武内晋一

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武内 晋一
東京ヤクルトスワローズ #8
YS-Shinichi-Takeuchi20130503.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県神戸市西区
生年月日 1983年12月10日(31歳)
身長
体重
175 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 2005年 希望入団枠
初出場 2006年4月1日
年俸 2,200万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

武内 晋一(たけうち しんいち、1983年12月10日 - )は、東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手内野手外野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

神戸市立平野小学校4年時に神戸市少年団リーグの軟式少年野球チーム「平野少年団」に入り野球を始める。左利きにもかかわらず三塁を守り、当時は武内が全てのワンマンチームだったという。同学年の栗山巧も同リーグの「小寺少年団」に所属していた。

神戸市立平野中学校時代は硬式野球ヤングリーグ「神戸須磨クラブ」に所属し投打に活躍し全国大会にも出場。智辯和歌山高校に進学し、投手から野手に転向。1年からレギュラーとなり、1年夏の第81回全国高等学校野球選手権大会では田中浩康擁する尽誠学園などを破り勝ち進むも、準決勝で岡本直也擁する岡山理大附サヨナラ負けを喫し4強止まり。

2年時には今なお「高校野球史上最強打線」と呼ばれる強力打線で3番を担う。春の第72回選抜高等学校野球大会小島心二郎擁する国士舘高香月良太香月良仁擁する柳川などを破ったが、決勝で筑川利希也山本淳を擁する東海大相模に敗れ準優勝。

夏の第82回全国高等学校野球選手権大会では準々決勝で香月良太がエースの柳川高校と再戦した他、前田章宏擁する中京大中京加藤領健中尾敏浩朝井秀樹今江敏晃桜井広大らを擁するPL学園根市寛貴擁する光星学院中村一生山田憲らを擁する東海大浦安などの強豪校を次々と破り、チームは7つの大会新記録を樹立して優勝。 2年時には甲子園春夏通算での年間安打数記録を樹立した。

3年時には主将となったが、夏の和歌山大会では山本芳彦擁する和歌山工業高校相手に一回戦敗退。高校通算47本塁打

高校卒業後は早稲田大学人間科学部に進学。1年春からレギュラーに定着し、2年春にはリーグ3位の打率.405、17打点の成績で打点王とベストナインに輝く。同年は田中浩康青木宣親鳥谷敬比嘉寿光、武内、由田慎太郎打順の1番から6番までが後にプロ入りした。3年時には第2回世界大学野球選手権日本代表にも選出されたが、本塁打への意識の強さから打撃フォームを崩して平凡な成績が続き、フォーム改善に苦悩した。94kgという体重にしては足も速かったが、盗塁王はチームメイトの前田将希が獲得。4年時の2005年には主将となり第34回日米大学野球選手権大会に出場して最高殊勲選手となるが、アメリカ人とのパワーの違いを痛感し、本塁打へのこだわりを捨てるきっかけになり、その後行われた秋季リーグ戦では本塁打0ながら打率.426で首位打者と打点王を獲得し、ベストナインに選ばれた。同年秋のプロ野球ドラフト会議東京ヤクルトスワローズ希望枠で入団。準永久欠番である背番号8を同年引退した佐藤真一から受け継いだ。大学通算で97試合に出場し通算25人目となる100安打以上を達成し、345打数102安打、打率.296、当時の歴代4位となる73打点、12本塁打を残した。守備では4年間リーグ戦全試合にスタメン出場して無失策だった。

プロ入り後[編集]

2006年は新人ながら開幕一軍でシーズンスタート。4月1日の阪神タイガース戦で安藤優也からプロ初安打となる同点3ラン本塁打を放ち、チームのサヨナラ勝ちと開幕2連勝に貢献。しかし、大学4年間一塁手だったためか外野守備は不安定で、この試合では飛球を落球して先制点を与えるタイムリーエラーをしている。その後すぐに二軍落ちしたが、イースタン・リーグでは主に外野手として50試合に出場し、打率.285、出塁率.340、28打点、リーグ2位の6犠飛を記録した。

2007年の春季キャンプでは外野守備の不安定さも大分影を潜め、また本職の一塁ではアダム・リグスをしのぐ動きを見せた。開幕は二軍スタートとなったが、リグスの故障により4月22日に一軍合流。5月3日の広島東洋カープ戦で長谷川昌幸からシーズン初安打となる2点本塁打を放った。しかし、一軍では打撃の確実性に苦しみ、一軍と二軍を行き来する事になった。二軍では打率.367、7本塁打、44打点で、首位打者、最高出塁率、最高長打率を記録した。しかし、一塁にはリグス、外野には同じ左打ちガイエルがおり、両外国人選手を凌駕するには至らず、一軍に定着することはできなかった。

2008年は4番を打っていたリグスや主軸を期待された宮出隆自が相次いで絶不調に陥り、本職でもある一塁手の座を掴むチャンスが巡ってきたが、安定した打率を維持した畠山和洋に競り負け、ガイエルが怪我で離脱した外野でも石井一久の人的補償で西武から移籍してきた福地寿樹が大ブレイクした事で定位置獲得はならず、主に守備固めや左の代打として出場した。

2009年、この年も主に守備固めや左の代打としての出場し、シーズン序盤は代打として高い代打打率・得点圏打率を残し、スタメン出場した6月21日の対埼玉西武ライオンズ戦では1試合4安打を打つなど、シーズン序盤から中盤にかけては少ないチャンスをものにしている場面が多かった。しかし、故障者が続出し出場機会が巡ってきた7月以降は振るわず、またしても定位置を獲得するには至らなかった。10月3日の甲子園での阪神タイガース戦で走塁時に転倒し左半月板を損傷、同月に手術を受けた。

2010年、登録が外野手登録から内野手登録へ変更となった。春季キャンプは昨年手術をした左膝のリハビリにより出遅れたが、キャンプ終盤に一軍に合流し、開幕を一軍で迎えた。

2011年、一塁手の定位置争いは畠山に敗れ、レフトを守ることが多くなった。二試合続けて本塁打を打つなど活躍も見せたが、二軍落ちも経験し、控えとして一年を過ごした。オフに2012年度のヤクルトの選手会長に就任した。

2012年、シーズン序盤は代打で結果を出すが、選手会長として宮本慎也の2000本安打達成時に花束を送るとともに、手首の故障のリハビリに入り、登録抹消。8月中旬に戦列に復帰し、怪我人の穴埋めとして、一塁や外野のスタメンで使われることが多かった。統一球2年目で打撃成績は多少ながらも改善が見られた。

2013年、シーズン序盤は出番があまりなかったが、ミレッジ・雄平の故障、畠山の不調等でチャンスが回ってくる。プロ入り初の満塁本塁打を放つなど、得点圏打率が高く、勝負強い打撃を見せた。一方で打率、OPSは低迷し、今季打率は2割を切り、OPSは6割を切った。9月中旬に自打球で骨折し、そのままシーズンを終えた。

2014年、シーズン序盤は前年度故障の影響があり、二軍生活が続いた。一軍で怪我人が続出すると、6月下旬に一軍昇格した。一発があり、チャンスメイクをする働きを見せた。 また、一塁守備には相変わらず定評があり、守備固めでの起用も多々見られた。打撃成績は改善が見られ、前年度よりOPSが1割以上上昇した。

プレースタイル[編集]

スイングスピードが速く、パワーだけではなくその鋭いスイングから長打を生み出す。チャンスには強く巧打も見られ、打点が多いタイプの打者である。また、柔軟なリストを活かして広角に長打を放つ事ができる。

プロ入り後は相手投手の情報を集める為か、最初のストライクを見逃す消極的な傾向がある。その為四死球は多い方だが、結果としてカウントを悪くしてしまい、一軍で打率が残せていない原因にもなっている。

一塁守備には定評があり[1]、大学4年間無失策、さらにプロ入り後も2009年6月21日の西武戦でG.G.佐藤の当たりの強いゴロを弾くまで一塁守備では無失策であった。グラブ捌きから投手への声掛けも含めて一塁手としての評価は非常に高く、野球解説者の達川光男には「12球団一の一塁手」と言わしめた。またプロ入り後に始めた外野でも、肩の強さや守備範囲において一定の適性を見せている。

走力そのものは目立つほど無いものの、走塁技術には長けており足を活かした長打も多い。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2006 ヤクルト 12 30 24 4 2 0 0 1 5 4 0 1 0 1 5 0 0 8 0 .083 .233 .208 .442
2007 24 45 41 2 3 0 0 1 6 3 0 0 0 1 1 0 2 12 0 .073 .133 .146 .280
2008 116 182 169 20 39 11 2 1 57 13 2 0 3 0 7 0 3 37 1 .231 .274 .337 .611
2009 112 162 144 15 37 4 0 2 47 13 0 0 1 1 15 2 1 23 1 .257 .329 .326 .656
2010 109 162 142 25 38 9 0 6 65 22 0 0 0 0 16 2 4 38 1 .268 .358 .458 .816
2011 73 118 102 10 22 4 2 2 36 11 0 0 4 2 9 0 1 27 2 .216 .281 .353 .634
2012 52 94 82 7 20 3 0 1 26 3 1 1 0 0 7 0 4 14 4 .244 .333 .317 .650
2013 76 165 146 8 27 8 0 3 44 19 1 0 3 1 14 0 1 23 3 .185 .259 .301 .560
2014 55 125 111 15 27 2 0 4 41 9 0 0 1 1 12 0 0 18 3 .243 .315 .369 .684
通算:9年 629 1083 961 106 215 41 4 21 327 97 4 2 12 7 86 4 16 200 15 .224 .296 .340 .636
  • 2014年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]

年度 一塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2006 4 25 4 0 2 1.000 3 1 0 2 0 .333
2007 10 78 8 0 6 1.000 -
2008 70 231 17 0 23 1.000 24 34 1 0 0 1.000
2009 72 259 21 2 22 .993 22 22 0 0 0 1.000
2010 60 178 12 0 14 1.000 18 16 2 0 0 1.000
2011 31 36 1 1 3 .974 31 39 2 0 0 1.000
2012 26 102 4 0 10 1.000 19 25 1 0 0 1.000
2013 21 88 4 0 13 1.000 36 37 0 0 0 1.000
2014 24 59 2 1 7 .984 29 39 2 1 0 .976
通算 318 1056 73 4 100 .996 182 213 8 3 0 .987

記録[編集]

背番号[編集]

  • 8 (2006年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 『週刊ベースボール』2011年5号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-2/7、33頁。

関連項目[編集]