山内壮馬

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山内 壮馬
中日ドラゴンズ #26
CD-Souma-Yamauchi.jpg
2008年6月26日 阪神鳴尾浜球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県豊田市
生年月日 1985年7月1日(29歳)
身長
体重
181 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目
初出場 2008年7月23日
年俸 2,000万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山内 壮馬(やまうち そうま、1985年7月1日 - )は、愛知県豊田市出身の中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

杜若高等学校時代は長谷部康平とエースの座を争う(長谷部とは現在でもプライベートで仲がいいという)。3年生時には甲子園愛知県予選でベスト4まで駒を進めたものの、豊川高校の2年生エース森福允彦の前に完封負けを喫し、甲子園出場はならなかった。

名城大学進学後は一年先輩の清水昭信らとともに同大野球部を支え、3年時の全日本大学野球選手権大会ではベスト8進出に貢献した。愛知大学1部リーグで通算6勝8敗、2部リーグで9勝3敗。4年生秋に2部リーグで最優秀選手、最優秀防御率を受賞。

2007年の大学・社会人ドラフト会議では自ら希望していた中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。ちなみに長谷部の外れ一巡指名である。名城大学では法学部に在籍していたが、プロ入り時点では単位が残っていた為に卒業できなかった。その後休学と復学を繰り返し、2014年2月初旬に残った単位を取得して卒業することができた[1]

山内の背番号26は、中日ドラゴンズの前身である名古屋軍で戦前最後となるノーヒットノーランを達成した石丸進一の背番号でもある。

プロ入り後[編集]

2008年7月21日に一軍初昇格し、7月23日の対広島戦で中継ぎで一軍初登板。その後2試合に登板して8月3日に降格した。9月14日に再昇格しその日の対横浜ベイスターズ戦で初先発デビューをするも4回までに村田修一吉村裕基に3本の本塁打を打たれるなど4失点して降板。落合博満監督から試合中に名古屋へ帰るように言われてしまい、わずか1日で二軍に降格。以後一軍に呼ばれることはなかった。

2009年は春季キャンプは一軍スタートとなったが途中で二軍降格となってしまった。ライバルである長谷部より先に先発で勝利するのが目標であったが、同年4月30日北海道日本ハムファイターズ戦で長谷部が先発勝利を挙げたため、結局先を越された形となった。

2010年4月25日阪神戦で6回を2失点に抑え、プロ初勝利を挙げた。なおこの年の12月24日に入籍した。

2011年はプロ4年目で初めて開幕一軍入りし、4月27日の横浜戦(豊橋市民球場)では6回雨天コールドにより、思わぬ形でプロ入り後初完封勝利を達成した。また、この試合を含め横浜のエース三浦大輔と互角の投げ合いを多く演じた。自己最多の3勝、防御率1点台と先発ローテーションの谷間で存在感を示した。

山内の投球フォーム
(2013年4月21日、横浜スタジアム)

2012年は開幕ローテーション入りし、4月5日のDeNA戦(横浜スタジアム)で7回無失点で勝利投手となった。その後もローテを守り、9月16日の広島戦で自身初の二桁勝利を達成した。最終的にチームで唯一規定投球回に達し、24試合に登板・先発して10勝7敗、防御率2.43とエース吉見一起に次ぐ大黒柱として大きく飛躍したシーズンとなった。4月9日に第一子が誕生したことを公表している[2]

2013年も開幕ローテーション入りするが、開幕から不振で、無駄な四球による自滅が相次いだ。特に、初回から大量失点するケースが目立った。5月13日には左背筋痛で登録抹消となり、再び復帰するも、今度は不調を理由に6月9日に再び登録を抹消された。なお、4月21日のDeNA戦で、三浦大輔からプロ初本塁打を放っている。9試合に先発して僅か2勝(4敗)で防御率5点台と大きく期待を裏切った。オフには右肩を手術した。

2014年も、オープン戦から不振で、開幕一軍入りを逃す。4月3日に一軍登録されるも、その日の阪神戦で4回8被安打5四球、7失点という散々な投球内容で、翌日の4月4日に即一軍登録を抹消された。なおこの背信投球に対し、試合後谷繁選手兼任監督は「相手と勝負する前に、勝負になってなかった」[3]と厳しく苦言を呈している。

プレースタイル[編集]

平均球速約136km/h[4]速球は打者の手元で沈むクセ球であり[2]、変化球はスライダーカーブフォークシュートカットボールを投げる。ドミニカウインターリーグの派遣をきっかけに、打者の目線をそらすことの大切さを知り、カーブを習得。

初勝利を挙げた2010年からは変化球を低めに集め打たせて取るピッチングに徹しており、ストレートをほとんど投げなくなっている。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2008 中日 4 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 38 9.1 9 3 2 0 0 12 0 0 6 6 5.79 1.18
2009 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 7 1.1 3 0 0 0 0 0 0 0 2 2 13.50 2.25
2010 6 6 0 0 0 2 1 0 0 .667 146 35.0 24 2 18 0 1 18 0 0 13 8 2.06 1.20
2011 11 9 1 1 0 3 2 0 1 .600 252 62.1 46 6 20 0 2 31 0 0 14 12 1.73 1.06
2012 24 24 0 0 0 10 7 0 0 .588 589 148.0 128 8 32 1 4 68 4 0 42 40 2.43 1.08
2013 9 9 0 0 0 2 4 0 0 .333 234 50.1 68 8 24 2 1 22 3 0 34 31 5.54 1.83
2014 1 1 0 0 0 0 1 0 0 ---- 26 4.0 8 1 5 0 0 2 1 0 7 5 11.25 3.25
通算:7年 56 50 1 1 0 17 15 0 1 .531 1292 310.1 286 28 101 3 8 153 8 0 118 104 3.02 1.25
  • 2014年度シーズン終了時

記録[編集]

投手記録
打撃記録

背番号[編集]

  • 26 (2008年 - )

登場曲[編集]

  • 『Only God Can Judge Me』AK-69(2010年~)

脚注[編集]

  1. ^ 中日スポーツ 2014年2月19日付
  2. ^ a b “新米パパ”山内が好投で中日リーグ10勝一番乗り”. スポニチ Sponichi Annex (2012年4月21日). 2012年4月22日閲覧。
  3. ^ 【谷繁監督、虎戦後一問一答】山内は勝負になってなかった”. サンスポ SANSPO.COM (2014年4月3日). 2014年4月3日閲覧。
  4. ^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2013年、27頁。ISBN 978-4-905411-11-6

関連項目[編集]