大場翔太

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大場 翔太
福岡ソフトバンクホークス #17
SH-Syota-Oba.jpg
2009年7月1日(阪神甲子園球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都足立区
生年月日 1985年6月27日(26歳)
身長
体重
183cm
83kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目
初出場 2008年3月23日
年俸 2,000万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

大場 翔太(おおば しょうた、1985年6月27日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手投手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

八千代松陰高校時代は春に関東大会出場があるものの、夏は県大会ベスト8が最高で甲子園出場はなかった。進学した東洋大学では一年秋からリーグ戦に登板し、二年春には二試合連続完封を挙げるなど高市俊と共にリーグトップの防御率をマーク。以降先発に定着した。2006年に行われたIBAFインターコンチネンタルカップでは最優秀防御率を獲得。

永井怜が卒業し最上級生となった2007年、春はリーグタイ記録の9勝・リーグ新記録の115奪三振。秋にも8勝を挙げ同大学初の春秋連覇に貢献し、二季連続でMVP・最優秀投手・ベストナインの三冠に輝いた。同年行われた第56回全日本大学野球選手権大会のベスト8、そして明治神宮野球大会では2完封を含む三連続完投勝利で初優勝にそれぞれ貢献。すべて完投で優勝したことから「平成の鉄腕」の異名がついた。同じく2007年に行われた日米大学野球選手権大会の初の敵地優勝、プレ五輪の優勝にも日本代表の一員として貢献した。大学通算62試合登板33勝11敗、防御率2.13。通算410奪三振と春から秋にかけての14連勝もリーグ新記録。

2007年の大学・社会人ドラフトにおいて最大の目玉とされ、6球団(オリックス、横浜、ソフトバンク、阪神、日本ハム、巨人)から1位指名を受け、抽選の結果福岡ソフトバンクホークスが交渉権を獲得。同年12月19日、契約金1億円+出来高5000万円、年俸1500万円の最高条件で仮契約を結んだ。

[編集] プロ入り後

2008年、3月23日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でパ・リーグ史上初となるプロ初登板で無四球完封勝利を上げる。4月5日の千葉ロッテマリーンズ戦では7者連続三振を含む球団新記録の16奪三振で2度目の無四球完封勝利をマークするなど、黄金ルーキーの名に恥じない鮮烈なデビューを飾る。しかし徐々に成績を落とし、シーズン中盤には二軍に落ち、3勝に終わった。13試合で14被本塁打といわゆる「一発病」に苦しみ、クイックや牽制などの技術面でも課題を残した。当時の二軍監督石渡茂は「彼は気持ちを表に出すタイプなので、序盤以降は精神的な部分に問題があった」と語っている[1]。。

2009年は1月に東洋大学先輩の田中大輔永井怜と母校東洋大学で合同自主トレを行った。先発登板した7月31日の対オリックス・バファローズ戦では1回表に大引啓次の頭部に死球を与え、わずか8球で危険球により退場処分となった。先発として12試合に登板し0勝3敗、防御率5.86、WHIP1.52に終わるが、リリーフでは10試合の登板で1勝0敗、防御率2.36、WHIP1.10の成績を残した。

2010年は一軍登板4試合に終わるも、ファームではウエスタン・リーグ規定投球回到達者中2位の防御率2.99と同1位のWHIP0.89をマーク。与四球率も1.49に抑え、課題であった制球難に改善の兆しが見えた。10月には台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれ、11月には岩嵜翔と共にプエルトリコウィンターリーグに派遣され、クリオージョス・デ・カグアスに所属。6試合に先発し34回を投げ4勝0敗、防御率2.65、WHIP1.35の成績を残し、ドミニカ共和国とのオールスターゲームにも選出された[2]リノ・リベラ監督からは「メジャーでも通用する才能とポテンシャルを持っている」と高く評価され[3]、自身は投手コーチからツーシームを教わり「投球が楽になった」と語った[4]

2011年はルーキーイヤー以来の開幕一軍を果たし、序盤は敗戦処理や大量リードの展開を主戦場に安定した成績を残した。7月15日のロッテ戦で3回で降板した山田大樹の後を受け3回1/3を投げ1失点と好投し、2年ぶりの勝利を挙げた。19日の埼玉西武ライオンズ戦では抹消されたD.J.ホールトンの代役として初先発し、5回2/3を投げ2安打10奪三振で白星を挙げ、さらに8月4日のオリックス・バファローズ戦でも先発予定だった大隣憲司の体調不良により代わって先発し、5回無失点の投球で3勝目を挙げた。このように代役やスクランブルで先発や長いイニングを投げることが多いことから『ミスター代役』[5]、『お助けマン』[6]などと呼ばれた。さらに18日のオリックス戦では3年ぶりの完封勝利を達成し、8月は5試合に先発し1完封を含む4勝1敗、防御率1.71、WHIP1.01の活躍で自身初の月間MVPを初受賞した。先発した9月19日の対オリックス戦では、2009年7月31日の対戦の際と同様に、1回裏に打者二人目の大引啓次のヘルメットのつば付近に死球を当てたため、危険球によりわずか6球で自身二度目の退場処分となる。なお、同試合は3回途中に降雨によりノーゲームとなったが、試合成立はしなくても退場は記録に残る。

[編集] プレースタイル

東都大学野球連盟2007年春季に挙げた9勝を全て完投で記録する抜きん出たスタミナで注目を浴び、「平成の鉄腕」の異名を持つ。

平均球速約141km/h[7]、最速151km/hのストレートと縦に鋭く変化するスライダーSFFを武器とし、特にスライダーはパ・リーグのスコアラーからリーグを代表する変化球の一つに挙げられ[8]、SFFは2009年には被打率.155を記録した[9]。他にも横に変化するスライダーにカーブ、プエルトリコのウィンターリーグで習得したツーシームチェンジアップ[10]といった球種を持ち、一軍での通算8.88と高い奪三振率を誇る。一方で四死球の多さを課題とし、打たれだすと止まらなくなるため、精神面での成長も望まれている[9]

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
2008 ソフトバンク 13 13 2 2 2 3 5 0 0 .375 344 78.0 83 14 30 2 3 73 5 0 47 47 5.42 1.45
2009 22 12 0 0 0 1 4 0 0 .200 322 74.0 61 5 43 0 3 77 4 0 36 35 4.26 1.41
2010 4 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 56 9.1 18 1 9 0 0 9 1 0 18 17 16.39 2.90
2011 23 8 1 1 0 7 2 0 0 .778 293 70.2 52 4 25 0 6 51 2 0 22 20 2.55 1.09
通算:4年 62 34 3 3 2 11 12 0 0 .478 1015 232.0 214 24 107 2 12 210 12 0 123 119 4.62 1.38
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 表彰

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 17 (2008年 - )

[編集] 関連情報

[編集] CM出演

「川崎選手、キーパーになる」(2008年、九州限定) - 川崎宗則山崎勝己松田宣浩と共演。

[編集] 脚注

  1. ^ 月刊ホークス 2008年11月号 58頁。
  2. ^ Iwasaki y Oba dejan huella con CriollosESPN Deportes、2010年12月24日。
  3. ^ No bajarán la guardia los Criollosprimera hora.com、2010年11月26日。
  4. ^ Diversión con subtítulosVocero.com、2010年12月27日。
  5. ^ “ミスター代役”大場でソフトB独走態勢日刊スポーツ、2011年8月5日。
  6. ^ お助けマン・大場 体調不良大隣の代役で3勝目スポニチ、2011年8月5日。
  7. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、8頁。ISBN 978-4-905411-04-8
  8. ^ Sportiva 2008年7月号、29頁。
  9. ^ a b 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、104頁。ISBN 978-4-86191-595-6
  10. ^ 『週刊ベースボール』2011年15号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-4/4、40頁。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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