森福允彦
| 福岡ソフトバンクホークス #19 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 愛知県豊橋市 |
| 生年月日 | 1986年7月29日(26歳) |
| 身長 体重 |
172 cm 68 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト4巡目 |
| 初出場 | 2007年3月31日 |
| 年俸 | 1億2,000万円(2013年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2013年 |
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この表について
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森福 允彦(もりふく まさひこ、1986年7月29日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。愛称は「ちょめ」。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
小学校6年生で全国制覇。高校2年、3年ともに夏の県大会準優勝。高校2年時には56イニング自責点ゼロの記録を樹立[1]。これは工藤公康の愛知県記録を更新するもので[1]、当時は「三河のドクターK」として話題になった。準決勝では山内壮馬、長谷部康平を擁する杜若高校にも完封勝利した。しかし決勝では堂上剛裕、丸山貴史を擁する愛知工業大学名電高等学校に0-3で惜しくも敗れた。
2005年にシダックスに入社し、3月に行なわれた東京スポニチ大会で好投して新人賞を受賞、武田勝(現:日本ハム)と並んでシダックスの主力投手の1人となり、都市対抗野球大会・社会人野球日本選手権大会出場の原動力となる。
2006年は、都市対抗野球東京2次予選では明治安田生命を相手に打ち込まれて予選敗退を喫し、JR東日本の補強選手として都市対抗野球大会に出場。堀井哲也監督の指導の下でクローザーを務め、JR東日本のベスト4進出に貢献した。その後シダックスの廃部が決まり、日本選手権関東2次予選では東芝を相手に先発したものの集中打を浴びて敗戦。シダックスはこの試合の敗戦をもって活動を停止したため、シダックス最後の試合で先発した投手となった。シダックスの廃部に伴う特例で高卒二年目ながらドラフト対象選手となり、ドラフト指名されなければJR東日本への移籍が決まっていたが、2006年大学生・社会人ドラフトで福岡ソフトバンクホークスに4巡目指名を受けて入団。ホークスの背番号19は、シダックスの監督であった野村克也が現役時代に付けていた番号である。野村は当時第一印象として身体も小さい上、球速も速くはないため「しんどい」と思ったそうで、プロから声がかかったときは大変驚いたという。そこで、困ったときに外角高めでストライクを取れるコントロール、球種はストレートとスライダーしかなかったためシュートを身につけろと教えたという。
プロ入り後 [編集]
2007年3月31日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリン)の9回に初登板。走者は出すもアウト3つは全て三振で取った。
2008年と2009年は一軍登板はあったものの右打者への被打率の高さから数字は振るわなかった。
2010年は左のワンポイントや敗戦処理などで信頼を築き、8月15日から30日までに登板した6試合、11回2/3を投げた際のWHIPは0.343という数字を残している[2]。なかでも、8月26日の対オリックス・バファローズ戦(ヤフードーム)では延長11、12回を5者連続空振り三振を奪うなど、完璧に抑えた。翌日の対ロッテ戦では5回表の1死満塁、一打逆転の場面で登板し無失点に抑え、プロ初勝利を挙げている[3]。最終的には甲藤啓介と共に攝津正、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩からなるSBMに次ぐ存在となる。最終的に三瀬幸司、篠原貴行らが相次いで退団したホークス中継ぎ陣では唯一と言っていい左の中継ぎとしての地位を得てリーグ優勝に貢献した。
2011年は先発に転向した攝津、不調の馬原、故障の甲藤や藤岡好明などリリーフ陣が続々と離脱する中、彼らの穴を埋めるべくセットアッパーに定着し、60試合に登板してチームのV2、CS突破に貢献した。5月1日のロッテ戦(QVCマリン)では8-3と5点リードの9回2死満塁から登板し、伊志嶺翔大を遊ゴロに打ち取り、パリーグ26人目の1球セーブを達成した[4]。日本シリーズでは5試合に登板し5回を投げて無失点に抑え3ホールドを記録しチームの日本一に貢献した。第4戦では、2-1でリードの6回に先発のD.J.ホールトンが無死満塁の絶体絶命のピンチを招き降板、後を受けた森福が代打・小池正晃を空振り三振、平田良介を浅いレフトフライ、谷繁元信をショートゴロに抑え無失点で切り抜けた。なお、この時地上波での瞬間最高視聴率21.7%を記録した。また、「江夏の21球」になぞり、各メディアなどで『森福の11球』として取り上げられた[5]。 王貞治会長は「森福は完璧で素晴らしかった。」[1]、孫正義オーナーは「無死満塁 で森福すごかったね。よくピシッと締めてくれた。その後につながりましたね。」[1]、伊原春樹は「私だったら森福にMVPをあげたいですね。5試合に登板して、どのマウンドでも相手を封じ込める最高のパフォーマンス。6回無死満塁を抑えたのがソフトバンク日本一の原動力になったプレーと言っても過言ではなかったです。」と森福の投球を評価している[6]。 12月3日の契約更改で、来季の年俸を4,600万円増の7,000万円でサインした[7]。
2012年も引き続きセットアッパーの役割を期待され開幕戦から8回を任された。この年は馬原が肩のクリーニング手術で不在だったため、シーズン序盤は9回のクローザーにファルケンボーグが就き、更にファルケンボーグは過去の肘の故障を考慮して3連投させないチーム方針により、ファルケンボーグ連投の翌日は森福が9回にクローザーとして登板していた。ところが5月に入るとファルケンボーグが肩の故障で戦線離脱し、森福が1人でクローザーを担う事になった。この緊急事態にも森福は登板を続け、7月終了時点で14セーブを上げる。8月に入ると抑えに失敗する場面が目立ち、岡島秀樹や柳瀬明宏がクローザーに回る事が増え、再びセットアッパーを中心に登板を続けた。この年は前年を上回るキャリアハイの65試合に登板し、2勝5敗17セーブ24ホールド、防御率1.39を記録した。クライマックスシリーズにも計4試合に登板し、ファーストステージでは2試合に登板し2イニングを無失点に抑えファーストステージ突破に貢献した。ファイナルステージでも2試合登板したが要所で打たれるなど成績は振るわなかった。
2013年、WBC日本代表に選出され、本戦では2試合に登板した。
シーズン開幕後は前年度同様、セットアッパーをして期待がかかったが、不安定な投球が多かった。5月6日のロッテ戦で通算200試合目の節目で自身初の先発を経験。2回1失点でマウンドを降りた。
プレースタイル [編集]
プロ入り当初はスリークォーターだったが、2010年にリリースまで長くボールを持つ投球とサインの交換が終わってから投球モーションに入るまでの左手を高く上げる独特の動作を特徴とするサイドスローに転身。平均球速約134km/h[8]、最速140km/h序盤の速球、スライダー、シュートを投げ分ける[1]。高校時代はスライダーのキレとカーブの変化で三振の山を築くスタイルであった。
リリーフで登板する際、ファウルラインの手前で帽子を取りグラウンドに向かって一礼してからマウンドに上がる。
詳細情報 [編集]
年度別投手成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007 | ソフトバンク | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 24 | 6.0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 2 | 7 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1.50 | 0.67 |
| 2008 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 33 | 6.2 | 9 | 0 | 6 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 5 | 5 | 6.75 | 2.25 | |
| 2009 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ---- | 49 | 11.0 | 12 | 1 | 3 | 0 | 1 | 11 | 0 | 0 | 7 | 6 | 4.91 | 1.36 | |
| 2010 | 36 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 5 | .750 | 188 | 48.2 | 34 | 5 | 10 | 1 | 3 | 45 | 0 | 0 | 17 | 14 | 2.59 | 0.91 | |
| 2011 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 1 | 34 | .667 | 211 | 55.2 | 38 | 3 | 10 | 2 | 1 | 45 | 0 | 0 | 7 | 7 | 1.13 | 0.86 | |
| 2012 | 65 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 17 | 24 | .286 | 235 | 58.1 | 40 | 1 | 17 | 3 | 3 | 55 | 0 | 0 | 12 | 9 | 1.39 | 0.98 | |
| 通算:6年 | 187 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 8 | 18 | 65 | .529 | 740 | 186.1 | 136 | 10 | 47 | 6 | 10 | 166 | 1 | 0 | 49 | 42 | 2.03 | 0.98 | |
- 2012年度シーズン終了時
表彰 [編集]
- JA全農Go・Go賞 (救援賞:2012年6月)
記録 [編集]
- 初記録
- 初登板:2007年3月31日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回裏に塀内久雄から空振り三振
- 初ホールド:2009年4月21日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(東京ドーム)、6回裏に3番手で救援登板、1回無失点
- 初勝利:2010年8月27日、対千葉ロッテマリーンズ18回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、5回表1死に2番手で救援登板、1回2/3を無失点
- 初セーブ:2011年5月1日、対千葉ロッテマリーンズ5回戦(QVCマリンフィールド)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1/3回を無失点
- 初先発:2013年5月6日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、2回1失点で敗戦投手
- その他記録
- 1球セーブ:2011年5月1日、対千葉ロッテマリーンズ5回戦(QVCマリンフィールド)、9回裏に伊志嶺翔大を遊撃ゴロ ※パ・リーグ史上26人目(28度目)
- オールスターゲーム出場:2回 (2011年、2012年)
背番号 [編集]
- 19 (2007年 - )
- 21 (WBC2013)※正式メンバー34人
登場曲 [編集]
脚注 [編集]
- ^ a b c d e 日刊スポーツ紙面 2011年11月17日
- ^ 日刊スポーツ2010年8月31日紙面 「プロ野球メジャー流で見るセイバーメトリクス」
- ^ “森福がきらりと光る好救援 プロ4年目で初勝利”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年8月27日) 2013年5月14日閲覧。
- ^ “森福1球で初セーブ!史上7人目の珍事”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年5月2日) 2013年5月14日閲覧。
- ^ 6回無死満塁斬り!森福“江夏の伝説”とダブる11球 スポニチannex 2011年11月17日付記事
- ^ 週刊ベースボール、2011年12月5日号、p25
- ^ プロ野球:タカ森福 年俸7000万円で契約更改 毎日jp(毎日新聞) 2011年12月3日付記事
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、9頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
関連項目 [編集]
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