュース(CHUNICHI Web)(2009年6月10日閲覧)
- ^ 中日スポーツ:井端、ドラ史上最長の5年契約 33歳「生涯竜」宣言に球団もジ~ン:ドラニュース(CHUNICHI Web)(2009年6月10日閲覧)
- ^ スポニチ 2009年4月1日 中日・荒木、井端、黄金の二遊間コンバートお預け(2009年4月8日閲覧)
- ^ 中日・井端が1500安打 史上105人目サンケイスポーツ 2010年6月5日(2010年10月12日閲覧)
- ^ 井端が4カ月ぶりのスタメン復帰 - 野球ニュース : nikkansports.com(2010年10月3日閲覧)
- ^ 制限いっぱい減俸 中日 井端「何もやってないので」スポニチアネックス 2010年11月26日
- ^ アンチ・ドーピング規則違反に対する制裁の通知 2011年9月1日
- ^ “前田健、井端がベストナイン=ドミニカ共和国からは5人”. 時事通信社. (2013年3月21日) 2013年3月21日閲覧。
- ^ “井端、台湾戦「一生忘れない」”. nikkansports.com. (2013年3月20日) 2013年3月21日閲覧。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、452-453頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。
- ^ 「落合色」から「高木色」に…中日毎日新聞、2012年2月1日
- ^ 岡田友輔、道作、三宅博人、morithy、蛭川皓平、高多薪吾、Student、水島仁 『プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート2』 水曜社、2013年、37頁。ISBN 978-4-88065-319-8。
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2007』 アスペクトムック、2007年、248-249頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクトムック、2008年、72-73頁。ISBN 978-4-7572-1439-2。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、72-73頁。ISBN 978-4-7572-1744-7。
- ^ 小関順二、泉直樹、荒井太郎 『プロ野球スカウティングレポート2006』 アスペクトムック、2006年、254-255頁。ISBN 978-4-7572-1246-6。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』 白夜書房、2009年、111頁。ISBN 978-4-86191-508-6。
- ^ 『中日ドラゴンズ井端弘和選手・原田幸哉選手トークショー& サイン会』 - 蒲郡競艇・2007年1月16日
関連項目[編集]
|
||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
|
|||||