大引啓次
| オリックス・バファローズ #10 | |
|---|---|
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府大阪市住吉区 |
| 生年月日 | 1984年6月29日(27歳) |
| 身長 体重 |
178cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 遊撃手 |
| プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト3巡目 |
| 初出場 | 2007年3月24日 |
| 年俸 | 5,800万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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大引 啓次(おおびき けいじ、1984年6月29日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(内野手)。
愛称は「ビッキー」。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
大阪府大阪市住吉区出身。創建2000年の歴史を持つ神須牟地(かみすむち)神社の宮司の二男として生まれ、物心ついた頃から恒例行事や大晦日には必ず神社を手伝っていた[1]。
大阪市立長居小学校1年時に住吉連盟の大阪ゴールデンファイアーで軟式野球を始め、投手兼遊撃手。中学時代は硬式野球の住吉大和川シニアに所属し、遊撃手として全国大会に出場。
浪速高校では1年夏からベンチ入りし、1年秋から遊撃手のレギュラーを獲得。2年春の第73回選抜高等学校野球大会に出場し8強入りに貢献。3年夏の大阪大会では5本塁打を放った。高校通算15本塁打。
法政大学(法学部政治学科)進学後は、1年の東京六大学野球春季リーグ開幕戦で9番・三塁手としてデビュー。以後不動のレギュラーとして活躍し、3年時の秋季リーグでは同校5年ぶりとなる優勝、4年時には主将となり春季リーグで2季連続優勝を達成した。大学では首位打者を2度、打点王と盗塁王を1度ずつ記録し、ベストナインには5度選出され、小早川毅彦が作ったチーム最多安打記録(114本)を更新し、慶應義塾大学の高橋由伸を抜いてリーグ歴代単独4位となる通算121安打を記録した。
2006年11月4日に明治神宮外苑創建80年記念で行われた東京ヤクルトスワローズと東京六大学選抜チームとの試合で、大引の阪神タイガース入団を熱望した阪神ファンが早くも大引の「背番号8」のレプリカユニフォームを作って観戦しているのがニュースで報道され話題になった。試合は3対2で六大学チームが敗れたものの、大引自身は先頭打者本塁打を含む3安打猛打賞と活躍した。このようなこともあってか「虎の恋人」とも呼ばれたが、11月21日に行われた大学・社会人ドラフトでオリックス・バファローズから3巡目指名を受け入団した。
[編集] プロ入り後
2007年は3月24日の開幕戦に8番・遊撃手としてスタメン出場。オリックスで新人が開幕スタメン出場したのは、指名打者で出場した2002年の後藤光尊以来、遊撃手としては1992年の田口壮以来だった。プロ初打席で斉藤和巳から初安打を放ち出塁すると、直後に初盗塁も決めた。3月29日の対日本ハム戦では8回裏1死満塁から左中間に飛球を放ち、プロ初打点がプロ初本塁打・初満塁本塁打かと思われたが、観客がグラブを差し出して打球を掴んだため、適時二塁打となった。7月6日の対楽天戦で永井怜からプロ初本塁打を記録。シーズン通して遊撃手のレギュラーをほぼつかんでいたが終盤は調子を崩し、好調だった後藤にスタメンを譲ることも多かった。このため規定打席には2打席足りなかったが、最終的には出塁率.329を記録するなど新人野手としてはトップクラスの成績を残した。リーグ3位、遊撃手としては同2位の17失策を記録したがレンジファクターではリーグの遊撃手の中で1位を獲得した。一方で打率.274に対し得点圏打率.212とチャンスで打てなかったことなど課題も残した。シーズン後の秋季キャンプでは臨時コーチを務めたロサンゼルス・ドジャースストレングス・コンディショニングコーチのダグ・ジャローが俊敏性を試すために独自に考案した「球拾いテスト」でチームトップの好タイムを記録。「素晴らしい才能を持った選手がいた」と絶賛された。
2008年3月18日、阪神の選手などが多く所属するオフィスS.I.Cとマネジメント契約を締結。同年も8番・遊撃手として開幕戦に出場。開幕直後は打撃不振に苦しんだが、徐々に復調。5月7日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)では、延長10回裏に荻野忠寛からプロ入り初のサヨナラ安打を放った。しかし、6月9日の対阪神戦で久保田智之から右手人さし指に死球を受けて骨折し戦線離脱。8月27日の対ソフトバンク戦で復帰し、以後は再び遊撃手のレギュラーとして出場。最終的には故障の影響もあって88試合の出場にとどまり打率.258に終わったが、得点圏打率.319を記録するなど成長の跡も見せた。
2009年は故障者続出でチームが不調に喘ぐ中、107試合に出場して打率.278と健闘し、遊撃手としてのレギュラーの座をほぼ手中にした。しかし、自身も9月1日の対ソフトバンク戦で甲藤啓介から左手首に死球を受けて骨折し、残りシーズンを棒に振ったため、またしても規定打席に到達できなかった。8月25日の対日本ハム戦で9回裏2死に同点適時打、延長10回裏にはサヨナラ安打を放ったが、シーズン中の得点圏打率は.221に終わった事、自己ワーストの84三振を喫した事、また好調時は安打を量産する傾向が続く反面、一旦不調に陥るとなかなか安打が出ない傾向も続く事もある事などの課題も残した。一方、守備の面では再びレンジファクター1位を獲得した。
2010年は9番・遊撃手として開幕スタメンに名を連ね、3回裏に岩隈久志から2010年のチーム初打点となる先制適時打を放ち、これが決勝点となり、完封勝利を挙げた金子千尋と共に試合後にお立ち台に上がった。しかし、打率そのものが伸び悩み、5月3日に二軍降格。交流戦で戦線復帰を果たすが、7月2日に腰痛で再度登録抹消。8月15日に一軍復帰したが、結局はプロ入り後最少の85試合の出場で、打率.236と低調な成績に終わり(ただし得点圏打率は.302)、山崎浩司・金子圭輔との併用も多く、正遊撃手不在の一因となってしまった。9月4日の対ソフトバンク戦では、杉内俊哉の攻略の契機となる適時打や、その後の決勝適時打など3安打2打点と活躍したが、酷暑の影響による熱中症のため手足の痙攣を訴え、途中交代するという憂き目にも遭った(同じ試合で、ソフトバンクの山崎勝己も熱中症で途中交代している)。
2011年は2番・遊撃手として開幕スタメンに名を連ねたが、打撃不振により開幕5戦目にスタメン落ちした。その後しばらくは控えに甘んじていたが、交流戦前に下位打線でスタメン復帰し、8月以降は2番打者に定着した。この年は自身初めての規定打席に到達し、チーム最多の42犠打(リーグ3位タイ)と52四球(リーグ7位)、打率は.244と振るわなかったが、得点圏打率は.292を記録した。レギュラーシーズン終了後には、岡田監督から来季の2番打者と副キャプテンに指名され、秋季キャンプに帯同した。オフには岸田護と共に選手副会長に就任。
[編集] 人物
大学で主将を務めている時には「法政史上最高の主将」、「学生野球の鏡」とまで言われた。プロ入り時の契約金8,000万円(推定)をほぼ全額実家の神社へ納め[1]、ファンサービスに関しても積極的である。また、人権啓発運動にも2007年より毎年参加している。
1年後輩だった小瀬浩之を弟分として可愛がっていた。小瀬の急死直後には自身のブログで、「何でもっと力になってやれなかったのか。ただ自分の無力さを悔やむ。本当にすまなかった」と、身近にいながら仲間を救えなかったことの自責の念にかられていた[2]。 小瀬の死後、オフにはシーズン終了の報告のために小瀬の実家へ訪れている。[3] [4]
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007 | オリックス | 126 | 444 | 394 | 37 | 108 | 18 | 2 | 2 | 136 | 24 | 3 | 4 | 16 | 1 | 31 | 0 | 2 | 79 | 9 | .274 | .329 | .345 | .675 |
| 2008 | 88 | 305 | 275 | 29 | 71 | 16 | 3 | 3 | 102 | 26 | 1 | 2 | 16 | 1 | 12 | 0 | 1 | 61 | 4 | .258 | .291 | .371 | .662 | |
| 2009 | 107 | 425 | 349 | 55 | 97 | 23 | 1 | 5 | 137 | 25 | 3 | 3 | 34 | 1 | 33 | 1 | 8 | 84 | 6 | .278 | .353 | .393 | .745 | |
| 2010 | 85 | 260 | 216 | 33 | 51 | 9 | 3 | 2 | 72 | 23 | 0 | 0 | 15 | 3 | 25 | 0 | 1 | 52 | 4 | .236 | .314 | .333 | .647 | |
| 2011 | 127 | 501 | 405 | 36 | 99 | 15 | 2 | 1 | 121 | 34 | 3 | 3 | 42 | 1 | 52 | 0 | 1 | 66 | 3 | .244 | .331 | .299 | .630 | |
| 通算:5年 | 533 | 1935 | 1639 | 190 | 426 | 81 | 11 | 13 | 568 | 132 | 10 | 12 | 123 | 7 | 153 | 1 | 13 | 342 | 26 | .260 | .327 | .347 | .674 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 年度別守備成績
| 年 度 |
三塁 | 遊撃 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2007 | - | 124 | 167 | 428 | 17 | 75 | .972 | |||||
| 2008 | - | 86 | 128 | 248 | 7 | 55 | .982 | |||||
| 2009 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 105 | 157 | 357 | 9 | 86 | .983 |
| 2010 | - | 84 | 119 | 217 | 6 | 33 | .982 | |||||
| 2011 | - | 127 | 184 | 368 | 11 | 60 | .980 | |||||
| 通算 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 526 | 755 | 1618 | 50 | 309 | .979 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2007年3月24日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8番・遊撃手として先発出場
- 初打席・初安打:同上、2回表に斉藤和巳から右前安打
- 初盗塁:同上、2回表に二盗(投手:斉藤和巳、捕手:的場直樹)
- 初打点:2007年3月29日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(スカイマークスタジアム)、8回裏に押本健彦から左中間へ2点適時二塁打
- 初本塁打:2007年7月6日、対東北楽天ゴールデンイーグルス9回戦(フルキャストスタジアム宮城)、4回表に永井怜から左越ソロ
[編集] 背番号
- 10 (2007年 - )
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 大引啓次オフィシャルブログ「一笑懸命」
- 個人年度別成績 【大引啓次 (オリックス・バファローズ)】 - 日本野球機構オフィシャルサイト
- マネージメント事務所「株式会社オフィスS.I.C」
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