荻野貴司

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荻野 貴司
千葉ロッテマリーンズ #4
2012marines ogino4.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 奈良県高市郡明日香村
生年月日 1985年10月21日(29歳)
身長
体重
172 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手遊撃手
プロ入り 2009年 ドラフト1位
初出場 2010年3月20日
年俸 2,730万円(2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

荻野 貴司(おぎの たかし、1985年10月21日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手外野手内野手)。

経歴[編集]

奈良県高市郡明日香村出身。小学4年生の時に明日香フレッシュジュニアーズで野球を始める。中学時代は加治前竜一と共に橿原コンドルに在籍。

郡山高では、2年夏からレギュラーとなり、3年夏の奈良大会準優勝。

関西学院大学(同期に宮西尚生)では、1年秋から遊撃手のレギュラーとして活躍し、4年春には17盗塁で23年ぶりとなるリーグ新記録を樹立した。関西学生リーグ通算80試合出場、295打数98安打、打率.332、3本塁打、35打点、47盗塁。ベストナイン5度受賞。

卒業後は社会人野球トヨタ自動車へ入社し、同時に外野手に転向。オープン戦で1試合3本塁打を記録。2008年の第35回日本選手権で3番打者として打率.409、長打率.682の好成績でチームの連覇に貢献。社会人ベストナイン外野手部門を受賞した。社会人二年目の夏に左ひざ半月板を痛めるが、復帰後の都市対抗野球で活躍し、プロのスカウトの注目を集めた。

2009年度のプロ野球ドラフト会議では複数球団から上位指名候補としてリストアップされ[1]千葉ロッテマリーンズより単独1位指名を受ける。11月30日に契約金1億円プラス出来高5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)で契約。背番号4に決まった。

プロ入り後[編集]

2010年、春季キャンプから俊足をアピールし[2]、球団では25年ぶりとなる新人外野手の開幕スタメン出場を果たす。開幕から46試合で25盗塁を記録し、3月26日の対北海道日本ハムファイターズ戦では逆転決勝弾となるプロ入り初本塁打を放つなどの活躍を見せた。

しかし、5月21日の対東京ヤクルトスワローズ戦で二盗を試みてスライディングした際に右ひざを負傷。精密検査の結果、全治2か月の右膝外側半月板損傷と診断された。同月26日に半月板の部分切除手術を受けたが、シーズン中の復帰は叶わなかった[3]。オフの契約更改の席では西岡剛の移籍で空いた遊撃手へのコンバートについて「やってみたい気持ちがある。守れるなら守りたい」と前向きなコメントを残した[4]

2011年

2011年、内野手登録となり、2番・ショートとして開幕戦にスタメン出場。しかし、5月13日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で右ひざの違和感を訴え、17日に登録を抹消される。「去年の痛みとは全然違う。少し休めば大丈夫だと思う」と語ったが[5]、25日に手術を受けた[6]オールスターゲーム後の復帰を目指し急ピッチで調整を続けたが、回復は思わしくなく8月25日にプロ入り後三度目となる右ひざの手術を受けた[7]

2012年、再び外野手登録となり[8]、本人も「外野一本でやりたい」と宣言[9]。前年の教訓から開幕よりまず完治を優先し[10]、春季キャンプでも一軍から外れて別メニュー調整を行った。開幕は二軍で迎え、4月21日イースタンリーグで約1年ぶりの実戦復帰。6月13日に一軍選手登録されると[11]、同日の対広島東洋カープ戦の10回裏に代走として出場し二盗を決めた[12]。翌日には復帰後初スタメンでシーズン初安打[13]8月1日の対日本ハム戦では2年ぶりの本塁打を記録した[14]8月17日の対日本ハム戦で2失策を記録し[15]、同月20日に一軍登録抹消。二軍調整後、最短の10日間で一軍復帰。この年は怪我による離脱なくシーズン終了を迎えた。

2013年、腰痛で開幕一軍を逃したものの5月上旬に復帰し、自己最高の102試合に出場。盗塁数含めほぼすべてにおいてキャリアハイの成績を残した。

2014年5月6日の対オリックス・バファローズ戦において、西勇輝から史上初となる初回先頭打者初球ランニング本塁打を記録した[16]

選手としての特徴[編集]

2011年

打撃ではバットを極端に短く持ち[17]、どのコースにも柔軟に対応する打撃を見せる[18]。2011年までの通算で右投手は打率.323と得意とする一方、左投手は打率.253と苦手としていたが、2012年では右投手.214に対して左投手は.239、2013年シーズンでは右投手には.259に対して左投手には.329と左投手の方が高い打率を記録している。

50メートル5.6秒の俊足で、右打者にもかかわらず一塁への到達タイムは3.57秒とプロ有数のスピードを誇り[17][19]、ショートほぼ正面のゴロを内野安打にしてしまうほど[20]。その走力を活かし、ライト前ヒットの当たりで二塁を陥れたり、無死満塁の状況で一塁から二塁へのタッチアップを決めたりするなど[21]、抜け目のない走塁を見せる。また、優れた盗塁技術も兼ね備えており、2010年には盗塁企図10以上の選手で両リーグ1位の盗塁成功率.893を記録した。

驚異的なスピードを有する反面、スライディングの技術に難があり、ベース付近から飛び込むように滑っていたことで膝へ負担がかかり故障につながった[22]。本人もこのことは自覚しており、怪我から復帰後はよりベースの手前からスライディングすることを心掛けている。

大学まで遊撃手としてプレーしていたが、社会人時代に外野手に転向。プロ一年目は主に中堅手で起用されたが、翌2011年は遊撃手として出場した。本人は右翼手が一番守りやすく、打球の判断がしやすいと語っている[23]。大学時代までは内野での送球に不安を抱えていたが、外野手に転向したことで「思い切り腕を振れるロングスローの場面があるので、自分の長所を生かせるようになったと思います。僕のスローイングは外野からのバックホームのようなロングの送球が一番伸びると思うので」と語っている[23]。2012年からは再び外野手としてプレーしている。

人物・エピソード[編集]

家族は父、母、兄、妹の5人。4歳年上の兄・公一は早稲田大学競走部OBの毎日新聞記者である[24]

かなりの筋肉質で、体脂肪率が6パーセントしかない。

ロッテには荻野忠寛が在籍しているため、ニックネームは「タカシ」、背ネームもT.OGINOと区別されている(荻野忠寛は「OGINO」のまま)。同じ2010年にロッテに入団した清田育宏とは、互いに連絡を取り合う仲でもある[25]

2011年には電車の行き先看板を模したグッズが発売された[26]。表面には「快足荻野二塁(盗塁)」裏面には「特急荻野本塁(三塁経由)」と書かれている。

2012年8月17日日本ハム戦で4回に稲葉篤紀の打ったフライを取り損ね、さらに、拾った球を誰もいない一塁に悪送球するという珍事が起こった。日本ハムはこの日、黒の限定ユニフォームを着用していたため、札幌ドームだったがロッテはホーム用のユニフォームを着用していた。この日、解説だった岩本勉は「ビジターのユニフォームが似ていたため、一塁の三木コーチが味方の選手に見えたんじゃないかと思う。」と話している。また、8月19日に放送された『サンデーモーニング』でも張本勲が同様の発言をしている。ただし、荻野本人は「ファーストにいると思って投げたが、誰もいなかった。ユニフォームを間違えたわけではない。」とコメントしている[27]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2010 ロッテ 46 217 175 29 57 9 2 1 73 17 25 3 21 3 16 1 2 24 2 .326 .383 .417 .800
2011 23 103 91 14 24 4 0 0 28 10 14 1 3 1 7 0 1 6 1 .264 .320 .308 .628
2012 61 187 165 18 37 5 0 1 45 8 13 3 6 0 11 0 5 17 0 .224 .293 .273 .566
2013 102 397 335 52 92 14 3 4 124 28 26 3 17 3 32 0 9 26 4 .275 .351 .370 .721
2014 40 155 142 26 37 10 2 3 60 12 15 1 5 0 8 0 0 14 1 .261 .300 .423 .723
通算:5年 272 1059 908 139 247 42 7 9 330 75 93 11 52 7 74 1 17 87 8 .272 .336 .363 .699
  • 2014年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2010 - 46 99 2 3 0 .971
2011 23 35 71 6 14 .946 -
2012 - 54 123 3 3 1 .977
2013 - 101 182 6 2 1 .989
通算 23 35 71 6 14 .946 201 404 11 8 2 .981
  • 2013年度シーズン終了時

記録[編集]

その他の記録

背番号[編集]

  • 4 (2010年 - )

登場曲[編集]

  • 「U Don't Know (Remix)」Jay-Z(2010年)
  • 「My ANSWER」SEAMO(2011年 - )
  • 「GIRL」秦基博(2013年 - )
  • 「NEVER GIVE UP!!」FALCO&SHINO(2014年 - 1&3打席目以降)
  • 「泣いていいよ」CHIHIRO(2014年 - 2打席目)

脚注[編集]

  1. ^ 長野が巨人1位へ 荻野の上位指名も 2009年度社会人ほか注目選手を探るスポーツナビ
  2. ^ 速い!荻野貴 快足で開幕スタメン猛アピールスポーツニッポン2010年2月12日配信
  3. ^ 「全力で走れる!」荻野貴、277日ぶり盗塁スポーツニッポン2011年2月23日配信
  4. ^ ロッテ・荻野貴は2500万円 契約更改47NEWS、共同通信2010年11月30日配信
  5. ^ 荻野貴、右膝痛で抹消も「去年の痛みとは全然違う」スポーツニッポン2011年5月18日配信
  6. ^ 荻野貴が右膝手術 復帰に1カ月から1カ月半スポーツニッポン2011年5月25日配信
  7. ^ 荻野貴が右膝手術…今季の復帰は困難スポーツニッポン2011年8月26日配信
  8. ^ 荻野貴司選手ポジション登録の変更についてロッテ球団公式サイト2012年1月20日配信
  9. ^ ロッテ荻野、完治優先「無理しない」 デイリースポーツ2012年1月21日配信
  10. ^ 荻野貴 3度手術の右膝完治目指す 開幕こだわらずスポーツニッポン2012年1月21日配信
  11. ^ 【ロッテ】荻野貴1年ぶりの1軍復帰日刊スポーツ2012年6月13日配信
  12. ^ 荻野貴が帰ってきた!そして期待通りに俊足を披露 2012.06.13 M-C - YouTube
  13. ^ 荻野貴、今季初スタメンで復帰後初ヒット! 2012.06.14 M-C - YouTube
  14. ^ 【ロッテ】荻野同点弾「滅多に出ない」 - 日刊スポーツ(2012年8月1日)
  15. ^ ロッテ・荻野貴、痛恨の2失策「やってしまった」サンケイスポーツ2012年8月17日配信
  16. ^ オリ竹原 ずっこけランニング弾献上も…一発&勝った”. スポニチ (2014年5月7日). 2014年12月17日閲覧。
  17. ^ a b 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、117頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  18. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクト、2010年、432頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  19. ^ パ・リーグ首位争いで必見の2人!!ロッテ・荻野貴と西武・田中の期待度。(1/2) - NumberWeb(2010年5月7日)
  20. ^ 荻野貴が驚異の俊足で内野安打 3月27日 ロッテ-日本ハム - YouTube
  21. ^ スピードスターコンビ全開!ロッテ今季初勝利 - スポーツニッポン(2011年4月15日)
  22. ^ 荻野貴1試合2盗塁!2年連続開幕スタメン確実 - スポーツニッポン(2011年4月2日)
  23. ^ a b 『アマチュア野球』第25号、日刊スポーツ出版社、2009年、雑誌66835-63、103-104項。
  24. ^ 記者日記:がんばれ、荻野兄弟/埼玉[リンク切れ] - 毎日新聞(2011年2月25日)
  25. ^ 疾走!:千葉ロッテ荻野貴司日記 拡大版 清田選手が大当たり/千葉 - ウェイバックマシン(2010年11月11日アーカイブ分) - 毎日新聞・スポーツちば(2010年11月6日)
  26. ^ 4/19(火)〜荻野貴選手をモチーフにした『荻野貴行き先プレート』発売開始!! - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト(2011年4月18日)
  27. ^ ロッテ・荻野貴、痛恨の2失策「やってしまった」 - サンケイスポーツ(2012年8月17日)
  28. ^ a b ロッテ古谷 4回6失点で2敗目 オリ戦連勝ストップ”. スポニチ (2014年5月7日). 2014年12月17日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]