谷繁元信

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谷繁 元信
中日ドラゴンズ #27
CD-Motonobu-Tanishige-2.jpg
2009年7月16日(阪神甲子園球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県比婆郡東城町(現:庄原市
生年月日 1970年12月21日(42歳)
身長
体重
176 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1988年 ドラフト1位
初出場 1989年4月11日
年俸 1億9,000万円(2013年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2006年

谷繁 元信(たにしげ もとのぶ、1970年12月21日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手捕手)。

2012年現在、日本プロ野球史上単独3位となる試合出場数を誇る、球界を代表する捕手である。

目次

経歴 [編集]

プロ入り前 [編集]

山深い中国山地広島県比婆郡東城町(現・庄原市)出身。野球好きの父の影響で小学校2年生のときに地元の少年野球チームに入り野球を始める[1]。子どもの頃は巨人ファンで、原辰徳に憧れていたという。小学6年時には、広島県内の関係者に名が知れ渡っていたが[2]、事情あって高校は島根県江津市の江の川高等学校(現・石見智翠館高等学校)に進学する(後述)。元々は投手として入部するも練習試合でよく打たれ、1ヶ月後には監督に捕手転向を命じられる。谷繁曰く「監督が怖くて逆らえなかった」[3]とのこと。

夏の甲子園に2度出場。特に1988年夏には島根県予選で、5試合全てで本塁打の計7本を放ち甲子園大会でもベスト8に進出。強打の捕手として高校通算で42本の本塁打を放ち、東の江藤、西の谷繁」と呼ばれた。

1988年のドラフト会議横浜大洋ホエールズが1位指名で交渉権を獲得し、契約金5800万円、年俸480万円(金額は推定)で入団合意した[4]。期待を込めて、チームの看板選手だった山下大輔が付けていた背番号1が与えられる。地元の広島カープからも熱心に誘われていたが、カープのドラフト1位指名は野村謙二郎であった[1]

大洋・横浜時代 [編集]

下関球場で行われたオープン戦で巨人・斎藤雅樹から本塁打を放つなど結果を残すと監督の古葉竹識に抜擢され、高卒1年目にもかかわらず開幕一軍入りを果たした。公式戦初打席で初安打を放つ。一年目から一軍にフル帯同し、出場80試合、打率.175、3本塁打、10打点という成績を残す。

1990年須藤豊が監督に就任すると、西武ライオンズから獲得した秋元宏作と併用されるようになり、前年まで正捕手だった市川和正は第3捕手へと追いやられた。しかし、1992年はシーズン中に休養した須藤に代わりヘッドコーチから監督代行に昇格した江尻亮に、リード、打撃とも評価されず、一時出場機会を失った。

1993年、横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズへ球団名が変わるのを機に、捕手だと1という数字が防具に隠れて見えないという理由から背番号を8に変更。近藤昭仁が監督に、大矢明彦がバッテリーコーチに就任し、大矢からリード面を中心に守備を徹底的に鍛えられる。それでもしばらくは秋元との併用が続き、先発出場していた試合でも抑え投手の佐々木主浩が登板すると、佐々木のフォークボールが取れないとの理由から秋元に交代させられていた。また肩は強かったものの、リード面での評価もあまり高くはなかった。

大矢が監督に昇格した1996年からは重点的に起用されるようになり、それに伴って打撃も成長。初めて打率三割も記録した。この頃から同僚のロバート・ローズの影響で筋肉トレーニングを始め、翌1997年は初めて二桁本塁打を記録。リード面でも成長し、投手陣の成績が良くなるなど、捕手としての評価が急上昇する。オフにはFA権を獲得し、当時正捕手が不在だった巨人への移籍の噂なども囁かれたが、リーグ2位になり現実味が帯びてきたチーム優勝を目指し宣言残留をした。

1998年、開幕から本塁打を打ち続け、前田智徳松井秀喜に次いでリーグ3位の速さで本塁打を2桁に乗せて話題となった。攻守の要としてチーム38年ぶりのリーグ優勝・日本一に大きく貢献し、自身初のベストナインゴールデングラブ賞を受賞するなど、リーグを代表する捕手に成長した。また佐々木主浩と共に最優秀バッテリー賞も受賞。翌1999年マシンガン打線の8番打者として、高打率を残す。

2001年は初めてシーズン20本塁打を打ち、オフにメジャーリーグへの移籍を目指しFA宣言を行う[5]トニー・アタナシオと代理人契約を結び、「年俸が下がってでもメジャーに行きたい気持ちがある」と強い決意で渡米。12月5日にはシアトル・マリナーズサンディエゴ・パドレスアナハイム・エンゼルスの関係者らの前でワークアウトを行ったが、良い条件が得られなかったためメジャー挑戦を断念し、中日ドラゴンズへ移籍。横浜は中日からの補償として金銭を選択するが、当時中日の正捕手であった中村武志が出場機会を求めトレード志願し、横浜へ金銭トレードで移籍。結果的に正捕手同士の“交換トレード”という形となった。

中日時代 [編集]

移籍1年目の2002年は自己最多となる24本塁打を打つ。2003年オフに落合博満が監督に就任。正捕手のエースナンバーは森昌彦に代表される27、もしくは田淵幸一に代表される22という落合監督の持論により、背番号を7から27に変更。2004年は不動の正捕手として攻守ともにチームを牽引し、リーグ優勝に貢献。川上憲伸と共に2度目の最優秀バッテリー賞を受賞。日本シリーズ第3戦で逆転満塁本塁打を放つ活躍を見せるも、チームは日本シリーズ敗退を喫した。

2006年にはWBC日本代表に選ばれ、2次リーグのアメリカ戦ではスタメンマスクを被った。7月26日の対阪神タイガース戦で捕手としては史上4人目の通算2000試合出場を達成。打率、安打数、塁打数、盗塁数は規定打席に達している選手の中でリーグ最少を記録。8年ぶりにゴールデングラブ賞を、2年ぶりに川上と共に最優秀バッテリー賞を受賞。

2007年8月8日の対広島東洋カープ戦でプロ野球47人目の通算300二塁打達成。8月10日の対巨人戦で、更新中だった捕手の連続守備機会無失策のプロ野球記録が1708で止まった。打率、得点、安打数、三塁打、塁打数、盗塁数では規定打席に達している中でリーグ最少を記録。前年に続き、ゴールデングラブ賞を受賞。同僚の川上も2年連続で受賞しており、同一チームの同一バッテリーによる2年連続受賞はセ・リーグ初。53年ぶりの日本一にも大きく貢献した。

2008年は6月に右脇腹痛で登録を抹消され、移籍後初めて二軍戦に出場するなど不本意なシーズンとなった。また2004年に痛めた腰の状態も悪く、この頃には毎日常に足がしびれている状態となっていた。腰椎(ようつい)の椎間狭窄(きょうさく)症で、この年のオフに腰の骨の一部を削る手術を受ける。なお、翌年の夏ごろまでは手術の痛みが残り必ずしも思うようには動けなかったという[6]

2008年6月25日

2009年、開幕直後の右ふくらはぎのけがで約1カ月間欠場。7月5日の対阪神戦で捕手として野村克也に続く歴代2位の通算2328試合出場を達成。9月1日、通算200号本塁打と200犠打を達成(両方を達成したのは史上3人目)。9月にプロ野球史上初の4度目のFA権を取得。21年目で自身初の守備率10割(無失策)を達成し、ゴールデングラブ賞を受賞。

2010年7月28日に捕手では野村克也以来の2500試合出場達成。プロ野球史上8人目。休養や小さな怪我での欠場はあったものの、シーズンを通して登録を抹消されず、4年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

2011年6月4日対西武戦の5回の守備の際、高山久とのクロスプレーで左ひざ内側側副靭帯を損傷し、約2カ月間登録抹消。谷繁不在の間、チームは15勝21敗1分けと大きく負け越したが、谷繁はその間リハビリと上半身のトレーニングに懸命に取り組み、7月29日に一軍復帰した後は打率.301、打点23と打撃面でも活躍して不在の穴を埋めた。9月末には球団記録にあと1つに迫る10試合連続打点を記録するなど、ペナントレース終盤の逆転優勝劇に大きく貢献し、2年ぶりのゴールデングラブ賞を、吉見一起と共に5年ぶりに最優秀バッテリー賞を受賞。8月25日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で、プロ23年目、通算2594試合目にしてプロ入り初めて一塁手としてスタメン出場をした。なお、一塁手に限らず公式戦で捕手以外の守備に就いたのも初めてである。

しかし、ポストシーズンでは一転不振に陥る。CSでは全試合にスタメン出場するも無安打に終わる。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも全試合にスタメン出場したが無安打は続き、11月20日の第7戦で3回の第1打席で三振を喫した時点で1989年近鉄バファローズ大石大二郎以来となる21打数連続無安打のシリーズワースト記録と並んだ。続く5回の第2打席も三振し、シリーズワースト記録を更新。8回の第3打席も三振に倒れ、最終的には23打数まで伸ばし、CSファイナルステージ第1戦の第1打席から43打席連続無安打を喫したことになった。

2012年4月25日の対ヤクルト戦で本塁打を打ち、新人から24年連続本塁打の新記録を達成した。7月26日の阪神戦でも2ランホームランを放ち、これにより通算3000塁打を達成した。打率はリーグ最下位だったものの、5年ぶりに規定打席に到達するなど、シーズンを通して活躍を見せた。CSファイナルステージでは第1戦の第4打席に適時二塁打を放ち、前年から続いたポストシーズン無安打記録は60打席で止まった。

2013年5月6日の対ヤクルト戦で右前安打を打ち、通算2803試合目で史上44人目の通算2000安打を達成した。プロ25年目での達成は史上最遅、42歳での到達は宮本慎也の41歳5ヶ月を抜いて最年長記録となった。捕手では野村克也、古田敦也に次いで3人目。5月12日の広島戦で中日に所属して通算1000安打を達成。「2球団で1000安打達成」は大杉勝男金本知憲に次いで3人目[7]

プレースタイル [編集]

打撃 [編集]

1996年に一度だけ打率3割に到達したことがあるが、セ・リーグ規定打席到達者中最低打率を4回記録している。通算打率も、名球会入りの条件となる2000本安打達成者の中で最下位で、4打数1安打の打率.250を唯一割ってしまう2割4分代である。しかし、2桁本塁打を8度記録するなど長打力があり、次打者が投手であることが多い8番を打つことが多いため四球故意四球が多く、打率よりも1割以上高い出塁率を記録したシーズンが7度あるほか、2011年終了時点で現役最多の故意四球を受けている。

また、打順は基本的に8番もしくは7番であるが、中日移籍後は主力打者の離脱時に5番や6番で起用される試合も増えた。2004年や2006年に福留孝介が離脱すると、高い出塁率と得点圏打率を見込まれ、3番で起用されたこともあった。また、2004年の日本シリーズでも福留を欠いた打線の中で2戦目以降の全6試合で6番で起用された。谷繁本人によると、投手の捕球の為に試合の中盤から左手の握力が無くなると語っており、同じ捕手で打撃成績の良かった古田敦也を認めている。

守備 [編集]

捕手としては小柄な体格だが、ゴールデングラブ賞を5度、最優秀バッテリー賞を4度受賞している。特に捕球と盗塁阻止に優れ、盗塁阻止率リーグ1位を5度獲得している。投手に相手打者の弱点を徹底的に突かせる攻撃的なリードをする[要出典]。また、阪神タイガース新井貴浩は、「初球を見逃すと、『はい、今のボール最初から打つ気ありませんでした』って言ってきて、バレまくり」[8]という表現で、谷繁の洞察力、ささやき戦術を評価している。

ノーヒットノーラン達成に現役通算で2度立ち会っている。2002年8月1日の巨人戦(東京ドーム)で川上憲伸を、2006年9月16日には阪神との首位攻防戦となった試合(ナゴヤドーム)で山本昌をリードして記録達成を助けた。また2007年の日本シリーズにおいては、日本ハムを相手に中日の3勝1敗で迎えた11月1日の第5戦(ナゴヤドーム)で、先発の山井大介が8回、抑えの岩瀬仁紀が1回を投げて、公式戦・ポストシーズンを通じて日本プロ野球史上初継投による完全試合(ただしNPBでは継投による完全試合達成は記録としては扱われない)を達成し、53年ぶりの日本一を飾った。

先発投手によってはスタメンから外れることも稀にある。2003年には野口茂樹が先発時は柳沢裕一が起用され、その後山本昌(2006年から起用されるが2008年頃から小田の不調により谷繁が起用。2010年は全て小田)やエンジェルベルト・ソトが先発のときは小田幸平朝倉健太の時は小山桂司が起用される。休養のために先発を外れることもあり、落合監督も「谷繁は全試合出場は不可能」と言っており、「その時に若いのを育てる」と公言している。また、落合監督が最も恐れていることが谷繁の故障であり、年齢のことも配慮した起用が行われている(事実、2009年の中日は開幕から好調だったが4月末に谷繁が故障してからは思うように勝てなくなってしまった。2011年も交流戦中に故障し、8月にスタメンに復帰するまでは同様にチームの勝ち星が伸び悩んだ)。

人物 [編集]

愛称は「シゲ」。

所属した球団で最初に付けた背番号(横浜大洋=1、中日=7)を、いずれも後に就任した監督(横浜・近藤昭仁、中日・落合博満)から「捕手のイメージに合わない」という理由で変更されている。最初の変更の際は、同じく現役時代に1番を付け、二塁手だった近藤監督の「背番号1は内野手の番号」という持論により1番は内野手の進藤達哉に与えられ、かつて大洋に在籍した名捕手・辻恭彦がつけるなど、横浜では捕手の番号というイメージがあった背番号8が谷繁に与えられた(谷繁が横浜退団後も8番は欠番となり、同じく捕手の相川亮二がレギュラーを獲得して着用するまで使用されなかった)。ちなみに、1992年秋の「横浜ベイスターズ」への球団名変更直後の秋季練習で、「ベイスターズの背番号1」のユニフォームを着用している。また中日での背番号7も、1桁の背番号の場合、キャッチャーのプロテクターで背番号が隠れてしまったり、割れてしまうことがあまり縁起がよいものではない、という落合監督の持論により変更されている。二度目の変更の際も、自身の背番号は内野手の、巨人から移籍してきた川相昌弘が付けている。

高校は広島県内の広島県立広島工業高等学校に進学する予定で、同校の野球部監督からは「試験だけ受けてくれれば大丈夫」と言われていた。しかし、その言葉を真に受けて真剣に取り組まなかったせいか入試に落ちてしまい、やむなく紹介された島根県の江の川高校(現・石見智翠館高等学校)に進学したのだという[1][9]。この件について、佐伯貴弘は「オマエ(谷繁)ぐらいやぞ。高校の入試で0点とったん」と発言している[10]

サザンオールスターズの大ファンで、ナゴヤドームでの登場曲も中日入団以来一貫してサザンの『HOTEL PACIFIC』を使用している(2009年・2010年は偶数打席のみ。奇数打席はFabolousの『Everything,Everyday,Everywhere』)。春季キャンプ中も日課として毎朝ホテルの自室でサザンの音楽を大音量で流しているという[11]

負けず嫌いな性格で、落合英二の「2009年に日本一になったジャイアンツは強かったですか?」という質問には「強いって思いたくないし、負けないチームだったなって思いました」と答えている。同席していた和田一浩の「僕は強いと思いました」という感想には「強かったけど、強いと思った時点で負けなんですよ。喧嘩でもそうじゃないですか。相手を強いと思ったら負けなんです」と返している[12]

詳細情報 [編集]

年度別打撃成績 [編集]

















































O
P
S
1989 大洋
横浜
80 171 154 9 27 2 2 3 42 10 0 0 1 1 13 3 2 43 4 .175 .247 .273 .520
1990 75 182 154 8 27 7 0 3 43 16 2 0 8 1 17 3 2 36 4 .175 .264 .279 .544
1991 82 221 186 24 44 9 3 5 74 24 5 1 8 2 20 2 5 39 8 .237 .324 .398 .722
1992 74 186 162 16 31 9 0 2 46 9 0 0 4 0 18 5 2 34 2 .191 .280 .284 .564
1993 114 343 290 22 68 10 2 4 94 26 3 0 7 0 40 8 6 74 6 .234 .339 .324 .663
1994 129 415 359 29 82 19 2 5 120 36 0 1 8 1 42 5 5 94 8 .228 .317 .334 .651
1995 93 203 181 16 45 7 1 6 72 21 1 0 5 0 17 2 0 39 2 .249 .313 .398 .711
1996 127 456 380 36 114 25 3 8 169 54 2 3 14 3 53 7 6 70 10 .300 .391 .445 .836
1997 128 489 397 42 92 19 2 13 154 46 2 1 25 3 61 9 3 71 14 .232 .336 .388 .724
1998 134 538 461 50 117 23 1 14 184 55 1 2 6 4 62 7 5 83 13 .254 .346 .399 .745
1999 122 491 427 55 126 23 0 11 182 51 0 1 7 5 46 13 6 45 16 .295 .368 .426 .794
2000 122 493 446 35 112 21 0 9 160 44 0 0 3 1 41 6 2 91 20 .251 .316 .359 .675
2001 137 532 447 54 117 19 2 20 200 70 4 2 9 1 65 8 10 107 6 .262 .367 .447 .815
2002 中日 130 515 446 53 96 21 0 24 189 78 4 0 10 2 49 8 8 116 8 .215 .303 .424 .727
2003 112 426 367 48 97 20 1 18 173 69 3 2 8 4 42 2 5 90 11 .264 .344 .471 .816
2004 121 472 408 47 106 11 0 18 171 68 1 0 11 6 42 7 5 92 10 .260 .332 .419 .751
2005 141 537 449 58 105 22 0 14 169 65 3 2 8 6 69 5 5 106 10 .234 .338 .376 .715
2006 141 520 428 48 100 22 1 9 151 38 0 0 13 3 71 16 5 102 12 .234 .347 .353 .700
2007 134 474 382 33 90 15 0 6 123 44 0 1 19 5 62 15 6 85 10 .236 .347 .322 .669
2008 113 384 329 27 77 18 0 2 101 27 0 1 9 1 39 4 6 45 9 .234 .325 .307 .632
2009 115 369 298 32 62 7 0 9 96 33 0 0 19 4 44 8 3 62 9 .208 .312 .322 .634
2010 110 367 308 23 75 15 0 7 111 32 0 1 11 1 42 4 5 81 5 .244 .343 .360 .703
2011 102 330 277 26 71 10 0 6 99 31 0 0 12 1 38 5 2 51 5 .256 .349 .357 .706
2012 134 458 386 15 88 14 0 5 117 32 0 1 14 2 52 3 4 67 15 .228 .324 .303 .627
通算:24年 2770 9572 8122 806 1969 368 20 221 3040 979 31 19 239 57 1045 155 108 1723 217 .242 .335 .374 .709
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績 [編集]

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捕手 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1989 75 296 38 5 3 5 .985 50 32 18 .360 -
1990 73 344 33 2 1 2 .995 42 25 17 .405 -
1991 79 416 41 4 6 8 .991 53 31 22 .415 -
1992 69 356 32 2 3 2 .995 37 26 11 .297 -
1993 109 667 64 3 14 3 .996 46 30 16 .348 -
1994 127 809 64 6 12 4 .993 76 46 30 .395 -
1995 92 390 40 2 6 1 .995 51 32 19 .373 -
1996 125 858 83 10 15 4 .989 101 59 42 .416 -
1997 128 1003 74 5 10 7 .995 70 47 23 .329 -
1998 133 899 93 5 18 4 .995 92 55 37 .402 -
1999 122 806 82 4 8 5 .996 95 58 37 .389 -
2000 122 871 79 3 15 2 .997 79 52 27 .342 -
2001 137 828 109 3 20 3 .997 81 37 44 .543 -
2002 129 971 73 6 25 7 .994 58 30 28 .483 -
2003 110 770 42 2 6 7 .998 48 33 15 .313 -
2004 120 887 49 2 14 9 .998 45 28 17 .378 -
2005 140 1014 65 2 14 6 .998 55 31 24 .436 -
2006 138 1006 79 1 10 3 .999 57 34 23 .404 -
2007 133 908 58 3 12 9 .997 57 34 23 .404 -
2008 113 737 51 3 10 3 .996 64 43 21 .328 -
2009 114 689 64 0 11 7 1.000 .321 -
2010 109 639 61 6 8 4 .992 .365 -
2011 100 524 48 1 9 1 .998 .270 1 5 0 0 1 1.000
2012 131 736 75 1 12 5 .999 .361 -
通算 2728 17424 1497 81 262 111 .996 1 5 0 0 1 1.000
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰 [編集]

記録 [編集]

初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:1998年8月25日、対阪神タイガース22回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手で先発出場 ※史上347人目(飯田哲也と同日達成)
  • 100本塁打:2001年10月3日、対広島東洋カープ27回戦(広島市民球場)、2回表に高橋建から右越2ラン ※史上217人目
  • 1000本安打:2001年10月9日、対中日ドラゴンズ27回戦(横浜スタジアム)、3回裏に朝倉健太から中前安打 ※史上208人目
  • 1500試合出場:2002年8月1日、対読売ジャイアンツ20回戦(東京ドーム)、8番・捕手で先発出場 ※史上137人目
  • 1000三振:2003年8月6日、対広島東洋カープ19回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に高橋建から ※史上34人目
  • 150本塁打:2004年5月18日、対広島東洋カープ7回戦(広島市民球場)、5回表に高橋建から左越2ラン ※史上136人目
  • 2000試合出場:2006年7月26日、対阪神タイガース9回戦(ナゴヤドーム)、7番・捕手で先発出場 ※史上36人目
  • 1500本安打:2006年10月9日、対東京ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、4回表に石川雅規から右中間適時二塁打 ※史上90人目
  • 300二塁打:2007年8月8日、対広島東洋カープ14回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に宮崎充登から右翼フェンス直撃適時二塁打 ※史上47人目
  • 1500三振:2009年8月14日、対東京ヤクルトスワローズ16回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に村中恭兵から ※史上7人目
  • 200本塁打:2009年9月1日、対広島東洋カープ19回戦(浜松球場)、3回裏に今井啓介から左越ソロ ※史上94人目
  • 200犠打:同上、7回裏に青木勇人から ※史上29人目(200本塁打と200犠打を両方達成したのは高木守道石毛宏典以来、史上3人目)
  • 2500試合出場:2010年7月28日、対読売ジャイアンツ14回戦(東京ドーム)、7番・捕手で先発出場 ※史上9人目
  • 100死球:同上、11回表に山口鉄也から ※史上15人目
  • 350二塁打:2011年9月19日、対読売ジャイアンツ19回戦(東京ドーム)、5回表に野間口貴彦から左線適時二塁打 ※史上32人目
  • 1000四球:2012年4月10日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、6回表に小野淳平から ※史上13人目
  • 3000塁打:2012年7月27日、対阪神タイガース14回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に福原忍から左越2ラン ※史上50人目
  • 2000本安打:2013年5月6日、対東京ヤクルトスワローズ7回戦(明治神宮野球場)、6回表に押本健彦から右前安打 ※史上44人目
その他の記録
  • 1708守備機会連続無失策(2006年4月4日 - 2007年8月10日) ※セ・リーグ歴代2位
  • 新人からの連続ホームラン:25年 (1989年 - 2013年)
  • オールスターゲーム出場:10回 (1993年、1997年 - 2002年、2005年、2007年、2012年)

背番号 [編集]

  • 1 (1989年 - 1992年)
  • 8 (1993年 - 2001年)
  • 7 (2002年 - 2003年)
  • 27 (2004年 - )

登場曲 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ a b c “谷繁 悔しさで成長…父・一夫さん「今考えればカープに感謝」”. スポーツニッポン. (2013年5月7日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/05/07/kiji/K20130507005754010.html 2013年5月7日閲覧。 
  2. ^ “少年野球時代 彼らはすでに天才だったのか - 現代ビジネス”. 週刊現代 (講談社). (2012年2月11日号). http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31730?page=5 2013年5月7日閲覧。. 
  3. ^ テレビ朝日「NANDA!?」より
  4. ^ 『朝日新聞』1988年12月10日付朝刊 (14版、23面)
  5. ^ TRY FOR MAJOR『月刊スラッガー』2002年1月号、日本スポーツ企画出版社、39頁。雑誌15509-1。
  6. ^ 2008年12月26日スポーツニッポン、2011年8月2日中日スポーツ
  7. ^ 横浜時代は通算1002安打。
  8. ^ 2011年11月13日放送Going!Sports&Newsより
  9. ^ 週刊現代」、講談社2012年1月28日、pp. 166
  10. ^ TBSテレビ筋肉番付」2000年3月4日放送より。この時佐伯は冗談交じりでギャグばかり飛ばしていたため、これが事実かどうかは不明である。
  11. ^ CBCテレビ「がんばれドラゴンズ」2009年3月29日放送より
  12. ^ CBCテレビ「サンデードラゴンズ」2010年1月24日放送より

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]