坂口智隆

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坂口 智隆
オリックス・バファローズ #9
Sakaguchi tomotaka.jpg
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県明石市(兵庫県神戸市生まれ)
生年月日 1984年7月7日(30歳)
身長
体重
180 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2002年 ドラフト1巡目
初出場 2003年10月7日
年俸 7,500万円(2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

坂口 智隆(さかぐち ともたか、1984年7月7日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手外野手)。

愛称は「グッチ」。2013年からオリックス選手会長を務める。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

兵庫県神戸市生まれ[1]明石市出身。小学2年時[1]軟式野球の「鵯台ライオンズ」で野球を始め、投手で4番。明石市立望海中学校時代は硬式野球のヤングリーグ「神戸ドラゴンズ」でプレー、チームの1年先輩には栗山巧がいた[2]

神戸国際大学附属高等学校に進学後、1年秋から背番号1を着けてエースとなり秋季近畿大会でベスト4入りし[3]、翌春に春夏通じて同校初の甲子園出場となる第73回選抜高等学校野球大会にエースで5番として出場。3年時は背番号1のままながら外野手として出場することが多かった。夏の全国高等学校野球選手権兵庫大会では準決勝で金刃憲人を擁する市立尼崎高校を相手に9回裏2死から5点差を逆転してサヨナラ勝ちし、決勝では尾崎匡哉大谷智久らを擁する報徳学園高校に敗れたものの準優勝。高校通算23本塁打[4]

2002年ドラフト高井雄平の交渉権を抽選で逃した大阪近鉄バファローズから外れ1巡目指名を受け入団、神戸国際大附高出身者初のプロ野球選手となった。また、大阪近鉄バファローズ最後のドラフト1位指名選手でもあった。4番を打っていた打撃と俊足強肩の身体能力を買われて外野手に転向[5]

近鉄時代[編集]

2003年ウエスタン・リーグ打率.302を残し、ドラフト指名を受けて入団した高卒野手では球団史上8人目となる1年目での一軍初出場を果たし、初安打も記録した。

オリックス時代[編集]

2005年から合併に伴う入団2年以内の選手への措置でオリックス・バファローズ所属となり、二軍で打率.285、13盗塁を記録。

2006年も二軍で54試合出場、打率.328、12盗塁を記録。オフにはハワイ・ウィンターリーグへ派遣された。

2007年オープン戦で結果を残し、テリー・コリンズは「平野恵一が離脱している中で1番バッターは彼以外いない」と絶賛。1番中堅手で初の開幕スタメン出場を果たし、初回に同年のチーム初安打を放った。5月初旬に打撃不振で二軍に降格するも、シーズン終盤に再昇格後はレギュラーに定着し、9月以降は3割近い打率を残し猛打賞も記録。二軍では48試合に出場、打率.317、チームトップの10盗塁を記録。

2008年も開幕1番に選ばれ、前半戦は好調を維持。夏場以降は打率が下がり三振も増えたが、主に1・2番打者として、タフィ・ローズと並ぶチーム最多の142試合に出場、初めて規定打席に到達するなどレギュラーに定着した。6三塁打・13盗塁(後藤光尊と同数)はチームトップ、安打数・犠牲バント数・犠牲フライ数はいずれもチーム2位を記録し、満塁時には9打席で7打数6安打11打点と満塁男ぶりも見せた。守備でも外野手としてリーグ3位の7補殺を記録し、ゴールデングラブ賞を初受賞した。一方で、全打席の半分以上で、3球目までに打った打撃スタイルとチーム4位の三振数を記録した、追い込まれてからの脆さから四死球が少なく、アベレージタイプの打者としては出塁率が低い事や、サウスポーに対し打率.232に終わるなど課題も残した。

2009年は、シーズン途中から元近鉄選手用の汎用応援歌に替わり、新たに専用応援歌が作られた。オープン戦では打率.349と好調だったが開幕後は5月初旬まで打率1割台と打撃不振に陥り、同年から加入した近鉄時代のチームメイトでもある大村直之が1番を打つようになった。その後は徐々に復調していき、6月からは大村に替わって再び1番打者に定着。5月以降は7月以外全て月間打率3割以上で8月には月間打率.386、イチロー以来球団史上2人目となる月間40安打を記録し[6]、最終的にはチームトップの137試合に出場してチーム内の規定打席到達者で唯一の打率3割となるリーグ2位の打率.317に同2位の167安打、前年の自己最多を更新するチームトップでリーグ10位の16盗塁を記録。また、リーグ6位の出塁率.381で左投手に対しても打率.297と前年課題を残した部分でも改善が見られた。守備では外野手としてリーグトップの14補殺に同2位の守備率を記録してゴールデングラブ賞を2年連続で受賞し、下位に低迷したチームの中で活躍した。この年は、野手8人の中で唯一日ハムではない選手の受賞となった。同年オフ、背番号を9に変更する事が決まった。12月21日には、阪神・淡路大震災復興15年チャリティーマッチに参加し、地元選手、ブルーウェーブOBらで構成された「がんばろう神戸ドリームズ」の選手として出場した[7]

2010年はフルイニング出場を目標[7]とし1番打者として起用されていたが、打撃不振によりわずか12試合でスタメン落ちしてしまう。しかし、交流戦初戦となった5月12日の対ヤクルト戦で、延長10回表に決勝適時三塁打を打ち、チームの対ヤクルト戦2年ぶりとなる勝利に導く活躍や、6月7日の対広島戦ではプロ野球新記録となる10者連続安打の先頭打者として口火を切り、1イニング2安打を放つなど、交流戦打率.389とMVP候補にも挙がった。しかし7月は打率.213、OPS.539と再び不振に陥り、前半戦終了間際に3年ぶりの2軍降格を味わうも、前半戦終了時点で.288だった打率を昇格後は3割に戻し、最終的に2年連続3割、3年連続ゴールデングラブ賞、3年連続150安打を達成し、三塁打はリーグトップの10本をマークした。また、8月には10二塁打と6三塁打を放ち、8月度のJA全農Go・Go賞(表彰テーマ:最多二、三塁打賞)を受賞した。

2011年は全144試合フルイニング出場を果たし、パ・リーグ最多安打を受賞した。シーズン序盤は不振であったが、交流戦では打率.412と一気に調子を上げて3割に乗せ、交流戦首位打者、最多安打、最多得点を記録して日本生命賞を受賞した。終盤まで3割をキープして首位打者を狙える位置にいたが、最後の最後で17打席連続無安打を記録するなど不振に陥り、最終的には打率.297でシーズンを終えた。しかし、最多安打、最多タイ三塁打、リーグ3位の得点、同5位の四球、同7位の打率、同8位の出塁率を記録するなど一番打者として活躍した。守備でも無失策の守備率10割、守備機会リーグ3位、補殺同5位と俊足・強肩ぶりを存分に発揮し、4年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。また、9月度のJA全農Go・Go賞(表彰テーマ:最多二、三塁打賞)にも2年連続で受賞した。

2012年、シーズン前の3月10日に行われた東日本大震災復興支援ベースボールマッチの対台湾戦において初の日本代表に選出され、4回から途中出場し、2打数1安打1四球の活躍を見せた。開幕戦では1番・中堅手として先発出場を果たしたが、この年もここ数年同様に春先から打撃不振、守備でも失策を喫するなど精彩を欠いたことから、5月5日の日本ハム戦ではスタメン落ち。この試合で2010年9月19日から続いたフルイニング出場が179試合で途切れた。それでも一向に調子が上がらないまま、5月17日の対巨人戦で、初回に坂本勇人の放った飛球をダイビングキャッチで好捕したが、この際に右肩を地面に強打し負傷退場。検査の結果、右肩肩鎖関節の脱臼、さらに靭帯も断裂と診断され、長期離脱を余儀なくされた。シーズン復帰は絶望的と言われていたが、なんとかその後9月7日のウエスタンリーグ・中日戦で戦線復帰(岡田彰布監督が坂口の復帰を一軍戦の試合中に初めて知った[8])。しかし、打撃は問題はないが、守備で投げられるほどには万全ではなかったため[9]、専らDHまたは代打として守備に就かずに二軍戦に出場し続け、公式戦終了間際の10月5日に一軍登録され、同日の対ソフトバンク戦で7回裏に代打として復帰を果たすと、大隣憲司からダメ押しの適時打を放った。同月7日の対西武戦でも代打で安打を放ったが、一軍定着後最少となる40試合の出場に留まり、最下位に低迷したチームにとって坂口の戦線離脱が攻守に手痛いシーズンとなってしまった。この年のオフに伊藤光と共にオリックスの副選手会長に就任するも、新選手会長の大引啓次がトレードで移籍したのに伴い、選手会長に就任した。

2013年は選手会長として試合に出続けたもののシーズン途中にぎっくり腰になりシーズン終盤に復帰した。最終的に97試合に出場した。

プレースタイル[編集]

一塁到達3.71秒の俊足を生かし[10]、2008年から2010年までの内野安打率は14.7パーセントである。イチローに似たバッティングフォームから広角に打ち分ける技術を持ち[10]速球に対しては2010年に打率.379を記録し、特に150km/h以上のボールには打率6割を記録し得意とした[11]。盗塁の試行数が少なく年間20盗塁に達したことはなく、盗塁成功率も通算で約71%とあまり高くない。

守備では2010年にはUZR6.5を記録した広い守備範囲と[12]、投手として140km/h台を記録したこともある強肩からの正確なスローイングを持ち味とする[10][13]

しかし糸井移籍後は、強肩は鳴りを潜め満足のいく送球をしていない。

人物[編集]

野球を始めた時から新庄剛志が好きで自宅には新庄のポスターを貼っており、プロ入り後に公言した赤いリストバンドの着用も新庄の影響とのこと。2004年には本人と対面し、譲り受けたバットは自宅に飾ってある[5]。その影響や、球団合併に伴うプロ野球再編問題の中でファンの大切さを再認識したことから[1]、ファンサービスに積極的である。

本人曰く守備が好きで打撃は苦手、投手を務めるのも嫌だったと言う。高校時代の監督である青木尚龍は「運動能力は高いが投手としてはハラハラする投球が多かった」とし、「粘りがないが明るい目立ちたがり」な性格とコメントしている[5]

同期入団の大西宏明を兄貴分と慕っており、大西の横浜ベイスターズ移籍に伴いTV番組「せやねん!」(毎日放送)で”せやねん!専属広報部長”として選手紹介やキャンプリポートなどをしていた大西から”2代目せやねん!専属広報部長”に指名され、2008年12月13日放送の回では2人揃ってスタジオに生出演した。大西は坂口について「やんちゃな悪ガキという感じだが野球には人一倍熱心」と語っている[5]

田口壮とは田口がメジャー時代(2006年)の時に自ら弟子入りを志願した師弟関係でもあり、オフには合同自主トレを行っている。

一番好きな映画は「耳をすませば」で、子供が生まれたら家にジブリルームを作りたいと述べている[14]

好きな女性のタイプは家庭的で料理ができて、のほほんとした人。芸能人なら鈴木紗理奈と答えている[15]。また、坂口の登場曲は鈴木がMUNEHIRO名義で歌っている曲(「輝きをもう一度」、「ヒノマルパワー」など)ばかりである。

高校時代はストリートミュージシャンでもあった。プロ入り後も2度ストリートライブを行っていたが、これが岩隈久志にバレてしまい、それ以降はやってないと語っている[16]

2011年10月、オリジナル写真集PHOちょ+より自身初の公式写真集がリリースされた。坂口智隆 公式写真集

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2003 近鉄 1 6 5 0 1 0 0 0 1 0 0 1 0 0 1 0 0 2 0 .200 .333 .200 .533
2004 7 5 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .200 .000 .200
2005 オリックス 6 6 6 1 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .333 .500
2006 28 26 22 3 2 0 0 1 5 2 3 1 1 0 3 0 0 6 1 .091 .200 .227 .427
2007 46 149 137 13 33 6 1 0 41 8 4 1 6 0 5 0 1 21 0 .241 .273 .299 .572
2008 142 588 540 68 150 15 6 2 183 32 13 3 17 4 23 0 4 77 9 .278 .310 .339 .649
2009 137 594 526 82 167 23 7 5 219 50 16 4 8 4 52 0 4 81 8 .317 .381 .416 .797
2010 138 622 558 84 172 31 10 5 238 50 12 6 7 1 52 0 4 77 13 .308 .371 .427 .798
2011 144 651 590 84 175 20 7 3 218 45 5 5 2 1 54 2 4 77 11 .297 .359 .369 .729
2012 40 165 158 7 36 2 1 0 40 8 2 2 2 0 5 0 0 13 0 .228 .252 .253 .505
2013 97 440 383 47 88 13 5 3 120 24 2 2 10 2 44 0 1 48 4 .230 .309 .313 .623
2014 122 382 323 33 76 5 5 2 97 40 3 2 10 0 47 0 2 45 4 .235 .336 .300 .636
通算:13年 908 3634 3252 423 901 116 42 21 1164 259 60 27 63 12 287 2 20 448 50 .277 .338 .358 .697
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


外野












2005 2 2 0 0 0 1.000
2006 17 9 0 0 0 1.000
2007 43 84 2 1 0 .989
2008 139 283 7 2 0 .993
2009 137 247 14 2 1 .992
2010 136 266 7 1 1 .996
2011 144 289 7 0 3 1.000
2012 38 70 2 1 1 .986
通算 656 1250 39 7 6 .995

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
その他記録

背番号[編集]

  • 27 (2003年 - 2004年)
  • 52 (2005年 - 2009年)
  • 9 (2010年 - )

写真集[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 兵庫県/気鋭のひょうご人気鋭のひょうご人(広報誌「ニューひょうご1・2月号」より)
  2. ^ 神戸ドラゴンズ卒部生紹介 またDVD「栗山巧 華麗なる若獅子、背番号1」に当時の映像が収められている。
  3. ^ スポニチ Sponichi Annex プロ野球 オリックス・バファローズ選手名鑑― スポニチ Sponichi Annex 野球
  4. ^ 『プロ野球全記録 (2003年版)』、実業之日本社、24頁。ISBN 4-408-61599-4
  5. ^ a b c d ゲンダイネット
  6. ^ 2009年8月31日付 日刊スポーツ紙面
  7. ^ a b Bs坂口、来季目標は「全試合フルイニング出場」
  8. ^ “まさか?岡田監督 坂口の実戦復帰知らなかった”. スポニチアネックス. (2012年9月8日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/08/kiji/K20120908004068820.html 2012年10月9日閲覧。 
  9. ^ オリックス 来季へ光明!金子 6月以来白星 坂口も復帰戦で安打
  10. ^ a b c 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、186-187頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  11. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、68頁。ISBN 978-4-86191-710-3
  12. ^ Baseball Lab守備評価~Center FielderSMR Baseball lab
  13. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、454-455頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  14. ^ 週刊ベースボール2010年11月15日号。
  15. ^ ニッカンスポーツ 「1億円プレーヤー坂口お嫁さん募集」
  16. ^ [ガンバレ日本プロ野球2011 第4回]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]